「小沢一郎・小泉首相党首討論」

 

 小沢民主党党首になって初の党首討論が17日行なわれた。派手さはなかったが、小沢一郎氏に軍配が上がった。国家観の是非は別として、それを持った政治家と言葉のみで論点をすり替えるハグラカシ政治家の違いを際立たせる結果となった。

 

論点というかテーマは「教育」であった。これを採り上げた小沢氏は党首選の際の演説で人心の荒廃に触れ、教育のあり方が大切であると訴えた。その信条に基づいたテーマ選択であったのだろう。そして、党首初の党首討論の最初に「教育」を持ってきた小沢氏に政治家としての見識を久しぶりに見せてもらった。

 

敗戦に始まる戦後教育の仕組みに今日の人心荒廃にいたらせた原因があるとする、まさに骨太の政治討論を持ちかけた小沢氏であった。それに応じるはずの小泉首相の答弁というか、すれ違いの独り言は、この政治家に骨太の国家観、ビジョンがないことを、如実に露わにした。小沢氏の「現在の人心の荒廃を認めるならば、具体的に教育のどこに問題があると思うか」との度々の質問に対し、小泉純一氏は「親に責任がある。大人に責任がある」と、まるで小学生のような視線での貧相な回答、いや呟きであった。

 

そのあまりにもお粗末な答えに業を煮やした小沢氏は、どうも仕様がないねといった表情で苦笑いしながら、「知らざぁ言って聞かせやしょう!」と白波五人男の弁天小僧菊之助よろしく、問題の本質は、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」で定められる教育委員会と文部科学省の間の「役割と責任の曖昧さ」という大きな構造的欠陥があるのだと睨み?を入れた・・・。

 

テケ、テケ、テン・テン・テン♪・・っと

 

そして、いま審議をしている教育基本法改正案に、「そうした視点が全く盛られていない」、「ゆがんだ教育行政の是正という視点が全くない」と批判したのである。そして、「ご自身が出された法案を読まれてないでしょうが・・・」とまで言われても、小泉総理は反論の術すらなかったのである。

 

 小泉政権の5年間の「骨太改革フィーバー」は、一体、何だったのか。「骨太」とは国家観なり確固たる政治信条のあるものが、口にすべき言葉であろう。骨粗しょう症のように骨量の少ない内容空疎な改革を「骨太」と偽り、国民の目を惑わしてきた為政者のこれまでの罪は大きいと言わざるを得ない。

 

此度の党首討論を完敗といわずして、何を完敗と言うのか。これからの党首討論が楽しみであるとともに、小泉政治の総括をじっくり考えるよい機会であると思った。