彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

October 2012

“ころぼっくるひゅって”、手塚宗球さんのご冥福を祈る

ころぼっくるひゅって=景観保護と自然の営み(2008.6.23)

手塚宗求さんが9月12日にお亡くなりになっていたことを今日知った。


蓼科山と車山と”ころぼっくるひゅって”
蓼科山と車山頂上と”ころぼっくるひゅって”

今年、私は7月1日の足首の剥離骨折のため、猛暑の7、8月の二ヶ月、蓼科へゆくことができなかった。というより、通院以外に自宅を出ることがなかった。

高原とカルピス
いつもの席でカルピスを


車山肩にある“ころぼっくる”はこのブログでも何回かご紹介しているが、ご主人の手塚宗球さんとは一度だけ、テラスでゆっくりお話を聴く機会を得た。

コロボックルヒュッテ
ころぼっくる

その時、変遷してゆく山の環境をひどく憂い、自然保護活動を地道に続けられているご様子、自然保護の考え方も人それぞれで、一言で環境保護活動と括れぬ難しさがあることなど貴重なお話をうかがえたが、今にしてみれば、もう何度かお話をせがんで聴いておけばよかったと後悔するしかない。

骨折の直前、6月27日にレンゲツツジ鑑賞の際に“ころぼっくる”を訪ねたが、手塚さんのお姿はお見かけしなかったように思う。人も多かったし・・・

レンゲツツジと車山肩
”ころぼっくる”下のトレッキングコースからレンゲツツジと高原を

そう言えば最近は高齢者の登山ブームで平日に“ころぼっくる”を訪ねる方々が多く、なかなか落ち着いてテラスでぼ〜っとする機会も少なくなり、従って手塚さんにゆっくりお話をお聴きするなどという暇も場所もなかったような気がする。

ノビタキとレンゲツツジ
ノビタキとレンゲツツジ

どうも年内に“ころぼっくるひゅって”を訪ねるのは難しそうである。蓼科へ行けるのが多分11月の下旬頃になりそうで、もうその頃は車山肩も寒くて路面凍結の惧れも出てくるので来年の春まで待たねばならぬのかと懸念している。 


でも気温の温かな日に当るのであれば、今年中に何とか一度、お伺いしたいとも思う。


いつもの突端の席からテラスと小屋を

そしてテラスのいつもの席に坐り、宗球さんのあの優しい笑顔を想い出しながら、温かいココアをいただきたいと願っている。

コロボックル・ホットココア
いつもおいしいホットココア、ありがとうございました・・・


手塚宗球氏、享年80歳であった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。

石原慎太郎の第3極結集の理由が低レベルで笑わせる

80歳になる石原慎太郎東京都知事が10月25日、緊急記者会見を開き、「今日をもって都知事を辞職する。国会に復帰しようと思っている。新党を立ち上げて仲間とやっていく」とし、都知事の辞職、国政復帰を表明した。

さらに、国政復帰への思いを「最後のご奉公。硬直した中央官僚の支配制度を変えないとダメ。役人と戦っていかないと、この国は沈んで窒息して死ぬ」と語った。

大手メディアはこの石原という話題性には事欠かぬ男が動き、こぞってすわ第3極結集かいや乱立かといった論調で大騒ぎしている。

しかし、メディアを含めて冷静に考えてもらいたい。そもそも石原という政治家がこれまで何ほどの実績を残してきたのか。日本の国益にどれほど貢献してきたというのか。

政治家は口舌の徒にあらず、やってなんぼの世界である。

そのことを検証せずして、いたずらに第三極陣営に大石が投じられたような見方は、甚だ見識に欠けると言わざるを得ない。

この時代、メディアに見識をそもそも期待することが大間違いというのは、世間一般の共通認識になっているようで、前段の表現は適当でないのかも知れぬが、80歳になった都知事が突如噴出した国救いという老いの一徹を理由に、無責任にも4年の任期をわずか1年半で放り出し、好き勝手を許すことなどあってはならぬ。

そもそも国救いを心底熟慮していたのなら、多選弊害が言われるなか、昨年の都知事選に何も4期目を目指すことはなかったはずだ。奇しくも3.11午後の大震災勃発直前の都議会本会議のなかで、立候補を表明。

さらに震災後の14日、石原は再度出馬宣言、事実上の後継候補であった神奈川県知事(当時)の松沢成文はその傍らで立候補断念を表明するという後味の悪い記者会見を覚えている人も多いと思う。

そこまでして都知事を選択しながら、突然の辞任さらには国政復帰表明とは、都民を愚弄し、舐めきった破廉恥漢と呼ぶしかないし、選挙で選ばれる公選知事を“猪瀬で十分”などとオーナー企業じゃあるまいし、どこまで成り上がっているのか、この男は、憤懣はつきない。

昨年、煮え湯を飲まされた松沢成文氏に至っては、“猪瀬で十分”をどう聞いたのだろうか、はっきり“ふざけるな”と吠えれば、次期都知事の目もあろうってものなのに。

そんな人非人が国政復帰、第三極の結集とか話題にすることすら不愉快極まりないのだが、ここは冷静に語らねば、大手マスゴミ、失礼、大手マスコミと同レベルになってしまう。

そこで、石原の政治家としての実績の検証であるが、彼が国政で、また国務大臣として何か具体的な政策を仕上げたという記憶はないし、今回、調べても政治家として特筆するようなものは見当たらぬ。国政に置いて目立つのはやはり青嵐会の活動だけ要は口舌の部分だけだったといってよい。

次に都政をあずかった13年半で記憶に残る“政(まつりごと)”といえば、緻密な事業計画検討もされぬままの新銀行東京設立、そして1000億円におよぶ財政負担。

ディーゼル車排ガス規制で都民の命を救ったと高らかにその成果をひけらかす一方で、土壌汚染が判明している豊洲への強引な築地市場移転の決定を行なうというご都合主義の環境問題無視の姿勢。

視察と称し、公費による妻同伴の豪勢な海外旅行、煮詰まらぬままに猛進し、失敗した東京五輪招致、低所得者に対する都民税減税公約の当選後の一瞥もせず反故、週23日のみの登庁という都民を舐めきった所業の数々。

重度障害者に対し「ああいう人っていうのは人格あるのかね」といった発言に代表される差別発言、傲慢発言の数々・・・、本当に枚挙に暇がないとはこの男の非道をあげつらう時に使う言葉なのだと、本日、気がついた。

そんな男がこの国難の時に、第三極かなんだか知らぬが、俺が中心となって風を起すなどとよくぞほざけたものである。

30日、たちあげれ日本の全国拡大支部長会議の席上で、石原はこう述べたという。「政策のあそこが違う、ここが違う、とつまらんことを言うな。小異を捨てて大同に就かないと、大きなヤマは張れない」と。

日本維新の会やみんなの党と原発政策や消費税増税問題など小異であるとし、野合しようぜと吠えている。理念と現実の問題の妥協をはかるのが政治のはず。その泥臭く地道な調整が政治そのものであるはず。

それを小異を捨ててと言い捨てるこの男。もう怒りを超えて、この低能レベルを笑うしかない。

自分に都合の悪い質問には恫喝や話のすり替えで逃げ続けてきた本質的には怯懦な男、石原の胡散臭さがここに来て、腐臭へと変わり、その毒によりこの日本は奈落へと落とされるのだということをよく肝に銘じなければならぬ。

くれぐれも大手メディアの目くらましに騙されぬよう、今後の政治の動向に五感を研ぎ澄まし、己の基本軸をぶれさせずに大局を過たぬ判断をしてゆきたいと心から思っている。

言葉を商売とする小説家の言葉とは思えぬ、石原のおよそ人の心を打たぬ空疎な単語の羅列、まぁ、かれを一度も一流の小説家などと思ったこともないが・・・、そんな人間の大言壮語、唾棄して痰壺に飛ばしてやればよい。

まだ都知事の仕事をすべき人間が、今度の選挙で当選するかどうかも分からぬ男が、まぁ、よくぞテレビの前で、偉そうにほざけたもんだと心底胸糞が悪いといったらない。

もうこれくらいで止めよう、この怯懦な男と同じ低レベルまでどんどん落ちていってしまうから・・・

2012年秋、保津川下り=乗って知った“便利な豆知識” 朝日の瀬・嵐山まで


のんびりと曲り淵を抜けると保津川下りもいよいよ後半戦をむかえる。


その後半戦の最初に、保津川で最後の瀬となる“朝日の瀬”が待っているのだが、その瀬に入る前に、川中に猪の形をした“イノシシ岩”があったのだが、わたしは次なる“朝日の瀬”に気を取られ、写真を撮る余裕がなかった。


前方、狭い水路です

水量が少ないため、前方の水路が極端に狭くなっていて、注意がそっちにとられたのである。

舟がその狭まった水路をあっという間に抜けて、“朝日の瀬”に入ると一挙に川面は泡立ち、瀬音が高くなる。


11:35 朝日の瀬です
朝日の瀬です

“あっ!”、岩にぶつかる〜・・・と思った瞬間、船頭さんは馴れた手つきで竿を岩にぶつけるようにして船首の向きを変える。

11:36 ギリギリ、竿で岩をかわす
瞬時に竿で岩を突き放す

われわれは舟の前方に坐るため、艫で舵を切っている様子は分からないため、余計に恐怖感が増す。


瀬を抜けると川幅も広がり、流れは一転、ゆったりとなる。心地好い揺れに身を任せていると、前方の岸辺で鮎釣りを楽しむ人がいた。渓谷に架かる橋と釣人・・・まるで一幅の山水画を見るようである。

釣人を後方に置き舟が進むと、江戸当初から昭和24年頃まで続いた戻り舟を曳いた曳き綱の跡が左手の岩場に見えてくる。


戻り舟を曳いた綱の跡
写真をクリックし拡大して見てください

そして船頭たちが乗船場まで舟を曳き、走り歩くために設けられた綱道が川岸のところどころに残っている。




平らになっているところが綱道です

その往時の様を“虞美人草”は次のように活写している。


“向から空舟が上ってくる。竿も使わねば、櫂は無論の事である。岩角に突っ張った懸命の拳を収めて、肩から斜めに目暗縞を掠めた細引縄に、長々と谷間伝いを根限り戻り舟を牽いて来る。水行くほかに尺寸の余地だに見出しがたき岸辺を、石に飛び、岩に這うて、穿く草鞋の滅り込むまで腰を前に折る。だらりと下げた両の手は塞かれて注ぐ渦の中に指先を浸すばかりである。うんと踏ん張る幾世の金剛力に、岩は自然と擦り減って、引き懸けて行く足の裏を、安々と受ける段々もある。長い竹をここ、かしこと、岩の上に渡したのは、牽綱をわが勢に逆わぬほどに、疾く滑らすための策と云う。”


遠く想いを馳せていると、今度は右手の山腹に、トロッコ列車が走ってゆくのが見えた。緑の中に紅色と橙色の車両が見え隠れし走る様子は、どこか紅葉のはじまりのころの渓谷の景観のようにも見えた。

11:45 トロッコ列車にみんなでご挨拶しました

手を振る舟人と汽車人との山気を通した交わりはまた爽やかである。


トロッコ列車に御挨拶

次に船頭さんの熟練の腕の披露があった。数百年の間に幾千、幾万の船頭の竿によって穿たれた岩の穴に、竿をピタリとはめる妙技である。お客たちは穴の開いた岩が近づくにつれ、その趣向に固唾を呑んで見入ることになる。


入った〜!お見事! 


11:47 400年間、竿を突き続けた窪みに見事に入りました
ピタリと入りました!!

さすがの腕である。すると船頭さんはまるで勧進帳の弁慶ではないが、竿を頭上高くクルクル回し大きく見得を切る。その姿は海老蔵も顔負けのなかなかな千両役者である。


イヨッ、大統領!じゃなくって、成田屋〜!!

名演技を堪能する間もなく、すぐに左手に“屏風岩”が見えてくる。変わった形の大石である。


屏風に見えますか? 見る角度が大事です

今度は右手一帯が清和天皇(在位858876)が鵜飼を楽しまれた場所だという“鵜飼の浜”となる。歴史を感じさせる保津川下りです。

  
右手の岩場一帯が”鵜飼の浜”    左手のがけ中腹に”鵜飼の浜”表示板

そのちょっと先に川鵜がいたが、嵐山の鵜飼(7/19/15)や長良川などのいわゆる“鵜飼”で使われる鵜は海鵜で、川鵜はそれよりずいぶん小さいことを知った。

川鵜がいました
川鵜がいました。海鵜に較べてかなり小さいです

保津川下りも残り30分となったころ、右手の大岩に向かってみんなでポーズ。いわゆる観光用の記念写真を撮ってくれます。1枚1300円で、後日、自宅に送ってくれます。人生のひとコマを切り取った素敵な写真が届きましたよ。


橋の下辺り、パラソルの立つ岩場からパチリ!

橋上の駅として有名な“トロッコ保津峡駅”を下から見上げます。



トロッコ保津峡駅

次にミステリーのロケ地として頻繁に使用される崖が見えてきました。

12:04 左の崖上で殺人が起こり、下の河原で犯人が捕まるのだとか
左の崖上で殺人劇、下の小さな浜で”片平なぎさ”さんが何と犯人を逮捕したのだそうです

崖の上で殺人が起きて、崖下のこんなに小さな砂浜で、犯人が捕われるということでした。こうして一望すると、随分お手軽なロケ場所なんだと感じ入った次第です。


そして、次に登場したのが、ここから猿が対岸の岩に跳び移るのだとか、だから“猿岩”というのだそうだ。対岸の岩まで結構距離がありましたが、本当かなぁ・・・


右手前方の岩上に”猿岩”の表示

橋桁がないことで有名な“保津川橋梁”をくぐります。


トロッコ列車で通った保津川橋梁です

この橋を岸で支えるレンガ造りの柱に印された赤線は過去の最高水位だそうです。もの凄い水量です・・・、ぞ〜っ・・・


保津川橋梁の袂に過去の増水時の印が
写真をクリックし、拡大して下さい。丸で囲んだ所まで水が来たというのです・・・

そろそろ、終着点が近づいて来ました。左手先に見える石積みの塔は船頭さんの守り神だとかで、船頭さんたちによって祀られているとか・・・云っていたような・・・


この石塔だと思うのですが・・・

上流の“不動明王”と混同しているのかもしれません。皆さんで船頭さんに確認して見てください。スイマセン・・・


ライオン岩です。これ、似ていましたよ。



ライオン岩です、かなり似ていると思いました

これはオットセイ岩、可愛らしいのですが、ちょっと造作が過ぎますかね・・・なんて・・・

12:15 オットセイ岩
オットセイ岩ですが、ちょっと凝り過ぎですよね・・・

な〜んて、のんびりしているといきなり来ました。ドスンと落ちました。安心しきっていたので、少々、驚きました。保津川下りに油断は禁物でした。


12:17 落ちました
落ちちゃいましたぁ〜、ビックリです

そしていよいよ終盤。百年余の歴史を誇る嵐山の琴ヶ瀬茶屋の名物、“水上屋台”が遠くに見えてきました。


12:18 遠くに琴ヶ瀬茶屋の水上屋台が見えます
遠くに水上屋台の舟が見えています。緑の屋根の舟ですよ・・・、ず〜っと遠くです

舟が横づけになると舷側同士を縄で結え、しばし小休止。メニューはまるで水上コンビニです。


  
        いらっしゃ〜い!      イカ焼き、おでんなどいろいろあります

御手洗団子に烏賊焼きなんぞを頼んでしまいましたねぇ。おいしかったなぁ〜。

12:20 みたらし団子も食べました  

さて、心躍る水上屋台とお別れすると、もうそこはなんと嵐山ではありませんか。



右手がかの有名な嵐山です。川から見上げる嵐山、イケマスよ!!

そしてこの先すぐの左崖上に近衛文麿公の元別邸で、豆腐料理“松籟庵”も見えてきました。

12:25 近衛文麿公の別邸で現在は豆腐料理”松籟庵”
樹間に松籟庵が見える

あぁ遠くに渡月橋が・・・、すぐ手前左に着船場が見てきました。いよいよ保津川下りも終了です。

12:29 左手に着船場が見えます
遠くに渡月橋、左手先に桟橋、手前の建物はトイレです

トウチャ〜ク!! 12時半の下船ということで、ちょうど1時間40分の川下りでした。


桟橋に到着です

そして、下船する際に舟の舷よりちょっと高い桟橋にどうやって移動しようかと思案していたところ、馬車でご一緒したお嬢さんが”どうぞ”と手を差し伸べてくれた。つい、”大丈夫ですよ”と、無理やり何とか飛び移ったものだが、いつも”最近の若い者は・・・”と嘆いていたのが申し訳ないような事態に自分が遭遇しドギマギしてしまったようである。

と云うより愛らしいお嬢さんであったことが、この初老の男心に時ならぬ動揺をもたらしたのかもしれぬ。

桟橋に無事降り立ったわたしは、下船の所作を心配そうに見守ってくれたお嬢さんに”幸せになってくださいね”と言葉をかけた。

彼女はにっこりと微笑み返し、”ありがとうございます”というと、さっと踵を返して、あの素敵な彼氏と嵯峨野の町へと歩み去って行った。

その様子を眺めていた家内が、”どうして、手を握ってもらわなかったの”と優しく声をかけてくれたが、”手を握られるとかえって不安定になるんだ”と、なぜか無愛想な返事をした。

そして、話術というより話芸といったほうがピッタシの船頭さんたちにお礼を言い、お別れした。

本当に楽しい川下りだった。皆さんも是非一度、トロッコ列車を乗り継いで保津川下りを楽しんでみてください。


ありがとう!!船頭さん

最後に、さてさて、この舟はどうやって上流に戻すのかということですが・・・



もう、椅子をはずしてます

渡月橋へ向かって川岸を歩いていると、さっきの舟はあっという間に屋根から椅子から取外されて、何の変哲もない簡素な和船に姿を変えていました。


屋根もなくなりました

これをトラックに積み込み、乗船場まで運んでゆくのだそうです。納得されましたか?


それと船頭さんたちはJR山陰本線で亀岡駅まで帰ります。トロッコ列車ではありません・・・


われわれはこれから嵐山でお昼を食べる先を探します。それでは“保津川下り乗船記”、長々とお付き合いいただきありがとうございました。

千変万化、山下茂氏の手練の技、“2012年秋の割烹やました” に感服!!=京都グルメ

2012年春の“割烹やました”=京都グルメ(2012.5.13)
割烹やました・2010年の味=京都グルメ(2010.12.12)
秋の京割烹「やました」、行って参りました=京都グルメ
(2009.11.23)
割烹「やました」天下の珍味を堪能!!(上)(2009.2.18)
葵祭りの日、割烹「やました」へ(前編)(2008.5.21)
割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)

中京区木屋町二条下ル

075-256-4506


2012年・割烹やました”秋の陣に勇躍、わが夫婦は参戦した。


当夜はいつもの席、カウンター奥の席が用意されていた。板場の真ん中に大将の山下茂氏、その左脇には料理長としての風格と存在感が一段と増してきた花島さんが凛々しく立つ。

そして、わたしの正面には焼き方デビューを果たした右近君が立つ。新しい“やました”の形である。

お絞りで手を拭う間にさっと通される八寸。


八寸

その一連の流れを目にすると、あぁ、“やました”のワクワクな夜が始まるのだと感じる瞬間である。


この日の日本酒は“やました”定番である伏見の “桃の滴” (松本酒造)を注文した。


桃の滴です、料理に合います

八寸に箸をつけ終わるころ、右近君がおもむろに“今日、鯨の頬肉が入っています”と切り出すではないか。久しぶりの鯨、それも頬肉、もちろんお願いすることにした。


早速、大物の”鯨の頬肉”がやってきた

こうして“やました・2012年秋の陣”の戦端は、緒戦から本格的な戦闘をともない切って落とされることになった。


そしてカウンター中央には、秋の味覚の王者たる松茸がこれでもかっていうほどに盛り上げられている。いつあの山に攻め上がるべきか、当方も心中ひそかに策を練る。


すると敵将の山下茂氏はまるでこちらの心中を察したかのように大きな松茸を手に取り、敵の陣中深くへあたかも誘い込むように陽動作戦を進める。

大将、大きな松茸ですねぇ
松茸を盛り上げた中から大物を・・・。花島さん、凛々しい

もちろん、こちらはそんな見え見えの策には乗らずに、水槽に泳ぐ琵琶湖産の鮎に着目。


鮎が勢いよく泳ぐ水槽

これを料理してくれと、注文をつける。そして、われわれの目の前に供されたのが、次なる子持ち鮎の塩焼きであった。

子持ち鮎の塩焼き
素晴らしい子持ち鮎です

膳の上で身を躍らせて泳ぐかのような鮎、しかもこの卵のはみ出す様(さま)のふくよかな美しさ、造形を目にして、敵将の手練の技に不覚にも息を呑んでしまった当方陣営である。


見事な仕上げです

色合いの良い器に入った蓼酢でいただいたが、美味である。加えてこの蓼酢がまた何とも上品でおいしい。


上品な蓼酢です

敵将にエールを送ると、“これ、ちょっと食べて見てください”と緑色の葉っぱを差し出してきた。


この蓼の葉を食べさせていただいた、このエグミがいいのかな・・・

とうとう、敵もまともでは敵わぬとでも思ったか、毒草でも盛ろうとするのかと、しばし逡巡するも、敵に後ろは見せられぬ。エイやっと口に放り込み、噛みしだく。


苦み走った味・・・、でも、もちろん毒何ぞではない。


これがあの“蓼喰う虫も好き好き”の蓼の葉だという。ふと板場を見ると、大将は蓼の葉を丁寧に下ごしらえしているではないか。

敵ながら天晴れと、ちょっともう、投降してよいかなと気弱になった瞬間である。でも、戦闘はまだ始まったばかり。まだまだと、気を取り戻し、態勢を立て直して、次なる攻撃目標を探すと、“いい秋刀魚が入ってますが”と、まさに秋の陣にふさわしい攻勢を仕掛けてきたではないか。

こちらに否やは応はない。堂々と受けて立つことにした。

すると大将はキラキラと照明に光る一尾のりっぱな秋刀魚を示し、包丁を入れてゆく。


秋刀魚に包丁を入れる大将

俎板の上で、その包丁は時に繊細に、時には大胆に、リズミカルに動いてゆく。


バラバラに解体された秋刀魚

右手の包丁と職人の左手は、まるで蝶が花の蜜をめぐって絡み合うように優美な曲線を描き翔んでいる様に見えた。


見事な手さばきが続きます

どうも内臓を包丁の峰や平を駆使し随分と丁寧に時間をかけて処理している。少し不思議な光景である。つい、その所作に惹き込まれてしまう。

一体、彼は何をしようと目論んでいるのか、当方の単純脳には理解しがたい時間が過ぎていった。

そして、三枚におろされた秋刀魚の片身がこんがりと黄金色した薄塩焼きとして供された。


薄塩焼き

レモン汁をたっぷりかけて食べた。さすが旬である。脂が乗っていて旨い。


しかし、あの、俎板上での面倒に見えた包丁捌きは何なのか。敵将の魂胆が分からぬと思案中、目の前に拍子切りされた秋刀魚の切り身が登場した。


これは何だ?

はてな?と怪訝な表情でいると、大将がちょっと“食べて見てください”と云うではないか。箸をつけた。その拍子切りの切り身を口に入れた。


エッ!!


このかかっているパープルソース・・・、何? バルサミコかい・・・、いやオリーブオイルも・・・、そしてこの色の正体は・・・

このソースは秋刀魚の肝でできてます
このソースの正体は?

もう、降参するしかない。こちらも食の武人である。負けを潔く認めようではないか。


“これ、何?” 全面降伏である。

秋刀魚の内臓を丁寧につぶしたものをバルサミコとオリーブオイルで溶き作ったソースだという。

何という斬新な発想。料理人の真髄を少し垣間見た得難く貴重な瞬間であった。

そして身を削ぎ落とした後の骨をこんがりと芯から揚げた唐揚げはもちろん、おいしくいただきました。


カラリと揚がっています

この秋刀魚一尾の丸ごと調理により、当方は完全に白旗を掲げることとなった。すると、もうあとは雪崩を打ってという状態となるのは必定の成り行き。


あの松茸山から敵は逆落としに駈け下りてくることになった。


まず、松茸の鮨である。これはまた、趣向も乙で、焼き松茸や土瓶蒸し、松茸ご飯ではない扱いにはホトホト脱帽。

松茸の鮨です!
豪勢な松茸鮨

そして次に焼き松茸を奨められたものの、まだ僅かに抵抗の気力が残っていたのか、何か違うやつはないかなと云うと、間髪いれずに“天ぷらにしましょうか”と来た。

これ、松茸の天ぷらです
松茸と野菜の天ぷら

もう、どうにでもしてってなことで・・・、いやぁ、これも実に絶品でありました。


ほぼ、秋の陣の攻防も、当陣営の敗退は決定をみたところで、家内が先ほどから目の前で花島さんが何か細々と手を動かし続けているのが気になったのか、“それ、花島さん、さっきから何してるの?”と問うた。


キクラゲのように見えるが、ちょっと違う・・・


そして、最後にいただくことになったのが、天下の珍味、“岩茸(いわたけ)”の酢の物である。

天下の珍味、岩茸(いわたけ)です
天下の珍味、”岩茸(いわたけ)”です

岩茸は標高800m以上の岩壁の垂直面にへばりつくように生える地衣類、つまり、苔の一種なのだという。掌くらいの大きさの物だと、20、30年かかる幻の逸品なんだそうで、国産品はほとんど入手不可能とのこと。


先ほど、花島さんが細々作業していたのは、苔の表面に付いた不純物を丁寧に根気よく取り除いていたということでした。


秋刀魚の一尾喰い、松茸鮨に天ぷら、最後には本邦の珍味なる“岩茸”を供されるに至り、“2012年秋の割烹やました”の陣も、山下茂大将のもと、花島参謀長、右近将校の一方的攻勢により、当方は慶んで白旗を掲げる次第と相成り、大団円を迎えることとなった。

いつもいつも、おいしく独創性にあふれた料理で旅人の心を愉しませてくれる“割烹やました”さんに心からの感謝の念をお伝えし、終稿とすることとしたい。

押し小路の夜も更けて
押し小路の夜も更けて、トコトコとホテルへ帰ってゆきました


それから帰宅後、家内が石巻より届いた秋刀魚で拍子切りに挑戦しました。花島さんのご教示による内臓の喉元に近い所の鱗も丁寧に除け、ソースを作ったのですが、微妙に何か違うんですよね・・・。バルサミコやオリーブオイルの量の問題なのか・・・、今度伺った時に復習しますので、よろしく。


それでは、また、来年、お会いししましょう。

2012年秋、保津川下り=乗って知った“便利な豆知識” 小鮎の滝・曲り淵まで

2012年秋、保津川下り=乗って知った“便利な豆知識” 朝日の瀬・嵐山まで
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2012年秋、保津川下り=乗って知った! 知っとくと便利な豆知識
2012年秋の保津川下り=保津川下り乗船場へ“馬車”に揺られてポッコ、ポコ
2012年秋の嵐山・嵯峨野=“トロッコ列車”で保津川下りに行ってきました!!

夏目漱石が明治40年(1907)に体験した保津川下り。今から100年前の様子が、その名著、“虞美人草”にあざやかに描写されている。


川下りの冒頭は次のようにはじまる。


“浮かれ人を花に送る京の汽車は嵯峨より二条に引き返す。引き返さぬは山を貫いて丹波へ抜ける。二人は丹波行の切符を買って、亀岡に降りた。保津川の急湍はこの駅より下る掟である。下るべき水は眼の前にまだ緩く流れて碧油(へきゆう)の趣をなす。岸は開いて、里の子の摘む土筆も生える。舟子は舟を渚に寄せて客を待つ。”


さすが江戸っ子、坊ちゃん文豪である。啖呵のきいた、リズムのよい名文である。


その保津川下りのコースは105年前の漱石の時代と異なることはない。 “保津川下り公式HP”(保津川遊船企業組合)に分かりやすい図があるのでそこから引用させていただき、下に添付する。



保津川下りマップ


そして保津川下りには、幾多の浅瀬や落差の多い急流を下るため船底が平らな高瀬舟が使われている。



高瀬舟
高瀬川一之舟入りに浮かぶ”高瀬舟”

“高瀬舟”と云えば、これまた明治の大文豪、森鴎外の小説である。われわれは近代文学の黎明期に出現した文学界の両巨星とともに保津川下りを始めるというわけである。


てなことで、漱石のいう碧油(“緑色の油を流したような流れ”のことだとか・・・)のなかに105年後のわれわれも高瀬舟に乗って漕ぎだしていった。


乗船開始。川面は穏やかである。

午前10時50分の船出である。天気晴朗で空は抜けるように青い。


さぁ、船出! 空は抜けるように青い。絶好の川下り日和である。

桟橋を離れてしばらくは、漱石のいうように川の流れは緩やかで、しかも当日は水量が少ないので、船底を擦るのではないかと思うほどに水深が浅い。

岸辺にのんびりとこの船旅を見送ってくれる亀が見えた。悠々と時が流れるようである。


亀が見送ってくれました

この辺りの川の名はまだ確か“桂川”のはずだが、この桂川にも四国の吉野川や四万十川に架かる橋で有名な“沈下橋”があったことに、少し感激。


前方に沈下橋

その橋の下をくぐるときにちょっと舟が落ち込んだ。乗客がちょっとざわめくが船頭さんはの〜んびり・・・


ゴトンと落ちたが・・・大したことはない・・・

10分ほどゆったりと行ったところで、右手の土手に京馬車がこれまたポッコ、パッカとのんびりトロッコ亀岡駅の方向に向かっているのが見えた。


われわれも乗ってきた京馬車が見えた

左手の石垣のうえに、“保津の火祭り”で有名な“請田(うけた)神社”が見えてきた。

11:07 請田神社
請田(うけた)神社

この下辺りが保津川下りの一の瀬とも呼ばれる“宮の下の瀬”である。


請田神社の下にあるので”宮の下の瀬”と呼ばれる

少々、白い波が立っています。


この先の山の端が迫った辺りからいよいよ保津峡へと舟は入ってゆく。ここらからが、いわゆる保津川と通称される川となる。


あの先の狭まった辺りから保津峡

20分ほど下った左岸に大きく立つ “烏帽子岩”がある。角度によって烏帽子の形に見えるのだが、奔り去る舟上からなかなかそのタイミングを見つけるのは難しい。


岸辺の大石が”烏帽子岩”、見えますか、烏帽子の形に

それを過ぎて3分ほどすると、遠くに自然石を積み上げた一画に保津川の守り本尊である“不動明王”が見えてくる。


遠くに不動明王の石積みが見えてくる

縦長の板状の大石にレリーフされた石像である。

この不動明王を過ぎると、“金岐(かねぎ)の瀬”に入ってゆく。舟足も速まり、白く泡立つ波頭も結構、迫力がでてきました。


金岐の瀬に入っています

そして保津川下り最大の名所、高低差2mの“小鮎の滝”に突入する。水路が急速に狭まり、スピードも上がる。


さぁ、これから”小鮎の滝”へと入ってゆきます

さぁ、あそこが“小鮎の滝”だ。保津川下りで唯一、滝の名称が付けられた場所である。


この先が落差2mです

あぁ、落ちてま〜す。



いま落ちました、小鮎の滝を・・・

“キャ〜!”、“オ〜ッ!”と舟客は無意識に嬌声、大声を上げた。

すると船頭さんがすかさず、“これで今日のお客の年齢が分かったなぁ”と云うではないか。無意識に悲鳴を挙げる時、30代までは大体、“キャ〜!”と高く叫ぶのだそうだが、40代を超えたあたりから“ウォ〜!”とドスのきいた叫びに変わるのだとか・・・。皆さんに、いやぁ〜、受けていましたなぁ〜。


綾小路きみまろの上をゆく“名言”でありました。家内も横でこっそりと裏声の発声練習などしておりましたな。まだまだ、色気はありますな・・・


当日は水量が少ないため、ビニールシートも最前列の人たちだけですみましたが、水量が多い時には両サイドの舷側にシートを上げて飛沫から身を守ります。私がこの日浴びた飛沫はズボンが下の写真の程度に濡れただけでした。

11:17 水量が少ないので、この程度で済みました
この程度ですみました

良かったのか悪かったのか。やはり、ドバ〜ッと濡れるスリルを味わいたかったというのが本音でありました。


ともあれ、最大の難所の“小鮎の滝”を無事、乗り切り、舟はすぐに次の難所、“大高瀬”へと入ってゆきます。


すぐに大高瀬に入ります

川幅が狭まり、岩肌を丸太が覆いつくしている様子は、いざという時の舟が衝突した際の被害を防ぐためと思うと、舟の速度、すぐ横を過ぎ去る岩、荒れる飛沫が、いや増しに緊張感を昂めてゆく。


岩肌を覆う丸太が逆に恐怖心を煽る

この大高瀬は結構、長い距離で、スリルは十分。最前列の若いカップル二組を除くみなさん、“ウォ〜ッ!!”と

地獄の底から響いてくるような嬌声ならぬ、狂声?をあげていましたなぁ・・・


ということで、急流を凌いだ舟はしばしのんびりと下りまして、水深10mの保津川下りで二番目に深い“殿の漁場”へさしかかった。


岩場に”殿の漁場”の表示板が

ここは、昔、丹波の殿さまが釣りを楽しまれたところで、淵のように静かな水面を見せている。ちょっと不思議な景色である。


まったりとした水面が急流下りとは思えぬ、不思議な気分に・・・

その余裕もわずかで、舟はすぐに“”獅子ヶ口の瀬“の急流へと向かってゆく。


この先、左カーブに”獅子ヶ口の瀬”

また急速に岩肌が舷側に迫り、船頭さんが“舟の縁から手を離して、内側の棒を握ってください”と、声が飛ぶ。これは、結構、危ない、スリリングである。

  
結構、きわどい!!獅子ヶ口の瀬    難所は越えたなと船頭さんもひと休み

“獅子ヶ口の瀬”を抜けると、“女淵”と呼ばれる流れの緩やかな淵が遠くに見えてくる。小山のような岩が行く手をふさぎ、川筋がここで大きくUターンする。


正面の岩上に”女淵”の表示板

この女淵を右にぐるりと回った辺りが、水深の最も深い“曲り淵” (15m)となる。漱石の表する“碧油(へきゆう)”とはこんな色ではないかと思った処である。


水深15mの”曲り淵”、碧油色に見えません?

こうして曲り淵に達した時が11時30分。スタートして、距離的には大体半分、時間でいうと1/3の40分がかかったことになる。(以下、次回に続く)

ジャズの聴こえる“蕎麦懐石・無庵”=立川グルメ

(当ブログの写真・記事の無断転用を禁じます)

立川市曙町1丁目28

042-524-0512



無庵・暖簾
”無庵”の暖簾が午後5時に出ました

以前から紹介しようとして、写真がファイルのどこかに埋没し見つからなかったり、いい写真が撮れていなかったり、突然、無庵をキャンセルせざるを得なかったりと、アップのできないまま、月日がいたずらに経ってしまった。

無庵と打ち水をするお嬢さん
店前に打ち水を女性スタッフの方がしてます

そしてようやく、「本日、ここに、蕎麦懐石“無庵”が晴れて何れも様のお目もじの栄に浴することが叶うことと相成りました次第にござりまする、チャチャン、チャンチャン・・・」ってなことで、午後5時の開店と同時に店内に入り、まだ客も居ぬ店内で写真を取らせてもらい、ご一緒いただく淑女お二人の到着を待ち、大人たちの週末の憩いのひと時が始まった、次第にござりまする。

落ち着いた店内
奥に暖炉、手前の書棚にはジャズのレコードが・・・

家を出掛ける前だったか、“猿之助の襲名披露”のドキュメントを見たので、口上風に始めて見ましたが、店内にはジャズがさり気なく流れ、インテリアもご覧のように暖炉あり、オーナーの収蔵レコードがならんだり、照明も温かい橙系で統一されたりと、民芸調の室内造作に不思議と馴染んだ“洋”の洗練された大人たちのための演出が施されている。

全てが大人の色合いです
心落ち着く色合いの店内です

そんな相席を許さぬ贅沢な空間使用に唸りながら、お客たちは次なる本命の蕎麦懐石に否が応にも期待は昂まってくるのである。


当夜の私たちの席です、ゆったりとしています

当夜の三人はいずれ劣らぬ食通、いや、食いしん坊にて、メニューを一覧するや、“これ、おいしそう”、“これは外せない”、“これって、どんな風?”、“これって、あれとどう違うの?”ってな感じで、お店のスタッフの方をテーブルに釘付けにさせたまま、いろいろと、策を練っておりましたな。

DSCF5733

結局、色々な種類を頼んで、シェアしようということになりました。持つべきものは、やはり食いしん坊・同好の士、いや良き友であります。




この焼き味噌は甘くてわたし好みなんです・・・

そして、まぁ、“そば前”として、まず無庵自家製の白みその“焼き味噌”をいただき、それに合う日本酒も色々とヒアリングを重ね、女性陣が“無庵”の定番である五日市市の“喜正”(野崎酒造)を、わたしが海老名市の“いづみ橋”(泉橋酒造)を注文した。



DSCF5719
日本酒は”いづみ橋”

その前に、そうだ、さっと供されたお通しも愛らしく、その器の凝りようとともにこれからの晩餐の心豊かな時間を暗示させてくれたのでした。



お洒落に出てきた”お通し”

女性陣はこれから運ばれて来る料理は当然のことだが、その味わいのある器ひとつひとつに多大な関心を示し、皿を目線より上に奉げ銘を確かめるなど、懐石の醍醐味を満喫しておりました。


本日のお薦めで、三浦半島の金目鯛の刺身を頼みました。脂がのってとろりとして美味でしたね。辛口の“いづみ橋”とよく合いました。


三浦産の金目、美味でしたなぁ・・・

次に秋の味覚、“巨峰と柿の白和え”をいただきました。う〜ん、秋到来ってな、雰囲気が口中に充満しましたな。


巨峰と柿の白和え

それから“金時草(キンジソウ)とナメコのお浸し”、薄味であっさりとイケてました。


金時草とナメコのお浸し

私の大好きな“炙り鴨”、有無を言わせずってな感じで、頼んでしまいました。


これだけは譲れぬ”炙り鴨”

どうも女性陣はほかの鴨料理を狙っていたみたいな気配がしたが、ここは早い者勝ちで、強引にいっちゃいました・・・、少々、反省しています m(__)m


軒先で覗きこんだ“カラスミのスモーク”も、この分厚さに何だか幸せな気分になるんですね・・・。


この”スモ−ク唐墨”、結構、分厚いんですよ・・・

因みに軒先の奴は来年、お店に出るんだそうですよ。

見事なカラスミです
軒先で豪勢にカラスミの天日干しです

それからいよいよ、天麩羅。盛合せでまず・・・。


そして、気になってしかたのない“柿の天ぷら”、いっちゃいましたぁ〜。あっさりしていて、柿の上品な甘さがほどよく口内に広がる感じ、大好きです。





これが”柿の天ぷら”で〜す

陽が落ちると秋冷えが堪えはじめるお年頃、温かいところで、“冬瓜と鴨団子のスープ煮”も、ホッ、ホッとおいしくいただきました。


”冬瓜と鴨団子のスープ煮”、温まりました・・・

時間も過ぎ、お腹も適度?に膨らんできて、いよいよ、お蕎麦タイムへと突入です。そうそう、無庵では、これって蕎麦は注文時の最初に予約というか、取り置きをしておいてもらうのがよいですよ。以前も、宴終盤になってこれって頼んだところ、“申し訳ありません、今日は売り切れ”って、あれ〜って、へなってしまったことがありました。


当夜はスタッフの方が、なくなりそうな蕎麦は取り置きますって言ってくれて、次なる好物蕎麦をいただくことができました。前回だったか、前々回だったか、無念の思いをした蕎麦でしたので、ようやく悲願達成です・・・、ちょっと大袈裟でしたね。



”碾きぐるみ”という八ヶ岳産の玄そばの荒挽きです

大好物、玄蕎麦の荒挽き、“碾きぐるみ”というのだそうだが、いただきました。


これまでのオーダー振りから、当然、“小盛り”の注文です。決して“無庵”の蕎麦の量が少ないってことではないですよ。


この蕎麦の肌に透けて見える“そばの粒々”、やはり、荒挽きは素人でも蕎麦の香りが分かるので、大好きです。


玄そばの粒がそば肌に浮き出ている
この粒々、香りますよ〜!!

女性陣は上品な“生粉打ち蕎麦”を注文しておりました。



生粉打ちです

ようやく宴もお開きが近づき、デザートへと後はまっしぐら。


ブラマンジェに・・・




これって、”くるみもちのブラマンジェ”でよかったのかなぁ・・・

そばがき善哉に・・・



これが、おいしいよねぇ、”そばがきぜんざい”

そばがきの栗善哉に・・・



”そばがきの栗ぜんざい”

とこれ、全部一人で食べたわけではないですよ。みんなで頼んだ分ですから、わたしはオーソドックスに“そばがき善哉”でした。いっつも、おいしいんだなぁ、このゼンザイは・・・ってなことで、立川・蕎麦懐石“無庵”の大人たちの夜は静かに静かに更けていったのでした。


帰宅後、女性陣からお土産にいただいたわらび餅とどら焼きを頬張りながら、おいしかった“無庵”の品々を品評しておりましたら、家内と娘は、“いつ、私たちは連れてってくれるの?”ということでして、近々、ジャズの聴こえる“無庵”へ、家族で一緒に伺うことになりますなぁ・・・

2012年秋、保津川下り=乗って知った“知っとくと便利な豆知識” 保津川とは?

2012年秋の嵐山・嵯峨野=“トロッコ列車”で保津川下りに行ってきました!!
2012年秋の保津川下り=保津川下り乗船場へ“馬車”に揺られてポッコ、ポコ
2012年秋、保津川下り=乗って知った! 知っとくと便利な豆知識
2012年秋、保津川下り=乗って知った“便利な豆知識” 小鮎の滝・曲り淵まで
2012年秋、保津川下り=乗って知った“便利な豆知識” 朝日の瀬・嵐山まで

これからコースの見どころ、楽しみどころをご紹介していくのだが、その前に“保津川”なるものは一体どういう川なのかについて説明をしておかねばならぬ。

迫る渓谷にJRの鉄橋
保津川

なお、この説明が、あぁ鬱陶しいという方は次の保津川下りレポートへスキップしていただいて構いません。

さて、そもそも保津川とはどこからどこまでを言うのとか、保津川の下流はあの有名な桂川につながってるよねとか、ひとつ流れの川を保津川とか桂川って呼んでいるの?ってな、いろいろ疑問を抱かれる方も多いと思われる。

そこで船下りの前に、その点だけは一応、得心しておいた方がよいと思われるので、少々、保津川についての薀蓄(うんちく)を述べさせていただく。

そもそも“保津川”の行政上の呼称はあの有名な“桂川”である。その“桂川”は琵琶湖から流れ出る唯一の河川で大阪湾に流れ込むあの“淀川”の水系に属する一級河川だということである。

そして桂川の源流はと謂えば、日本海の若狭湾へ流れ込む由良川水系と、最後には瀬戸内海(大阪湾)に流れ込む淀川水系(桂川)との大分水嶺である佐々里峠(京都市左京区広河原と京都府南丹市の境)にまで遡る。

その“桂川”は源流を離れると、まず左京区の広河原、花脊を南流し、花脊の南部で流れを大きく西へと転じる。そして今度は右京区の京北地区を東から西へ大きく蛇行しながら横断し、南丹市の世木ダム・日吉ダムへ流れ込み、日吉ダムから出ると今度は亀岡盆地へ向けて南丹市を南下してゆく。

亀岡市の中央部を南東の方向に縦断して、途中、保津川下り乗船場を過ぎて、保津峡に入ってゆく。


保津峡の入口・請田神社下

その保津峡をさらに南東へ流れて嵐山に到達、京都盆地へと出ることとなる。


右が嵐山、この先に渡月橋があります

それから桂離宮脇を過ぎ一挙に南下し、伏見区の辺りで鴨川と西高瀬川を併せ、大阪府との境で宇治川と木津川と合流し、淀川となり、大阪湾へそそぎ込むこととなる。


平等院の脇を流れる宇治川

要するに、“桂川”は、京都北部の佐々里峠という大分水嶺に源を発し僅かに南流するが、市街の北端辺りで西行し南丹市にて、今度は南東方向へと流れを変え、亀岡市を抜け、伏見区で京都市街を流れてきた鴨川と合流するまで、京都市街をあたかも避けるかのように、また京都の町を抱き込むようにも見える、大きく“くの字”形をして流れているのである。


そのように洛中を包み込むように流れる川だけに、京都の長い歴史と合わさって色々な面を併せ持つ川が“桂川”だといえる。


そのため桂川には、一本の川でありながら、その歴史との関わりに於いて、その流れのある個所に通称としての川の名前が冠されているのである。

その源流から順にその通称を列べると、次の如くである。

上桂川→桂川(南丹市園部地区)→大井川(南丹市八木地区から亀岡市)→保津川(亀岡市保津町請田から嵐山)→大堰(おおい)川(渡月橋を挟み堰と堰の間2km)→桂川

何とも賑やかな変幻自在ぶりである。そして、驚きが、嵐山の名勝、渡月橋の真下を流れる時は、“桂川”ではなく“大堰川”という通称というのだから、面白い・・・。


渡月橋の下を流れる川の通称は、なんと、大堰(おおい)川といいます

その詳細については当ブログの “名勝嵐山の桂川は変幻自在” (2009.2.1)にも詳しく記載しているので、それを参照されたい。


堰の手前までが保津川・その先渡月橋をくぐり2kmほど先の堰までが大堰(おおい)川

要は、保津川とは桂川の一部、保津峡の入口である保津町請田から嵐山の下船場の先の堰まで、まさに保津川下りの16kmの流れを呼ぶ通称であるということである。


堰の右が保津川、左が大堰川

なお、京都の豪商、角倉良以が慶長11年(1606)に保津川を開削し、丹波から京都への水上輸送を確立してから400年余が経つ“保津川下りの歴史”については、“保津川下り公式HP”に詳しいので、それを参照してください。

もう、そんなこんなで紙数を費やすのはよそう。さぁ早く、保津川下りの船出としよう・・・

2012年秋、保津川下り=乗って知った! 知っとくと便利な豆知識

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トロッコ列車と馬車を乗り継いだ小さな旅を終え、いよいよ、本命の保津川下りに挑む時がやって来た。


馬車でこの保津川下り乗船場に到着したのが1015分、乗船が1046分だったので、待合所で30分を使える時間的にちょうどよい按分の旅となった。


待合所ビル・バス客はこのビル内の降車場。馬車降車地からも1分弱で至近。

これを “トロッコ亀岡駅”からバスで来ているとすると、947にこの乗船場着となり、10時船出の保津川下りに乗るのに、わずか13分の乗り換え時間となり(トロッコ亀岡駅から保津川下り乗船場行きバス、保津川下り舟の時刻表)、足が不自由なわたしにはちょっとタイトで、心の余裕のないまま、まわりの景色も味わうことのないまま、船中の人となったのだと思う。

10:23 広くて明るい待合所
広くて明るい二階の待合所ホール。手前左のカウンターは船の券売所。

旅は時間に余裕を持たせたゆったり、ほんわか旅がやはりよいものだと、歳を重ねるにつれその思いは募ってきている。


船下りの所要時間は水量の多い時で60分ほど、水量の最も少ない時で110分ほどと“保津川下りのHP”の“よくある質問”に記載されている。ちなみに、われわれは1時間40分の船旅となりました。


その2時間弱の船旅に備えるために、その日のスケジュールによっては、この待合所で簡単に食事をとったり、ゆっくりトイレに行ったりする必要がある方もおられよう。


そこで、ご参考のために、“保津川下り”をより快適に楽しむために、この待合所の施設について少し述べておく。


まず食事に関して、レストランは館内にないが、待合ホールに軽食コーナーがあり、うどんや蕎麦、サンドイッチなど簡単に口にできるようになっている。


ホールの奥に軽食の取れるコーナーがある

そして2時間弱という船旅である。トイレはぜひ、事前に行っておかれた方がよい。これから紅葉の最盛期にかけて気温もぐっと低くなってくるので、なおさらである。


広くて清潔です

トイレもこの待合所のものは、広くて、清潔であるので、お薦めである(トロッコ亀岡駅のトイレもきれいだが、ここほど広さはありません)。


男性用で恐縮だが、小用は7器、個室が洋式3、和式1である。女性用も相応の室数と思われる。悪しからず・・・

数もしっかりあります

時間待ちの間に、お土産コーナーを物色していたら、一番人気商品!“保津川下りこけし船形せんべい”という焼菓子があったので、買い求めた。

これ、お土産に買いました

これって、530円という手頃な値段だし、保津川下りをしましたと知り合いにちょっと宣伝したい人には、お土産として結構、おいしいし、面白いと思った。


7艘の高瀬舟が入っています

保津川を下っているようでしょう

着物を脱がせるとこんなになっていました。味が三種類でおいしかったですよ。

そんなこんなしているうちに、館内でエントリー・コールが始まった。


乗船口に向かいます

チケットの番号が呼ばれて、乗船口から階段、また足元の弱い人はスロープで乗船場へ降りてゆく。

10:42 待合所から乗船場へ向かう橋
正面が階段、左にスロープがあります。下に桟橋あります。

桟橋に横づけになった先頭の舟にみんなが向かうので、わたしたちものんびり続いた。


階段上から撮る。この舟に乗りました

前からニ列の席であった。横に4名坐る形式である。坐るとベルト状の浮き袋を腰に巻くよう指示がある。


さぁ、乗船です

われわれの前の最前列には乗客の中で最も若い方4名が坐った。最前列の乗客のみ膝にビニールを掛けさせられたが、船下りの最中、水飛沫がたくさんかかるために最前列の人のみそうさせられるのだが、船頭さんの指示で34度、ビニールを上げ下げしていたが、やはり、これって、若い人の方がスムースにやっておられましたな。


・・・ってなことで、10時50分、いよいよ、保津川下りの船出となりました。


さぁ、出航で〜す!!天気晴朗で〜す!!

舟の時刻は通常時、毎時00分発となっているが、定員に足るとその時点で、適宜、舟を出すようで、思ったより早めの出立となりました。


次から、分刻みの“保津川下り”レポートが始まります。何回かに分けて掲載しますので、これから保津川下りをトライされる方は、ぜひ、これを参考に、わたしが見逃したところも含めて、事前に頭に入れていかれると、より保津川下りが楽しめること請け合いです。ぜひ、ご笑覧あれ。


右が嵐山・左手に下船場

それでは、“保津川下り、嵐山までの1時間40分の旅、はじまり、はじまり〜!!”

2012年秋の保津川下り=保津川下り乗船場へ“馬車”に揺られてポッコ、ポコ

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京の馬車道


保津川下りの舟から馬車が見えました
保津川下りの舟から”トロッコ亀岡駅”へ向かう馬車を見る

トロッコ亀岡駅から保津川下りの乗船場までのアクセスはバスとタクシーが通常であったが、20114月からは(株)京馬車の運営する馬車がそれに加わった。


当日、私たちが乗車したトロッコ列車・嵯峨野1号(トロッコ亀岡駅着930)の乗客の大半は保津川乗船場までの足として京阪京都交通バスを利用していた(トロッコ亀岡駅 保津川乗船場 乗り継ぎ案内)。


トロッコ亀岡駅のスロープを下りるとこの看板が見える。左がバス・タクシー、右が馬車である。

バスは“トロッコ亀岡駅前”(935発)から16分の所要時間で、“保津川乗船場前”には951分に到着する。


そこで保津川下りの舟の時刻表だが、ピークの季節は臨時増便が適宜されるものの、通常時は一時間毎、毎時00分発となっている。


そのため、われわれが保津川下りをした925日のケースでいうと、嵯峨野1号で、トロッコ嵯峨駅から保津川下り乗船場までを最短の時間で行くとすれば、次の方法となる。


JR山陰本線利用で) 京都駅843発 → 嵯峨嵐山駅 900着 → (トロッコ列車利用で) トロッコ嵯峨駅 907発 → トロッコ亀岡駅 930着 → (京阪京都交通バス利用で) トロッコ亀岡駅前発 935発 → 保津川乗船場前着 951着 → 保津川下り舟発 → 1000発 → 保津川下り下船所(嵐山) 1140


トロッコ亀岡駅から保津川下り乗船場行きのバス停までは徒歩2分ほどの距離であり、バスもその目的のための運行であるので、少々の乗り換え時間の融通はきかせてくれている(バスも毎時35分発である・料金一人300円)。ただ、亀岡駅でトイレに寄ったりすると乗り継ぎ時間は相当にタイトでバスまで走るといった状況となる。


当方も行ってみて分かったのだが、バスの利用で足の悪いわたしでも急げば大丈夫であった。しかし、本当にそうしていたら慌ただしいのは確かであった。


右の建物はトロッコ亀岡駅舎・馬車乗場は左売店の奥にある

トロッコから見た馬車乗場・左の黒い影がトロッコ亀岡駅舎のもの

わたしは事前にこの乗り継ぎがどの程度の時間を要するのか見当がつかなかったため、舟が一時間遅れても、乗り換え時間が15分ある馬車の利用が安全だと踏み、毎時45分にトロッコ亀岡駅をスタートする馬車利用(料金一人1000円)を選択した。

   
               馬車乗場です。        保津川下り乗船場行きは1000円の保津川コース。

したがって、わたしたちは11時発の保津川下りの舟に乗る予定である。


実際にはお客が揃った為、10時50分に舟が出た(保津川下り桟橋を待合ホールの階段上から撮影)

京馬車はこの亀岡駅から保津川下り乗船場行きと周遊コースというルートを3頭の馬によって2台の馬車を使用し運行しているとのこと。

       
出発の準備や馬の世話をしています

京馬車を輓(ひ)く馬はすべて北海道産で、“ばんえい競馬”で走っている“ばん馬”と呼ばれる力のある重種馬なのだそうで、馬重は1トンとサラブレットのおよそ2倍のどっしりとした体格で見るからに力がありそう。


馬体重1トンのばん馬”黒王”です

上の写真のばん馬は、牝5才の“黒王”という馬ですが、この日、われわれを輓いてくれた馬は、花も恥じらう4才(人間でいうと16才)の牝馬、“スピカ”ちゃんです。ちょっと、後ろ姿で恐縮ですが、どっしりとしたばん馬でした。

後ろ姿でちょっと失礼、スピカちゃんです

さて、さて、当日は天高く馬肥ゆる秋、そのままをゆく日本晴れであった。


空の青さはどこまでも深く、すばらしい旅日和

馬車の乗客はわれわれ夫婦と大阪から来られた若いカップルの計4名である。なかなかのイケメンと愛らしいお嬢さんお二人との道行きである。


お互いにまずはエールのカメラ交換をし、互いに仲のよい姿をパチリと収め合いました。ファインダーをのぞきながら、皺ひとつない!!輝くふたつの笑顔に“若いってやっぱりいいなぁ”・・・なんて、われわれ夫婦の上に過ぎ去った長〜い長〜い歳月につい想いを馳せてしまったりしました。


さて、馬を操るスタッフさんがこれからの28分の馬車の旅の案内人です。

馬を操りながら道中の案内をしてくれます
馬を操りながら面白おかしく説明をしてくれます

砂利道をパッカ、ポッコと左右にゆっくり揺られながらのんびりと秋の陽射しを浴びながらゆきます。


のんびりとこの砂利道を揺られながらゆきます

右手にはこれから下ってゆく保津川が流れています。

右手に保津川です
馬車の右手にこれから下ってゆく保津川が流れています・手前方向に舟が下ります

この辺り一帯に広がる草地は亀岡市の遊水地なのだそうで、昔は氾濫の多かった亀岡の町を守るため、ここに氾濫した川水が流れ込むようにしていたとのことでした。


この一帯は亀岡市の遊水地だということです、だからだだっ広いのです
馬車道の左手も一面、草地が広がる
な〜んにもない・・・、パカ、ポコ・・・

だから何もない宏大な広場では、こうやってラジコン大好きのオジサン達が集まって、よく模型飛行機を、といっても結構大きいのですが、飛ばして愉しんでいるそうです。


何もない広い場所でラジコンで遊ぶ人が・・・

秋の好日。本当にのどかな馬車の旅です。ポコ、パカ、ポコ、パカ・・・


のどかですねぇ・・・

の〜んびり・・・ゆ〜ったり・・・ポコ、パカ・・・・ポコ、パカ・・・


川風が頬にさわやかです・・・

その道中で、馬術の歩法についての説明があり、サービスで一部実践をしてくれました。ポコパカゆく常歩(なみあし)、速歩(はやあし)とちょっと駈歩(かけあし)みたいなのがありましたかね。


左手遠くに見える建物の当りが終点です

 

楽しい道中もそろそろお終いが近づいてきました。あの先に見える橋の袂が終点の“保津川下り乗船場”だそうです。

馬車道があの橋の袂でぶつかる辺りが乗船場です
この路があの橋の袂とぶつかる辺りが保津川下り乗船場です

そしていよいよ、ポコ、パカと終点へ到着。ここでスピカちゃんはクルリとUターンして、われわれを降ろします。


いよいよ終点が・・・

 


終点でスピカちゃんがUターンしてわれわれは下車します

そして、“ありがとう”の声と“楽しんでください”の声が交錯して、28分間ののどかで心豊かな小さな旅は終りました。


この馬車に4人で乗ってきました
  


帰ってゆく馬車へ、”ありがとう”

この2階が保津川下りの待合場所です

これからこのビル2階の乗船待合ホールへ向かい、本日のメインのお楽しみ、“保津川下り”の舟を待つことになります。

“亀屋良長”で念願の“烏羽玉(うばたま)”を求める=旅人の見た京都のお菓子

“亀末廣”の“竹裡(ちくり)”が買えた〜!!=旅人の見た京都のお菓子

京都市下京区四条堀川町東入北側醒ケ井角

075-221-2005

亀屋良長


ぬばたま(烏玉)の夜の更けゆけば久木(ひさぎ)生ふる 清き川原に千鳥しば鳴く

(万葉集・山部赤人)

ぬばたま(夜干玉)の吾が黒髪を引きぬらし、乱れてさらに恋わたるかも

(万葉集・詠み人知らず)

“亀屋良長”は四条堀川の交差点から東に一筋目の醒ヶ井(さめがい)通りと四条通りのぶつかる角に位置する享和3年(1803)創業の京和菓子の老舗である。

四条通りを挟んで”亀屋良長”のビルを見る
四条通りを挟んで”亀屋良長”ビルを見る

“鶴屋吉信”が同年の創業であり、先に紹介した姉小路の“亀末廣”が文化元年(1804)創業ということなので、この頃、現代まで暖簾を継ぐ“上菓子屋”が続々と立ち上がっている。


四条堀川交差点から”亀屋良長”ビルを見る

当店を訪ねた理由は、20114月に九州の平戸を旅した際に訪ねた「蔦屋総本家」(創業・文亀2(1502))という菓子舗で、売り切れの為購入を断念した平戸藩主のお留め菓子であった“烏羽玉(うばたま)”なるものがどうしても食べて見たかったからである。


平戸の菓子をなぜ京都で?

亀屋良長前
亀屋良長本店前

何となれば、その“烏羽玉”なる菓子を創業以来200年以上にわたり家伝銘菓として作っていたのが、京都の“亀屋良長”という菓子司であったからである。


そしてこの烏羽玉も、“亀末廣”の“竹裡(ちくり)”同様に、戦時下の昭和17年、京の菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行ない保護した“和菓子特殊銘柄18品”のひとつなのである。

亀屋良長店内
亀屋良長店内

烏羽玉は茶花のヒオウギの実「ぬばたま」をかたどった菓子で、波照間島産の黒砂糖入りのこし餡を寒天でくるみ、ケシ粒をかけたビー玉状のまことに愛らしい菓子である。


烏羽玉

ひと口で食べるのはもったいないので、まず半分かじってみた。ヌバタマの艶光を表わすしっとりした寒天の膜をサクリと噛み割ると、黒糖で濃縮されたこし餡の甘さが舌の上に広がる。甘党には堪らぬ至福のひと時である。

寒天におおわれた中身は黒糖入りのこし餡です
黒糖の入ったこし餡

さて、烏羽玉(うばたま)とはずいぶんと変わった名前であるが、その由来が当店のHPで以下のように説明されている。


「お茶花(ちゃばな)のヒオウギは、この葉があたかも平安期の大宮人が用いた“桧扇”のような形になるのでその名があります。夏に花を開いた後、袋状の実を結び、それがはじけると中には黒色の種子が入っています。『漆黒』というよりも、濡れて光り、見る者の心を吸い取り透明感さえ与える小さなつぶ。この実が“ヌバタ マ”です。


『ぬばたまの吾が黒髪を引きぬらし、乱れてさらに恋わたるかも』

万葉の古歌にもみられるようにぬばたまは黒、夜、夢にかかる枕詞で「ぬば」という語は『黒い』の最も古い言葉とされています。

当店の烏羽玉(うばたま)も転訛して、その名がつけられたものです。烏羽玉は当店が創業の昔より代々作り続け、今まで受け継がれてまいりました銘菓で、昔通りの黒砂糖を用いた桧扇の実を思わせる漆黒のお菓子でございます。」


烏羽玉です、漆黒の感じ出てますかね

そこで、帰京後、ヌバタマなるものを調べたところ、何とこの10月頃に檜扇(ひおうぎ)の種子であるヌバタマが成るというではないか。

都立野川公園
都立野川公園

早速、三鷹市にある都立野川公園(40万屐貌發亮然観察園(5万屐砲悗搬を運び、ヌバタマを見つけ出すことに成功した。

自然観察園内
自然観察園内

何せ5万屬箸い広大な敷地の中で、総数で数十株ほどの檜扇を見つけるのだから、それは難事業・・・。でも、職員さんに植生する辺りを事前に確認していたので、何とか黒い実を発見・・・喜び勇んで「見つけた」と叫んだところ、草花大好き人間の家内が「葉っぱが違うでしょう。檜扇の形をしてないでしょ」と冷ややかに却下。

葉っぱが檜扇の形
檜扇の葉、檜扇を広げた形にそっくりです

その直後に「こっちにあるわよ」と家内の声。そこにヌバタマの袋を見つけ、まだ袋が弾けていないと落胆するも、すぐにまた「こっちの方は実が出ている」との声に、トボトボと歩を運ぶ。


檜扇の種が入った袋が・・・、でも種のヌバタマがまだ・・・

袋が弾けたやつがありました
これぞヌバタマ
まさに艶光りする漆黒のヌバタマです

なるほど、実の大きさは思ったよりも小さかったものの、艶光する黒い実は、まさに烏羽玉の艶っぽさそのもの。 “ぬばたま” という言葉が、夜や黒を導く枕詞であることをある種艶めかしく感じた瞬間であった。


といった顛末にて、山部赤人の短歌など教養度もちょっとアップし、秋日和の半日、お弁当持参で公園まで足を運んだ甲斐があったと“亀屋良長”さんに遠く東京から感謝申し上げる次第である。

野川公園内を流れる野川
野川公園に流れる野川
ホット・サンドのお弁当食べて・・・
ホット・サンドのお弁当を好天の園内で食べました

烏羽玉の顛末はこれくらいにして、亀屋良長で見つけたほかのおいしいお菓子もご紹介しなければならぬ。 


まずお店で目をつけたのが“ほほ柿”である。


”ほほ柿”です

生地はモチモチとして柔らかくあの阿闍梨餅に似ているようだが、もっとしっとりとした上品さがある。

ほほ柿
しっとりとした生地のなかに・・・

そして“ほほ柿”の名はもちろんその中身にあり、寒天をかけた熟柿が三層にうすくはさまれている。

中に寒天をかけた熟柿が入っています
この熟柿がおいしいことといったら・・・

柿大好き、それも熟し柿大好き人間のわたしには、スライスされた熟し柿がモチッとした求肥粉入りのカステラ生地に挟まれたこの“ほほ柿”は、まさに頬っぺたが落ちるほど“うんめ〜い”(NHKの“おひさま”で陽子が口にしたイントネーションで・・・)菓子であった。これもそんじょそこらでは手に入らぬ秋限定の逸品である。

醒ヶ井水のお茶と”季の菓”でおもてなしを受けました
醒ヶ井水でいれた煎茶と”季の菓”の”夕暮れ”でおもてなし

もうひとつが“季の菓”というひと口サイズの羊羹に寒天をかけた菓子である。良長さんに入って、烏羽玉以外にもおいしそうなお菓子があったので物色していたところ、「こちらでおひとつお茶でもどうぞ」と女性の方が出してくれたお茶請けが、この“季の菓”の柿入り錦玉と粒あん羊羹の“夕暮れ”というものであった。

柿入り錦玉と粒あん羊羹の”夕暮れ”
夕暮れ

この色合いも秋めいた可愛らしい菓子を店前に湧き出る醒ヶ井の名水でいれた煎茶ともども、おいしくいただき、早速、琥珀羹と餅羊羹の“月あかり”、葡萄ジュース入りの“ぶどう”、羊羹の上空に星あかりだろうか金箔入りの“夜長”を買い求めた。

琥珀羹と餅羊羹の”月あかり”
月あかり
”ぶどう”
ぶどう
金箔入りの”夜長”
夜長

味はもちろんだが、ちょっとしたお茶請けにお洒落で上品な菓子である。お客様に「わ〜、可愛いい」と褒められること請け合いの小品である。

店頭の“亀屋良長菓子舗”の看板に“宜茶宜酒”という四言が揮毫されている。


”宜茶宜酒”の看板

帰京後、電話にてお訊ねしたところ、亀屋良長の菓子は「茶に宜(よろ)し、酒にも宜(よろ)し」ということだそうで、既に全菓子を胃袋に納め終わったわたしは、次回こそは酒に宜しおす“亀屋良長”の菓子でちょっと一献と洒落込もうと算段したところである。


店内にも酒器形の板に宜茶宜酒の言葉が

店内には “宜茶宜酒“の瓢箪形の木版と”懐澄”という額が掛かっていた。


”懐澄の書が掛る

この“懐澄”とは、二代目当主が定めた「懐が澄む」という家訓ということであった。これは懐を誰に見られてもよいように適正な利潤をあげながら事業を継続せよという意味だという。“亀末廣”の家訓である「一対一の商い」と相通じるもののある、市場原理主義一辺倒の時代に爽やかな一石を投じるものであると深く感じ入った次第である。

醒ヶ井
店の前に名水”醒ヶ井”が湧き出る

醒ヶ井水のお茶のお持て成しやお店の方の洗練された応対ぶりなど、“亀末廣”同様にまたまた“商いの本質”、“商人道”に触れさせていただいたひと時であった。

初々しさの匂い立つ、京都・“割烹まつおか”に初見参=京都グルメ

聖地・“てら川”に根づいてきた“割烹まつおか”=京都グルメ(2014.5.27)
味と妙技と人の出逢いを演出する・割烹“まつおか” =京都の“割烹まつおか
(2013.9.20)
2012年春の“割烹やました”=京都グルメ(2012.5.13)

京都市東山区松原通大和大路西入ル南側弓矢町25

075-531-0233

定休日:水曜日

割烹まつおか

“割烹まつおか”は20124月開店の初々しいお店である。木屋町通りにある大好きな“割烹やました”で揚げ方、焼き方を担当していた松岡英雄氏が独立し、始めたお店である。

割烹まつおか
割烹まつおか

場所は京阪本線祇園四条駅、要は歌舞伎の南座から徒歩で7分という便利な場所にある。ここはもともと老舗旅館炭屋の料理長を長年務めた寺川氏が営んでいた「御料理てら川」の場所で、お店自体も「てら川」の造作を基本的に活かした造りとなっている。

”割烹まつおか”入口
風情のあるアプローチです
”割烹まつおか”暖簾
新たな門出の”割烹まつおか”の暖簾です

京都に特有の縦長の敷地を逆にうまく利用した、入口を入ってまずカウンター席7名、その奥に順に二つの座敷が列ぶ瀟洒で落ち着いた雰囲気の漂うお店である。

座敷口より突当りが玄関を。左手暖簾内がカウンター
奥の座敷口から入口を見る。左側中央格子の内側がカウンター席

当夜はわれわれが最初の来店客であったが、カウンターにわれわれ以外に3名、座敷の方に6名の予約が入っていた。奥行きのある間取りのため、奥の座敷客の声は殆どと言ってよいほどに聴こえず、静かな雰囲気で寛いだ時間が過ごせた。

手前右が4畳半、奥が6畳の座敷
店奥に手前右手四畳半、奥六畳の座敷席(お客が退散直後のため座椅子が乱れています)

その“割烹まつおか”は板場に松岡さんが立ち、右奥の厨房に吉井君と若い女性が二人(板場にも出入りする)、外に今風の黒いカフェエプロンをかけた若い仲居さんが一人という四名体制で、切り盛りしている。

頑張っています、若き店主の松岡氏
頑張っています、店主松岡英雄氏・右紺の暖簾の奥が厨房です

開業してまだ半年ということで、厨房の若い衆もまだまだ手際に料理人としての切れ味は見られぬ。だが一日でも早く技量を磨きあげたいとの強い思いが、松岡氏の指示に対し必死に耳を傾ける姿や見つめる瞳の輝きに十分滲み出て、若い人たちのそのひた向きな姿勢がこの若いお店の清涼感や清潔感のようなものを生み出しているのだと感じた。

格子の中が7名のカウンター席となってます
この格子の中に7名のカウンター席があります。祇園宮川町のお姐さん方もお見えのようですね
カウンター
このカウンターが当夜のわれわれの席でした。当日はカウンターは5名でゆったりでした

そこでいよいよ当夜のお料理であるが、まずは先付けが目の前に表れて・・・・


先づけ

それに箸をつけながら、今夜はどんな趣向で来るのかなと脳内に“美味渇望アドレナリン”が充満し始めたころ、「今日はアマテガレイがありますが・・・」との松岡君のひと言。

「それの薄造りでもしましょうか」と言われて、「えっ、それ、何?」と訊ねたところ、東京でいう真子(まこ)鰈のことだそうで、大分県の有名な城下(しろした)鰈と同じものだという。

白身魚大好き人間のわたしに松岡君は直球勝負で甘手鰈の薄造りを薦めてきた。

そうであれば否やも応もない。即決である。


甘手鰈の薄造り

薄造りと言いながら微妙に厚みをだした造りは、歯ごたえがしっかりし、噛めば白身の身内からほんのりと甘みが染みだしてくる。なるほど、甘手の鰈である、甘手とはよくもその名をつけたりと感心したところである。

次に水槽に目をやると、あぁ・・・、威勢のよい鱧がいるではないか・・・、ということで、大好きな鱧の炙りを頼んだ。


水槽の中には活きの良い鱧と車海老が・・・

目の前で松岡君が矩形の長包丁で見事な鱧の骨切りを見せてくれたが、ジャリ、ジャリでもなくシャリ、シャリでもない骨が細かく刻まれる小気味よい旋律がまことに粋である。


難しい鱧の骨切り。さすが、見事な包丁さばきです

その様子を見ていた家内が炙り以外に今夜は少し違った調理のものも頂いてみたいと要望したところ、半分は炙り、そして半分は鱧の柳川鍋というまぁ、手間のかかるいただき方をしてしまった。


この鱧をこれから炙ります

網で炙っています

この炙り鱧、いつものことながらおいしいです

今年最初の炙りはもちろんおいしかったが、柳川風は炙りのさっぱり味とはまた異なり、癖のある牛蒡や三つ葉や山椒の味が逆に鱧の味の淡白さを引き立て、新たな鱧の魅力に気づかされた。是非、これはお試しになる価値は十分あると確信した次第である。


これが鱧の柳川鍋です

湯気が立って肉厚の鱧がホクホクでおいしかったなぁ・・・

少し、いや、かなりお腹が落ち着いたところで、松岡君が「ちょっと、これ食べて見てください」と差し出したのが、次なる逸品である。


当日の当りくじの”鯖の刺身”です

ピンク色がかった大ぶりのお刺身が一切れ・・・

何と、鯖の刺身だというではないか。脂が乗っている。しかも身が引き締まっている。う〜ん、身持ち?がしっかりしているとでもいうのか・・・、それって意味が違うでしょ・・・左様になかなか表現に苦労するところだが、これって本日の当り籤(くじ)ってな感じの流石(さすが)の一品でした。

次いで食いしん坊夫婦が目をつけたのが、水槽の大ぶりの車海老でした。

あっさりと塩焼きででもどうですかと言うので、それをお願いした。串に刺すとまた大きいですね。

大きな車海老です
この大きな車海老を塩焼きにします

見事に焼き上がりました。松岡君もにっこりです。

出来上がりに満足の松岡さん
見事に仕上がり、松岡君もにっこり

肉厚の身はプリプリして、香ばしい塩焼きの上にレモン汁の香りが迸り、そりゃ、おいしかったです。

プリプリでおいしかった
レモン汁がほのかな塩味にあって美味でした

その後、写真を見ていたら、岩蛎も頼んでいました。

りっぱな岩ガキでした
大好物の岩ガキ、やっぱり頼んでいました・・・

そして目の前に現れた小皿に小魚の佃煮が出て参りました。


珍味であったことは確かなのだが・・・

名前を確かに教えてもらったのだが、老夫婦ともにもう始まったのか・・・名前が思い出せなくて・・・、珍味のお魚であったことは確かなのですが・・・。ごめんなさいね、松岡主人・・・


そうして鱧の肝が芋茎(ずいき)とともに出されたのには驚いた。


鱧の肝です

これまで鱧の肝など食べたことがなかったので、二人して大喜びで、欣喜雀躍、あっという間に胃袋に収まりました。


次なるが・・・、え〜っ・・・鱧の佃煮。当日は鱧料理のオンパレードでした。 


鱧の佃煮です

これまた見事な味で、伏見は月桂冠の鳳麟(ほうりん)がすすむことすすむこと。日本酒には最高の添えです。


鳳麟はなかなかの銘酒です

右奥の江戸切子風の赤いお猪口にしました

こうなると胃袋の箍(タガ)は物の見事にはずれ、最終コーナーへ向けて最後のダッシュ!!


そこであっさりと、小芋・蛸・白ずいき・南京など炊合せが出て参りました。


この炊合せ、もちろん二人で分けたのですよ

そしてゴールはもちろんお定まりの鯖鮨です。


最初から気になっていた鯖鮨です

もちろん、こんなに小さく切ってもらい食べましたよ

最初の客として席についてから延々、3時間半。疾うにほかのお客さん方は退散し、気がつけば店内の客はわが夫婦ふたりだけ。


松岡君とのカウンター越しの会話が楽しくて、ついつい、と言おうか、いつものように長居をしてしまいました。


当年取って確か40歳の松岡君の新たな挑戦がこの“割烹まつおか”で始まった。店主もスタッフもみんな若い。初々しさが匂い立つ、清々しいお店である。


今後の絶えざる精進と健やかな発展をされんことを心より願うとともに、京都での新たな愉しみの場所を与えてくれた松岡君に衷心より感謝する次第である。

2012年秋の嵐山・嵯峨野=“トロッコ列車”で保津川下りに行ってきました!!

2012年秋の保津川下り=保津川下り乗船場へ“馬車”に揺られてポッコ、ポコ
2012年秋、保津川下り=乗って知った! 知っとくと便利な豆知識
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2012年秋、保津川下り=乗って知った“便利な豆知識” 朝日の瀬・嵐山まで

保津川下りをしようと嵯峨駅から亀岡までトロッコ列車を利用した。


トロッコ列車に乗りました
トロッコ列車に乗りました

保津峡に沿って走る“トロッコ列車”は嵯峨野観光鉄道が運営する25分間のメルヘンチックな旅である。


本来は紅葉や桜の季節がよいのだろうが、大勢の観光客が押し寄せるのはどうも苦手な私たちは緑がきれいで風も心地好い今の時期にゆくことにした。


当日はホテル地下に直結する地下鉄を使い京都駅へ。


JR山陰本線・嵯峨野線各駅停車

それからJR関西嵯峨野線に乗り継いでわずか16分で嵯峨嵐山駅に到着。


JR嵯峨嵐山駅ホームです

そして嵯峨嵐山駅のホームから徒歩2分で隣接する“トロッコ嵯峨駅”へと向かう。


JR嵯峨嵐山駅改札口・出て右の階段を下りるとすぐに”トロッコ嵯峨駅”です

駅舎はメルヘンチックな佇まいで、どこかのお嬢さん方は早速に「可愛い〜!」とか嬌声を発しておりました。


かわいいトロッコ嵯峨駅舎ですが、急いでいたのでボケてま〜す!

その駅舎でトロッコ列車のチケットと保津川下りの予約を行ない(別々のカウンターでした)、毎時07分発の一時間に一本のみ運行というトロッコ列車へ乗り込んだ。


ほとんどお客は乗り込んでいました・・・、われわれが最後かなぁ・・・

みなさん、もう準備万端ですなぁ、とろいお客を許して下さい

その間、少々乗り換え時間が短かったために写真がボケたり、機関車が写っていなかったりとカメラマンの不手際が多いのはご勘弁を。やはり、旅はのんびりと・・・・である。


秋晴れの朝、いよいよトロッコ列車が出発である。


一応、以下のトロッコ列車の基礎知識を頭に入れていただいたうえで、写真とともに25分のトロッコ列車の車窓の旅をゆっくりと愉しんでください。


トロッコ列車は5両編成で、われわれは4号車(ネイチャー・サルーン号)に乗りました。


4号車は空いていました

窓は上下に大きく開閉できるので、保津峡の風を顔いっぱいに受けて、景色を愛でることができます。

ネイチャー・サルーン号が見えます
この車輛がネイチャー・サルーン号です(保津川下りの船上から撮りました)

ちなみに5号車がザ・リッチ号といって、窓ガラスが取り外された超オープン車輌となっており、晴れた日のみ先着順で指定席券が入手できます(われわれは出発ギリギリの乗車だったので、残念ながら乗れませんでした)。

トロオコ列車、ザ・リッチ号が見えます
機関車の次の車輛がザ・リッチ号です。窓ガラスなどない、まぁスッポンポンですなぁ・・・

全長7.3kmの距離を時速25kmというゆっくりとした速度で走ります。そして絶景地においてはサービス停車をしてくれます。また渓谷に沿って線路があるため、終点までに8つのトンネルがあります。


それでは、いよいよトロッコ列車嵯峨野1号、しゅっぱ〜つ!進行!!


たくさんのブーケがお見送りしてくれました


それでは、写真でトロッコ電車の旅をごゆっくりお楽しみください


嵯峨駅の次の駅、トロッコ嵐山駅は、なんとトンネルのなかでした

本当にトンネルが多いんですよ


トンネルに入りま〜す!!
トンネルに入ると車内はこんなに暗くなります
車内がこんなに暗くなります

この日、お天気は最高でした

青い空と緑の山も素晴らしい
最高の秋の天気でした
風も木々も川もあっという間に流れてゆきます
窓外に秋の風が走り、緑の木々が飛び去り、川ぞ水が流れ去る・・・

保津峡の駅を過ぎます


トロッコ保津峡駅です。橋梁の上にあります。

保津川橋梁を渡っています

保津川橋梁からの景観

これはJR山陰本線の保津川第一橋梁です

そしてトロッコ列車は保津川渓谷の真っ只中に分け入っていきます。

保津峡を走るトロッコ列車のこれぞ醍醐味!!
機関車が見え、保津川と山並みが車窓をよぎる・・・、最高です!!

JRの鉄橋が遠くに見えてきました

迫る渓谷にJRの鉄橋
渓谷の狭まるあたりにJRの鉄橋が見えます

保津川の水量はこの日は少ないようです。眼下に見えるあの大きな石の脇をほんとうに舟がすり抜けるのだろうか。ちょっと、心配です。


あの岩の左脇をすり抜けるの?

上から見ると、保津川下りって、結構、スリリングなんじゃないのかと考えてしまう。あそこなんて、水量が少なく川筋ほとんどないんじゃなのか・・・

あの狭い瀬を船下りするのかい?
この瀬は左側の細い川筋に沿うのかしら・・・、ええ〜っ!!

眼下に保津川下りの舟が見えてきました。二漕下っています。結構多くのお客が乗っています。

眼下に保津川を下る二艘の舟が見えました
見つけた〜、保津川下りの舟ぇ〜!!

いよいよトロッコ亀岡駅へ到着のようです。遠くに亀岡の町が見えてきました。


遠くに見えるのが亀岡の町です

船着き場まで乗ってゆく京馬車の乗り場も見えます。


馬車が見えました

ホームに入線すると、すごい人じゃぁないですか。もちろん、われわれのお出迎えではありません。


トロッコ亀岡駅・折り返し列車で嵯峨へ帰る人たち
トロッコ亀岡駅のホームにはすごい人、人、人・・・

この列車で嵐山、嵯峨野状面へ向かう人たちであります。あっという間の選手交代で、みなさん車上の人となりました。

トロッコ亀岡駅ホーム・乗って来た列車が戻ります
これからトロッコ嵯峨駅へ出発で〜す

日本人ってすごいですね、あれだけの人が済々と降車、乗車しては準備完了、ほんの23分の間の出来事でしたね。



馬車乗り場から見たトロッコ亀岡駅舎

亀岡駅の駅舎は外から見たら、結構な大きさでした。 そしてバス・タクシー乗り場は駅舎の反対側です。


駅舎から下ってきた先にこの看板があるので、大丈夫です。左がバス、右が馬車です

そしてわれわれはこれから保津川下りの乗船場まで利用する馬車乗り場へと向かったのでした。

“亀末廣”の“竹裡(ちくり)”が買えた〜!!=旅人の見た京都のお菓子

“亀屋良長”で念願の“烏羽玉(うばたま)”を求める=旅人の見た京都のお菓子

京都市中京区姉小路通烏丸東入ル

075-221-5110

定休日:日祝日・正月

営業時間:8001800

亀末廣 


亀末廣は
文化元年(1804)に伏見醍醐の釜師であった初代・亀屋源助により創業され、以降、二条城の徳川家や御所から特別注文を賜ってきた歴史を有す京菓子の老舗である。

右読みの亀末廣店看板
右読みの亀末廣の看板

趣のある名刺です

夏の銘菓・夏柑糖(なつかんとう)や正月の花びら餅で有名なあの上七間の老舗“老松”でさえ明治42年(1909)創業というのだから、菓子作り200余年の歴史を誇る“亀末廣”は、次に紹介する亀屋良長(創業1802年)と並びまさに京菓子司として老舗中の老舗といってよい。

亀末廣本店正面
亀末廣の歴史を語る建物

店舗はここ烏丸御池の本店のみである。


明治29年に唯一暖簾分けした名古屋(中区錦)の“亀末廣”が奇しくも今年の731日をもって廃業したことで、“亀末廣”の名前を冠する京菓子屋は本当にこのお店のみということになった。
 

菓子の木型を額縁に活用した由緒ある看板
看板の額縁は菓子の木型を利用している。これって、江戸時代のエコ?

したがって、これからご紹介する菓子も一部商品の例外的発送はあるものの、この烏丸御池のお店、この飴色の木のカウンター越しに手渡しで買い求めるしかない。

このカウンターにお菓子が並んでいます
飴色をした木製カウンター

ネット通販全盛のこの時代、逆に人肌の温もり、人情が直接通じあう商いのあり方にこだわる姿勢はまことに痛快この上なく、まさに見事というしかない。

昔のお店の佇まいそのままです
どこか懐かしい大福帳の架かる風景

その商いのあり方や長い歴史を目で見、実感できるのが、亀末廣の建物外観、右読みの表看板、商家という語感そのままの店内造作、菓子屋とは思えぬ広い敷地などなどである。

古い歴史を物語る亀末廣の建物
広い敷地の一画が店舗となっている

すなわち暖簾をかき分け、一歩、店内に足を踏み入れると、そこにははじめて訪れた処とは思えぬ温もりのあるどこか甘酸っぱく懐かしい空間があった。

”かめや末ひろ”の暖簾が架かる
温もりのある空間

そして何よりもお店の方の応対ぶりが、“亀末廣”の家訓である「一対一の商い」、「一人のお客様との、心のふれあいを大切にして」、“そのまま”であったことが、一見(いちげん)の旅人であってもかねての馴染み客のように振る舞え、そこに長い歴史で培われた商いの本質を見せてもらったようで、殊のほか心地好く得難い体験ができたと深く感謝している。

古い歴史を感じさせる陳列品
歴史を感じさせる調度品が・・・

その日(9/26)、わたしはひそかな期待をもって亀末廣に足を踏み入れた。


そしてまずカウンター上の菓子に素早く視線をめぐらせた。秋限定の“竹裡(ちくり)”があるか否かを確認しようとしたのである。

そして・・・見つけた・・・「あった!!」 

竹裡があった!
竹裡(ちくり)があった!!

物資困窮の戦時下の昭和17年、京菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行なうことで保護しようとして選抜した京都の“和菓子特殊銘柄18品”の一品である“竹裡(ちくり)”を求めるのが、今回の旅の大きな目的のひとつであった。


だから、カウンターに置かれた“竹裡(ちくり)”を認め、「竹裡ありますか」と問うて、「はい」と言われた時は、掛け値なく本当にうれしかった。


まさに「売って喜ぶよりも、買って喜んでいただく」という亀末廣の家訓通りの“竹裡(ちくり)”との出逢いであった。


聞けば、今年、竹裡が店頭にならんだのは前日であったということで、己の運も満更ではないと、ちょっと嬉しくなったりしたのである。

“竹裡”は亀末廣指定の丹波の新栗が入手できる9月の末頃から10月末、長くて11月の上旬までのわずかにひと月ほどの短い期間の限定販売なのである。

ただ、この限定販売と殊更に強調しているのも、竹裡を手にできたわたしがレア物だぞと自慢しているだけであって、お店の方にそんな思いはなく、「(そんなに慌てずとも)栗が入って来る間は竹裡は大丈夫ですよ」と、やさしく言ってくれたことを付け加えておかねばならぬ。

おいしいものを本当においしくいただいてもらえる時期だけにお客様にお届けする。

店主は言われる。

「近年は、味わい深い京菓子の季節感も、しだいに薄れつつあるように思われます。しかし、当店は昔ながらの変わらない味、手づくりの良さにこだわりながら、京菓子の風情や風雅を守っていきたいと考えています」

まさにその通りの亀末廣の“竹裡(ちくり)”であった。 

竹裡の趣ある包み紙
竹裡の趣ある包み紙

その竹裡とは、20cmほどの竹の皮に巻かれた栗蒸し羊羹である。 

竹裡
ひと棹20cmほどの竹裡

食べ方は「竹皮のままニセンチくらいに切ってから皮をむき」召しあがれと、亀末廣の主が丁寧に書いてくれている。 

食べ方の指南書
しっかり読んでから食べましょう・・・ね

当方は最初、その短冊を読まずしていやしくも手をつけようとしたため、申し訳ないが下の写真の如く、“竹裡”を身ぐるみはがした姿を思いがけず目にすることとなった。 

竹裡の竹皮をむいてしまった
身ぐるみ剥がれた竹裡・・・、失礼しました(*´Д`*)

竹皮で適度な力で巻かれたことが、竹皮の絞りのような縞が羊羹の身に刻まれていることで分かった。


わが身のはしたなさに苦笑しながら、竹皮を包み直し、改めて2センチいや、もうちょっと食べたい・・・、3センチほどに包丁を入れた。

竹皮ごと切った竹裡
ちょっと分厚くいただきました

竹の皮を切り込むとパリッでもなくザクッでもない、どこか爽快な音がする。目をつぶると秋風が吹き抜ける竹林のなかを落ち敷いたばかりの落葉を踏みしだいてゆくときのあの静寂感が伝わってきたのである。 

竹包みの絞りが映った竹裡
おいしそうです

さっそく、竹裡を口にする。蒸し羊羹によくある抜けたような甘味ではなく、小豆の味がしっかり伝わる上品な甘みであった。そして蒸していると分からぬ羊羹の締り具合は栗のホッコリさとあわさって絶妙である。 

丹波の新栗がたっぷり入っています
しっかり栗が入っています

練り羊羹ほどのしつこさはなく、かと言って蒸し羊羹のどこか空虚な噛みごたえとも微妙に異なる、練り羊羹と蒸し羊羹の中ほどに位置する、ほっこりとして大きな旬の栗を餡子でくるんだ秋口だけの菓子、“竹裡(ちくり)”という上質の京菓子というしかない。



丹波栗の溢れんばかりの大きさは堪りません

そして、年一回、10月に“亀末廣”を訪れることに意味があり、そこで竹林の涼風に想いを馳せる、旬を年ごとに運んでくれるそんな素朴で心豊かな菓子なのだと思った。


そのほか、亀末廣は人気の高い“京のよすが”(3500円)、別名“四畳半”とも愛称される季節ごとの菓子の詰め合わせがある。

これが有名な”京のよすが”です
杉材で四畳半形に仕切られた”京のよすが”

今回は“竹裡”を求めたので、次回のお楽しみということで写真は、店頭に置かれていたものである。

四畳半に区切った秋田杉の箱に、季節感あふれる干菓子や有平糖、半生菓子などが彩り良く詰め合わされており、時期折々の菓子が二段に詰められているとのことで、お使い物にするとその季節の彩りや時々に詰められた菓子の多様さに先方は宝石箱を開けたような輝きを顔面に浮かべてくれるというから、これも逸品である。

今回は、予算の関係もあり、竹裡(3500円)のほかは、次の“京の土”(700円)を買い求めた。 

お餅煎餅”京の土”です
京のお寺の築地塀から切り取ってきたかのような”京の土”

“京の土”とは名前からして主の菓子作りへのこだわりが表れているようで、興味深く、買い求めることとなった。上等の和三盆を使った砂糖蜜で覆われた20cm四方の麩焼き煎餅である。 

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風流な書体で”京の土”
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紅葉があしらわれている”京の土”・お寺の築地塀を切り取ったような色合いです

帰宅後に、“京の土”の包装を開け、食べようとしたところ、下なる主の手紙が入っていた。

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風流を友として食べよ!!との主の言葉でありました・・・

もっともなる言い分である。 

割って盛った京の土
コンポートに盛ってみました
いろいろ試した京の土
こんどは銘々皿にちょっと・・・
砂糖蜜がなかまで沁み込んでいます
砂糖蜜が適度に中の方まで沁み込んでいるのがよい

そして主の奨めるようにそれでは面白く割って見ようと、「それは小さい」、「これは大き過ぎる」と還暦過ぎのいい大人二人がワイワイと皿に盛っているうちに、あぁ・・・これも風流といったものか・・・と、亀末廣の主の思惑に見事に嵌ってしまった、二人加えて123歳になる老夫婦の日常の他愛のないひと時であった。

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