かねてからの死刑廃止論者である千葉景子法相が、28日、突然、2名の確定死刑囚の死刑を執行した。

 死刑執行は、そもそも、執行日を予告しないため、「突然」という表現はおかしいのだが、今回の千葉法相が死刑執行に踏み切ったのは、やはり、唐突感と或る種の違和感がある。

 正直、この判断に至った背後には強い政治的臭いを嗅ぎ取らざるを得ない。

 それは、千葉氏の大臣就任から落選するまでの議員としての法相時代の対応から見て、死刑執行はないと考えるのが普通である。意図的に死刑執行を逃れてきた法相としての職務放棄という事実があるからだ。

 法令遵守の責任者たる法務大臣が、これまでは敢えて刑事訴訟法に反する行動を取り続けていた。 刑事訴訟法第475条2項に「前項の命令(死刑の執行は、法務大臣の命令による)は、判定確定の日から六ヵ月以内にこれをしなければならない」とある。

  にも拘らす、合理的説明もなく、これまでの10ヶ月、死刑執行を拒んできた人物が、民間人大臣になって、逆に、死刑執行という重い任務を遂行した。

 どう考えても変である。

 なにせ、千葉法相の任期は大方の予想でも、残り二か月を切っているはず。なのに、この時期に、死刑廃止論者の千葉氏が節を曲げてまで行なったのである。

 そして、一方では、国民からNO!を突き付けられ、落選した民間人を引き続き大臣として留め置いたことに対する批判があり、30日開催の臨時国会で野党から千葉法相に問責決議案が提出される動きもあった。

 そうした客観情勢のなかで今回、2名の死刑が執行された。

 以上の見方から、今回の判断が、国会運営や政局の視点からなされた、千葉法相が民主党に押し切られたと考えるのが自然である。

 死刑囚とはいえ、命の尊厳は同じである。

 政治の都合などで、人命の与奪が左右されることなどあってはならない。 わたしは、死刑廃止論者ではない。実際に千葉法相のこれまでの職務怠慢に大きな憤りを覚えていた方である。死刑廃止論者であるからには、本来、法務大臣就任を断るのが筋であると考えている。

  しかし、そうした考え方を持つわたしから見ても、今回の唐突な死刑執行は、人の命をもてあそび、人間の尊厳を愚弄する行為に見える。

  死刑廃止論者の人権意識、思念とはそんなに軽いものなのかと強く感じた次第である。