真珠湾攻撃65年目、戦争が理屈で語られる

 

 今年も128日を迎えた。わたしは戦後生まれであり、戦争体験があるわけではない。しかし、戦後数年目の生まれとあって小学生のころにはこの日が近づくと、TVで記録映像に基づいたドキュメンタリー番組などが多数放映され、今は亡き両親とコタツに入ってよく観たものである。

 昨日(9日)、フジテレビで伊藤淳史扮する根本少尉が硫黄島と本土を往復し手紙を届ける「硫黄島〜戦場の郵便配達」が放映された。数少ない生存者を丹念に取材し、ご遺族が硫黄島を訪れた映像、そして一望、緑となった硫黄島の風景、そして市丸司令官のご家族との父からの手紙を間においたインタビューなど随所に現在の映像を織り交ぜたドキュメンタリードラマであった。見終わったあとに何とも云えぬ寂寥感いや喪失感のような感情に襲われ、周囲が涙でうっすらとぼやけて見えた。

今年も真珠湾では何人かの日本人元飛行兵も参加した米軍の慰霊祭が行われたと報じられた。そして当時の関係者はすでに90歳前後の高齢となり、真珠湾攻撃65年目にあたる節目ということで今年をもって終了となるということであった。式典をやればよいと言うものではないが、これもひとつの戦争体験の風化現象なのかと、やむを得ぬ事情とは云え、一抹の寂しさを隠せない。

 

自衛隊のイラク派兵を決定した半年後の平成16年2月、クウェートに向け室蘭港埠頭を出航する輸送艦「おおすみ」と護衛艦「むらさめ」に日の丸の旗を必死に打ち振り見送る家族の映像がテレビニュースで流された。その時、わたしはこれで日本も国際社会に貢献できる普通の国に一歩近づいたと感じながらその映像をながめた。過去の湾岸戦争で135億ドル(当時の為替レートで1.8兆円)もの巨額の資金拠出をしても、国際社会からはほとんど評価されなかったことが、心に深く残っていた。やはり人的参加・貢献をしなければ、一人前の国と認められないのかとその時、思ったからである。

その一週間ほど後に、古希を2年ほど過ぎた人物とイラク派兵について語り合う機会があった。この国が国際社会の一員と評価されるためにはどうあるべきかといった問題について、よく教えをいただいていた方であった。PKO(国連平和維持活動)などへの理解もおありだったので、当然、「これで、日本も一人前だ」との答えが帰ってくるものと期待していた。しかし、その方の口を突いて出た言葉は「だめだ!」の一言であった。わたしは、「どうしてですか?これは非戦闘地域での後方支援です。これで人的な貢献ができるのですから」と理屈でわたしは問いただした。すると、「僕はね、あの埠頭で家族の人たちが日の丸の旗を振っている姿を目にしたときに、ふっと自分が小学生のときの姿に重なったのだよ。先生に一列に並ばされ出征して行く兵隊さんたちに小旗を振らされた情景が瞼に浮かんできたんだ。そして、いや〜な気持ちになったんだよ」と、遠くを見つめるようにして述懐したのを今でも忘れられない。その方も今年8月の暑い暑い日に他界された。わたしの周りからまたひとり戦争の匂いを知る人がいなくなった。開戦から65年が経ち、真珠湾慰霊祭終了の報道に触れて、戦争というものを理屈で語る時代がやってきたのかと、自戒をこめて思った次第である。

 

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