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割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)
中京区木屋町通二条下ル上樵木町491−3
電話:075-256-4506
葵祭りの行列を楽しんだ家内らと合流後、本日のメインイベントである割烹「やました」へと向かった。
「侘び・寂びの世界云々(うんぬん)」などという七面倒くさく小難しい講釈などとんとどっかに吹っ飛ばし、木屋町通りの「やました」の小豆色の暖簾をくぐった。
これまで「やました」は帰京する日の新幹線最終便までの時間に立ち寄るという慌ただしい大変失礼な客であった。そんな無粋な客も分け隔てなく相手にしてくれる大将の山下茂氏には本当に感謝している。
そこで今回は至近のホテルを予約、心ゆくまで「やました」を堪能するつもりで訪問した。予約は午後7時。カウンターはわたしたちの席を残すのみで、常連のお客でいっぱいであった。まぁ、前置きはそれぐらいにして、それではこれから、初夏の古都の味を写真とあわせじっくりとご堪能いただくことにしよう
先付けのあと、お造りに白身の鯛におこぜを頼んだ。
おこぜは薄造りで皮や胃袋もあざやかに包丁で刻まれ、九条葱や酢橘(すだち)とあわせて美味、珍味であった。骨は後ほど唐揚にされ出てきたが、前回も登場した松岡君の話だと、「おこぜは無駄にする所がない」のだそうだ。
そして当然、京都の初夏!は「鱧(はも)」である。「やました」では湯引きして梅肉で戴く定番の「ハモ」ではない。かるく炭火で炙った肉厚の鱧が特徴である。薄味のポン酢にすこしつけていただくと、口内に初夏の「きょ〜と!」が薫風のようにさわやかにひろがる。
そしていよいよ 「岩がき」の登場である。
「次、岩がきが入っていますが・・・」との松岡君の言葉に、「それをお願い」と口を開く前に、わたしの胃袋の噴門はすでに大きく開いてしまっているのである。いやぁ、これまた待ちに待った味覚である。ここの「岩がき」は実に美味い!し、本当にミルキィーさが違うのである。
「“岩がき”は“やました”に始まり、“やました”に終わる」と広辞苑に出ている、いやそんなはずはないが、“岩がき”の項に、「“やました”でのみ食べることができる美味しい牡蠣の一種類」という説明があってもよいとまで思ってしまうのである。先の炙った“鱧”も然りである、本当に広辞苑ものなのである。
そして今回は“鯨の頬肉”を薦められたのが、わたしの「やました」遍路の歴史にあらたな一頁を加えたのである。
中央卸市場から直行の鮮やかな赤身! これは絶品!のひと言である。新鮮で肉厚の鯨の刺身、ほほ肉など食べたことのなかったわたしは、どんなお刺身を出されてもこの味と食感には適わないだろうなと思ったものである。
あと脂ののった「キングサーモンのバター焼き」や「鮎の塩焼き」(わたしはお腹いっぱいでパス)や「金目鯛の煮つけ」や「ホタテのしんじょう椀」に最後に、『「やました」で鯖寿司喰わぬは人でなし』?と云われる「鯖寿司」を御土産に、もうお腹はパンパン。初めて看板(午後10時)まで尻を落ち着けた「やました」の夜は更けていった。
そして、大将に駄々を捏ねて近くにある雰囲気のよいカウンターバーを教えてもらい、予約までしてもらった。次に「やました」の大将や花島さんたちも常連と云うそのお店を紹介しよう。それでは、『初夏の「やました」後編』をお楽しみに。
何はともあれ、三月弥生に訪れた際に、次は「鱧に岩がき♪・・・」とブログの文末に記したが、皐月の往訪はその期待を十二分に超える美味で素晴らしい出会いの「やました」であった。
花島さんもありがとうね、次回はこんどは会話重視で訪ねよう・・・、いや、それに旬の料理もやっぱり楽しみに再会を期そう・・・。
「ともちゃん」へ
コメントありがとうございます。本当にカウンターでご一緒しているのかも知れませんね。「やました」の大将の飾らぬお人柄からか、よそ者のわたしも「やました連」の裾の方に入れていただいています。これからも京都へゆく際は、何しろ「やまし」が休日の月曜日だけははずして日程を組むことにしたいと考えています。
大将、若衆のお人柄も味のうちでしょう。
もしかしたら、カウンターでご一緒させていたのかもしれませんね。
じきに、祇園祭りです。
また、やましたの後編楽しみに読ませていただきます。