松代散策=2−象山地下壕

松代散策=3−佐久間象山(象山神社・象山生誕の家跡・蓮乗寺)

松代散策=4−真田10万石の城(松代城・海津城跡)

松代散策=5−真田家所縁の寺(長国寺・恵明禅寺)

松代散策=6−松代の歴史の町並み(山寺常山亭・旧横田家住宅・文武学校・旧白井家表門・真田勘解由亭)

松代散策=7−川中島の戦い(古戦場・胴合橋)

松代散策=8−川中島の戦い(典厩寺・妻女山)

松代散策=9−松代グルメ・ランチとディナー(日暮し庵・沙羅樹庵(蕎麦)、中国料理天竜)

 松代は明治維新までの
250年間、真田藩の城下町として歴史の時を実直に刻んできた町である。行政的には、かつて長野県埴科(はにしな)郡に属していたが、昭和41年(1966年)に長野市と合併している。地理的には市の南東部に位置し、長野駅から車で約20分、長野IC(上信越自動車道)から5分のところにある人口、約19,200人の町である。

 

 私は「松代」と訊くと、「松代群発地震」(1965819706)を思い起こすが、若い方にはあまり馴染みのない土地ではなかろうか。また、戦時中の記憶のある方は松代大本営地下壕の名に複雑な思いを抱かれる人もおられよう。

 

 いずれにせよ、私は、知人が松代文化ホールで催した「サックスデュオとピアノによるコンサート」(S:中川美和・藤澤聡子/P:山中和子)を愉しむために、初春の松代を訪れた。


サックスデュオとピアノ
サックスデュオとピアノコンサート

 

 ちなみに当日のアクセスだが、往路は、東京から上田(長野新幹線・所要時間1時間32分)、上田から屋代(しなの鉄道・同14分)、屋代から松代(長野電鉄屋代線・同13分)と、上田駅からローカル線を乗り継いで、松代入りした(待合せ時間込みで総所要時間は2時間53分)。ドアを手動で開ける短い車両、昔懐かしい色褪せた木造待合室など、スローライフを満喫する旅となった。復路は、文化ホール近くの松代八十二銀行前から長野駅まで川中島バス(松代線)を利用して31分、そして長野駅からは新幹線で帰京した。


長野新幹線
長野新幹線

しなの鉄道
しなの鉄道(上田駅)

屋代駅
屋代駅

色あせた木造待合室
長野電鉄待合室

長野電鉄屋代線
長野電鉄屋代線

松代駅
松代駅

松代駅駅舎内
松代駅舎内

松代駅前道路
松代駅前道路
 

 わずか一泊二日の小旅行であったが、雰囲気のよい素晴らしい町であったので、その良さを是非知っていただきたいと思い、ここに紹介することにした。

 

 松代をひとことで表わす言葉は?と問われれば、私は躊躇なく「静謐(せいひつ)」という言葉を挙げたい。広辞苑によれば「静謐」は「静かであること。特に、世の中がおだやかに治まること」とある。

 

 ただ、私は松代の町を散策してみて、単に近頃の地方都市の代名詞となった「人通りが少なくて静かな町」というのではなく、町に人影こそ少ないものの、その家々の落ち着いた佇まいから、町全体に御香の薫りでもそこはかとなく漂っているような、おっとりとして、風雅のたしなみ豊かな品格ある町であると感じた。そこで「静かな」というより「静謐」という語感とその字面が、この松代という町にはふさわしいと思ったのである。


カワのある町並み
カワのある町並み
 

 さらに、この松代にはあのあまりにも有名な「川中島の戦い」の古戦場跡地があることも知り、真田六連銭の城下町の奥ゆかしさとも相俟って、歴史好きにはたまらない味わい深い土地であることを知った。

 

 これからいくつか興味深く思った先について記すが、松代を訪れてみたいと思っている方の参考となる情報をお伝えできれば幸いである。

 

次の順序で簡単に紹介してゆくこととする。2−象山地下壕、3−佐久間象山(象山神社・象山生誕の家跡・蓮乗寺)、4−真田10万石の城(松代城)、5−真田家所縁の寺(長国寺・恵明禅寺)、6−松代の歴史の町並み(山寺常山亭・旧横田家住宅、文武学校・旧白井家表門・真田勘解由亭)、7−川中島の戦い(古戦場・胴合橋)、8−川中島の戦い(典厩寺・妻女山)、9−松代のランチとディナー=日暮し庵・沙羅樹庵(蕎麦)、中国料理天竜