彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

July 2012

“MV-22オスプレイ”の普天間配備に“NO!”を=岩国基地への搬入開始

723日、飛行の安全性に大きな疑問が突きつけられているティルトローター方式垂直離着陸機MV-22(海兵隊仕様)オスプレイ12機の米軍岩国基地への搬入作業が始まった。

オスプレイはいったんこの岩国にて待機、試験飛行を重ねた後、タイミングをはかって10月初旬からの本格運用へ向け、沖縄の米軍普天間飛行場へ再搬入、配備される予定である。

オスプレイは開発段階から墜落事故が多発し、米国では“寡婦製造機”と呼ばれていたこともあるほどに飛行の安全性に疑問の多い軍用機である。

現にこの直近時でも、411日に米海兵隊のMV-22(海兵隊仕様)がモロッコ南方沖海上で強襲揚陸艦での訓練中、離艦後に墜落し、2名の死者を出した。

さらに2012613日に米空軍の垂直離着陸輸送機CV‐22(空軍仕様)が、南部フロリダ州で訓練中に墜落事故を起こし、乗員5人が負傷しているなど、普天間配備を前にオスプレイの墜落事故が発生しているのである。

開発段階の多くの事故を受け、さまざまな改良を重ねたうえでの量産化決定というものの、この2ヶ月でも上記の墜落事故である。政府が何を言おうが、安全性において多くの不安を抱えざるを得ないのは国民として当然である。

ましてや配備や試験飛行が予定されている普天間・岩国基地の周辺住民の不安がひっ迫したものであることは想像に難くない。

そんななか、NHKが717日のニュースで、2010年4月8日にアフガニスタンで起きたCV‐22オスプレイの墜落事故で、事故調査委員会の委員長を務めたドナルド・ハーベル元准将が「事故の原因として視界不良や天候などに加え、エンジンの出力低下が要因の1つに挙げられるという見方を示した」とそのインタビュー内容を伝えた。さらに「事故報告書にエンジンの出力低下を原因の1つとして盛り込もうとしたところ、空軍の上官から検証し直すよう求められたことを明らかにした」とも伝えた。

最終的報告書は空軍上層部の判断で“機体の欠陥”という指摘は、エンジン検証データが誤っていたとされ、必ずしも原因特定はできないと結論づけられたという。

こうした報道に触れると、政府が米国へ専門家を派遣し、安全性を確認するといってもそれはアリバイ作りに過ぎず、機密事項の多い軍用機の安全確認などどだい無理ということなど自明である。

そうしたオスプレイの飛行訓練に関し、本家たる米国においても安全性の問題があるとして基地周辺住民の反対の動きがある。

米・南西部に位置するキャノン空軍基地がこの6月に、周辺住民の反対を受けて、“CV-22(空軍仕様) オスプレイ”の基地西側での夜間低空飛行訓練を20131月まで延期する旨発表したことが伝えられている。

国民の生命を守るのは政治の要諦中の要諦である。

そして民主党政権は “国民の生活が第一”を旗印として歴史的政権交代を果たした。

その政権がいま、国民の命をないがしろにする政治決断をしようとしている。見せかけの安全審査だけで大飯原発再稼働に踏み切った政治判断とまったく同じ、口先だけの“民意”重視であり、まったく誠意を感じさせないやり口である。

何の具体案もなかった「最低でも県外」を叫び、それを弊履のごとく捨て去り、反故にした後、今度は「沖縄の基地負担軽減」をまたも具体的行動を伴うことなく軽々に唱え出した民主党政権の不実、不誠実さはこの沖縄問題の取り扱い方に象徴的に表れている。

このオスプレイの普天間基地配備に“NO”という判断こそが、民主党政権の“国民の生活が第一”とした旗印がすべて嘘であったわけでないと実証する最初で最後の機会なのだということを強権政治に走る野田総理はよくよく分別しておく必要があろう。

シェフのこだわり半端じゃない“アンファミーユ(欧風料理)”=蓼科グルメ26

茅野市北山鹿山4026-2 東急リゾートタウン内

0266-69-3117

アンファミーユ
欧風料理・アンファミーユ

井上政己さんがこの“欧風料理 アンファミーユ”のオーナーシェフである。井上さんは何せ気の置けない御仁で、これから紹介する料理へのこだわりとその凄腕はもちろん脱帽ものだったが、このお店の一番の売りはどう考えて見てもオーナーシェフである井上政己氏ご自身である。

生ハムをカットする井上政己氏
生ハムをカットしてくれるオーナーシェフの井上政己氏

当日は平日でもあったので予約もとらずに“アンファミーユ”を訪ねた。5年前にオープンしたレストランで、前々から気にはなっていたが、食事で入ったのは今回が初めてである(ケーキを買いに2度ほど・・)。以前ここにあったお店が軽食を中心としたお店であったため、同種のコンセプトで作られたものと勘違いしていたこともその理由のひとつである。 

アンファミーユ店内
7時半に入った時には平日のため4組のみのお客様でした(閉店時間の9時過ぎの写真です)

当日は辰野を出て、辰野美術館で仮面土偶を見て、小野宿の小野酒造店で地酒“夜明け前・憑の華”を購入、弥彦神社にお参りし、江戸初期の中山道を通り、途中の天然記念物・枝垂れ栗(森林公園)を観賞し、諏訪湖の釜口水門(天竜川のはじまり)を見て、さらに諏訪の神長官守矢資料館で説明を伺い(栞を購入したかったので)とほんとうに盛りだくさんな見学とお勉強をした。

  
小野酒造店(左)・枝が奇怪な枝垂れ栗(右)
小野峠辺りから諏訪湖を見下ろす
塩嶺王城パークラインの小野峠辺りから諏訪湖・岡谷JCを見下ろす

そしてリゾート内の温泉“鹿山の湯”で汗を流し、さて食事はと考えた時にはもう午後7時を過ぎており、手近なレストランとして、かねて懸案であった“アンファミーユ”を訪ねたというわけである。

窓ガラスより
ガラス窓より店内を

だから井上氏には申し訳ないのだが、あまり・・・、いや、ほとんど期待せずに入ったというのが、大仰な表現ではあるが・・・“事の真相”である。


アンファミーユ入口を入った時は・・・

しかし、人生というものは面白い。期待度が低いと、本物に遭遇した時の感激は尋常ではない。

店内に入ってすぐに大きな生ハムのブロックが目に入った。家内はメニューを見る前に既に、この生ハムに目をつけ、まずオーダーをした。

絶品の生ハム
店内に入ってすぐに生ハムのブロックが置いてある

それがオーナーシェフ井上政己さんの料理人としての魂をきっと揺さぶったのだろう。他のオーダーをしている間に、早速に、この豪勢に盛り付けられた生ハムが運ばれて来た。

生ハム
運命を変えた生ハム

そして生ハムが、井上さんが2年間丹精込めて作り上げた絶品であることを語り始めた。このブロックがなくなるともう今年は終了なのだという。その生ハムについて熱く早口で語る時の子供のような無邪気な顔を見ていると、何だかこちらも愉快になってきたのである。

「そりゃ、今夜は僕らはレアものに当って運がいいね」とか、軽口もつい出たりして、オードブルがもちろん供されたのだが、“アンファミーユ”にはこの井上シェフの料理に対する姿勢と語りが、何にも増して、絶妙なオードブルとなって、以降の料理を一段と引き立ててくれるのだと感じた。


オードブル

何しろ、話が楽しいのだ。料理の素材について、ワインについて・・・、色々と説明をしてくれるのだが、決して押しつけがましくなく、こちらの方からもっと話して頂戴とせがんでしまうほどの話し上手なのである。料理を作るのが楽しくて仕様がない、ちょっと工夫をしてみるのが嬉しくて仕様がない、お客さんの喜ぶ顔を見ると、もう無邪気な子供の顔になってしまう・・・、そんなオーナーシェフの手作り料理が美味しくないわけがない。 

  
スープとサラダもおいしい

素材もその日ごとに産地直送でやって来るのだそうだが、その材料を見てから当日のメニューを考えるという。料理へのこだわりが半端でなければ、そんな芸当を毎日、続けるのは容易でない。

だから、まず本日入荷とあった“サザエのブルゴーニュ風”を頼んだ。

サザエのブルゴーニュ風
当日入荷の”サザエのブルゴ−ニュ風”

なるほど、こんな味付けもあるのだと納得。おいしかった!! 


そして当夜のメインは“本日のおすすめ”からもちろん選ぶことにした。わたしは当日、博多から届いた鱸(すずき)のポワレにした。

本日のおすすめ鱸のポアレ
鱸(すずき)のポアレ・・・、何とかソース・・・

家内は“和牛のタンの赤ワイン煮”をオーダーした。

和牛タンの赤ワイン煮
これも柔らかくておいしかった、和牛のタンの赤ワイン煮(少し摘まんじゃいました)

注文を終えて、オードブルと赤ワインが運ばれて来たが、おすすめメニューのなかに気になる一文があったので、再度、メニューを確認。

赤ワインとオーナーシェフ
赤ワインのなかににシェフが写っています・・・

本日のおすすめメニュー

“ワインのお供にぴったりです♪”と書かれている料理があるではないか。子牛の胸腺肉をパン粉をつけて焼いた“リード・ヴォーのサラダ ハチミツソース”という難しい名の料理もついつい勢いで頼んでしまった。

リード・ヴォーのサラダ ハチミツソース
“リード・ヴォーのサラダ ハチミツソース”・これ、なかなかおいしかったですよ・・・

ダイエットに尽力中?のわれわれがメインディッシュ三品とは・・・、この責任は井上シェフにある。あの愉快な会話で胃袋も俄然、リラックス、何でもござれ!ってな具合となってしまったのだから・・・


そして愉しいお話とほんとうにおいしいお料理で胃袋はもちろん、脳内もα波で満腹という、望外のディナーとなった。


この2年寝かした生ハムも残りこれだけ・・・

もう一度、早めに“アンファミーユ”へ足を運ぼう。あの絶品の生ハムを口に放り込みに・・・。フランス語のアンファミーユとは、”家族のように”という意味、まさにアットホームなお店へまたご挨拶に行かなければ・・・

車山肩(霧ヶ峰湿原)のレンゲツツジは今が盛り

627日、そろそろ盛りのはずのレンゲツツジ観賞を目的に車山肩へ向かった。

  
コロボックルヒュッテと名物のホットココア

いつものコロボックルでホットココアをいただきながら、眼下に広がる霧ヶ峰湿原に咲くレンゲツツジの咲き具合をまずは観察。

コロボックルからレンゲツツジを
コロボックルヒュッテ・テラス下に広がる霧ケ峰湿原植生群・蓮華色の部分がレンゲツツジ

6月下旬の高原はまだ草木の盛りにはやや遠く、枯れ木や葉を落とした低木がそこここに目立つ。穏やかな色のレンゲツツジはそうした色合いの部分に群生している。そのためレンゲツツジの花は高原の初夏の色調のなかに埋もれるようで、遠目にハッとするような色彩感を与えない。

その自己主張を抑えたところがこのレンゲツツジという木の魅力とも言える。

当日は雲の流れが速く、青空が見えたかと思うと少し灰色がかった雲が頭上の空を覆うといった光が千変万化する状態にあった。

  
高原のレンゲツツジ・雲の動きで蓮華の色合いが変わる・・・

そんななか、コロボックルのテラスを降り、車山頂上へ向かうトレッキングコースを歩いて見ることにした。あちこちに点在して群生するレンゲツツジの花を間近に見ようと、このわたしが歩くのを厭わなかったのである。

トレッキングコースを歩む
車山頂上へと向かうトレッキングコース

その甲斐あって、やはり近くで見るとレンゲツツジのオレンジは上品な色をしており、見事である。


このあたりのレンゲツツジ

そして高原に爽やかな風が吹き通る時には、穏やかなレンゲツツジの花の色が目にも優しく、この上ない幸せを感じた。

車山肩に咲くレンゲツツジ
車山肩の高原に咲くレンゲツツジ(手前にレンゲツツジの枯れ枝)

高原に青空が広がったときには、自然に命が吹きこまれようにすべての色があざやかに輝きはじめる。

レンゲツツジと丘陵と空
レンゲツツジと丘陵と空・・・

枯れ枝でさえ空からいっせいに零れおちる光の粒子によって、自然の絶妙な景観を造り出す一員と化す。その光の織りなす変幻の技に何度も息を呑まされた。

コロボックル前・霧ヶ峰へ向かうトレッキングコース
コロボックル表の霧ケ峰方向へのトレッキングコース・ここをのぼって行きました

次に、われわれはコロボックルの表側へ向かい、霧ヶ峰へ向かうトレッキングコースを歩いた。こちらにはコバイケイソウが群生しており、レンゲツツジとの白と蓮華の色の競演が楽しみだったからである。 


しかし、今年はコバイケイソウの花が遅く、まだ高原は蓮華色で占められていた。目を凝らしてようやく一輪のコバイケイソウが咲いている?のを、残念ながら家内が見つけ、わたしがパチリしたのが下の写真です。

レンゲツツジのなかにコバイケイソウが一輪
この白いのはまだ開花前のガク

そしてこのコースはニッコウキスゲの群生地である。花が咲くにはまだ季節はひと月早いものの、もう蕾がつきはじめていた。


ニッコウキスゲは蕾がついていました。今年の開花はこの分だと7月中旬頭くらいか

最近は蕾を食べてしまう鹿の害のため、低電流を流す細い鉄線で草原が囲われ、美観的にはかなり無粋であるが、ここの生態を守るためには致し方のないところだ。

  
鹿の害を防ぐため低電流を流す鉄線で囲われた草原

今年、気がついたのだが、こちらの霧ヶ峰へ向かう草原はニッコウキスゲで、コロボックルのテラスの眼下に広がる草原がレンゲツツジとこれまで決め込んでいたが、レンゲツツジの樹齢がどうも古くなっているのか、車山頂上へ向かう方のトレッキングコースの一帯のレンゲツツジの花の色が少し薄く、生気を欠いているように感じた。

枝が枯れているレンゲツツジ
車山頂上へ向かう草原に咲くレンゲツツジ・葉をつけない枝が多く、蓮華色が浮き立たぬ

そしてこちらの霧ヶ峰方向の一帯のレンゲツツジが若いのだろう、葉も生い茂り、蓮華色も少し鮮やかで精気にあふれているように見えた。

盛りのレンゲツツジ
葉をいっぱいにつけたレンゲツツジ

そのなかで、今年はバードウォッチャーとして25年の経験を有すカメラマンの方にお会いして、素晴らしい経験をした。

山小屋とレンゲツツジ
山小屋とレンゲツツジ

この一帯に多い野鳥をその方が撮った写真と共に、その鳴き声とも併せご教示いただいたのである。

とくに家内は少女のように喜び、草原から聴こえる鳴き声を必死になって聴き分け、「そうですよ」とその方に褒められると、もう有頂天になって喜んでいた。


その時に、ズームを目一杯効かせて撮ったのが、下の一枚である。この鳥がノビタキというのだそうだ。25年歴の方のバズーカ砲のような望遠レンズで撮った写真で、この鳥がノビタキであることを詳しく教えていただいたので、間違いない。

ノビタキとレンゲツツジ
レンゲツツジにとまるノビタキです

次にちょっとこれは遠過ぎるのだが、ホオアカという頬に赤味のある小鳥なのですが・・・、これでは分かりませんよね。

ホオアカとレンゲツツジ
ホオアカが右側上部にとまっているのですが・・・、拡大して見てください

でも、正直、この鳥、ホオアカでした。何せ、その方のカメラの素晴らしい画像で確認したのだから。トホホ・・・、すみません!!

蓮華躑躅
勢いのあるレンゲツツジです

そんなこんなで今年のレンゲツツジ鑑賞の日も終わりとなりました。

今度は7月下旬辺りにニッコウキスゲがわたしたちの目を楽しませてくれるはずです。

“辰野・ほたる祭り”に行って来た=松尾峡・ほたる童謡公園

美山荘の蛍狩り(2006.7.5)
京料理・「粟田(あわた)山荘」で「蛍の夕べ」を愉しむ(2011.7.1)
東京の「ほたる狩り」=うかい鳥山(八王子)6月3日〜7月13日(2010.5.29)

長野県辰野町上平出1006-1


ゲンジボタルの群生では東日本随一と言われている信州は辰野町の“ほたる祭り”に出掛け、“蛍狩り”を思う存分愉しんだ。


辰野ほたる祭りポスター

今年で第64回目というのだから、戦後すぐの昭和23年に第一回目が開かれたことになる。さらに戦前もほたる祭りは催されていたということで、正確には戦後復活してから今年が第64回目に当るということらしい。


また平成9年からは、祭りの期間中、その会場である“松尾峡・ほたる童謡公園”で20時〜21時の間に発生したホタルの数を集計している。辰野町の公式ホームページにその集計表が掲載され、日々、更新されている。


その目視調査に携わっているのは辰野町の人々であるが、当番制となっているため、急にホタルの発生数が増えた台風の翌日(20日)など、人手が足りずに確認漏れが相当数あったとのこと。


ただ、バードウォッチング(bird watching)ならぬホタルウォッチング(firefly watching)って、あの暗いなかでどうやって正確に数えているのかは、う〜ん、正直、まだ分からない。


因みにわたしどもが訪れた625日は5,286匹の発生であったが、翌日は4,088匹と徐々にピークアウトしていた時期に当る。祭り最終日の71日は僅かに649匹となり、今年の最盛期は台風一過の20日の11,168匹ということになる。


さて、そんな細かい数字などどうでもよいのであって、当日の情景をお話しなければならぬ。


当日は朝から天気もよかったので、「今日はホタルもたくさん発生するぞ」と期待に胸膨らませたのは言うまでもない。

第一駐車場前に建つ”ほたる童謡公園の碑”

ほたる祭り会場の“ほたる童謡公園”には6時前に到着した。ホタルが出て来るのが745分頃ということだったので、2時間前に会場に到着したことになる。その御蔭で、足の悪いわたしには会場至近の第一駐車場に車が置け、わたしの全体力を心置きなく蛍狩りに注ぎ込むことができた。


第一駐車場はそもそもが“ほたる童謡公園”専用の駐車場で、公園への入口となる“わらべ橋”のたもとにある。



天竜川にかかる”わらべ橋”

橋上より天竜川を見る

諏訪湖を源流とする天竜川に架かる“わらべ橋”を渡り公園中心部へと入ってゆくと、直に公園が一望できる開放的な場所へ出た。

ほたる童謡公園の中心部へ
ほたる童謡公園中心部へゆく道

目の前に広がる光景は回遊路を設けた一面の草むらであるが、よくよく見ると水路といおうか小川が縦横に張り巡らされ、里山の豊富な沢水がそこへ流れ込むように設計されており、ホタルの棲息に適した環境が整備されていた。“ほたる童謡公園”という名が表わしているように、かなり人工的な臭いがするのは致し方のないところか。 


この水路群に蛍が棲息している
公園内にめぐらされた水路が見える
ほたる童謡公園
ほたる童謡公園全貌
ほたる童謡公園全貌

そしてわれわれは暗くなって見知らぬ道を歩くのも危なっかしいので、一応、事前に公園内を探索して歩いた。


カメラセット完了
ベストポイントで待つアマチュア・カメラマン

するとまだホタルが出るまで2時間もあるというのに、おそらくベストポジションと思われるポイントにカメラを据え付けた三脚を立てたアマチュア・カメラマンの姿がそこここに認められた。


カメラ準備万端
あとはホタルを待つだけ・準備万端

皆さん、立派なカメラをお持ちで周到に事前調査も済ませたのだろう、のんびりと同好の士としての会話など楽しんでいる様子であった。こちらの単機能デジカメでは蛍の曳光など写せぬことは承知していたものの、ちょっと彼らが羨ましい気がした。


また園内にはさり気なくホタルブクロの花も咲いており、蛍狩りへの期待は弥(いや)が上にも昂まって来る。


ホタルブクロがたくさん
ホタルブクロがさりげなく咲いていた
赤紫のホタルブクロ

関東では珍しい白いホタルブクロ

そして回遊路の所々に設置されたベンチに腰かけて待つこと1時間ほど経った720分頃、突然、家内が「あっ!飛んでる」と、右斜め上空を指差すではないか。


辰野町の日の入りは7時ちょっと過ぎであったが、上空一帯はまだまだ明るく、蛍の曳光を認めるなど到底無理だと思っていた矢先のことであった。


明るい大気のなかを一匹のホタルがハロゲンランプのような強い光を点滅させながらふらふらと飛行しているではないか。


周りにいつしか増えていた見物客も一斉に家内の指差す方向に目を投じ、「あっ、いる!」、「あっ、ホタル飛んでる」、「あそこ、あそこ」、「わ〜っ!」と弾むような声をそこかしこで挙げた。


ベンチに腰かけていた人たちも立ち上がり、回遊路の柵の前に立ち、まだ草むらや小川がはっきりと見えるなかホタルの小さく可愛らしい光を見つけんと、目を必死に凝らし始めた。


そして数分も立つとそこかしこで、「あっ、あそこ!」、「あの草むらに一匹」などと、園内にいくつもの声が響き出した。

ホタル飛ぶ
ホタルの曳光

なるほど745分頃になると急速に公園内は闇に包まれ、草むらに潜んでいたゲンジボタルが一挙に表に湧き出て来たかのように、あっちへ飛びこっちへ飛びと忙しく活動を開始した。


ホタルの曳光
薄く山影が見えるなか、ホタルが飛んでいる・・・、見えますか?

先程まで見ていた園内の無造作な草むらは、まるでこっそりとクリスマスのイルミネーションを装ったかのように、突如として一斉に光の競演の幕を開けたのである。


辰野町HP観光サイトより
辰野町HP・観光サイトより引用・ホタルの乱舞です

もうどっちを向いてもゲンジボタルの乱舞が目に入って来る。そしてまだ空中に飛び立たぬホタルも草むらの蔭でぼ〜っと蛍光の点滅を繰り返している。


ホタルの光が赤く写っています

偶然、闇に一点の光が写っています

わたしの写真はご覧いただいているように、一匹の光を偶然捉えた際にのみホタルの曳光が残っているものである。ただ画面に広がる闇の部分にこそ、実際には無数のホタルの光が点滅し、流れていたのである。カメラの限界か技量のなさか、誠に申し訳ない。皆さんの心の目を大きく見開いて闇の部分に目を凝らしていただきたい。



きっとホタルの幽玄な光のダンスの様が目蓋の内に浮かんでくるはずである。これらの写真の闇のなかに多くのホタルの光が埋もれ隠れ、潜んでいるのだから・・・



すーっと蛍が飛んでいる・・・

そうしてホタルの集団の乱舞を愉しんでいた時、一匹のホタルがふ〜らふ〜らとわれわれの上空へ寄り添って来た。


周りの人たちも「こっちおいで」とか、「ホ〜タル来い」とかそのホタルを自分の元へ呼び寄せようと声を掛けた。


すると、あろうことか家内が差し出した指先にそのホタルが止まってくれたではないか。それが次の写真である。もちろん場内はフラッシュ禁止なので、この程度が精一杯の映像なのだが、まぁ、幻想的?とでもご評価いただけると幸いである。


指に停まってくれたホタル
家内の指に蛍がとまってくれたのです・・・

そう言えば、ちょうど一年前に京都の“粟田山荘で蛍の夕べ”(2011.7.1)を愉しんだ際にも、一匹の蛍がわたしどもの部屋へ迷い込み、家内の肩先に停まったものだ。


京都粟田山荘で肩に停まる蛍
昨年の6月、京都の粟田山荘の”蛍の夕べ”にて

ホタルはそもそも女性好きなのか、それともわたしが蛍に嫌われているのか・・・。雅な世界にどうにも下らぬことを云って申し訳ないが、少々、気になるところではある。


まぁ、そんな些細なことはどうでもよい・・・、何せ十分に心ゆくまでホタルの幽玄の光の競演を愉しめたのだから・・・


そして天竜川に寄り添う辰野という小さな町は、実にホタルの似合うところであった。

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