歳時記エッセイ 3.畦塗(アゼヌリ)

 畦とは「田と田との仕切りとして、土を盛り上げた細い道」(新潮国語辞典)とあるが、実用的意味では仕切りと云うよりも田んぼに水を溜めるために土で作った壁と云った方がより適切である。畦は一年の米作りの間に崩れてしまったり、踏みしめられ嵩が低くなったり、雑草が生えたりする。また冬の間の雪などで土が柔らくなったり、さらにモグラやネズミの穴などで軟弱になってしまったり、その補強が必要となる。その補強作業を畦塗と云う。田んぼに水を張る前に畦塗をしなければ水漏れが生じ、田植えどころの騒ぎではない。畦塗は畦の内側に数十センチの溝を掘り、その掘り出した土を水で捏ねて粘着質の泥を作る。その泥を鍬で壁を塗るように畦の土手にこすりつけ斜面を作って、壁の高さを嵩上げする作業である。

 都会に棲む身にとって、抑々、田園風景はTVや写真で見る映像世界となっており、田んぼと云う言葉自体に生活実感や皮膚感覚を感じ取ることはできない。梅雨になれば田植え、秋になれば実りの稲刈り。さすがにそのことくらいは知っている。しかし、自分の口に入る米粒に至るまでの一連の雑多で細々とした作業について詳細に説明できる人物を私は不幸にして知らない。

 畦塗と云う言葉の殊に「塗る」と云う単語に違和感を覚えたが、詳細に知れば畦を造るには左官屋のように鍬のヒラで泥を練り、捏ねて、塗りたくり、叩いて固めるのである。畦は塗って作る、真にぴったりの表現である。そして、畦塗と云う腕力と技量と根気のいる重労働を幾星霜にわたり幾十枚もの田んぼで行なってきた百姓と云う仕事師たちに衷心から頭の下がる思いがした。「畦塗」と云う言葉に塗り込められている様々な感情や想い、春の持つ生命の息吹。春が立ち畦を焼き、おもむろに土を耕し、その温もりを帯びた懐かしい土の匂いが仄かに立ち上ってくるようである。畦塗の前に鍬で土を削り、溝を掘り、泥を捏ね始めると黒い土の中からハムシやゴミ虫、ワラジ虫、ケラなど様々な小さな生命が顔を出してくる。生命の源泉が豊潤な土にある、まさに産土(ウブスナ)を感じさせる瞬間であろう。土への回帰、農への回帰と云った響きになぜか郷愁のようなものを感じてしまうと云ったら言い過ぎであろうか。

 欧米人は狩猟民族であるが日本人は農耕民族であるとは、欧米との文明比較がなされる時によく指摘されることである。しかし、現代では私を含め日本人の中で農耕民族であると自覚する人がどれだけ存在するのだろうか。農業に従事する人数は激減し、パソコンに向うことを生活の縁(ヨスガ)とする人間が圧倒的に多い時代となった。かく云う自分もそのデジタル社会の一員である。農は現代の日本社会から遠いところにあるものと、都会生活を送る人間は考えてしまうし、現実に私の日常生活の中で農の匂いを感じる瞬間はまず、殆どなかった。

 その自分が、歳時記と云う日本文化の国会図書館とも云うべきものに出会って初めて、自分が農耕民族の血を引き継ぐ証のようなものをその中に見つけ出すことができた。そして興味を覚え、さらに詳しく調べてみる機会も増えた。それは自分が農耕民族であった、あり続けている血の記憶を遠い記憶の襞(ヒダ)から手繰り寄せる行為でもあった。歳時記のページを無作為に繰ってみれば分かる。必ずと云ってよいほどに農耕民族の尻尾である言葉、季語が即座に目に飛び込んでくる。「田打ち」「豆撒く」「大根干す」と云った具合にである。畦塗から農耕民族、それから歳時記へと思考の連鎖は際限なく続くようだが、こうして春の宵にとりとめもなく思考を巡らせることこそ、悠久の時間のなかで両足をしっかりと地面に接地し、突っ立っている安心感から来る農耕民族たる証であるような気がいつのまにかしてくるから不思議である。