(彦左の正眼サイト内の写真等一切のコンテンツの転用を禁止します)

名勝嵐山の桂川
は変幻自在――古都散策

 

 京の名勝、嵐山の麓を流れる桂川は、淀川水系に属する全長107劼琉豕蕾論遒任△襦

 

 実はこの川はその名称において一本の河川でありながら、南丹市美山の佐々里峠を源流とする上流部から淀川に合流するまでの下流部にいたり、いくつかの名称を有す珍しい川なのである。

渡月橋

 

渡月橋遠望

 

 

 

 

 

 行政上の名称は「桂川」ひとつの名称で統一されているのだが、古来、流域毎にそれぞれの通称で呼びならわされてきた。その習慣といおうか、その呼び名は今日でも地元の人のなかに息づいている。以下に上流部から順に名称を並べてみる。

 

 上桂川(かみかつらがわ) → 桂川(かつらがわ) → 

 大井川(おおいがわ) → 保津川(ほづがわ) → 

 大堰川(おおいがわ)→ 桂川(かつらがわ)

 

 というふうに、変幻自在に名称を変えるのである。まるで流域の景勝の地に合わせ、身にまとう衣も替えるがごとくにである。古都の雅(みやび)になんともふさわしい趣向とも見られなくもないのである。

 

 誰もが知っている渡月橋の真下を流れている川の名称は、桂川ではなく「大堰川(おおいがわ)」である。現に、渡月橋の東岸袂(たもと)に「大堰川」の石碑が建っている。「あれっ!」と、感じた人たちも多いのではなかろうか。嵐山→渡月橋→桂川は、京都の代表的景勝地をあらわす連想ゲームのようなものである。ところが、渡月橋の真下を流れる川の通称は「桂川」ではなく「大堰川」。

大堰川・保津川境の大堰

 

保津川・大堰川の境の堰(せき)

 

 

 

 

 

実はこの「大堰川」は渡月橋のすぐ上流の堰(せき)とすぐ下流の堰の間だけの、わずか2劼曚匹寮邏擇量松里砲垢ないのである。古代、葛野川(かどのがわ)と呼ばれた暴れ川(現、桂川)を治めるため、この地域の支配者である秦(はた)氏が六世紀頃、下嵯峨から松尾にかけて大堰を築き、治水に貢献したのだそうだ。その偉業に敬意を表し、いまだ「大堰川」と呼びならわしているのかも知れないと想いを馳せるとき、悠久の歴史を誇る都人の矜持のようなものを感じずにはいられぬのである。

大堰川と渡月橋

 

大堰川と渡月橋

 

 

 

 

 

そして亀岡からの16劼砲錣燭觀銘の流れを舟下りする「保津川下り」も、やはり「桂川下り」ではどうも渓流下りとしての名称としては語感が悪く、趣に欠ける

保津川下りの小舟

 

 

保津川下りの小舟

 

 

  

 

桂離宮古書院・新御殿 

桂離宮の古書院・中書院・新御殿 

 

 

 

 

桂離宮松琴亭

 

桂離宮の松琴亭室内

 

 

 

 

 

そして渡月橋下流に位置する桂離宮のすぐ東を流れるその川は、名月の景勝地に冠される「桂」という「川」でなければならぬ。そう!その名称はまさに「桂川」なのである。先人たちの心もちの豊かさには感服!!