赤ちゃんポストは捨て子を慫慂(しょうよう)

 

 熊本市の慈恵病院(蓮田昌一院長)が子育ての不可能な親が赤ちゃんを捨てるポストを病院に創設することを公表した。病院の外壁に穴を開け、そこから内側に設置した保育器に入れるのだという。捨てられるのが犬や猫であれば話はわかる。しかし、対象となるのは人間である。蓮田太二医療法人聖粒会理事長は「捨て子を見て見ぬふりをして『死なせてもいい』という論理が通るか。子供に罪はない」と言う。

正論であり、その高邁な精神には素直に頭が下がる。ネットで当病院のホームページを閲覧すると、生まれ来る小さな命に対するまさにホスピタリティーの精神に溢れた暖かい愛情が画面越しに伝わってくる。今を去ること108年前にジョン・マリー・コール神父と5人のマリアの宣教者フランシスコ修道女により開設された沿革を持つこの由緒ある病院は本当に暖かい医療を心がけている医療法人なのだと思う。

 しかし、赤ちゃんポストは善意と愛情だけでは、かえって「捨て子」を慫慂(しょうよう)する可能性が極めて高い。捨てられた赤ちゃんを将来育て、養育していく機関、親代わりの人たちの継続的受け皿がしっかり用意されていない限り、この仕組みというより仕掛けは早晩、失敗に帰することになろう。

 ドイツでこの赤ちゃんポストが70例設置されているという。キリスト教という宗教的バックボーンがある国と無宗教で社会規範の荒廃が指摘されている国とでは、「子育てが不可能」の認識がおそらく根本から異なるのではなかろうか。最近の親が子を殺し、子が親を平気で殺害するこの国で、心血を注ぎ身を削るほどに子に愛情を注ぎ、そのうえでも愛する子を捨てざるを得ない人々が、一体どれほど存在するのだろうか。それほどの人間はわが子を捨てる選択の前に、別の方策を探し出す能力を有しているように思われる。

 

 現実は、この善意のポストを知ってこれ幸いと、産み落とした赤ちゃんをポイ捨てする人間が増えるのが、残念であるが今日のこの国の実態ではなかろうか。社会規範が壊れた社会にこうした善意は、かえって不幸の種を撒き散らし、悲しいことだが混乱を増すだけのように思えてならない。

 

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