彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

March 2013

中山成彬衆院議員、慰安婦問題で朝日新聞歪曲報道を指摘、国会招致を要請

辞任する必要などない、中山成彬国交相(2008.9.28)
中山成彬氏の日教組批判発言は失言か?(2008.10.5)
中山成彬衆議院議員は堂々と信念に殉じて出馬すればよい(2008.10.17)

3
8日の衆議院予算委員会において国会復帰を果たした中山成彬(なりあき)議員が、日本維新の会の議員として “慰安婦問題” の歴史認識について言及した。


そのNHK映像がyoutubeにアップされたが、同局の要請により削除されたとしてネット上で騒がれていたことで、わたしは憂国の士、中山成彬議員が慰安婦問題について語ったことを知った。


そこで中山議員のオフィシャルHPに掲載された1時間におよぶ質疑に関する映像を視聴し、予算委員会での発言内容とその際に使用されたパネル資料を確認した。


なお、国会での本会議や予算委員会を含む常任委員会、特別委員会などの審議の様子は、衆参議院のHPにおいて、いつでも“衆議院インターネット審議中継”・“参議院インターネット審議中継”においてライブおよびアーカイブの閲覧が可能である。


実際に景気対策などは財政金融委員会、雇用問題や社会保障問題などは厚生労働委員会で、予算委員会とは異なる具体的かつ専門的な質疑がなされており、その審議内容はすべて視聴可能である。


こうした審議の様子を見ると、一部の政治家はその分野、分野で、専門的知見をもって国政に従事していることを確認でき、少し安心もするところである。ぜひ、この機会に関心ある問題についてその常任委員会の映像をご覧になったらよいと思う。パフォーマンスに偏り過ぎた予算委員会の審議内容とは大きく異なる実質的審議を見ることができ、政治を身近に感じ、見直す機会ともなり、意義があると考える。


因みにインターネット映像は、本日時点では衆議院は20101月から、参議院は20121月からのすべての国会審議を閲覧できる。


さて本題に戻るが、中山成彬議員は持ち時間1時間のなかで、半分の34分をアベノミクスやTPP問題など経済・産業分野での質疑にあてた後、歴史認識について26分間におよび正論を展開した。


とくに慰安婦問題については、戦前の資料を明示し、それが組織的強制的に行なわれたとする歴史認識は事実と反するとして、誤認識の引き金のひとつとなった1992111日付朝日新聞の朝刊一面トップ記事「慰安所軍関与示す資料」について、戦時中、日本軍が発出した文書・“軍慰安所従業婦等募集に関する件”の具体的中身に言及することで、この朝日新聞記事が事実を歪曲して造られたものであることを示した。


さらに質疑の締めくくりにあたって、中山議員は慰安婦問題を含めた歴史認識にかかる教育問題についての集中審議の開催と朝日新聞社の関係者を国会招致することを予算委員会議長へ要請した。


同議員は、“植民地政策のなかで内地と同等に社会インフラ整備を行なった”、“創氏改名は強制ではなかった”など、当時の新聞記事など具体的資料を提示しながら分かりやすく丁寧にそれらの歴史認識について述べたが、慰安婦問題はとくに力点を置いて説明を行なった。


午前中に行われた辻本民主党議員が“外交問題の根幹”とまで位置づける慰安婦問題につき、どこの国の国会議員か分からぬ議論を展開する異様な様とは対照的に、中山成彬議員のしっかりした当時の資料をもとに、朝日新聞社の誤った報道がこの慰安婦問題を韓国の大きな外交カードにまでさせてしまったとする毅然たる態度を見、ひさびさに政治家のあるべき姿に触れ、ある種の清々しさを覚えた。


そして中山議員の「本当に何ていうのかな・・・、朝鮮の方というのは粘り強いというか、しつこいというか、本当にすごいなと思うんですけど・・・」と語る口調に、この政治家のやるせない憂国の情が余りなく吐露されており、こちらも国辱ものの誤解、いやねつ造事案を、事実に基づいた歴史認識までまずは何とか引き戻さねばと歯ぎしりする思いで同議員の心情に心を寄せたものである。


慰安婦問題について以前、わたしは、中華民国(台湾)の評論家で、台湾ペンクラブ賞の受賞者でもある黄文雄氏が著した改訂版「『慰安婦問題』は韓国と朝日の捏造だ 100100答」(出版:ワック蝓20129月発行)という新書本で慰安婦問題の歴史的経緯を学び、頭の整理をすることができた。


そもそも慰安婦問題は、元軍人の吉田清治なる人物が19837月に出版した「私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行」(三一書房)のなかで、「戦中、自ら済州島で200人の女性を拉致し慰安婦にした」と証言し、この人物を朝日新聞が同年1110日付けの「ひと欄」で紹介したことから慰安婦問題がある政治的意図を以てクローズアップされてきた。


この吉田証言について、前述の「慰安婦問題は韓国と朝日の捏造だ」(黄文雄著)は、以下のように、その証言が嘘であり、捏造であることを証明している。


「しかし吉田の著書が韓国で翻訳出版された際に、それを読んだ韓国の済州新聞の女性記者・許栄善氏が現地取材をした結果、吉田証言はでっち上げであることが判明し、彼女は1989814日の紙面に吉田証言を全面的に否定する記事を書いています。また、秦郁彦教授の現地検証でもねつ造が証明され、吉田自身も嘘を認めました」


そうした胡散臭い事柄であるにも拘らず、朝日新聞は1991811日、「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で船上に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人が」名乗り出たという、事実とは異なる記事を掲載した。(黄文雄・上掲著)


この女性および事の真偽については、同著23頁に詳しく「この女性は従軍慰安婦ではない」と説明があるので読んでいただきたい。


ことほどさように慰安婦問題は、「済州島の郷土史家金奉玉は吉田による証言について、『数年間も追跡調査を行った結果、事実ではないことが明らかになった。この本は日本人の浅ましさをあらわす軽薄な商魂の産物であると考える』と述べている」(wikipedia:慰安婦)ほどに、“為にする”ものであって、そこに政治的意図をもった政治家、一部メディアが後押しをして、現在のような事実とはかけ離れた外交問題にまで発展、一人歩きをして行ったと思うしかない。


この慰安婦問題についてこれまで大きく関与してきた朝日新聞社を、中山成彬議員が言うように、ぜひ、国会招致し、これまでの記事掲載も含め、真実の報道を旨とするメディアとして、その真意および今後の対処について問い質す必要があると考える。


言いっ放しで国益を大きく毀損させておきながら、過去の誤報、歪曲報道について何ら責任を取らぬという態度は決して許されることではない。


わたしもぜひ国会招致を願うところである。


また今回の国会審議を見ていて、中山議員のような識見ある議員が国益を前面に打ち出す極めて常識的な見解を日本維新の会という野党の立場で披歴するというのは、与党では直截に言明出来ぬ事柄について、なかなか巧みな政治環境が整いつつあると感じた次第でもある。

京の台所、錦市場がチョ〜おもしろい!!

初めて錦市場を探索した。


下の写真は京都の錦市場で買物したおつまみと杯で、帰京した夜、さっそく晩酌をした際のものである。 

錦市場膳
器土合楽の杯で、旬味屋の山椒味噌と麩嘉の生麩。酒は宮津の酒呑童子
 
生麩をちょっと焼いて山椒味噌で食す、伊豫又の鯵鮨も最高!

お酒のみ錦調達ではなく、天橋立をご一緒したご夫婦のご主人から旅の記念にひとつと地酒の・“酒呑童子”のカップ酒をご愛嬌でいただいたもの。 

さて、われわれは市場の西詰めから市場へ入った。

錦市場入口
西詰めの錦市場入口

錦市HP”の地図でいうと下から、上まで約390mの距離をエッチラホッチラ歩いたことになる。


さて、歩き出してすぐに大好きなちりめん山椒のお店があった。“田邉屋商店”という。早速にちりめんや可愛い五色あられ、色鮮やかなゴマも買っちゃいました。

鰹節・乾物老舗田辺屋商店 

堺町通りを越えて直ぐに“麩嘉”があった。当然の如く麩饅頭と御所麩を購入。 

 
左:堺町通りから麩嘉を        右:麩嘉店内

家内がお麩を買っている間に、わたしは二軒先の陶器のお店“器土合楽”に飛び込む。目にとまった幾何学文様の杯を購入。なかなか美しい・・・と一人悦に入る。

 
店の奥に窯を置く陶工房昌の蔵・器土合楽    酒が栄える杯買いました

“器土合楽”から引きずり出された私の目に次に飛び込んできたのが、おいしそうなお惣菜。家内曰く、テレビで頻繁にお目にかかる“井上佃煮店”だそうだ。佃煮がおいしいのだろうが、わたしには目の前に並ぶお惣菜をすぐにでも口に入れたいと思わせたお店であった。

またちりめん山椒が・・・。井上佃煮店”の対面の“京こんぶ・千波”である。ここでも試食してもちろん購入。

“千波”の隣にかの有名な“生まぐろのカルパッチョ”串のお店、“鮮魚木村”があった。もう、あちこちと目が忙しくて大変。


写真アップしてみてください、おいしそうですよ

そして京都といえばお漬物。“打田”という店が店頭に桶を置き、おいしそうな漬物が漬かっていた。

 

京野菜の“かね松”もある。

お結びの“中央米穀”の正面に“”嵐山ちりめん細工館錦店“がある。外人観光客も入っていたが、若い女性好みの丹後ちりめんの小間物店である。家内もここで娘と息子の嫁のお土産にと何だか風呂敷を買っていましたな。

 
右の黄色の風呂敷なぞ、買っていましたな・・・

そして柳馬場通りを越える。まだまだ市場は続く・・・

直ぐ右手角にレトロなポスターが目に入った。“元蔵”というお店である。一杯呑み屋のような非常に趣きのある店構えと店頭メニューであったが、まだ、昼間とてグッと我慢の子。後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎた。次回、ここで夕ご飯、いや一杯というのも一興かな・・・


なんとも魅力的な・・・

そのすぐ先左手にこれまた旨そうなさつま揚げ、いや、京蒲鉾の“丸亀”を見つけた。一枚、買い込んでパクッといきたかったなぁ。

“丸亀”の右斜め正面に川魚専門店・“のとよ”がある。琵琶湖産の“本もろこ”が並んでいる。さすが京の台所である。こんな珍味も売っているんだ。

 
本モロコがこんなに・・・

二軒先に豆大福のおいしそうな“もちつき屋”があった。もう、唾液は異常噴出、胃袋は暴発状態である。

  豆大福
豆大福がぁ〜

その難所を何とか切り抜けたわたしが次に見つけたのが、鰻の“大國屋”である。関西はどちらかというとアナゴが主なのかと思っていたが、そうでもなく、鰻の暖簾が大きく下がっていた。

その斜め左先には鱧の照焼を売る“魚力”という店。ここは、う〜ん、すごいのひと言。わたしはただ、黙然と陳列された鱧に視線を這わせるのみであった。


はも、はも、はも・・・

そして精肉店のゾーンへ。“三木鶏卵”、“むら瀬精肉店”、鶏肉専門店“鳥清”がある。ここもいろいろと悩ましい買い食いゾ〜ンではある。

 

左:出巻き卵がおいしそうな”三木鶏卵” 右:コロッケ食べた〜い”むら瀬精肉店”

カシワ専門店”鳥清”

それと“三木鶏卵”の対面にはまたもやちりめん山椒が・・・、京佃煮・“旬味屋”である。ここでもちりめんに山椒味噌が美味しそうなので購入。

 
ここの山椒味噌、イケテました

三軒のちりめん山椒を抱えて、さて富小路通りを越える。


すぐ左に何と乾物のマエストロなる店、“大友”があった。さすが京都、乾物にマエストロである。


マエストロですぞ!!

そしてその正面に目を転じると、色鮮やかで可愛らしい京野菜が並ぶ。“川政”である。見ているだけで楽しい。


金時人参・・・

亀の形をした竹の子なんて、これって、食材に対する愛情なのだと感心した次第。ただ口に放り込めばいいってもんじゃないことを教えてくれた“亀竹の子”、粋で貴重な一品である。


亀の形に細工された亀竹の子、芸術品か〜

その斜め前には生麩と湯葉の“近喜商店”。いやはや魅力的な食材が目白押しで忙しいことこの上ない。

次に店頭に積み上げた“鯖鮨”など押し鮨を見つけた。“伊豫又”である。この夜の夕飯にと“鯵鮨”を購入。するとこれから鯵鮨を作るので暫し、店内で待ってくれと招じ入れられた。そこで緑茶のサービス。疲れも溜まっていた私には甘露であり、椅子に坐ってまさに極楽。家内はというと、市場で購入した品々を「こんなにたくさん」なんて呟きながらひとつにまとめるべくテーブルの上で整理を始めた。“伊豫又”の鯵鮨のお蔭で、疲れも取れ、荷物も纏まり、大正解。

 
店内、手前テーブルで一服です

帰宅後、早速、鯵鮨を食したが、これは半端なくおいしかった。京都の好物がまたひとつ増えた。


それからちょっと数軒先左に、“ぎぼし最中”という魅力的な和菓子を売る“幸福堂”があった。これも次回、試さぬといけない一品である。


幸福堂 
この生菓子ほしかったなぁ〜

いよいよ錦市場も最終コーナー。麩屋町通りを越える。

右手三軒目、“焼きポン”なるおいしそうな丹波の焼き栗を商う“京丹波”がある。

さらに市場の東詰め辺りで、京の手書き扇子・“絵師の店”を見つけた。昨夏、愛用の扇子を失くしたこともあり、トンボの図案の涼しげなやつを購入した。ご主人の滝さんが上絵書きをしたなかなかセンスある扇子であった。

最後の〆はやはり京の漬物。“樽出しすぐき”を売る“高倉屋”である。

そして私たちのエッチラホッチラの錦市場探索も新京極通りへとぶつかり、これにて終焉となる。ずいぶんと長い距離を歩いたようだが、わずかに390mに過ぎない。


しかし錦市場を歩いてみて、京の町の人々が“食”を口だけでなく京野菜やあられなど目でも楽しむもの、また“まぐろのカルパッチョ串”のように既成概念に捉われず新たな食べ方を追求する様子などは、1200年の長い歴史が培った文化を愉しむ余裕、文化は自らが創り出すのだという覚悟のようなものを感じさせられたものである。

そんな感想を抱きながら、最後に東詰め突き当りの錦天満宮にお参りした。境内に吊られた提灯に今歩いてきた錦市場のお店の名前を見つけては一丁前の“錦マエストロ”だと早々にうぬぼれたところである。

 

よくぞ通しで歩けたと家内にお褒めの言葉を頂いたが、食い意地の張ったわたしである。美味しいものがあればどこまでも必死で歩いてゆくのである。

東大寺二月堂修二会(しゅにえ)・お水取りに涙する

かねてよりお水取りのあの二月堂の廻廊を奔る大松明を見てみたいと思っていた。

火、走る
舞台を奔る”おたいまつ”

今回、春日ホテルの企画する“東大寺二月堂修二会(お水取り)セミナー”というものを見つけ、これに参加してみることにした。

セミナー会場の東大寺ミュージアム
南大門をくぐり、すぐ左手にあるセミナー会場の東大寺ミュージアム

奈良国立博物館学芸部長の西山厚先生のお話を一時間ほど聴講し、その後、二月堂で“おたいまつ”を観覧するという趣向である。


西山厚先生

わたしは“お水取り”が実際にはどのような意味を持つ行事なのか浅学にしてまったく知らず、ただ松明がきれいな仏教儀式といった皮相的興味しかなかったため、今回はちょうどよい機会ということで勉強も兼ねてセミナーの参加を決めた。


セミナー案内板

3月4日、東大寺ミュージアムのホールで西山先生が一時間余にわたり、お水取りについてその長い歴史と法要本来の意味や行法の具体的中身についてレジメとパワーポイントを使い、分かりやすくまたユーモアあふれる語り口で説明された。

その講演を訊いて、巷間、“お水取り”と呼ばれる修二会が正式には“十一面観音悔過(けか)”といい、二月堂のご本尊である十一面観音に31日から14日にかけて“悔過(けか)”すなわち“おわびをする”法要(本行)であることを知った。

“災いは意図的なものは勿論、人が無意識のうちにも悪業を重ねているから起きる”。だから仏教による鎮護国家を担った東大寺の僧侶たちが、万民に代わって十一面観音に“おわびをする”ことで災いの根を断ち、天下安穏、五穀成熟、万民豊楽を祈願するというものだそうだ。

しかもこの修二会は“不退の行法”と呼ばれ、752年に東大寺の僧・実忠が創めて以来、一度の中断もなく続けられてきた法要であることを知った。


東大寺大仏殿

あの平重衛が大仏殿を炎上、焼失させた治承5年(1181)にも東大寺のすべての法会が中止されるなか、この“十一面観音悔過”だけは、寛秀ら11人の僧侶が“不退の行法”であるとし、敢然、法要を決行し、“不退”を貫き通したという。


奈良の大仏さま

その御蔭で、21世紀の御代、私たち夫婦は1262回目の“修二会”に参加できることとなったのである。

そして、私たちが見物する予定の“おたいまつ”は、法要を行う11人の練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる僧侶たちを先導する道明かりのことだと知った。


そういうことで、松明が本来の法要の主要部分でないことはよく分かったものの、やはりそこは凡人。まずは“おたいまつ”なのである。6時にわれわれは二月堂舞台下の竹矢来で囲まれた芝生の上にいた。前列から4番目と云う好位置である。

  
1時間前に前列から4番目に場所を確保   右は開始10分前で周囲に闇が押し寄せる

長さ6m、重さ60kg(12日の籠松明のみ長さ8m、重さ80kg)もの“おたいまつ”を担ぐのは、僧侶ではなく世襲でその役を担ってきた童子(どうじ)と呼ばれる一般人であることも驚きであった(わたしも家内も僧侶が担いで走っているのだと思っていた・・・(;一_))。


松明は本行の行なわれる14日間、二月堂北側の登廊を上り、上堂する。

    
左:この登廊を松明があがってゆく 右:舞台より右下に登廊を見る

本行の間、10本の松明と10人の練行衆が順に上堂し(12日のみ11本・11人)、練行衆は堂内へ、道明り役を終えた“おたいまつ”は、懸(かけ)造りの舞台へと姿を現し、境内にひしめく法要参加の人々の頭上に無病息災の火の粉をまき散らすのである。


3月4日、午後7時。大鐘の音を合図に境内の一切の燈火が消された。ざわめいていた群衆が一瞬、し〜んと静まり返る。


すると、左手の登廊の上り口の方がぼんやりと赤味をましてきた。


登廊の登り口辺りが炎色に染まってきた

いよいよ一本目の松明が炎を挙げながら階段を上がってくるのだ。これからの炎の饗宴への期待に胸がたかまる。そして・・・“おたいまつ”が登廊の屋根に炎をぶつけるようにして静々と上って来た。 

  
松明が登ってゆく  

階段上部では炎で屋根が燃えているようだ

一旦、その火明かりが消え、静寂が二月堂をつつむ。そして二月堂の舞台の軒先が橙色にぼ〜っと染まってくる・・・


二月堂の軒先が朱に染まる

一間通りの吹き放ち舞台北西隅から松明が突き出された。

  回る松明
松明が欄干の外に突き出された

「うぉ〜!!」と歓声が挙がる。下にひしめく人々の頭上へキラキラと煌めく火の粉が襲いかかる。

  
松明が廻り、火の粉が舞い落ちる

しばらく松明は欄干の外で揺らいだ後、向きを南へと変える。

登廊より北西隅舞台を見る 
この廻廊角から松明を突き出す。左に曲がると舞台正面である

懸造り舞台:松明は向こうからこちらへと走って来る
さぁ、走るぞ
さぁ、向きが変わった・・・


そして燃え盛る炎で大屋根を焦がすようにして、松明はゆっくりと舞台上を歩み出す。

火の玉奔る
回廊を走りだす

と、松明は新たな命を吹き込まれたように火勢を増し、北側から南側へと懸造りの舞台を一気に韋駄天の如く駆け抜けてゆくのである。

二月堂、燃ゆる
二月堂、燃ゆる

背景の闇のなか燃え盛る火の玉が一直線に奔りぬける様は1262年もの間、生き続けてきた物の怪のようにも見え、その異様なまでの美しさにわたしは息を呑んだ。

松明を回しながら奔る
火勢を増した”物の化”のような火の玉

突き当りの高欄南隅に至ると、童子は燃え尽きんとする松明を今度は思いっきり回転させ、無数の火の粉をこれでもかと闇夜にとけこませてゆく。

廻廊突き当りで松明をクルクルと回転させる
舞台突き当りで最後の火の粉を乱れ落とす

火の粉を浴びる人たちから黄色い声が・・・

30分におよぶ“おたいまつ”はその一本一本、童子により見せ場が異なり、法要とはいえ、そのエンターテインメント性は高く、境内に集う群衆の目を十分に楽しませてくれた。

 
”おたいまつ”が終わり帰路につく人々  右:登廊下に置かれた燃え尽きた松明

翌日、われわれはホテルで夕食をすませ、タクシーで手向山八幡宮までゆき、午後8時半頃に二月堂の南側局(つぼね)へ入った。

初夜の行法が行なわれている夜の二月堂
初夜の行法が行なわれている夜の二月堂、外にもう人はいない・・・

そもそもは“おたいまつ”の観光に来たのだが、西山先生の講演を伺い、練行そのものに触れてみたいと思ったからである。

  
左:南側の局入口            右:局に入ろうとしている人

局の中は真っ暗である。目が馴れてきて、はじめて局内の人々の姿がうっすらと見えてきた。そして、須弥壇の辺りに盛り上げられた餅とそれを取り囲む燈火が内陣の格子の隙間から見えた。とても神秘的な厳粛な時間と空間である。


局のなかはこのように真っ暗・薄らとした火明りは内陣の燈火が洩れる(外から撮影)

入室した時間帯は“実忠忌”の法要が行われていた。

二月堂舞台より大仏殿と右に良弁杉
舞台南隅より右に良弁杉と正面に大仏殿の大屋根を見る

その法要が終ると、今度は神名帳(じんみょうちょう)の奉読が始まった。日本全国の神々の名を読み上げてゆくのだが、鎮護国家の象徴であった東大寺において、こうした神仏混合の法要が行われてきたことにわが国の宗教のあり方、本質を垣間見たように感じた。


当夜は午前零時頃に過去帳の読誦において有名な“青衣女人(しょうえのにょにん)”の名前が読み上げられ、その後に“走りの行法”というこれまた奇怪な行法が行なわれたのだが、われわれは真っ暗な格子で閉ざされた局のなかで2時間ほど坐り続けて退出したため、修二会の名場面は次回のお預けとなった。


ただ2時間の法要の中でさえ、練行衆が“南無観自在菩薩”、“南無観自在”そして“南無観”と十一面観音さまのお名前を徐々に高揚感をもって暗闇に唱えあげてゆく、その読経の律動と声音に、自然と手を合わせ祈っている自分に気づかされた。

わたしは“五体投地”という、練行衆がその身を礼堂の床に投げつける悔過(けか)の行法を前日のセミナーでの映像で見ていた。


セミナーで見た”五体投地”

この夜、われわれの局から練行衆の姿を見ることはできなかったが、下駄の足音も荒々しく、内陣から礼堂へ駆け出し、“バーン”と全身を床に叩きつけるすさまじい音を聴いているうちにいつしか涙が頬を伝わり落ちていた。

わたしにとって東大寺二月堂の“お水取り”見学という旅は、前日のセミナー参加によって“修二会(しゅにえ)”という法要参加に変わり、“五体投地”の悔過(けか)の行法を暗闇のなか己の五感で感じ取ることで、その目的は心の浄化へと見事に変じていた。


”達陀(だっかん)の行法”

また十一面観音悔過にはぜひ、参加しようと強く思う。そして、今度は局で午前四時までずっと坐り続ける心の準備と体力をつけ、“青衣女人”を聴き、“走りの行法”を垣間見、咒師作法のあとの“達陀(だったん)”の荒ぶる行法を五感で感じ取りたいものと願っている。


“南無観”、“南無観”、“南無観”・・・



春一番、もう雛祭がやって来る、弥生朔日

今年はブログ更新がまことに滞っていて、知人から体調でも悪いのかと連絡を受けたりする。


体調はいたって良好なのだが、ちょっと寒い日々が続いたため、寒い二階の自室を温めるのが面倒くさくて、温かな一階の居間でグズグズ、グダグダ・・・とやっているあいだに、今年ははや三月、弥生となった。


どうも窓外を眺めると、今日は春一番のようだ。強い南風が吹いている。ベランダへ出てみた。風が一瞬止むと、弥生の大気は肌に優しい。あの刺すような冬の寒気とはあきらかに異なる。 

春一番が吹く前はまだ雲が空を覆う
春一番が吹く前の朝の空

弥生の風が春の足音のトキメキを運んできたのだ・・・


空はまだ雲におおわれ、太陽もかすかに影を見せているだけ・・・ 

春一番に雲が掃かれてゆく
春一番に雲が掃かれ、うっすらと青い空が・・・

これから俺の季節なのだとじりじりと出番をまっているかのようだ・・・ 

太陽が出番を待っている
出番を待つ太陽

無精をして、ベランダから玄関脇の白梅を見下ろした。この梅は30余年前の結婚祝いに義父から戴いた盆栽だったが、根が無精者のわたしは手入れもよくせず枯らしてしまったものを、家内が庭に念のため植えておいたら、ひとつの芽が生え、甦ったものである。

白梅
二階から失礼・・・パチリ!

そして今や丈2mを超えるりっぱな成木に育ち、こうして美しい花をまとうようになった。生命力の強さ、命の流れを感じさせる梅の木である。


三週間ほど前から座敷にはお内裏様が飾られている。昨年までは段飾りをしていたが(もちろん家内一人で飾りつけをするのだが・・・)、 

7段飾り
段飾りもひと仕事・・・

今年は寄る年並みなのだろう・・・、お内裏様だけの雛飾りで“よし”としたようだ。 

お内裏さま
で、今年はお内裏さまで雛まつり・・・

でも、男雛、女雛と雛あられと桃の花・・・、まさに春の訪れである。

桃の節句
桃の節句ですねぇ〜

今年の啓蟄(けいちつ)は35日。このブログも長い冬眠からそろそろ覚めるときがやってきた。ブログの積み残しが貯まり過ぎで、これから腕まくりをして在庫一掃に励んでゆく所存・・・、だが、来週は奈良へお水取りの“おたいまつ”を観覧に行って参ります。


まだ、一月の京都の特別拝観のブログアップも済んでいないのに・・・、でも、ブログネタ探しも大事と気を取り直し、東大寺へいってきま〜す!!

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