鳩山由紀夫首相は127、米軍普天間飛行場移設問題に関する、公邸前での記者団のぶら下がり取材において「政府としての考え方を、最終的にどういう風に米国に対して申し上げるかを決めるときが来たと思っている」と述べた。

 

 それを受けた大手メディアは、「<普天間移設>首相、近く最終方針…米国側に提示へ」(毎日)・「普天間方針、米側に近く伝える意向…首相」(読売)・「首相、普天間問題で『最終方針決める時期』」(産経)・「普天間移設で首相『政府として考え方、決めるとき』」(朝日)・「普天間移設『考え決める時』 首相、米に近く提示」(日経)というタイトル記事を配信している。

 

普天間飛行場移設問題について日本政府の最終方針」を米側に伝える方にニュアンスを置いたタイトルから「政府の考え方を決める時がきた」の方にニュアンスを置いたタイトルまで、首相発言の捉え方に微妙な差が生じている。

 

 これまでの普天間基地移転に対する鳩山首相の発言のブレが尋常でないことを考えると、タイトルを曖昧にせざるを得ない大手メディアの苦労も分かる気がする。冒頭の首相発言を慎重に再度、読み返して見ると、「最終的にどういう風に米国に対して申し上げるかを決めるときが来た」である。

 

 鳩山首相は「どういう風に言うか」を決める時がきたと言っている。要は「政府としての考え方」を「どういう風に」言うか、米国の怒りを見たので、早く「決め」ないといけない、と言っているに過ぎない。もっと言うと、「(移転問題を)どうしたらよいかわからなくなった」という鳩山首相の気持ちを「Trust me」と言ってしまった自分自身に傷がつかぬよう「どういう風に」米国に伝えたらよいか、「先延ばしの仕方」を決めないと、相手が本当に怒ってしまうと、言ったに過ぎないのである。

 

 決して移転問題の最終方針が彼の頭の中にあるわけではないことをわれわれは理解しておかねばならない。来年7月まで連立政権を崩す覚悟がないのであれば、「県外、できれば国外」という党是を掲げ、「重大な決意」を表明した福島瑞穂党首率いる社民党の主張を袖にすることはできない。これまでの様々な問題への対処、指示のあり方を見ていると、どうも鳩山首相の脳内思考は、すべて決断を好まず先送りする、抽象的な「言葉力」で物事をしのごうとする傾向がきわめて強いことが窺われる。

 

だから、のらりくらりで年越しし、そうこうするうちに何とかなるのではないか。そんな気持ちでいたに違いないと思えてくるのである。

 

しかし4日にルース在日米国大使が岡田外相、北沢防衛相の会談で、「鳩山政権がオバマ大統領の顔に泥を塗った。先月の日米首脳会談当時、鳩山首相がオバマ大統領に『信じてほしい』と早期に結論を出すことを約束しながら、危機を免れるとこのような態度を取るのか」と顔を赤くして、2人に怒声を上げたという。

 

そこで、鳩山首相は驚いて何か年内に米国に言わねばならぬと考えた。

 

その気持ちが「どういう風に」という表現に表れている。最終方針が定まっており、それを伝えるのであれば、「はっきり最終方針を申し上げる」でよいのである。表現方法で方針が変わるような最終方針など、外交の世界で受入れられるはずはない。玉虫色の表現とは、行なわれるべき事実はひとつであるが、その事実の解釈を両国国民にとって互いによいように理解させるための政治的テクニックである。決して、やるべき事実が決まっていないときに、表現の仕方で最終方針を曖昧にするなどということではない。そんなことは、外交上、許されることではないし、そんな言葉で「YES」というような米国ではない。

 

甘えるのもいい加減にしろと鳩山由紀夫首相には申し上げたい。こんな不誠実な態度をとり続けるかぎり、この国の国益はどんどん損なわれ、国際社会からの信用も失ってゆくことは確実である。

 

いまは、出来ることと出来ないことをはっきり内外に言うべきであろう。とくにこれは国の安全保障にかかわる問題である。表現力の巧拙で済ます話ではなく、決断力・政治力がまさに問われる問題なのである。

 

 こんな外交姿勢で「日米両国の対等な相互信頼関係」を築くなどとよくも言えたものである。米国の核の傘に守られて平和を享受している現実を直視し、対等な関係にある「新時代の日米同盟の確立」のためには、いざとなればその「核の傘」をなくすことも視野に入れた重い判断をしていなければ、「対等」な外交を標榜するのもおこがましいと言わざるを得ない。その覚悟を国民に求めるからには、自らがその覚悟をしているのは当然のはずである。それが為政者の最低限の責務、資格である。しかし、どうもこの鳩山由紀夫という人物の腹のなかに「肝」というものはそもそも存在しないようである。

そう言えば、同氏は政治家の前は学者であった。それを称して「口舌の徒」と揶揄した政治家がかつていたことを思い出した。