彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

December 2010

2010年大みそか。それぞれの一年、ご苦労様でした!!

2010年大みそかの空


全国的には大雪の空模様というのに、東京の空は日本晴れです。


2010年も今日一日で終わりとなります。


それぞれの人生に、それぞれの人が、さまざまな思いを込めながら、この2010年は幕を閉じようとしています。


新年のお化粧を終えた植木と一年間のお役目を終えた百日紅


一年間、いろんなことがあったにちがいない。でも、それが生きるということ・・・


そしてこの今日という一日を精いっぱい生きれば、また、必ず明日という夜明けが等しく誰にも訪れるのも、生きている証。


ましてや、今日は大みそか。


精いっぱい一日を生きてみよう。


そしたら、新年という真新しい道がそれぞれの人生の前に、「さぁ、歩きなさい!」とまっすぐに伸びている。


青空を目指す新芽


そう、明日、目が覚めたら・・・


たわわに実をつけた万両

一年間、当ブログご愛読、本当にありがとうございました。
来たる新年が皆さまにとって幸多き年であることを心よりお祈り申し上げます。


 


 

京都のロケ地めぐり--- 3 =法観寺(ホウカンジ)・八坂の塔

京都のロケ地めぐり 1 =鴨川の飛び石

京都のロケ地めぐり--- 2 = 巽橋・白川一本橋(行者橋)

京都のロケ地めぐり―――4=南禅寺水路閣

龍馬伝、京都を歩く

八坂の塔は京都東山を代表する五重塔である。その高さは東寺の54.8m、興福寺の50.8mに次ぐ日本で三番目の46mの高さを誇る。東大路通りから緩やかに上る八坂通りに入る。そこからの五重塔をちょっと見上げる構図が映画やテレビドラマでよく、目にするカットである。下の写真で「あぁ、ここね」とうなずく方も多いのではないだろうか。

八坂の塔へ近づくショット

近づいた

ぐっと近づいた 

坂の塔という名を誰しも一度は耳にしたことがあると思うが、法観寺(ほうかんじ)というお寺にある塔だということを知っている人は意外に少ないのではなかろうか。わたしも実はどこのお寺かは知らなかった。法観寺と言われてもピンと来なかったのである。

八坂の塔を仰ぐ

境内の紅葉

塔内の大日如来

心柱を巡り安置された五大力尊のひとつ

塔内

塔内の壁画

当寺の正式名称は「霊應山八坂法観禅寺」という。由緒書に「寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢告により五重の塔を建て、仏舎利三粒を納め法観寺と号したという(五八九年)またこの創建には古くから八坂郷を拠点としていた渡来系豪族狛人・八坂造がかかわるものと推測される(六七八年)」と記されている。

境内より塔内を

二階より心柱を


塔の二階より

洛中を俯瞰 

往時は延喜式7ヶ寺のひとつに数えられるほどの大伽藍を擁する寺であったというが、現在は小さな境内に八坂の塔と太子堂、薬師堂の二つの小さなお堂が配置されているのみである。

薬師堂

太子堂

境内

ただ、八坂の塔の中心礎石は、「創建当初のもので、円形舎利孔、石蓋孔、凹柱座のある三段式で、白鳳の様式を留め、日本での舎利信仰の原点とされている。殊にこの心礎には全国で僅か二例という古い石蓋を今日も存している」と由来書で紹介されており、その歴史的価値は大きい。

心柱の礎石

白鳳様式の中心礎石(円形舎利孔・石蓋孔・凹柱座)
また、境内には八坂稲荷尊天社があり、そこに木曽義仲の首塚がある。少し分かりにくいので丁寧に見る必要。
 

八坂稲荷尊天社

駒札

木曾義仲の首塚(左)と藤原教子の墓(右) 

朝日将軍、木曾義仲の首塚:左奥のお墓です

木曾義仲は近江粟津で討たれたがその首が家臣の手によってこの法観寺の地に葬られたという。その傍らには第58代光孝天皇(在位884887)の外祖母藤原教子の墓もある。光孝天皇の御代に藤原氏(基経・藤原道長の4代前)は初めて関白に就任した。

京都のロケ地めぐり--- 2 = 巽橋・白川一本橋(行者橋)

京都のロケ地めぐり 1 =鴨川の飛び石

京都のロケ地めぐり--- 3 =法観寺(ホウカンジ)・八坂の塔

京都のロケ地めぐり―――4=南禅寺水路閣

龍馬伝、京都を歩く

 知恩院の参道を下って白川にぶつかる手前に古門と呼ばれる瓦葺の門がある。車や人も通るその古門をくぐると古門前橋が白川に架かっている。その古門前橋手前右手に、白川の川底に突き出すように川床のようなテラスが設けられている。


知恩院の古門



BlogPaint

古門の桃瓦

古門前橋のたもとに川床が見える


 ここも名取裕子さんや橋爪さんがベンチに腰かけ、事件の謎解きに推理をめぐらしたりする有名なロケ場所である。


意外とゆったりした川床


 川岸沿いに柳並木が連なり、新緑の季節はさぞ美しい光景となるのであろう。ベンチから白川上流に目を転じると、すぐそこに買い物かごを下げた着物姿の名取裕子さんがよく渡っている「行者橋」、別名「白川の一本橋」が見える。


河岸の柳並木と一本橋


一本橋


 娘は早速に一本橋を往復していたが、わたしは幅がわずかに66センチの手摺もない石橋を渡るのは遠慮した。名取さんはさすが度胸がある女優さんなのだと妙に感心したものだ。


買物帰りに渡る人


テラスから一本橋を


 この「一本橋」は「行者橋」とも呼ばれ、説明板にその謂われが次のように書かれている。


説明板


「比叡山の阿闍梨修行で千日回峰行を終えた行者が粟田口の元三大師に報告した後、京の町に入るときに最初に渡る橋で、行者橋、阿闍梨橋とも言われる。江戸時代には、この橋を粟田祭の剣鉾が差して渡る『曲渡り(曲差し)』が呼び物であった」


 われわれは川床のベンチに坐り記念写真を撮って、次にいよいよ祇園の中心部分に入って行った。


 京の祇園といえば巽橋と舞妓さん。白川に架かる巽橋を訪ねた。そして白川沿いの桜頃はさぞかし美しいであろう白川南通りと古い京の町屋の佇まいを残す新橋通りのぶつかるところに辰己大明神がある。京を舞台とするドラマのちょっとしたシーンでよく使われる神社である。何せここを映せば、みんなが「あぁ、京都の祇園だ」と、説明もなく納得する観光スポットである。


辰己大明神(左が白川南通り・右が新橋通り)

辰己大明神鳥居

辰己大明神の鳥居

辰己神社の祠・京舞井上流の家元井上八千代氏の寄進名も 

新橋通り


 平日ということもあってか、白川通りも新橋通りも人通りは少ない。この一帯は、祇園新橋伝統的建造物群保存地区に指定され、地元の方々の日々の努力によって古い街並みが美しく息づいている。この新橋の辻、白川沿いに、先に紹介した甘味処「ぎおん小森」がある。


巽橋

「小森」より正面に「辰己橋」を 


切り通しより「たつみ橋」を

 いつも人通りの多い場所であるが、当日は幸い観光客も少なかった。そのお陰で落ち着いて祇園のしっとりとした雰囲気を味わうことができ、少し得をした気分になった。

 


京都のロケ地めぐり 1 =鴨川の飛び石

京都のロケ地めぐり--- 2 = 巽橋・白川一本橋(行者橋)
   
 京都のロケ地めぐり--- 3 =法観寺(ホウカンジ)・八坂の塔


京都のロケ地めぐり―――4=南禅寺水路閣

龍馬伝、京都を歩く


京都ほど数々の映画やドラマで舞台とされた街はないだろう。またこれからもいくつもの名シーンに古都の佇まいが使われるであろうことは想像に難くない。


そこで、今回、ロケ地としてテレビドラマの「京都地検の女」や「おみやさん」、「京都迷宮案内」、「科捜研の女」などに頻繁に登場する場所を訪ねることにした。ミーハーと笑うことなかれ。ロケ地となるだけあって、やはりそれだけの値打ちはあるというのが、ちょっとだけではあるがロケ地を廻って見ての正直な感想である。


まず、「おみやさん」の渡瀬恒彦や「京都迷宮案内」の橋爪功がエンディングの場面でよくホップ・ステップしている鴨川の飛び石である。事前にネットで下調べをし、4か所に絞り込んでいた。そこによく目にする飛び石があるはずである。


当初は鴨川の河原を歩きながら北上しようと思っていたが、時間との関係?もあり、ちょっと邪道ではあるがタクシーの運転手さんに主旨をお話し、4か所を廻ってもらうことにした。家内は当初の「飛び石全て歩いて踏破!」との意気込みを知っていただけに、わたしの開戦前早々の白旗には正直、あきれ顔であった。面目ない・・・。


そのお陰と言ってはなんだが、京都の小春日和のひとときを鴨川の飛び石で遊び河原散策を堪能できたことは、家族も望外の喜びのはずである。すばらしい選択と決断であったと称賛されてよいとわたしは考えている。



まず二条大橋の北側、フジタホテル脇にある飛び石が第一の飛び石である。大きな矩形の石にところどころ千鳥形の石が交じり対岸まで続いている。川幅の真ん中あたり下流数メートルのところに、舳先を上流に向けた船形石が四つ置かれている。千鳥に小舟、何とも風流である。ここを渡瀬さんや橋爪さんが飛び伝いにゆく・・・、う〜ん、愉快である。

第一の飛び石

飛び石方向から二条大橋を望む・土の香りが懐かしい

鴨川の水がきれい

矩形と千鳥の飛び石

千鳥の飛び石(下流に4艘の船石)

先斗町の紋章である千鳥の飛び石です

船形石


第二の飛び石は荒神橋から降りた北側にあった。この飛び石は矩形の石のなかに頭をもたげた亀石が置かれている。飛び石の左岸の河原は鴨川公園になっており、名取裕子などが時折、ベンチで昼御飯を食べるシーンで使われたりしている。

鴨川公園・名取裕子がお弁当を食べるシーンで使われる

第二の飛び石

矩形と亀の飛び石

大きな亀石

河岸上り口から荒神橋を


第三の飛び石は加茂大橋の北側、加茂川と高野川が合流し鴨川となってゆく中州を挟んで位置している。ここは下流の第一と第二の飛び石の意匠である千鳥と亀を、西河岸から亀、千鳥、亀(加茂川)・ 中州 ・亀、千鳥、亀(高野川)の順に配置している。中州のすぐ北側には下鴨神社を囲むようにこんもりと糺の森が見える。

左が加茂川、右が高野川、中州の森が下鴨神社を囲む糺の森

第三の飛び石

亀・千鳥・亀・・・とつづく飛び石

旧かなづかいで「加茂大橋」

加茂大橋と第三の飛び石

加茂大橋より


 第四の飛び石は加茂川に入り北山大橋と北大路橋の間、上加茂神社の手前にある。ここは三角と菱形の幾何学模様の飛び石で、しかもこれまでの3つの飛び石と違い、大きさもふた回りほど小さい。これは下流の鴨川の広い川幅と比べて、上流の加茂川の川幅の狭さに合わせて小ぢんまりとしているのである。現在、この飛び石への階段付近は憩いの空間を造る工事がなされており、完成後、河岸の木々が花をつける春の季節にゆっくりとまた訪れてみたいと思った。

河岸工事中の第四の飛び石・渡ることができなかった

下流より・三角と菱形の飛び石

狭い川幅に合わせた小ぶりの飛び石

上流より・春はさぞかし美しかろう

 こうして酔狂にも鴨川の飛び石巡りを終えたが、どの飛び石も遊び心十分で魅力的であった。そして素朴な土道を残しながらもきれいに整備された河岸の散策は快適というより、都会人にとってはこの上なく贅沢なひとときであった。飛び石伝いに対岸へと渡る日常生活に、土地の人々の気持ちの余裕とそこにたゆたう豊かな時の流れを見た。そうした雰囲気がドラマのエンディングに流す映像としてぴったり来るのだろうと納得したところである。

あまりに軽すぎる無責任男の言葉=鳩山前首相引退撤回

  また鳩山由紀夫という男が政治不信を加速化させるあまりにも軽い厭きれた言葉を発した。


 「国益に資する政治を行うために、皆様方のご期待をもらえるなら次の衆院選で行動をともにさせてほしい」

 

苫小牧市において後援会の会合での鳩山前首相の言葉である。もって回った言い方だが、要は「議員を辞めることは止める」ことにしたと言ったのである。

 

同氏はそもそも普天間移設問題の責任をとり首相辞任を表明した6月2日に、「次の衆院選には出馬しない。首相たる者、その影響力をその後、行使し過ぎてはいけない」と議員辞職につき表明していた。


 その言葉が二転三転した普天間問題や日米関係の悪化に対する国民の大きな怒りをいくばくかやわらげる効果となったと言える。国民の責任追及の矛先を、政界引退、政治生命を断つという大きな決断でかわしたとも言えるのである。
 

 ところが昨今の鳩山前首相は、小沢一郎前幹事長の政治倫理審査会への出席問題で、調整役のつもりかそれとも小沢前幹事長の同志としてなのか分からぬが、政治的動きを活発化させていた。

 

そして、「最低でも県外」で沖縄県民にとどまらず日本国民の信頼を完全に失っているはずの人間が、何を血迷ったのか冒頭の今回の発言である。

 

 沖縄問題をここまでこじらせ、日米関係に少なからぬ亀裂を生じさせ、政治不信、外交弱体化を招来した責任を、この男はまったく感じていないのではないのか。最低でも県外とあれだけ熱く語っていたのに、首相を降りてからは一切沖縄に足を踏み入れてないのではないだろうか。政治家としての信念、発した言葉を実現させるため地道な努力を行うことが、この男には本質的に欠如しているとしか言えぬのである。

 言葉を選ばずに評すれば、「性格欠陥者」あるいは「性格異常者」とも形容できる人間だと表現すべきなのかも知れない。

 

 沖縄県民の心を弄ぶだけ弄び、国会で普天間問題紛糾を問い詰められた際に苦し紛れに腹案があると答弁した男が、一転、辺野古に移転と決めた。その変節のプロセスは一切公に説明されていないし、首相を辞めたことで十分責任は果たしたと考えているのだろう。

 

 これだけ沖縄の基地問題に深い傷跡を残し、政権交代に対する国民の期待を裏切ってきたにも拘わらず、議員辞職を表明した後、衆議院任期の残された期間において普天間基地移転について汗をかいた気配はないし、普天間問題を語った形跡はない。

 どこかの大学で講演に勤しんだり、他人事のように菅政権の外交能力に懸念を示したりと、沖縄県民の痛みにこれっぽちも胸を痛めぬその言動を見るにつけ、この鳩山という男は政治家という前にひとりの人間としてあまりに不誠実で卑怯この上ない人物であると言うしかないのである。

 

 そんな男が「国益に資する政治を行う」といって、一旦政界引退という重い決断をしたはずが、簡単に前言を翻し政治家を続けるという。下品な言葉で恐縮だが、どの面下げて「国益」なんて言葉が吐けるというのか。この男のことを考えると胸糞が悪くなって、こっちまでが下品で卑劣な人間になってしまうようで、たまらない。

 

 国益に資すると云うのであれば、まずは母親から長年贈与を受け、巨額の脱税を続けていたことを国民の前で白状し脱税の罪に服し刑務所に服役するのが、このあまりにも軽薄で卑怯な男がこの国にのためにできる唯一の事なのだと知るべきである。

 

 「国益に資する政治」などとこの男だけには言ってもらいたくない。

 国益に資すると言うのであれば、国民の前からさっさと姿を消し、今後、一切公の場に顔を出さないで欲しい。それが、この男が国益のためにできるたったひとつのことである。

龍馬伝、京都を歩く

龍馬伝、長崎を歩く


京都のロケ地めぐり 1 =鴨川の飛び石

京都のロケ地めぐり--- 2 = 巽橋・白川一本橋(行者橋)

京都のロケ地めぐり--- 3 =法観寺(ホウカンジ)・八坂の塔

京都のロケ地めぐり―――4=南禅寺水路閣


  つい先日、福山雅治扮する坂本龍馬が京都河原町の近江屋で暗殺され、NHK「龍馬伝」は最終回を迎えた。


昨今の不甲斐ないわが国の政治情勢を見るにつけ、この維新の時代を駆け抜けた龍馬をはじめとする青春群像は、あまりにまぶしくわたしの目に映った。そうした想いもあってこの八月に長崎を訪れた折に、龍馬ゆかりの亀山社中や長崎奉行所などを訪ね歩いた。


長崎・亀山社中前の龍馬ブーツ像


そして最終回を迎え、龍馬が勇躍闊歩し最後に凶刃に倒れた京都を訪れ、ゆかりの地を歩いた。


同郷の土佐人で神戸海軍操練所からの龍馬の友でもある望月亀弥太が遭遇した池田屋事件の跡地を訪れた。三条小橋の旅館池田屋の跡地には、かつてのパチン店が閉鎖となり、今では居酒屋チェーンの海鮮茶屋「池田屋はなの舞」が後を襲い、池田屋の名をこの地に復活さていた。その店内には、幕末ドラマで誰しも一度は目にしたことのある「池田屋階段落ち」の8メートルの階段もご丁寧に設けられているという。


池田屋の跡・居酒屋「池田屋 はなの舞」


池田屋騒動の石碑と説明書き


池田屋正面


その池田屋のすぐ近く百数十メートルほど東に、東海道五十三次の西の起点となる三条大橋がある。


東海道五十三次の起点・弥次さん、喜多さんの銅像


欄干の二つ目の擬宝珠に池田屋事件の際に付けられたといわれる刀傷が残っている。その刀傷は大きく切れ込み、当時の時代の騒擾を今に伝えるようである。


擬宝珠に池田屋騒動の際の刀傷が


次いで、海援隊の京都における活動拠点である「酢屋」を訪ねた。「酢屋」は享保6年(1721)に屋号「酢屋」として創業した材木商である。当主が土佐藩出入りの商人であったことから、その二階を海援隊に提供し使用させた。「酢屋」はその後「千本銘木商会」と社名を変えながら現在も10代目当主の中川敦子千本銘木商会社長のもとで同じ材木を商う事業を営んでいる。


酢屋外観


坂本龍馬寓居の跡・石碑


 当日は生憎開館前(ギャラリー開館:11:0017:00)に訪ねたため内部を拝観できなかったが、二階部分を「龍馬の部屋」として当時の姿に再現しているという。「酢屋」は今回廻った龍馬ゆかりの地のなかで唯一幕末維新を偲ぶことのできる建造物であった。現在は隣地が駐車場となっているため、横から建物を眺めることができる。京都特有の間口が狭く奥行きの深い敷地の上に細長く「酢屋」が建っていることがよく分かる。


京都特有の間口が狭く、奥行きの深い構造


最後に龍馬終焉の地である醤油屋「近江屋」の跡地(
中京区河原町通四条上ル)を訪ねた。人通りの多い場所であり、歴史を偲ぶものはと言えば、ただ「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地」の石碑が立つのみである。跡地には当世を象徴するコンビニが建っている。自分の終焉の地のこの変わりように、龍馬もおそらく草場の陰で苦笑いしていることだろう。写真を撮るのも忙(セワ)しない、そんな当世絵図であった。



いまも龍馬暗殺の地に花が手向けられている


近江屋跡に建つコンビニ


前を走る河原町通り


 また龍馬が足繁く通ったであろう長州藩邸の跡地が、宿泊先の「京都ホテルオークラ」が建つ場所であったことに、今回の旅の不思議な縁を感じたものである。ホテル前に龍馬の盟友桂小五郎の銅像が建っていることも今回初めて知った。

長州藩邸跡に建つ京都ホテルオークラ



桂小五郎の銅像


割烹やました・2010年の味=京都グルメ

割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)
葵祭りの日、割烹「やました」へ(前編)(2008.5.21)
割烹やました(後編)――「Bar K6」(2008.5.30)
割烹「やました」天下の珍味を堪能!!(上)(2009.2.18)
割烹「やました」天下の珍味を堪能!(下)――京都グルメ(2009.2.21)
秋の京割烹「やました」、行って参りました=京都グルメ(2009.11.23)
2012年春の“割烹やました”=京都グルメ(2012.3.13)
千変万化、山下茂氏の手練の技、“2012年秋の割烹やました” に感服!!(2012.10.23)

中京区木屋町通り二条下ル上樵木町491-3(押小路橋突き当り)

075-256-4506

 

今年も残り一カ月を切った。早いものでもう師走である。

 

今年一年間、わたしの周囲の人間が何人も「やました」にお世話になった。

 

やました

 

 みんな「おいしかった」、「旅先であの雰囲気を楽しめるのは最高」、「皆さんがよろしくと言ってましたよ」などと、この一年言われ続けの「お預け!」の日々でありました。

 

元気で明るい板場 

 そこで、こちらもホテルのディスカウント案内に背中を押されるようにして、年も押し迫った師走に一年二ヶ月ぶりの「やました」往訪となった次第。まぁ、寅年初めての見参なるも、一年間のご挨拶をかねて、「良いお年をお迎えください」との年末挨拶も序でにかねて、さらに忘れちゃいけないのが娘が今回、「やました」デビューということで、てんこ盛りの上におまけのアイスを載っけたようなチョコパフェ状態での「やました」行きであった。


てなことでその日、一年の無沙汰を詫びながらカウンター奥の席に腰を下ろした。
この夜はひと言で言えば、「松葉ガニ」と「日本酒」の夜でありました。当夜はまず、いつものように「おこぜ」の薄造りをいただいた。美味である。

おこぜ薄造り

 次いでめずらしく「ふぐ」の薄造りに挑戦した。巷の「ふぐ刺」をいつも酒精の飛んだ日本酒のようだと毛嫌いしていた自分が嘘のようだ。

 

 「やました」の「ふぐ」は違ったのだ。淡泊だが味にしっかりとした芯があると云ったらよいのだろうか、しっとりとした舌触りのなかに上品なコクがあるとでも表現すべきか、何せこれまで口に入れた「ふぐ」とは明らかに違った。

 

ふぐ薄造り

 「やました」の「ふぐ」は大きめであり味がしっかりとしているのだと、松岡君が説明してくれた。もう少し詳しい説明をいただいたのだが、実は、次の「松葉ガニ」の刺身と焼き蟹に格闘しながらであったので、申し訳ないことに心ここにあらずで大意のみをお伝えする。言えることは、「やました」の「ふぐ」は食して見る価値あり!ということです。


当夜のお奨めで出てきたのが、写真の「松葉ガニ」である。

お奨めの松葉ガニ

頼んでビックリ、食べてビックリの「松葉ガニ」三昧でした。まぁ、こんな贅沢も一回ぐらいいいよねと家内と二人で一匹(生きた蟹は匹、死んで食用に供される場合は杯というのだそうだ)を黙々と平らげたのでありました。お酒などを入れちょっとした味付けをした蟹ミソもまろやかな風味でこれも絶品でした。

松葉ガニの刺身


焼きガニ

蟹みそ

 娘の方はというと・・・、蟹アレルギーのためこの食べ比べには参戦せず一人、グジの焼き物に箸を立てておりましたなぁ。

 

グジの焼き物

やました風汲み上げ湯葉

かぶら煮

湯葉まんじゅう

蓮根煎餅なる絶品

野菜の雑炊、結構、私の知らぬところで頼んでいましたな・・・

 そしてこの夜のお酒は京都伏見の「鳳麟」という純米大吟醸であった。2006年に国際品評会の「モンドセレクション」で最高金賞を受賞したのだそうで、そう思うと一段と口当たりがよく感じられ、見えない杜氏に「Good Job!」とつい声を掛けたくなるような芳醇な味ではありました。



さらに、当夜は「松葉ガニ」の甲羅で甲羅酒を三杯もいただいてしまいました。おいしかった・で・す!

甲羅酒
透明度を増す二杯目
甲羅酒の三杯目
清水のごとき三杯目 

これが、甲羅酒一杯目の色です

また、来年ね!! 

こうして松葉ガニと日本酒の宴も終わり、三人は仲良くホテルへ帰っていったんだとさ。
2010年の「やました」のお話は以上でオ・シ・マ・イ・・・。 

 

京 祇園新橋・甘味どころ「ぎおん小森」


京都市東山区祇園新橋元吉町61

075−561−0504

 

あまりにも有名な祇園の「たつみ橋」の交差点に、甘味どころ「ぎおん小森」はある。

 


小森玄関から巽橋を見る 

 



 
元はお茶屋さんだった「小森」


白川に面する小森、紅葉がきれい

 

一見するとお茶屋風で(元お茶屋だそうで、当り前か・・・)、ちょっと入りづらいが、そっと引き戸を開け玄関に歩を進めると、ほの暗い廊下を行燈が照らす和の空間が目に飛び込んでくる。抹〜茶〜!!の世界に一挙にお客を引き摺りこむ、かなりのスゴ技である。

 


 
行燈が素敵です

 

靴をしとやかに脱ぎ、廊下伝いに白川沿いの部屋へ案内される。御簾越しに紅葉と清流白川が見える。

 


 
御簾越しの紅葉

 

風雅である! 

 




ギ・オ・ン〜な室内!

 

季節外れということなのか、広い座敷にわれわれ家族三人だけ。最高のシチュエーションで、それだけでもう十分であるが、やはり、甘味どころである。

 

 


広い座敷

 

わたしと家内はお抹茶と和菓子を注文、娘は「お勧めは何?」と、来た。若い店員さんが「パフェがよく出ます」と応じると、「それでは、抹茶ババロア・パフェ」とオーダー。お抹茶は嫌いなはずの娘も、若い男性のお勧めだとあっさり頼むのかと、少々寂しげな父の姿ではあった・・・。

 



 

抹茶とわらび餅 

抹茶ババロア・パフェ

 

帰りに玄関脇にちょっとしたショーケースがあった。当然、ここは「買い!」でしょうと、「本わらびもち」と「抹茶バウムクーヘン」を求めて、ホクホク顔で新幹線に乗り込んだ。

 

そして家に到着して、「わらびもち」は急がなくてはねと、ペロリとお腹の中に入ってしまったので、写真など撮る暇がないため、ここは「う〜ん、おいしかった!」のひと言を添えるだけ。バウムクーヘンは余裕を持ってパチリしました。

 


しっとりとして上品なお味でありました

 

 

写真ではありますが、どうぞ、たんとご試食あれ!

葵祭の申餅(さるもち)=宝泉堂

京都市左京区下鴨膳部町21

075-781-1051


下鴨神社の境内で今年140年ぶりに復元されたという「申餅(サルモチ)」を求めた。「はねず色」した可愛らしいお餅である。



「“はねず色”とは、明け方の一瞬、空面が薄あかね色に染まる様子で、命の生まれる瞬間を表すとされています。食べることで身体を清め、元気の気(け)をいただき、無事息災に過ごせるようにとお祈りした故事にならい、下鴨神社の申餅を140年ぶりに復元いたしました」と、宝泉堂の申餅の紹介状に記されている。



 

古来、葵祭の申の日には小豆の茹で汁で搗いたお餅を神前に供し無事息災を祈ったという。都人はこのほんのりと“はねず色”に輝くお餅を「葵祭りの申餅」と呼び親しんでいたのだそうだ。



 

実際に江戸時代の文献「出来斎京土産」に、下鴨神社の境内で「さるや」と看板をかかげた店が申餅を売る様子が描かれている。ところが、その慣わしも明治政府による因習排斥・文明開化の動きのなかで廃絶を余儀なくされたという。


今回ご紹介する「申餅(さるもち)」は、その故事に因んで代々の宮司に継承されてきた口伝に基づいて復元された和菓子である。葵祭の味をぜひ復活させたいと下鴨神社の新木直人宮司が神社近くの和菓子職人の古田泰久宝泉堂社長に依頼、140年ぶりに復元された。今年の葵祭から下鴨神社と宝泉堂で販売が開始されたばかりのなかなかに古式ゆかしい和菓子であった。


「加茂みたらし茶屋」のみたらし団子と併せて、無病息災を願う世の人たちにぜひお勧めの一品である。


 

 


 

 

下鴨神社のみたらし団子=「加茂みたらし茶屋」

京都市左京区下鴨宮崎町17(市バス下鴨神社前徒歩3分・下鴨本通り沿い)

水曜日定休日なのでご注意あれ!

075−781−1460

 


 糺の森

下鴨神社・糺の森

 

 いまが盛りの紅葉

 

「最後の忠臣蔵」で役所広司扮する瀬尾孫左衛門が紅葉の中を歩いた場所

 

 

 

 

 

 126日、京の名残の紅葉を下鴨神社で堪能した。「糺(タダス)の森」のなかを紅葉狩りした。日頃、とくに歩くことに無精なわたしであるが、ついつい美しい紅葉に目を奪われ、「お〜っ!」、「わ〜っ!」と声を挙げているうちに、ずいぶんと歩数が嵩み、気がついたら、足が痛い!何か気つけ薬が・・・

 

みたらし池
 
みたらし池

 

 

 境内にある末社・御手洗社に手を合わせ、御手洗池を眺めたからにはと云うことで、こじつけの様ではあるが「加茂みたらし茶屋」へ向かい、暫しの休息をとることとした。御手洗社に加茂みたらし茶屋の提灯がしっかり奉納されているのだから・・・

 

御手洗社
 
みたらし池を護る御手洗(ミタラシ)社

 

毎年土用の丑の日前後に行われる「御手洗祭り」が、神池である御手洗池に足をつけ罪や穢れを祓い、無病息災を願うお祭りなのだから、紅葉狩りで足を痛めたのなら治癒を願って所縁の「みたらし団子」を食すのがよいという理屈である。

 

え〜っと、そんな屁理屈は、実はタクシーの運転手さんが疲労困憊のわたしに救いの手を差伸べ教えてくれたのです・・・が。

 

そして、わたしの好物である「みたらし団子」発祥の地が、何とこの「加茂みたらし茶屋」であると説明を聞き、ビックリ!

 

 店入り口

加茂みたらし茶屋

 

こじんまりした店構えであるが、鬼子母善神の祠を祀った前庭には緋毛氈の縁台に野点傘という風情ある光景も乙である。



 
前庭には緋毛氈に野点傘


店の前庭に鬼子母善神
 
鬼子母善神を祀る祠も

 

当日はちょっと肌寒さもあったので店内に席を求めたが、外で野点の雰囲気を楽しむのも一興である。

 店内

奥にもお席があります

 

本家のみたらし団子は、ビー玉を気もちひと回り小さくした愛らしい団子が五つ串刺しになったもので、突端のひとつだけが離れている、変わった様子のものであった。あとで説明を訊くと、団子は人体を模しており、頭が1つと四肢を表わす4つなのだそうです。そう聞くと、ガブッと団子をっていうのも見ようによってはグロではありますが・・・。

 


 
本家・みたらし団子

 

メニュー
 
メニューの一部です。まだまだ、たくさん甘いものありました

 

何はともあれ、タレは甘過ぎず辛過ぎず、団子もお焦げの香ばしい匂いがして、本家「みたらし」は流石とまさに舌を巻かせるものでありました。

 

さらに僅かの生姜がきりっと味を〆めた甘酒も本物のテーストで、お試しの価値は十分あると思います。

本物の味、甘酒
 
甘酒も本物でした

 

下鴨神社へお参りの節は、ぜひ、この「みたらし本家」の「加茂みたらし茶屋」へ足を運ばれてはいかが。

 

 

 

京都のそば処 おがわ(石臼挽き手打ちそば)

京都の蕎麦処「おがわ」=雅な京の爽やかさ!(2009.2.10)

京都市北区紫竹下芝本町25

075−495−8281

 

 しばらくぶりの「おがわ」である。

 

賀茂川葵橋から北を
 
葵橋からお奨めの風景を

 

 賀茂川にかかる葵橋からの絶景を堪能してからちょっとお昼には早めであったが、お目当ての「おがわ」へ直行した。

 


 
おがわ

 

 今回は、「おがわの蕎麦はおいしいよ」とこれまでさんざん聞かされてきた家内と娘を連れての訪問である。

 

ガラス戸を開けると、いつものように「いらっしゃいませ」との奥様の夕子さんの明るく元気な声が聞こえてきた。清潔感あふれる可愛らしい店内もいつもどおりである。椅子に腰を下ろしながら、「おがわ」の蕎麦の透明感、シャッキリ感は、こうしたお店の雰囲気からも生まれているのかも知れないと思った。

 

 

清楚な店内



 
かわいいお品書き

 

そしてわたしはまたも大好きな辛み大根の「おろし」蕎麦を注文。

 


 
準備万端

 


 
お蕎麦が来た〜!!

 

家内が「鴨なんばん」、娘が「鴨せいろ」である。

 


 
鴨なんばん



 
鴨せいろ

 

わたしは合鴨ロースの塩焼きを頼み、少し「〆張鶴」の昼酒と洒落こもうと探りを入れたが、女性陣からの「昨晩、お酒がすすみ過ぎたよね」との軽いジャブで、目論見は遭えなく玉砕。鴨の塩焼きをツマに「おろし」をいただきました。 ト・ホ、ホ、ホ、ホ・・・

。゜゜(´□`。)°゜
 これ、「おろし」の辛味による「涙」ではありません!

 


 
ジューシーな鴨の塩焼きです

 

 

家族に「おがわ」を紹介できて当初の目的を果たし、そして、このブログの掲載目的のご主人の幸伸(ユキノブ)氏の写真を一枚、カメラに収めさしていただき、喉越しスッキリの新蕎麦を堪能し、至極、満足の彦左衛門、京の一日でありました。

 

おがわの後主人小川幸伸さん
 
優しい目をされたご主人の小川幸伸さんです

 

シャイな幸伸さん、お写真ありがとうございました。素敵な写真が撮れたと自讃しておりますが、いかがでしょうか。

 

 


京都、2010年、紅葉も見納め

12月初旬、京都を訪れた。紅葉はすでに盛りを過ぎ・・・と思いながら洛中を巡ると、いやいや、結構、のんびりした観光客に最後の紅葉を鑑賞させてくれるスポットがあった。


【12
5日時点の太秦・紅葉情報】
●蚕の社[木嶋坐天照御魂神社(コノシマニマスアマテルミタマ・ジンジャ)]は名残の紅葉

 紅葉  蚕の社
蚕の社・鳥居の向こうに紅葉が・・・

境内に残る紅葉
境内にまばらな紅葉
境内にまばらな紅葉
空ら水路に落ちた紅葉
空ら水路に落ちた紅葉 


●広隆寺の紅葉もあとわずか・・・。新霊宝殿前の真紅の紅葉が印象的であった

 広隆寺
広隆寺

境内に散り敷くモミジ葉
紅葉も終わり
講堂の紅葉も終わり

わずかに残る五葉の紅葉

新霊宝殿前の紅のモミジ
旧霊宝殿前の紅葉
旧霊宝殿前の紅葉 
 

 

【126日時点の紅葉情報】

●上賀茂神社の紅葉は名残の紅葉・・・でした

 

上賀茂神社参道の紅葉
紅葉も見おさめ
名残の紅葉 

上賀茂神社の紅葉も終わり 
紅のモミジも僅かに
紅のモミジも僅かに

 
下鴨神社の糺(タダス)の森はまだまだ黄葉・紅葉が盛りで十二分に楽しめた。

  下鴨神社大鳥居
下鴨神社大鳥居

糺の森の紅葉は盛り

紅葉真っ盛り

陽光と紅葉

鮮やかな紅葉

 
法然院の山門を額縁とする紅葉も圧巻であった。

  

法然院山門前の紅葉

頭上の紅葉

苔むす山門

山門を額縁に黄葉 

 
銀閣寺の紅葉も峠をこえて、紅葉の残り香のよう・・・

 

銀閣と紅葉

銀閣に紅葉

向月台に紅葉 

銀沙灘の向こうに名残の黄葉 

 
127日時点の紅葉情報】
●南禅寺の紅葉は終わり・・・

南禅寺三門

法堂前の紅葉も終わり


歩きまわってやはり紅葉も終わりかと思いきや・・・、南禅院に入ると・・・

亀山天皇分骨所後背の紅葉

鮮やかすぎる紅葉

本堂に黄葉 


南禅院の紅葉はまだまだキレイ!


南禅院の紅葉の最盛期には、この庭は数珠つなぎの拝観者の列。今の時期がかえって落ち着いて紅葉を鑑賞できるのだとか。
 何だか得した気分です。


●八坂の塔・法観寺で珍しい九葉紅葉を観ました!(紅葉には三葉、五葉、七葉、九葉とあるが、通常よく目にするイロハ紅葉は五葉が多い)。

 

八坂の塔

九葉の紅葉

九葉の紅葉 


境内の紅葉の鮮やかな紅が素晴らしい!

 

法観寺境内の紅葉

境内の紅葉

見事な紅葉 


2010
年、今年最後の紅葉だより、京都からのレポートでした!!

「議会開設120年記念式典」で議席はく奪の二つの事件


1129日、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、参院本会議場で「議会開設120年記念式典」が催された。その式典で国会議員の資格をはく奪すべき二つの事件が起こった。

一つはその式典を欠席した議員たちである。衆参両院の国会議員721人のうち約半数もの議員が欠席していたという事実である。

もう一つは中井洽(ヒロシ)衆院予算委員長が秋篠宮同妃両殿下に対し、「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」とヤジを飛ばしたとの、みんなの党の桜内文城(フミキ)参院議員のblog証言である。民主党は「『立たせていてはご夫妻に失礼ではないか』と言った」と、そのヤジを否定しているものの、釈明はきわめて不自然である。

この二つの事件は、昨今の国会議員の低レベルな資質をいみじくも暴露したものである。

まず、式典欠席についてである。わが国国会の歴史は明治23年に第一回帝国議会が招集されたことを嚆矢とするが、戦後の昭和22520日、第一回国会が開催され、国民主権の下に新たな歴史をスタートさせた。新憲法の下での国会も既に帝国議会時代の57年間を超え63年もの長きにわたる歴史を刻んでいる。

今回の式典は国会自らがその健全なる発展を願い企画・主催したはずである。国会側が来賓として天皇陛下の御臨席を希っておきながら、当事者たる国会議員の半数は欠席をする。誠に無礼であり、非礼この上もない! 

人間としての非常識さも言語道断ではあるが、それ以上に国権の最高機関たる国会に対する敬意の念の欠如に大きな問題がある。すなわち昨今の国会における低レベルな討論?や品性を欠く質疑応答は目を覆わんばかりである。その背景に、式典欠席に何の痛みも感じぬ、国会に敬意を払わぬ国会軽視の存念があるのだと云わざるを得ないのである。

そして、民主党中井洽衆院予算委員長の「早く座れよ」ヤジである。これはとんでもない不敬であることはもちろんだが、国民の代表たる国会議員として失格であると断じざるを得ない。そもそも同議員は、20103月の福島沖地震発生の折に防災担当大臣の任にありながら、ホステスと映画館、整体院、焼き肉店、カラオケをはしごし、その挙句に議員宿舎に連れ込むなど責任感・倫理観の欠如をさらすなどその品格、資質には大きな疑問が呈せられているところである。

わが国憲政史上の節目でもある式典における以上のような実態を見るにつけ、現在の国会のレベルの低さをこれでもかと思い知らされたようで言葉もない。

 

 「現下の内外の諸情勢に思いを致すとき、国会が、国権の最高機関として、国の繁栄と世界の平和のため果たすべき責務は、いよいよ重きを加えていると思います。ここに、関係者一同が、先人の努力をしのぶとともに、決意を新たにして、国民の信頼と期待にこたえることを切に希望します」と述べられた天皇陛下のお言葉を、中井議員並びに欠席した議員らはどう受け止めるのだろうか。襟を正し、謹聴すべきお言葉と、一国民のわたしですら思うところである。

 

「政治は国民のレベルを映す鏡である」という。次の選挙では中井議員は言うまでもなく、万已むを得ぬ事情なく欠席した議員の議席をはく奪せぬことには、わが国国民の見識が問われると云うものである。




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