彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

April 2014

“ザ・ババリアン・ペーター・タテシナ”に春が来た〜!!=蓼科グルメ 31

茅野市北山芹ヶ沢4976-2

090-7407-2702


蓼科・ババリアン・ペーターに春が来た〜

ザ・ババリアン・ペーター・タテシナ

NHK放映の中井貴一の“サラメシ”風に言ってもらうと、より気分がでる。

それでは皆さん、ご一緒に、「蓼科のババリアン・ペーターに昼が・・・、もとい、春が来た〜!!」


アリガトウゴザイマシタ〜


いやぁ、半年ぶりのペーターである。オーナーの坂本さんとも久しぶりのご対面。

この日、春の陽射しで車の中は暑かったので、ベストだけの軽装で店内に入ると、“初夏みたいな恰好をして寒いじゃないの”との第一声。そう、晴れているとはいっても、5月間近の蓼科は、まだまだ風がヒンヤリとして肌寒いのです。

メッチャ、楽しい店内
いつも、ウキウキする店内です

坂本さんの笑顔は半年ぶりでも、何んら変わらない。相変わらず、お若い。
この6月にはマチュピチュへトレッキングの旅に出るというから、体力気力ますます充実されたオーナーである。


さて、当日はお昼時だったので、ペーターで買い物ついでに、軽く食事をとる予定で訪れた。ただし、店内にも表示があるが、お店が混んでいない時にのみオーダーが可能である。


メニューはフォクッチャ・サンド(550円)とグラッシュ・スープ(600円)の二品のみ。


いただきま〜す

当日は、われわれが店内に入った時には、外のテラスにご夫婦が一組おられるのみ。

そこで、坂本さんに食事(二品)をお願いした。「OK!」と快諾される。

蓼科湖畔につづく庭

早速、蓼科湖畔の広い庭へ出て、サンドができるまで景色を堪能。まだ雪をかぶる八ヶ岳を遠くに見て、この開放的な景色に感化されたのだろうか、一挙に胃袋も拡大する。

八ヶ岳遠望

家内と二人でそれぞれを半分個したが、量的には十分である。

グラッシュ・スープ  フォクッチャ・サンド
左:グラッシュ・スープ  右:半分にしたフォクッチャ・サンド

テーブルのある広い庭には可愛い子ブタのオブジェやカブト虫の彫刻などが飾られて、まぁ、まるで露天の美術
館のようである。

  カブト虫です

頬のゆるむ、どこか愛嬌のあるオブジェに目を細め、また、遠くに八ヶ岳を望みながらおいしいフォクッチャ・サンドを頬張る。もちろん、坂本さんご手製の品、味は云うまでもなくおいしいにきまっている。

そして、われわれがサンドを口に入れる頃、店内はあっという間に10人ほどのお客様でいっぱいになっておりました。アブナイ、アブナイ、間一髪、お昼抜きになるところでした。


それにしても、このおいしさ。やはり、中井貴一の言うように「蓼科に〜昼が来た〜」の方が、タイトルとしては良かったかも・・・

絶品のベーコンやウインナー

そして、お腹を満たして店内へ戻り、いつものようにお酒のツマミに・・・、ワインのお供にチーズを・・・と、お土産
を買い求めたのでありました。 

あぁ・・・、そういえば、ペーターに中井貴一も立ち寄られていましたね。その時の写真が店内に貼られています。

以上、“蓼科に昼がキタ〜!!” でした・・・




信州の遅い春に憩う=高遠城址公園に散り敷く桜

昨日の諏訪湖の満開の桜に味を占め、4月25日は、ちょっと足を伸ばして高遠城址公園の盛り過ぎの桜を見に行くことにした。


一週間ほど前にTVニュースでちらっと“高遠の桜がいま、満開”との映像を観ていたので、もう散ってしまったかも知れぬが、天気も良いし、山間の風情豊かな杖突街道をドライブするだけでも気分がよかろうと、一路、高遠を目指した。

杖突街道の春

杖突街道の春は色とりどりの花々がその路傍を装う。ただ、両脇に迫る山肌に新緑の芽吹きはまだわずか。その冬ざれの景色に山桜だろうか薄ピンクの色を刷いてみせる。


高遠城址公園も盛りを過ぎたのだろう、ピーク時の交通規制もなく、直接に城址公園の駐車場へと車を入れることが出来た。

天地桜模様

南口から入苑。地面に散り敷く桜の花で、疾うに満開の盛りが過ぎたことを知る。


ただ、葉桜になった桜もよし、ちょっと出遅れて満開を誇るのんびり屋の桜もあり、これはこれで、ひとつの風情であると、人出も少ない城址をそぞろ歩く。

満開は過ぎて・・・

上空に広がる盛り過ぎの桜花・・・その光背を彩る春の空・・・

青い空

 

ゆっくりと時が流れる春のひと日・・・
 

桜散り・・・

古戦場の城址に散り敷く桜花・・・



そのなかにも、視線を釘付けにする自己主張の赤枝垂れのモミジ・・・

桜のなかに赤枝垂れのモミジが・・・

不思議な光景である・・・



さくら


そう・・・高遠城址公園の桜は満開を過ぎても、人々に花言葉を紡ぐようにして物語りを語り続けている・・・



信州の遅い春に憩う=諏訪湖の満開の桜は美しい

甲府を過ぎたあたり、中央高速を走っていて、目をよぎる新緑の燃える山肌に薄桃色の雲がところどころに浮かび上がっていた。


4月24日。甲府や信州の桜はまだ満開の時期にあるようだと、いつもの諏訪南ICを通り過ごし、諏訪ICで降りることにした。

いまを盛り オブジェと満開の桜
諏訪湖畔の桜は今が盛り

久しぶりに諏訪湖を廻ってみようということになった。家内が言うのには、このぶんだと湖畔の桜や花梨の花が美しいのではないかというのである。


駄目元で湖畔沿いの道をゆくと、諏訪湖南岸沿い、天竜川の流出口である釜口水門の辺りの公園の桜は、狙い通り、今を盛りに満開であった。

釜口水門北岸から桜並木を見る
釜口水門(天竜川流出部)南岸より桜並木を見る

穏やかな湖面に春のそよ風がわたり、まろやかな波紋がしずかに広がってゆく・・・。心安らぐ春の情景である。

彫刻と桜、遠くに釜口水門
彫刻と桜と遠くに釜口水門

諏訪湖畔にこんなにも桜の樹々が育っていたことを気づくことなくこれまできた。 

湖畔の満開の桜
諏訪湖畔の桜並木

真っ青な空と広々とした湖、遠くに残雪を被る山脈・・・満開の桜の下にひそむ雄渾の春である。

諏訪湖の満開の桜に遠くに八ヶ岳の頂きが

信州の遅い春。


信州の春はゆっくりやってくるが、一挙に覆いかぶさるようにやって来る。

その輝く時間は短いのかも知れないが、だからこそ、この“時”がことのほか絢爛で、愛おしい。




懐かしい“宇高連絡船のうどん”を食べた!!

かつて本州(宇野)と四国(高松)を結ぶ主要幹線であった鉄道連絡船・宇高連絡船は、昭和63年(1988)に瀬戸大橋の開通と同時にその78年に及ぶ歴史の幕を閉じた。

宇野ゆき・四国フェリー
宇野と結ぶ四国フェリー

宇高連絡船を利用した大概の客は、連絡船の上部デッキで売られていた“うどん”の味を忘れられずにいる。

懐かしい連絡船のうどん

四国を郷里とする者、四国に勤務した者、四国に旅した者はあのデッキの上で潮風に吹かれながら“かやくうどん”を啜(スス)ったことを懐かしく思い出す。


四国と関わりを持った人たちと連絡船について語らうとき、必ずと言ってよいほどに、デッキで食べた“あの・うどん”がおいしかった、あの味が懐かしいという。


わたしも、連絡船の“あの・うどん”に強烈なノスタルジーを覚える一人である。


JR四国に勤務する大学時代の友人に、昔、「どうして、連絡船のうどんを止めたのか」と詰問したことがある。


その時、彼は、高松駅の構内で“連絡船うどん”としてお店を開いているので、そこへ行けばその味に再会できると言われた。

JR高松駅
JR四国・高松駅

しかし、時間が食事時に合わなかったり、乗車時間ギリギリだったりして、久しくその機会を得ることが出来ずにいた。


今回、ちょっとした調べものがあり、駅近くの香川県立ミュージアム(高松市玉藻町5-5)を訪れた。そこで、駅まで足を伸ばし遅い昼食として、この“連絡船うどん”を食べにいった。


“連絡船うどん”は高松駅構内・構外の双方から入店でき、その味を堪能できる。今回は構外からお店へ入った。

駅の構外からの入口
駅構外の入口
駅構内の店構え
駅構内の店構え

あの・“かやくうどん”を注文しようとしたが、メニューにそれはなかった。

そこで、シンプルに“かけうどん”を頼んだ。


店外の簡易テーブルに坐って、うどんを啜った。あの薄味の汁である。とてもおいしかった・・・


だけども、このテーブルに瀬戸内の潮風はそよいで来ない。

ここでは瀬戸内の水面に照り映える夕陽の眩さに目を細めることもしない。


そして、連絡船の船尾に流れる澪(ミオ)を無心に見つめることもない・・・


おそらく“あの・うどん”の味はそんなに変わってはいないのだと思う。


かけうどん

このわたしの上に過ぎ去った30数年の月日が、“あの・うどん”の味に薬味のように人生の苦(ニガ)みを加えてしまったのだろう・・・


そして、たとえ、このテーブルが船上のデッキに変わったとしても、わたしは“あの・うどん”の味にもう出会うことはないのだろうと、最後の汁を啜り、静かに箸を置いた。


 

パワースポット、古代吉備国発祥の地・“吉備の中山”、半歩き二日目

パワースポット、古代吉備国発祥の地・“吉備の中山”、半歩き一日目

さて、吉備の中山登攀二日目は9時26分岡山駅発で吉備津駅へ向かう。当日は、実家の高松(四国)に帰省中の家内と吉備津神社で待合せの予定である。実力不相応の険しい山路登攀を決行するわたしの、謂わば出張介護といったところであろうか。


わたしは家内より一時間ほど早めに神社へ到着、境内の写真撮影をのんびりやりながら妻を待つという当初の段取りであった。ところが、朝に弱いわたしは予定より一電車遅れ、家内が一電車早い列車に乗車ということで、わずかに二両編成の車内で遭遇と相成った。トホホ・・・(*´▽`*)


吉備津駅 JR吉備津線・二両編成
吉備津駅と二両編成の車両


てな訳で、二人一緒に吉備津神社拝殿(神社概要は別稿に譲る)で手を合わせ、当日の難行、御陵登りの開始となった。
吉備津神社
吉備津神社・左本殿、右拝殿

拝殿
拝殿でお詣り

南随身門から長い回廊を抜けて、突当り出口から一般道へ出て50mほどで御陵への登山口(吉備の中山遊歩道)へ入る。

長い回廊 御陵への登山口

道は整備されて歩きやすい。鮮やかな新緑が目に痛いほどである。

整備された吉備の中山遊歩道
登りやすいです
素晴らしい新緑です

300mほど緑陰の遊歩道を登ってまた先ほどの自動車道へ出る。茶臼山(海抜160m)方向を見ると、里山のようなひなびた景色が目に飛び込む。頂きに群れる木々がおそらく御陵を覆う樹林なのだろう。

右手が茶臼山、下ると吉備津神社    一般道より茶臼山を望む
左:170段階段方向からみた一般道。右手が茶臼山    右:茶臼山

200mほどゆくと道路左手に中山茶臼山古墳への170段の階段があった。これを登れば直ぐに御陵である。

杖を支えに注意深く一段一段足を運ぶ。時折、大きな段差があり、「よいしょ」と掛け声をかけて、体を持ち上げる必要があったが、総じて、登りやすい階段であった。

170段の階段です

頂上へ到達すると“御陵”という立札が目の前に飛び込んできた。

170段階段の頂上です

「あぁ、やった〜」とのささやかな幸せ感・・・。一方、数歩先に登り切った相方は息も上げることなく、もう御陵方向を望んでいる。

突当りが御陵
突当りが御陵です

痛む膝をさすりながら左手を見ると、まっすぐ伸びた細道の先に目指す御陵の拝所が見えた。
そして、宮内庁管理のため厳重に柵が廻らされ、下から御陵の上方に建つ鳥居を仰ぎ見た。

大吉備津彦命の墓
大吉備津彦命の御陵

柵の奥に古墳時代前期に築造されたという全長120mの前方後円墳・中山茶臼山古墳の鬱蒼たる森が広がる。

茶臼山古墳の鬱蒼たる森

往古、この山裾まで瀬戸内の海が入り込んでいたという。いまは、“吉備津”という湊を意味する名前にかつてこの辺りに充溢していたであろう潮の香を偲ぶのみであるが、桃太郎に擬せられる大吉備津彦命の墓は、むか〜し、この日のような真っ青な空を背に従え、この吉備の中山の頂きから眼下に広がる瀬戸内海を睥睨していたのであろう。

吉備の中山、左が龍王山、右が茶臼山
吉備の中山:左が龍王山、右手が茶臼山。大昔、この山裾を海の波が洗っていた

その御陵拝所の右手に備前と備中を分ける“国境石”がある。

国境石

吉備国の分国(備前・備中・備後)はいつかということだが、『岡山県通史』(永山卯三郎著)によれば天武10年(682)から持文武元年(697)の間と推定されるということである。この山がそれ以前の大きな吉備の中心にあるので、“吉備の中山”と呼ばれたというのである。

備前國御津郡 備中國吉備郡
左:備前國御津郡   右:備中國吉備郡
備前国  備中国
左:備前國                  右:備中國

その備前と備中の国境を標す国境石。御陵正面の方が備中、向こうが備前である。

小さな石であるので、見落とさぬよう注意が必要である。


さて、御陵前のベンチつまり備中側で持参のお握りで軽く昼食をとり、息を整えてから本日お目当ての“石舟古墳”を目指し、歩き出した。

古墳を廻る土塁
国境石を越え、古墳の東側へ向かう。古墳を廻る土塁に沿ってゆく

そして、国境石を越え備中國に入り、古墳を右手東側に回り込む細い山路をたどる。木の根っこなどがあり、足の不自由なわたしは注意深く足を運ばねばならぬ悪路である。

御陵の東側・前方墳から後円墳に向けて撮影
古墳の東側、前方墳から後円墳を見る

ちょうど前方後円墳の前方墳から後円墳に向けてうねる起伏の径を歩いてゆく。

途中に、“穴観音”があった。説明版によると、「昔からの云い伝えで、側面の穴に耳を当てると、観音様のお声が聞こえるという俗信仰があり、縁日には参拝客が多い。古墳築造時よりこの場所にあり、原始的祭祀行事の場所であった」 とある。

穴観音と後方に後円墳

いまでは、そんなに人が訪ねて来るといった様子ではなく、山深い古墳の裾にひっそりと鎮まっており、なかなか雰囲気のあるパワースポットといった趣きである。

後円墳の東に鎮まる穴観音

ここは、この下50mほどにある八徳寺(神社)の奥宮であったと推測され、これらの岩は古代、まさに磐座であったと考えるべきである。

手前の磐座に穴が開いている
手前の石の横に穴が穿たれている

そして、穴観音の位置は茶臼山古墳の後円墳の中心部分の東側となっており、横穴式石室があるとすれば、ここが古墳を拝する正面部分に当たる。

また、竪穴式墓室としてもここから真西に墓室があることになり、この場所は本来、古墳を拝する最も聖なるポイントということになると、わたしは考えている。


さて、そこを離れて石舟古墳を目指して歩いていると、胸に“古代吉備文化センター”と印した男性が私たちを追い抜くや、ちょっと振り返って、どちらまでと問うた。


石舟古墳と答えると、わたしの覚束ない足で急坂を下るのは難しいという。そこで、家内と相談のうえ、石舟古墳を断念。紹介された近くの吉備桜を鑑賞しにゆく。見ごろは過ぎていたが、その大きさ、りっぱな枝ぶりには驚嘆した。

吉備櫻 満開は過ぎていました
四股に分かれた吉備桜の古木 満開は過ぎていたが、大きさにビックリ

そして、ちょっと下った先にある、往古の高麗寺跡に比定される八徳寺に立ち寄る。寺というより、さびれた小屋のように見えたが、一応、お祀りはしているようである。高麗寺は源平盛衰記に「大納言(藤原成親)の御座する有木の別所高麗寺というのは備前と備中の境・・・」とあり、写真の石柱が高麗寺金堂の礎石の一つの跡を標すものである。

山腹の平坦地に八徳寺・右斜め上御陵

八徳寺は明治初期の「一品吉備津宮社記」の末社に関する記載中に「波津登玖(ハットク)神社。小祠。此地坪今属備前国。祭神温羅命」とあり、この八徳寺という山寺が波津登玖神社と同一のものと考えられるとのこと(「考えながら歩く吉備路」・薬師寺慎一著)。

八徳寺

大吉備津彦命が退治した温羅(ウラ)を祀る神社がその御陵のすぐ脇にあることが不思議と言えば不思議である・・・。本当に温羅は悪者だったのか・・・。民に慕われていたのではないのか・・・。ひっそりと佇む八徳寺を見ていると、そういう気が確かにしてくるのである。

手前石柱の下に高麗寺礎石が埋まる
手前の石柱の下に高麗寺の礎石が埋まっている

それから、そこを後にして御陵の横に広がる“古墳公園” の広場に向かった。

八徳寺から古墳公園への道
手前、八徳寺から古墳公園への道

茶臼山山頂にぽっかり広がる平坦地。そこから遠くに常山が見え、眺望は最高である。

古墳公園 古墳公園・奥にいくと御陵
左:古墳公園からの眺望 右:この奥は170段階段、その先、御陵へ通じる

そして、そこからまた170段の階段を下り、吉備津神社へと戻って行った。


石舟古墳を見られず誠に残念であったが、この日は天気も良く、絶好のハイキング日和であり、眩いほどの新緑のなか、それなりの幸せを感じられた一日であった。


また、万歩計も前日に引き続き14000歩を越え、わたしのリハビリにはきわめて充実した一日であった。


 

パワースポット、古代吉備国発祥の地・“吉備の中山”、半歩き一日目

パワースポット、古代吉備国発祥の地・“吉備の中山”、半歩き二日目

まがね吹く吉備の中山帯にせる細谷川のおとのさやけさ(古今和歌集)

ときはなる吉備の中山おしなべてちとせを松の深き色かな(新古今和歌集)


古来、古今和歌集、新古今和歌集などで詠われている吉備の名山・“吉備の中山”は、現在の岡山市北区に位置し、標高170mの龍王山をはじめ幾つかの山塊から成り立っている。

吉備の中山
JR吉備線・備前一宮駅ホームから”吉備の中山”を見る

江戸後期の儒学者・頼山陽はその一連の山容が鯉に似ているとして“鯉山(りざん)”と呼称したが、吉備国の中心に位置することから“吉備の中山”と号した昔からの呼び名がやはり、この聖なる山の名称としては最も適切であり、意義のある名前と言えよう。


そして、その山腹から頂上にかけては古代吉備国の謎を秘める、首長の墓や巨石信仰遺跡の磐座群が多数存在する。


古より神奈備の山として崇められてきた“吉備の中山”。古代史オタクには堪らぬ魅力と豊富な謎に満ちたスピリチュアル・スポットである。


なかでも、箸墓古墳より古く最古の前方後円墳といわれる矢藤治山古墳や100mを超える大型前方後円墳の尾上車山古墳、御陵と呼ばれる中山茶臼山古墳など前期古墳の一群、石棺が収められた石舟古墳など後期古墳などが注目すべきものとしてあげられる。


4月13日と14日の2日にわたり、“吉備の中山”の山麓に鎮座する備前一の宮・吉備津彦神社と備中一宮・吉備津神社を参詣したが、往古、ご神体でもあったはずの聖なる山・吉備の中山をぜひ散策してみたいと考えたのである。


吉備津彦神社
吉備津彦神社

第一日目は別稿に記す吉備津彦神社を参拝したのちに、本殿向かって左側にある中山登山道口から入山した。その日は標高170mの龍王山の頂上を目指し、元宮磐座、八大龍王の石祠や経塚、そして天柱岩を順次、見学して戻る予定であった。


ところが、境内におられたボランティアの方からこれから雨が降るとの予報であるし、足の不自由なわたしが杖を突きながら登ってゆくには、途中の急坂が半端ではなく、その行程は険しすぎるとのアドバイスをいただいた。


それでは途中まで登ってみて無理だと思ったら戻ってきますということで、ボランティアの方の「注意されて登ってらしてください。くれぐれも無理をなさらずに」との言葉を背に拝殿の左側を廻り、登山口へと向かった。


稲荷神社の朱塗りの鳥居群前を左手に迂回すると、正面に登山口の石柱があった。

稲荷神社鳥居前を左に向かう

登山道入口の脇に、吉備津彦命薨去之地と刻まれた堂々たる石碑が建っている。吉備津彦命(大吉備津彦命)とは、吉備津彦神社のご祭神で、中山の頂上に築かれた中山茶臼山古墳に眠る吉備國平定の英雄である。

大吉備津彦命薨去之地の石碑
吉備津彦命薨去之地の石碑と右側が登山口入口

さて、その登山道であるが、入口付近はきれいに整備された山道で、歩くのに何の不安感も覚えぬものであった。

整備された登山道入口
緩やかな傾斜の登山道入口

その山道に入る前に、左手の平坦な草地の奥に、大きな台石の上に建つ忠魂碑が見える。

忠魂碑

忠魂碑もりっぱだが、その下の巨大な台石を見落としてはならないと言うことであった。その昔、この巨石は今の場所より後方、一段高いところにあったものを、この地に忠魂碑建立の際に、下へおろしてきたのだそうだ。

磐座 古代御社図
左:忠魂碑台石となった磐座  右:古代御社図

そして、巨石の元あった場所が、境内に案内される“古代御社図”に見える“御本社(もともと本殿があった場所)”の位置とほぼ一致することから、これこそが古代吉備津彦神社の本殿といおうか磐座(いわくら)であったというのである。


つまり、古代の神社は現在のような本殿のような建物はなく、自然の中に存在する“磐座”やその背後に麗しい姿を見せる“吉備の中山”こそが信仰の対象であり、聖なる神の憑代(よりしろ)であったという。


その古代の磐座を後にして、いよいよ吉備の中山へと分け入っていった。ゆるやかな傾斜道をゆくと右手に卜方(うらかた)神社(輝武命【備前国岡山藩主の池田氏の祖・信輝の霊を祀る】)が建っている。

卜方神社
卜方神社

そこから100mほどゆくと、こんもりとした盛り土の上に藤原成親の五輪の供養塔が見えて来る。

成親供養塔

成親は俊寛や西光と平家討伐を謀ったいわゆる“鹿ケ谷の謀議”の発覚により備前国に流されたが、配流の1か月後には早やこの地で殺害されたとのことである。

五輪塔と横穴石室古墳

その五輪塔は、なぜか横穴式石室を持つ後期古墳の上にひっそりと建っている。

横穴式石室
横穴式石室

供養塔と石室をのんびり観察していた時、予報通り雨がパラパラと降ってきた。こりゃまずいと、杖の支えも借りて少し足を速め、勇躍、登山にかかりだした。


途中、龍神谷あたりまではゆるやかな坂がつづき、道幅もそこそこに広かったので、歩行はいたって快調であった。まぁ、余裕の歩きであったと、言っておこう。

龍神谷の曲り角
右上から左下に龍神谷の細流が落ちる

だが、次第に道幅が狭まるにつれ勾配もきつくなり、九十九折となった道も粘土質で滑りやすい状態へと変わっていくなど、わたしの歩きに不安の兆しが見えてきた。

道幅も狭く、起伏も急に・・・
何だか、ややこしそうな岨路に・・・

そして、ところどころ、杖を支えに体を持ち上げねばならぬような急勾配の傾斜が多くなるや息も上がって来る。


加えて雨がポタポタと大粒になる気配。このままでは帰りの下り坂がこの雨で滑りやすくなり危険だと判断するに至った。登山道入り口に入ったのが2時12分。そして2時52分に無念の反転を決断。残念至極ではあったが、一人旅、無理はよくない。

ここらで雨もきつく、道も険しくなった
このちょっと先で、無念の転進

それから、ゆっくりと吉備津彦神社へ向かい、下って行った。雨で山の上の清掃作業を終えた人たちがわたしを軽々追い越して、下山してゆく。齢はわたしより上のはずのその一群、足取りのあまりの軽さにほれぼれするしかなかった(通常の足であれば不安を感じるほどの山ではないのだろう)。

軽々と下る作業の人々

そして、吉備津彦神社に到着。再度、お参りした後、吉備線で岡山へ戻り、当夜の宿であるホテルグランヴィア岡山に辿り着いた。


過酷?な山歩きで両脚は筋肉痛というか、もう一歩も歩を進められぬといった状態で、バスタブに急いでお湯を張り、じっくりと足をもみほぐし、明日の吉備津神社からの御陵登攀に備えた。


その後、一息ついてから駅前の赤ちょうちんにでも繰出そうと考えていたが、そぞろ歩きする体力も残っておらず、ホテル内の“吉備膳”という和食店で、ママカリの南蛮漬けをつまみに“鬼の城”など地酒で英気を養う形となった次第である。




小保方晴子さん、「STAP細胞は200回以上作製に成功」=5.5日に一回作成できた

小保方晴子・理研研究ユニットリーダー(UL)が、8日1時より大阪市内のホテルで、弁護士を伴ない記者会見を開いた。


そのなかで、「STAP細胞は(これまで)200回以上作製に成功しており、真実です」と語った。


今回のSTAP細胞論文疑惑の騒動のなかで、もっとも知りたかった事実、つまり、STAP細胞の存在の有無であるが、この件につき同氏は冒頭の発言をし、「真実」という言葉で、疑惑を一蹴しようとした。


3時現在でまだ、記者会見は継続中だが、ご本人はSTAP細胞なるものの作製に200回以上も成功し、それを自分は確認しているとした。


ある記者の方が「(STAP細胞の存在を証明するため)、これまで以上の強力な材料を新たに提供することはあるのか」といった質問をしたが、これに対しての納得できる確答はなかった。


そして、記者会見を訊いていて、どうも小保方
さんは今回の騒動の本質がわかっておられないのではと感じられてしようがなかった。


今回のSTAP細胞論文不正疑惑は、論文の作成過程のねつ造、画像改ざんがあったかどうかが本質ではなく、STAP細胞という再生医療の世界において夢のような万能細胞が本当に出現したのか否かということが確認されれば、言葉は乱暴で適切でないことは承知のうえで申し上げれば、夢のようなSTAP細胞の作製が現実に存在するのだと世界に知らしめることが出来るのであれば、画像をねつ造しようが一部、改ざんしようがそんなことはどうでもよい。


人類の夢である再生医療に多大な貢献をするSTAP細胞が創出できたのだから。


しかし、それが科学的な客観的データで再生が確認されること、それこそが科学者としての反論、ロジックで正当性を立証するのが、自然科学の世界の常識だと考える。


同氏がいう「200回以上も作製に成功」というのであれば、3年間で200回のSTAP細胞が作製できたことになる。


そうすると、単純なわたしの頭で算数すれば、(365日×3年間)÷200回=1回/5.5日という計算になる。


要すれば、平均5.5日で1回のSTAP細胞の作製が可能であると言うことになる。


そうであれば、すぐにでも、第三者を側に置いた実験においてSTAP細胞を作ってみせることである。理研が言ったような1年間も再現実験にモヤモヤの月日を費やす必要はないし、貴重な頭脳、費用を無駄にすることはない。


さらに、会見の席上で、小保方
さんとはインディペンデントな第三者がSTAP細胞を作製していることを同氏が明らかにした。


名前はこの場では言えないとしたが、これほどの大発見である。堂々とその第三者にもご登場いただき、速や
かにこの偉大な発見に対する謂われない疑惑、中傷を払拭してもらいたいし、科学の発展のためにも当然そうすべきである。


と、言いながら、何だかなぁ・・・この大発見・・・、算数の問題で結論がでるような気がしてきたのも、会見を訊いた後の率直な感想である。




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小保方晴子、科学者の志が一片でも残っているのであれば、正直に全てを話すべき

本日、理研の丹羽仁史・プロジェクトリーダー(PL)の会見があった。


同氏は小保方晴子・研究ユニットリーダー(UL)が英科学雑誌「Nature」に発表した「STAP細胞」論文の共著者の一人で、論文不正問題をうけて、渦中にある “STAP細胞”の再現実験で研究実施責任者を務める。


同氏について、4月1日、” 研究論文の疑義に関する調査委員会”(石井俊輔委員長)は、「論文作成の遅い段階でこの研究に参加したものであり、画像データの抽出等には関与しておらず、不正は認められなかった」とした。


丹羽仁史氏は幹細胞生物学の分野の一線で活躍する研究者だというが、その人物が今日、憔悴し疲労の影を濃く落とした姿で、時折、苦渋の表情を浮かべて、「STAP細胞」論文ではより簡便に作成できるとされたSTAP細胞の再現実験を行う手法・手順等について説明を行なった。


時代の最先端を走る難解な研究テーマであるため、実況中継の一部を聴いたくらいでは、当方、チンプンカンプンで、もちろん、理解などできない。


ただ、STAP細胞の存在の有無について質問された際に、この論文発表に関わった科学者としての言葉を発したことで、このSTAP細胞不正問題については、これ以上、検証に無駄な時間や頭脳、それから税金を投入すべきではないと強く感じた。


と言うのは、丹羽PLが「(わたしは)Nature論文の撤回に同意していますので・・・」と語尾をフェイドアウトした語り口が、現段階で、“STAP細胞は存在しない”との強い心象を抱いていることを伝えたように思えたのである。


さらにSTAP細胞の存在について同氏が、「あるかどうか分からない」という立場で、「あるかどうかを(科学者として)知りたいというスタンスから、検証実験に参加することにした」と、咽喉から絞り出すようにして語った時、総合的な見地から、もう、こんな猿芝居、茶番劇は止めにすべきであると思った。


そもそも、論文の画像の一部に不正、ねつ造があったと調査委によって断定されたSTAP細胞問題だが、誰しもが不思議に思うのが、小保方晴子ULが簡単にできると言っていたSTAP細胞の再現を純粋な科学者として淡々とやってみせれば、この混乱、疑惑は一挙に収まり、逆にまた賞賛の嵐となるのは当たり前のことであるからである。


何も弁護士までつけて、「悪意のない間違いにもかかわらず改竄、捏造と決めつけられたことは、とても承服できない」と反論したり、不服申し立てを行うなど無駄な時間を費やすことなく科学者として、STAP細胞再現という客観的事実を示すことにより、わたしのような愚かなる世の民を納得させればよい。


彼女がいま取り組むべき最重要課題はSTAP細胞の再現であり、いまの彼女の有り様はロゴスこそが命のはずの科学者からは遠い対極にあるパトスの支配する愚かなる姿であると云わざるを得ない。


小保方晴子という人物にいささかでも科学者としての志、あるいは魂のひと欠片でも残っているのであれば、もういい加減に人前に出てきて、正直に全ての真実を語るべきである。


小保方ULの研究不正という事態を招いたことの責任は重大であると指摘された笹井芳樹・CDB 副センター長や若山照彦・国立山梨大学生命環境学部教授の両名についても、同様に早いところ会見場に姿を現し、これまでの経緯につき真摯に事実を述べてもらいたい。


そのうえで、日本の優秀な頭脳集団のひとつとされてきた理研の、組織としての問題点の洗い出しを徹底的に行ない、こうした問題の再発を防止する対策を講じ、責任をどう具体的にとるのか結論を出すべきである。


このSTAP細胞の再現追試に貴重な時間とコストを費やす研究者は日本にも世界にも見当たらないとも云われている。


だが、理研は自らが招いた疑惑であるため、事の決着をつけざるを得ないことも、事実である。


Nature」に論文を通すため、丹羽氏は誰か上司から共著者として名前を貸せとでも云われたのかも知れない。そして、共著者ではあるが、不正問題についてはシロとされたため、一年間のおそらく徒労に終わるであろう不正論文の追試という研究者としての十字架を背負わされたのではなかろうか。


そんな不条理を避けるためにも、小保方晴子は速やかに真実を正直に語らねばならない。さもなければ、堂々とSTAP細胞を創り出して見せればよい。


とるべき行動は単純であり、下すべき決断は一瞬である。



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渡辺喜美・“8億円借金問題” 往生際悪すぎ!脱官僚の前に政治不信の払拭を

渡辺喜美・みんなの党代表が、化粧品大手ディーエイチシー(DHC)の吉田嘉明会長から8億円を借り入れた件で、いままさに醜態を演じている。


3月26日発売の週刊誌・「週刊新潮」に吉田嘉明会長の手記が掲載されてから、“8億円問題”が世の中に明らかにされた。


発覚当初はテレビインタビューにも応じ、「熊手購入」、「政治資金ではない」、「個人的借入」だと政治資金規正法や公職選挙法には抵触しない旨の言い逃れをしてきた。


そして、28日、吉田嘉明会長によって、2012年・衆院選前の「あと5億円ほど必要」との融資依頼メールを明らかにされてからは、「党の選挙での躍進を願って活動資金を調達するのは当然だ。選挙資金としての融資申し込みが本当でも、法律違反は生じない」(31日)と、渡辺代表は自身のHPで、釈明というより開き直ったものだ。


そして、「今回の騒動の本質はみんなの党から分かれた江田憲司氏の結いの党が仕掛けた権力抗争です」とまで、問題点の所在をすり替えようとしている。


国会議員の給与カット・定数削減や公務員制度改革を消費税増税の前にやるべきこととして、毅然として行革を推し進めようとする同代表の姿勢は、行革推進が掛け声だけでは駄目なのだと、その明快な物言いと相俟って国民の一定の評価を勝ち得てきたといってよい。


それが8億円もの大金を明らかに政治資金として借入しときながら、この10日間の渡辺代表の物言いは“さすがにないだろう”と、断罪するしかない。


事が露見し、不利な事実が次々と公表されるに至り、渡辺喜美代表は何と天の恵みなのか、“声が出なくなり”1日午前の党役員会を欠席。


また“みんなの党”HP上で、毎週木曜日にインターネット生放送されていた『週刊みん生!』も、今週(4/3)は“機材トラブルのため、中止とさせていただきます”ということで、まぁ、都合よく機材も故障してくれるなど党あげての“渡辺隠し”、“不正の隠蔽”と勘繰られてもおかしくない都合のよい出来事が続いている。


自民党を飛び出て、脱官僚という政治改革を標榜、メリハリのついた言葉力で与党提案の政策につき是々非々の対応をとってきた“みんなの党”。


反対!反対の旧来野党と一線を画した新しいスタイルの野党として独特の立ち位置を占めつつあったのに、現在の渡辺代表および同党の対応は誠に残念であり、遺憾である。


猪瀬直樹前東京都知事を引き合いに出すまでもなく、これまで舌鋒鋭く他人を攻撃・糾弾してきた人間は、殊に政治と金については、率先垂範、その嫌疑については逃げ隠れするのではなく、そのよく回る“舌”を動かし、国民が納得するまで説明を尽くすべきである。


そして、その出処進退はなおさらの如く堂々と、後ろ指を指されぬ始末をすべきものと考える。

それでなくとも、政権交代により歴史的政治改革を成し遂げることを期待した国民が、民主党の体たらくで受けた有形無形の傷は甚大である。


このままでは政治不信は深まる一方であり、今回の対応如何によっては、政治不信という根深い病は治癒不能の宿痾(しゅくあ)と化してしまうことは必然である。


その先にあるのは、政治に対する無関心、己さえ良ければそれで良い、弱者を思いやらぬ殺伐荒涼たる社会であることは言を俟たない。


それにしても、DHCの吉田嘉明会長という人物、謎の多い人ですね。ちょっと、というか、かなり気味の悪い話のような・・・


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新宿御苑で花見に興じる(2014年4月1日)=御苑は桜の種類も多く、しばらく満開で〜す

今週の天気予報も今日が晴れで、あとは曇り日が多いとのことだったので、年度初めの41日、晴天のもと新宿御苑まで足を伸ばし、2014年初の花見に興じた。

やっぱり満開の桜は素晴らしい

今週が都心の花見も盛りと、平日であるにもかかわらず、多くの人々が新宿御苑を訪れていた。新宿門から入苑したが、お昼休みと言うこともあってか、その人の多さには正直、驚いた。

お昼時に花見に訪れる人びとも驚くほど多い

苑内では家族連れからカップル、日本人だけでなくアジアの人たち、欧米人と様々な人々が、美しい満開の桜にため息をもらしていた。

外人さんも花見です

朝方、少し雲が覆っていたものの、お昼には青空が広がり、絶好の花見日和となった。その青空を背景に桜花が咲き乱れる様子は、いつ見ても美しいと感じた。

満開です

新宿御苑の桜は、わたしはおそらく初めてか、学生時代に来たことがあるかぐらい。こんなに桜の巨木があるとは、ビックリである。

一本の桜の樹です
これ、一本の桜の樹です
古木の枝先に健気に咲く桜
古木も健気に桜花を咲かせています

例年、御苑の花見を楽しむ家内の案内で、久しぶりに園内をゆっくり一周した。汗ばむほどでもなく、春の陽射しが心地よく、気分爽快な散策であった。

人出もすごいです

広い芝生の上では家族連れや昼間なのに職場の仲間だろうか、雑多な人々がうららかな陽光のもとで、日本の花、美しい桜の花を観賞、いや、花より談笑に花を咲かせているグループも多くおりました。

花見に興じる家族連れ

そしてNTTビルを望む新宿御苑ならではの桜の風景なども一興であった。

御苑の花見の醍醐味ですかね

日本庭園の一画、松の緑のなかに白く棚引く雲のように咲く桜も見事である。

日本庭園に咲く桜

池面に枝を垂らし、その末梢まで花を咲かせた桜には、誰しも趣きを感じるのだろう、たくさんの人が芸術家の顔となり写真を撮っていた。もちろんこの彦左衛門も何枚も撮りました。

水面に垂れる桜花

苑内の桜の種類は多く、寒緋桜という桜も変わっていて面白い。

寒緋桜 ハナカイドウ
左:寒緋桜                右:ハナカイドウ

また、“アメリカ”という桜も最近、桜の色が白くなったと感じるなかで、いわゆる桜色の花びらをつけており、その美しさにちょっと複雑な感情を抱いた。その横に“陽光”という桃色の花を咲かせた桜もコラボして、豪勢な花見を演出しており、園内を回遊して興味は尽きない。

アメリカの向こうに陽光
手前が”アメリカ”、奥の桃色の濃い桜が”陽光”という品種
逆光と桜
逆光と桜

さらに、八重桜や枝垂れ桜などはこれから咲き初めということでまだまだ、しばらく満開の桜を楽しめそうである。

枝垂れ桜はこれから満開
この枝垂れ桜が満開になったら、さぞかし美しかろう

日本人は春といえば桜。秋といえば紅葉。大勢の人出に賑わう新宿御苑で興じた花見。日本人には花鳥風月を愛する心が染みついているのだと感じた心地よい一日であった。


そして、その中に混じって桜を愛でる外国の人たちも、美しい自然の前ではわれわれと同じように“花鳥風月”を愛でる心を有しているのだと、至極、当り前のことに気づかされた一日でもあった。


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