「カーリング チーム青森――2」

 

そして十八日のカナダ戦、それに続くスウェーデン戦を迎えたのである。そこにはメディアの人工的な作為は用意もされず、私は唐突に強靭な衝撃波に襲われたようなものであった。午前様になるまでいや徹夜してまで視聴する価値あるTV番組などあるはずがない、ましてや期待を次々と裏切られ続けてきたトリノの各種番組では思っても見なかった。

 

アナウンサーも解説者も注目競技でないため事前の特集企画や取り立てた準備などなかったのだろう。考え尽くされ手垢のついたような表現や蓮っ葉な盛り上げる言葉もなかった。競技解説はやたら専門用語で埋め尽くされ、ルール説明もなく、試合展開をただ愚直なまでに坦々と放映し続けるのみであった。そしてそこにある種の清清しさを感じたのも偽らざる事実である。

 

「ウォー!」「イエス!」と次々に選手の口から繰り出される謎めいた大声。そしてアナウンサーの「ハウス」、「スィープ」と云った状況説明。どこに家があるんだ?画面の中に立体的な家を探し求めた。そして頭の中には寺尾聡のCM、「何故、大和ハウスなんだ?」のフレーズと映像が重なったりした。その時の自分は完全に眠たい頭を必死に働かせ、競技にはまり込んでいた。「ドロー」や「フリーズ」と云う言葉に至っては、自分の体躯をリラックスさせてみたり、また気をつけの姿勢をとったりした。傍から見ている人がいたとしたら、その時の私の挙措はあまりにも薄気味が悪く、不審者そのものであったろう。

 

ルールの分からぬ私は試合の進行とともにルールを勝手に憶測しながら、中心の赤い所に石が入れば三点かなぁ・・とか、まるでダーツのルールと重ね合わせるかのようにして手探り状態で番組を見続けた。おそらくその時点あたりでは、その知識レベルの視聴者が大半であったのではなかろうか。しかし、チーム青森の日本チームが強敵を相手に健気にも健闘をしていることは、カーリングに半知半解な人間にもブラウン管を通じて確かにその迫力のようなものが伝わってくるから不思議である。私はいつしか、食い入るように画面に見入っていた。スウェーデン戦が終わり、ネットでルールを調べてみた。先程まではえこ贔屓だとか計算違いだと叫んでいた得点にも納得がいき、そしてカーリングと云う競技の奥深さに感心し、虜にされてしまい布団にもぐり込んだ。日本全国で同じようにネット検索をし、ディスプレイの前で一人で頷き、私と同じように虜になった人が数多いたはずである。カーリング協会のHPへのアクセス数が急激に増加したとニュースで語られていたから、多分、推測どおりであろう。

 

そしてカーリング熱を一挙に高め、燎原の火のようにそのブームを巻き起こす引き金となった前回のソルトレーク大会の覇者、英国との戦いの時が来た。十九日日曜日、私は夜十時から放映開始予定の英国戦に間に合わせるように食事を終わらせ、風呂にも入り、準備万端の応援態勢で勝負に挑んだ。カーリング発祥の国、強豪、古豪と英国に冠される称号や形容詞は多い。その無類の難敵に果敢に挑む大和撫子たち。大資本のメディアも想定しなかった筋書きのない真実のドラマが展開されようとしていた。そして、到々、歴史的?な試合が始まった。

 

スキップを担当するあの如何にもイギリス人という風貌と体格の女性が発する「ウォー!」と云う地獄の底から響いてくるような唸り声に、それが「スウィープ(氷をブラシで掃くこと)を待て」と云う意味であることは前日のネットの俄か勉強で分かってはいても、その腹の底から唸る声に「これはとっても勝ち目はない」と心底思ったものである。しかし、試合は一エンド(野球試合の回にあたる。エヘン!)は0対0で終わったものの、二エンドに二点、三エンドに一点と日本が先行した。ひょっとしてと、「ウォー!」の声を聴きながらもかすかに劇的な勝利の場面を思い描いた。一方で、いやいや勝負はそんなに甘くはないとも、負けたときの心の準備もおさおさ怠りなく試合展開を注視した。

 

そして五エンドで日本が三点とり「ヨッシャ〜!」と叫んだ次の六エンドでの英国の三点奪取に一転して、意気消沈した。やはり甘くはないんだ・・・、世界は・・。劇的ドラマなんてそんなに簡単に起こるわけはないんだ、自分の長い人生の中で何度も裏切られてきたじゃないか・・・。「ドラマ的展開への期待」が海砂が両手から零れ落ちるように形を崩していった。七エンド、八エンドの一進一退。久しぶりに心臓がきゅっと縮まる感覚に襲われた。そして運命の九エンドの後攻を迎えた。小野寺選手の最後の一投を今、思い起こしても涙が頬を伝わってくる。「覇者に勝った!」満面笑みの大和撫子の顔、顔、顔。そこに近づき健闘の握手を求める英国のスキップ、「ウォー」の女性の爽やかな顔・・・。

 

ドラマは誰も予期していないからこそ人々に素朴な驚きと爆発するような感動を引き起こす。英国戦でのチーム青森の選手の顔はひとりひとり輝いていた。ストーンを投げる一瞬のその獲物を刺すようなキラッとした煌めきに私は、日本人が忘れてしまった「ひたむきさ」と云うものを見たように感じた。さらに「ひたむく」と云う行為はダイヤモンドのようにお金で買えるものではないが故に、何ものにも増した素晴らしい美しさと煌めきを放つのだと思い知った。