「蟻の道」

 

 「啓蟄」「地虫穴を出づ」「蟻穴を出づ」と昆虫が生命の蠢動を感じ冬眠していた穴から顔を出し、活動を開始するというの到来を示す季語は多い。しかし、「蟻」単体はの季語であり、それに類する「蟻の道」「蟻の列」「蟻塚」「蟻の塔」「蟻地獄」なども夏の風物を彩る季語として採られている。

 

人間に非常に身近な虫である蟻が生物学的にはどういう位置付けにあるのか、実は今日まで浅学にして知らなかった。調べてみると蟻は昆虫綱・ハチ目・スズメバチ上科・アリ科(Formicidae)に属する昆虫であり、ハチ目のなかに属し、あの恐ろしいスズメバチと近縁種であることを私は初めて知って驚いた。我々のよく知るハチの同種であるミツバチよりもアリの方が生物学的にはスズメバチに近いのだそうだ。

 

子供の頃、神社の境内で蟻の列を目にするや、かしましいの声を聴きながらその行き着く先を探し当て、蟻の巣を小枝で穿り出した記憶を男性諸氏は、少なからず持っているのではないかと思う。風通しが悪い村の境内の祠近くで、額からを滴らせながら乾ききった白っぽい土を穿っていく。蟻のトンネルは途中からいくつかに分岐し、どっちの穴を掘り進むか悩んだりもした。そして、最後に女王蟻の部屋に辿り着く。どこかむず痒い感覚を楽しみながら小枝の先で掘り進んでいった情景を、今でも甘酸っぱい気持ちとともに思い起こすことができる。蟻たちにとっては、大変な労力をもって営々と築き上げた地中の壮大な城砦が、人間のしかも小僧ごときによっていとも簡単に破壊され尽くす。何とも非道の仕業としか云いようがない。

 

蟻の道蟻の塔という季語に、私は容赦のない盛夏の陽射の残酷さをどうしても重ね合わせてしまう。ジリジリとした暑さと汗の饐えた臭いが蟻の道という言葉には至極似合っているのである。忙しなく動き回る蟻の動きと相矛盾するように整然と整列した蟻の道。その光景を息を潜めてじっと正視し続ける自分、そしてその一糸乱れぬ隊列と規律をぶち壊したくなる衝動。その青い衝動を抑えきれぬまま酷暑の杜でしゃがみ込んでいる少年の頃の自分・・・。

 

そうした残虐な原風景がかつてこの自分の中に存在したことをこの「蟻の道」と云う季語は思い出させてくれた。そして蟻が実はあの可愛らしい蜜蜂よりも獰猛な雀蜂と近縁であったという事実を知った時、少年という天使の顔を持つ人間に、やはり悪魔の心は巣食うのだと思った。そのアンバランスという悪魔はいつこの自分の心から巣立って行ったのか・・・。いや、ひょっとしたらまだその悪魔は生き残ったままで、ただ心奥の襞の内にひそやかに少年の心とともに潜伏し続けているのかも知れない、際限なく続く「蟻の道」のように連綿と・・・。

 

蟻の道という季語を歳時記に見つけて、そんな少し首筋の寒くなるような気分に襲われたのである、獰猛な顔を隠した蟻たちを知って・・・。