彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

November 2014

2014年、紅葉の高尾山、11月20日頃が見ごろ

11月13日の快晴の一日、強欲にも紅葉と富士山とスカイツリーを見に行こうと、高尾山への登頂を試みる。京王線・高尾山口駅を降り、ケーブル駅へ向かう道にあふれる登山客にびっくり。

1・京王線・高尾山口駅前からケーブル駅へ
高尾山口駅からケーブル駅へ向かう人、人、人

平日というのに高齢者の御一行様でなかなかの人出。小学校の遠足以来の山頂踏破を目指すわたしも、それには、正直、呆れてしまう。

ケーブルカーに行列を作ることはなかったが(土日は行列がすごいのだとか)、この乗車率は半端じゃない。

2・行列がなくとも乗車率は?%・・・
麓のケーブル・清滝駅

山頂に着くと、その乗客たちはあっというまに山のなかへ溶け込み、私たちの視界からどんどんと姿を消してゆく。皆さんの健脚にまずは素直に脱帽 ”(-“”-)”


まずは薬王院を目指して一号路(表参道)を歩くが、野草園の付近でまず紅葉、見っけ!!

3・野草園近くの紅葉

やはり紅葉は陽の光が当たって“何ぼだね”などとまずは余裕のコメント。

浄心門もあっという間にくぐりぬける。

4・浄心門のあたり
浄心門

そして二股に分かれる場所にやって来た。家内の説明で左にゆくと男坂、右にゆけば女坂だという。

5・左が男坂、右が女坂
左:男坂 右:女坂

帰り道にゆるやかな坂の方が良くはないかとのサゼッションで左の男坂に進入。急な階段が見えた。

6・108段の男坂

煩悩の数の108段あると言われたが見た目で実感できず、平気だよと豪語。手すりに支えながらではあるが、スピードを落とさずに一気に登り切る。

7・この急坂を一気に
急勾配でした

脈拍は鰻登り、息はゼイゼイ!! この齢で見栄を張るものではないと素直に反省。爾後、スローペースへと一気にギアチェンジ。ゆっくり歩いてゆく。

8・薬王院への道
杉の苗木の寄進者名札が続く道。30万本の京王電鉄が最高でした

小さな子供さんにも抜かれながらも10分ほどで山門に到着。

9・山門

山門脇の紅葉も始まっている。緑の葉叢のなか秋の陽光に黄色や紅色が浮かび上がり、美しい。人々もしばし足を止め、頭上にかかる紅葉に目を輝かす。

10・山門脇の紅葉

薬王院の本堂にはちょっとした階段を昇る。そこに仁王門が待ち構える。

11・本堂から仁王門を
本堂から仁王門を見る

その仁王門をくぐると本堂はすぐ正面である。われわれも線香を焚き、痛い膝に煙をまぶし、平癒を願う。本堂へ昇り、賽銭箱にお賽銭をあげる。


みなさん、真剣にお祈りをしている。むずかしい世の中である、わかるわかる。みんな頑張っているんだよね。

12・高尾山・薬王院本堂
薬王院本堂

本堂の両脇の壁には高尾山の修験の象徴である大きな天狗の面が掛かっている。

13・本堂左手の天狗面  14・本堂右手の天狗面

天狗様のご加護を身に纏い、次に薬王院本社へと向かう。ここも急勾配の階段を昇った先に朱塗りの鳥居がある。その鳥居の横に朱色を打ち消すほどの鮮やかな紅葉が真っ青な秋空に映えて、これぞ、紅葉といった景色である。

15・薬王院本社の鳥居脇の紅葉

鳥居の正面すぐに色鮮やかな彫物で装飾された見事な建物がある。東京都の重要美術建造物に指定されている薬王院本社で、正式名称は飯縄権現堂である。

16・薬王院・本社

その絢爛豪華な本社を後にして、奥の院不動堂へ向かう。ほんのわずかな距離である。建物は宝形造のいたって簡素な造りとなっている。

17・不動堂
奥の院

奥の院にお参りして、いよいよ、山頂踏破は近い。アップダウンが続くが、道には板が敷かれていたり、舗装がされており歩行に困難はない。そして、緩やかにのぼる坂の先に山頂の広場の気配が見えて来る。

18・山頂が見えてきた

そして、山頂の広場に出た。小学校の遠足以来の登頂である。もっと広い平坦地を予想していたが、工事中の幔幕で覆われた個所もあり、えっというような狭い場所である。

19・山頂です

ここら一帯に坐ってお弁当をひろげ、ワイワイガヤガヤと・・・4年生はあの当時、4クラスであったから二百名余の人数がここに坐ったはずなのだが・・・

半世紀以上も前の懐かしい光景は・・・にじんで・・・そして輪郭はおぼろげで・・・そして喉を通る唾はなぜか甘酸っぱくて切ない・・・


広場を少し下った先に富士山の見通せる展望台のような張り出しがある。天気がいいので、人もすごい。

20・富士山の見える展望台辺りはすごい人
富士山に少し雲がかかる

小さな浮雲を頂きに添わせた冠雪の富士山が見えた。何度も来ている家内もくっきりと富士山が見える日は少ないのだと、当日はいたくご満悦である。

21・富士山遠景
なかなかクリアーな富士山

アップの富士山もしっかりと撮った。

22・富士山のアップ
どうです、冠雪の霊峰は・・・

富士山をバックに一人ずつ交代で写真に収まる。何枚、富士山の写真撮ったかって、数えたら45枚に及んでいました。さすがに、バッカじゃないのと我ながら呆れているところであります。


そこで当日のメインでもある高尾山山頂の紅葉の写真をどうぞ。

23・紅葉です

秋の空に映える紅葉。街中の紅葉と違い、青空と紅葉以外に何も映っていないのが何とも清々しく、痛快である。

24・秋の絶景

それからこの一枚、富士山と紅葉はいかがでしょうか。ちょっと、うらやましくないですか〜

25・富士山と紅葉
ちょっと雲が邪魔なのですが・・・

そして、そこでお弁当を食べて、いよいよ下山開始。帰りは3号路といって、舗装されていない山道を経由してケーブル山頂駅まで向かうことにした。その3号路は麓まで下る登山道であるが、われわれは途中で本堂の仁王門の下で1号路と合流する道へと入って行った。

26・3号路をゆく

すべて、高尾山ガイドも十分勤まるのではないかと思う家内さまのご指導の賜物であります。

途中で頭上を見上げると紅葉になっている部分が・・・

27・下山途中の紅葉

そしてケーブル駅に到着するちょっと前に最後の絶景スポットがあると家内が指さした先に・・・

ありました、スカイツリーが・・・

28・新宿のビル群の向こうにスカイツリーが見えた

遠くて小さいので写真はズームにしていますが、肉眼で確認することが出来ました。これもそう頻繁には見えないのだとか。本当にラッキーな秋の一日でありました。


最後に、この高尾山登山で感心したのがトイレ設備でありました。

29・高尾山の頂上下の綺麗なトイレ
りっぱなトイレでした

山頂真下のトイレは二階建てで、混雑時には二階も開放するそうで、一方通行で人を流す方式で、洋式トイレ装備のそれは立派なものでありました。


高尾山の紅葉はこれから1週間ほどが最盛期の見頃。ぜひ、健康と目の保養のためにも一念発起、高尾山へ足を運ぼう。


チューリヒ美術館展で芸術の秋を愉しむ=国立新美術館 12月15日(月)まで

ーーー印象派からシュルレアリスムまでーーー

 

1・チューリヒ美術館展ポスター

友人の誘いで六本木にある国立新美術館で開催中の“チューリヒ美術館展”を見に行った。

2・国立新美術館
六本木の国立新美術館

スイスを代表する美術館のひとつであるチューリヒ美術館は、中世美術から現代アートまで10万点以上の作品を所蔵し、特に19世紀の印象派以降の近現代美術コレクションは圧巻であるという。

3・チューリヒ美術館展

モネ、セザンヌ、ピカソといった近代美術の巨人たちが描いた傑作やその代表作がなんと74点も一挙に、一堂に会している。

4・パブロ・ピカソ 大きな裸婦
ピカソの”大きな裸婦”(館内売店・ポストカードより)

美術の素人でもどこかで目にしたことのある一点や名前を聞いたことのある作品がならんでいる贅沢な美術展である。

5・ワシリー・カンディンスキー 黒い色斑
カンディンスキーの”黒い色斑”(同ポストカードより)

シャガールの“戦争”は国土を戦火で嘗め尽くされた日本人には特に胸に迫る迫力をもつ辛い大作である。

6・マルク・シャガール 戦争
シャガールの”戦争”(同ポストカードより)

ゴッホも南仏の陽光を燦々と浴びて、こんなに健康的な作品を描いていた時期もあったのだとあらためて思った作品である。

7・フィンセント・ファン・ゴッホ サント=マリーの白い小屋
ゴッホの”サントマリーの白い小屋”(同ポストカードより)

このなかで、この絵、感じがいいなと思ったのが、モーリス・ド・ブラマンクの“シャトゥーの船遊び”という一作である。

8・モーリス・ド・ヴラマンク シャトゥーの船遊び

左手の街路樹の幹ひとつ描くことでで絵に奥ゆきを見せる見事な一品と見た。

 

美術ファンはもちろん、芸術の秋を満喫されたい方にはこの秋必見の美術展のひとつである。

9・国立新美術館館内
国立新美術館・館内

金曜日は夜8時までの開館となっており、仕事帰りにちょっと寄って見ることができるのも魅力。

 

このチューリヒ美術館展は12月15日(月)まで開催中である。



讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(5/5)

讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(4/5)
讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(3/5)
讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(2/5)
讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(1/5)

5 北大塚東古墳・北大塚古墳・北大塚西古墳


石清尾山古墳群マップ(高松市文化財課)
(高松市教育委員会作成)

【北大塚古墳】

鏡塚古墳から尾根道を100mほど緩やかに北方向へ下がってゆくと勾配のない場所に出る。そこから少し進むと40〜60cm台の石塊が転がっているところにぶつかる。

54・北大塚東古墳・方墳
北大塚東古墳(西側から)

積石塚古墳が東から西へ接するようにして3基並ぶ北大塚古墳群の一番東に位置する北大塚東古墳である。平面形がほぼ正方形の古墳であり、石清尾山古墳群のなかで唯一確認された方墳とされている。

55・北大塚東古墳方墳の垢標石柱
東古墳・方墳の中心部か

築造は古墳時代前期の積石塚であり、一辺の長さ約10m、高さ約2mの大きさで二段築成であるが、その形態を現状の姿から想像するのはきわめて難しい。

56・形状が見分けにくい北大塚東古墳
どう見たら正方形なのか?

その方墳から連続して続いているのが、3基の中央に位置する北大塚古墳である。

57・北大塚古墳航空写真
北大塚古墳・航空写真(高松市文化財課)

築造が4世紀前半の積石塚の前方後円墳で、規模は全長約40m、高さ約4・5mで三基のなかで中核をなす古墳である。

58・北大塚古墳・後円部
北大塚古墳の前方墳から後円墳の円みを見る

前方部は三味線を弾くバチに似た形をしており、その先端部の石積みがよく残っているとの説明であるが、草が茂り、その形状を把握するのはこれまた難しい。

59・北大塚古墳・前方墳 後円墳側から見る
北大塚古墳・後円部より前方部を見る。両脇が落込んでいる。

草が枯れる冬場の気象条件の良い日に訪れてみないと、なかなか説明(高松市文化財課)のような外観に触れるのは難しいようだ。

60・北大塚古墳後円部へのアプローチ
北大塚古墳の後円部

後円部の頂上に立ち北側を見ると、眼下に高松市街を見える。その先に瀬戸内海が広がり、女木島・男木島やその陰には小豆島の山容を見晴らすことが出来る。

61・北大塚古墳より女木島など瀬戸内海を望む
素晴らしい眺望

素晴らしい眺望の地点に墓を築造しているのがよく分かる。


次に視線を西に点じこの尾根の突端部分を見ると、繁茂した雑草の先に小さく石礫の集積が見える。これが北大塚古墳のすぐ西側に接して築かれた北大塚西古墳である。

62・後円墳頂上の積石、遠くに西古墳の積石群
突端の石の塊が西古墳の後円部

古墳時代前期に築かれた積石塚の前方後円墳で、全長約19m、高さ約1・5mと中央部の北大塚古墳に比べ半分ほどの小さな古墳である。

63・北大塚古墳より北大塚西古墳を見る

写真で判るように西古墳は摺鉢谷をめぐる東側の尾根の最も北端にあたり、北側はすとんと落ち込んだ谷となっている。

石清尾山古墳群分布図(高松市文化財課)
石清尾山古墳群配置図(高松市文化財課)

北大塚古墳群から真西を見ると、摺鉢谷を挟んでその延長線上に石清尾山第9号古墳が存在している。

64・北大塚古墳から石清尾山9号墳と谷越しに見合う
石清尾山の方向を見る

その西古墳の脇を通る尾根道沿いに西古墳を真横から見ると、ここの積石の状況がよく分かる。

65・北大塚西古墳の前方部の赤標柱か
西古墳の前方部

崩壊がひどい状態でその形状を見分けるのはこれまた難儀である。

66・西古墳を脇から見る
西古墳の後円墳を横から

真横を通る尾根道から西古墳の後円部へあがってみると、すぐ目と鼻の先に女木島と男木島が見えた。

67・北大塚西古墳後円墳頂上
石組みの先に女木島が見える

そして頂上部に密集して広がる積石の状態がひどいことがよく分かった。野田院古墳のように修復せよとはいわぬが、貴重な文化財である、もう少し、こうした崩壊するのに任せたままの状態だけは何とか食い止める方策や最低限の整備を施すべきだと強く感じたところである。


午後1時に峰山公園をスタートした石清尾山古墳群巡りもこの北大塚古墳で終了である。時刻はすでに午後4時55分。日も傾き、われわれの影もかなり長くなってきた。


これからゆく道は遊歩道と呼ぶにはちょっと無理のある草むらのなかの獣道のような山道である。

68・この道を降りて行く
草茫々の道を・・・

こんな心細い道で大丈夫かと不安になったが、一般道から逸れていった先刻の石船積石塚まで戻っていると夕陽が落ちるまでに下に降りるのは難しいと判断、この獣道を強行下山することにした。


下山を始めてすぐに視界が開けた個所があった。少し進むと、足のすくむような切り立った崖である。その縁から下を見下ろした。

69・下の自動車道まで一挙に降りる
エッ!! あんな下まで・・・

あの路へ降り立つにはかなりの急勾配の山道となるに違いない。そんな急坂それも獣道のような悪路を果たして短時間で下りきれるのかと心配になった。


結果的には無事、下山できたわけだが、そこからはまさに想像通りの直滑降の下り道であった。足の不自由なわたしは杖と家内の文字通りの手引きを支えに必死の下山行となった。

70・かなりの急坂です
ものすごい急坂

道幅は狭くむき出しの自然石を探りあてながら足をのせ、次にまた支えの石を探すといった難度の高い下山であった。

71・この急坂道を頑張りました

なれど人間必死になると何とかなるもの、ようやく車道まで到達したとき、時刻は午後5時15分。わずか20分であの目のくらむような高さから転がり落ちるようにしてこの人里へと舞い降りたのである。

72・最後の難所
城壁のようなところを下りた・・・

「自分で自分を褒めてあげたいと思います」というあの“臭すぎる”と思った名言を心中、まじめに己に向けて語り懸けたものであった。

73・峰山公園への自動車道
ようやく人心地・・・

そこからは近隣のタクシー会社へ電話し、迎えに来てもらい、当日の古墳巡りも無事、終了。こうしてレポートをさせていただくことが叶ったというわけであります。


さてさて、読者の皆様、長々と石清尾山(いわせおやま)古墳群巡りにお付き合いいただきありがとうございました。


讃岐の貴重な古墳群。目で実際に確かめると、その立地の眺望の良さがわかり、尾根筋のかなり危険な場所に築かれたものもあり、その理由は何ゆえか?といった素朴な疑問などを抱えながらの探査行。


ただ、学説の一つにある「積石の素材の安山岩がそこにあるから積石塚をその高地に造った」というだけのそんな単純な理由だけでは考えられぬほどの絶景の地さらに危険な個所に古墳は造営されていた。


と云うのもこうして実際に峰山の尾根筋を歩いて自分の目と足で確かめてみると、何だか1700年前にはもっと瀬戸内の海はこの山裾の方まで入り込んでいたのではないか・・・、この尾根の上まで打ち寄せる波音が時には聴こえてきたりしていたのではないか・・・と、何の理由もなく、そう思えてきた・・・。


平地から見上げると云うよりも海上から見上げて最も効果的に見える場所に石を積み上げた大きな墓を築いたのではないか・・・と。


古墳の頂上に立ち、丈が伸びた草陰に真下の市街地が隠れ、すぐ目の先に青い海原と島々が見えるといった景観に触れる体験をすると、そんな想像も決して奇想天外でもないなと思えてきたのである。


そう書いたところで、古墳時代の高松市の海岸線を検索したところ次のようなことであった。


「当時(古墳時代)海岸線は現在の高松市中心部の西端を流れる摺鉢谷川の流域全て、即ち峰山の裾野にあり、人間はそれら海、山に挟まれた平野、後の宮脇町周辺に居住していたと類推される。」


なるほど・・・海上から海抜200mほどの高さの山上に全長40mから100mほどの二層、三層の石積みの大きな構造物が見える。


1700年前の人々にとって、山の稜線から迫り出す、まるで空中に浮かぶかのような石組みの構造物は度肝を抜く権力の示威であったことだろうと得心したところである。




讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(4/5)

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4 鏡塚古墳


【鏡塚古墳】

次に石船塚古墳から北へゆるやかな登りを30mほどゆくと草むらを迂回した先に鏡塚古墳が見えてくる。

41鏡塚古墳が見える
突当りの石組みが鏡塚古墳

4世紀前半に築かれた積石塚古墳であり、猫塚と同じ双方中円墳という特異な形状をしている珍しい古墳である。

42・鏡塚古墳測量図
鏡塚古墳測量図(高松市文化財課)

その規模は全長約70m、高さ約3.6mと大規模な猫塚と比較すると一回り小さくはあるが、猫塚より全容が見えやすいので迫力はこちらの方があると感じた。手前の石ころの集積している辺りが双方中円墳の片方の方墳である。その向こうに大きく盛り上がった大きな積石の塚、中円墳が見える。

43・手前(南)の方墳から中央の円墳を見上げる
南の方墳から中円墳を見る

われわれは南側の石船積石塚からのアプローチであったため、ほぼ南北の方向に配置された双方中円墳の南方墳を最初に目にし、その先に大きな中円墳を見る恰好となった。

44・手前(南)から中央円墳を見る
方墳の端から高さ3・6mの中円墳を見る

方墳は50、60cm大の石ころが集積しわずかな盛り上がりを見せているが、その形状が四角形であると認識することはいまや難しい状態となっている。

45・中円墳側から見た南側方墳
中円墳から南側方墳を見る

そして、いよいよ、双方中円墳の中核をなす中円墳に登ってみた。

頭頂部一面には30cm台から60cm台の大きな石ころが乱雑に放置されているといった印象である。

46・真ん中の円墳頭頂部の積石
中円部の頂上

修復された野田院古墳のような整然と組み合わされた石組みを脳裡に描くのははなはだ難しい。

47・円墳上部
野田院古墳の円墳頂上(二段構成)

しかし、この鏡塚古墳は摺鉢谷をとりかこむ東側の尾根筋の最も高いところにあり、野田院古墳同様にその頭頂部からの景色はまことに壮大である。

48・頂上からの壮大な景色
頭頂部からの景観

人影を認めることもない静かな尾根のうえ、その頂に築かれた古墳の上には真っ青な秋空が広がっている。その静寂のなかに時折、聴こえてくる鳥の啼き声の他には谷越に聞こえてくる峰山公園で遊ぶ子供たちの歓声のみである。


1700年まえにこの峰越しに声を掛け合っていた人たちがいたのだと確信した瞬間であった。


それから目を右側へ転じると北側に小さな方墳が見える。

49・鏡塚古墳・中円墳から奥(北)の方墳を
南の方墳の対称線上に北側の方墳が見える

やはり3・6mの中円墳の上から見下ろすと方墳の高さはかなり低くそして一辺の長さも短い。


逆に南側を向くと、北の方墳の対称線上に南方墳が見える。

50・中円墳から南方墳を見る
頭を巡らし反対側を向くと、南側の方墳下見える

これが全国でも珍しい双方中円墳の全貌である。

円墳を下りて、その裾を廻る遊歩道を北大塚古墳へと向かってゆくのだが、真下から見る円墳はなかなかの質量感である。

51・盛り上る中円墳
中円墳の脇から見上げると結構な迫力

これもかつては野田院古墳のような二段構成であったというから、下の写真を目に浮かべながら脇を通り抜けて行った。

52・二段の積石塚古墳
野田院古墳の横から後円墳を見上げる(後円墳高さ2m)

北側の方墳をやり過ごして振り返ると、尾根の一段高い個所に中円墳を築いていることがよくわかる。

53・奥(北)の方墳から中央円墳を見上げる
北の方墳から中円墳を見る

一説によると鏡塚古墳には6基の石室があったと伝えられるが、これだけの規模である、やはり首長の家族などきわめて近しい人々を埋葬したものであろう。


ただ、両側に方墳を従える特異な形状の意味合いは謎めいていてはっきりしないままである。方墳が祭祀、拝礼の場所というのであれば、なぜ二か所必要なのか、それも対称線上にする意味とは何であろうか。草生した積石塚の頂きに佇み想像をめぐらしてみても解答は見つからぬままであった。


そして、いよいよ石清尾山古墳群の最後の古墳、北大塚古墳へと向かった。



讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(3/5)

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讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(1/5)

3 姫塚・小塚・石船積石塚


石清尾山古墳群分布図(高松市文化財課)
石清尾山古墳群の配置図(高松市文化財課)


【姫塚古墳】

猫塚古墳から舗装された一般道を尾根筋に東へ歩いてゆく。その尾根道の右手には南東から南方向にかけて仏生山そして香南の平野が広がっている。

19・姫塚から仏生山、香南地帯を
讃岐名物の三角山がならぶ

6、7分歩くと峰山公園の第4駐車場入口の真向かいに姫塚古墳がある。姫塚古墳の北側にのびる尾根には次に見る小塚古墳が続く。

20・正面右手のこんもりした丘が姫塚
正面の樹木の茂る辺りが姫塚古墳

3世紀末から4世紀前半に造営された全長43m、高さ3・6mの中規模の積石塚前方後円墳である。

21・姫塚・後円部裾から前方部を見る
後円部の裾から右手に前方墳を見る(積石塚)

石船積石塚とともに前方後円墳の形状が最もよく保存されている古墳である。

22・姫塚古墳航空写真
航空写真(高松市文化財課)だときれいに前方後円墳の形状がわかる

どこかロマンを呼び起こす姫塚という名であるが、古よりここが首長の娘の墓であるという伝承に基づき「姫塚」と呼ばれてきたのだという。そんな1700年も昔のことがいまに語り継がれてきた姫塚。

23・姫塚
姫塚 前方墳(青い柵の向こうの積石)から紅葉した木の下の後方墳の積石塚を見る


民衆にこよなく愛された王女だったのだろう、数多い王家の墓にあってこの姫はその名前は残さなくとも死して王女の墓であることを今に至るまで伝えてきたのだから。


果たしてどんなプリンセスがこの可愛らしい古墳に葬られていたのだろうか、想像は秋の空高く、その羽を広げてゆくのである。


【小塚古墳】

24・小塚古墳測量図
小塚古墳測量図(高松市文化財課)

小塚古墳は姫塚古墳から北へ200mの距離、姫塚古墳と石舟塚古墳のほぼ中間に位置する。

25・小塚古墳
小塚古墳

小塚古墳は古墳時代前期(4世紀)の造営であるが、墳丘中央部を尾根道が走っているため元の形状は破壊され判然しないが全長約17m、高さ約1mの最も小形に属する前方後円墳と考えられている。

26・手前の尾根道に縦断された小塚古墳
小塚古墳を振り返る

ここで舗装道路は終わり、これ以降は自然の一般道を歩いてゆくことになる。

27・小塚古墳からは自然道をゆく

この時点でちょうど午後4時を回った頃。ススキの穂の向こうに傾くのが早い秋の太陽が見えた。


28・午後4時、秋の陽が傾くのは早い


【石船積石塚】

29・石船積石塚古墳へ120mの標示

小塚古墳から自然道をさらに100mほど進むと、右側に石船積石塚へ120mという石板の標示が見える。

BlogPaint

そこから広い本道を外れ、右の狭い小道へと入ってゆく。

31・この先すぐに石船積石塚がある

灌木のなかに一応、人の通る道が続いているものの見通しはきわめて悪い。


しかし、突然に目の先に小高い積石塚が現れる。

33・目の先に石船積石塚が見える
石船積石塚が坂の上に見える

石船積石塚は、4世紀後半に造営された全長約57m,高さは約5・5mの積石塚の前方後円墳である。

34・石船積石塚古墳航空写真
航空写真(高松市文化財課)

後円部は三段、前方部は二段に積石が築かれているのだそうだが、ご覧のように雑草が生い茂り、まったく定かではない。

35・後円部頂には雑草が繁茂・刳抜式石棺が隠れる
石船積石塚・後円部の頂上の石棺も隠れるような状態

前方部も確認出来ぬ状態であり、資料の記述をそのまま転載するのみである。

36・後円部の積石
後円墳の積石

ただ、石船積石塚の後円部中心に露出された刳抜式割竹形石棺は形態上、舟形石棺に分類される。

37・刳抜式石棺 左が棺、右が蓋
刳抜式割竹形石棺 左が棺、右が蓋

石船積石塚に代表される讃岐の刳抜式石棺の成立が全国的に見て最も早いとされている。ことほど左様にきわめて希少価値の貴重な遺跡なのである。


石材としては高松市国分寺町の鷲ノ山産出の鷲ノ山石(石英安山岩質凝灰岩)が使用されている。
この鷲ノ山石の刳抜式石棺は高松平野から丸亀平野を中心に8棺が知られている。

また、香川県外でも大阪府安福寺(柏原市玉手山3号墳から出土(伝))に所蔵されているほか、大阪府松岳山古墳からは刳抜式石棺ではないが、組合せ式石棺の側壁材として使用されているという。
さらに松岳山古墳の周辺には積石塚古墳が分布しているという興味深い事実も存在する。


1600余年前に、ここ讃岐の鷲ノ山で製造された石棺が瀬戸内海を渡り、大阪で古墳に埋蔵する石棺として使用された。


その事実が語り懸けているのは、同じ埋蔵方法を採る部族の存在あるいは石材加工技術の優れた讃岐の石棺をわざわざ運ばせた交易や情報伝達の広範さを考えざるを得ないところである。

備前一の宮駅にある石舟古墳の石棺の蓋
岡山吉備線の備前一の宮駅に置かれた吉備・中山の石舟古墳の石棺の蓋

西暦400年に満たぬ頃に、この重い石棺を載せて運ぶ船とはどの程度の大きさであったのだろうか。また、讃岐の石材や加工技術が優れているという情報はどのようにして広がっていったのか。積石塚を造営する技術集団は讃岐から移動したのか。

ひょっとしたら請負で讃岐からやって来て、完成後には讃岐へ戻ったのではないかと想像を膨らませると現代の常識をちゃぶ台返しをするようで何だか面白くなってきて仕方がない。


古代社会において、人・物の移動、情報の伝播のスピードは現在のわれわれが想像するよりもはるかにずっと早かったのではないか。


何かまだわれわれが知り得ぬ手段や運送技術、理解を越えた社会構造や人的交流といったものがあったように思えて仕様がないのである。

38・刳抜式割竹形石棺
石清尾山・石船積石塚の刳抜式割竹形石棺

そんなお宝をあるがままで目にする幸せには浴したものの、棺内に雨水を溜め雨ざらしにされている姿は痛々しく、稀少文化財の保存の観点からはレプリカに替えるといった手当が早急に講じられるべきだと強く感じた。


そんな石船積石塚であるが、石棺は何とか目にできたもののその全貌は草で覆い尽されており、前方後円墳の形状は分りかねる状態であったのは如何にも残念であった。

39・石船積石塚頭頂部

しかし、その石棺の置かれた後円墳の頭頂部からの眺望は1600年余を越えた今日においても、まことに壮観であった。

40・石棺からの眺望

見晴らしの良い尾根伝いに積石塚を築き、そこに埋葬された人々とはいったいどのような部族であったのか、妄想は風船のように膨らみつづけ、興味は幼児の好奇心のように尽きることはない。




 

 

讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(2/5)

讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(5/5)
讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(4/5)
讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(3/5)
讃岐の超絶パワースポット・石清尾山(いわせおやま)古墳群を歩く(1/5)

2 石清尾山13号墳・石清尾山9号墳・石清尾山2号墳・猫塚


9月下旬の秋の好日、悠久のロマン、古代史の謎に触れようと石清尾山古墳群のなかでも代表的な次の図にある9つの古墳を廻った。

石清尾山古墳群マップ(高松市文化財課)
高松市教育委員会作成

不自由な足を庇い、杖をつきながらの山道歩行である。下から登ってゆき、そして、また下って降りるといった踏破行は当初から諦め家内のサジェストにより最も標高の高い石清尾山頂上真下にある峰山公園までまずタクシーで登った。


要は、上の図にあるように峰山の高処にある13号古墳(上記図)から逆順に─↓А↓ΑΑΑΝ,伐爾辰討罎という省エネ踏破を目論んだのである。

石清尾山古墳群分布図(高松市文化財課)
石清尾山古墳群配置図(高松市文化財課作製)

当日は好天の土曜日ということもあり、多様なアスレチック遊具のそろった峰山公園には多くの子供連れの家族が訪れていた。

5・峰山公園
ユニークな遊具の多い峰山公園

われわれはまず瀬戸内海を一望できる展望台へと向かい、これからの難儀な踏破行へむけた英気を養うことにした。晴れ渡った空の下に空と一体となったかのような瀬戸内海が広がり、手前には女木島や小豆島、遠くに目をやると本土が見渡せた。

6・展望台から遠くに岡山県を望む
峰山公園展望台からの眺望・女木島、男木島の向こうに小豆島


【石清尾山13号墳】
最初の石清尾山13号墳は、展望台を少し下った先にある。

7・石清尾山13号墳
石室がなければただの盛土と勘違いする石清尾山13号墳

古墳時代後期の6世紀末から7世紀中頃に築造された径9m、高さ1・5mの盛土墳で、横穴式石室の天井石が取り除かれた状態である。


そこから公園を突っ切り一旦車道へ出て、石仏のならぶ先の細い下り坂へとUターンして入り込む。これでよいのかと不安になるほどに熊笹で覆われた細道である。

8・石清尾山9号墳への細い道

そして、いつしか上り坂となり灌木の隙間から向こう側の峰が見えることで自分たちが峰山の尾根筋に歩いていることに気づく。

9・9号不への稜線の道から摺鉢谷を挟んで向こうの峰を見る


【石清尾山9号墳】

そして、ようやく石清尾山9号墳(図の─砲肪り着く。

10・石清尾山9号墳
石清尾山9号墳・前方墳の先に後円墳の積石塚

石の瓦礫が無造作に放られているような保存状態だが、全長27mの積石塚の前方後円墳である。

石清尾山9号墳・後円墳から前方部を見る
石清尾山9号墳・後円部から前方墳を見る

摺鉢谷を取り巻く稜線上の北東部の突端に位置しており、谷を挟んで真東に向き合っているのが、最後に訪れる北大塚古墳(図の 砲任△襦

64・北大塚古墳から石清尾山9号墳と谷越しに見合う
北大塚古墳から見た9号墳が位置する石清尾山

そうした墓の配置に古代人のどういった意図が隠されているのか、興味は尽きぬところである。


【石清尾山2号墳】

9号墳から2号墳(図のА砲泙任錬隠以ほどの距離である。

11・9号墳から2号墳へ
9号墳から2号墳へ向かう道

峰山公園の芝生広場から行く場合は、自動車道をちょっと上って左に大きく曲がるカーブの右手側に20mほど入った民家の庭先にある。

12・2号墳を真横から
石清尾山2号墳・真横から

横穴式石室が開口している直径約10m、高さは約2mの円墳・盛土墳である。

13・石清尾山2号墳
石清尾山2号墳・羨道から石室を見る

4世紀代の積石塚古墳が集積するこの地区で、6世紀末から7世紀に造営された横穴式古墳群はその総数では積石塚古墳の数を越えているというが、その300百年前にこの地に住みついていた積石塚古墳群を築いた人々との関連はわかっていない。


【猫塚古墳】

この2号墳から徒歩約10数分、幅広の道から右に細道を300mほどゆくと、ここ石清尾山古墳群のなかで最大規模を誇る猫塚古墳(図のΑ砲愿着する。

14・猫塚への細道
この道の先に猫塚古墳はある

その猫塚古墳は全国でも非常に珍しい双方中円墳という独特の形態をしている。

15・猫塚・雑草に覆われた中円墳
猫塚古墳の中央の円墳、高さは5mとかなり見上げる感じ

築造時期は4世紀前半に築かれた全長約96m、高さは約5mの石清尾山古墳群のなかで最も大きな古墳である。

16・猫塚墳丘測量図
猫塚・墳丘測量図 (高松市文化財課・高松の埋蔵文化財より)


中央の小高い大きな円墳の両脇に小さな方墳を従えたどこか蝶ネクタイのような形をした積石塚古墳である。

17・猫塚古墳航空写真
航空写真(高松市文化財課)

しかし、この日は草が生い茂り下から見上げただけではその形を実感することは難しかった。

18・猫塚の双方のひとつ
円墳の手前を左に回り込むと先に小さな方墳らしきものが・・・

石清尾古墳群のなかでこの特異な双方中円墳はもうひとつ鏡塚古墳(図の◆砲あるが、そちらは古墳上部へ登っての写真撮影が可能であったので、この変わった形を実感してもらえると思える。

49・鏡塚古墳・中円墳から奥(北)の方墳を
積石塚の鏡塚の中円墳から北の方墳を見下ろす

上の写真で大体の感じをとらえてもらえればありがたい。猫塚はこの写真よりも規模は1・4倍ほどであるので、上から俯瞰できればかなりの迫力があると思われる。


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