竹島問題に見る日本外交の甘さ

 

 「竹島問題」で日韓間ににわかに緊張感が高まって来た。韓国が六月下旬にドイツで開催される国際会議「海底地形名称小委員会」で、竹島周辺海底地形に韓国名表記を提案するとの情報を得て、その対抗措置として日本側が海上保安庁の測量船「明洋」(六二一トン)、「海洋」(六〇五トン)の二隻により、竹島近海を含む海域での海洋測量調査を行なう動きを示したことで、双方の緊張感が一挙に高まる格好となった。

 

小泉純一郎首相は本件に関し、二十日夜、「よく話し合って冷静に外交交渉で円満に解決していきたい」と語り、韓国側に冷静な対応を呼びかけ、二十一日、谷内正太郎外務事務次官が外交交渉で円満な解決を探るため韓国に飛んだ。その外交交渉の間は二隻の調査船舶は鳥取県境港沖に錨を降ろし、待機するという。荒れた日本海の洋上にある調査船の乗員たちこそとんだ災難である。

 

そうした対応姿勢にある日本側に対し韓国政府は、対抗措置として日本の海洋調査計画を国連海洋法条約に基づく紛争解決手続きの適用除外案件にするよう求める「宣言書」を、十八日付で国連のアナン事務総長に送付したことを二十日になり発表した。日本政府が測量調査をめぐる対立をオランダハーグの国際司法裁判所に持ち込ませないための対抗措置である。この宣言書を仮に国連が受理した場合、日本は韓国の同意なしに国際司法裁判所に仲裁調停を申し出ることが出来なくなるという。日本の対抗手段を読んだ先手先手を打っているように思え、そこに国益に対する両国政府の執着度の違いを見るようでならない。国益の衝突を伴う外交問題は武器は直接手にせぬものの、明白な戦争であるといってよい。

 

今回の一連の動きと日本政府の対処を見ていて、この国の外交は一体どうなっているのか、政府は自分の役割が何かわかっているのか、首をひねることが多すぎる。郵政民営化で国民選挙のような総選挙を行い、列島中に小泉ドラマを展開した。そんなコップの中の嵐には殊のほか熱心な政府も、こうした非常にナーバスかつ歴史的難しさを持つ領土問題に関しては、逆に異様なほど腰が引けており、今回の騒動を見ていて国益に関する意識のあまりの低さと危機管理のあり方に依然、大きな問題があるといわざるを得ない。

 

竹島の領土問題の是非については別途述べるとするが(詳しく勉強されるならhttp://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/がよくまとまっていると思います)、国際紛争やトラブル時の初期始動や対応のあり方が、日本はいかにも稚拙であり、後手後手に回りすぎている。韓国にその鼻面を引き摺り回されているようで、みっともない。今回は常に韓国に主導権を握られ、相手の土俵の上で相撲をとらされているとしか見えない。さらに言えば、低支持率という内政問題から目をそらさせる意味でのノ・ムヒョン(盧武鉉)大頭領の最近の反日姿勢の高まりなど、韓国の内政事情に日本が歴史問題を含めていいように使われているとも言える。

 

領土問題はナショナリズムに火をつけるのには格好の材料である。そして、ナショナリズムは得てして、自らの冷静な思索を阻み、他者の客観的な理性を攻撃しかねぬ危険性を常にはらんでいる。このことはこれまでの歴史が幾度となく証明してきている。冷静なつもりでも、相手の不用意な言葉や態度にナショナリズムという揮発性の高いガスに一挙に点火する可能性は極めて高い。

 

ここまで至ってしまった現在の状態はこうした情勢にあると危惧する。本件に関わる両国の交渉担当の人間や報道のあり方等に対し、厳に「冷静な理性」を求めたいと思う。

 

日本という国の情報収集の甘さ、事実を知ってからの手際の悪さ、それよりも何も自国固有の領土である竹島に他国軍隊が違法駐留(侵略)していることに口先のみで抗議すると云ったこれまでの国益に対する認識の軽さがここに来て、大きなツケとなって顕れてきたのである。そう思うと口惜しく、歯軋りしたいほどの屈辱感に襲われるが、ここは本当に国民は冷静にならねばならぬと心から考える。政府には口で「冷静に」と呼びかける前に「やることをしっかりやっていれば国民は黙っていても冷静である」と言ってやりたい。