民主党執行部の責任は重い

 2月28日の「メール問題」に関する永田寿康議員の謝罪会見は、余りにお粗末で民主党の世論情勢の分析力のなさを結果として露呈することになり、情けなさで言葉も見つからないほどである。完全な失敗であった。こうした場合の危機対応で自民党との違いを見せ付ける、つまり国民に分かりやすい責任の取り方の見本を示す絶好の機会とこの会見を位置づけるべきであったのに、目先の党内事情に配慮した幕引きの仕方に自民党に対する以上の「脱力感と失望感」を感じてしまった。  

 まず、この問題を引き起こした永田議員については、国政を2週間にわたり混乱またストップさせた責任の重さについて、ただ「謝罪」ではすまされぬであろう。この事件が前述したように「ワナ」であったとしても、国会議員たるものの、国政をこれほど混乱させた責任は免れるものではない。当然のことであるが、「国家議員の辞職」をすべきである。特に彼は比例で当選を果たした訳であり、民主党への国民の期待を裏切ったという観点からも、彼本人の辞職は必然の帰着である。 

 次に党執行部の責任である。野田国会対策委員長は質問を許可した直接の責任者として委員長辞任は当然である。また、メール情報の裏を取ったか否かの確認の仕方も驚くほど粗雑で、こうした人物が今後指導者として民主党に籍を置くことにも疑問を抱かざるをえない。 鳩山幹事長は党の要たるポストにおりながら、この大事な質問に対して事前に知らされていないなど、執行部における軽んじられかたは尋常ではない。混乱の収拾という貧乏籤のみ押し付けられた形だが、その後の手際のお粗末さも目を見張らせるものがある。相変わらず人の良いボンボンであり、度し難い。本来、事件の発覚とともに辞表を前原党首に叩きつけるくらいの気概と自分と幹事長というポストに対するプライドを示すべきであった。

  最後に前原党首であるが、彼は抑々、党首選挙のときに母一人子一人で苦学し、政界入りを果たしたという名演説で僅少差で党首の座を射止めた。週刊誌の報道によれば、その時に発言された亡くなられた父上の職業を実際の裁判所の事務職とは異なる裁判官といい、美談に仕上げた前歴の持ち主である。今回の一連の騒動の中で、代表が「確証がある」「明日を楽しみにしてください」といった言動は、国民にある予見を与え、ある種の情報操作の如きことまで行なったと云ってもよい。その挙句のこの無様な結果である。その責任は余りに大きい。小泉政権が疑惑の四点セットで真に窮地に立たされようとし、支持率も急速に下落傾向を示し始めた矢先のこの大失態である。

 前原党首の辞任がなければ、今後、民主党は自民党に対し大臣の失態で「任命責任」で総理の責任を問うことは不可能となった。 今回のメール騒動によって、結果として小泉政権が浮揚し、支持率が回復したことを考えると、誰がこうした罠を永田議員に仕掛けたがやはり透けて見えるようで仕方がない。しかし敢えて云うが、危機をチャンスに変える絶好の機会も民主党に与えられた瞬間があったことは事実であり、それを活かすことのできなかった現執行部の責任は余りに大きく、致命的ですらある。  議会制民主主義に対する国民の信頼を一段と失わしめた責任は大きい。