歳時記エッセイ4.「梅」

 

 は中国を原産とする落葉高木で早春に五弁のをつける。日本では万葉の時代、花といえば「梅」のことを指していたと云ってもよい。万葉集(七世紀後半?八世紀半ば)で詠われている花では「」(百四十二首)に次いで、「」が多く、百十九首にも上るそうである。現代の日本人は花といえば「」と相場が決まっているが、万葉人は「」や「梅」にある風雅や興趣を覚えたのであろう。因みに「」は四十一首詠まれているそうで、橘や松や藤などの後塵を拝し、十番目の地位に甘んじているとのこと。平安時代の古今集(905年)の頃にはようやく「花」の主座が桜に変わっているようである。

 

 

庭の白梅

    梅2  

 

 

   

 

                                 

 

 

 

 

 

 血を同じくする民族の持つ感性なり嗜好は時の流れとともに変わっていくと云うことなのだろうか。今では日本国の象徴のように云われる桜が、万葉の時代にはどうも国花ではなかったことは事実のようである。それが平安の時代に「花」と云えば「桜」に変わってきている。この変化は一体、何によって起こったのか?

 

人の心は移ろいやすい・・・、と云われる。しかし平安以降、「花」は「桜」を表わし、近世以降はその散りぎわの見事さから日本人の精神、美学の中枢に位置づけられるまでになっている。平安時代以来、日本人の感性、嗜好は実は、移ろっていないのである。あの明治の未曾有の大変革の時代を経験した後にも、「花」は「桜」のままである。決して、チューリップや西洋バラは、日本の国花にはなりえなかった。では、何故、平安時代の前半にそのような大きな感性、嗜好の変化が起こったのだろうか、大変不思議である。

 

そこで、明治維新の時に起こったことで面白いことがある。「舶来主義」である。海外の文化、ことに西洋の文化は上等、高級であるとの意識、文化観である。「鹿鳴館時代」とも云われる西洋文明の嵐、嵐! このことに思いが至った時に、実はどうもこの日本民族の感性なり嗜好は古来より変わっていないのではないかと気づいたのである。そして、この日本国の自立と云う重大な秘密が「」から「」に「」の意味が変わった裏に隠されているのではないかと思い当たったのである。

 

万葉の時代に梅は舶来の高価な観葉樹であった。当然、当時の貴人たちはこぞってその教養の発露でもある梅を歌に詠みこんだ。それから約二百年と云う時間の経過とともに、「国」「日本人」と云うアイデンティティーが生まれていったのではないか。そして、そのアイデンティティーのひとつの象徴が「花」は「桜」と云うことではなかったのか。その大変革は個人の感性が変わったのではなく、日本人と云う民族、日本国と云う新たなものが出来上がった。つまり、生物学的には不正確だが、精神構造的に民族が変わったとでも表現すればよいのだろうか、個人そのものには何の変化も起こらなかったが、外生的な要因の変化が大きく個人の感性や嗜好に影響を及ぼしたのではないか。それほどの大変革を起こす要因に思いを至せば、国家の成立、民族の成立と云うくらいの大事でもない限り、そんなことは起こりえないと、小さな庭に咲く「白梅」を眺めながらそう思ったのである。そして、「国家」と「国花」共に「コッカ」と同音であることに、何か不思議な縁を感じた。