彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

May 2014

日本の菓子のルーツ“清浄歓喜団”を“亀屋清永”で求めた=旅人の見た京都のお菓子

東山区祇園町南側534  ☎ 075−561−2181


”亀屋清永”は四条通りが八坂神社へ突き当たる祇園の三叉路を右折、70mほどいった東大路通り沿いにある。

亀屋清永店構え

“亀屋清永”は、わたしが最近、順次、訪ね歩いている“和生菓子特殊銘柄品18品(*)”のひとつ、“清浄歓喜団”という唐菓子(からくだもの)を製造販売する創業が元和三年(1617)という400年もの歴史を有する京菓子司である。


亀屋清永・暖簾

 

   和生菓子特殊銘柄品は、戦時中に物資統制され菓子の製造が難しくなった時に京都府が伝統菓子の保護のために昭和17年12月に選定した18品目の京都の菓子である。


“清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)”とは、これまたお菓子の名前としては奇妙奇天烈なものであるが、この菓子こそ日本の菓子のルーツだと知ってさらに驚いた。

菓子のルーツ
菓子のルーツ、唐菓子・清浄歓喜団

“清浄歓喜団”は、奈良時代、仏教の伝来とともに遣唐使により8種の唐菓子(からくだもの)と14種の果餅(かへい)がその製法と合わせ伝えられたが、その唐菓子8種のうちのひとつである。

亀屋清永・清浄歓喜団の由来

これら唐菓子は天台宗や真言宗など密教のお供え物として仏教寺院にその製造方法が長い間秘法として継承されてきた。


“亀屋清永”には、唐菓子のひとつである“清浄歓喜団”を作る秘法が江戸時代初期に比叡山の阿闍梨から伝授されたことが伝えられている。


“清浄歓喜団”は、漉し餡に「清め」の意味を持つ白檀、竜脳、桂皮末など七種の香を練り込み米粉、小麦粉で作った生地を金袋型に包み純正の胡麻油で20分、揚げて作った菓子である。

清浄歓喜団

伝来当時は中身は栗、柿、あんず等木の実をかんぞう、あまづら等の薬草で味付けしていたものが、江戸中期以降、小豆餡を用いるようになったという。

中身は餡子

餡に代わってからでも300余年が経過しているというとんでもない菓子なのである。


食べる前にちょっと焼いてから口にすると、包んだ皮が少し柔らかくなり食べやすい。味は何せ白檀などの高価なお香が練り込まれており、高級料亭で戴いているような、そんな贅沢な気分にさせられる。

清浄歓喜団五個入箱
五個入りの箱

五個入りで2600円だから決して安くはない。わたしも心して戴いたところである。

唐菓子です

そして、この“清浄歓喜団”の八葉の蓮華をあらわす八つの結びや金袋になぞらえた形状は、1300余年前の唐菓子の姿を忠実に保っているのだという。

清浄歓喜団の八つの結び目は蓮華の八葉
八つの結び目が蓮華をあらわす

また亀屋清永には“清浄歓喜団”のほかに、遣唐使が伝えた果餅(かへい)14種類のひとつである“餢飳(ぶと)”も伝わっており、神社の祭礼に供えられる神饌菓として現在も使用されている。

亀屋清永の果餅・餢飳(ぶと)

店内には、そうした神社仏閣のご用達所としての当店の歴史を物語るように、至近の八坂神社はもとより、延暦寺、下鴨(賀茂御祖)神社、金戒光明寺、南禅寺、清水寺などなど錚々たる大寺院、神社のご用達先の木札が掲げられている。

多くの神社仏閣ご用達
錚々たる寺社・仏閣の木札が並んでいる

その証でもあるまいが、店内には第253代天台座主・山田恵諦(えてい)氏の揮毫になる“清浄歓喜団”の扁額がさり気なく掲げられている。

第253代天台座主山田恵諦揮毫

そうした由緒正しい亀屋清永であるが、店内のスペースは狭く、ショーケース脇の板戸の奥が製造場所となっている。

ショーケース
ショーケース

その店の造りは華美に走ることもなく質素倹約の商売のあり方を頑なに守って来ているようで、1300有余年、唐菓子と果餅の形状を忠実に守り続けてきた“亀屋清永”の哲学が店舗の姿にも色濃く反映しているように思えた。

板戸の向こうで菓子製造
この板戸の奥が菓子の製造所

その狭い店内にちょっとした縁台が置かれている。“清浄歓喜団”を包装する間に、われわれ夫婦は喉を潤す冷茶と栗餡の“栗くり”という愛らしい名前の一口サイズの焼菓子でもてなしを受けた。何だかひとつひとつが有り難いと感じる不思議なお店であった。


今回は“清浄歓喜団”のみを求めたが、次回は“餢飳(ぶと)”にも挑戦したいと考えている。




聖地・“てら川”に根づいてきた“割烹まつおか”=京都グルメ

初々しさの匂い立つ、京都・“割烹まつおか”に初見参=京都グルメ(2012.10.7)
味と妙技と人の出逢いを演出する・割烹“まつおか” =京都の“割烹まつおか(2013.9.20)


開業二周年をひと月前に迎えた五月、“割烹まつおか”を訪れた。

割烹まつおか

今年は13日に、湖東三山の秘仏巡りをしてから京都のホテルでシャワーを浴びてお店へ向かうので、予約は当初、午後9時としていた。“割烹まつおか”の利点のひとつに、午後10時以降でもお店へ入れるということがある。

当日のようにちょっと寄り道をして京都へ入り、夕食が遅めになるときには、旅行者にとってこうした京料理のお店があるのはとても便利である。

和室から入口を
奥の和室前から入口を見る

本当の馴染になれば色々と無理のきくお店も当然あるのだろうが、旅人風情ではそうした我が儘はききにくい。

その意味で、“まつおか”は遊ぶの大好き人間にとっては必要不可欠な京の割烹なのである。


割烹まつおかのお蔭で、もう一生見ることのできぬ湖東三山の秘仏三体を一挙に見たうえに、こうしておいしい料理にありつけたのである。
予定より早めに京都へ到着できたので、まつおかへは八時過ぎには到着。

まず、八寸がだされる。

八寸

そして、当夜は、松岡君の心づくしで私たちの好物である今年の初物を二品いただいた。

ひとつ目が岩ガキである。もちろん、おいしいのは当然である。

岩ガキ

次に、私が来るというので、まだ日本産は早いのでといって、韓国産でいいのが出ていたので用意したと、今年初の鱧の炙りを食した。

鱧を炙る松岡店主

目の前で炙ってくれる鱧を二倍酢でさらりと食べる。

鱧 鱧の炙り

おいしい。今年も夏が来た・・・と、脳内細胞が蠢いてくるのが分る。


この日、わたしの左横に若い男性が一人坐っていた。

和室への通路からカウンターを
和室への通路からカウンターを

昨年の九月に松本市のお嬢さんと知り合いになったのがこの“まつおか”である。

その時の様子を「味と妙技と人の出逢いを演出する・割烹まつおかというタイトルでアップしたのだが、今年はどんな出逢いが待っている?


そして、カウンター内で調理の手伝いをする木村有紗(ありさ)さんと控えめに言葉を交わしていた若者たちの間に、またまたこのお節介おじさんが割り込んでしまった。

木村有紗(ありさ)さん
がんばる”ありさ”さん

家内は横でまた始まったと、我関せずに次の料理を物色している。


男性は梅津君と言い、現在、かの瓢亭で修業中だとのこと。ありささんとは、京都の調理学校での同期生であるという。


そして、ビックリしたのが、ありささんがこの”まつおか”で働いていることをわたしのブログの写真で知り、連絡を取って、当日、初めて来店したのだというではないか。


わたしもその偶然に驚いたが、梅津君もえぇ〜ということで、三人で盛り上がってしまいました。

家内は横でその間、松岡君とお喋りしながらしっかりと料理を口へ運んでいた様子。


それから鰹のいいのが入っているので、タタキでどうかというので、それを注文。

かつおのたたき

翌日は別段、用もないのでニンニクも多めにいただく。これも身がしっかりとしていてさすがにおいしい。

当日のお酒は桃の滴の冷酒。伏見の松本酒造の酒である。舌に柔らかく、口触りのよい日本酒である。

桃の滴の冷酒

それからカワハギだったか、白身の魚のお造り。思った以上に肉厚で歯ごたえがしっかりとしていて、美味である。

カワハギのお造り

あとで、皮と背骨だったか揚げ物ででてきたが、これもカリッとして、なかなかよい。

揚げ物

天婦羅大好きの家内が、何か揚げてくれますって注文した”芝エビ”の天婦羅を半分、つまみ食い。いやぁ、これも、絶妙。

芝エビの天ぷら

ここらで、わたしもだいぶお腹がいっぱいになってきた。煮物でちょっとしたものはと訊くと、蛸の柔らか煮はどうかというので、それを頼む。

蛸の柔らか煮

またこれが優しい味付けで、もちろんふんわりと至極柔らかいのである。


家内はウニのおいしいのが入っているときき、これをいただこうということになった。どうして食べたらおいしいかと相談の上、結局、白いご飯の上に生うにをぶっかけた所謂、あまちゃん・うに丼が一番いいんじゃない?と、わたしが無粋なアドバイス。

洲本のうに丼

松岡君の調理の腕を封じ込めたようで、今になって少々反省をしているが、家内曰く、”とてもおいしかった”とのコメントで、結果良ければ全てよしなのかなと思い直しているところである。


こうして葵祭社頭の儀の前々夜も、賑々しく更けていったのであります。


”割烹まつおか”も、まる二年を過ぎ、三年目に入った。開店当初はやはり仕事の流れもスムースさに欠けていたが、昨年九月にはそれぞれ店の人間の持ち場、役割も収まる所に収まる落ち着きをみせていた。


そして二周年を迎えた今年は、あきらかに”まつおか”に変化が見えた。

店主の松岡氏をはじめそれぞれが、どっしりとこの聖地・てら川の跡地に根を張ったように、仕事をこなしているのである。

主人が板についてきた松岡氏

最初は新装なったこのお店にちょっと浮いたように見えた松岡氏も、堂々たる店主の趣きを見せ、その安定感を支えに店の者も手際よく仕事を進めてゆく。


カウンター越しの会話も店主の松岡氏に倣い、ありささん、也子(なりこ)さんも上手に話をつないでゆく。


松岡氏はじめみなさん、お若い方々である。それでもなのか、だからこそなのか、しっかりと地に足をつけた仕事ぶりが徐々に際立ってきており、これからますます楽しみな応援し甲斐のあるお店となってきた。


それと最後になったが、当夜、知り合った梅津さんの今後の修行の更なる実りを願って、またの機会の出逢いを楽しみにすることにする。


松岡君のいつものおもてなしに感謝である。




さぁ、行こう昭和記念公園・シャーレーポピーの花がいま盛り!!

5月18日の日曜日、久しぶりにグループホームから帰ってきた娘と一緒に、いま盛りだというポピーを見に立川の昭和記念公園を訪れた。

シャーレーポピー

いま、ポピーが見ごろだと家内がいうので、出不精のわたしと娘に、「お天気もいいし、その下で食べるソフトクリームはおいしいわよ」との、まさに甘言につられて、三人で出かけた。


立川口から入場したが、ここからの景色はいつも素晴らしい。

立川口カナール

カナールといって、英語のCANALは運河を意味するが、造園用語では“静水をたたえた水路のことだそうで、ヨーロッパの整形庭園で大いに発達し、フランスのヴェルサイユ宮苑の十字形のグラン・カナールが有名”とのこと。


そこを過ぎて広々とした“みんなの原っぱ”へ向かうと、その入口付近で、“第10回ドッグランフェスタ”が催されていた。

第10回ドッグランフェスタが開催されていました

たくさんの大人たちが芝生の上でご自慢の愛犬と戯れる姿につい笑みがこぼれた。


その“みんなの原っぱ”の西側・“原っぱ西花畑”には、5月上旬まで見頃と案内されていた“アイスランドポピー”がまだたくさん花を咲かせていた。

ポピー、ポピー、ポピー

黄色、オレンジ、白といった色とりどりポピーが一面に咲く様は見事である。

ポピーの花

オレンジのポピーが生き生きとしていた。きれいである。

ポピー、気持ちよさそう・・・

青い空の下に色鮮やかな花の絨毯を無造作に広げているようで、とても贅沢な気分になった。


原っぱを斜めに横切り、もう一つのポピーの花壇・花の丘へ向かう。

原っぱで思い思いに楽しむ人々

膝に優しい芝生の上を歩きながら四方に目をやると、家族連れや若い仲間たちが思い思いに、五月晴れの休日を楽しんでいた。

みんなの原っぱでは凧揚げ

凧揚げに興じる家族も数組いたが、広大な原っぱである。糸が交錯し、こんがらがるような光景は見当たらない。なんとも気持ちのよい景色である。


そして、お目当てのシャーレーポピーが咲き誇っている花の丘へ到着。

シャーレーポピー

丘の斜面一面に真っ赤なシャーレーポピーが敷き詰められるようにして、満開の花を見せている。

青い空に赤いポピー。

丘一面にシャーレーポピー

道沿いの人々はそこここで記念写真や芸術写真を撮ることに余念がない。

真っ赤な花の丘

花の丘に植わるポピーの間に細い道が設けられているが、そこを歩く人々は花の海をかき分けて泳いでいるようにも見えた。


こちらも、ちょっとアーティスティックな写真を・・・

シャーレーポピーの丘です

まぁ、周り中、即席玄人カメラマンだらけなのであります・・・


やや強い日差しの当日、5月の風がとてもさわやかで気持ちがよく、思いっきり背伸びをし、空を見上げる。新緑と青い空。わたしの大好きな景色である。

お天気最高でした

それから“こもれびの丘”の樹林の細い径をそぞろ歩いて、休憩所へ向かう。お約束のソフトクリームのお時間が来ていたのです。

木漏れ日の径

娘に「ソフトへ突撃だ〜」と声をかけると、それまでのトボトボとした歩調に活気が戻ったようで、木漏れ日が落ちる径をしっかりとした歩幅で踏みしめ始めたのだから、ソフトクリーム!怖るべしである。

木漏れ日の丘を歩く

“こもれびの丘”を抜けたところの“森の家”で、わたしは懐かしいきゅっと冷えたラムネを、ダイエットにいそしむ娘は念願のソフトを家内とシェアしていただきました。


そして、軟弱二人組は、ここから立川口まで歩いて戻るのは苦しいと山ガールもどきの家内に嘆願し、園内を走る”パークトレイン”に乗せていただきました。

園内を走るパークトレイン

出口まで5月のそよ風に頬をなぶらせながら、気持ちよくこのポピーを愛でるプチ・ハイキングを終えることが出来たのであります。

そんなこんなで、5月の休日、安上がりで贅沢な時間を過ごしました。













大勢の人出でにぎわう“春のバラフェスタ・神代植物公園”

5月25日の日曜日、天気は晴れといっても雲の多い、青空が見えぬ一日であった。運動不足解消に神代植物公園で開かれている“春のバラフェスタ”へ連れていかれた。

神代植物園

もちろん、深大寺蕎麦で昼食をとるのを条件に、花が大好きな家内に同意したのである。

神代植物公園は初めて訪れるのだが、てっきり、大きな温室が並んでいて、その中を中心に歩くのかと思ったら、さはありなん。

薔薇の園

要は花をいたるところに植えている公園である。

園内の中心にフランス式庭園のような場所があり、そこで、バラフェスタなるものが催されていた。

会場入口付近から一望すると、バラの数より人間の数が多い・・・

2014バラフェスティバル

びっくりするような人出である。

バラを撮る人たち

日本人というのは梅が終われば桜、そして菖蒲にアヤメ、それからツツジ・・・、それからバラと、本当に花を愛でるのが好きな国民なのだと、今日は、つくづく、確信したところである。

薔薇らしい薔薇

そこで、みなさまにも、美しいバラの数々、写真で楽しんでいただきたい。

薔薇の競演

素人のわたしが薔薇らしい薔薇だと勝手に決めつけている花を選んで、ここに掲載した。

ばら

いろいろ、ご意見もご不満もあろうかとは思うが、美しい一輪のバラに免じて、ご寛恕願いたいと存じます。

黄色いバラ

この神代植物公園の“春のバラフェスタ”は次の日曜日の6月1日までである。









京都の女の子に大人気の京洋菓子司・“ジュヴァンセル 祇園店”=旅人の見た京都のお菓子

東山区八坂鳥居前南入る ☎ 075−551−1511


八坂神社へお参りしたついでに、家内がちりめん山椒の“やよい”でちょっと買い物したいというので、南楼門を抜けて料亭旅館“畑中”やイタリアンの名店“キメラ”の前を過ぎ、一路、“やよい”へ向かった。


白い服の女性が入ろうとしている処がジュヴァンセル
”やよい”から八坂神社南楼門を見る


その“やよい”の3軒手前あたりに何故だか若い女の子たちがたむろしていた。

京うつわ”京ばん”の隣りの細い通路が入口
この角に女の子たちがたむろしていた。このお店は”京うつわの京ばん”
家内と何だろうねと喋りながら、“やよい”に入り、定番の“ちりめん山椒・おじゃこ”と季節限定の“山蕗ちりめん”を求めた。
ちりめん山椒の”やよい”
ちりめん山椒の”やよい”

そして、店内に置かれた縁台で冷茶をいただき、八坂神社、円山公園の散策で渇いた喉を潤し、外へ出る。

冷茶で喉を潤す

先ほどの女性たちの姿は消えていたが、その前へ来ると、路上にメニュー台があった。

暖簾の外にメニューがあります

二人で覗き込むと、要はスィーツ処である。ビルのなかに石敷きの細い通路が続いているのが見える。

突当り右手のエレベーターで二階へ

その入り口には浅葱色の“京洋菓子司 ジュヴァンセル”との暖簾がかかっていた。


メニューを覗き込んでいる間にも、若い女の子が横をすり抜け薄暗い細道へ入ってゆく。


二人して“うん?” “先ほどの女性軍はこの中へ入り込んだってこと?” 目を合わせると暗黙の了解である。われわれも勇躍、細道へ跳び込んだ。


突当りエレベーターにジュヴァンセルの案内が貼ってある。

エレベーターに貼られた案内

二階でドアーが開くと、“ジュヴァンセル”の店内といってよい。女の子たちのお喋りが聴こえて来る。


店内奥にテーブル席があったが、若い子たちばかりなので、気恥ずかしくてすぐ目をそらし、ショーケースを覗き込む。

店内ショーケース

どうも、老夫婦が来るには、少々照れくさいお店である。そこで、ここの評判の菓子であるという“竹取物語”を購入した。


家内が精算している間にも若い子たちが入店、順番待ちをするといった状況。

BlogPaint

いやはや、開店後、まだ13分しか経っていないのにこの盛況である。京都の女の子に人気のお店であることは確からしい。


帰京後、箱に入った竹取物語を取り出す。

”竹取物語”は箱入り娘です 竹の皮で包まれています

竹の皮に包まれているケーキである。名前の由縁であろう。

竹の皮をむくと大粒の和栗やつやつやした黒豆が“これでもか”といった体でトッピングされているケーキが出現。

竹皮に包まれた竹取物語

早速に、切り分けた竹取物語がお皿に載せられてきた。

大粒の和栗と黒豆がトッピングされている”竹取物語”

口に放り込むとふくよかな和栗の味と黒豆の甘さにほんのりとラム酒の香が混ざって、なかなか上質の味に仕上がっている。


これは、今後も京都の土産に使えると、まずは自分の食欲を満たすために、“オイシイ”、“オイシイ”と、二切れ目についフォークを伸ばしてしまったわたしであった。


そして、“ジュヴァンセル”が京都の女の子に人気があったのは、購入した竹取物語がお目当てではなく、“祇園フォンデュ”という代物だということが後でわかった。


季節のフルーツやお団子、パウンドケーキをとろりとろけた抹茶チョコレートソースにつけていただく人気メニューなのだそうだ。


そして、つけ終わって残った抹茶チョコレートにはホットミルクを注いでくれるそうで、チョコレートソースを少し残しておくのが、この祇園フォンデュを食べる時の極意なんだとか。なるほど今どきの女の子たちの情報網は怖るべしと感じた次第である。





京都国立博物館・“南山城の古寺巡礼展”は必見、6月15日まで

前日の湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)の秘仏本尊御開帳を巡ったあと、京都国立博物館で4月22日から6月15日まで開催されている“南山城の古寺巡礼・祈りと癒しの地”展を拝観した。

南山城古寺巡礼・禅定寺の重文十一面観音立像
禅定寺蔵 重文・十一面観音立像

どちらも貴重な機会であり、時間がある方はぜひご覧になられたらよい。ちなみに湖東三山の秘仏公開は6月1日までである。

百済寺石碑

南山城は京都府の南部、木津川流域の辺りを指す旧国名である。その地は古代から水運に利用された交通の大動脈であったため、縄文時代よりたくさんの人々が住みついた場所であった。

京博入口

その証拠に縄文遺跡や古墳時代前期の椿井大塚山古墳など多くの考古学的な遺跡が残されている。


また、奈良時代の740年に聖武天皇の勅によりこの南山城の地(現在の木津川市賀茂地区)に遷都が行われた。いわゆる恭仁(くに)京であるが、この地に都があったのはわずか2年の短期間であるが、その後も平安、鎌倉と仏教寺が、多数、創建されており、現代に多くの文化財を伝えている。

京都国立博物館

南山城は“古仏の宝庫”なのだという。それも十一面観音信仰が色濃く残る古寺の集積地だと説明された。


一堂に集められた南山城の主な古寺は以下の通りである。


相楽郡笠置町     笠置寺

木津川市加茂町   海住山(かいじゅうせん)寺・浄瑠璃寺・岩船(がんせん)寺・現光寺

木津川市山城町    蟹満(かにまん)寺・神童(じんどう)寺

京田辺市         観音寺・寿宝(じゅほう)寺・酬恩(しゅうおう)庵(一休寺)

綴喜郡宇治田原町   禅定寺


南山城古寺巡礼では、そうした古仏のほかに、京都国立博物館の今回の文化財調査を通じて初めて明らかにされた仏像・工芸品・書跡・絵画なども併せて展示されており、仏教美術に深い関心のおありになる方は必見である。

大御堂観音寺・国宝十一面観音立像
観音寺・国宝十一面観音立像(京博・販売写真)

交通が不便な南山城にある一寺、一寺を訪ね歩くと大変な時間と労力がかかるのを、今回は京都国立博物館へ足を運びさえすれば、そのすばらしい古仏が一堂に会し、われわれを待っていてくれる。


わたしたちは約3時間かけて美しい仏像や貴重な仏宝を堪能した。これほどの文化財をわずか3時間で見ることが出来たのである。


そして、「なかでもとくに気に入ったのが、観音寺の国宝・十一面観音立像である。天平時代を代表する美しい仏様である。」と、当初、このブログに記載したが、南山城の巡礼を実際になさっておられる”まさこ”様から、ご指摘があり、今回、この観音様は出展されていませんでした。

赤面の至りですが、その誤解の弁明はコメントの返信で詳述しましたが、次は実際に京田辺市普賢寺下にある観音寺へ参拝し、直接この美しい観音様にお目にかかってこようと思います。

ということでございまして、出展されていない仏様にも場合によっては、お目に掛かれるこの
“南山城の古寺巡礼展”は6月15日まで、あとわずかである。






葵祭の夜、“御料理はやし”で本物の“京都”に酔う=京都グルメ

上京区河原町通り今出川下る梶井町448−611  ☎075−213−4409


5月15日、下鴨神社で葵祭の社頭の儀に参列し、あたかも源氏物語の世界に身をゆだねる夢のような時間を過ごしたあと、夜を“御料理はやし”でいただいた。

御料理はやし
御料理はやしの玄関


“御料理はやし”は“京”を供するお店である。


1400余年受け継がれてきた葵祭の社頭の儀の〆は、やはり、千年の都の“京”でなければならぬと考えたのである。


“御料理はやし”は、二年まえに初めて伺い、京料理とはこういうものなのだということを教えられたお店である。


その時、ご主人の林亘氏と常連客との打ち解けた会話に加えていただき、料理はもちろん興味深い含蓄のある話にも満足し、後日の再来を期して“御料理はやし”を後にしたのである。


此の度は家内を初めて“御料理はやし”へ招待した。


お店にタクシーをつけると、前回同様に間髪入れずにお迎えの女性が門外まで出てこられる。


靴を脱ぎ、7人掛けの畳敷きのカウンター席へ案内される。足を掘りごたつ式に畳の縁から落とし込む形である。そして、各々に脇息が用意されている。


カウンターにお客が七名のみの小さな部屋である。カウンターの向こうには碁盤を二つ合わせたくらいの厚さ一尺を越える、まな板と呼ぶのがはばかられるほどの、上檜の“俎板”が二客。


ご主人が向って左のまな板を前に立つ。背筋の伸びた凛とした立ち姿である。


その後背には掛花入に活けられた一輪の白い花。清々しいほどのお席である。


この雰囲気はどこかの茶室でお薄を一服いただくような、そんな気がしてくるのである。言うなれば、私たちの前に立つご主人は茶会を催される“亭主”である。


そして、当夜の“正客”はカウンター左詰めに坐られた常連の大学の先生。

右端の“お詰め”の席には常連であろうご婦人がお二人。

カウンター席の真ん中に位置するわれわれ夫婦は、さしずめ“お詰め”に近い席に坐る素人に近い“相客”というところであろうか。


さらに、お客と亭主の会話に絶妙の合いの手を入れてくるお嬢さんが、まさに“半東”としての役回りを見事に果たされている。


そんなお席である。お茶会で写真を撮るほど私も野暮でない。だからこうして、“御料理はやし”の雰囲気を言葉で伝えようとしているのである。


御料理は着席と同時に紫蘇入りの白湯が供され、淡い緑色のうすい豆の豆腐造り、食前酒の梅酒、琵琶湖の稚鮎の素揚げなど八寸、イカ・鮪・白身のお造り、あぶらめ(あいなめ)の椀、真丈の蒸し物、こしあぶら等天ぷら、酢の物・しめ鯖、焼き魚・・・、ご飯・・・、菓子が柚子入りシャーベットで終了。


“御料理はやし”の料理は、旬の食材がそもそも持っている色香をおもてに引き出すために最低限の味付けがなされ、盛り付けは大仰ではなくきわめて控え目な佇まいで供される。


当店はいろんな方が書いておられるが、お客の方から訊ねない限り、お料理の説明はない。“御料理はやし”を訪なうお客はそうした料理がよく分かっておられるというご主人の考えである。これは“御料理はやし”というお店の哲学といってよい。


だが、そうは言っても判らぬものは素直に訊ねればよい。その際には、亭主から丁寧に説明があるし、さらに料理に対する興味深い話をいろいろとしていただける。


前述の料理で“焼き魚”なんて無粋に書いたのは、別に当夜、見栄を張って訊かなかったのではない。


焼き物が供される時間帯に入るころには、懐石料理に舌鼓を打つのは勿論だが、正客と亭主の長年にわたる交誼のにじみ出る談話は温かく、つい、こちらもその湯加減のよさに口を挟んだりして、脳内が忙しくなっていたためである。


また、ご主人とお嬢さんの“コメダ珈琲のモーニング”話の掛け合いは、ユーモアとウイットに溢れ、笑いが止まらなかった。


客を前にしてのこの企(たくら)まざる話術、親娘の会話が醸す藹々の団欒の場面は、見様によっては老練な剣客の立会いを目の当たりにしているようでもあり、爽快感とでもいおうか、ある種の至芸を見せられているような感覚にとらわれたものである。


このようにして葵祭りの夜は、“本物の京都”のおもてなしで過ごすことができたのである。そして、最後の極め付けが、正客たる先生が作られた “春蘭の塩漬け”による春蘭茶をいただけたことである。

 

年一回、先生が“はやし”にお持ちになるという。この日がたまたま、年一回のその日であったのだが、慶事などで“御料理はやし”では大切に一年かけて使っているという、その貴重な“春蘭茶”を、“和敬清寂”のおもてなしの最後にいただけたことは、“一期一会”を旨とするわが夫婦にとって、まさに最良の一夜であったと心から感謝する次第である。



餡子好きには堪らぬ、甘泉堂の“とりどりもなか”=旅人の見た京都のお菓子

東山区祇園東富永町 ☎ 075−561−2133

10:00−22:00・定休日 日曜日


春は花、夏は涼みに秋紅葉、冬は雪見ととりどりに四切れに分けて色も香も、たがえて忍ばす巧みのあんばい、先ず一切れを召しませば、いとし由縁の京情緒、舌に床しく風味する、そそる味覚に二切三切ついつい手を出すとりどり最中・・・

甘泉堂主人挨拶

と、主人の口上がつづく甘泉堂は、細い路地の奥にある。

細い路地に入ります
この細い路地の奥、左手に甘泉堂はある

四条通りと花見小路角の“よ−じや”の隣りの“京都現代美術館”横の路地を北側に入ってゆく。

京都現代美術館脇の路地を入る
表のこの甘泉堂の看板が目印

目印はその路地入口に掲げられる“京菓子司 甘泉堂”の看板である。

左手に甘泉堂の看板
左手に甘泉堂の縦看板

店構えはいたってこじんまり。

甘泉堂の店構え

店内正面に京都出身の文人画家・富岡鉄斎揮毫の味わい深い書・“甘泉堂”の扁額が素っ気なく掛けられている。

富岡鉄斎揮毫の扁額

そこに130年におよぶ当店の歴史が見て取れるが、雰囲気は老舗の京菓子司というより、下町のご近所にある肩の凝らぬ菓子屋といった風情である。

甘泉堂店内
飾らぬ店内

店内に入ってもよいのだろうが、硝子戸が開けられており、道ばたからショーケース越しに注文するというこれまた庶民的で威張っておらぬところが好ましい。

”とりどりもなか”の見本が置かれたショーケース

ショーケースには“とりどりもなか”の餡の説明がなされた見本も、まぁ、飾り気なく置かれている。

季節限定の水ようかんも  おいしそうな菓子が・・・

また、季節限定の“水ようかん”もあった。次のお客さんは、これを所望しておりました。

今回、お目当ての“とりどりもなか”は、物資困窮の戦時下の昭和17年、京菓子作りの伝統を後世に残さんと時の京都府が砂糖などを特別配給、保護した和菓子特殊銘柄18品のひとつで、川端道喜の“ちまき”や亀末廣の“竹裡(ちくり)”などと並ぶまことに由緒正しき御菓子なのである。


その“とりどりもなか”は注文してから餡を詰めてくれるので、手にするのに少々時間がかかる。皮のパリッとした食感を壊さぬための手間なのだという。


といっても、二個頼んでほんの2、3分程度の時間でしたが・・・。

ただ、この短い待ち時間が、温かな手作り感を顧客に伝えてくれる重要な要素であるとのちに思いついた。


帰京後、早速、“とりどりもなか”をいただく。

箱の中、こんな紙袋に入っています
紙箱のなか、紙袋に入っていました

直径14cmほどの大きな最中です。

直径14cmほどの大きい最中

その最中が島津藩の家紋・丸十のように最中の皮に溝が刻まれ、四つに仕切られている。時計回りに右上から春・夏・秋・冬の意匠が焼き付けられている。

四切れに分割
四つに分けます

その四つの仕切り毎に、甘泉堂主人の「ここ許参らするとりどり最中をご覧じませ一つが四季の味がする・・・」との挨拶にあるように、春の大納言粒餡(小豆・砂糖・寒天)、夏の緑色の柚餡(手芒(テボ)豆・砂糖・寒天・柚子)。

春の大納言粒餡 夏の緑色の柚子餡
左:春の大納言粒餡             右:夏の緑色柚餡
秋の小豆漉し餡(小豆・砂糖・寒天)、冬の白インゲンの斗六漉し餡(手芒豆・砂糖・寒天)と四種類の餡が一つの最中で楽しめる。
秋の小豆漉し餡 冬の白隠元の漉し餡
左:秋の小豆漉し餡           右:冬の白隠元の斗六漉し餡


アンコ大好き族には堪らぬ菓子である。それも・・・大きくて・・・食べ応えがある・・・


それでは、店主に代わり、甘泉堂の“とりどりもなか”、
「豊かな味も伝来の暖簾にかけし最中の家元 先づは召しませ、試しませ」

京都祇園を訪れた際には京都の路地(ろーじ)に足を踏み入れて、甘泉堂の“とりどりもなか”を是非ともご賞味あれ。


2014年京都・葵祭の“社頭の儀”に参列する

(当ブログ・「彦左の正眼」内の一切の写真・記事等の転用を禁じます)

2014年5月15日午前11時40分から下鴨神社の“社頭の儀”に参列した。

斎王代の参進


葵祭は賀茂御祖神社(かもみおや・下鴨神社)賀茂別雷神社(かもわけいかづち・上賀茂神社)で5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に執り行われる例祭であり、1400余年もの歴史を有する。


葵祭といえば、あでやかな十二単をまとい、腰輿(およよ)に載った斎王代の行列の様子が有名であるが、それは祭儀のなかで“路頭の儀”という儀式の一部分ということだそうだ。今回、知人のご厚誼により“社頭の儀”への参列が叶ったが、葵祭の祭儀が“宮中の儀”、“路頭の儀”、“社頭の儀”の三つで構成されていることを初めて知った次第である。


10時半に京都御所を進発した行列は、近衛使代(勅使代)を中心とした本列と斎王代に従う斎王代列に分かれて最初の目的地・下鴨神社へ向けて都大路を進む。


その規模は総勢500余名、馬36匹、牛4頭、牛車2台におよび行列の長さは1km、最終目的地・上賀茂神社までの総行程は8kmにおよぶ。

京都御苑の玉砂利を踏んで行列が通ります
1時間前に葵祭りの行列を待つ京都御苑内の見物客


今回は当初、京都御苑で路頭の儀を拝見し、すぐに下鴨神社へタクシーで向かい、社頭の儀に参列の心づもりでいたが、斎王代の行列を見てから交通規制が布かれたところでタクシーを調達するのは至難の業であると判断し、急遽、下鴨神社へ直行することになった。

鳥居横から入場

下鴨神社へ到着すると、ここも行列到着の1時間以上前というのに人出は多く驚いた。受付を済まし、南口鳥居の脇から“社頭の儀”の催される楼門内へと入ってゆく。

楼門前で記念撮影・黒袍が宮司、赤袍が副宮司 左より権宮司・宮司・勅使
行列到着前に勅使と宮司・権宮司が楼門前で記念写真を撮っておられました


われわれは舞殿の東に位置する橋殿に設けられた平場の席へ着いた。

舞子さんも参列していました
舞子さんも参列

席は自由ということだったが、すでに前三列まではいっぱいで、四列目に陣取ることとなった。右隣りは斎王代関係者などが坐る椅子席となっていた。

4列目に陣取る 斎王代関係者の椅子席

そして、ほぼ予定通りに行列が南口鳥居前に到着との案内があった。11時50分過ぎ楼門が開き、虎の敷物を抱える従者を従えた本列の人物が入って来る。

本列の社頭参進

そして、楽隊の一団が入場したあとに、斎王代の行列が入って来る。

斎王代列が入って来る

斎王代は鳥居の前で腰輿(およよ)を降りられ、童女に裾を持たせて歩いて参進してくる。


華やかな十二単の衣装が美しい。


今年の斎王代の太田梨紗子(神戸大2年・20歳)さんは、京菓子司老松のお嬢さんである。

斎王代・太田梨紗子さん 斎王代に続く女人

女人列の命婦や女官たちが続く様子は、なるほど王朝絵巻を見るようである。


それに続き、社頭の儀の主役である勅使が陪従や舞人を従え、入場する。下鴨神社では、いったん剣の間に入り、勅使は腰の剣を解かれる。

勅使
剣の間で刀を解いた勅使が舞殿前に参進

それから参進され、内蔵使代から祭文を受取る。

内蔵使代より御祭文を受取る勅使
内蔵使代が祭文を手渡す
内蔵使代
内蔵使代

そして、舞殿の南階段を昇り、しずしずと歩み、祭文の座に着く。

祭文の座に進む勅使


祭文の奏上は微音にて行われるため、頭を垂れたわれわれ参列者の耳にその声は届かない。

祭文奏上が終わると宮司が北階段を昇り、神宣を勅使に伝える。

勅使に神宣を伝える新木宮司

宮司は一旦、舞殿を退き、今度は神禄を捧げ持ち、階段を昇り、勅使に授ける。

神禄を捧げる宮司

これで祭儀の肝の部分が終了。勅使は舞殿を退下し、剣の間にて佩刀される。


その間に、招待客による拝礼が順次行われる。今年の参列者総代は京都国立博物館の広報特使を務める藤原紀香さんであった。

藤原紀香さん 参列者総代の藤原紀香さんの拝礼

さすがに他の拝礼者とはカメラのシャッター音が異なった。ご祭神も苦笑いというところだろうか。


拝礼が終わると、神服殿で控えていた斎王代以下の女人たちが退出しはじめる。


その間に佩刀した勅使が陪従を従えて剣の間より出てこられ、橋殿の前に立つ。


そして、東游(あずまあそび)の序歌を陪従が唄うなか、牽馬(けんば)之儀が執り行われる。

牽馬(ひきうま)之儀

馬寮使が馬二頭を馬部に牽かせ、西から東へ舞殿を三廻りする。今年は舞殿正面で馬寮使が最敬礼する度に白馬も一緒に頭を下げるのが愛らしく、参列者に笑みがこぼれた。

舞殿を三廻りする



そして、舞人による“東游(あずまあそび)”が優雅に披露される。
駿河舞
まず、駿河舞が舞われる。
舞人・駿河舞

次に、求子(もとめご)舞が舞われる。

求子(もとめご)舞

東游が終わって、神前での社頭の儀は滞りなく終了ということになる。


ここで、勅使も陪従や舞人を従え、楼門より退出される。

勅使と陪従


参列者もこれにて橋殿を去ることになる。

風流傘と楼門
楼門前に路頭の儀で使用する風流傘が飾られていた

風流傘と神馬

牽馬之儀を終えた馬が厩舎で休憩中


そして、引き続き糺の森の馬場で“走馬の儀”が行われる。

走馬の儀

数頭の馬が疾駆し終えて、社頭の儀の一切が終了となる。


11時40分に始まった社頭の儀がすべて終了したのは午後2時10分であった。2時間半におよぶ厳粛な祭儀に参列できて、1400年余続いてきた古儀のなかに息づく日本人の敬虔な信仰の心、文化の伝承の大切さをあらためて思い返したのである。



秋川丘陵、女性二人ののんびりハイキング=春の植物図鑑

家内が友人と秋川丘陵のハイキングを楽しんできた。

秋川丘陵ハイキングコース

野の花や高山植物をこよなく愛する二人が、道々、撮った写真があるので、この網代・弁天山コースの路傍に健気に咲く春の花に敬意を表し、ここに記録するものとする。

 

木立 cサルトリイバラ
春の陽光の木漏日            サルトリイバラ

お二人は、小峰ビジターセンターからJR武蔵増戸駅手前の山田大橋辺りまで3時間ほどかけての行程だったそうな・・・。

l秋川 アオサギ
秋川                  アオサギが一羽

本来であればもっと短時間のコースだが、立ち止まってはパチリ、歩き出しては道端の花に目が留まりパチリと精確さを期す撮影に、まぁ、それはそれは余念がなかったということのようでありました。

aホウチャクソウ b野苺
ホウチャクソウ                  野 苺
dカキドウシ f団栗の芽生え
カキドウシ              どんぐりの芽生え

山路はこの季節、ヤマツツジが咲いていたそうで、写真を見ても爽やかな春山のそよ風が伝わってくるようで心地よいことかぎりない。

gヤマツツジ

さて、そんな牧歌的山路も、実は戦国時代、ここに網代城という山城(標高330m)があったという。

もちろん大きな城などではなく、どちらかというと見張りと狼煙場を兼ねた出城のような小さなものであったそうな。そうした城址も廻って、弁天山に着いたんだと・・・。

標高292m弁天山

標高292mという弁天山からの景色は低山のわりになかなか壮大といってよい。サマーランドの観覧車なども見下ろせて気分の良さげな光景である。

弁天山頂上よりサマーランド方向を望む

弁天山からちょっとゆくと貴志嶋神社の奥宮である弁天洞穴があったという。

j貴志嶋神社鳥居 j貴志嶋神社本堂
貴志嶋神社の鳥居と本堂

そのぽっかり空いた穴のなかに石造の大黒天像や毘沙門天が安置されていて、お二人はちょっと岩をよじ登って撮影をしたそうな。今どきの女性の逞しさや如何に!!

i弁天洞穴 i左:石造大黒天像
弁天洞穴                  左:大黒天 右:毘沙門天

その貴重な写真の大黒天像の背面には“文明九年(1477)・・・正月六日”の紀年銘があるのだそうだ。

その事実から、この山がかなり昔から、貴志嶋神社の存在とも併せ信仰の地であったことがうかがえる。

そして、貴志嶋神社からの下り坂の脇に小さな棚田があったという。

k棚田

そんな写真を見て、こんな狭隘な場所にも昔の人々は生きる糧を求めて棚田を作ってきたのだと思うと、人間の“生”へのひたむきな姿勢、“生”に正面から立ち向かう敬虔な心が感じ取られるようで、自然と頭が下がって来た。

棚田

そして二人は一般道へ出て、山田大橋近くの信州安曇野手打ち蕎麦と銘打つ蕎麦屋・“たか瀬”で昼食休憩をとったのだそうだ。その時、家内からなぜか沖縄の“島らっきょう”の天ぷらがおいしかったとのメールが届いた。写真の添付もなく、謎めいたメールであった。

eハナイカダ雌花 eハナイカダ雄花
左:ハナイカダの雌花                右:雄花

それからまたビジターセンターへと、一部、一般道を経由して戻っていったという。

h十二単 oスミレ
十二単                    スミレ

そんなことで・・・まぁ・・・のどかな春の一日を野の花を愛でながらのんびりと過ごしたのだそうな、目出度し目出度し・・・。

n一輪草 n二輪草
左:一輪草                 右:二輪草

そして、帰宅後、わたしは家内の撮った花の写真につき説明を受けたわけである。

pセリバヒエンソウ
セリバヒエンソウ

その際に名前不詳の花もあったが、前世は冒険家であり植物学者でもあったはずとわたしが睨んでいるところの家内の友人から、後刻、精査後の正確な名前がメールされてきたことに鑑み、ここに敬意を表し秋川丘陵“春の植物図鑑”として掲載するものである。





やっぱりおいしかった“PIZZERIA・ぴざ屋”=蓼科グルメ 33

最近、息子たちと一緒に蓼科へ行くことも少なくなり、加えて、降り口のインターを昔の諏訪ICから一つ手前の諏訪南ICへ変えてからは、茅野市街に近いビーナスライン沿いの美味しいお店へ立ち寄る機会が大きく減った。


そのひとつがピザの専門店、PIZZERIA・ぴざ屋”である。平成元年創業の当店。四半世紀の時をこの地で刻んできたことになる。

ビーナスライン沿いに看板
ビーナスライン沿いに看板があります

開店時に小学生低学年であった長男も今は結婚し、子供も今年生まれた。われわれ家族のうえにも当り前だが同様の歳月が流れている。

雰囲気はリゾート
ログハウスの”ぴざ屋”
このGW、蓼科で息子家族と3日ほど過ごしたが、息子が久しぶりに“ぴざ屋”のピザが食べたいというので、老夫婦のわれわれも久方ぶりにビーナスラインを下って、“PIZZERIA・ぴざ屋”を訪れた。
入口案内
入口案内

ブログをチェックしたところ、息子が結婚した6年前に、なんと息子夫婦を伴ないここへやって来ていた。このお蔭で、息子が無類のピザ好きということが分った。

今回は孫も同伴である。バギーで店内に入ることも許していただき、総勢6名での入店である。


奥にイタリアンの窯のある厨房
テーブル席からイタリア製の窯を備える厨房を見る

注文は、まずはサラダを二品。

トマトとアンチョビサラダ ホウレン草サラダ

それからメインのピザがいろいろと協議のうえ、4枚。

何故かバジルなしのマルゲリータとイタリアンサラミ。

バジルなしのマルゲリータ イタリアンサラミ
左:マルゲリータ 右:イタリアンサラミ

シーチキンとマッシュルームと、私が推奨の当店人気メニュー“ボンバー”。

シーチキンとマッシュルーム 
シーチキンとマッシュルーム
ボンバー

オリーブオイルをかけて食べるとおいしい”ボンバー”、手早くつぶされそうです・・・

”ぴざ屋”のピザ生地は今風に極薄で、その分なのかチーズの味が濃厚。そしてイタリア製の窯でパリッと焼かれたピザはやっぱりわたしたちの期待を裏切らなかった。


ピザカッターで等分に切り分けられたピザはあっという間に皿の上から各々の口元へ放り込まれる。誰だったか(家内である)、「これって、足りないんじゃな〜い」と、もう一品の追加注文となったのが、オーソドックスに次のミックスピザ。

ミックス

これも、あっという間にみんなの胃袋へ収納された。

デザートをどうしようかとなったところで、家内が昨日の蓼科高原チーズケーキ工房で求めたケーキがまだたくさん残っているので、家にもどってからゆっくりしようとの提案。


午後7時前、さすがに薄暗くなったビーナスラインを、美味しいピザを一口も口にできなかった生後4か月になったばかりの孫とともにワイワイガヤガヤ登って行った。


主人公の誕生を待つ端午の節句飾り=日本の伝統行事

近所で鯉のぼりを立てる家を見なくなって久しい。


よくテレビで川の両岸に綱を渡し、たくさんの鯉のぼりを泳がせる光景は見るが、個人の家で鯉のぼりを揚げているのを、ここ東京で目にすることはほとんどない。

岡山・吉備津彦神社の鯉のぼり
岡山・吉備津彦神社の鯉のぼり

都会の住宅事情があるのは分かるが、何とも味気ない世の中になったものだ。


そう言いながら、我が家も息子が30歳を越した今、鯉のぼりもないのは世の常識だが、孫でもできたらと密かに思っていたところ、初孫が女の子ときた。


そこで雛の初節句を3月に行ったことは、先般、当ブログにもアップしたところである。


5月は端午の節句。主人公の登場が待ち遠しい節句である。

端午の節句飾り

疾うに息子は嫁取りをし、家を離れており、さすがに鯉のぼりというわけにもいかないが、数年前から節句のお飾りだけはしようということになった。


何だかこの齢になってくると、日本の伝統といったものの良さが分って来たのか、各地の伝統の祭りや節句の風習など季節の行事に心を配るようになったのである。


ちょっと佇まいを正して物申すと、こうした伝統、日本人の心や精神文化を、我々の年代はとくに大切に後世に伝えてゆく責任があると考えている。


ただ、家内に訊いたところ、鯉のぼりに関しては、鯉のぼり自体は残してあるが、それを揚げる高いポールはかなり昔に捨ててしまったという。庭に地中に突き刺したポールの一部が錆びついて残っているのみだそうだ。


次に男の孫が出来たらよいなぁ、その時にはポールを買い直そうなどと思いながら、主人公を待つ鎧兜を一人眺めているわたしである。




“俊樹蕎麦・しもさか”で、こだわりの石臼挽十割蕎麦を愉しむ=蓼科グルメ 32

蓼科グルメ、久しぶりの蕎麦処の登場である。

ビーナスライン沿いの”しもさか”看板

“しもさか”はビーナスライン沿い、プール平から1kmほど登った右手にある。

お店が数十メートルほど道路より入り込んでいるので、道路沿いの“石臼そば”の看板を目印にしてゆくのがよい。

ビーナスラインから入り込む
突当りの建物が”俊樹蕎麦しもさか”

“石臼そば”の上に“しもさか”との表示があるが、目に飛び込んでくるのは“石臼”である。

というのも、ここの蕎麦屋の名前が、“しもさか”であるということを知ったのは、今回、初めて当店を訪ねてみてのことなのである。


かなり昔からここに石臼で挽いたにちがいない蕎麦屋があることは、ビーナスラインを登ってゆく際に、必ずと言ってよいほどに白板に“石臼”と墨書された看板が目に飛び込んでくるのでわかっていた。


しかし、車窓からの通りすがりの視界ではその店構えを確認することが出来ずに、これまで気にはかかっていたが、なんとなく行きそびれていたというのが実際のところである。

お店の前を流れる蓼科の清流
店の前には蓼科の清流が流れる

今回は、5月3日から合流した息子夫婦が蕎麦が食べたいというので、ちょっと冒険ではあったが、気になる一見のお店を訪ねたという次第である。

俊樹蕎麦しもさか

どこか山荘を思わせる店の佇まいはお洒落であり、高原リゾート地にはお似合いの店構えである。


GW
真っ只中ということもあって、お店の前で順番待ちの人々が二、三組いたが、まぁ、列んでいるくらいだから、美味しいに違いないと当方もそれに続いた。

テラス席もあります

一〇分ほどで店内へ案内された。テラスにも席が設けられており、蕎麦屋というより、まさに高原の別荘で戴くような風情である。

蕎麦打ちも見られます 和室もあります

店内は小さいながらも、3つのテーブル席に小さな和室(二卓の座卓)があって、小ぎれいなお店である。
そして、メニューを見て、またビックリ。

お品書き

いやぁ〜、シンプルなのである。唸り声を上げるほどに蕎麦一筋の品書きである。

“茨城県水府村の常陸秋蕎麦を脱穀し、その実を石臼でゆっくり挽いて、粉をつくり、つなぎを一切使わず、その蕎麦粉を水だけで打っております・・・”と、お店の案内にあるように、まさにこだわり120%の蕎麦屋である。

石臼挽きの俊樹蕎麦

息子以外は“せいろ”を、息子は“大盛り”、それに “そばがき”と、いたって簡潔明瞭な注文である。

コシがしっかり、しっとり感もあります

蕎麦は腰がしっかりとしており、十割蕎麦にありがちの喉の引っ掛かりがない。

逆に蕎麦はしっとりとして喉越しが極めて良い。

麺の太さもほどよい加減で、わたし好みであった。

薬味に七味はありません

薬味は生山葵に刻み葱におろし大根である。七味は用意されていない。その点についてはわたしは別の意見があるが、それもここの“こだわり”のひとつなのだろう。

海苔付のそばがき

“そばがき”は香りも良く、柔ら過ぎず、初めてだという息子夫婦も気に入りの様子であった。それと、海苔に巻いて食べるのも変わっていて香ばしくて面白い試みだと感心した。


ということで、“俊樹蕎麦・しもさか”を息子夫婦に紹介した親爺のささやかな威厳も何とか保たれたのであった。

惜しむらくは、値段がもう少し安ければいうことなしなのだが・・・


それと、日本酒をこよなく愛する日本男児として、お品書きにある酒を呑むのに、やはり、“あて”に焼味噌ぐらい一品欲しいものだと思うのは我が儘というものなのだろうか・・・

最後に、この”しもさか”は蓼科のエリア的にいうと、蓼科ヴィレッジ別荘地の一画に入っているので、このお店の常連には当然にヴィレッジの皆さんが多くおられることと思う。向学のために後日、ご意見をお聞かせ願えればと考えている。




蓼科の2014年ゴールデンウィーク

2014年のGW後半を蓼科で過ごした。混雑を避け、5月2日に蓼科へ向かった。

中央道の諏訪南ICを降り、八ヶ岳エコーラインを走る。

八ヶ岳エコーライン
八ヶ岳エコーライン

車窓にはいつもの八ヶ岳山麓ののびやかな風景が流れてゆく。

そしてこの日も蓼科山がいつものように嫋(たお)やかな山容を見せていた。

エコーラインから蓼科山

標高1600mにある別荘へ到着。ここらの樹林には萌え立つような新緑の色合いは訪れていない。遠くに見える八ヶ岳の峰々にはまだ冠雪が残る。

別荘地より八ヶ岳を
別荘地より八ヶ岳連峰を望む

五月というのに、まだ、大気に春のぬくもりは微塵も感じられない。麓の市街地と季節の味わいは大きく異なる。

つい10日ほど前に訪れた際、春爛漫の諏訪湖畔でうららかな一日を過ごしたのが嘘のようである。

春爛漫の諏訪湖
4月24日、春爛漫の諏訪湖

夕刻、遠くに八ヶ岳の峰々を遠くに見ながら家の周辺を散策。

別荘地の夕暮れ

近くに蓼科山のまん丸な頂きが見える。

芽吹きと蓼科山

鳥の鳴き声が時折、聴こえるものの、生き物がその気配を消し去る“仮死の季節”に、闖入者のようにして足音を忍ばせ、彷徨する。

夕暮れの散策

傾斜地に建つ別荘にもどり、ベランダから庭を見下ろす。

庭の木々、まだ春の訪れは遠い

まだ、わが家の庭にも春は訪れていない。

朝もやの庭

5月6日、朝早くといっても8時に別荘を後にする。この日は靄がかかり、見通しが悪かったが、アプローチの径の頭上にかかる枝をふと見上げると、そこに、春の訪れを告げる小さな芽吹きが見えた。

朝靄のなか、芽吹き

標高1600mの蓼科の春はとても遅いが、だが、確実に近づいてきているのだと知った。

Uターンラッシュが懸念されたGW最終日の5月6日、午後11時前には国立府中ICを降りることができた。途中、小仏トンネルを先頭に10kmの渋滞があったのみで、きわめてスムースなドライブであった。








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