五十歩百歩の「産む機械」騒動は国会の場で

 

2006年度補正予算案は6日午後の参院本会議で、柳沢厚生労働相の「産む機械」発言に反発した民主、共産、社民、国民新の野党4党欠席のまま自民、公明党などの賛成多数により可決した。補正予算案が野党欠席のなかで成立したのは41年ぶりという。そして7日から衆院予算委員会を開き、07年度予算案の実質審議に入る予定で、今後、野党と協議を進めるという。

 

 補正予算は基本的に必要性・緊急性の高いもので、国民の生活に密着したものが多い。今年度の例で言えば、集中豪雨等の災害被害対応(8764億円)、障害者自立支援制度の運営円滑化対策費(960億円)、いじめ・児童虐待問題対策費(45億円)等、ある意味国民にとって切迫した政策対応にかかるものであり、その合計金額は49千億円にのぼる。その補正内容、金額について野党はその対策の必要性と対策金額の妥当性等政策審議にまったく参加することがなかった。わたしの頭には憲法第41条の「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」の文言がむなしく響くのみである。

 

 今回の野党の審議拒否は、柳沢発言を奇貨として目先の北九州市や愛知県知事選挙を有利に導こうとする意図が見え見えのパフォーマンスとしかわたしの目には映らなかった。

 

本当に柳沢大臣の女性に対する考え方が不適切ではなく「不当」であるとするのならば、本来、国会の場で正面から大臣に問い質し、非を認めさせ、そして不信任案を突きつければよい。大臣の真意が「不当」なものであることがわかったうえでの不信任案を、与党が否決することになれば、与党議員も女性に対し柳沢大臣と同様の考え方を有するということになり、国民の反発は必至のはずであった。

 

なぜ野党がそうしなかったのか普通であれば不思議でならぬのだが、知事選直前の今と言う政治日程を考えると、やはり目先の選挙の功を焦ったとしか思えぬのである。そう思い至ると「国権の最高機関である」国会という場を無視したやり口は到底いただけないと思ってしまうのである。大臣のこうした発言に対しては、少子化対策という大きな問題の啓蒙の意味も含めて、国会の場においてもっと冷静に緻密な議論がなされて然るべきと考える。

 

そもそも国会議員は会期中には国会の場でこそ自らの主張、信念を通すべきなのではないか。補正予算という審議をボイコットまでした今回の対応は、国会議員としての当然の役割を野党議員は果たしていないと言われても致し方ないのではなかろうか。

 

しかも、民主党の菅直人代表代行が「年初以来、党大会などで『生産性が高いと言われる東京や愛知でも、子供を産むという生産性が低い』と、何度か発言した」(東京新聞26日付け「うさぎの耳」)のも都市部の出生率が低いことを例えた表現法であるとすれば、柳沢大臣の「産む機械」発言の例えと五十歩百歩の表現力である。

 

片や少子化問題の大本山である役所の厚生労働大臣の発言であり、片や野党第一党のナンバーツーの発言である。その重みにおいても五十歩百歩であるといってよい。

 

今国会は将来の道筋を定める国民投票法、共謀罪、学校教育法の改正案等重要法案が目白押しである。国会議員は「国権の最高機関である」国会において腰をすえた審議を行なっていただきたいと切に願う次第である。

 

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