彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

July 2011

神々のふるさと、対馬巡礼の旅=18 多久頭魂(たくづたま)神社



 

   天童に所縁の神社なれど、ご祭神は皇孫の神也(藤仲郷「対馬州神社大帳」

 


多久頭魂神社に到るには、先の「美女塚」からさらに1kmほど南下し、左手の脇道へ入り細い田んぼ沿いの道をゆっくりと行く。


対馬、赤米神田と豆酘の海
田の中央の茶色味を帯びた辺りが赤米神田、遠くに豆酘の海が見える

 

其の日は8月の末であったが、田んぼの稲穂は実りで頭を垂れ始めていた。途中に「赤米神田(アカゴメシンデン)」という標識が目についた。


赤米神田の標識

 

古代米の赤米である。多久頭魂神社で年間10回行なわれている「赤米神事」という祭祀用に栽培されているものである(「番外編 赤米神事」参照)。その神田の横を過ぎると多久頭魂神社の一の鳥居が突然、目の前に顕れた。その出現の仕方に唐突感があったのを覚えている。


多久頭魂神社の一の鳥居

 

人の気配の全くしない奇妙な感覚に捉われる空間である。鳥居前の小さな空き地に駐車し、一の鳥居の奥を覗く。高い樹木が鬱蒼と茂る境内に足を踏み入れると空は真っ青なのに参道はほの暗く、思った通り人っ子一人いない。


2010_083110年8月対馬0084
一の鳥居から参道をのぞく

高御魂神社・多久頭魂神社の案内板

 

代わりに我々を迎えてくれたのは薮蚊の大群であった。夏場の参拝には虫よけスプレーおよび帽子、長袖シャツを装備、装着されることをお勧めする。薮蚊がそれほどに人に飢えているのは、当社を訪れる人がきわめて少ないということなのだろうか。それとも天道法師の遥拝所とされる当社に入る禊ぎの一つでもあるのだろうか。


参道左手の手すりの階段の上に鐘楼

梵鐘案内板

神仏習合の名残の鐘楼
康永3年(1344)改鋳の国指定重要文化財

鬱蒼とした樹木の中に続く参道

神仏習合の名残だろう、山門前に狛犬、正面奥に社殿

 

冗談はともあれ、「新撰姓氏録」に「多久頭魂神」は「神皇産霊尊(カミムスビノミコト)」の子とある。神皇産霊尊は神代三代の造化の神、国常立尊(クニノトコタチノミコト)・国狭槌尊(クニサツチノミコト=天御中主尊(アマノミナカヌシノミコト))に続く三代目の高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)と同一と見られる神である。



対馬に関わる神々の系譜

高皇産霊尊に始まる対馬に関わる神々の系譜

 

天照大神の長子である天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)と高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫(タクハタチヂヒメ)の間に生まれたのが、神武天皇の曽祖父たる瓊々杵尊(ニニギノミコト)である。ここにおいて天孫(高皇産霊尊からの血統)と皇孫(天照大神からの血統)が同一の血統へと収斂することになる。


境内社・高御魂神社

 

当社境内に多久頭魂神の父たる高皇産霊尊を祀る「高御魂(タカミムスビ)神社」があるのも、この地が天孫降臨族と深い関わりを持つ場所であることを示し、さらに赤米神事が当社の重要な神事として古来伝わっているのも、この豆酘の地が、天孫族が持ち込んだ稲作に特別の意味を持つ場所であったことを容易に推測させる。


多久頭魂神社・社殿
社殿前の橘
対馬亀卜の神官・橘氏との関係もあるのだろうか、橘の案内板

【多久頭魂(タクヅタマ)神社概要】

社殿内

社殿内の古い絵馬

色あせているが、絵柄はしっかりとした絵馬である

・    住所:厳原町豆酘

    社号:「神社誌」に「天道」とある。天神社(大小)・多久頭魂神社(大帳・明細帳)

    祭神:天照大御神・天忍穂耳命〔天照大神の子〕・瓊々杵尊〔天照大神の孫/皇孫〕・日子穂々手見命〔山幸彦〕・鵜茅不合葺命〔豊玉姫と彦火火出見命との子/瓊々杵尊の孫/神武天皇の父〕(明細帳による)

    天道信仰の聖地

    由緒

(明細帳)

神武天皇の御代天神地祇を祭らしめて玉ふ所にして、則勸請神武元年なり。又神功皇后三韓に向ひ玉ふ時、諸神を拝し給ふ所にして、承和四年(837年)二月被授従五位下、貞観十二年(870年)三月被授従四位下、延喜式神明帳に載る所の社なり。



幹周り7.09m、樹高30mの樹齢650年ともいわれる楠は当社のご神木
2010_083110年8月対馬0108
太い幹周り、左に見えるのは社殿

 

(大帳・藤仲郷の説)

多久頭魂神社は龍良山上に在る。古の神社は今の世の如く、宮殿を建てず。霊山霊地、亀卜を以って其の地を定む。そして鏡・鈴・劒は根曳きに着け、神魂(ヲガタマ)の木は中央に植える。其の廻り八町を以って神籬磐坂と為す。其の内の諸々の木は立ち仕る。敢えて人は入らず。天神地祇之座(イマ)す地と為す也。当地に在るは皇孫〔多久頭魂神社〕の神也佐古村に在るは天孫〔天神多久頭魂神社〕の神也。之を靱(ユキ)鋤(スキ)の神と謂う。当社は靱宮と号す。神武天皇、諸国に命令を下し、天神地祇を造らしむる也。其の時の神社也。又云う、天道地を神籬磐坂と称ぜしめる也。海道諸国記曰く、「対馬嶋の南北に高山有り、皆、天神名づく。南は子神と称し、北は母神と称す。家々素饌(ソゼン)を以ちて之を祭る。山の草木禽獣、人はあえて犯す者無し、罪人神堂に走り入りたるは、すなわち亦敢えて追捕せず」昔、伝燈法師と曰(モウ)す者、罪有りて此の大山に走り入り、そして隠れる也。その後、俗仏は、天道と伝燈、其の字の音が同じに因り、之を欺く。そして此の神社を為して、伝燈法師の入定の地と為す。次第にこの神社は亡び、知る人も無くなる。延喜式神明帳多久頭魂神社是也。承和四年(837年)二月五日奉従五位下、従五位上、正五位下、正五位上。貞観十二年(870年)三月五日奉従四位下。其の後段々有叙位、正四位下。神山を廻る八町にして、外に垢離川有り、横川と号す。潮湯浜有り、外浜と号す也。



明細帳記載の祭神を見ると、天照大御神天忍穂耳命〔天照大神の子〕・瓊々杵尊〔天照大神の孫/皇孫〕・日子穂々手見命〔山幸彦〕鵜茅不合葺命〔豊玉姫と彦火火出見命との子/瓊々杵尊の孫/神武天皇の父〕と、皇孫の血統が見事にそろい踏みしている。藤仲郷が「当地(多久頭魂神社)に在るは皇孫の神なり」と述べている通りであり、下記に示す天道法師との由縁を祭神から窺うことはできない。また、境内に天道伝説の痕跡を境内で見つけることもできなかった。



多久頭魂神社のすぐ北に位置する龍良山(タテラサン)山中の八町角と呼ばれる場所が天道法師の墓所といわれ、昔から「オソロシ所」と呼ばれ、「不入の聖地(アジール=聖域・治外法権領域)」とされていた。その為、墓所を直接参拝できぬ天道信仰の信者たちが南接する当社を遥拝所とみなし、天道の墓所である磐境を同社の神籬磐境とし崇拝したという。(2009対馬現地調査報告/豆酘龍良山国有林」・本田佳奈より


対馬・高御魂神社
高御魂神社

 

ただ、多久頭魂神の父たる高皇産霊尊を祀る「高御魂神社」という高い格式の延喜式内社を当社が境内社として抱える謎や、稲作の伝来ルートを印す「赤米神事」を習俗として残すなど詳らかならぬ当社の由来は、「対馬が神々のふるさと」である何かを現代の我々に伝えようとしているように思えてならぬ。


境内社・国本神社
境内社・神住居神社
境内社・師殿神社
観音堂
境内社・五王神社
境内社・下宮神社

 

「記紀」にも一切その名を登場させぬ、そして「神社明細書」や「対馬州神社大帳」、「対馬國大小神社帳」にも当社の祭神として名を顕さぬ「多久頭魂神」という神が天孫族たる高皇産霊尊の本貫(本籍)地、天孫族のエルサレムと呼ぶべきこの豆酘に祀られている理由は何なのか謎は深まるばかりである。



また上対馬佐護にある天孫の神を祀ると云う「天神多久頭魂(アメノカミタクヅタマ)神社」との関係も、天童伝説の母子関係で捉えるという後世のフィルターを捨象し、天孫と皇孫つまり高皇産霊神と天照大神を対峙的関係として見るのが妥当と考える。


吐き気がする「菅直人の北朝鮮系政治団体献金」と「口をふさぐメディア」の深い闇

721日の参議院予算委員会で自民党・山谷えり子議員は、菅直人首相の資金管理団体「草志会」が、北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の親族が所属する政治団体「市民の党」(酒井剛代表=元参議院議員・社民連代表 田英夫の娘婿)から派生した政治団体「政権交代をめざす市民の会」(奈良握代表)に、計6250万円の政治献金をしていたことについて、その真意を質し、拉致被害者家族の方々への謝罪を求めた。

 また、都内でパチンコ店を経営する在日韓国人から「草志会」が104万円を受け取っていた問題で、7日の同委員会における自民党・礒崎陽輔議員の質問に対し「314日に返金し、領収書は弁護士が預かっている」 との首相答弁があったが、同議員は領収書の委員会提出を求めた。本件はその後、参議院予算委員会の理事会で協議され、提出の要請につき菅首相に伝達されていた件でも、山谷えり子議員が同委員会での提示を求めた。

 この件について菅首相が見当外れの返答を意図的に繰り返したため委員会は紛糾、与野党の筆頭理事による場内協議を委員長が要請し、休憩に入り、36分後に再開を見た。震災復興の第二次補正予算の素早い成立を目指さねばならぬ予算審議において、首相自らが起こした問題で不誠実な国会答弁に終始することで、無為の時間を浪費している。自身の保身のためには、被災者の方々の一日でも早く生活支援をとの悲痛な叫び声に一切耳を傾けぬ、これが菅直人の正体である。

 このやり取りはNHKで実況中継されていたが、菅首相が領収書の提示をここまで頑なに拒絶し、また、北朝鮮系政治団体に6250万円もの多額の献金を行なっていた件でも被害者家族への謝罪を執拗に拒否し続けた。その姿は異様であり、何がそこまでさせるのかと謎が深まるばかりである。

 拉致実行犯とずぶずぶの関係の団体に民主党は二億円以上寄附しているということに対して、家族会の皆様に申し訳ないと思っていらっしゃいませんか」という山谷議員の質問に対し、何度もその意をはぐらかし謝罪を拒み続ける菅直人は、どこの国の利益を擁護する人物なのか、さすがに気味が悪くなってきた。

 そして、山谷議員が参考人として招聘した拉致被害者家族会事務局長の増元照明氏が発言した。

増元照明氏の「菅総理の資金管理団体から、この市民の会、市民の党への、市民の会の献金問題、本当にこれあっていいものだろうか。これが、私たちがこれまで闘ってきて、そしてようやく北朝鮮金正日総書記に拉致を認めさせる流れをつくったこの流れの中で、再びまた私たちが闘わなければならない闇が生じているのではないかという危惧を私は今現在考えています」という強い憤りの言葉が悲しく私の耳朶を打ったのである。


 信頼どころか裏切り行為ともいえる北朝鮮系政治団体への2億円献金問題は、一国の指導者、さらに政権与党としての資格そのものが問われる重大事件である。一国の安全保障の根幹に関わる事件であるからである。

 そうであるにも拘らず、実はこの山谷えり子議員と菅首相の質疑は、実況中継したNHK7時のニュースでも他局のTVニュースでも一切、報じられていない。それどころか、大手新聞社もなぜかその質疑、献金事件自体を記事に取り上げていない、また大きく報じていない。産経新聞と関西テレビで報道されているのみのようである(一部、朝日新聞社が小さく報じてあった)。

 このこと自体がまた非常に不気味なのである。メディアが本来、厳しくチェックするべき国家の安全保障問題で、なぜ、こうも足並みをそろえて押し黙るのか。気味が悪いし、家族会の増元氏のいう「日本の社会の闇というか、政治の闇」を覗きこんだようで、背筋がうすら寒くなってくる。

なぜ、メディアは北朝鮮系政治団体への献金問題について、口をつぐむのか!

日頃、声高に「真実を知る権利」を謳うメディアに一体、何が口を閉ざさせているのか、その闇は深く、不気味でさえある。

 わたしには拉致問題を金正日総書紀が認めた後にも、菅直人という人物がこの北朝鮮系政治団体と30年来の親交を維持し続けているという一点だけでも、一国の首相としての正当性はないと断じるしかない。また、2億円以上の献金を行なう民主党自体も、この国の国益を著しく損なう危険な政党であると認識せざるを得ない。

 マニフェスト違反とか、内閣不一致だとか、原発事故対応の稚拙さとかいうレベル以前の、政権を任せることの本質的部分において、極めて深刻かつゆゆしき事態が、いま、あぶり出されている。そのことを国民がはっきりと意識し、事実の解明を厳しく要求、監視し続けなければならぬと考える。

 また、なぜ、メディアが口をつぐむのかも大きな謎である。途方もなく大きな力が作用しているのか、メディアにとって何か不都合な陥穽に嵌ってしまったのか、こちらもネット等で声を挙げ続けて行かねばならぬと考えている。

 横田めぐみさんの母、早紀江さんが菅首相の献金問題を知り、「何を信じていいのか分からない。政府を信じていいのか・・・、吐き気がする」と語った意味はあまりに大きく、重い。



なでしこジャパン世界一=「あきらめない」を教えてくれた

サッカーの第6回女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会決勝戦で、なでしこジャパンが世界ランク一位の米国を破り、世界の女子サッカーの頂点に立った。

 

米国の高さとスピードある猛攻を必死に防ぎ、前半を何とか00で折り返したものの、後半24分にモーガンにゴールを決められたときは、やはり世界ランキング一位は半端じゃないと正直、これでゲームセットと思った。

 

それから12分後の試合終了9分前に、ゴール前のこぼれ球を宮間が押し込んで、同点とした。

 

なでしこの全選手がゴールを目指し、あきらめずに前を向く姿勢に感動した。

 

そして延長戦に入って、前半終了1分前に米国のエース、ワンバックがヘッドでゴールした時は、今度こそ「万事休す」、「ここまで」とあきらめ、心が折れた。そして、「でも、これまで、よく頑張ったな」と心の中でつぶやいた。

 

延長後半も一進一退の攻防のなかで、試合終了も間近となった終了3分前の宮間からのコーナーキックを沢がたぶんヒールじゃないだろうか、ゴールに流し込んだ。

 

信じられない光景だった。奇跡だ!!こんなことがあるのだろうかと思った。知らぬうちに涙がほほを伝わり落ちていた。言葉がないというのは、こういう時に使うのだと知らされた瞬間だ。

 

PK戦でのGK海堀はもう神がかりだった。信じられない!信じられない!光景が続いた。サッカーの神様があきらめない「なでしこジャパン」の頭上に降りてきたのだと正直、思った。

 

東日本大震災で落ち込む日本人たちに、「あきらめない」というあとには「栄光」と「希望」が本当にあるのだということを、強い気持ちと行動で見せてくれた「なでしこ」たちに、心から「ありがとう!」そして「おめでとう!」と言いたい。









蝉が鳴かない2011年7月12日

 気象庁が79日、関東甲信越の梅雨明けを発表した。去年より8日、平年より12日早い梅雨明けである。



梅雨明けの夏空

 

 それにも拘わらず、東京ではまだ蝉の声を一切聴いていない、その姿もまったく見ていない。わが家の庭も静かなものである。



静かな庭・・・

 

 昨年の2010年は718日付けブログで「「一挙の梅雨明け」、「少ない台風」、「蝉(セミ)が鳴かない」、やはり異常気象?」と書いており、722日にも「2010年夏、蝉が鳴かない」と蝉が鳴かない異常気象について語っている。


 また2008年には81日付で「異常気象=蝉が鳴かない」と8月に入っても蝉が鳴いていないと記述している。


 ここのところ本当に蝉が鳴かない夏が続いている。



いつもはこのヨシズの上の壁に蝉がいるのに・・・

 

 今年は311日に東日本大震災という未曾有の天災が我が国を襲った。あらためて自然の恐ろしさを知らされ、自然の前では人間がいかに非力な存在であるかを教えられた。
 


そして、この夏、いつ蝉がわが家の庭に姿を現すのか・・・、あの「ジー・ジー・ジー」という暑苦しい夏!!の音色をいつ聴かせてくれるのだろうか・・・。



今日も暑い日でした・・・
静かなもの・・・

 

 自然との共生を疎かにしてきた報いが、この暑さの中で「蝉が鳴かない」という異常な日常をわれわれに強いているのだと・・・、思うしかない・・・



 




 

 


「半夏生(はんげしょう)の寺」、両足院(りょうそくいん)を訪れた

東山区大和大路通四条下る小松町591

 

建仁寺半夏生
「半夏生」の御朱印

今年の半夏生は72日である。

 

「半夏生」は「はんげしょう」と読み下し、俳句の季語でもある。

 

「半夏生」はかつて夏至から数えて11日目の日をいい24節気以外の「雑節」のひとつであるが、現在は太陽の黄経が100度となる日をいう。したがって2011年の夏至が622日であったものの、10日目の72日が今年は「半夏生」ということになる。そして古来、半夏生の日までに田植えを済ませ、以降の田植えは収穫を減らすとされていた。また半夏生の日には天から毒気が降ってくるため、井戸に蓋をしろとか、地に毒気が含まれるため筍や蕨、野菜を食べてはならぬ、種を撒いてもならぬ等々、禁忌があるという。

 

三重県の熊野や志摩地方にはこの日に「ハンゲ」という妖怪が徘徊するとの言い伝えが残されているなど、「半夏生」という言葉にはどこか妖しげで不気味な語感がある。


半夏生の庭園特別公開
両足院の門

 

その「半夏生」を謳う寺院があったので、今回、訪ねて見た。

2011_06142011年6月14日京都0175
唐門前庭を通り、両足院へ
扁額
阿弥陀如来さまが安置されている方丈
方丈前庭

 

臨済宗総本山建仁寺塔頭の「両足院」である。610日から710日までの半夏生の庭園の特別公開である。


書院からの書院前庭
半夏生の葉
半夏生の葉が白くお化粧したようになってゆく

 

私はそこで初めて半夏生という植物を知り、家内は半夏生という俳句の季語があり、72節気のひとつであることを知ったのである。


葉先に向かって白くなる、ねじれて垂れているのが花だがまだ咲いていない

 

両足院の書院前庭の池辺には約600株の半夏生が群生し、わが国でもこれほどの数の半夏生が見られるのはここだけだという。当日は梅雨時とあって小雨が降り出したが、この雨だれに毒気が含まれているのだろうかなどと考えながら、半夏生の生い茂る庭を巡った。


前庭より書院を望む
2011_06142011年6月14日京都0198
左が国宝如庵の写し「水月亭」・右が大村梅軒好み「臨池亭」と、二つの茶室
臨池亭から書院前の池と半夏生、方丈を見る

 

そして、茶室「臨池亭」でお薄をいただきながら、池面に落ちる雨音に耳を傾け、池を縁取るように植わる白く粉をふいたような葉を持つ半夏生を愛でた。


両足院の寺紋の三日月と星をあしらった松寿軒の饅頭

坪庭・閼伽井の庭

 

お茶受けの菓子の豆餡の緑と白い皮がまるで半夏生のようにも見え、細かな雨が降る日のおだやかで心落ち着くひと時であった。

京料理・「粟田(あわた)山荘」で「蛍の夕べ」を愉しむ

美山荘の蛍狩り(2006.7.5)
東京の「ほたる狩り」=うかい鳥山(八王子)6月3日〜7月13日(2010.5.29)
“辰野・ほたる祭り”に行って来た=松尾峡・ほたる童謡公園(2012.7.2)

東山区粟田口三条坊町215


2011_06142011年6月14日京都0562
粟田山荘

 京都ホテルオークラの別邸 「粟田山荘」で「蛍の夕べ」を愉しんだ。

これまでなかなか予約が取れず、今回、運よくそれも蛍まで鑑賞できるとあって、期待に胸ふくらませて山荘を訪ねた。

HPによれば、数寄屋造り総二階の日本家屋は、「昭和12年、西陣の織元細井邦三郎氏が建てた別荘が前身である」と、その由緒が紹介されている。

2011_06142011年6月14日京都0612
「桔梗の間」から庭を見下ろす

 

柾目の檜材を潤沢に使った粟田山荘に一歩、足を踏み入れると、昭和初期の西陣の織元が当時どれほどの財を誇っていたのか、その一端に触れさせてもらったような気分になった。


門内に入って上を見上げると玄関と壮大な数寄屋造りの館が

石畳を踏み込んで玄関へと上ってゆくアプローチや鎌倉時代の石灯籠や鞍馬石などを配した庭園は建坪150坪の建屋と相まって、ひと言で「豪奢」というしかない。

門からすこし石段を上った先に玄関が

二階の14畳の「桔梗の間」が当夜、われわれ夫婦に用意された部屋であった。ここでゆっくりと食事をし、8時半ころに庭に蛍が放たれ、この部屋から幽玄の光のショーを鑑賞する趣向だという。

広さ14畳の桔梗の間
テーブルから部屋の入口の襖を見る

 そこで、まずは「蛍の夕べ」と銘打った特別懐石料理をいただいた。当日の献立は下の通りである。

粟田山荘お献立
当日のお品書

 お皿が運ばれてくるたびにメモするのが大変なため、「お品書はありますか」とお聞きしたところ、「後ほどお作りしてお持ちします」ということで、わざわざ、作成いただいたものである。こうした客の我が儘を快く引き受けてくれたことでも分かるように、粟田山荘のお持て成し精神は、門前での出迎えから門前までの見送りと終始、見事なまでに貫かれていた。

先附・玉蜀黍豆腐
鱧葛叩きのお椀

向附・鯛、鮪、烏賊

凌ぎ・鱧焼き霜

八寸

 京料理懐石は、先々代の料理長が蒐集したという味わいのある器に盛られ、八寸の竹細工による盛り付けなど、舌のみでなく目をも楽しませてくれた当夜の料理には味はもちろん、その演出にも満足した。

双葉葵の陶器・唐辛子と蓮の実紋の磁器
竹細工と笹が涼感を呼ぶ八寸の盛り付け

 また大好きなお酒はせっかくなので、純米大吟醸「粟田山荘」という伏見のお酒にした。

 またここの鮎は琵琶湖産だそうで、奥嵯峨の「平野屋」で食した保津川産ともども、今年は鮎の食べ比べが出来たことも望外の喜びであった。

琵琶湖産の若鮎の塩焼き
炊合せ・丸茄子、茗荷、白味噌餡

 食事も終わった8時半、いよいよ蛍が庭に放たれる。

いよいよ照明が消されてゆく

庭の燈籠の灯も落とされ、各部屋の照明が消されてゆく。この粟田山の麓は一転、漆黒の闇の世界へと変じた。

2011_06142011年6月14日京都0652
漆黒の闇

 すると庭のそこかしこに緑の光が湧き上がり、闇の中を蛍がゆったりと緑色の線画を描いてゆく。


蛍火が見える

緑色の飛行線が・・・

そして、たぶん、槇や楓の枝に羽を休めているのだろう、そのぼ〜っと点じては消える様はどこかクリスマスツリーに点滅するイルミネーションのようにも見えた。静かにゆったりとした時間が流れていった。そして室内に明かりが戻った。


樹木の枝に止まる蛍

 「終わったね」と呟きながら硝子戸を閉めようとしたその時、一匹の蛍が部屋へ迷い込み、家内の肩口に止まった。家内は「わ〜っ!」と、喜びの声をあげた。しばらく旅人の洋服に留まった蛍はくっきりと緑色の飛行線を残し、どこか名残りを惜しむかのように樹々の暗がりのなかへと姿を消した。

2011_06142011年6月14日京都0659
肩に留まる蛍
2011_06142011年6月14日京都0660
闇の中へ飛び去る蛍
暗くなった石畳を踏み、山荘を後にした

 あの蛍は何をわれわれに伝えたかったのか・・・、心を残しながら粟田山荘を後にした。

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