2.心のリハビリが第一歩

(日経新聞三月十二日日曜日掲載)

 

発病後二週間余で左の指や足が僅かに蠢動を始めた。発病後暫くは医療スタッフの往訪、各種検査、見舞い客への対応等患者の時間は意外なほど忙しく、じっくり病と向き合う余裕はない。脳の浮腫が収まり病状が落着くにつれ本当の障害、恐怖が姿を現す。言語不明瞭による意思伝達のもどかしさ、ベッドの上での仕儀ない排泄行為等人間の羞恥心、尊厳そのものが無惨に砕け散る。その一方で思考能力は残酷にも平常の状態に復し、半身不随の身で家族が養えるのか等将来への不安がむっくりと鎌首を擡げてくる。神経内科での四週間の治療が過ぎた三月下旬、「治療は終了、後はリハビリ」と修善寺のリハビリセンターへ転院となった。医師にとっては「命は救った、次はリハビリ」と医療行為の日常的なひとコマであろう。しかし、患者は精神的に打ちのめされ、未だ不安定な心理状態にある。想起すれば、私もその頃が一番落ち込んでいた時期に当る。

 

そしてリハセンターの初日、「今から全て自分でやるように。全てがリハビリ」との突然の説明に患者は目を白黒させることになる。昨日までは「移動は全て看護士の介助を」と厳命されていた。医療科目は縦割りだが、患者は感情を持つ連続した一つの生き物である。血圧は?等精神的不安の中、復帰へ一歩を踏み出す際に、医療に血の通う連続性があれば患者はどれだけ慰められ勇気づけられることか、今しみじみそう思う。

 

それからいよいよ本格的なリハビリに入るが、患者は十人十色。未だ心は立ち直らず、みじめな現実と正面から向き合えない、肢体を動かせない事実を認めたくない人々が沢山いる。こうした中で医療の世界では、「さぁリハビリだ!」となる。如何に技術が優れていても、患者が虚ろな気持ちのままではその習得は難しい。そこに復活へ向けた強い意志が感じられないからである。患者の心の声に耳を澄ましその病理の森に分け入り、まずその不安の森から患者を引き摺り出して欲しい。心のリハビリが真にリハビリの第一歩であると考える由縁である。

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