彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

February 2014

信州の鎌倉 その6=中禅寺・薬師堂(重要文化財)

信州の鎌倉 その1=塩田平
信州の鎌倉 その2=北向観音堂
信州の鎌倉 その3=安楽寺
信州の鎌倉 その4=常楽寺
信州の鎌倉 その5=独鈷山・前山寺

上田市前山1721番地

塩野神社前より独鈷山
独鈷山


中禅寺は独鈷山(標高1266m)の北側の山裾(同600m)に位置し、先述した前山寺の末寺となっている。


中禅寺の拝観時間は午後4時まで。われわれが到着したのは4時を20分ほど過ぎた頃。本堂は閉まっていたので、御朱印をもらうことはかなわなかった。


25 中禅寺・本堂

しかし、境内には自由に足を踏み入れることができた。ご近所の方が夕刻の散歩に来られていたので、観光寺院とは異なり、近在の人々の日常生活のなかに融け込んだ、共に長い時を刻んできた純朴な“お寺”なのだろ
う。

中禅寺・標石

本堂入口の左手に、これまた質朴簡素な仁王門がある。門の両脇に金剛力士像が睨みを利かせていなければ、田舎の普通に古い家の手入れをしていない門のように見える。

中禅寺・仁王門
仁王門

ただ、最近の研究調査によって、二体の金剛力士像は平安末期の制作のものと判明し、日本で5番目に古い仁王像なのだという。


吽形・金剛力士像(左) 阿形・金剛力士像(右)
左:吽形の金剛力士像        右:阿形の金剛力士像

そんな貴重な仁王像だが、あまりにも素っ気なく置かれているので、どうもありがたみに欠ける。それはまことに失礼というものだろうと、今は深く反省している。

中禅寺・薬師堂斜め方向から

その仁王さまを横に見て、仁王門をくぐった正面に、重文に指定される薬師堂がある。

この薬師堂は平安末期から鎌倉初期に建立されたものである。藤原時代に数多く造営された「方三間の阿弥陀堂形式」という建築様式で、平泉の中尊寺金色堂などが有名だが、中部日本では最古の木造建築物とされている。


中禅寺・薬師堂正面より
薬師堂正面

屋根は茅葺きで、方三間の宝形造である。四囲のどちらから見ても柱が四本立ち、その柱と柱の間(けん)が三つある正四角形の建物である。


薬師堂真横から
薬師堂真横より

正面三間と側面第一間には、両開きの板扉が設けられている。また、背面には引き戸の入口が一つ存する。


散策の人もいなくなった境内に建つ薬師堂は、鎌倉という時代が語りかけてくれているようで、まことに端正で質実剛健な佇まいを見せていた。

パワースポット 磐座群から放たれる精霊の気配 延喜式内社・“塩野神社”

元気(パワー)をもらう神社旅行
辰宮 太一
ジェイティビィパブリッシング
2009-06-30


塩野神社は独鈷山(とっこざん)の北の山麓に位置し、中禅寺から100mほどの至近に、人影もまれな森厳な社叢のなか、ひっそりと鎮座している。

道筋に案内板

当社は、『日本三代実録(901年編纂)』に貞観15年(873)、「信濃国塩野の神」に “正六位上”の位階を贈ったとの記述を残すほど古くて由緒ある延喜式内社である。

式内郷社塩野神社の標石  塩野神社境内図
杉木立入口に立つ標石             境内図

社伝によれば、白鳳元年(661)4月に出雲大社から独鈷山頂上近くにある鷲岩の上に、分霊、勧請されたとあり、後世、この塩野の人里へ遷座されたのだという。

塩野神社前より独鈷山
塩野神社前から独鈷山を望む

従って、その祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、大己貴尊(おおなむちのみこと=大国主神)と少彦名尊(すくなひこなのみこと)の三柱の出雲系の神々である。


空高くそびえる杉並木の細い参道を抜けると、社務所や枯れた神木の根を囲む祠が建つちょっとした広場に出る。ここを馬場となし、祭事として流鏑馬神事が行われるという。

杉木立
杉木立の先に一の鳥居が見える
境内社・十二社飛来姫命
鳥居前の広場 境内社・十二社飛来姫命

そして、その奥、正面に鳥居が立つ。鳥居を抜けると沢を跨ぎ、神橋が架かっている。

太鼓橋の下を流れる細川
太鼓橋の下を流れる細川

独鈷山を水源とする幾多の湧き水が当社境内の沢に流れ込んでいるが、その沢水が本流たる塩野川に合流し、塩田平をうるおしてきた。同社が、古来、水の神として信仰を集めた由縁がそこにある。

太鼓橋と正面に拝殿
神橋の向こうに楼造りの拝殿

その聖なる沢を跨いでゆるやかな弧を描き太鼓橋が架かっている。神橋を渡ると正面に二階建ての一風変わった社殿が建つ。

楼造り拝殿
楼造りの拝殿・勅使殿の扁額を掲げる

正確には“楼造り”といわれる建築様式で、寺院では有名なところで法隆寺の経蔵・鐘楼や唐招提寺の鼓楼があげられるが、神社ではとても珍しいものである。

塩野神社拝殿と本殿
前が拝殿、奥が本殿

社殿は江戸時代の建築物で、楼造りの拝殿が寛保三年(1743)の再建、その奥の一間社流造りの本殿は寛延三年(1750)のものといわれている。


この拝殿の右前方、木立のなかに石祠の載る磐座の一群がある。その一画には“霧不断の香”でもたき込められたように神気が漂い、どこか凛ととした荘厳さが感じられた。

磐座1 磐座2
苔むす磐座の数々
磐座3 磐座4
樹林に鎮まる磐座
石の祠 磐座5
石祠が載っています

雨があがった時分などに参拝できれば、樹間に揺れる葉先に宿る滴の耀きや木漏れ日のゆらぎのなかで、沢に流れるせせらぎの音が木魂し、俗世の慾や身の穢れもいっさい落とされて、その爽快感はさぞかし言語に尽くせぬ最高の気分になるのではないかと思った。


お一人で、または愛する人と一緒に、この聖なる地を訪れてはいかがであろうか。ミステリアス・スピリッツを総身に浴びることのできるパワースポットである。

ジャンプ男子団体実況、銅メダル。16年ぶりのメダル獲得! ドイツ金、オーストリア銀。

ジャンプ男子団体、一回目終了時点で、ドイツ、オーストリアに次ぎ507・5ポイントで第3位。トップとの差は11・5ポイント。

原田雅彦のノーマルヒルジャンプ失格は余りにお粗末(2006.2.12)


2月18日午前2時15分、日本チームがメダルを狙うラージヒル・ジャンプ男子団体競技がスタートした。


第一回目の出場国は12チーム。その上位8チームが決勝進出する。日本の滑降順位は8番目。


日本チームの代表メンバーは滑走順で清水礼留飛(ラージヒル10位)、竹内択(同13位)、伊東大貴(同9位)、葛西紀明(同銀)の四選手である。


まず第一回目12人の試技が2時15分にスタート。

第一走グループの清水は8番目で、2時22分にスタート。

132・5m、127・8ポイントで、第一走グループが終わった時点で日本は第2位につけた。


次の第二走グループは、ゲートがひとつ上がり、距離が出る条件となった。

竹内は追い風のなか、127mを飛び、117・9ポイントで第二走グループが終わった時点で第4位と順位を落とした。この時点で日本はトップのノルウェーと15.4ポイント差となる。


第三走の伊東は2時49分にスタート。追い風のなか130・5mのジャンプで、第三走グループが終わった時点で日本はトップのオーストリア、2位のドイツに続き、第3位とひとつ順位を上げた。トップ・オーストリアと12・0ポイント差となる。


この第4走グループから、ゲートが第一走グループと同様の32番ゲートへとひとつ下がる。

第四走のエース葛西は3時2分にスタート。134・0m、131・5ポイント。

第一回目終了時点で、日本は合計507・5ポイントで、総合順位をドイツ、オーストリアに次ぎ第3位。トップとの差は11・5。


金メダルへ向けて第二回目の試技。

二回目は8チームのうち、日本は4番目に飛ぶ。長のオリンピックの時、以来、16年ぶりのメダルに挑む。


二回目は33番ゲートを使用。

3:29スタート。清水が131・5m、132・6ポイント。一走終了時点で、504・1ポイント。トップのオーストリアとの差をわずかに6・8ポイント差に縮め、第3位につけた。


竹内が130・0m、合計ポイント760・6。第二走終了時点で、トップのオーストリアと16・2ポイント差と開くも、第3位とメダル圏内をキープ。


何だか、解説者の原田雅彦?が関係ない話などして盛り上がりを欠く、素人のような解説で、やたら気になるゾ〜!!


もっと、日本チームに喝を入れろ!!

どうも、金狙いの解説じゃなくて、銅メダルが獲れるかどうかのネガティブ思考のアナウンサーと解説者に、ゲンナリ!


伊東が132・0m、127・0ポイント。どうも膝をまた痛めたみたいなジャンプ。この時点で第3位。そして、第三走が終了した時点で、ドイツが一位に順位をあげた。日本は二位のオーストリアと19・4ポイント差と差が拡大、金・銀メダルが遠のいてゆく。


4時3分、いよいよ葛西が最後から三番目の滑走に入った。

134・0m、137・3ポイント。この時点でトップに立ち、銅メダル以上が確定。


結局、日本は第3位。一位がドイツ、オーストリアが二位。

でも、何だか、このアナウンサーと解説者の最初から最後まで金銀は無理と決め込んだ解説には、正直、ゲンナリ!!


何はともあれ16年ぶりの銅メダル獲得、おめでとう!!


選手はみんな頑張ったぞ、オメデトウ!! オメデト〜!!

レジェンド・葛西紀明、プレッシャーのなかよくぞ跳んでくれた、滑降、いや恰好よかったよ!!

 

ジャンプ男子団体、一回目終了時点で、ドイツ、オーストリアに次ぎ507・5ポイントで第3位。トップとの差は11・5ポイント。

ジャンプ男子団体実況、銅メダル。16年ぶりのメダル獲得! ドイツ金、オーストリア銀。

2月18日午前2時15分、日本チームがメダルを狙うラージヒル・ジャンプ男子団体競技がスタートした。


第一回目の出場国は12チーム。その上位8チームが決勝進出する。日本の滑降順位は8番目。


日本チームの代表メンバーは滑走順で清水礼留飛(ラージヒル10位)、竹内択(同13位)、伊東大貴(同9位)、葛西紀明(同銀)の四選手である。


まず第一回目12人の試技が2時15分にスタート。

第一走グループの清水は8番目で、2時22分にスタート。

132・5m、127・8ポイントで、第一走グループが終わった時点で日本は第2位につけた。


次の第二走グループは、ゲートがひとつ上がり、距離が出る条件となった。

竹内は追い風のなか、127mを飛び、117・9ポイントで第二走グループが終わった時点で第4位と順位を落とした。この時点で日本はトップのノルウェーと15.4ポイント差となる。


第三走の伊東は2時49分にスタート。追い風のなか130・5mのジャンプで、第三走グループが終わった時点で日本はトップのオーストリア、2位のドイツに続き、第3位とひとつ順位を上げた。トップ・オーストリアと12・0ポイント差となる。


この第4走グループから、ゲートが第一走グループと同様の32番ゲートへとひとつ下がる。

第四走のエース葛西は3時2分にスタート。134・0m、131・5ポイント。

第一回目終了時点で、日本は合計507・5ポイントで、総合順位はドイツ、オーストリアに次ぎ第3位。トップとの差を11・5に縮める。


日本は、これから金メダルへ向けて第二回目の試技に挑むことになる。



 

“白菜窃盗”、ここまで曝す必要はないだろう。メディアの放送基準は何なのか

「『珍しい白菜だった』木更津市職員を窃盗容疑で逮捕」

これは、13日の民放テレビでこのキャプションで放映されたニュースである。


「東大生、中2女子に裸画像送らせる 家出で発覚、逮捕『13歳と知っていた』」

こちらは、14日にこのタイトルで配信された新聞報道(ウェブサイト)である。


白菜泥棒の報道は、この事件?がテレビのニュースで流さなければならぬほどの事柄なのかというそもそも論もあるのだが、まぁ、流してしまったのだからいまさら仕方がない。問題は、ニュースのなかでその職員の名前・年齢まで明らかにした必然性は何かということである。


また次の裸画像送付つまり児童ポルノの件では、罪を犯した弱冠二十歳の学生の実名がしっかりと記載されていた。これも、実名まで報道する必要性があったのだろうかということである。


もちろん、どちらも、やってはならぬ罪である。


とくに後者は、国際社会でも多くの深刻な問題を抱え、関心の高い児童ポルノにかかる犯罪であるから、児童買春・ポルノ禁止法の厳格適用の観点からも摘発・逮捕は当然であろう。


だが、メディアのニュース報道にあって気になるのが、強盗殺人事件などの重大犯罪などは報道されるのは当然だが、それらと比較すると明らかに微罪であると考えられるものでも、それを犯した人物の属性によってどうも報道される場合とされない場合があるということである。


なるほど、社会的地位の發ぜ圓筝的性格の強い職業についており社会に対する影響が大きいと判断される場合などは、微罪であっても報道がなされ、かつ実名も公表されるケースが多い。

それにしても、本当にそこまで執拗に報道する必要があるのかというケースも正直ある。


その者が犯した罪が社会に大きな影響を及ぼすと判断される場合、それは例え一般的には微罪であったとしても、報道に値するケースはあるだろうし、そうした場合は、わたしは多分、違和感を覚えぬことから、今回のような憤りを感じないのだと思う。


今回、なぜ、実名までもという報道が続いたものだから、敢えて、言うのだが、メディアに今回の報道について胸を張って言えるような公正・公平な基準があるのだろうか。


属するのが東大という名前だけで、やっつけてやれといった品性下劣な気持ちが蠢いていなかったか、面白いからやっちまえといった思いが頭をかすめなかったか。


白菜を盗む、それも理由が下らぬ、これは笑えるといった視点で、報道をしなかったか。


そして、ある意味、これからの人生を大きく毀損(きそん)させるに十分な“実名報道”ということまで、この二つの事件?はされねばならなかったのだろうか。


未成年の場合は重大事件を起こした者も、基本的に実名報道はされない。


しかし、成人であれば、罪を犯せば、どんな場合でも実名報道されても仕方がない。

成人なのだから、罪を犯すことには当然、それに付随して社会的責任を負わねばならぬ。


ただ、白菜のケースは起訴され、裁判までいくのかも疑問だし、たとえ裁判で有罪判決が下っても、罪を贖ったものには、今度は、更生して社会に復帰する権利がある。


また、20歳の若者の場合は、児童ポルノというまだ13歳という少女に対する行為であるので、何ともこれも言いようのない事柄ではあるが、これも、裁判になれば当り前だが、実名で判決が下される。


それで、刑を執行するのであれば、そこで粛々と刑に服すればよいし、それが終われば、しっかりと更生し、常識ある社会人として生きてゆけばよい。


何も、過ちを犯したこの段階で、実名を曝され、あまりにも重い社会的制裁を受けさせる必要はないのではないか、そう考えたのである。


今回のケースは、思慮の足りぬメディアのちょっとした一言が、ひとりの市井人をあまりにも事も無げに苛酷な人生の流れに放り込んだようで、どうにもやるせない気持ちになったのである。


平野歩夢、平岡卓選手がスノボー・ハーフパイプで銀・銅、高梨沙羅選手はスキージャンプ女子で4位、素晴らしきティーンエイジャーたち!!

ソチ五輪のスノーボード・ハーフパイプ男子は11日(日本時間12日未明)の決勝で、15歳と18歳の若人が銀メダルと銅メダルを獲得した。


一方、ほぼ同時刻にルスキエ・ゴルキ・ジャンピング・センターで行われた女子スキージャンプで、17歳の高梨沙羅選手が4位に終わった。


晩酌で熟睡できたのか、午前3時頃に目が覚めてしまった。枕元のラジオをつけると女子スキージャンプを放送中だった。“あぁ、沙羅ちゃんが飛ぶんだ”と、パジャマの上からセーターを着込み、靴下をはき、階下の居間でテレビをつけた。


NHK総合でスキージャンプ、BS1でハープパイプを放映していた。BSと地上波放送をボタン操作で目まぐるしく切り替えながら、青春のエネルギーを発散させる様子を見逃すまいと目を凝らした。


まず、ハーフパイプで息を詰めるようにして平岡卓と平野歩夢の二回目の試技を観た。最後の絶対王者のショーン・ホワイト(米)の競技を残した時点で、平野歩夢選手が二位、平岡卓選手が三位。


そしてショーン・ホワイト(米)の最終滑走がスタート。

ちょっとだけ胸は痛んだが、正直言って、失敗してくれぇ〜・・・と強く祈ってしまった・・・

いま一つ技のキレは悪い・・・ようにハーフパイプ即製評論家は見切った。


その結果、ショーン・ホワイトの点数は90.25

三位の平岡卓は92.25   あぁ〜凌ぎ切ったぁ〜・・・

ショーン・ホワイトの急追を退け、銀と銅のメダルをとった。


その頃、ルスキエ・ゴルキ・ジャンピング・センターでは、一回目第三位の記録に終わった高梨選手が二回目の試技に挑もうとしていた。


五輪前のW杯で圧倒的強さを見せていた高梨沙羅選手。初の五輪競技ということで注目を一段と浴びたなかでの本番。


一回目は上位選手が向かい風のなか有利にジャンプしたなか、最終試技の高梨選手の時のみ、不利な追い風という不運も重なったなかで、100mのジャンプ。

そして、遠く日本の地から還暦を過ぎたひとりの男が念力を送るなか、二回目の試技がはじまる。


サッツ(踏みきり)はうまくいった、空中姿勢もよし、あとは飛距離・・・・・・


着地!うーん、テレマークは入ったのかなぁ・・・、ちょっと不安・・・


飛距離は98.5m。あれっ?100mいってないんだ・・・・・・


点数を待つ。残り二人を残すこの時点で・・・二位。


そして一つずつ順位を落とし、残念ながらメダルに届かず、無念の4位。

時刻は午前4時(日本時間)。テレビを消し、寝に上がる。


その日のお昼。メダルを逸した高梨選手が涙を流す写真を見た。


胸がキュ〜ッと締め付けられた。そして、“そんな顔しないでいいんだよ、沙羅ちゃん”と、心の中でつぶやいた。


メダルに輝いた若人・・・・・・

確実視されたメダルを逃した若人・・・・・・


それもこれもひっくるめて、ぜ〜んぶ、青春。

それもこれもあるのが、人生。上がったり下がったりが、そう人生ってもんなんだよな・・・と、しみじみ思う。


でも、ティーン・エージャーが躍動したこの日。

栄光の歓喜にキラキラと輝く瞳・・・・・・

悔し涙にうるむ瞳・・・・・・


両者ともかぎりなくいとおしい・・・美しい・・・

そして、なぜか甘酸っぱくて、切ない・・・


そんな瞳のみずみずしい表情をいつの頃からかこの自分は失っていたことに気づいた。


青春・・・・・・

それは可能性を何度でも試し、チャレンジできる“時間の泉”を、両腕いっぱいに抱え込んだ人生のスタート地点だったのだなと気づいた。


そして、しばらくして・・・還暦を過ぎたわたしに、青色の濃さが薄くはなったものの、“浅葱色の青という春”のスタート地点に臆することなく、恥じることなく立っていいんだよと、この若人たちに言われたような、背中を押されたような気がしてきた。


やはり、青春の真っただ中にいる人たちの持つエネルギーは凄い。

遠いロシアのソチの地からこの日本の片隅にいるひとりの人間に、こんな当たり前のようででも、大切な人生訓という手紙を届けてくれたのだから。


ありがとう、平野歩夢君、平岡卓君。

ありがとう、高梨沙羅さん。


ありがとう!! 日本のティーンエイジャーたち!






2014年節分・鬼は外、福はうち!!

早いもので、もう今年も節分。

福豆

明日は立春である。

今日は4月上旬の温かさ、でも、立春の明日は雪が降るとの予報。最近の気温の変動は何とも年寄り泣かせである。


夫婦二人となってしまったわが家で、今年も豆まき。


家内が“豆まき、やる?”と訊くので、“もちろん”と応えた。


そして、“鬼はそと〜”と大声張り上げた。

そして、あとの掃除が大変だからと、例年、控えめに撒いていた豆を、今年は思いっきり、“福はうち〜!!”とやった。

豆を多く撒かないから、いつもジャンボ宝くじが当たらないんだよと、二人納得顔で撒いたのが、下の写真。

福はうち!


やはり、あとの掃除が・・・と躊躇したのかなぁ・・・豆・・・少なすぎ・だよね・・

何だか、今年も宝くじはダメそうですね・・・


でも、鬼は外!だけは豪快にやった。

まぁ、健康第一で一年が過ごせればいいよねと、またまた、二人で納得。


去年はこれより豆が少なかったかなぁ・・・


それでも、二人健康で過ごせたのが何よりだったのだから・・・・・・

 

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭


神事が御旅所のなかで続くなか、われわれは屋台が到着するまでの間、桟敷席左斜めと左後方に次々と打ち上げられ、炸裂する大輪の花火の彩りに酔い痴れ、“うわ〜!”、“すごい!”、“キレイ!”などと嘆声をあげ、あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”の世界にどっぷりと浸る。


そしていよいよ、午後8時半まえ・・・

団子坂方向から秩父囃子の軽やかな音に覆いかぶさるようにして、うねるような群集の響(とよ)みが地鳴りのように伝わってきた。団子坂頂上に、曳き子の人たちが姿を現し、“中近”と標した高張提灯が見えてきた。

00・団子坂頂上に中近の高張提灯が・・・

一番目に、毎年御旅所への一番乗りの栄誉をいただく中近笠鉾がやってきたのである。

1・中近笠鉾、団子坂駆け上る

御神幸につづく笠鉾・屋台の奏曳順は不変ということで、中近笠鉾、下郷笠鉾、宮地屋台、上町屋台、中町屋台、本町屋台の順で続いてゆくのだそうだ。


それから30分後。今度は下郷笠鉾が姿を現す。あの白木造りの笠鉾も、夜の闇のなか強いライトを浴びて身に纏う4千枚の飾り金具が煌めき、笠鉾は金色に輝いている。

2・下郷団子坂

場内になだれ込んで来る曳き子の数の多さにも観客は驚きの声を発する。ものすごい人数である。

下郷屋台一番乗り

場内には先行して到着した中近笠鉾が奏でる秩父囃子の太鼓の音が人間の情念を掻き毟るかのように響いている。“うお〜っ!”という大歓声が挙がる。最高斜度25度の団子坂を登り切ったのである。

6・中町屋台が団子坂を登って来た

そののちも、順次、屋台が多くの曳き子たちとともに場内へと入って来る。場内の空地も徐々にそのすき間をなくしてゆく。

そして、屋台の数が一基また一基増すにつれ、秩父囃子の旋律は秩父の夜空に反響するかのようにし、その響(とよ)みは場内にいる人間の情念の共鳴をひろげてゆくようである。

7・続々、到着する屋台

すでに場内には五基の笠鉾・屋台がそろい、シンガリの本町屋台を待ち受ける。

8・夜祭りも最高潮

午後10時を数分過ぎた頃、屋台芝居の舞台を解いた本町屋台の登場である。団子坂登りの最後の屋台である。

9・本町屋台・団子坂を登り切る

曳き子と屋台で立錐の余地もなくなった場内に、本町の曳き子が一直線にその引き綱と一緒になだれ込んできた。

10・大勢の曳き子により本町屋台が御旅所へ入ってきた

まさに千両役者の風格である。屋台囃子も天にも届けと太鼓や笛の音がその律動を早め、場内は祭りの終焉へ向けて最後の情念を燃やし尽くす。

11・最後に登場した本町屋台

そして、勢ぞろいした屋台の頭上に花火が二発、美しい輪を広げて、その炸裂音を遠く秩父の山脈へと響かせた。

14・最後を彩る”黄金の滝”

本町屋台のギリ廻しが終わると、御旅所の亀の子石を要に6基の笠鉾・屋台が扇を開いたように形を整える。

午後10時半。2013年の御斎場祭の終了である。

12・本町屋台の最後のギリ廻し
本町屋台のギリ廻し
13・すべての笠鉾・屋台が御旅所へ集結

10時を過ぎると桟敷席の観客は一挙に退席し始めるが、実は10時半から見物客も曳き子たちが一服する場内へ降りることを許される。

御旅所に6基の笠鉾・屋台がならぶ

興奮冷めやらぬ曳き子や氏子の群れのなかに入って祭りの熱気をより身近に感じ、そして、夜空を背景に灯り提灯に浮かび上がる笠鉾や屋台を真下から見上げることができるのである。

1・御旅所へ降りて、左:宮地屋台・右:上町屋台

夜の闇に浮かぶ宮地屋台や上町屋台は、昼間、市街で見た姿とは異なるどこか幽玄の美しさを感じさせた。

5・御旅所に勢ぞろいした笠鉾・屋台

二基の笠鉾がならぶ。

2・笠鉾二基・左:下郷 右:中近

四基の屋台を一望する醍醐味。

3・四台の屋台揃い踏み

いずれも壮観である。

そして日にちを越えた12月4日の午前零時20分頃から、各町内の収納庫へ向けて順次、団子坂を降りてゆく。秩父祭マニアは必見といわれる、いわゆる難度の高い“団子坂下り”が始まる。


寒さも身に応えるわれわれ老夫婦は、そちらは若い方々にお任せするとして、その前に会場を後にした。


それと、車で今夜の宿泊場所・
“彩の森カントリークラブ” へ向かうため、臨時駐車場の南小学校へ向かわねばならなかった。南小の駐車場は午前零時までの利用となっているので、“団子坂下り”を見ることは難しかったのである。


それでも・・・祭りである。


何か大事な忘れ物をしているようで・・・
昂奮した人声があふれ出している屋台が目に入る。
午前零時までにはまだ少し時間がある。“躰が冷えたね”と家内に呟く。“熱いオデンでも食べて行こうか”と、もう足は広い店内へ。すごい人である。当然、クラブハウスまでの運転は家内である。まことに申し訳ないが、わたしのみちょっと体内温度を上げさせていただくこととした。

観覧を終えた人々でいっぱいの屋台

そして暗闇にいたせいか、やたらに明るい。オデンにワンカップの熱燗もと家内にねだる。

おでんで熱燗・武甲で一杯

秩父夜祭の興奮はまだまだこれから夜明けまで続くのだろう。半被を着込んだ若い衆もおり、これからの団子坂下りまでの一服なのかもしれぬと、わたしたちもその興奮の渦の片波に少し体躯をゆだね、揺らさせてもらった。


瞼には秩父の夜空に花開くスターマインの金色の彩りが映る。

そして、耳朶(じだ)には口元まで込み上げてくるような秩父囃子の切迫した律動が響く。


秩父夜祭、存分に堪能しつくした2013年12月3日の一日であった。


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秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能

先にアップした秩父夜祭の花火大会は午後7時半から10時まで間断なく続いてゆく。その間、午後6時半に秩父神社を出発した御神幸(ごしんこう)の行列が1時間半のゆったりとした道行きで神社の真南に位置する御旅所へと到着する。


午後8時、会場内アナウンスのなか、御神幸(ごしんこう)の行列が先導大麻を先頭にしずしずと御旅所前の広場へ入って来る。その後方に長い列が続いている。

1・先導大麻を先頭に御神幸の列がつづく

秩父各町のお供物行列の掲げる高張提灯が厳寒の夜の底をぼんやりと灯し、幻想的な雰囲気を醸し出す。

3・高張提灯も幻想的

グラウンドが暗いうえに遠目なので行列の細部はよく分らなかったが、順番が決まっているとのことであり、先導大麻を先頭に、大榊、猿田彦、楽人、錦旗、御手箱、太刀箱、各町会の高張提灯と供物、神社神饌、大幣、神輿、宮司、大総代、そして2頭の神馬が続くのだそうだ。

2・御神幸の到着

今朝方、秩父神社境内で見かけた御神輿が見えてきた。

0・御旅所へ向かう御神輿

すぐ後ろに秩父神社の宮司や大総代が随う。夜の暗闇が厳かな行列をいちだんと近寄りがたいものにしている。 

4・神輿に続く宮司

その一団のあと暫くして、ご神馬が二頭、御旅所会場へと入って来る。

当夜はそのうち一頭のご機嫌が悪く、二頭揃っての入場とはいかなかったが、ご神馬が嘶(いなな)き、手綱引きの氏子を振り解くごとく場内を走る様は、まさに祭りが動き神々の荒魂の猛々しい息遣いが聴こえるようで圧巻である。

5・神馬の到着 6・二頭目の神馬の到着

そして、先行する各町の名前を誇らしげに標(しる)した高張提灯の行列とも併せ、この神事が古来、秩父神社の神職たちはもちろんのこと、多くの無名の氏子たちの手によって大切に守られ、営々と引き継がれてきたのだということを心底、実感させられた。


御旅所内での儀式の様子は桟敷席からは遠過ぎて、ほとんど詳細は分らぬ。

7・御旅所内での御斎場祭

しかし、ズームを効かせ撮った画像から、祭主の祝詞奏上なのだろうか・・・なんとなくその雰囲気は伝わって来る・・・。

8・祭主の祝詞奏上

そんななか、当夜の会場はこれでもかこれでもかというほどに花火の打上げ音や炸裂音、さらに加えて場内アナウンスの喧(かまびす)しい声々が・・・厳粛な神事とはおよそかけ離れた“晴れの日”の音響が支配していた。

9・御旅所神事と花火

そして、団子坂を登って次々と場内へ集結する屋台。

4・下郷笠鉾、団子坂を登る
下郷笠鉾、団子坂を登る

その最後の屋台が御旅所に到着し、すべての笠鉾、屋台が亀の小石を要として扇状の形に展開し終わった。

それを待って午後10時20分頃から、御旅所内で本義である御斎場祭の神事がはじまるのである。


その頃には桟敷席の見物客は帰宅の途につき、一部の観光客が場内へ降りて、提灯の灯に浮かぶ笠鉾や屋台を間近に見上げることに忙しい。

10・御斎場祭が始まっている頃、桟敷席に人はいない

われわれ夫婦も曳き子たちに紛れ、整列する屋台を見て歩く。実は、この時、御斎場内では、神前において素面で舞う代参宮神楽が奉納され、各屋台では稚児による三番叟が演じられているのだそうだ。

何だか、その時、そんな知識も持ち合わせていなかったので、漫然とグラウンドをさ迷い歩いていたわたしたちでありました。


その厳かな御斎場祭が終わった後、およそ午前0時頃だそうだが、笠鉾と屋台がまず御旅所から各町内に向け出発、団子坂を下る。


その後から御神幸行列がしずしずと続く。この御神幸行列が秩父神社に到着するのはなんと4日の午前3時を
まわるのだという。


そののち6日まで養糸祭や新穀感謝祭、そして例祭完遂奉告祭を最後に秩父神社の例祭の祭事はすべて終了するのである。




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