小泉施政5年の総括――経済政策の無策

 

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 東証平均株価は2003428日に7,607円の最安値をつけた。小泉政権が国民の期待を背負って船出した2001年4月26日からちょうど2年経った日と言ってもよい。発足の前日(425日)の日経平均株価は13,828円であったから、二年間で45%という株価の大暴落を招来したのである。2002年の大納会(12.30)終値が8,578円、7,607円の最安値を記録した2003年の大納会(12.30)終値が10,676円であるから、2003年前半の経済状況がどん底であったことが分かる。

 

内閣発足時から奈落の底の最安値時までを東証一部の時価総額の動きで見ると、120兆円(2001.4.25時点 268兆円→ 2003.4.28時点 147兆円)の減少を招いたことになる。この規模は株価が奈落にあった2003年の名目GDPが498兆円であることを考えれば、その13というとてつもない国力を政権発足後の二年目にして吹き飛ばしてしまったといってよい。当時の経済界を覆う絶望的な雰囲気は今思い起こして見ても、背筋が凍ってくる。

 

そんななかでも、小泉内閣は2001年度の「骨太の方針」で示した「2003年度(のちに04年度まで延長)までを成長なしの集中調整期間」(http://hero1945.livedoor.biz/archives/50098684.html)として、何ら有効な経済政策の手を打つことをしなかったのである。国債発行30兆円という自らの縛りで財政出動を怠り、ひとりに中央銀行の金融政策に景気回復の責務を負わせたのである。そして、日銀は量的緩和、前代未聞のゼロ金利政策(つまり日銀の政策手段を奪うこと)へと舵を切っていかざるを得なかったのである。それは「ブレない小泉」というフレーズがマスコミを通じ巷間に流れ出した頃である。「己(財政=内閣)の庭先だけを掃き清め、改革が進んでいるのだ」と国民を欺く政治手法の出現であった。小泉内閣の面目躍如(めんぼくやくじょ)と言ったところであろうか。

 

ところで、集中調整期間とは一体何であったのか? 集中的にひとつの問題を解決するために一点集中の改革を行なうということであれば、その意味は理解できる。骨太で云う銀行の「不良債権」が、「経済悪化の諸悪の根源である」として一気呵成にその処理を強行したことを「集中調整」というのであれば、それは結果として「国民にとって不幸な誤解」であったと云わざるを得ない。不良債権は経済活動の結果として出てくるものであって、それが原因で経済がおかしくなるというのは、それこそ本末転倒の理屈であったからである。

 

集中調整とは、通常の世界の言葉で言えば、重篤(じゅうとく)の患者をICU(集中治療室)に入れ、細心の注意の下、最新医療技術を総動員して患者の生命を救うことに言い換えられる。そして重篤の患者とは、銀行というより日本という国であったはずである。不良債権とは借り手の企業が、借金を返せなくなったことから生じた。何故、借金が返せなくなったか。それは、景気が急激に悪化し、デフレ経済脱却への政策出動を政府が忌避したからである。この誤った判断による政策忌避の罪は余りにも重い。日経平均株価が発足時点を初めて上回ったのが、2005年に入ってからであることが、その経済政策の無策、失政であったことを如実に物語っている。

 

小泉施政下の経済指標の推移をより詳しく見てみれば、その失政の姿はもっと明らかになる。

 

そもそも小渕内閣の景気対策により一旦持ち直した景気が下降を始め、デフレの兆しが見える中で「急激な改革を進める」との熱に浮かされた病人のように狂信的なアナウンスを発し続けたことが、市場や経済界を極度の不安心理に駆り立て恐慌状態におとしめたことが、市場心理をドラスティックに冷え込ませた原因である。経済は立派な生き物であり、ナイーブな心を持っているのである。

 

結果は数字に如実に現れている。国民経済計算(確報)による「国富」(国民全体が保有する土地や建物などの資産から負債を差し引いた国全体の富=正味の資産)は、2000年の2,903兆円から2004年の2,647兆円へと▲256兆円もの減少を示した。2005年の名目GDP(502.5兆円)の丁度半分に当たる国富が、この4年間で失われたことになる。そもそもGDP総額自体が基本的に500兆円を超えていたものが、小泉政権になってからの4年間は常にその水準を割り込み、この2005年に至りようやく2000年の規模を若干だが上回ったのである。これほどに日本経済は政府の無策により痛めつけられ、国力を大きく削ぎ取られたのである。

 

そしてこれは明らかにデフレ経済であり、GDP成長率も01年▲0.9%、02年▲1.4%、そして03年の4月には東証平均株価は最安値の7,607円をつけた。消費者物価も1999年から連続7年間マイナスを記録、地価下落も止まるところを知らず、小泉内閣になり下落幅は増し(年間▲6.3~8.4%)、日本のデフレ経済は危機的状態に陥った。

 

この未曾有のデフレ進行のなかで、劇薬としかいいようのない強制的な不良債権処理が敢行されたのである。内科治療では不良債権の処理は進まぬとして小泉内閣は外科治療を施すことを選択した。不良債権の存在が不景気の元凶であるとの竹中経済財政・金融担当大臣の誤った持論が押し進められた。上述のように不良債権はデフレ経済が進行するなかで、個人消費が防衛的になり微減、住宅投資は96年に27.9兆円あったものが、2000年に20.2兆円、01年18.5、0217.9、03年17.8兆円と釣る瓶落としに減少していった。こうした状況で企業業績が振るう訳がない。企業の経営体質は悪化の一途を辿るのみであった。加えて国債発行30兆円という骨太のお題目に自縄自縛(じじょうじばく)となり効果的財政出動もせず、「ブレない」と賛美された硬直的政策運営が、いたずらに我が首を絞めてゆき、不良債権は逆に増大することとなった。

 

難度の高い外科手術には当然だが、優秀な麻酔医が必要である。しかし、不良債権の処理を麻酔薬もなし(健全銀行への公的資金は贈与でなく、貸付金。米国の金融危機時はGDPの10%に当たる金額を金融機関へ贈与し、短期間で危機を終息させた)で強行した結果、企業の倒産件数も96年に1.4万件であったものが、01年、02年と1.9万件と増大し、完全失業率も02年には5.4%と、戦後の混乱期を除いて最悪の数字となった。ここに社会不安が高まり、民心の荒廃を見、国が崩壊して行くような様相を呈したのである。結局失政のツケは一番の弱者である国民の肩におっかぶさってきたのである。

 

スタート時に朗々と謳いあげた四つの骨太方針のうち、国土に屍を累々とさせた挙句の「不良債権処理」と、緊急を要しない「郵政民営化」を強行させた。しかし国債発行30兆円は一度の達成も見ず、小泉内閣として最後の来年度予算において無理やり30兆円へ押さえ込んだ。また、「5年間で530万人の雇用創出」も、この4年間は2000年(5,356万人)の雇用者数を逆に下回り、2005年(5,393万人)になって僅かに37万人の増となったというお粗末さである。効果的な手立て、政策の実行を成さずして、骨太と云う言葉尻だけのお題目で難題が解決するほど世の中は甘くない。

 

小泉経済政策の無策が、結果として社会不安を惹起(じゃっき)し、社会規範の崩壊すらもたらしていった責任は極めて大きい。次回は、小泉施政のもたらした社会不安について語ることにする。

 

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