大手新聞各紙は、11日、「総務省がNHKに対し受信料を2割程度下げるよう要請したうえで、政府は125日召集予定の第166回通常国会に08年度から受信料支払いを義務化する放送法改正案を提出する見込みである」と報じた。大手メディアがこの改正案の意味合いを「義務化」にウェイトを置き報道をしていることに、わたしは報道という民主主義のインフラへのこの国の基本的な向き合い方に対する疑念と一抹の不安を覚えた。

なぜなら、今次改正案の法案提出の経緯を見ると、公共放送のあり方という民主主義の根幹にかかわるインフラの維持と充実という本質的議論がなされぬまま作成、提出されたものであり、国民的要請として放送法の改正整備がなされたわけではないからである。受信料不払いによる経営基盤の崩壊におびえたNHK経営陣が政府にすがって今回の改正案が作成されたその法案の出自のあり方に大きな懸念を有するのである。それは公共放送の使命であり、存在意義である「権力との適切な距離間」という公正さを保てなくなる、将来、NHKが権力に手繰り寄せられていく弱みをこの一件で作ってしまうのではないかという点にある。

 

 そもそもこの改正案を論じるのに「受信料支払の義務化」という報じ方に、現在のメディアがもつ報道機関の存在意義の考え方が表れているようでならない。それは、義務化については昭和25年に制定されその後、幾多の改正を経てきた現在の放送法において、第2章「日本放送協会」の第32「受信契約及び受信料」で支払の義務化は明確に謳われているはずだからである。その条文には次のようにある。

 

協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(中略)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。2項 協会は、あらかじめ総務大臣の認可を受けた基準によるのでなければ、前項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信料を免除してはならない」と規定されている。

 

つまりNHKを受信できる設備(テレビ)を設置した者に対し、日本放送協会(NHK)は「受信料を免除してはならない」ことを定めている。換言すれば、テレビを設置した者はNHKを観ようが観まいがNHKと受診契約を締結し受信料を支払わねばならぬと言っているのである。これはまさに支払の義務化以外の何ものでもない。

あえて今回、大手メディアが義務化と表現するのは、昭和55年10月21日に開催された参議院逓信委員会における中村鋭一委員の「受信料義務化」に関する質問に対し、時の郵政省電波監理局長が「NHKの受信を目的としないもの及びラジオについては免除する」と答弁した事実を念頭に置いたものと推測されるが、昭和25年当時に但し書きされた「放送の受信を目的としない受信設備」という文言が「NHKを観ない」と強弁する人々の支払い拒否の根拠となっていることは確かである。その意味では今回の法改正でNHKの受信料の義務化を明確にすることの意味はないわけではない。

 

しかしそのこと自体だけを取り上げるのであれば、今次改正案は放送法が昭和25年に制定されたそもそもの精神からすれば、受信料徴収についての紛らわしい表現を明快にするだけに過ぎないということになる。

 

 それでは、今日、ただそれだけのために放送法の改正法案が提出されようとしているのだろうか。現在の放送法には条文を見れば分かるように不払いの場合のペナルティー規定がない。「支払義務はある」が、不払いの場合の「罰則がない」のである。改正案の中身が明示されていない現在、憶測の域をでぬが、当然「強制力をもった義務化」ということでなければわざわざ改正する必要はない。受信料の徴収に際し、受信料不払い者に対する割増金加算といった罰則規定等を備えた強制力が持たされることになろう。

 

因みにNHKを語るときよく引き合いに出される英国放送協会(BBC)の受信料制度は「まずテレビやビデオデッキなどを購入する際には許可証を購入しなければならぬ。そして、視聴者は郵便局で毎年、1年間有効の受信許可証を買わねばならぬ。許可証の未購入者には最高1000ポンドの罰金を課す」という罰則規定のある「TVライセンス制度」となっている。

 

周知のとおりNHKは昨年4月に発覚したチーフプロデューサーのカラ出張による1760万円余の着服事件などとどまるところを知らぬ不祥事の連鎖で国民の怒りを買い、受信料の不払い件数が急増した。NHKはカラ出張事件を契機に、昨年末に過去7年間の全部局の経理書類チェックした。その結果、不適切な経理処理が1063件、過払い経費が1137万円にのぼり、その関係者の処分を行なった旨公表した。NHKの内部監査体制がずさんで甘きに過ぎたことが、この驚くべき数字からでも一目瞭然にして分かる。そのことにわたしを含め国民が大きな憤りを覚え、許せぬと感じたのは当然のことである。

現実に不払い件数はピーク時より減少したとはいえ、200611月末でも約104万件(速報値)と100万件台にあり10万件にも満たなかった20049月時点の不払い件数からは大きく増加し、高止まりしたままである。

 

そうした事態のなかで今回の法改正の狙いが、NHKすなわち公共放送の経営の屋台骨を揺るがす受信料不払いの影響が看過できぬ局面にきており、その早急な修復と安定化を図らんとするものであることは衆目の一致するところであろう。

 

もちろん法律改正による受信料徴収強制化の前に、NHK自身がこれまでの膿みを出し尽くし内部体制の改善・整備・強化を急がねばならぬことは言うまでもない。コーポレートガバナンス(企業統治)の強化やコンプライアンス(法令順守)の徹底などやるべきことは早急にやらねばならぬことは当然であり、役職員一体となった意識改革が必須であることは言を待たない。その内部改善がなされることを当然の大前提としたうえで、あらためてわれわれは公共放送を持つ意味は何かを考えて見なければならない。

 

言うまでもなくNHKは国営放送ではない。また半官半民の放送事業者でもない。国の出資や特定の出資は一切受けておらず、財源を受信者が直接負担する受信料に負っている。国家から財源は独立性を保っているのである。毎年の収支予算、事業計画および資金計画も、国民の代表で構成される国会の承認を受けることになっており、煎じ詰めれば国民が公共放送を経営する仕組みとなっている。要すれば国民が支える公共放送は健全な民主主義を担保する重要なインフラのひとつなのである。

 

受信料と放送法改正の問題を語るうえで、われわれはこの意味を殊のほか重く受け止めねばならない。NHKは「われわれ国民の国民による国民のため」の放送事業者すなわち国民が運営管理する報道機関であることをわれわれはもっと強烈に意識し、その運営責任について自覚せねばならぬことを肝に銘ずべきである。

 

 こう考えたとき、今回の政府の力を借り依存する形で受信料徴収の強制化法案が提出されたことと、それを良しとするNHKの経営委員会並びに橋本会長以下執行機関の面々は、公共放送は「時々の政府、権力からの距離感を一定に保つべきである」という原点に照らし、あまりにも軽薄かつ緊張感に欠けた対応であると言わざるを得ない。すなわちNHK経営陣にとどまらず職員を含めた組織全体が自らに課された使命と誰のためにNHKがあるのかという原点について当然の認識を欠き、政府に受信料徴収の安定化を依存し一安心している不甲斐ない様を見ることは哀しく、不安である。その一方で、大手メディアや国民の今回の放送法改正に至るまでの一連の対応とピントのずれ方は、民主主義を担保する重要なインフラである公共放送を国民自らが捨て去ろうとしているように思えてならないのである。

 

 イギリスのBBCは第二次世界大戦の間、英国軍を決して「わが軍」とは呼ばぬ客観的・公正な報道に努めたと言われる。時の権力からある一定の距離を保った健全な報道機関を国家の主権を持つ国民が自らの手で有する意味と意義は、民主主義を健全に運営するうえで、とてつもなく大きいことをわれわれはもっと学ばなければならない。

 

 その意味において今回の受信料不払いに端を発した放送法改正案の提出に至った経緯はNHK、公共放送の独立性を保っていくうえで、大きな分岐点に立たされているのだと言わざるを得ない。そもそもNHK自体の不祥事の多発にこの事態を招いた原因があることは言うまでもないが、それ以上にこの法案提出に至る背景により公共放送がキム・ジョンイルの国営放送に近づいていく、変質していくことの方が、わたしにはとてつもなくこわいことに思えるのである。われわれは一時の感情、受信料不払いという鬱憤晴らしで、自らの目と耳と口を塞ぎ、失ってはならない。目下、このPJニュースやオーマイニュースジャパンなど草の根メディアが産声を上げ、徐々にではあるがそのフィールドを広げている。しかし、NHKという最も大きな報道機関を今現在、国民自らが手放す理屈はないはずである。客観的で公正な報道機関はいくつあってもよい。そしてパブリックの声が自らの手で自由に発信でき、それが大きな影響力を獲得する環境が少なくとも整うまでは、公共放送を国民自らの手で自発的に受信料を支払い、支え続けねばならぬと放送法改正案の次期国会提出との報道を受けてその思いを強くしたところである。