彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

July 2014

祇園祭ゆかりの“祇園ちご餅”・三条若狭屋=旅人の見た京都のお菓子

中京区三条通堀川西入ル橋西町675


祇園祭といえば三条若狭屋の“ちご餅”というのは、京都人の常識だとか。


と云うことで、山鉾巡行の翌日、帰京前に地下鉄東西線にて二条城前駅へ。

1・二条城前
二条城前駅を出たところ

そして、堀川通を下ること500m、三条通堀河西入る、つまり三条通り商店街入口角にある“三条若狭屋”へ銘菓・“祇園ちご餅”を求めに伺った。

2・三条商店街入口角にある
トラックの入った角が入口

本店店舗の外観はいかにも京菓子司の趣きを醸し出す古風な造りである。

3・三条若狭屋

店内に入ると、すぐに“祇園ちご餅”が陳列されたショーケースが目に入る。正面にちご餅を印した暖簾が下がる。

13・祇園ちご餅の暖簾がかかる店内

そして、堀川通りに面してカウンターカフェがある。店内でお茶を戴きながら若狭屋の菓子を愉しむことのできる造りになっていた。

4・カウンターカフェ
早朝の入店のため、まだカフェが準備中であった

“ちご餅”は祇園祭所縁の京菓子であるが、昭和17年12月に京都府が指定した“銘菓和生菓子特殊銘柄品18品目”のひとつとしても有名である。

18・ちご餅
祇園ちご餅

祇園祭所縁というのは、この“祇園ちご餅”誕生譚が以下の説明書にあるので参照されたい。

5・祇園ちご餅

要は山鉾に載る生き稚児さんたちが八坂神社で御位貰いの儀式を終えたのち、楼門前で味噌だれをつけた餅を衆生にふるまったことに因むというのだ。


そしてこれを食べると、ちご餅に添えられた短冊にあるように“疫を除き福を招く”というので、京の人々はこぞって稚児さんからふるまわれる餅を求めたのだそうだ。

7・三本入りのちご餅

この三条若狭屋の“祇園ちご餅”の包の形状が山鉾町で求める厄除けの粽に似せてあることも、厄除けの祭、祇園祭にはなくてはならぬ菓子となっていったのではなかろうか。

6・粽の形をした包  8・蘇民将来の子孫也と記された粽と長刀鉾のフィギュア
左:3本のちご餅の入る包      右:放下鉾の粽と長刀鉾のフィギュア

包を開けると竹串に刺された“ちご餅”が現われるが、氷餅をまぶした求肥のなかに甘く炊いた上品な白味噌が入っているのもそうした所縁に基づいたものである。


ひと串口に入れると、氷餅のザラメが甘みを舌の上に載せ、やわらかな求肥を噛むうちに楚々とした白味噌の風味が口中に残る甘みとしとやかに調和する。

9・疫を除き福を招くちご餅

その味は上品でかつひと包に三本というのもまた奥ゆかしく、その由来と併せてまさに京都のお菓子というのにふさわしい逸品である。


お店のお嬢さんにまずは“祇園ちご餅”の5包入りをお願いする。

10・五包入り

その“ちご餅”を包装していただいている間にショーケースを子細に覗き込む。ちご餅以外にも甘党の心根をいたくくすぐるおいしそうな京菓子が並んでいる。

11・ちご餅以外にショーケースにはおいしそうな京菓子が並ぶ

そこで、いまは残念ながら製造が停止された“御所羊羹(銘菓和生菓子特殊銘柄品)”の代わりに“小倉羊羹”をひとつ求めた。これも18品目踏破を目論むわたしである、当然、それに少しでも肖(あやか)るお菓子だと勝手にわたしが決めて、注文したのである。


このようにして見境なくお菓子を購入し過ぎたため、実は、まだ小倉羊羹まで食すに至っていない。ということで、ここでは包装箱入りの写真を掲載する。

12・小倉羊羹

もちろん後日、小倉羊羹の生身写真は補遺することにする。


次にわたしの視線は小倉羊羹からちょっと右手にスパンして、あるお菓子を認めた。炎暑の夏に涼をもとめるかのような“京のせせらぎ”である。

14・今日のせせらぎ箱入り

色合いがまるで山間をめぐる清流のごとく目にも涼やかであったので、暑い京都でつい手が出たのは致し方のないところである。

15・京のせせらぎ説明書

本日、東京も36度という猛暑日。早速、“京のせせらぎ”で涼感を求めたという次第。

16・京のせせらぎ

口にしたこの家伝の琥珀糖を使った干菓子がまたミントのかすかな香りがしたりまことに爽快な風味であり好ましい。


三条若狭屋は明治26(1893)年に初代の藤本茂弘氏が“本家若狭屋(江戸文化年間に創業、屋号・若狭屋は若狭高浜の出身による。戦後この本家は廃業)”から“若狭屋茂弘”として分家独立したのが始まりという。 その後屋号を“三條若狭屋”と改め、昭和21年に現在の場所に移転し、今日に至っている。現在の当主は四代目・藤本知靖氏である。

17・暖簾

二条城前から歩いて6分ほどの至近にある三条若狭屋。祇園ちご餅はまさに京都の菓子、それにカフェもよし、お土産に日持ちが14日間という“京のせせらぎ”もお洒落でよし。


よいことずくめの三条若狭屋!! ぜひ一度、古風な佇まいの本店へ立ち寄って見られてはいかが。




2014年祇園祭・山鉾巡行前祭(さきまつり)に興じる

2016年祇園祭・後祭で大船鉾を見た 山鉾巡行一挙掲載!!(2016.8.23)
2014年、祇園祭の“割烹やました”で、涼をもとめる=京都グルメ(2014.8.13)

2014年7月17日、気温35.5度の猛暑のなか、1100余年の歴史を有する祇園祭の目玉のひとつ、山鉾巡行・前祭(さきまつり)を観覧した。

8・大役果たした生き稚児さん

今年からは49年ぶりに後祭(あとまつり)が復活。これまで33基の山鉾が17日に一斉に巡行していたものが、17日の前祭に23基、残り10基が24日の後祭と、2日間に分けての巡行となった。

0011・宵山の八坂神社
宵山の八坂神社

そもそも祇園祭の本義は、八坂神社のご祭神(素戔嗚尊・櫛稲田姫命・八柱御子神)を三基の神輿に遷し、洛中の厄神をかき集めながら御旅所へと向かう神幸祭(17日)と、

0001・神幸祭を待つ宵山の神輿
神幸祭を待つ三基の神輿・八坂神社宵山

その厄神を神泉苑へ流し去った神輿が御旅所から八坂神社へ還る還幸祭(24日)にある。

001・御旅所
四条御旅所

山鉾巡行は神輿の先触れとして京の町衆が自発的に実施したものであり、本来、神事の外にあるが、美麗に飾りつけられた巡行が八坂神社の祭礼に賑わいと華やかさを添える大きな役割を持つに至ったことから不即不離の関係へと変わっていった。


そういう由来に照らせば、前祭と後祭に巡行が分けられたことの方が、祇園祭本来の姿に立ち戻ったということになる。


その49年ぶりの前祭が復活した祇園祭を、15日の宵々山から18日までの4日間、目一杯、堪能した。


宵山や山鉾建てなどの様子、そして神輿渡御については別稿に譲るとして、ここではまずは祇園祭のハイライトである山鉾巡行について記すことにする。


当日は注連縄切りがよく見える四条麩屋町より少し西に陣取った。7時半に現地到着、すでにその周辺は道路に面した一列目が長く伸びており、何とかわれわれもその一画にスペースを見つけた。

001・8時半頃、すでに沿道はいっぱい
8時半頃、沿道にはたくさんの見物客

いよいよ午前9時。

01・巡行がやって来る

四条通り烏丸から “くじ取らず”の長刀鉾を先頭に巡行が四条通りを西へと進んでくる。

3・注連縄に近づく

そして神域との結界である四条麩屋町角に張られた注連縄の前に長刀鉾が止まる。

4・止まる
四条麩屋町に張られた注連縄の前に止まる

四条通りに渡された注連縄を長刀鉾に載った生き稚児が太刀で断ち切る“注連縄切りの儀式”が執り行われる。


今年の生き稚児の大役を務めるのは、まだ愛らしい平井誠人君(9歳)。

09・正5位

この厳かな“注連縄切り”が山鉾巡行の一番のハイライトと云ってもよい。

5・注連縄切り
注連縄がまさに切り落とされる瞬間

注連縄が切り落とされた瞬間、沿道の見物客から拍手と歓声が挙がった。

7・無事終了

“生き稚児”が結界を破ることでいよいよ山鉾が神の領域に入ってゆく。

我々の目の前を2日の“くじ取り式”で決まった順番で山鉾が曳かれてゆく。

9・神の領域に入って来る長刀鉾
神の領域に入る長刀鉾

常に先頭をゆく長刀鉾(なぎなたほこ)と5番の函谷鉾(かんこくぼこ)、21番の放下鉾(ほうかぼこ)、22番岩戸山、23番船鉾は、“くじ取らず”といって、巡行の順番は常にその位置となっている。


次々と目の前を過ぎてゆく山鉾を以下、順に紹介する。

2番目が山一番を20年ぶりに引き当てた占出山。占出山の順番が早い年は安産が多いといわれているとのこと。

11・占出山

3番目は芦刈山。

12・芦刈山

4番目が孟宗山。

13・孟宗山

5番目は“くじ取らず”の函谷鉾。鉾頭は月に山形。

14・函谷鉾

6番が山伏山。

15・山伏山

7番が囃し方を擁する綾傘鉾。

16・綾傘鉾

8番は伯牙山。

17・伯牙山

9番目が菊花の紋様が鉾頭の菊水鉾。

18・00菊水鉾も来る

10番目が太子山。山には松の木が取り付けられているが、太子山のみ杉が立てられている。聖徳太子が大杉の霊木で六角堂を建立されたとの六角堂頂法寺の縁起に拠っているという。

19・太子山

11番目が霰(あられ)天神山。小祠と鳥居が飾り物。

20・霰天神山

12番は人形と鳥居が載る油天神山。

21・油天神山

13番は鶏鉾。

22・鶏鉾

14番は木賊(とくさ)山。

23・木賊山

15番目が囃し方のいる四条傘鉾。

24・四条傘鉾

16番が飾り物の蟷螂(カマキリ)の羽や脚が動き、子供たちに人気の蟷螂(とうろう)山。

25・01蟷螂山

17番が鉾の天王が月読尊(つきよみのみこと)の月鉾。

26・02月鉾

18番が白楽天山。

27・白楽天山

19番が保昌(ほうしょう)山。

28・01保昌山

20番が唯一、屋根のある山、郭巨(かくきょ)山。

29・02郭巨山

21番目からが“くじ取らず”になるが、その21番目が放下(ほうか)鉾。

30・01放下鉾

22番が山でありながら形態は鉾と同じ岩戸山。真木として松を立て、高さは15mにおよぶ。

31・01岩戸山

そして、前祭の殿(しんがり)が23番目の船鉾。曳き鉾のなかで唯一、真木がないのが特徴。

32・01船鉾

巡行は先頭の長刀鉾が眼前を過ぎてからちょうど2時間が経過する炎暑のなかの長丁場であった。


翌日の京都新聞によると、山鉾の基数が10基減少した今年の巡行時間は、結局、15分の短縮がなったのみという。


原因は35・5度の炎暑により巡行関係者を中心に体調不良者が相次ぎ、救急搬送など対応に時間を費やしたためと説明された。


当日の人出は例年より3万人少ない11万人。後祭に分散したのではないかとのことであったが、われわれが陣取った四条通りの混雑は半端なものではなかった。


そして、23基の山鉾を見送った後、巡行行列を追いかけて四条河原町での辻回しも郭巨山からどん尻の船鉾まで4基を観ることができた。


祇園祭山鉾巡行の観覧は待ち時間を含めて5時間におよんだが、注連縄切りに辻回しも目にすることができ、実り多い時間を過ごせた祭りの一日であった。



佐渡の旬が旨すぎる、純朴な鮨屋・“すしの魚秀”

佐渡市両津夷136(両津港前)  ☎ 0259-27-5610


佐渡へお昼時に到着。

1・両津港に着岸したジェットフォイル    2・佐渡汽船乗場
両津港に着岸・ジェットフォイル          佐渡汽船乗場

まずは腹ごしらえと寄ったのが、予て狙い定めていた“すしの魚秀”。

3・佐渡汽船・両津港前
佐渡汽船乗場前に”すしの魚秀”のビル

佐渡汽船の両津港乗場の真ん前の小さなビルにあるので、非常にわかりやすいお店である。

4・魚秀
”すしの魚秀”のこれが入口です

“毎朝直接地元の魚市場で水揚げされた鮮魚をセリ落として仕入れている”との謳い文句に魅かれての来店である。店はビルの一階。


店内は、カウンター席に5人ほど。

5・カウンター
カウンター

入れ込みの小上りに座卓が4つだったかで合計26席という鮨屋である。

カウンターに坐って、家内は本日のお薦め握りを注文。

6・本日のお薦め握り
本日のお薦め7貫

わたしは好きなものを適宜、頼むことにした。

7・おこぜとまとう鯛
白身大好きの彦左は、おこぜとまとう鯛を注文

二人が食べ終わってみると、何のことはないメインのものはほとんど一緒のもので、謳い文句にあるように、今朝、水揚げされた地物であったということ。


なかでも特筆すべきものが、まず当店のウリとなっている“イカのワタ入り”。

8・イカのわた入り
うっすらと薄墨のように見えるのが腸(はらわた)

腸(はらわた)をワサビ代わりに入れ込んだもので、ワタの苦みとイカの甘みが海鮮の旨味を引き立たせ、漁港の鮨屋ならではのまさに逸品であった。


次に大振りのトビウオも珍しく、これまた推奨ものである。

9・トビウオ
トビウオの握り、初めてでした

ばい貝もコリッとしながら歯切れもよく、美味しい。

10・ばい貝
ばい貝も大振りで、なんか素朴な握りでした

それから、当日の極め付きが“ノドグロ”の握りである。新潟の高級魚、ノドグロが握りで食べられる。

11・ノドグロの炙り

目の前に差し出された一貫は、少し炙りをいれたノドグロは脂が適度に落ち、皮の香ばしさも加わり美味である。新潟佐渡でしか食せぬ、これぞ“すしの魚秀”の面目躍如たる握りであった。


最後に自家製の“玉”を紹介しておかねばならぬ。最近の鮨屋の大概は手間がかかる玉は、専門店からの仕入れに頼る先が多いが、魚秀のショーケースの上に鎮座するものは見るからに正真正銘の自家ものである。

12・魚秀の自家製の玉

甘過ぎず塩辛過ぎず、昔懐かしい素朴で温かみのある味であった。

13・玉
この焦げ目がなんだか懐かしい・・・


お店の佇まいは粋などと格好つけるようなものではない、正真正銘の田舎の店である。

そして店主の北浩史さんは口数は少ないし、客あしらいが上手とはあまり思えぬ純朴な人柄。


しかし、その分というのも変だが、ネタの目利きや素材の生かし方には創意工夫が見られ、職人はやはりこうでなければと思わせる人物である。


佐渡を訪ねる機会があったら、両津港前の“すしの魚秀”に立ち寄って、ちょっと不愛想だが本当は好人物の北さんが握る佐渡の旬の鮨をぜひ抓(つま)んでいただきたい。


佐渡の旅は“魚秀”の地の魚の味から始まる・・・食いしん坊を自認する人はトライする価値は十分にあると考える。


ただ、フェリーだと特に大人数の観光客が一斉に下船して来る。

14・佐渡汽船カーフェリー・おけさ丸
佐渡島沖を走る佐渡汽船カーフェリー・おけさ丸

加えて両津港近くでの食事処は多くないので、小さなお店はすぐにいっぱいになる。

そこで、お昼時や夕食時時に船が着く際には、事前に電話で予約を入れておいた方が無難であることは申し添えておく。


ベネッセも個人情報購入の疑惑、ジャストシステムと同じ穴のムジナ

近所の知人の話しを聞いて驚いた。

その知人の苗字を仮にAさんとしよう。Aさんの娘さんは既に他家へ嫁ぎ、いまはBさんと苗字は変わっている。
その娘さんに子供が産まれた。そのお孫さんの名前をここでは仮にXちゃんとしよう。

つまり、孫のフルネームはB・Xということになる。

さて、Aさんのところにベネッセコーポレーションからつい2週間ほど前にDMが届いた。
宛名はA・Xと書かれていた。

Aさんは変だなと思いながらも可愛い孫のこと、ベネッセの勧誘DMに目を通した。

そして、孫の名前をどこかで登録なり記載したか、記憶をたどったという。
果たして、一つだけ、思い当たることがあった。

かなり前に外出した際、日本生命の街頭アンケートに記入したのを思い出した。アンケートに回答するとプレゼントが当たるというものであった。

そのアンケートにはAさんの氏名と住所、お孫さんについては名前だけを記入したのだそうだ。

娘さんとお孫さんはまったく別の住所である。

お孫さんの名前を記載したのは、それくらいしか思い浮かばないという。

そんな矢先に今回の事件である。びっくりされたのだそうだ。

事件が伝えられたのは、ベネッセコーポレーションの顧客名簿が流出、ジャストシステムがそれを名簿業者から購入、自社の営業に利用したといった構図である。

だが、Aさんは逆のケースに遭遇していたのである。被害者として只今、振る舞っているベネッセコーポレーションも個人情報をおそらくは名簿業者から手に入れ、幼児教育事業の営業に利用した。

これは推測でしかないが、AさんがA・Xという名前で、Aさんの住所宛てにDMが届くのは、先の日本生命の記載の組み合わせしかやはりないという。

知人の話しを聞いていて、それが一番、ありうるケースであるし、いろいろな業者からDMが日常的に送りつけられて来るのを経験している身として、ベネッセも同じ穴のムジナと考えるのが自然な話なのだと感じた。

ベネッセコーポレーションがやけに自社の個人情報管理体制の問題に話が及ばないようにしている風に見えるのは、穿ちすぎだろうか。

“ソウル・ロッテホテルの前日キャンセル”、蛮国・韓国の非礼、ここに極まれり!!

理屈の通らぬ子供、韓国には“外道には外道の対応”をするしかない・天皇謝罪要求発言の真相(2012.8.24)

本稿はヘイトスピーチではない。ヘイトスピーチとは、差別されるべきではない、排斥される理由のない無辜の対象、健全、まともなる対象に向かってその憎悪の感情をぶつけ煽る表現である。


しかし、韓国のような独りよがりの怨讐(おんしゅう)に満ちた性根の捻じ曲がった対象からこうした非礼極まりない仕打ちを受けるのであれば、もう遠慮などいらぬ。言ってみれば、正当防衛である。


李明博という男が天皇陛下非礼極ない言葉を発し、わが国の尊厳を踏みにじったこともまだ記憶に新しい。


こうした蛮行は、この“カンコク”という国の名前も口にしたくない昨今であるが、この国がこれまでやってきた無礼は一度や二度ではない。


韓国とは国際儀礼も国際法もわきまえぬとんでもない野蛮国であり、商道徳という道徳観の一片すら身に付けぬ、契約という法概念も理解できぬ、下劣で醜悪な国の態もなさぬ蛮族であると断じざるを得ない。


事はこうである。


在韓日本大使館が11日に恒例の自衛隊創設記念行事を開く予定だったソウルのロッテホテルが前日の10日になって、「国民感情に触れる」などとして一方的に予約の取り消しを通告してきたという。


日本大使館としては韓国軍、政府関係者、外交団など約1000人に招待状を送っており、急遽、日本大使公邸に会場を変更し、記念行事は開催するとのこと。


そこは優秀な日本国民であるから記念行事は滞りなく実施されることと信じている。


この国際的な儀礼行事を請け負ったホテルが1日前になってドタキャンするといった暴挙、蛮行を見ると、高家・吉良上野介から饗応場所の畳替えを教えられずに、一夜にして新品に張り替えた忠臣蔵の話を思い出す。


陰湿で執拗な苛めを繰り返す吉良上野介のあの狡猾で底意地が悪く憎々しげな顔が、いま韓国という性根が腐り切った国に重なって来る。


慰安婦問題についてもすべてそうだが、歴史に真摯に向き合う姿勢を持つべきなのは韓国のことであろう。


朝鮮戦争時に、在韓米軍基地近くの基地村で米兵相手の売春をしていた韓国人女性ら122人が6月25日、『米軍慰安婦』として韓国政府の厳しい管理下に置かれ、人権を侵害されたなどとして国家賠償を求める集団訴訟をソウル中央地裁に起こした。


この一事をしても、韓国人ならびに韓国系米人は、韓国内はもちろん米国内にも“慰安婦像”の設置を早急に行なわねばならない。これまでも彼らの言動からこれは当然のアピール行為なのだから。


それから、ベトナム戦争時に韓国軍がベトナムで行った非人道的行為(注)について、韓国政府ならびに韓国民はその歴史認識について語らねばならない。


ベトナム戦での韓国の非人道的行為

l  8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」(2000年4月21日号“ニューズウィーク”)

l  韓国人兵士による現地ベトナム人女性に対する強姦などにより生まれ、韓国軍撤退により取り残された “ライダイハン”と呼称される最少5千人から最大3万人(釜山日報)の子供(敵軍の子)の問題・対応も闇のなか


こうした自らの行いについては決して正々堂々と表で謝罪なりその事実を語らぬ卑劣漢が残念ながら、わが国の隣りに目障りにも居座っている。


冒頭の非道なドタキャンといい、李明博とかいった無礼者の暴言といい、かの国は本気でわが国と戦争状態に突っ込んででもゆこうと心底から考えているのだと思うしかない昨今の状況である。


人間の心とは理性を持続させ続けるのはなかなかに難しい。凡人であればあるほど、左様である。


もうさすがに限界が迫っていると感じる自分が本当に怖い。



立川の“インカメラ・コンテラッツァ(In Camera con TERRAZZA)”は大人のアジール(自在空間)

立川市柴崎町3-7-14 植源ビル2F  ☎ 042-548-9848


0・インカメラ名刺

立川に蕎麦処・無庵に加え、ひとつイタリアンの素敵なお店を見つけた。

1・2Fがインカメラ、1Fがatrio
左廻ったところがインカメラ入口。一階は姉妹店”atrio”

というより、ある妙齢の女性を初老の男性二人で食事にお誘いし、その方にこのお店を紹介いただいたという、まぁ、何とも締まりのない話ではある。

01・インカメラ入口
インカメラの入口。階段を昇って二階がお店

“インカメラ・コンテラッツァ(In Camera con TERRAZZA)”とはイタリア語で“テラス付きのお部屋で”という意味になる。

BlogPaint
落ち着いた雰囲気の店内(午後10時頃・いっぱいだったお客も既にご帰宅)

Ⅼ字形のカウンター席に8名、テーブル席が3つの10名で計18名のお客をおもてなしする“インカメラ”は、その言葉通りにまるでお洒落な自分の部屋で憩うかのような肩の凝らぬくつろぎの空間を演出してくれる。


われわれ3人の席はカウンターのⅬ字に曲がった奥にセッティングされていた。

3・セッティング
いいムードのお席です

ゆったりとした個室のような感覚にとらわれる不思議な空間である。橙色の温かな間接照明がそうした雰囲気を醸し出していたのだろうか。


お店の若いスタッフ方はお酒の選定、料理の説明などくどくもなく平易な言葉づかいでやってくれる。スタッフのサーブや対応も礼節のなかにもフレンドリーな心が伝わりなかなかにスマートである。


まずスターターとしてスパークリング・ワインがお薦めだというので、わたしは“勝沼のあわ”というのが気取らぬ名前で面白そうだったのでそれをお願いした。

4・スパークリングワインの”勝沼のあわ”です

初夏にぴったりな爽やかでクールな味わいであった。


料理は8000円のコース料理を彼女が予約しておいてくれた。当夜は基本的に美しい女性を真ん中に挟み、美味しい料理に舌鼓を打ちながら飾らぬ会話を愉しむというのが趣旨である。


ゆめゆめ女性を口説こうなどといった下衆な下心はないことをここで断っておかねばならぬ。実はこのように大上段に言い訳したりするのが余計におかしいのだと家内は云うのだが、やはり紳士を自認する男二人、言うべきことははっきり伝えておかねばならぬのである。


そんなことであるからして、話題はグルメにはじまり、旅紀行、政治・・・果ては医療問題と多岐に亘り、美味しい食事の際にはやはり会話もスマートでなければ・・・と思いつつも、あぁ〜やはり、わたしは喋り過ぎるのであった。いつものことながら・・・反省!!


さて料理の方だが、まず付出にどうですかと好物の岩牡蠣を奨められた。一目見て、その美味が伝わる代物。

5・銚子のふっくらした岩牡蠣

もちろん一挙に相好は崩れ、「それ、それ、お願い」と注文したのがこのふくよかな千葉県銚子産の岩牡蠣である。


次に前菜5種が一皿に盛られて供される。手の込んだ豪華な盛りつけである。

6・前菜5種

中央のカップがインカメラの夏の定番であるトウモロコシのパンナコッタ。

7・インカメラ夏の定番・トウモロコシのパンナコッタ
インカメラの人気、パンナコッタ

それとサザエのオーブン焼きと鮮魚のカルパッチョ。

8・前菜・サザエのオーブン焼き  9・前菜・鮮魚のカルパッチョ

さらに季節野菜のテリーヌに合鴨のローストの五種盛り。

10・前菜・季節野菜のテリーヌ  11・前菜・合鴨のロースト

これだけでも大変なご馳走であるが、われわれの会話の様子、食事の進み具合などを見計らい、絶妙のタイミングでパスタが目前へ供された。

12・タラバガニのソース・パスタ

タラバガニソースというのだが、タラバガニの生身が半端でなくトッピングされていて、感激のひと品である。


次にメインディッシュ。話に夢中で丁寧な説明をいただきながらフムフムと頷いていたが、赤めばる?でしたか・・・の、なにしろポワレであった。皮がパリパリと上手に焼かれていたのが記憶に残っている・・・

13・赤メバル?のポワレ

お肉は牛フィレの赤ワインソース、トリュフ添えで、これももちろんGood Taste!!

14・牛フィレの赤ワインソース・トリュフ添え

そしてデザートには、まだ赤ワインが残っていたので・・・

15・赤ワインとお肉
この赤ワイン、しっかろとした味でおいしかったなぁ

我が儘を言ってイタリアチーズの取り揃えをお願いした。

16・イタリアチーズの取り揃え

それからエスプレッソで口直し。すでに時間は10時ちょっと前。いっぱいだった店内のお客も我々の他は一組残すのみ。


話題は尽きないが、わたしを除きお忙しいお二人の明日の仕事に差障りがあってはならずと、四時間におよぶイタ〜リアンな宴は大満足のうちに大団円を迎えた。


帰りは一階の外までオーナー以下、スタッフの方々5、6名が出てこられ、立川駅へ向かう私たちの姿が見えなくなるまで、ずっとこちらを見守っておられたのにはほんとうに恐縮の至りであった。


とても贅沢でフレンドリーな空間を演出してくれた “インカメラ”。

まさに大人だけのアジール(自在空間)を立川の夜に見つけた一日であった。


そして、インカメラの一階に“atrio”という同じイタリアンの姉妹店があるが、お手頃価格ということもあってこちらも人気店となっている。

17・atrio
一階が”atrio”、玄関という意味だそうです

実はわが細君も、この2週間ほど前に“atrio”で女子会ランチをしたばかりであった。


ということで次は妙齢の女性とはいかぬが、“腹心の”細君同行にて、もちろんわたしの奢りで、“インカメラ”でお洒落な大人の夜を過ごしにいこうと考えている。


最後にこのような素晴らしいお店をご紹介いただいたチャーミングな女性に感謝の言葉を伝え、この稿の筆を置くこととする。






秘宝・“翠玉白菜(すいぎょくはくさい)”を鑑賞、日中関係を想う=特別展「台北 國立故宮博物院 神品至宝」

7月7日(月)七夕の日、東京国立博物館にて開催中の特別展「台北國立故宮博物院−神品至宝−」に駆け付けた。

1・特別展示室のある本館
翠玉白菜が展示される東京国立博物館・本館

というのも、門外不出の素材の美と至高の技が織りなす究極の「神品」“翠玉白菜(すいぎょくはくさい)”2週間限定公開であり、7日がその終了日ということを知ったからである。


4、5日前、知人から台湾旅行の土産として“高山茶”が送られてきた。 “滑り込みで日本への旅立ち前日の白菜を見られました”との謎めいた一文がしたためられた葉書が同封されていた。


「何だこの葉書?」と、戴いた高山茶を喫みながらつぶやくと、家内が「いま東博でやっているハクサイよ」と応じた。


「ハクサイ?」 「博祭(ハクサイ)、東博の祭典?」 「百歳・・・ヒャクサイ?」

ってな、“?(はてな)”が、脳内細胞に張り巡らされた脳神経のネットワークを全速力で駆け巡る・・・


その怪訝な表情のわたしを哀れむかのように家内が語った。

「台湾の故宮博物院の秘宝の特別展が上野の国立博物館で開催されているでしょ。その一番の目玉が“白菜”なの」と。


翡翠で造られた白菜だというではないか。

はぁ? 宝石で何で野菜なんか造るわけ?

訳の分らぬ話の展開に、ようやくネットで検索。写真でその“白菜”なるものをとらえた。

だから・・・なに?とも思ったが、まぁそれだけの秘宝と云うからには百聞は一見に如かずとなった次第。


だが、それが7日までたったの2週間限定の公開だというではないか。あとの展示品は基本的に会期末の9月15日まで見ることが出来るのに・・・。


でも、知人が見た秘宝・“白菜”だけはすぐに台湾へ戻されるのだという。今回、初めて故宮博物院の外へ持ち出されたのだそうで2週間が限度とのことらしい。


その代わりにというのだろうか、10月7日(火)から11月30日(日)まで九州国立博物館に場所を替えて開かれる同特別展において、台湾にある残り一つの三大至宝、瑪瑙(めのう)の肉形石が同じく2週間限定で出展されるのだそうだ(三大至宝:翠玉白菜の他に、肉型石(台北故宮博物院)、清明上河図(北京の故宮博物院所蔵)をいう)。

0・肉形石
三大至宝の肉形石 館内販売所にて購入ポストカードより

そういったことで、二人の予定が何とかついたのが最終日の7月7日に雨の降るなか遠路、上野へと出かけたわけである。


月曜日は東博は休館日であるが、白菜最終日ということで特別展だけは開館というお役所仕事とは思えぬ大サービス。

そのお蔭で、こうやって“白菜”報告が出来たわけである。最近の役所は捨てたものでもないなと少し見直した。


さて博物館の敷地に入ると、雨傘の長い列が見えるではないか。列の最後尾には110分の表示。

2・110分待ちの行列
最後尾から行列を見る

なんと午前10時25分に列んだのにあと約2時間行列のなかに・・・あぁ・・・しかも、雨の中・・・


秘宝鑑賞の最終日なのでこれも仕方がないかと二人とも素直に納得。従順な羊よろしく雨中行軍の一兵士としての心構えを固めた。


だが、これまた最近のお役所仕事は素晴らしい。
雨除けのテントが用意されている。

3・テントに列ぶ人々とNHKのニューススタッフ
テントに列ぶ人々、NHKのニューススタッフが報道

しかも、途中、テントが途切れた際には、急遽、近くの表慶館へ。

4・迂回路の表慶館内
雨を避けるため表慶館のなかに迂回路を

雨に打たれて列ぶわれわれを迂回路を準備した館内へと次々に誘導。その臨機応変、機動力、心遣いにも少々驚いたところである。


ところで、特別展「台北 國立故宮博物院−神品至宝−」は平成館で開催されている。

5・主たる会場・平成館
翠玉白菜を除く展示品は平成館に並ぶ

ただ一点、この秘宝“翠玉白菜”は、あのモナリザとツタンカーメンを展示したのみという本館の特別展示室に飾られていたのである。ますます期待は高まってゆく。


いよいよ、われわれは“翠玉白菜”目指して本館内へ突入。列び出してちょうど一時間であった。

6・翠玉白菜の特別展示室
翠玉白菜を展示する本館内

110分を大幅に短縮した偉業を達成と思ったのも束の間。本館内左手の待合室へと誘導され、そこでクネクネと折り返しの行列。やはりあと1時間は列ぶのかと意気消沈したものだが、そこからは特別展示室の翠玉白菜までは40分弱。

7・特別展示室入口
この特別展示室の奥に翠玉白菜が飾られている

“翠玉白菜”は、半分が白、半分が緑色をしたひとつの翡翠輝石を原石として、その形状や色合いを巧みに生かし彫り出した「俏色(しょうしょく)」と呼ばれる玉器工芸品である。

8・翠玉白菜
三代至宝の”翠玉白菜” 館内販売所にて購入・ポストカードより

目の前にある翠玉白菜は抱いていたイメージよりも小さく、高さ18・7cm、幅9・1cm、厚さ5・07cmの工芸品であった。写真で見ていたし、白菜というのだから円みを帯びた形状をしていると勝手に想像していた。


しかし、ぐるりと一周しながら360度の角度で鑑賞できる。実はこの白菜は横から見ると分厚いかまぼこ板のような形状で、白菜の頭部、緑色の部分には厚みがあるということが分った。


そして、正面から見ると、あら不思議や不思議、あの写真のように見事に円みをおびて見えるではないか。これぞ、造形の妙、匠の神技なのだろう。素晴らしいのひと言である。


学芸員の人に訊ねたところ、本日は非常にゆっくりとこの翠玉白菜(すいぎょくはくさい)を鑑賞できるのだという。昨日までは狭いブースのなかに四重、五重の人の輪ができ、ゆっくり会話しながらの鑑賞などとても無理だったのだそうで、大変、幸せなことであったと感謝したものである。


秘宝を熟視玩味したあと、廊下つづきで平成館へと移動。

9・平成館エントランス
平成館エントランス

故宮博物院の宝物の多数を時間の許す限り、わたしの脚力の続く限り、見て回った。書あり、画あり、青銅器あり、磁器あり、刺繍あり、玉工芸品あり・・・


皇帝のコレクション、西周時代・前9〜前8世紀の“散氏盤(さんしばん)”も、そこに書かれた350の文字に、わが国の縄文時代に既に中国にはこうした文物がと、その歴史の厚み、奥深さには到底敵わないと心底思った。

10・散氏盤
”散氏盤(さんしばん)” 館内販売所購入・ポストカードより

また、これも白と黒の色合いを持つ一つの原石を彫った愛らしい“人と熊”。

11・愛らしい”人と熊”
高さ6、7cmの”人と熊” ポストカード売切れのためポスターを撮影

それを創り出した諧謔(かいぎゃく)溢れる人物も中国人なのだと思うといまの両国の確執はいったい何なのだと思わざるを得なかった。


こうした展示物をじっくり見て回っているうちに、故宮の至宝は何も“白菜”だけではないと、正直、思ったのである。


そして、(所蔵は台湾であるにしても・・・)中国という悠久の歴史を誇る国家はやはり凄い国だと思った。こんなにも豊かな文化を作り上げた国である。豊かな心がいまの中国人のなかにないはずはないとも思った。


お互いの歴史の中に息づくこうした文化の交流からも何とかいまの冷え切った日中関係の雪解けを図っていく道筋を見出して行けたならばと強く感じた一日でもあった。


翠玉白菜は帰国するが、先の“人と熊”もまだある。教科書で覚えた“永楽大典”の実物も間近に見ることが出来る。


ぜひ、中国という国の奥深くに潜む人間の英知に触れるために、東京国立博物館へ足を向けられることを願う。


こうした時代であるからこそ、なおさら必要なことであると思った。




今年もあっという間に・・・“施餓鬼会(せがきえ)”の日が来た

今年も我がお寺の施餓鬼会(せがきえ)が7月6日に行われた。


施餓鬼会を終えた本堂
施餓鬼会の行われる本堂

昨年のブログ(“施餓鬼会(せがきえ)が終わり、梅雨が明け、夏が来た”)を読むと、書き出しは次の如く。

「7月6日はわが家のお寺の“施餓鬼会”です。今年もその日がやって来た。
例年だと“施餓鬼会”は梅雨も真っ盛りの頃となるのだが、今年は関東甲信越の梅雨明け宣言が早々に出た日と重なった。東京の最高気温は33.7度。お寺へ向かう車中で外気温を見たら36度であったから、猛烈な暑さであったことは確かだ」


そう、2013年は7月6日が梅雨明けだったのですね。今年はまだまだ梅雨明けは先になりそうです。


そして、今日の最高気温は27.7度。蒸し暑い1日であったが、昨年よりは6度も低い気温。曇り空ということもあって意識するほどの日差しもなかった。


まぁ、施餓鬼日和?であったといってよい。


そんななか、日曜日ということもあり今年も多くの檀信徒が参列、本堂は立錐の余地もない。あふれた人は外の廻廊にて施餓鬼法要の読経の声を聴く。

まず、法要の前に恒例の法話がなされた。今年は真言宗智山派の大本山である高尾山薬王院修験部修験課課長である戸田令定(れいじょう)氏が講師として招かれていた。


戸田氏は新住職の中学、高校、大学のご学友ということで今年の法話の講師を引き受けられ、頭襟(ときん)を頭部につけ法螺貝を脇に抱えた山伏姿での登場であった。


演題は“山の魅力”。


不殺生戒、不偸盗戒といった仏教の十戒(じっかい)・“戒め”を、日常のなかで守ろうとする心の姿勢が大切であるとの内容。


“やってはならぬ”といっても人は過ちを起こす。仏教の十戒は文字通り“戒(いましめ)”であり、それを破った際の“律”すなわちペナルティはないということである。


“戒め”の“十戒”を頭の隅に留め、日々をおくる心づもりを忘れずに生きなさいということであったと理解した。

手前勝手な解釈であるが、仏教とは、ほんとうに凡人にはありがたい心弱きものにやさしい宗教であると感じたところである。


とくに俗世の垢に塗(まみ)れたわたしには何ともありがたい話にホッと胸をなでおろした次第であった。


そんな法話のあと、施餓鬼会の法要が粛々と執り行われた。

施餓鬼会・住職読経
新住職による施餓鬼会の法要

本堂内に共鳴する十数人の僧侶による読経はいつものことながら美しく、心に響く。


本堂内に設けられた施餓鬼棚は檀信徒の卒塔婆が立て掛けられ、その前で今年住職を退き、長老となられた前住職と息子さんの新住職が並んでお清めを行なう。

長老・住職の施餓鬼棚の浄め

そして、長老が椅子に坐られ経机に積まれた過去帳を一冊一冊、手に取りお香に翳し、頁をめくってゆく。

過去帳をめくる長老

彼岸に逝った一人ひとりの霊に施しを行なっているのである。


施餓鬼とは読んで字の如く、“餓鬼に施し、鳥類に施し、他人に施し”、まさに“情けは人の為ならず”の心なのだと、口のなかで念仏を唱えた。


法会もとどこおりなく終了。檀信徒は卒塔婆をいただき、各自の墓所へそれを立てるため本堂をあとにした。

お墓に卒塔婆を立てる
新しい卒塔婆を立てて、お参りする

つい先日と思った施餓鬼、もう今年の施餓鬼がやってきた。この齢になるとと、年寄り臭いことを言うが、年寄りなのだから許していただきたいが、ほんとうに一年が過ぎるのが速い、速すぎる・・・


来年はどんな速度でやってくるのだろうか。はたまた来年という年は私のうえにもひとしくやってくるのだろうか。そんな考えが脳中に去来した施餓鬼の一日ではあった。



今年もサクランボの季節ですが・・・=須坂市・藤沢農園

今年もおいしいサクランボの季節がやってきた=須坂市・藤沢農園(2012.6.30)

住所:〒382-0005 長野県須坂市新田町2588

fax026-245-8721
藤沢農園パンフレット
藤沢農園のパンフレット

今年もサクランボの季節がやってきた。いつもの長野県須坂市の藤沢農園HPから佐藤錦が届いた。

桃畑
藤沢農園の桃畑

注文の際に今年は少々、出来が悪いとの話だったので大粒のものをお願いしておいたと家内の話。


藤沢農園・藤沢英明さん
藤沢農園を経営する藤沢英明さん

そして届いたのが6月中旬の下の写真であるが、一昨年のものと較べるとやはり色、大きさがかなり異なる。
2014年のさくらんぼ
2014年のさくらんぼ(佐藤錦)
自然相手の激しく変動する気候に振り廻される果樹園農家は本当に大変だと思う。

昨年の“さくらんぼ”の写真はどうも撮っていなかったらしく、経年変化を見ることはできないのが残念だが、2011、2012年の写真があるので掲載しておく。
2011年の佐藤錦   2012年の佐藤錦
左:2011年の佐藤錦            右:2012年の佐藤錦

先日の三鷹市を襲った突然の雹(ひょう)の災禍。流氷が流れるように住宅街の路地を移動してゆく雹の映像。明らかにこの日本、いや、地球の気候は大きく変わってきている。

そんな変化の兆しがサクランボの色艶、大きさにもはっきりと顕れてきているのだと思った。


人間が自己の都合で地球環境を好き勝手にいじくり回したツケはとてつもなく大きなモノとなってしまったようである。


サクランボの季節になると、自省の念がいつも繰り返し湧き上がって来ているようだ。



佐々木蔵ノ介・ハンチョウの蔵元、佐々木酒造に御礼=京都グルメ

6月30日の“鶴瓶の家族に乾杯”で佐々木蔵ノ介が茨城県石岡市の造り酒屋を訪問していた。現在、上映中の超高速参勤交代の舞台となる街道筋の宿場町を訪ねてみたいというのが訪問の契機ということであった。

1・超高速参勤交代
くだらねぇ〜!! でも超!面白かった!!

そこで、佐々木蔵ノ介が実家と同業の造り酒屋を訪ね、蔵の中を見学。蔵主との何気ない会話のなかで日本酒への造詣の深さが何気なく語られ、そうだ、彼の実家、佐々木酒造のアップを忘れていたと、本日、こうして京都の旅の写真フォルダから引っ張り出してここに掲載する次第である。


訪問日は2011年6月13日、TBSドラマ・“ハンチョウ〜神南署安積班〜のシリーズ#4が放映中の最中であった(シリーズ#5から“ハンチョウ〜警視庁安積班〜)。


さて、16世紀頃の京都市街の景観や風俗を描いた“洛中洛外図”という屏風はあまりにも有名である。正確な名前は言えずともその屏風絵を目にすれば、あぁ、この絵かと誰しも頷(うなず)くはずである。


そこで、“洛中洛外”とは一体何を意味するのか?


この佐々木酒造を紹介するには、そこから話を進めてゆかねばならない。
なぜなら、現在、洛中で唯一、酒蔵を営んでいる蔵元が、ほかならぬ佐々木酒造であるからである。

2・佐々木酒造正面
佐々木酒造・正面

豊臣秀吉は“御土居”といわれる土塁で京の町全体をぐるりと囲撓(いにょう)した。そして御土居の内側を洛中、外側を洛外と区分、御土居の数か所に関所を設け洛外から洛中へ入る者を検分したという。

3・北野天満宮・御土居説明板
北野天満宮の御土居案内

その意味でいう洛中は現在の京都市内中心部と比較しても、相当に狭い範囲を指すことが分る。東西が鴨川の西側から北野天満宮辺りまで、南北が京都駅から大宮交通公園へ辺りまでの南北に細長い地域となっている。

4・北野天満宮・御土居の上部 5・蘆山寺墓地内にある”史蹟御土居”
左:北野天満宮の御土居の上部  右:蘆山寺の御土居跡

その狭い、京都のいわゆる中心部で蔵元として日本酒を造り続けているのが、この佐々木酒造一軒ということになる。


余談であるが、今に名前が残る鞍馬口や粟田口、丹波口といった“口”のつく地名は関所のあった名残であるという。


さて、佐々木酒造はここ良質な湧き水が豊かな上京の地で明治26年(1893)に創業、120年の歴史を有する、現在では、先述の洛中における唯一の蔵元・造り酒屋となっている。


いまでは京都のお酒といえば“伏見”と相場が決まっているが、室町時代中期にはこの洛中の地下水の良い処に300軒を超える蔵元が建っていた(佐々木酒造について・佐々木晃社長)のだそうで、京都の造り酒屋の起源は洛中にあったということである。


その由緒正しき場所・洛中に残るただ一つの蔵元“佐々木酒造”は二条城の北側にあり、当日は千本釈迦堂へお参りする途中にお寄りしたという次第。


丸太町通を日暮通へ上がると、茶色の杉玉が店頭に下がる懐かしい商店造りの二階建ての佐々木酒造が見える。

6・佐々木酒造
佐々木酒造

店舗の脇、手前に日本酒を造る大きな蔵が併設されている。この時代、よくぞ京都のど真ん中に造り酒屋の蔵が現存しているなと感心したというより、ちょっとした感動を覚えたのを思い出した。

洛中唯一の蔵元・佐々木酒造
右手が店舗入口

早速、店内に入る。こじんまりしたお店である。入って正面に“ハンチョウ”のポスターが貼ってあった。

7・ハンチョウのポスターが貼られた店内

右手コーナーに佐々木酒造の代表銘柄の“古都”をはじめ純米大吟醸の“聚楽第”など豊富な銘柄が取り揃えられていた。

8・たくさんの銘柄があります

その “古都”のラベルの文字は、同名の小説を物し、「この酒の風味こそ京都の味」と愛飲された川端康成の揮毫によるものである。


そうした古都京都に所縁のある佐々木酒造のお酒を、旅先でもあり、荷物にあまりならないようにと夏季限定のセットと放映中のみの限定販売の“ハンチョウ”を購入した。


そして帰京後、早速、封を開け、以下の銘柄をおいしくいただいたというわけである。


特別純米・“西陣”と蔵出し原酒・“呑切り”である。

9・特別純米酒”西陣”     蔵出原酒”古都”の”呑切り”

シュワーっと爽やかな純米吟醸原酒の“夏方(なつざま)”

10・”古都”の純米吟醸・生貯蔵酒”夏方(なつざま)”

そして、娘が大ファンのTVドラマ“ハンチョウ〜警視庁安積班〜”に因んだ特別純米酒“ハンチョウ”である。

11・神南署安積班の刻印のある”ハンチョウ”

帰ってから判ったのだが、この銘柄は“ハンチョウ”が放映されている期間だけの限定販売で超レアものであったといってよい。


そんなことはもちろん知らずに訪ねたのだが、娘への土産といってもお酒を嗜むわけではないが、土産話にと思い買って帰った。


案の定、娘には大うけに受けて、早く飲んで頂戴と日頃にない“飲酒慫慂令”が出されて700mlの中瓶はあっという間に空瓶と化したのである。


そして、その空き瓶はきれいに洗浄され、現在、娘の机の上に麗麗しく鎮座している。

12・佐々木酒造”ハンチョウ”

グループホームの生活が楽し過ぎてなかなかこちらへ帰って来てくれない娘に、実家の良さを再認識させるに当り多大な貢献を戴いている佐々木酒造さんにこの場をお借りして御礼申し上げて、この稿を閉じることとする。



最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

月別アーカイブ
記事検索
livedoor プロフィール
livedoor動画検索
本ブログパーツの提供を終了しました
NAVERまとめ
「NAVERまとめ」ブログパーツは、サービスを終了しました。
  • ライブドアブログ