いよいよ「決着」の時が近づいた。

 

これまで鳩山首相は、事あるごとに普天間基地移転について自らが言い出した5月末決着を明言し、それに拘(こだわ)ってきた。

 

その首相が5月末決着を断念せざるを得ない状況となった10日夕方、「沖縄と移設先、米国、連立与党の皆さんが『この方向でいこうじゃないか』ということでまとまることを、私は合意と呼んだ」と釈明した。

 

しかし、そんなことを聴く耳を私は持たない。

 

昨年末の移転問題先延ばしから始まった首相の一連の発言から、「決着」とは「沖縄県民と移設先、米国および与党が合意する」という明解な意味と国民は理解してきたからである。

 

現にこれまで首相は、事あるごとに沖縄県民や移設先、米国などの「合意」を得て5月中に決着させると繰り返してきたはずである。

 

128日の参院予算委員会では、米軍普天間飛行場の移設問題に関する自民党の山本一太氏の質問に対し、「5月末までに覚悟を持って決めると言っている。覚悟を持って臨むということに尽きる」と答弁、5月末決着を断言した。

 

そう言えば5月末決着の前に3月末に案をまとめるとの話があったのを思い出した。324日の官邸前で「3月いっぱいにまとめる。それは約束する」と明言した。そして、その僅か6日後の330日には、「1日、2日、数日ずれることは何も大きな話ではない。大事なことは5月にしっかりとした案を理解してもらうことだ」と事も無げに約束を反故にした輝かしい実績をこの鳩山由紀夫という男は有している。

 

そして、415日の総理官邸前での記者団からの「5月末に米国と地元の合意を得た唯一の案が発表されるのか」との質問に対し、「決着は決着だから、その通りだ。もうこれで行こうと、その方向がお互いに認められる状況を指す」と、最後の足掻きのような、発言の後半部分が大事だよと姑息な逃げの答えを用意した。

 

卑怯な男である。

 

そうした迷走発言の末にたどり着いたのが、冒頭に記した10日の夕方の発言である。

 

「方向性」が一致すれば、自らが設けた「5月決着の期限」や明解な「決着の定義」に矛盾はない、反故にしたことにもならぬ。何とまぁ、自らが手前勝手な解釈を示したのである。

 

一国の総理ともあろう人物が、自分が口にした言葉、約束を、言葉の使い方や微妙な言い回しで姑息に意味をすり替えてゆく。こんなマヤカシやゴマカシは、豊かな表現力を誇る日本語という国語を、国の最高権力者が先頭になって破壊し、辱めているのに等しい。

 

5月末になってこの鳩山という男は、「職を賭して」とまでいった己の発言を、どのように解釈して見せ、誤魔化して見せるのだろうか。