彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

January 2014

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”


われわれは秩父の山脈に日が隠れてしばらくして、休息をとっていた南小学校(臨時駐車場)から御旅所へと歩いた。


午後7時半から始まる日本芸術花火大会の尺玉や四号玉や9時20分からスタートするスターマイン大会を見ようと、国道140号線沿いに見物客がぞくぞくと繰出してくる。

c:3D

そして、ポン!ポン!という試し打ちの音が秩父の夜空に響き渡り、かすかな衝撃波が秩父盆地の冷気をゆるがす。


途中で軽く夕食をと思い、先刻、目星を付けていた国道沿いの蕎麦屋へ・・・。ところがいつしか貸切中の札が下がり、入店不可。さてさて困ったと探し出したのが、国道からちょっと入り込んだ小さな中華料理店。


え〜、そこも席は空いているが予約席とのこと。交渉のすえ、7時までならOKということで、取りあえず焼飯を注文、腹ごしらえをすませ、押っ取り刀で御旅所の桟敷席へ。


夜祭当日はこうした個人経営のお店は、地元の方々が早手回しに花火の時刻に合わせて借切って、途中、外へ出て道路傍から花火を鑑賞し、寒くなったらお店に入り暖を取るといった利用がされているのかもしれない。国道沿いにあったファミレスに四の五の言わず入っておけばよかったというのが、今回のひとつの反省点であった。


そして7時半頃に御旅所へ到着したが、桟敷席はもう見物客で一杯。

係りの人に席まで案内してもらう。躊躇なく頼むのがよい。暗い中、席を自分で探すのは至難の業である。

氷点下の時もあるという厳寒の秩父である(過去の秩父夜祭当日の気温)。深更におよぶ観覧である、用意してきた毛布をベンチに敷く。さらに準備してきたオーバーズボンを穿き、マフラーに帽子とエスキモーのような格好で、老夫婦二人して、あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”の、さぁ、上映開始である


秩父夜祭のクライマックス。秩父夜祭花火大会のはじまり、はじまり〜

01・あぁあぁ・・・

まずは日本芸術花火大会のスタートである。全国著名の花火師による手練れの花火の打ち上げである。



02・青の饗宴

冬の夜空に広がる大輪の花々は彩り鮮やかで豪華絢爛。美しい秩父絹で巨万の富をつくった秩父商人の豪気さと栄華を想起させる。


あの亀の子石のある御旅所へと静々と広場を歩みゆく御神幸行列。その頭上で繰り広げられる光と音の競演。

1・豪勢な花火が次から次へ

スターマイン(速射連発花火)がその言葉通りに息もつかせぬ勢いで打ち上げられ、厳寒の夜空は華やかな光のマジックを映すスクリーンへと変貌する。



2・美しい・・・

あまりの花火の数、豪勢さに皆、息を呑む。

4・夜空に小菊がいっぱい 5・ぼけても幻想的

美しい!!

6・大輪の花

あぁ・・・すばらしい・・・

7・桟敷席の後方にもスターマインが打ち上げられる

これほど連続して尺玉が・・・

8・冬空に花火

ブラボー!!

9・光が弾ける

尺玉・・・、尺玉・・・

10・青の世界

あぁ・・・あぁ・・・

11・屋台に花火

凄すぎで〜す




12・色とりどり

午後10時10分頃、最後の花火が打ち上げられる。

14・最後を彩る”黄金の滝”

扇状に整列した笠鉾・屋台の頭上高く、大輪の花々が花開く。


当夜はなんと約8000発もの花火が打ち上げられたのだとか・・・

a:タマヤ〜!! b:お見事


夢のような迫力満点の秩父花火大会。ステキ!のひと言。

老夫婦でもほっこり、幸せ気分になれる。


若い恋人同士なら・・・・・・ 
コラッ!! 何を、にやついておる彦左!






秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能

境内に入ると、午前中に目にした本町の曳き廻し屋台(国指定重要文化財)が消えていた。

00・曳き屋台の本町屋台

なんと野外舞台へと見事な変身を遂げていたのである。


冬の青空に映えて、桃色の花飾りも美しく華やかな装いをほどこし、今や遅しと、重要無形民俗文化財指定の屋台芝居の開演を待っていた。

5・本町屋台の舞台出来上り

ここで、本町屋台のいわゆる曳き屋台から芝居舞台への“変化(へんげ)”を簡単に画像で追ってみる。


町を曳き廻される屋台が一部、勾欄などがはずされ、両袖に土台を作り、舞台が張り出してゆく。

01・左翼の張出し舞台の組込み

その一連のよどみない流れは、かつて息子が幼児の折に弄んだガンダムなど合体戦士の玩具を彷彿とさせた。

1・張出し舞台の組立て 2・張出し舞台の骨組み組立てと支え柱

それは、造り替えによっては大空を飛翔する“天空の舞台”の設営も決して不可能ではないと思わせるほどの“変化(へんげ)の技”である。

3・舞台の屋台本体への組込み

その大胆かつ自由な発想を具象化する精緻な計算と精巧な技術は現代のわれわれを括目させる。

4・本町屋台芝居の舞台造り

昔のこの国の匠の技が半端ではなかったことを物の見事に実感させてくれるものであった。

01・本町屋台芝居の舞台

その舞台で最初の演目、前座の“白浪五人男”が始まろうとしていた。舞台前には文字通りの立錐の余地もないほどに見物客が集まっている。

00・舞台前にひしめく観客

囃子太鼓が鳴り響くなか、いよいよ舞台の緞帳が揚がる。


まず、秩父市立花の木小学校5年生の春山夏美さんにより、堂々としてしかもユーモアあふれた口上が述べられる。歌舞伎座の口上よりも実際のところ、声の張り、その内容においてこの少女の口上の方が見事であったと感心した。

1・小学生女子による口上

そして、“白浪五人男”の始まりである。

2・白波五人男

ひとりずつ舞台へ登場し、見得を切る所作に入ると、場内から一斉に“電器屋!”といった屋号の掛け声がかかり、たくさんのお捻(ひね)りが舞う。

3・お捻りの舞う日本駄右衛門の名演技

前座は素人歌舞伎とはいえ、その迫真の熱演ぶりは秩父夜祭を盛り上げるに十分な出来栄えであった。

4・迫真の演技

このあと、秩父歌舞伎正和会による「熊谷陣屋之場」の公演が続くのだが、われわれは厳しい寒さが予想される深更におよぶ御旅所桟敷席での観覧に備え、車中で軽く仮眠をとるため、駐車場の南小学校へと一旦、移動することとした。


午後4時前の南小臨時駐車場と武甲山
午後4時頃の南小グラウンド臨時駐車場

遠くに武甲山の山容がくっきりと見えるが、なるほど、兜の形をしている。秩父出身の俳人、金子兜太氏の俳号の由来がここにあった。浅学非才の身を恥じいる次第。

武甲山

そして、これからわれわれは待ちに待った秩父夜祭のクライマックスである御旅所での神事・御斎場祭と奉曳されてくる笠鉾・屋台の集結、それからアニメ・あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”有名な秩父夜祭の花火大会を観ることになるのである。


その様子は、秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会で紹介する。

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能

まだ11時ではあるが、歩き疲れもあり、本町交差点近くのビルの2階にあるジョナサンで取りあえず腹ごしらえ。

0・腹ごしらえ

 
窓際の席があいていたので、そこに坐る。ここから本町交差点へ向かう屋台や笠鉾を目の前に見ることができるはずである。そして、われわれは目論見通りに食事中に通過した“下郷笠鉾”の曳行を見ることができた。

1・ジョナサンから下郷笠鉾の曳行を見る

まさに間近で見る白木造りの笠鉾の屋根に彫られた仙人と鳳凰の彫刻は素晴らしい。

2・下郷笠鉾の見事な彫刻が目の前に

そして、4千枚ともいわれる金色の飾り金具を纏った笠鉾はキラキラと輝き、神々しくさえ見えた。


食事を終え、外へ出ると、先ほどの下郷笠鉾が秩父神社境内に向かうため方向転換をしようとしている。いわゆる“ギリ廻し”が行われているのだ。重さ20トンの笠鉾を人力だけでギリ廻す、大変な智恵と技である。

3・ギリ廻しで傾く下郷笠鉾

本町交差点を直角に曲がった笠鉾がゆっくりと神社への参道へと入ってゆく。

4・方向転換完了。秩父神社へ


その姿を左手に見ながらわれわれは見物客であふれかえる本町通りをまっすぐ歩いてゆく。

6・人混みでいっぱいの本町通り

遠くに屋台が見えてきた。

1・中町屋台

四台の屋台のなかで一番大きな鬼板(屋台前後の両端を飾る板)を掲げる“中町屋台”である。前部の鬼板は天の岩戸開きが掘り出されている。

2・中町屋台の大きな鬼板

 屋台の上で、地方(じかた)の伴奏による曳き踊りが子供の演者によって披露されている。

3・地方は大人、立方は子供

演目は“雨の五郎”、本格的な見得を切る立方(たちかた)の男の子、相当な練習を重ねてきたに違いない見事な所作である。

4・中町屋台の曳き踊り

この屋台の後ろ幕には荒波を泳ぐ赤い魚。鯛であろうか、これも豪華である。そして、後ろの鬼板の意匠は素戔嗚尊(スサノオノミコト)による八岐大蛇退治となっている。

5・中町屋台後部・八岐大蛇退治の鬼板

さらに進むと、次に“中近笠鉾”が見えてきた。本来は花笠がつけられていたが、電線が架設された大正3年から笠をはずして曳行されるのだという。

1・中近笠鉾

この笠鉾は少し小振りだが、その分、瀟洒で端正な風格が漂う。総体は黒塗りでどこか宮殿風の造りとなっている。

2・宮殿風造りの中近笠鉾

この中近笠鉾は常に秩父神社を一番に出立し、御旅所に“いの一番”に到着する役どころなのだそうである。

3・中近笠鉾・正面

それから、御旅所なるものを見ることが可能であればと、桟敷席の確認も兼ねてお花畑駅の方へと向かう。


0・秩父鉄道・御花畑駅

その道すがら、“上町屋台”が路上に止められ、お昼の休憩をとっていた。

1・休憩中の上町屋台・みごとな鯉の滝上り

間近にじっくりと見上げる上町屋台はやはり、迫力満点である。

2・牡丹に唐獅子刺繍の水引幕がみごとな上町屋台

四台の屋台の内、最も大きな屋根を持つ屋台なのだそうだ。前面の鬼板は応婦人と龍が彫出されていて、それは見事である。

3・上町屋台の応婦人と龍を彫り上げた鬼板

後方に回ると、秩父夜祭の屋台ショットでよく目にする金糸を垂らした鯉の滝上りを見ることが出来た。

4・上町屋台後部・鯉の滝上り

後面の鬼板も素晴らしいのひと言。

5・上町屋台後面鬼板

そして、お花畑駅の踏切。

0・御花畑踏切を通過する秩父鉄道
御花畑駅踏切を秩父鉄道列車が通過


いよいよ御旅所も近い。

踏切からまっすぐに団子坂、その先に開けた御旅所前の広場の入口が見える。

1・お花畑踏切より団子坂、御旅所前広場を見る

踏切を越すと、両脇の家々に“当日桟敷席有り”といった張り紙が貼られている(今年は平日なので、席が余っているのだろうか)。

3・団子坂近辺にはこういった張り紙が  2・団子坂桟敷席です

秩父夜祭のクライマックスとも云える“団子坂の曳き上げ”と屋台の上に昇る花火を観るには、ここが最良のポイントであることは確かである。


最大斜度25度という団子坂。団子坂上より見た写真である。


4・この団子坂を手前へ登って来る

見た目にはさほどの勾配を感じさせないが、ここを重さ12〜20トンもある屋台や笠鉾が上ると思うと、見ぬ前からその豪壮な光景が目に浮かぶ。


御旅所前の広場(秩父公園)はかなり大きい。ここに午後8時過ぎ頃からこれまで見てきた屋台や笠鉾がぞくぞくと上って来るのである。

5・御旅所前から右手が桟敷席、幟の立つところが団子坂上
右手が桟敷席、左手に御旅所。正面幟が団子坂を登り切った処

自分たちの桟敷席の場所を大体の目星で確認していると祭りの係りの方がやって来て、この筋の上あたりだと
教えてくれる。親切である。

6・御旅所の大桟敷席

桟敷席の正面に、高い幟の立ったところがあるが、ここが御旅所であった。

7・御旅所

この御旅所に秩父神社の御神輿が渡り、ご斎場祀りが執り行われる。

8・御旅所にある亀の子石

御旅所には妙見菩薩を表わしているという亀の形の「亀の子石」がある。

9・御旅所の亀の子石

この場所で年に一度だけ、12月3日の夜に秩父神社に祀る妙見菩薩(女神)と武甲山に棲む龍神(男神)が逢い引きするのだと言われている。何とも艶っぽいといおうか気宇壮大なデートではある。


御旅所桟敷も無事確認したわれわれは、次に秩父神社境内で催される屋台芝居を見るため、神社へと移動することにした。


10・参道の人出もすごい

昼を過ぎると、神社近くの筋という筋には多くの人が入り込み、その混雑ぶりは、朝方の景色とは様相を異にする。


境内に入ると、6台の屋台・笠鉾のうち、まだ目にしていなかった“宮地屋台”が神門前で曳き踊りを奉納している最中であった。

2・境内神門前で曳き踊りを奉納する宮地屋台
屋台上で曳き踊り
1・宮地屋台
最も古い屋台・宮地屋台

この町は一貫して曳き踊りは“三番叟(さんばそう)”を奉納するとのことであった。

3・三番叟奉納・宮地屋台

こちらも立ち方いわゆる踊り手は子供であったが、その所作は玄人跣(はだし)であり、日ごろからの修練の積み重ねであると感じたものである。


この宮地屋台の後幕がまた印象的である。

4・後ろ幕の猩々が印象的な宮地屋台

“猩々(しょうじょう)”という顔は人間、躰は紅色の体毛で覆われ、声は小児の泣き声に似て、人語を解するという想像上の怪獣だという。なかなかに怪異である。


そしていよいよ、年当番の本町による屋台芝居の開演となるが、これは次稿に譲ることにする。

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能

12月3日(火)、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられる“秩父夜祭”を観覧した。

団子坂を登り切る
団子坂を登る本町屋台


夜祭見学を思い立ったのは、秩父観光協会が設営する桟敷席の抽選予約最終日の10月21日であった。家内と「秩父の夜祭もいいね」などと語り合い、ネットで調べたところ、その日が桟敷席の申込み最終日で、しかもメールにての申込み可というではないか。

御旅所桟敷席
御旅所桟敷席

午後11時も過ぎた頃とて、家内にも相談せず、まずもって申込み。

それから秩父夜祭のあらまし・歴史を調べ、交通アクセスを調べ・・・と、およそ計画的でない今回の旅の発端であった。


そして、夜祭が深更に及ぶということを知り、日帰りは無理と判断、宿を探しだす。

しかし、一月半前では会場から歩いて戻れる便利な宿はすべていっぱい。こりゃ困ったと、もう少し範囲をひろげてみたところ、“彩の森カントリークラブ”の“秩父夜祭り限定素泊まり宿泊プラン”を発見。ツインキングルーム・朝食付きで25,960円(2人)とちょっと高めだが、ネットですぐ申込む。


問題はその場所が西武秩父駅から車で30分ということ。そこで、最悪、当日は車で秩父へゆき、会場の駐車場へ置いて、祭りの終了後にクラブハウスまで夜道を運転してゆくしかないとの結論に達する。


翌日、クラブハウスへ電話を入れ、会場からのタクシー移動等を相談するも、当日の夜が何時になるか、翌日の行動などを考えるとやはりマイカーでゆくほうが確実で安全と判断。しかもクラブハウスのチェックインは午前零時を過ぎても問題ないとのことで、少々、宿まで遠いものの夜祭を堪能するには仕様がないということで、車利用に決定。

観覧席入場券

そして、難関の桟敷席二席が当選との連絡が111日のメールにて届く。斯様にして秩父夜祭観覧計画はドタバタのうちに進んでいった。


12月3日。秩父夜祭の当日である。


駐車場の確保のため午前6時半に車で自宅を出立。途中、トイレ休憩などとったものの、秩父夜祭会場に用意された“南小グランウンド”へは8時50分には到着、気抜けするほどにガラガラのグラウンドに駐車完了。


午前8時52分の南小駐車場、ガラガラでした

臨時駐車場の南小グラウンド


ただ、日帰りの秩父夜祭観覧であれば、西武池袋線の特急レッドアロー号など鉄道の利用が便利である。西武池袋線が夜祭にあわせ臨時便を増発している。

さて、秩父夜祭とは何かであるが、第10代崇神天皇(紀:BC97-BC30)の御代に創祀された古社・秩父神社の例大祭にあわせて催される“付けまつり”であるという。


例大祭そのものは太古の昔まで遡ることになるが、この夜祭も江戸寛文年間(1661-72)、今から350年ほど前にはじめられたという長い歴史を有するものである。


例大祭当日の12月3日には、市街地に2基の笠鉾(中近町・下郷町)と4基(宮地町・上町・中町・本町)の屋台が繰出し、賑々しく曳き廻される。

本町屋台前方から
屋台芝居の年当番の本町屋台


その屋台はただ曳行されるのではなく、秩父神社境内において年当番の町(2014年本町)によって興行される“屋台芝居”や曳行中の屋台上での屋台囃子や屋台踊りといった伝統芸能を演じる動く舞台ともなる。

本町屋台芝居の舞台造り   本町屋台の舞台出来上り
本町屋台が一部解体され、両脇に翼を広げるように床を延ばし舞台が完成

これらは、「秩父祭の屋台行事と神楽」として、昭和54(1979)年2月3日、国の重要無形民俗文化財に指定された。


日中は町中をそぞろ歩きながら、屋台曳行や催しを楽しむことになる。

そして秩父の町が宵闇に覆われる午後7時、例大祭の本義である御神行(ごしんこう)が花園の御旅所へ向け
秩父神社を出立する。

その御神幸の行列を盛大にお迎えするのが、羊山公園で午後7時半から打ち上げられる豪壮華麗な花火の数々である。


そして、午後8時頃から御神幸の行列の後に続き6台の笠鉾や屋台が御旅所前の広場へと集結し始め、秩父の夜祭は佳境へと入ってゆくのである。

ここでは、そうした秩父の夜祭の模様を当日の朝から昼、夜と順を追って、レポートすることにする。

さて、われわれはガラガラの南小駐車場へ車を置いてから歩いて、まずは徒歩数分ほどの西武秩父駅へ向かった。

駅前に観光情報館があったので、そこで曳行のルートなど秩父夜祭のパンフレットを入手した。

西武秩父駅 西武秩父駅前の観光情報館
西武秩父駅            観光情報館

そこから歩いても10数分の距離なのだが、タクシーで秩父神社最寄りの秩父鉄道・秩父駅へ。

秩父鉄道・秩父駅
秩父鉄道・秩父駅

そこから歩いて秩父神社大鳥居前に9時半頃に到着。まだ人出がすごいというというほどではないが、境内から心躍るお囃子の音や祭りの喧噪が聴こえて来る。

例大祭当日の大鳥居


境内に入ると、やはり当り前だが人出は多い。屋台が二基見えた。

午前9時34分の境内  午前9時39分・秩父神社境内・中近笠鉾と本町屋台


ひとつが本町屋台である。境内において興行する屋台芝居の当番町である。

本町屋台

もうひとつが中近笠鉾である。

中近笠鉾


その豪華な彫物を見上げながら、まずは秩父神社へお参りせねばと、拝殿へ向かう。

屋台の集まる広い境内から階段を昇り、神門を抜けると、参詣客はパラパラである。

入ってすぐ右手に当夜御旅所へ御幸される御神輿が置かれていた。ラッキー!!

秩父神社御神輿


まずは拝殿にて落ち着いて参拝と、例大祭の準備の整う参道を歩む。

秩父神社・拝殿

お賽銭をあげ、二礼二拍手一礼。

拝殿を南東より  拝殿内

そして、東側からぐるりと社殿を一周する。

拝殿、本殿ともに見事な彫物が壁を覆い、その豪華さにちょっと驚く。

拝殿・東側  本殿・東側
拝殿・東側               本殿・東側


本殿東側の妻入り上部に、左甚五郎の作と云われる鎖で繋ぎ止められた“つなぎの龍”が見える。

左甚五郎作・つなぎの龍


本殿裏の天神地祇社には、この夜の御神行に同行する各町の供物籠が並んでいる。

天神地祇社に並ぶ各町の御供物台


本殿西側には素晴らしい彫刻が彫られている。

本殿・西側


こちらは、日光陽明門の“見ざる言わざる聞かざる”と異なり、“よく見、よく聞いて、よく話そう”という“お元気三猿”が愛嬌たっぷりに参拝客を迎えている。

お元気三猿


西側にもうひとつ変わった銀杏の樹がある。乳銀杏という変種で、澱粉が乳のように枝から垂れ下がる様は一
見の価値あり。

乳銀杏  乳銀杏の枝から垂れる乳(澱粉)


それから境内を出ようとしたところ、神楽殿で“神代神楽”が奉奏されていた。この神代神楽も現在三十五座あるのだそうだが、この日は朝から一日かけて12演目が奉納される。

その時刻はちょうど、“八握の劔”に続き、“御神前二本榊の舞”が踊られていた。


神代神楽・御神前二本榊の舞
 
神代神楽奉奏・八握の劔  


そして、秩父神社を出て、いよいよ屋台が曳行されている町中へ出た。

最初に本町交差点へ向かった。すると、上町屋台にぶつかる。

本町交差点で上町屋台に出会う


交差点で、高さ6・7m、重さ13トンもの屋台の方向転換を見学できた。いわゆる“ギリ廻し”というものである。

上町屋台のギリ廻し


迫力満点である。こうして朝から歩き回り、さすがにお腹も減ってきたということで、朝の観覧はここまでと最寄りのジョナサンへ入って、腹ごしらえをすることとした。



パワースポット 宮津・籠(この)神社の奥宮、真名井(まない)神社の神域を間近で見た

12月25日付の読売新聞に、「神域荒らす不届き者続出、柵設置した京都の神社」のタイトルで、京都府宮津市にある真名井神社の磐座(いわくら)に不届きな参拝者がたびたび攀じ登り柵内に入るというので、手前に玉垣を設け神域に近づけぬようにしたとの記事が掲載された。

匏宮石碑
真名井神社

3年前に祈願成就のパワースポットとしてテレビや雑誌で紹介されたことから、当神社を訪れる人が増え、そのなかの心無いものが社殿裏に鎮座する磐座に土足で登ったりと不埒な行為が続いてきたとのと。


何度、警告してもそうした罰当たりな行為が止まぬことから、今回、やむを得ず、社殿横に玉垣を巡らして奥の磐座へは近づけぬようにしたという。


誠に残念であり、これから訪れる敬虔な参拝者たちが、あの深とした霊域の雰囲気にとっぷり包み込まれる機会を非常識な観光客たちによって奪われたことに心から憤りを感じる。


二千年余の悠久の時を超えて守られてきた神聖不可侵の神域を未来の日本人にしっかりと伝え残してゆくには、仕方のない仕儀なのかもしれない。

籠神社
籠神社

わたしは昨年の1月に籠神社を訪れた際に、奥宮である真名井神社に参拝した。

真名井神社拝殿

当時はまだ玉垣もなく、社殿をぐるりと廻り、真裏の磐座やその奥の真名井原神体山の原生林内に鎮座する諸々の磐座も間近で見ることができた。

本殿裏より
社殿裏より境内を見る。右の石柱内が二坐の磐座

森閑とした山中に響く小鳥たちの啼き声に耳を澄まし、遠く二千年前の世界に想いを馳せていると、往古、この地に神々が降臨したという数々の伝誦が紛うことなき“真正”であると感得した。


真名井神社は本宮である籠神社から距離にして500mほど、徒歩数分の地にある。

途中、真名井川を渡るが、ここから後ろを振り向くと天橋立を見ることが出来る。

真名井川と天橋立
真名井川から天橋立を望む

すぐに一の鳥居に達するが、その先に天香語山が見える。その天香語山(神体山)の南麓、真名井原に目指す
真名井神社は位置する。

真名井神社一の鳥居と天香語山
一の鳥居の右柱奥に天香語山

しばらく道なりに歩いてゆくと、森閑とした山裾に真名井神社と匏宮(ヨサノミヤ)の石柱が立っている。

その真名井神社と刻まれた左側の石柱脇に、小さな石碑がある。

真名井神社石碑


この石碑の一代前のものが、地中より掘り出された六芒星(ダビデの星)が刻まれていた石碑である。


籠神社宮司
第82代海部光彦宮司

六芒星、すなわち籠目紋は真名井神社の裏紋であることを第82代宮司・海部光彦氏が公表しており、失われたイスエラエルの十部族との関連、籠目の唄の謎など古代史オタクには興味の尽きぬ神社であり、強烈なパワースポットである。

真名井神社と匏宮と刻まれた石柱の内に足を踏み入れると、すぐ左手に“波せき地蔵堂”がある。

真名井原”波せき地蔵堂”
波せき地蔵堂

大宝年間(1300年ほど前)にこの地を襲った大津波を標高40mのここでせき止めたとの伝承に基づき、天災
地変から守る霊験と子育て病気よけを祈願し、地蔵堂が建てられたのだという。

そのすぐ奥に聖泉・真名井の泉がある。当日も車に大きなポリタンクを積み込んだ地元の方が、その清らかな霊水をとりにやって来た。

真名井の御神水
真名井の霊水

“真名井(まなゐ)”とは、日本書紀の巻一・神代上(第六段)、“素戔嗚尊と天照大神の誓約”出て来る“天真名
井(アマノマナイ)”に対する丹後の国・比治の真名井を表わす。


そして、まなは、すばらしい、神聖なの意であり、は清泉という意味である。すなわち、宗像三神や天孫を次々に産み出した聖泉、清らかな水の如く尊い生命を湧き出だす泉ということである。


そして、真名井神社の社殿への階段前に二の鳥居が立つ。
その両脇に狛犬ならぬ狛龍が睨みを利かせている。


真名井神社二之鳥居と阿吽の狛龍

二の鳥居と狛龍

龍は水神の化身であるが、本宮である籠(コノ)神社の“籠”と云う字が竹カンムリに龍という造作であり、籠神社の裏紋が籠目であることも考え合わせると、“竹籠に龍が閉じ込められている”という、いかにも謎めいた古代からの暗号がわれわれに投げ掛けられているようにも思える。


そして私は、どうしても日本書紀・巻第二・第十段の“海幸・山幸説話”の記述を思い起こさざるを得ないのである。


すなわち、塩土老翁が彦火火出見尊(山幸彦=籠神社の元々のご祭神)を海中の龍宮城に送るために入れた“無目籠(マナシカタマ)=すき間のない籠”こそ、籠神社の名前の謂れであり、丹後風土記逸文にある“筒川の嶼子(シマコ)”、すなわち、浦島太郎の話とあまりにも平仄のあった伝誦であるといわざるを得ない。

また、昭和62年に現宮司の海部光彦氏(82代)により二千年の沈黙を破り
“邊津(ヘツ)鏡(前漢時代・2050年位前)”と“息津(オキツ)鏡(後漢時代・1950年位前)”という当社秘蔵の日本最古の伝世鏡が突如公表された。

その二鏡の存在の事実と、丹後風土記逸文の記述や籠神社の裏紋である籠目を考え併せることで、籠神社が往古より口を閉ざしてきた大きな謎を解くヒントが見えてくるようにも思える。

こうした籠神社、真名井神社の抱える深遠なる謎についての詳しい話は別稿に譲るとして、われわれは社殿の方へいよいよ向かってゆくことにしよう。

真名井神社拝殿と狛犬


真名井神社の拝殿につづく本殿の裏に、祭祀の中心となる磐座主座と磐座西座の二つの森厳なる磐座が鎮座する。

磐座・手前が天御中主大神霊畤、奥が天照大神霊畤
本殿裏にある二坐の磐座


その為、本殿裏には神々が磐座へと移り給うための出入口が存在するという。

拝殿の真裏・この勾欄の向こうに出入口がある
この勾欄の奥、本殿裏壁に扉があるという


向かって右(東側)の磐座主座は豊受大神を主祭神とし、相殿に水の神である罔象女(ミズハノメ)命・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)・神代五代神を祀っている。

天御中主大神霊畤の磐座
磐座主座

左の磐座西座は天照大神を主祭神とし伊射奈岐大神・伊射奈美大神を配祀している。

天照大神小宮霊畤の磐座
磐座西座

その神々しい磐座を割り、竜蛇のごとく四方に根を張る古木を見ると、民衆が太古より神々を敬ってきたその歴史の長さ、重ねた時間の重みに自然と心を致さぬわけにはいかない。

磐座の上には古木が根を張る

いつしかそんな敬虔な気持ちになっている自分に気付かされる“真名井神社”である。

小さな、小さな社殿である。

真名井神社拝殿より本殿を
拝殿から本殿扉を見る

簡素で何の飾り気もないお社である。


拝殿と本殿

拝殿と本殿

でも、その佇まいはあくまでも気高く、崇高に見える。

本殿・外削ぎ千木と五本の鰹木
外削ぎの千木と五本の鰹木

磐座の奥には真名井原神体山が深々と広がり、その樹林のなかにもまた多数の磐座が鎮座している。

本殿を囲む真名井原神体山
社殿奥の真名井原・神体山にも磐座がある。左の石柱内に二坐の磐座

神体山入山口に立つ鳥居の正面に塩土老翁(シオツチノヲジ)の磐座がある。

神体山の磐座群
神体山に磐座群

塩土老翁は、本宮・籠神社のそもそもの主祭神であった彦火火出見尊(山幸彦)を龍宮城へといざなった潮流・航海の神様である。

塩土老翁の磐座
塩土老翁の磐座

そのすぐ右手にあるのが、宇迦之御魂(ウカノミタマ)の磐座。宇迦之御魂は伊邪那美尊が飢えていた時に産まれ出でた穀物の神である。

宇迦之御魂の磐座
宇迦之御魂の磐座

そして、樹林の左奥に須佐之男命の磐座と道祖神が見える。

神体山には諸々の磐座が鎮座
須佐之男命の磐座や道祖神も

太古からの聖地がこの神体山の先、奥に今でもずっと鎮まっているのだと思うと、日本人の祖先が大切に、大切に守り育ててきた祈りの地を、この後も子々孫々、侵すことなく、引き継いてゆかねばならぬと衷心より思ったものである。



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