彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

July 2010

千葉法相、国会対応で死刑執行3

 かねてからの死刑廃止論者である千葉景子法相が、28日、突然、2名の確定死刑囚の死刑を執行した。

 死刑執行は、そもそも、執行日を予告しないため、「突然」という表現はおかしいのだが、今回の千葉法相が死刑執行に踏み切ったのは、やはり、唐突感と或る種の違和感がある。

 正直、この判断に至った背後には強い政治的臭いを嗅ぎ取らざるを得ない。

 それは、千葉氏の大臣就任から落選するまでの議員としての法相時代の対応から見て、死刑執行はないと考えるのが普通である。意図的に死刑執行を逃れてきた法相としての職務放棄という事実があるからだ。

 法令遵守の責任者たる法務大臣が、これまでは敢えて刑事訴訟法に反する行動を取り続けていた。 刑事訴訟法第475条2項に「前項の命令(死刑の執行は、法務大臣の命令による)は、判定確定の日から六ヵ月以内にこれをしなければならない」とある。

  にも拘らす、合理的説明もなく、これまでの10ヶ月、死刑執行を拒んできた人物が、民間人大臣になって、逆に、死刑執行という重い任務を遂行した。

 どう考えても変である。

 なにせ、千葉法相の任期は大方の予想でも、残り二か月を切っているはず。なのに、この時期に、死刑廃止論者の千葉氏が節を曲げてまで行なったのである。

 そして、一方では、国民からNO!を突き付けられ、落選した民間人を引き続き大臣として留め置いたことに対する批判があり、30日開催の臨時国会で野党から千葉法相に問責決議案が提出される動きもあった。

 そうした客観情勢のなかで今回、2名の死刑が執行された。

 以上の見方から、今回の判断が、国会運営や政局の視点からなされた、千葉法相が民主党に押し切られたと考えるのが自然である。

 死刑囚とはいえ、命の尊厳は同じである。

 政治の都合などで、人命の与奪が左右されることなどあってはならない。 わたしは、死刑廃止論者ではない。実際に千葉法相のこれまでの職務怠慢に大きな憤りを覚えていた方である。死刑廃止論者であるからには、本来、法務大臣就任を断るのが筋であると考えている。

  しかし、そうした考え方を持つわたしから見ても、今回の唐突な死刑執行は、人の命をもてあそび、人間の尊厳を愚弄する行為に見える。

  死刑廃止論者の人権意識、思念とはそんなに軽いものなのかと強く感じた次第である。

7月27日、ようやく蝉発見! でも、うちの蝉だけなぜ鳴かぬ

家内に言われ、庭でようやく蝉を発見した。塀には飴色をした蝉の抜け殻が二つあった。そして、窓の上の壁に二匹の蝉を見つけた。早速、写真を撮った。

 

蝉の抜け殻
外塀に二匹の抜け殻が・・・

飴色の抜け殻
飴色をしている・・・ 
  

 

もう少し近くでと撮ろうと近づいたら、右の一匹が一声の啼き声すら挙げずに、飛び去った。左の一匹は、じっと壁にしがみついたままで、鳴こうとしない。

 

飛び去った蝉
近づいたら逃げ去った蝉

鳴かぬ蝉
じっと黙ったままの鳴かぬ蝉 
  

 

 でも、近所からは蝉の鳴き声が聞こえている。

 

「ジ、ジ、ジ、ジ、ジ」

「ジリジリジリジリ」

 

 まぁ、元気そうではある。こう猛暑が続くなかで鳴かねば、異常過ぎると思ったが、うちの近所にもようやく夏がやって来た。

 

 でも、うちの蝉?はどうして鳴かないのだろう。家内に訊いても、植木の中から今日、一匹、飛び出してきたが、やはり鳴かなかったそうだ。

 

 うちの蝉は栄養状態が悪いのかも知れない・・・。肥沃な土を来年は用意しなけりゃ、なんて、少しホッとしながら考えた。

 

政策コンテストは政権放棄、早く総選挙を!!

 突然のことで、まだ、詳細は分からぬが、民主党政府がまた訳の分からぬことを言い出した。

 

 来年度予算の概算要求の策定が急がれる時期がやってきたが、今回の2011年度予算こそ政権交代後初めての民主党政府による本格的な予算策定である。民主党が掲げたマニフェストに基づき、民主党政府が描く国家像を具体的に国民の前に提示して見せるのが、何あろう、2011年度予算である。

 

それが、各省庁予算を一律1割削減して捻出される「1兆円を相当程度超える」特別枠を「元気な日本復活特別枠」と命名し、その配分を公開で行う「政策コンテスト」で決めようというのである。

 

要は、参院選対策で行なった「子ども手当」や「公立高校無償化」などのバラマキ後の財源の手当てや、依然、厳しい歳入状況に直面し、残るマニフェスト項目の実現が難しい状況となった。そのため、2兆円足らずの金を何とか捻出する。国がメニューを提示するので、どうか国民の皆さん、お好きなものをお選びください、と言っているのである。国民の皆さんのご意見を徴し、あなた好みの予算を作りましょうと、言っているのである。

 

この「政策コンテスト」なるものには、国民との約束であったマニフェスト達成が「不可能と分かってしまう」来年度予算に対する、国民からの厳しい批判をかわそうとする狙い、姑息な思惑が透けて見えるのである。

 

およそ責任ある政権、政府・与党が行なうことではない。ましてや、まともな大人がやること、考えることではない。

 

「こんな予算なんて」と、国民が文句を言っても、予算づくりの過程での「公開と透明性」を盾に、「国民の皆さんと一緒になって作った予算ですから」と、しゃあしゃあと言い逃れをするつもりなのだ。

 

菅首相が就任会見で強く国民に訴えた「強い経済、強い財政、強い社会保障」という具体的な中身・姿を、それこそ国民に見せてくれるのが、来年度予算のはずである。政権与党が語る言葉、国家像を具体的な数字で示すのが予算策定と言う行為であり、それこそが政治の本質である。権力を手にした政権の当たり前の役割である。

 

然るに、「皆さんと一緒に」などと、責任逃れというか、税金の配分を決めるため発生したはずの「議会」の存在そのものも否定するに等しい愚か過ぎる行為である。

 

残念ながら、民主党政府は統治能力を欠いた、幼児性脳の政権であると言わざるをえない。

 

「政策コンテスト」が新しい手法だって? 目くらましの「事業仕分け」が少し国民の喝采を浴びたからって、「人気取り」という同様の幼児的な発想で、政治をもてあそび、国民を愚弄するのはもう止めにして欲しい。「政策コンテスト」は政権放棄に等しい行為なのである。

 

もう、ここに至っては、今度こそ党内議論を尽くした実現可能な国家像を打ち出して、堂々と、総選挙を行ない、もう一度、国民に政権選択を迫るべきである。

渓流料理、東屋(あずまや)=蓼科グルメ 20

 東屋は平成3年に営業を開始したというから、すでに20年ほどこの杜鵑峡(とけんきょう)と呼ばれる名勝の地にある。杜鵑峡は茅野市の「名勝」文化財にも指定されている。

 

東屋全貌
東屋外観 

 

 東屋の横には杜鵑峡の階段状の段差を滝之湯川が流れ落ちてくる。この日は前日の夜の雨の影響か、水量も多く、瀬音が東屋の室内に心地良いマイナス・イオンの律動と旋律を響かせる。

 

横を流れる滝之湯川
岩の段差を下る滝之湯が窓の真下を流れる

滝之湯川
京都貴船の川床より風情はあるかも・・・ 

 

 そして緑の木々に覆われた渓谷一帯には、「ひぐらし蝉」のカナカナという物哀しい啼き声が響き渡っている。

 

夏山の楢(なら)の葉そよぎ吹く風に入日すずしき蜩(ひぐらし)のこゑ

(後鳥羽院「続古今集

 

 そんな素晴らしい自然の中にこの東屋はあった。

 

 20年ほど前、わたしたち家族は、東屋の斜め前にある橋の脇から降りて、まだ小学生であった息子と渓流釣りの物まねみたいなことをしたことがあった。

 

 その時、すでに東屋は現在と同じ佇まいでお店を営んでいた。当時はおそらく釣り客を相手とした宿泊処も兼ねていた(現在、宿泊業は行なっていない)はずである。

 

 一見すると、ご主人には大変失礼であったが、釣り宿兼居酒屋風の店であったため、リゾートの蓼科には似つかわしくないお店として、一顧だにしなかったというのが、正直なところである。

 

 しかし、こちらも年齢を重ね、洒落たばかりの店も疲れたこともあって、ここ数年、家内とこの前を通るたびに、「一度入ってみたいね」と言いながら、とうとうこの日までかかってしまった。

 

 そしてびっくりした。建物は総檜造りで諏訪の宮大工に頼んだというりっぱな和風建築であった。店内は畳席で、テーブルはすべて囲炉裏形式であった。自在鉤と魚の横木が風情を添える。

 

大人数も大丈夫
すべて畳席で囲炉裏形式

囲炉裏を囲んでの食事
川沿いの席は自在鉤のある囲炉裏。ここで食べました。 

 

その囲炉裏に順番に鮎、山女(やまめ)、岩魚の渓流魚料理が運ばれて来る。家族三人でそれぞれをシェアして食べた。おいしかった!!

 

鮎の塩焼き
鮎の塩焼き

岩魚の塩焼き
岩魚の塩焼き

ヤマメの唐揚げ
ちょっと毛色の変わった山女(やまめ)の唐揚 

 

 そして、わたしは、ひそかに狙っていた「岩魚の骨酒」を、とうとう、いただきました。熱燗の辛口の日本酒に塩焼きの岩魚がそのまま横たわって出てきたのには、びっくり。初めての経験で、「熱いので気をつけて」とのご主人の声に、おそるおそる唇をこの大ぶりの皿に近付けた。香ばしい匂いと塩味がほどよく混ざった酒は、まさに甘露であった。最初、二合の日本酒に浸けられてきたが、それを飲み干し、接ぎ酒を一合お願いして、いい気分になって帰宅した。

 

岩魚の骨酒
岩魚の骨酒

岩魚めし(¥1680)
最後に「岩魚めし」、ちょっと、食べ過ぎ・・・
 

 

 東屋は事前にお願いするとホテルや別荘まで送り迎えをしてくれるということで、仲間と遊びにゆくときは、この手を使わない手はないと思った。

 

 また、岩魚の刺身料理(3、4人前から)は事前予約が必要とのことで、今回はありつけなかったが、次は岩魚の刺身で一献といきたいものだ。

蓼科、高原の夏、涼風をおくる=車山高原

 2010年の夏は全国、猛暑、猛暑で、こうして文字を書いていても汗が吹き出し暑くなる。それほどに、連日の暑さは尋常でない。この三日ほど猛暑の東京を脱け出し、蓼科でひと休みした。

 

 今年は先に書いたように、ニッコウキスゲがまったくダメで、その代わりと言ってはなんだが、われわれの目を楽しませてくれた高原の花や高原の夏をいくつかご紹介しよう。

 


カルピスと高原 

 

 目で「涼しさ」を楽しんでいただきたいと言いながら、実は、今年の蓼科は例年になく暑く、車山肩の温度は27度と、高原としてはずいぶんと暑い思いをしたのも事実である。それが、ニッコウキスゲなどの植生に影響を与えているのかもしれない。

 


高原の雲と空


 

 

 まぁ、そうした、ややこしい話はここではしばし置いておいて、さぁ、みなさまに高原の涼風をお送りしよう。

 


シロシモツケソウ


なでしこ


ニッコウキスゲ


蛍袋


シロオダマキ

ハクサンフウロウ
 

 

2010年夏、ニッコウキスゲに異常、開花せず!!3

ニッコウキスゲの満開は?---蓼科車山肩(2008.7.13)
  ニッコウキスゲ 7月20日七分咲き=車山肩(2008.7.24)

 7
23日、霧ヶ峰高原のちょっと手前にある車山肩を訪ねた。毎年のことであるが、ニッコウキスゲの群生を楽しむためである。昔はよく知らないが、最近では、周辺の車山や霧ヶ峰高原よりこの車山肩が、もっともニッコウキスゲの群生が美しいからだ。だから、今年もこの時期にやって来た。

 

しかし、山小屋のある前面の高原に咲くニッコウキスゲは本当にパラパラと、緑の葉叢のなかに漸く見つけ出すといった状態である。

 

ニッコウキスゲ開花せず
ニッコウキスゲ開花せず 

 

時期が早過ぎた・・・、いや、遅過ぎた・・・、一瞬、迷った。だが、どうもいつもと様子が違う。よく緑の草原を見ると、ニッコウキスゲの葉はたくさん生えているのである。花芽がまったく付いていないのだ。これでは何日待ったところで、ニッコウキスゲのあの黄色い花にお目にかかることはできない。

 

2010_072510年7月23日蓼科0132
ニッコウキスゲは葉のみで、花芽がひとつもついていない 

 

草原の道を霧ヶ峰高原の方へ少し足を延ばしてみたが、ニッコウキスゲはほんのチラホラと花を咲かしているのみである。仕方がないので、踵を返し、いつも訪ねる山小屋「ころぼっくる」を訪れた。そして、山小屋の主、手塚宗求さんの息子さんに訊ねた。

 

すると、「山小屋を始めて、こんなにニッコウキスゲの花芽が付いていないのは、初めて」と、戸惑いを見せながら語った。

 

やはり、こんなこと、近年の異常気象の影響と言うしかない。

 

この「ころぼっくる」の山小屋は1956年に造られた。54年の歳月という年輪を重ねた山小屋の主が、こんなことは初めてと言う。自然を友にし、自然と語らって来た人の言葉が、ずしりとわたしの心にのしかかってきた。

 

 僅かに咲くニッコウキスゲの黄色い花
僅かに咲くニッコウキスゲの黄色い花

 

果たして来年、ニッコウキスゲのあの独特の濃い黄色い色の群れは、わたしたちの目を楽しませてくれるのだろうか。まことに心配である。

 

金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚招聘で曝す民主党とメディアの醜態

 20日未明に政府がチャーターした小型ジェット機で来日した金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚の一挙手一投足がテレビ各局をはじめ新聞等で細かく報道されている。本来であれば静かな避暑の日々を楽しんでいるはずの旧軽の別荘の人々も、はた迷惑なことと思っているに違いない。

 

 金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚は、1987年、大韓航空機爆破事件で115人の無辜(ムコ)の人々を殺した人間である。北朝鮮という凶暴な国家の意思の下で行ったミッションであったことはわかるが、「115人の尊い命」を一瞬にして奪ったテロリストであることも、また一方で消し去ることの出来ぬ事実である。

 

 そうした人物を、差し向けたチャーター機でまるで国賓のように迎えた民主党政府。加えて、来日以降のTV局を中心とした時々刻々の密着報道は、まるでどこかの王妃や大スターを追っかけまわしているようで、その薄っぺらなジャーナリズムに辟易とする。

 

 本来、四半世紀前の事実しか知らぬ人物から、しかもこれまでも警察当局などの事情聴取が重ねられている人物から、拉致問題の重大な新事実が出て来るはずがない。拉致被害者家族の方々の、藁にもすがりたいとの悲痛な気持ちはよく分かる。だからこそ、政府は北朝鮮政府との交渉、あるいは一層の経済制裁など新たな動き、地道で継続的な努力がなされなければならぬし、被害者家族の心をいたずらに弄ぶような行動は控えるべきはずのものである。

 

 民主党政権になって、沖縄普天間の問題そしてこの拉致問題など外交課題について、地に足のついた地道で実効的な手が打たれているとは到底思えない。逆に「最低でも県外」と発言した普天間基地移設問題の迷走や金賢姫元死刑囚に対するヘリコプター遊覧ツアーのサービスなど、用意周到で巧緻な外交とはおよそ対極にある、幼稚で法的詰めすらちゃんと行なったのかさえ疑われる始末に、日本国民として心底恥ずかしさを覚え、こうした政府に危うさを感じるのである。

 

 今回の金氏の来日について、英インディペンデント紙は「ジェット機爆破事件の北朝鮮元工作員が日本で歓迎される」と題し、「もっともありえないスパイ物語」だと皮肉ったうえで、「日本国籍の偽造パスポートで大韓航空機爆破を試み、一度死刑を宣告された金元工作員は、東京の羽田空港で逮捕されなければならない。にもかかわらず、彼女の地位は犯罪者どころか、まるで要人扱いだ」と、日本政府の対応に疑問を呈しているという。

 

 一方、お隣の韓国では、朝鮮日報が「金賢姫元死刑囚が訪日、専用機などVIP待遇」と題した記事を21日付で配信している。そのなかで、「日本のテレビ局による中継映像によれば、金元死刑囚が乗った車を中心に10台が高速道路の追い越し車線を走り、女性の警備担当者を乗せた車が走行車線を同じ速度で並走していた。さらに、それをマスコミの取材車両約20台とヘリコプター7機が追った」と、日本メディアのお目出度い狂騒ぶりを報じている。

 

そのうえで、「日本政府は通常、懲役1年以上の刑罰を受けた人の入国を認めていない。金元死刑囚が工作員時代に日本の偽造旅券を行使した犯罪行為の時効も過ぎていない。このため、批判的な世論もある。しかし、日本政府はそうした壁を超え、法相による特別許可という方式で、金元死刑囚の入国を認めた」と、今回の超法規的な措置について、英インディペンデント紙同様、政府の法的措置についてもその妥当性に疑問を投げかけている。

 

日本の報道もそうした見方やオピニオンを発信してないわけではない。しかし、テレビという視覚に訴える「垂れ流し」報道の力は、そうした冷静なメディア報道を圧し去っているのが実態である。

 

昨日のNHKのニュース報道で、「『ヘリコプター遊覧』と、ネットなどで批判されているヘリコプターでの移動も予定通り行われた」と、もって回った表現があったが、NHKも、もっとはっきり、今回の元死刑囚招聘の政府の目的と意義、そしてその成果について、批判の目をもって毅然とした報道をすべきである。

 

拉致被害者家族の気持ちに寄り添い過ぎの報道では、「本当の努力」を怠っている政府の目くらましパフォーマンスの愚かさを追求することはできぬ。さらに、他国も問題視するテロリストの超法規的入国など、もっと問題とすべき点は多数ある。そして貴重な税金を使い、どのような成果を挙げ得たのかなど、政府の見解を厳しく問うべきである。

2010年夏、蝉が鳴かない5

「一挙の梅雨明け」、「少ない台風」、「蝉(セミ)が鳴かない」、やはり異常気象?(2010.7.18)

異常気象=蝉が鳴かない(2008.8.1) 

 
 今日も昨日に続き各地は猛暑日になるのだろう。梅雨明けと同時に、一転、ゲリラ豪雨から35度を超えるまさに灼熱の猛暑の到来である。

・゚・(ノД`;)・゚・

 
 昔は、梅雨明けと同時に、真っ青な空から眩しいばかりの強い夏の陽射しが降り注ぎ、さらに周囲の木立ちからは一斉に蝉時雨が降り注いだものだ。
 
 そうした当たり前の手順で暑い夏の到来を実感し、すんなりと四季の一巡りを迎えた。

 しかし、ここ数年、夏の訪れを知らせる使者たる蝉が鳴かない。ましてや、暑さを倍加させる蝉時雨にもほとんど遭遇していない。

 家内が、昨日、近所でか細い蝉の鳴き声を聞いたというが、何故か、まだ、わたしは、2010年、この夏の蝉の鳴き声を聞かない。

 地球温暖化、異常気象、世界各国で起きている熱波、旱魃、巨大なサイクロン、大洪水、南半休での大豪雪。地球規模で大自然の捨て身の反乱が起きているように思えてならない。

  2010年7月22日現在、いまだ、彦左衞門、ただの一匹の蝉にも遭遇せず!

 以上、人間という手前勝手な生き物が横暴の限りをつくす地球よりの緊急レポートでした。

後水尾上皇をめぐる人物と建築物−3の1 桂離宮(創建者と完成者)

  さて、アップの順序が後先になったが、桂離宮をめぐる人物と後水尾上皇との武家政権にもてあそばれた数奇な関わりについて、述べておこう。

 桂離宮は、八条宮智仁(としひと)親王(1579-1629)とその子智忠(としただ)親王(1620-1662/第1王子)の親子二代にわたって、途中の中断をふくめ約半世紀(1615-1662)をかけ建設が続けられ、完成をみた宮家の別荘である。

 

一方の修学院離宮は、造営開始が桂離宮より30余年遅れたものの、後水尾上皇の手により1655-1663年の短期間で造営、完成を見た離宮である。

 

 桂離宮の創建者である八条宮智仁親王は、第106代・正親町天皇の第5皇子である誠仁(さねひと)親王(1552-1586)の第6皇子である。

 

その兄たちに、第107代・後陽成天皇(誠仁親王第1皇子)、第170世天台座主や曼殊院門跡にもなった良恕(りょうじょ)法親王(出家後に親王宣下を受けた者/同第3皇子)、織田信長の猶子(ゆうし/養子/養父が後見人)となった邦慶(くによし)親王(同第5皇子)がいる。

 

良恕法親王の付弟(後継の弟子)が、八条宮智仁の第二王子で、法親王にとって甥にあたる、曼殊院中興の祖と言われる第29世門跡良尚(りょうしょう)法親王である。

 

 第108代・後水尾天皇(生没1596-1680/在位1611-1629)との関係でいうと、八条宮智仁親王は後水尾天皇の叔父にあたり、智忠親王は従弟にあたる。

 

 後陽成天皇は、豊臣秀吉の意向で後継天皇に第一皇子の良仁(ながひと)親王が定められていたものを、秀吉の死後、自身の意思で実弟の八条宮智仁親王へ皇位を譲ろうと画策した。そのすぐ上の兄、邦慶(くによし)親王も、織田信長の猶子であったため、武家の容喙(ようかい)を嫌悪した後陽成天皇は、皇位継承の対象から外していた。

 

 しかし、徳川の時代が明確になるとともに、周囲の延臣や徳川幕府の反対に会い、家康の推す第3皇子、政仁(まさひと)親王(後水尾天皇)に、不本意ながら皇位をゆずることとなった。

 

 こうした経緯から、武家政権の皇位継承権への容喙を嫌う後陽成天皇と後水尾天皇の実の親子でありながらの不幸な仲違いが始まったのである。

 

 徳川政権が確立してゆくなかでの天皇家と武家との根深い確執が、皇位継承に暗い影を落とし、そこに関わる幾多の人間の人生をもてあそぶこととなった。

 

 徳川政権が確立していなければ、天皇となっていたであろう「八条宮智仁親王」、さらにはその人の嫡男として皇統に名を列ねたであろう「智忠親王」と、徳川家康の後押しで天皇となった「後水尾天皇」という、叔父、甥、そして従兄弟の関係にある、政略にもてあそばれた三人の人物が、現世利益やさまざまな思いを胸に抱き、17世紀の前半に造営を企図、心を引き継ぎ、そこで余生を送った建築物が、桂離宮と修学院離宮なのである。

 

 人工美の極致ともいわれる桂離宮。洛北の大自然を取り込んだ雄大な修学院離宮。その二つの建築物には、それぞれの造営主の「天皇」という皇位をめぐる争いにもてあそばれた人間の宿命が、いやでも反映されているように思えてならぬのである。

 

 次から拝観のコース順に写真を参照しながら説明をしてゆくことにする。

後水尾上皇をめぐる人物と建築物−3の2(桂離宮・松琴亭までの径すじ)

1.  御幸門と表門

桂離宮の正門(御成門)は、離宮の北側にある「表門」であるが、天皇の御幸ほか特別な時以外に使われることはない。一般の拝観者は西側の「黒御門」と呼ばれる門から入苑する。

桂離宮黒御門
参観者入口の黒御門
 

実はわたしは桂離宮を3回拝観しているものの、表門を、いわゆる表から見たことがない。いつも、苑内の「御幸門」から内側を見るのみである。次回は黒御門から「穂垣」に沿い北上し、正真正銘の「表門」を見て来よう。


桂離宮の黒御門から表門へ向けての穂垣
この穂垣沿いに行って右折すれば、表門

右奥に隠れて参観者休所
黒御門を入り、右手奥に隠れて参観者休所

住吉の松
入苑してすぐに「住吉の松」
 

「表門」は門柱が檜の丸太で造られ、両の戸は磨き竹を詰んで頑丈に造られているが、御幸道の両脇に植わる松の古木や紅葉、混ぜ垣の外にのぞく竹林とよく馴染んだ落ち着いた古色を見せている。


御幸門より表門内側を
御幸門より表門(御成門)の内側を見る

桂離宮御幸門
御幸門

御幸門
木皮付き丸太の柱
 

「御幸門」は木皮剥き出しの丸太の柱とケタで支えられている。屋根は茅葺切妻型の簡素な造りとなっている。

 

2.    外腰掛と延段

見学はいったん御幸門、表門内側を拝観し、その後、御幸道の中ほどを左に折れ、紅葉山の名のつく離宮苑内へと入ってゆく。

御幸門から苑内への径
御幸道

そこに、松琴亭茶室へ招ぜられる客の休処、細い皮付き丸太柱で茅葺寄棟を支える「外腰掛」がある。前面と向かって右側面が開放された造りで、左側面には砂雪隠が設けられている。


参観者でいっぱいの外腰掛
参観者でいっぱいの外腰掛

外腰掛前面には、自然石と切り石を組み合わせた「行の延段」が北へ向かって真っすぐに伸びている。手前には、石灯篭、枡形を組み合わせた蹲と勾玉型の自然石が配置され、その三つの造形を目で追った先に、一直線の延段が敷かれている。その企みは見事と言うしかない。ただ、わたしには、やや、技におぼれたしつこさが鼻についた。


外腰掛横のツクバイと灯篭
石灯篭と枡形蹲と自然の勾玉石

外腰掛前の延段
行の延段(自然石と切り石で組まれている)

苔庭の水抜き
そこかしこに水抜きの穴が・・・
 

桂離宮の延段は、ここの「行の延段」に加え、笑意軒の前面の自然石のみで造られた「草の延段」、御車寄せの畳石の「真の延段」の三つ存在する。石畳の石組み一つにも、精神世界を表象する心憎い細工が施されていることには、感嘆せざるを得ない。

 

この「真・行・草」の延段は、修学院離宮の隣雲亭の、あの何気ない「一二三(ひふみ)石」が表わす「天台にいう『一心三観』の法門から、景色の実相をながめる嗜好に見えてくる。一二三石とは空観(くうがん)、仮観(けがん)、中観(ちゅうがん)で、この三つが一つの白いしっくいでつらなり一心のしっくいは、三観という三つのものの真の見方となり、広範な景色は、その実相をあらわしてくる」(曼殊院第39代門跡故山口光円師)、「空・仮・中」の世界と、その深みにおいてかなり異なるように思えるが、いかがであろうか。


修学院離宮隣雲亭の一二三石
修学院離宮の隣雲亭のタタキの「一二三石」 


外腰掛の前方には島津家から寄贈されたという蘇鉄の樹が植わっている。日本の美の極致と称される「桂離宮」の苑内で出会う最初の風景に、蘇鉄はいかにも不似合いと感じる。創建当時は貴重であったが故に蘇鉄が高貴な者の証であったとは言え、いつ見ても、この光景はどうもわたしの心にしっくりなじまない。


島津家寄贈の蘇鉄
蘇鉄の山
 

3.    松琴亭への小径

飛び石伝いに小暗がりを抜けると、小さな石橋と手前横手に「鼓の滝」が涼しげな水音を立てている。

飛び石
松琴亭へつづく飛び石

鼓の滝
鼓の滝

州浜から松琴亭を望む
眼前が開け、松琴亭が見える

州浜と天の橋立
突端に灯篭が立つ州浜と天の橋立に見立てた石橋

そして、前面が開け、突端に灯篭を立てた州浜が広がり、さざ波がたつ池面へと視線がたどる。その先には天の橋立に見立てた石橋がかかり、ちょっと左に目を転じると「松琴亭」が一望できる。松琴亭には池沿いの飛び石の小径を踏みしめながら、ゆっくりと歩を進める。


松琴亭石橋手前の灯篭

松琴亭側から石橋を
松琴亭に架かる石橋(松琴亭側から)

松琴亭から州浜方向を
松琴亭から今まで歩いてきた池畔の径と水景色

秋の松琴亭
秋の松琴亭

石橋手前から松琴亭を
参観者は外から見学
 

松琴亭へ架けられた見事な石橋の手前に、灯篭がさりげなく配されている。飛び石に注意を注ぎ過ぎると、見落としてしまうので、できるだけゆっくりと景色を愉しみながら、歩きたいものである。

 

予算委員会を開催せぬ臨時国会は、国民生活の軽視!

民主党公認、谷亮子の大きな考え違い

 国会法の第1章「国会の召集及び開会式」において、第2条の3項は、「参議院議員の通常選挙が行われたときは、その任期が始まる日から三十日以内に臨時会を召集しなければならない」と規程している。

 

 7月11日の第22回参議院通常選挙で当選した議員の任期は、7月26日から始まる(第20回通常選挙の当選議員の任期は7月25日まで)。

 

 現在、臨時国会につき7月30日召集の方向で与野党間の調整が進んでいる。しかしその会期は数日間で、民主党は参院正副議長の選任などにとどめ、野党が求める4日以上の予算委開催は、両院で衆参1日ずつ、たった2日間の開催にとどめたいという。当初は、そもそも予算委開催を避ける目論みだったというではないか。何をかいわんやである。本格的論戦を展開する臨時国会は9月13日頃、2か月後の開催を予定しているという。

 

 本当にとんでもない話である。この難局に国民生活軽視、国民愚弄もほどほどにしろと言いたい。

 

先の通常国会(会期1月18日-6月16日/150日間)で6月4日に首班指名を受け、4日後の8日に発足した菅直人内閣は、所信表明演説と代表質問だけを受けて、新内閣としての予算委員会を開くことなく、会期延長もせずに国会を閉会、参院選に突入した。

 

そして、菅首相が行なおうとしている、国会法で定められた臨時国会を機械的に開催し、9月30日に任期切れとなる民主党代表の改選を9月5日へ前倒しするという党内権力事情だけでの国政運営に、わたしは憤りを越えて、この国の政治のあり方に絶望するしかない。

 

 いま、この国は、経済、外交、社会保障、治安、環境など、あらゆる分野でかつてない複雑で難しい課題に直面している。国民生活重視、命を大事にする政治というなら、国民生活の安定と夢のある将来を築くために、国会議員の本来の仕事場である国会で、寸暇を惜しんで寝る間も惜しみ、与野党で議論をすべきなのではないのか。

 

 いくら参議院選挙があったからとはいえ、7月、8月の二ヶ月間でたった4、5日の国会開催。(調査費・秘書手当・政党交付金等含む)議員歳費で試算すれば、二か月で一人当たり約2000万円を支払っていることになる。財政難の折、やはり、おかしいと言わざるを得ない。国民のために盆暮れもなく必死に議論し、働いている姿を見れば、こんな下衆なことを言う気はない。

 

 しかし、この国難とも言うべき事態に、もっとも深まった議論ができる予算委員会を、避けに避け回る菅直人という人物に、「誠実さ」の欠片を見出すことは難しい。そして、その姿勢には、「国民生活を重視する」視線の一瞥(いちべつ)すら認められないのである。

風鈴の音

風鈴の音

風鈴の音がリン、リン、リン・・・





2010年の夏、到来!!

クーラーを効かせぬとも、この風鈴の音で、気持はクールに

「一挙の梅雨明け」、「少ない台風」、「蝉(セミ)が鳴かない」、やはり異常気象?

異常気象=蝉が鳴かない(2008.8.1)

2010年夏、蝉が鳴かない(2010.7.22)

 昨日(17日)、気象庁が九州北部、四国、中国、近畿、東海、関東甲信、北陸で「梅雨明けしたとみられる」と、昔の「梅雨明け宣言」にあたるものを発表した。そして、わたしは、過去、これほど広範囲にわたる地域の「梅雨明け」が、一挙に宣言された記憶を不勉強にして持ち合わせていない。


梅雨明け翌日の青空
梅雨明け翌日の東京の空(午前10時半)

 

梅雨明け二日目の東京。今日も空は晴れ渡り、暑い。これからお昼に向けて温度計の目盛りがどんどん上がってゆくのだろう。

 

 さて、今年も残念ながら異常気象の話をしなければならない。

 

 梅雨明けといえば、西から徐々に明けてくるのが、普通だと考えていたが、今年は違った。西から東まで一挙に明けた。こんなこと、記憶がない。


まだ咲くアジサイ
まだ、咲いている「がくアジサイ」の花
 

 そして、ここ数年、目につく表現の「ゲリラ豪雨」も、今年はまた、例年以上に多いように感じる。

 

 さらに、台風の数がどうも少ないと思い、調べてみたら、2010年の718日現在で、まだ、台風発生はたったの2号である。気象庁の統計数字が残っている1951年から見ても、17月までに2号(今年はまだ717日時点だが)というのは、過去にたった1度、1998年(1-7月に1件)にあったのみである。まだ、7月も残り2週間あるので、分かりはしないが・・・。

 その台風の少なさの裏返しか、亜熱帯のスコールを、より激しくしかも長時間にしたような「ゲリラ豪雨」も、今年は例年になく多く、被害もひどいように感じる。

 何だか、変!

 

 まだ、東京に蝉の声は聞こえない。夏休みが近いと言うのに、おっちょこちょいの気の早い蝉にすら、まだ一匹もお目にかかっていない。ここ数日、東京は暑い日が続いている。しかし、じっと耳を澄ましても、まだ蝉の鳴き声は、一切、私の耳には届かない。何だか変!庭には蝉の幼虫が抜け出した穴があるのに・・・。庭の木の枝を調べても幼虫を見つけ出せない・・・。どうしたんだろう・・・


蝉の幼虫が抜け出た穴
蝉の幼虫が抜け出した穴、いま、セミはどこに・・・
 

 何だか、今年の夏も変!

 

 今日一日、じ〜っと、耳を澄ませて見よう・・・

 でも、やはり、なんだかヘンだ!!

「『政治とカネ、普天間』クリアした」、菅首相の暴言を見逃すな!!

 第22回参議院選挙戦終盤の7月10日、菅首相は福井県坂井市内の街頭演説で、「政治とカネとか、普天間のことで少しご心配をおかけしたが、それもクリアして、いよいよ本格的に時計の針を前に進めようという時のこの選挙だ」と、声を張りあげた。 

 6月17日の参院選公約発表記者会見で、菅直人首相が「(自民党の)消費税10%を参考にする」と発言したことから、今回は、あたかも「消費税増税」の賛否が争点であるかのような選挙となった。そうした騒動のなかで、「政治とカネ、普天間」はクリアしたとの、とんでもない菅首相の政治認識が示された。

 

 一部報道機関はその発言を取り上げたものの、発言が投票日の前日であったため、各種メディアは選挙特集番組や投開票報道へとなだれ込み、結果として、この重大な発言は看過されたままとなっている。

 

 まず、「政治とカネ」の問題であるが、鳩山前首相、小沢前幹事長だけでなく、小林千代美前衆議院議員と北海道教職員組合の違法献金事件など、公党としての説明責任を果たしていない。野党時代には、「ナントカ還元水」とか事務所経費問題で騒ぎまくった民主党が、もっと巨額の政治資金の不透明な流れにメスを入れることをしない。

 

 当然のことながら、国民は秘書が逮捕され立件されている鳩山、小沢両議員の政治資金問題がクリアされたなどと思ったこともないし、言ったこともない。

 

 次に「普天間米軍基地の移設」問題だが、この問題の迷走、行き詰まりで、鳩山首相は退任したのではなかったのか。菅首相は就任早々のオバマ大統領との電話会談において、5月末に結んだ「県内移設」の「日米合意」にしっかりと取り組んで行くことを伝えた。多くの沖縄県民が怒りを以って県内移設を反対するなか、県の頭越しに強行された日米合意。

 

 仲井真沖縄県知事が「いまや県民の(県内移設の)合意をとることは極めて難しい」と、不快感を以ってたびたび語っていたにも拘わらず、菅首相になっても、沖縄に事前のひと言もなく、電話会談で「県内移設の日米合意」の踏襲をオバマ大統領に伝えた。

 

 またまた、地元無視、沖縄県民の被差別感情を逆なでするような首相の政治手法と暴言である。

 

 こんな状況で、どこをとって「クリアした」と判断したのか。菅首相の政治課題認識の甘さに愕然とするしかない。その同じ思考回路のなかに、「消費税10%」発言があったことは容易に推察される。

 

 鳩山前首相に続く最高権力者の「言葉の寸毫(すんごう)の軽さ」が、またこの国の国益を大きく損なおうとしている。それをさせないためにも、「政治とカネ」と「普天間」の「クリア」発言について、菅首相にその発言の真意を問いただすべきである。

参院選挙、与党過半数割れ=「一票の格差」是正は待ったなし!

 711日の第22回参議院総選挙は、改選議席数121のうち、民主44、自民51、国民新党0で、民主・国民新党の連立与党が非改選議席の65を合わせても過半数(122)に遠く及ばない109議席と大敗の結果となった。

 

 大敗の要因として、前鳩山政権時の「政治とカネ」、迷走を繰り返した「普天間基地移設問題」、菅総理の選挙期間中の「唐突な消費税発言」と「税金還付のブレ」などが挙げられている。しかし、敗因の主たるものは、政権交代によって期待されたこれまでの自民党政治のあり方の一掃、つまり「清廉な政治」、「税金の無駄遣いの排除」、「誠実な国会運営」など「国民のための政治」が、この10カ月でことごとく裏切られたことが大きい。

 

昨夜、菅首相は記者会見において、消費税に言及したことを敗因の大きなものとして挙げたが、その認識も非常に甘い。ちゃんとした党内議論や積み上げ計算、税制全般にわたる整合性あるビジョン、使い道の詳細説明などがあっての消費税発言であれば、国民はソッポを向くことなどしない。それほど国民は無知でも偏屈でもない。納得できる説明さえあれば、十分、受け入れる心構えはあるのである。

 

 敗因分析はそれくらいにして、ここでは相変わらず改善を見ない「1票の格差」について述べたい。国民の法の下での平等をないがしろにしたままの国会のあり方を厳しく問いたい。

 

 神奈川選挙区(改選定員3)で民主党の現職閣僚(法務大臣)、千葉景子氏が696,739票を獲得したものの、48,404票差で同党の現職議員金子洋一氏(745,143票)に敗れ、落選した。

 

 この神奈川選挙区は、選挙直前の624日に総務省より発表された「選挙人名簿登録者数・在外選挙人名簿登録者数」を元に計算された「1票の格差」がもっとも大きい、つまり全国の選挙区のなかで有権者の1票が最も軽い選挙区であった。

 

 その時の時事通信社の報道によると、「1議席当たりの有権者数を選挙区ごとにみると、最大の神奈川県(2442672人)と最少の鳥取県(487893人)の開きは5.01倍となり、最高裁が格差是正を求めた前回選挙時の最大4.86倍(最大の神奈川県と最少の鳥取県との差)を上回った」とある。

 

 1票の重みが日本一である鳥取選挙区(改選定員1)では、158,445票を獲得した自民党新人の浜田和幸氏が当選を果たした。

 

 千葉法務大臣(落選後も民間人として大臣続投)は、浜田氏の4.4倍の有権者の支持を得たにも関わらず落選した。逆にいえば、神奈川の有権者は鳥取県の「4.4分の1」以上の票の軽さを強いられた。まさに法の下の平等を蔑(ないがし)ろにされたのである。

 

 折しも、昨年の930日、20077月参院選に対する最高裁大法廷判決は、「1票の格差」が最大で4.86倍(鳥取選挙区:神奈川選挙区)であったが、定数配分は合憲と判断したものの、「投票価値の平等の観点から大きな不平等があった」とし、格差縮小のために「選挙制度の仕組み自体の見直しが必要」と、選挙制度そのものの見直しに初めて言及した。一票の格差是正を怠る国会に対し、最高裁は、待ったなしの最後通牒を突きつけている。

 

 ねじれ国会の現出により、また政局は混迷を深めることが予想されるが、民主主義の基本である「一票の格差」是正は、原則中の原則である。党利党略を超え与野党一体となって、それこそ議員定数削減議論と合わせて、抜本的な選挙制度見直しを行なうべきである。これこそ、健全な民主主義を守るうえにおいて、大事な政治の責務であると考える。

最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

月別アーカイブ
記事検索
プロフィール

彦左衛門

  • ライブドアブログ