彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

August 2011

「百万遍かぎや政秋」の「ときわ木」=旅人の見た京都のお菓子・京都グルメ

左京区吉田泉殿町1番地・075-761-5311


 京漆匠「象彦」でお茶請けに出された和菓子があまりにおいしかったので、つい「どちらのお菓子ですか」と尋ねたところ、「百万遍の『かぎや』の『ときわ木』というお菓子です」とお店のパンフレットまで戴いた。  

百万遍かぎや・ときわ木
鎰屋政秋・ときわ木

 そこで、翌日、百万遍の交差点、東大路通りを挟み京都大学西側に位置する「かぎや政秋」へ向かった。 

百万遍交差点に立つ「百万遍かぎや」

 お目当ての「ときわ木」をもとめるつもりだったのだが、京都では珍しくショーケースに並ぶお菓子の試食をさせてくれた。その結果といおうか、「かぎや」さんの術中に見事にはまったといおうか、「ときわ木」のほかに異なる趣きを放つ「益寿糖(エキジュトウ)」や「黄檗(オウバク)」、「野菊」とついつい財布のひもがゆるんでいった次第である。  

店内に掲げられた「鎰屋政秋」の扁額
かぎや店頭

「かぎや政秋」は、元禄9年(1696)創業の「鎰屋延秋(カギヤノブアキ)本家」から大正9年(1920)に分家し創業された。そして、昭和25年に「鎰屋延秋」の廃業に伴い、その銘菓であった「黄梁(コウリョウ)」と「ときわ木」を継承した。

つぶ餡を薄くのばし焼きあげた「ときわ木」、大好きになりました
ニッキの香りのする胡桃入り求肥餅「益寿糖」、プーアール茶にもあいます
アーモンド入りの落雁「野菊」、不思議な味です

物資不足の戦時下、伝統ある京和菓子のなかでこれだけは残してゆこうと京都府が指定(昭和1712月)した「和菓子特殊銘柄品18品のひとつ「かぎや延秋」の「黄梁」が、現在の「黄檗」である(お店に確認済み)。

栗ようかんを豆の粉でまぶした「黄檗」、本当に素朴な味です

「かぎや」の菓子4種類(ときわ木・益寿糖・黄檗・野菊)を食べて見たが、共通して言えるのが、どれも控えめで上品な味である。だからお抹茶や煎茶をいただく際に、突出した主張をしない「お茶請け」として最適な菓子のように思えた。

朝ドラ「おひさま」で飾られた「松本押絵雛」=穂高郷土資料館

湧水の郷、安曇野を歩く その1=NHK「おひさま」ロケ地・陽子の通学したあぜ道
「おひさま」ロケ地・安曇野を歩く その2=陽子(若尾文子)の「百白花」・大王わさび園水車のある風景

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松本押絵雛(穂高郷土資料館展示)

安曇野を訪れる二日前の放映(83日・第105回)であった。陽子(井上真央)の長女、日向子が肺炎に罹った時に、徳子(樋口可南子)が自分たちで出来ることをと辛い時でも明るさを求めようとして、雛飾りをした場面があった。

 その雛人形が紙か布で作られた羽子板の薄っぺらな飾りのような、変わった雛人形である。

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斜めから見ると厚みが分かる

「ずいぶん変わった雛人形なんだね。当時、信州の方では簡素な雛飾りで庶民はお祝いをしていたんだろうね」と、家内と語り合ったばかりであった。

史料館碑
館内にはわれわれ夫婦だけだった穂高郷土資料館

 松尾寺を訪ねた際に、その隣に立つ「穂高郷土資料館」を覗いたところ、その雛飾りが展示されていたのである。家内ともども、ちょっとびっくりしたが、徳子が真知子(マイコ)や育子(満島ひかり)たちと飾った雛人形が「松本押絵雛」と呼ばれる当地独特のものであることを知った。展示されている押絵雛は有明、北穂高、柏原地区などで明治から大正にかけて、実際に桃の節句に飾られていたものだそうだ。

「押絵雛」には当時の時代背景を映し、神功皇后と武内宿禰や武田信玄など武将ものもある

同館の説明書きによると、「松本押絵雛」は天保年間(1830-1840)当時の松本藩主・戸田氏が藩の殖産興業のひとつとして奨励、藩士の家庭で婦人によって作られ始めたものだという。それが松本の人形店や行商人によって売り出され、信州各地に広まっていき、ついには町内のどこの家でも子供が生まれると贈ったり、嫁入り道具のひとつとして持って行く風習ができあがったとのこと

しかし、その風習も明治・大正までで、大正の大火により製作者が四散したことから、急速に廃れていったそうで、徳子が箱で持ち出してきた押絵雛は多分、丸庵(丸山家)に残されていた懐かしい「押絵雛」のひとつということになるのだろう。

大王わさび園・蓼川にあそぶ川藻
陽子たちがピクニックにいった堤下の清流にあそぶ水藻(大王わさび園)

二人して、なるほど、ウン!ウン!と納得した次第であった。此度の安曇野探訪で「おひさま」ファンもますます筋金入りとなってきたと感じた瞬間であった。

 

ジャン! ジャン! 

穂高温泉郷・安曇野、泊まってみたい宿=なごみ野

穂高温泉・安曇野、泊まってみたい宿=にし屋別荘
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「おひさま」ロケ地・安曇野を歩く その2=陽子(若尾文子)の「百白花」・大王わさび園水車のある風景

安曇野市穂高有明3618-44

電話:0263-81-5566


 お宿「なごみ野」は北アルプスの麓を走る山麓線沿い、4000坪の広い敷地にゆったりと建つ大きな「お宿」である。


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なごみ野

前泊した「にし屋別荘」の一年後の2001年の創業である。「にし屋別荘」が新潟の古民家を移築し、その素朴かつ骨太な造作を活かして実に味のある大人の雰囲気を醸し出しているのに対し、「なごみ野」は外観から内装まで新しく木の香りが漂ってくるようで、新築まだ間もないと勘違いするほど手入れが行き届き、「宿」というよりどこか和風ホテルといった趣きである。


ロビー
暖炉のあるロビーでウェルカム・ドリンクで〜す (☆゚∀゚)

 部屋は大人数向けの18畳間(和室二間)からわれわれのような夫婦もの向けの8畳間まで合計で15室あり、各パーティーの目的に合わせた利用が可能である。     


婦人向け露天風呂
貸切家族露天風呂

そのため温泉も男女大浴場から露天、家族用貸切露天風呂とお客の用途に合わせた設営になっている。

緑に囲まれたテラス
テラスでコーヒーを
テラスで朝食後のコーヒーを

 そしてティータイムが愉しめるゆったりとしたロビーや広いテラス、湯あがりにのびのびと憩える湯上り処やリラクゼーションルームといった共用スペースが充実し、魅力的である。

リラクゼーションルーム
湯上り処

 そうした「なごみ野」でやはり一番の押しは、料理長の神社(ジンジャ)正樹氏の手になる創作懐石料理であろう。素材ひとつひとつの細かいところまで手をかけた一品、一品に正直、驚き、感心もした。 


なごみ野献立
当夜の献立

 そして味はもちろんだが、見た目の美しさ、可愛らしさはとくに女性客には堪らないのではないかと感じた。そう・・・、家内もこの夜のディナーには殊のほかご満悦の様子であったので、神社さんに花マル (*'-'*)!!


さぁ、ディナーで〜す!!
前菜
空豆の挟み揚げ・・・、細か〜い!
冷やし茶碗蒸し
岩魚のお造り、最高で〜す!
焼物だけど、やけにお洒落
丁寧な調理、よ〜く見てください
信州サーモン湯霜がおいしい・・・、冬瓜のこの薄切り、初めての食感でした
信州桜井牛の蒸焼と青海苔入りの畳鰯、これまた上品!
鮎茶漬
可愛らしいけどボリュームたっぷりの嬉しいデザート

 前日の「にし屋別荘」と当日の「なごみ野」はお客の旅の目的、その時の心持ちによってその良さが格段に引き立てられる性格の宿である。その旅を「どう演出したいのか」、その主題によって、この二つの宿はひときわ魅力を増すのだと思う。


木漏れ日のなかで
朝食後のコーヒーとデザートを・・・

旅路にある人それぞれが、手造りのドラマを演じる主人公として立つ舞台こそ、「にし屋別荘」であり「なごみ野」である。それこそが、そう名画に流れる主旋律のように・・・、旅のひと時に美しいメロディーを添えてくれる・・・、本物の「宿」なのだと気づかされたところである。

穂高温泉・安曇野、泊まってみたい宿=にし屋別荘

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穂高温泉郷・安曇野、泊まってみたい宿=なごみ野

安曇野市穂高有明3613-42

電話:0263-81-5248



いま、NHKの朝の連続テレビ小説「おひさま」で注目の安曇野を二泊三日で訪ねた。 


水色の時「道祖神」
「水色の時」道祖神

当初、ひとつ宿での連泊を考えたが、ネットで調べるうちに気になる宿が二軒あった。そこで少し面倒ではあるが、穂高温泉内のほんの半里ほどしか離れていない宿を渡り歩くことになった。

その一日目の宿が、一日に五組しか宿泊客をとらぬ「にし屋別荘」という小さな宿である。


安曇野・にし屋別荘
にし屋別荘玄関へ
小さなお宿です
玄関を入ると「にし屋」の額縁が

この「にし屋別荘」は神戸出身のオーナー林田茂巳氏(63歳)が50代初めでサラリーマン生活に終止符を打ち、2000年に開業したもので、同氏の夢とこだわりが随所に詰まった「大人の空間」である。

 
にし屋別荘・益子の間ベッドルーム
古民家の温かみあふれるベッドルーム
ベッドの下に秘密の空間が
ベッドの下に隠れ家のような心躍る空間が
 各部屋に冠された名前が「伊万里」「織部」「備前」といった焼き物に因んでいるのもオーナーの「こだわり」のあらわれである。われわれ夫婦が通されたのは「益子」というロフト形式の部屋で、幼い頃に読んだ世界文学全集のなかに出て来るような浪漫に満ちた遊び心豊かな空間であった。
益子の間

以前はもうひとつ「唐津」という部屋があったが、現在は和室の食事の間に改装されており、和洋の異なる空間が「懐かしい時間」というコンセプトのもとに巧みに演出され、共存を許されている。われわれが食事をいただいたのがかつての「唐津」の間であった。


和室の食事の間
洋間の食事の間から

そこで供される食事も「八月のお献立」に印されているように丁寧に料理され、味付けも上品でおいしかった。
 

にし屋別荘献立
当夜の献立
こだわりの器に盛られた前菜・にし屋別荘
こだわりの器に盛られた前菜

 日頃、ついついお酒に走ってしまうわたしも、この夜は料理に舌鼓を打つのに忙しかった。
それでも最後に御飯が残ったのだが、ご主人が「お握りにしてお部屋でお夜食にいかがですか」と、持たせてくれるなど、その心尽くしのお持て成しにはいたって満足!
 

前菜
油皿・鰻白焼砥草揚げなど
岩魚の塩焼き
牛フィレ肉の炭火焼

そしておいしい料理を一段と引き立ててくれたのが、林田氏ご自慢の器の数々であったことは言うまでもない。


囲炉裏の間に飾られた趣味の大皿
御主人ご自慢のそば猪口コレクション
新潟の古民家を移築、天井が高い
新潟から移築した古民家によく似合う陶器の数々

食後は自室に戻り、ベッドルーム下に設えられたロフト式の居間で、マッサージチェアにもたれ、またソファーに横たわり、翌日の道祖神巡りのことなど取り止めのない話を語り合った。正直、旅先でこれほどくつろいだ時間が過ごせるとは思っていなかった。

BlogPaint
「屋根裏の世界」でくつろぐ
マッサージチェアもよく似合うロフト式のくつろぎの空間

そう・・・、「にし屋別荘」には幼年時代に幾度も夢見たあの心ときめく屋根裏の世界がひっそりと息づいていたのである。翌日に宿泊した「なごみ野」とはまた趣きの異なる手造りの空間と時間が味わえる温かい宿であった。

 

それと、温泉についてもひと言、言っとかなければいけない。にし屋別荘には宿泊客5組に対して中房温泉から引いた内湯と露天風呂あわせて3つの温泉がある。各々が家族貸切で入湯できるという贅沢なものであり、こうした仕組みもここを「別荘」と呼ぶにふさわしい由縁である。

「おひさま」ロケ地・安曇野を歩く その2=陽子(若尾文子)の「百白花」・大王わさび園水車のある風景

湧水の郷、安曇野を歩く その1=NHK「おひさま」ロケ地・陽子の通学したあぜ道

木曽路・奈良井宿、「古き良き日本」を歩く=NHK朝ドラ「おひさま」のロケ地
NHK朝ドラ「おひさま」ロケ地=旧制松本高等学校の本館・講堂 


黒沢明「夢」に使われた水車小屋のある風景
大王わさび園にある水車小屋と蓼(タテ)川

「おひさま」の現代シーンで、主婦の原口房子(斉藤由貴)が若尾文子扮する須藤陽子にその一代記を語り聞かせてもらう場所が、陽子が経営している「百白花(ひゃくびゃっか)」という喫茶店である。安曇野の美しい風景の中にたたずむその建物のセットが大王わさび園にあるので、園内にある黒沢明監督の映画「夢」で使われた水車小屋と水辺の風景とあわせて見学した。

大王わさび園入口
大王わさび園より有明山を見る
わさび園入口より有明山を遠望
「百白花」のセット

 「百白花」はわさび園の大駐車場からも遠望できるが、ドラマで見る瀟洒な店内などのセットはなく、建物外観のみのセットである。「百白花」の店内造作はスタジオセットであるため、まぁ、正直、何だこりゃという次第である。なお、百白花という実在の花はなく、劇中で陽子の祖母が安曇野のそば畑の真っ白な花をイメージして、店の名前として命名したものです。・・・当初、わたしも植物図鑑などで調べたものですが、架空の名ですので・・・、出てませんでした。

「おひさま」に出てくる「百白花」

したがって、近くまでは行かずに望遠で撮影しておきました。


一方で、水車小屋のある水辺の風景は以前訪ねた際にも写真を撮ったと思うのだが、デジカメ時代ではなく、もう一度、入念にその美しい風景を取りなおした。

安曇野水車小屋のある風景
水車のある風景

やはり水車のある風景というものは、己の幼少時にそうした風景を身近に置かない者であっても、どこか日本人の郷愁といったものを呼び起こすものと思われる。

大王わさび園の水車小屋
水車小屋
大王わさび園の水車
清らかな水が滴り落ちる水車
水車の脇を流れる蓼(タテ)川と中州をはさんで流れる万水(ヨロズイ)川の合流する辺りの景色は樹間を吹き抜けるそよ風と相俟って本当に息をのむような美しい情景である。
大王わさび園を流れる万水川と蓼川
手前が蓼川、向こう側を流れるのが万水川
安曇野蓼川にあそぶ水草
澄んだ水中にあそぶ水草

このわさび園に引かれる湧水は日量十二万トンという膨大な流量におよび、その水温も年間を通じてほぼ12℃と一定し、わさび生産に適したものとなっている。 

大王わさび園・蓼(たて)川
この先で万水川に合流する蓼川
湧水を流すわさび田

その湧水を流す水深40cmほどの蓼川には梅花藻(バイカモ)、水ハコベ、ミクリといった清水を愛する水草が気持ちよさそうにその流れに身をゆだねている。その様子を見ているだけで、爽快感が全身一杯につまってくるようで愉快である。


湧水の郷、安曇野を歩く その1=NHK「おひさま」ロケ地・陽子の通学したあぜ道

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湧水の都・安曇野の早春を賦す(2015.3.30)

安曇野 長峰山より
長峰山より安曇野をのぞむ

その1---茅葺農家と水車小屋(宮本タケオが畑仕事をするあぜ道・陽子の通学路)


85日から7日まで二泊三日で、湧水の郷、安曇野を心ゆくまで楽しんだ。心配された天気も安曇野を巡り歩く間は夏の陽射しが強い好天であった。そして旅館へ向かう頃に立ち昇った積乱雲から夕立が襲うというまさに盛夏の候であった。


安曇野の夏
安曇野の夏

わたしの大好きな雲、そのなかでも入道雲を見上げながらの旅となったことは、旅の神様、安曇野ではもちろん「道祖神」に、こうした時間を与えてくれたことに心から感謝した次第である。


安曇野盛夏の入道雲
安曇野の大入道雲
常念道祖神

10年程前に日帰りで尋ねたことはあったが、その時は大王わさび園、碌山美術館、安曇野ちひろ美術館、本陣等々力家といった観光名所に穂高神社、有明山神社を駆け巡り、落ち着いて安曇野の空気を吸ったという記憶は薄い。


そうしたこともあって、NHK朝ドラ「おひさま」の舞台となった今日、あらためてゆっくりと心静かに湧水の郷、安曇野を歩いて見ようと思ったのである。


DSCF8201
湧水がそこかしこに流れる郷、安曇野


 そこでまずは「おひさま」のロケ地となった場所を訪ねて見た。案内がはっきりとしている箇所は問題なかったが、穂高川の土手の風景は地元の人でないとなかなか探し当てるのが難しく、その辺りを徘徊したものの、結局、撮影スポットには到達できなかった。また夏の厚い雲にさえぎられ、北アルプスの峰々を仰ぎ見ることが出来なかったのも残念であった。

この日、長峰山から北アルプスは見えなかった・・・


 陽子が通ったあぜ道に建つ水車小屋は国営あづみの公園の駐車場から徒歩7、8分の処にある。その道筋に三百数十年の歴史を有す松本藩の大庄屋、山口家の豪壮な屋敷がある。


安曇野の大庄屋、山口家の屋敷林
横一線、山口家の白塀と豪壮な屋敷林
山口家表門


 北アルプスを紹介したイギリス人・ウエストンも常念岳登山の折に当家に逗留しており、江戸初期に造営された見事な回遊式庭園を観賞したという。 



江戸初期造営の回遊式庭園
山口家室内より庭園を望む


 山口家を見学していよいよ陽子が毎朝自転車で通った安曇野のあぜ道へ向かう。 


「ひまわり」水車小屋へ向かうあぜ道
かやぶきの家や水車小屋へ向かう農道


 茅葺家や水車小屋、彩色道祖神はNHKの撮影用に造られたものだと現地近くに詰めるボランティアの方が説明してくれた(行き順を丁寧に教えてくれるので安心)。説明がないと、あまりに周囲の田園風景に馴染んでおり本当にそこに昔からあったとしか思えぬ見事な出来栄えである。 

 



「おひさま」陽子が通った安曇野のあぜ道風景
陽子が毎日通った安曇野のあぜ道と水車小屋の風景


 古き良き日本の原風景である。要は安曇野の風景を借景として造った新しいスタイルの「あぜ道」と言い換えてもよいのかも知れない。



お見事、NHK!! 受信料分はあるか!

われわれが宮本タケオ(柄本時生)が畑仕事をしていたその水車小屋に到達した時にはひと組の家族連れがいたのみで、長閑な田園風景を心ゆくまで堪能することができた。

安曇野おひさま水車小屋前に広がる田園風景
水車小屋の前に展がる田園風景
あぜ道に沿って流れる灌漑用水
清冽な湧水

その撮影スポットにゆくあぜ道沿いの灌漑用水の流れは速く、澄みきっており、手を入れるとヒンヤリとして心地好い。



水辺に咲く可憐な花々
水辺に咲く花々

水辺には高原の花々が可憐に咲き、小さなアオガエルが夏草の緑の中をピョンピョン飛び跳ねている。

 


小さなころ目にした日本の原風景
小さなころは日本にこうした風景はどこにでもあったなぁ・・・


 小さなころ・・・田舎でよく目にした懐かしくも美しい情景であった・・・

2011年ニッコウキスゲ=蓼科の夏が戻って来た

車山肩(霧ヶ峰湿原)のレンゲツツジは今が盛り(2012.7.3)

 

2011年車山肩ニッコウキスゲ
鹿除けの紐が張り巡らされたなかに、2011年のニッコウキスゲがあった!!

昨年はコロボックル開設以来初めてという「ニッコウキスゲ開花せず」という状態だったが、今年の夏はどうなんだろうと心配しながら車山肩へ向かった。

7月末、夏休みが始まって直ぐと云うこともあり、車山肩の人出は多かった。

ニッコウキスゲに親しむハイカーたち

そして、お目当てのニッコウキスゲは・・・・、「あった!」

車山肩に広がるニッコウキスゲ
車山肩に広がるニッコウキスゲ
2011年7月車山肩ニッコウキスゲ
鮮やかなニッコウキスゲとピンクのあざみ

コロボックルの手塚さんに訊ねたところ、今年は二週間ほど前の「海の日(718日)」あたりが開花のピークだったということだった。ただ鹿の害が大きくなったので、無粋だが今年は防護のための対応(侵入をふせぐ紐のバリケード)をしたという。見栄えでいえばそうだが、開花してくれただけで感謝すべきなのだと、去年の惨状、落胆を経験している私には黄色い花がばら撒かれたような草原は爽やかで美しかった。

無粋な柵だが、花が咲いてくれたのが一番!!

蓼科にまたニッコウキスゲの夏が戻って来てくれたんだなぁと、正直、ホッとした。

やはりきれいだ、ニッコウキスゲは・・・

そして色鮮やかなニッコウキスゲに隠れるように高原の可憐な花がそこここに顔を出していた。いつもの、いつもらしい、蓼科の夏がそこにはあった・・・

花に宿る蝶々
アザミの花
何だっけ・・・、高原の花です・・
ハクサンフウロウ
シモツケソウ
ワレモコウ

そして蓼科の樹林では蝉時雨が一日中、かまびすしい。

2011_08012001年8月蓼科蝉時雨0002
強い陽射しを遮る緑の屋根・緑陰
2011年強い陽射しもやわらげる
強い陽射しもやわらぐ・・・
緑陰に蝉しぐれがひびく・・・

木漏れ日がわずかに射す緑陰に響き渡る蝉の鳴き声は、都会のコンクリート壁に反響する猥雑な騒音とは異なり、どこか涼感を呼び醒まし静寂さをかえって引き立てるようで、心のしこりのようなものがいつしか融け、ゆったりとした心持ちになってゆくから不思議だ・・・

神々のふるさと、対馬巡礼の旅=番外編 古代神道を残す「赤米神事」

神々のふるさと、対馬巡礼の旅=18 多久頭魂(たくづたま)神社
神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 1



 現在、古代神道の名残である「赤米神事」の習俗を残すのは、対馬の多久頭魂神社(タクヅタマ)と鹿児島の種子島にある宝満(ホウマン)神社、それに岡山の総社市にある国司(クニシ)神社の3か所だけである。この3地点に古代米と云われる赤米の神事が千数百年にわたり連綿と伝承されていることから、稲作の伝播経路に大きく二つの流れがあり、それが瀬戸内海を通り順次畿内へと普及していった姿が浮かび上がって来る。


対馬豆酘・赤米神田
豆酘・多久頭魂神社脇の赤米神田

 

その「赤米神事」(国選択無形民俗文化財)を対馬でただ一人継承しているのが、豆酘で漁業を営む主藤公敏さんである。2010213日付長崎新聞は『神事は、田植えや稲刈りなども含め年間10回あり、頭(トウ)仲間と呼ばれる住民が輪番で受け継いできた。1990年に10戸だった頭仲間は、神事に伴う金銭的な負担もあり、年々減少し、2007年に1人になった』と伝えている。


 農耕の種蒔きの時期や収穫の成否が占いに拠った時代、卜部(亀卜)の宗家たる天児屋命(アマノコヤネノミコト)の末裔である中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツオミ)が縣主であった対馬に、「赤米神事」という形で古代農耕の姿が当地の一族により引き継がれ今に保存されている、その連綿と続く気の遠くなるような時間の流れにあらためて想いを致す時、深い崇敬の念を抱くのである。

2010_赤味がかった赤米神田


さて、「神意」に基づく政(マツリゴト)を中心に据えた上古の社会で、この「赤米神事」は「紀」もその由来について語っている。


【神代下第9段 「葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫」 】

「・・・且(マタ)天児屋命は神事を主(ツカサド)る宗源者(モト)なり故、太占(フトマニ)の卜事(ウラゴト)を以ちて仕へ奉(マツ)らしむ(注1)。高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)、因(ヨ)りて勅(ミコトノリ)して(天照大神)曰(ノタマ)はく、『吾(ワレ)は天津神籬(アマツヒモロギ)と天津磐境(アマツイワサカ)とを起樹(オコシタ)て、吾(ア)が孫(ミマゴ)の為に斎(イハ)ひ奉(マツ)るべし。汝(ナレ)天児屋命・太玉命(フトタマノミコト)、天津神籬を持ちて葦原中国(アシハラノナカツクニ)に降り、亦吾が孫の為に斎ひ奉るべし』とのたまひ、乃ち二神(フタハシラノカミ)をして天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)に陪従(ソ)へて降らしめたまふ。

・・・(中略)・・・

又勅して(天照大神)曰はく、「吾が高天原に御(キコ)しめす斎庭(サニワ)の穂を以ちて、亦吾が児(ミコ)に御(マカ)せまつるべし」とのたまふ。〔これが赤米神事の起源となるものと考えられる〕

則ち高皇産霊尊の女(ムスメ)、万幡姫(ヨロヅハタヒメ)と号(マヲ)すを以ちて、天忍穂耳尊に配(アハ)せ妃(ミメ)として、降らしめたまふ。故(カレ)、時に虚天(オホゾラ)に居(マ)しまして児(ミコ)を生みたまふ。天津彦瓊々杵尊と号す。因りて此の皇孫(スメミマ)を以ちて、親に代へて降らしめむと欲(オモホ)す。故、天児屋命・太玉命と諸部神等(モロトモノヲノカミタチ)を以ちて、悉皆(コトゴトク)に相授(サヅ)けたまふ。且(マタ)服御之物(メシモノ)、一(モハラ)に前(サキ)に依りて授けたまふ。然(シカ)して後に天忍穂耳尊、天に復還(カヘ)りたまふ。」

(注1):「天児屋命」は神事を司る本家であり、太占の「卜」を以て仕えるとある。


    紀「神代上第7段」に、「中臣連が遠祖(トホツオヤ)天児屋命、忌部(イミベ)が遠祖太玉命」との、記述あり。


【神代下第9段一書第二】

「是の〔天忍穂耳尊を葦原中国に降臨させた〕時に天照大神、手に宝鏡(タカラノカガミ)(注1)を持ち、天忍穂耳尊に授けて(注2)、祝(ホ)きて曰はく、『吾が児(ミコ)、此の宝鏡を視(ミ)まさむこと、吾(アレ)を視るが猶(ゴト)くすべし。与(トモ)に床を同じくし殿(オホトノ)を共にして、斎鏡(イハイノカガミ)と為すべし』とのたまふ。復(マタ)天児屋命・太玉命に勅(ミコトノリ)したまはく、「惟爾(コレナムジ)二神も、同じく殿内(オホトノノウチ)に侍(サモラ)ひ、善く防ぎ護(マモ)りまつることを為せ」とのたまふ。又勅して(天照大神)曰はく、「吾が高天原に御(キコ)しめす斎庭(サニワ)の穂(イナホ)を以ちて、亦吾が児(ミコ)に御(マカ)せまつるべし」とのたまふ。


(注1)〔紀の注より〕

「宝鏡は一書第一では『八咫鏡(ヤタカガミ)』とあり、八坂瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)・草薙剣(クサナギノツルギ)と合わせて『三種の神器』とあるが、ここでは、この「宝鏡」一種についてのみ記され、他の記述はない」


(注2)〔紀の注より〕

宝鏡は一書第一では皇孫(天津彦彦火瓊々杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト))に授けるが、ここでは子の天忍穂耳尊に授けている。


この「斎庭の穂」の「斎庭」とは神に奉る稲を作る神聖な田のこと。そこで作られた稲穂を皇孫(瓊々杵尊)或いは子の天忍穂耳尊に持たせたとあることが、「赤米神事」で赤米を栽培する田が、神の田、即ち「神田」とかつて(8世紀初め頃)呼ばれていたことが「斎庭」に擬せられていることは容易に想像される。


そして「紀」の「顕宗(ケンゾウ)天皇3年春2月」の条に、対馬に在る「日神」が「磐余(イワレ)の田を以ちて、我が祖高皇産霊(タカミムスビノミコト)に献(タテマツ)れ」と大和王朝に命じたとある。


対馬の「赤米神事」がそもそも高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)を祭神として祀る高御魂(タカミムスビ)神社(多久頭魂神社の境内社)の祭事であったことや「神田」で作った赤米を高御魂神社に奉納している事実は、「紀」の上の記述と併せ考えるときわめて興味深いことである。



加えて、折々にねずみ藻という海藻を使う「赤米神事」という古代農耕の習俗は、上古の対馬を「日神」の本貫とみなす「紀」の内容は単なる作り話ではなく、対馬が具体的事実に基づいた天孫降臨族と海人族の融合の地であったことを明確に示唆するものと云ってよい。



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