差別を法制化させた障害者自立支援法

 

 またまた、東京新聞の87日付け「からむニスト」で、ペリー荻野さんが、自立支援法にもっと「関心の輪 広める努力を」と、訴えている。

 

同氏は715日の「からむニスト」で、「この四月から施行になった障害者自立支援法が抱える大きな矛盾と障害者という弱者が追い込まれていく」様子に、素朴で素直な感想を述べ、「福祉番組だけでなく一般のニュースでも報道を」と訴えておられた。

 

そのお陰もあってか、一般ニュースで実際に自立支援法について報道されるのを目にするようになった。障害者問題は、概してニュースとしての派手さ、意外性、目新しさといったものに大きく欠ける。しかし、少し視点を変えて見て、「人間の本音」といった視点から障害者を取り巻く諸問題を取り上げると、意外とこの社会の本質、実相が見えてくるようで、じっくり報道機関が取り組んでいけば質の高い社会性を持った報道番組に仕上がるのではないかと考える。

 

例えば、障害者自立支援法の理念は、「障害者基本法の基本的理念にのっとり・・・障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とすること」と謳われている。その目指すところは素晴らしく、崇高でさえある。

 

しかし、実態はペリー荻野さんも指摘されているように、支援法は『障害者が仕事をすると「施設利用料」などを負担』することを法制化している。これは「福祉サービス」をその施設で障害者が受けるのだから、「応益負担」であるとする「霞ヶ関の理屈」である。

 

障害者は授産施設や福祉工場に仕事をするために通っている。わたしの娘も毎朝、結構疲れるわとぼやきながらも、一般のサラリーマン同様に、有給休暇の範囲内でしか休暇取得をせずに、真摯にパン工房(作業所)でパン造りに勤しんでいる。

 

健常者(サラリーマン)がパン屋さんに勤めにいって、「施設利用料」を取ると言われることを想像して欲しい。お給料を貰うためにパン屋さんで必死にパン造りに励むわけで、パン焼き器を使用する使用料など払うことなどないことは、自明である。

 

何故、同じことを障害を持つ人が行なえば、その会社から福祉サービスを受けているのだと云う「霞ヶ関の人間」の深層の意識は「障害者差別」以外の何ものでもないのではないかと、思うのである。「差別のない社会」「平等社会」「ノーマライゼーション」等々、霞ヶ関から空疎な念仏のような言葉だけは、広告や通達で社会に溢れ返っている。

 

しかし、今回の障害者自立支援法は、上記の一点のみで障害者を特別視する「差別意識」そのものが、こともあろうに法制化されたものであると断じざるを得ない。本当に障害のある人の自立を助けたいと法制化を目指したのであれば、どう考えても今回の「自立支援法」の中身になるはずはない。

 

何故なら、この自立支援法は障害者を自立させるのではなく、社会参加を阻止する法律としか思えぬからである。行政官の意図してはおらぬと思うが。「差別意識」が、これほど表面に表われた法律も今時、珍しいと思った。