彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

December 2009

2010年が皆様にとって良い年でありますように!!

 2009年は民主党による政権交代、米国ではオバマ政権の発足などいろいろ、この国の形が変わるような大きな出来事がありました。

 でも、今日は2009年の大晦日です。年の最後の日くらいは、浮世のそうした騒々しさを忘れ、自分の来し方行く末をゆっくりと見つめ直してみたいものです。

 2009年12月31日の空はぬけるように蒼穹です。これまでのさまざまな由なし事をおもいっきり呑み込んでくれるような、すばらしい空です。

大晦日の青空

 そしてこの一枚の写真は家内が12月20日に秩父の巡礼の途上に撮ったものです。カラスウリの朱色が鮮やかで、冬ざれた景色のなかにも心をいやしてくれるものを残してくれている、そんな日本の原風景をもう一度、思い出してくださいと、荒んだ社会に生きる私に問いかけているようで、心に沁みたものです。

秩父の烏瓜


 一年間、ありがとうございました。来る2010年・寅年がみなさまにとり、良き年になりますようお祈り申し上げます。

 

平成21年度も11月で自殺者が30181名に、12年連続で3万人超え―― 2

平成21年中における自殺者32,845人の自殺の概要(2010.5.15)
平成21年度も11月で自殺者が30181名に、12年連続で3万人超え―― 1
  

 

 自殺者数の推移を見ると、戦後、1万人台で推移してきたが、岩戸景気が始まったまさに昭和33年、その年だけ2万人台を突破している。逆に言うと景気のまさにどん底からの反転が見えずに自ら命を絶った人が多かったのかも知れぬ。

 

 そして次に2万人を超えたのが、昭和52年である。その年までに19年の間隔があるが、高度成長期がその間にちょうどはさまっており、昭和52年は、オイルショックから立ち上がり、劇的な経済構造の転換が見えてきた年でもある。

 

 史上最高の自殺者数を記録した平成15年は小泉内閣時代の市場原理主義が徹底されていった時代であり、前年度のジニ係数が0.4983と危険水域の0.5に届くほどの格差が急速につき始めたときである。

 

 そして自殺者数が3万人を超える1年前の平成9年から平成20年までの原因・動機別自殺者数の推移を見ると、政治の無策ぶりによって尊い命が失われていることが、より鮮明となる。

 

 自殺の原因の一番は常に健康問題であった。そして2番目が経済・生活問題である。平成9年の健康問題による自殺者数は13,659人で平成20年には1.1倍の15,153人と10%の上昇である。それに対し、経済・生活問題による自殺者数 は平成9年の3,556人から平成20 7,404人と2.1倍へと急増している。残念ながら、政治の責任であると言わざるを得ない数字である。

 平成
20年の原因が特定される自殺者数23,490人のうち31.5%の人が生活を苦にした自殺なのである。この10年間の自殺者増7,858人のうち49%が経済・生活問題を苦にし自ら命を絶つという痛ましい結果となっているのである。

 

 そして、今年もこの年末に向けた鳩山内閣の経済無策により、自殺者数は最悪年の2003年に迫るのかも知れぬとの予想すら出ている。この国は一体、どうなって行くのか、海図なき航海が始まって、本当に国民は自らの命を自らが必死に守ることに専念するしかない時代に生きているのかも知れない。

 

 WHOから直近の各国別の自殺死亡率(10万人当り自殺者数)が発表されているが、そのなかで日本は不名誉ながら6位(07年:24.4)という高位にある。上位4位まではすべて旧ソビエト連邦に属していた国々である【1位ベラルーシ(自殺率35.1)・2位リトアニア(30.4)・3位ロシア(30.1)・4位カザフスタン(26.9)】。また5位はベルギー(自殺率26.0)である。

 

 OECD加盟国のなかでは日本はハンガリーに次いで2位となっている。

 

 国際比較における日本の現状については次稿に譲る。

平成21年度も11月で自殺者が30181名に、12年連続で3万人超え―― 1

平成21年中における自殺者32,845人の自殺の概要(2010.5.15) 

 最近、電車に乗っていて「人身事故により、ダイヤが乱れております」という車内放送をやけに耳にするなと感じる人が多いのではなかろうか。人身事故もいろいろあるが、そのなかには飛び込み自殺も入っている。
首都圏の鉄道の運休や遅れの本数は2008年度、4600本に達し、その半数以上が自殺に起因すると、国土交通省の調査が明らかにした(列車の運休や30分以上の遅れにつながった輸送障害のデータを原因別に集計。調査対象:東京・神奈川・埼玉・千葉)。そしてそのなかで、自殺によるトラブル件数が前年度に比し08年度は19件増え、307件と、他の要因が減るなかで、唯一増え続けているという。

 

この1225日に警察庁は、全国の平成21年度の11月までの自殺者数が30181人にのぼり、残念ながら12年連続で年間自殺者数が3万人を超えたと発表した。

 
 自殺者数の統計調査による数字公表は、明治
32
年の5,932(自殺死亡率 10.1)から始まり、戦後は旧厚生省により昭和22年から行われている。そして昭和53年からは警察庁による統計も始り、当ブログも昭和53年以降の数字は警察庁の統計数字を引用している。
 

 わが国の自殺者数の推移を簡単に下記に示す。

1948-1987厚労省・1987以降は警察庁発表数字)自殺死亡率:人口10万人当り自殺者数

 

    年       自殺者総数(内男性 : 男性比率) 自殺死亡率(内男性)

 1948年(S23)    12,753(07,331: 57%)                   15.9(18.7)

 1958年(S33)    23,642(13,895: 59%)                   25.7(30.7)

 1968年(S43)    14,601(08,174: 56%)                   14.5(16.5)

 1977年(S52)    20,269(12,999: 61%)                   17.9(22.0)

 1978年(S53)    20,788(12,859: 62%)                   18.0(22.7)

 1987年(S62)    24,460(15,802: 65%)                   20.0(26.3)

 1988年(S63)    23,742(14,934: 63%)                   19.3(24.7)

 1993年(H05)       21,851(14,468: 66%)                   17.5(23.6)

 1998年(H10)       32,863(23,013: 70%)                   26.0(37.2)

 2003年(H15)     34,427(24,963: 73%)                   27.0(40.1)

 2008年(H20)     32,249(22,831: 71%)                   25.3(36.7)

 2009年(H21)     30,181(21,566: 71%)             2009/11までの集計)

 

 上の数字は1948年から10年ごと、1988年からは5年ごとの数字を取り上げ、本年の2009年は11月までの集計暫定数字である。なお、特筆すべき年次についてはその限りにあらず抽出した。【2に続く】

平成21年度も11月で自殺者が30181名に、12年連続で3万人超え―― 2

鳩山・献金問題が贈与税納付で落着?おかしいだろう!!

 鳩山由紀夫首相が資金管理団体の偽装献金事件で、元公設第一秘書の政治資金規正法違反の罪で在宅起訴されたことを受けて、24日夜、国民に向けた記者会見を行った。そのなかで、「国民のみなさまに深くおわび申し上げたい」と謝罪した。「鳩山辞めろという声が圧倒的になった場合、国民の皆さんの声は尊重しなければならない」と、辞任する気はないが、国民が言うのならば辞任も考えると自身の進退問題も語った。

 

そして27日午前、恒例となった官邸前のぶらさがり会見で、母から多額の資金提供を受けていたことを受け、約6億円の贈与税を納税したことを公にした。しかも「修正ではなく申告して(約6億円を)納税した」と胸を張るようにして付け加えた。
 

 何せTVなど大手メディアのこの問題に対する扱い・論調は、あまりに温かく、国民もいまひとつ理解しがたいのである。加えて、庶民にはあまりに金額が大き過ぎて、よく事の重大性がわからぬところに、この問題の難しさがあるように思えてならない。

 

「お金持ちって、そうなんだ〜」

「年に18千万円もらってても知らない」って、言ってみたい・・。

「大富豪って金銭感覚がズレてて常識がないんだ。仕方ないのかもね」

 

「億」なんて単位の金額に縁のない庶民には見当もつかぬ、浮世離れした気分で、つい、妙に納得してしまう。あの気弱そうな鳩山由紀夫総理のきょとんとした眼をする表情を見てしまうと、「私は一切、知りませんでした」「6億円の贈与税を支払います」と、サラリと言われると不思議と怒りが分散してしまうのである。庶民の貴種に対する弱み、憧れを巧妙に使ったメディア対策でも駆使しているのではと、勘繰りたくもなる状況である。

 

 そして、こともあろうに「お金持ちにはお金持ちだからこそのこうした苦労もあるんだよな」なんて、分かったような同情的な気分にさえ、つい、陥ってしまう・・・。危ない!危ない!(`□´)コラッ!

 

 しかし、よくよく、この事件、敢えて事件と呼ぶが、その経緯を踏まえて考えてみると、これはずいぶん庶民を愚弄した悪質な脱税事件ではないかということに気がつく。

 

 月1500万円の財産分与、生前贈与は母の鳩山安子の口座から、子供の長女和子、長男由紀夫、次男邦夫にそれぞれ同額、行われている。月で合計金額4500万円、年にすると54千万円もの、気の遠くなるような多額の資金移動が、親から子へと長年にわたって行われて来たのである。

 

 当初、安子の関係者は、それは貸付金であると釈明していたが、そうであれば、長女和子への資金も同様に貸付金でなければおかしい。果たしてそうなっていたのか?

 

 そして長女が贈与税を払っていたのであれば、由紀夫、邦夫兄弟も、その資金を贈与と認識していなければならぬし、長女が払っていなければ、政治管理団体でもない個人が、それだけの多額な金を定期的に受け取って何も知らなかったというのも極めて不自然な話である。

 

 だから、実は長女がどう対応していたかが、一番気になるところである。だが、大手メディアもそのことを、意図的にか、なぜだか詳らかにしていない。

 そして、鳩山首相は今回、これが贈与であることをようやく明らかにした。しかし、そこは修正ではなく、気がついたので事後的に「申告」したという巧妙な形で決着をつけようとしている。悪質な税逃れではない、非課税特権を有する政治管理団体を悪用した相続税逃れのようなことはしていないと言っているのである。
 

 2010度予算を見ても分かるが、この国の税収は37兆円まで落ち込んでいる。われわれも貧者の一灯で所得税、住民税、そして一時所得があった時は、一時所得税をちゃんと払っている。そうした納税額が落ち込んでいる時代に、サラリーマンはガラス張りで納税する一方で、もし大金持ちが税金逃れを長年にわたって意図的に行っていたとしたら、それは到底、許される話ではない。

 

 この問題は、国のトップにある為政者自身の税金納付義務の意識のあまりの低さなのか、悪質な脱税犯罪なのかという視点でよく見ておくべき必要があるのである。

 

そもそも安子の財布である「六幸商会」は石橋・鳩山家の資産管理会社である。資産管理会社とは富豪一族の相続対策を目的に設立されることが多い。したがって、節税を旨とするのは当然であり、税のプロが顧問として目を光らせているのが普通である。そこに介在する人間は決して税の素人などではないのである。税のプロ中のプロと言ってよい。

 

 そうした人間が絡む今回の献金問題で、月々1500万円もの資金移動が、最低でも7年もの長きにわたって一銭の税金も払わずに行われてきた事実は、大きく受け止められなければいけない。

 

 気がついたので「申告」しますで、すまされる問題では決してないのである。今後、国税庁の積極的かつ厳正な調査に期待したいし、ぜひ、この事件の真相を国民の前に明らかにして欲しい。

松露饅頭(しょうろまんじゅう)=元祖阿わび屋 大原老舗5

847-0047 佐賀県唐津市本町1513-17

TEL:0955-73-3181

 

 
 長崎の叔母から贈られてきたおいしい焼饅頭を紹介しよう。

10個入り箱
10ヶ入りの箱(945円)
 

 松露饅頭(しょうろまんじゅう)はゴルフボールを二回りほど小さくした可愛らしい焼饅頭である。大原老舗は創業嘉永三年(
1850年)と、150年を超す歴史を誇る。屋号の「阿わび屋」は創業者である惣兵衛がそもそも海産物商を営んでいたことからついたということです。惣兵衛さんの奥さんがこの地方の家庭に伝承されていた焼饅頭を作って、売り出したところ評判となり、菓子造りの方が本業となったのだそうです。

 

 焼饅頭はそもそも豊臣秀吉が、朝鮮出兵(文禄の役)後、高麗から陶器と一緒に渡ってきたもろもろの朝鮮文化のなかのひとつで、非常に歴史の古いものです。こうした製法は佐賀、福岡、長崎、大分といった北部九州の家庭に細々と伝わっていたものですが、それを商売にしたのが、惣兵衛さんと奥さんのカツ子さんということです。

 

 松露饅頭(しょうろまんじゅう)の名前の由来ですが、唐津の殿様であった小笠原侯に献上したところが、非常においしいということで、当地の虹ノ松原の黒松の根元に自生するまん丸の松露(キノコの一種)の形に似ていることから、命名されたということです。


御茶請けに合います
御茶請けにちょうどよい味です

松露の形だそうです
松露というキノコの形に似ているのだそうです

上品なこしあん
この上品なこしあんの味がなんとも言えません

 

 

 北海道産の小豆を使ったきめこまやかな良質のこしあんに、小麦粉、砂糖、放し飼いされている地鶏の卵から作ったやわらかなカステラ生地をかけて一つ一つ手焼きで焼きあげたのが(たこ焼きを非常に丁寧に焼いているみたい・・・)、このコロコロとまん丸な松露饅頭です。味は上品で甘みもほどほどで、お薄といただくとちょうどよい御茶請けだと思います。取り寄せもできるそうなので、一度、お試しになってはいかがでしょうか。御奨めで〜す!! 

普天間基地移転先の先送り、党益優先、国益無視の愚昧

 普天間基地の移転先決定の先送りが、15日、民主・国民新・社民の3党間で合意されたという。
「は〜っ?」というのが、正直なところである。移設先を今は決めないことを決めた? 「えぇ〜!」である。

 この連立政権は国民を馬鹿にしているのか? いったい何がやりたいのか。普天間問題は3党の足並みを乱すため、この難しい問題については先送りして、政権維持を最優先ということなのだろう。

 こんな無責任な政権はいらない。鳩山首相が「日米関係を重視する」と口先でいくら言おうが、「Trust me」と胸をたたいた日本の首相に対し、米国は今後、その言葉に信を置くことはないだろう。、「Trust me」の結果が先送りでは、「ふざけるんじゃない!」というのが、誰しも思うところではないだろうか。

馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。

これは米国が言うだけでなく、日本国民も同様に叫びたいのだ。

米国との関係悪化を見越したうえで、対等な日米関係の構築というのであれば、当然のこと、民主党は次の一手を用意しているのでしょうねと、ここで念を押しておきたい。普天間の移転先も決めないというのであれば、米国が「それなら国防は勝手にやれ」と言い出した時の、覚悟はしているのだろうねと、言いたいのである。

 この国が米国の核の傘に守られているという事実は重い。米国を怒らせたうえで対等というのであれば、核の傘から抜け出す覚悟があるということだと、考えるのが国際社会の常識である。

 民主党はその腹をどう決めているのか。鳩山首相は、その腹が固まっているのか。ここまでの首相や同党の言動を見ていて、そんな腹など何も決まっていないと考えるのが普通である。

 そして、社民党も政権与党である。普天間基地の具体的移転先も未検討なまま、ただ反対、県外、海外と叫ぶのも、あまりにも無責任。政権の一角を占める党としての責任感の希薄さに、あいた口は開いたままである。

 国民はこの連立政権の行く末にもう、期待することをやめねばならぬ。とくに民主党の党益、政局のみに意を用いた政治運営に、早過ぎるというかも知れぬが、駄目だしをするしかない。政権与党は将来にわたる国益について重大な責任をもっているのだという、当たり前のことを知らねばならぬ。

恫喝で天皇を政治利用した小沢一郎=独裁者が正体を現わした!

 以下に記すのは14日の天皇特例会見にかかる小沢一郎民主党幹事長の記者会見での発言の抜粋である。

 

「何とかという宮内庁の役人(羽毛田信吾宮内庁長官)が、どうだこうだといったそうだが、日本国憲法民主主義というものを理解していない人間の発言としか思えない。どうしても反対なら、辞表を提出した後にいうべきだ。当たり前でしょ、役人なんだもん」

 

「天皇陛下のお体、体調がすぐれないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか」

 

天皇陛下ご自身に聞いてみたら『手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思うよ」

 

天皇陛下国事行為は内閣の助言と承認で行うことだ。それを政治利用だとかいったら天皇陛下、何もできないじゃない。内閣に助言も承認も求めない天皇陛下が勝手にやんの?」

 

 一方で、以下は、天皇陛下がご結婚満50年に際する記者会見(H.21.4.8)でのご発言である。


日本国憲法にある『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴』であるという規定に心を致しつつ、国民の期待にこたえられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています」

 

「象徴」とはどうあるべきなのかを求道者のように追求してこられた陛下の筆舌に尽くせぬご苦労を思うと、正直、胸が熱くなる。

 

 そのお言葉から窺い知れるご心労を思ったとき、「天皇陛下が勝手にやんの?」という小沢一郎の思い上がりとも取れる無礼なひと言に、「日本国民統合の象徴」に対する尊敬の念の一欠けらも感じられない。逆に権力に驕り高ぶった独裁者の恫喝を聴くようで、とても気分が悪い。そしてこんな為政者を野放しにさせておくのは非常に危険であると強く思った。小沢一郎という人物がとうとうその正体を国民の前に現わしたと言ってよい。恫喝を武器とする独裁者としての素顔を・・・。

習近平副主席、天皇陛下との会見、あからさまな政治利用!

習近平(シー・チンピン)国家副主席の天皇陛下との特例会見のセットについて、その反応の代表的例があるので、紹介する。

 

それは、お隣り、大韓民国で最も購読数の多い新聞である「朝鮮日報」が伝えたものである。同紙は1214日に訪日する習近平副主席が天皇陛下との会見をセットされたことに関し、「鳩山政権、中国には破格の待遇」のタイトルで記事を流した。そのなかで「日米同盟を決裂の一歩寸前にまで追い込みつつある日本の民主党政権が、中国に対しては破格の待遇を用意しつつ接近を図っている」と述べている。

 

 その「破格の待遇」とは、次の経緯を言う。

 

今月7日に平野博文官房長官は電話で、中華人民共和国の習近平副主席来日の際に、天皇陛下への会見をセットするよう羽毛田信吾宮内庁長官に要請した。この時、羽毛田長官は「(天皇との会見は1ヶ月前までに申請する)ルールは政府内で重視されており、尊重されるべきだ」と、これまでのルールを盾にその要請を拒絶した。

 ところが、この10日に再度電話で、平野長官が羽毛田長官に会見セットを要請。平野長官はこの会見が鳩山由紀夫首相の強い意向であるという理由で会見をセットするよう迫り、特例的に認めざるを得なかったという。

 

そこで、羽毛田長官は11日、異例の緊急会見を開き、「(1カ月ルールは)国の大小、政治的重要性で差を付けずに適用してきた。単なるルールではなく、現憲法下の陛下の役割にかかわることだ」と、天皇の政治利用について強い不快感を示した。

 

10日の小沢訪中と合せるように特例扱いで天皇陛下との会見がセットされたとなれば、鳩山首相の強い意向であると釈明するものの、その蔭に小沢幹事長の強引な指示がなかったと思う方が不自然で、無理な話である。

 

小沢の一声でさまざまなことが強引に決められる。民主党政権になってから、しばしば目にし、強く感じることである。そして、今回のことで、小沢一郎衆議院議員が実質的な最高権力者であることが、白日の下に曝されたと言ってよい。

 

それはそうとして、天皇と政治の距離の問題である。

 

天皇陛下はご結婚満50年に際する記者会見(H.21.4.8)において、「日本国憲法にある『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴』であるという規定に心を致しつつ、国民の期待にこたえられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています。なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」と、ずいぶん直截に政治との距離感についてご自身のお考えを述べられた。

 

 皇后陛下も、天皇陛下ご即位二十年に際しての宮殿での記者会見(H21.11.6)において「戦後新憲法により、天皇のご存在が「象徴」という、私にとっては不思議な言葉で示された昭和22年、私はまだ中学に入ったばかりで、これを理解することは難しく、何となく意味の深そうなその言葉を、ただそのままに受け止めておりました。御所に上がって50年がたちますが、『象徴』の意味は、今も言葉には表し難く、ただ、陛下が『国の象徴』また『国民統合の象徴』としての在り方を絶えず模索され、そのことをお考えになりつつ、それにふさわしくあろうと努めておられたお姿の中に、常にそれを感じてきたとのみ、答えさせていただきます」と述べられた。

 

 このように両陛下が象徴天皇の意味を問い続け、真剣に心を砕いてこられたご様子を知る国民として、今回の暴挙と言ってよい「政治利用」は、これまでの両陛下の血の滲むようなご努力と国民への御心を踏みにじるものであり、断じてこれを許すことはできない。

 

 14日の鳩山由紀夫首相の「天皇陛下のお体が一番大事だが、その中で許す限りお会いになっていただく。日中関係をさらに未来的に発展させるために大変大きな意味があると思うから、判断は間違っていなかった」との発言は、「日中関係をさらに未来的に発展させる」によって「外交」としての意味合いが濃いことを心ならずも吐露し、会見が政治利用であることを物語っている。

 

 さらに、こんな無理強いをしておきながら、陛下の健康を気遣うなどと、よくも言えたものだと思う。鳩山由紀夫という人物の言葉の「軽さ」、「空虚さ」を思わざるを得ない。

 

そもそも天皇と政治の距離感は常に細心の注意をもって見極めていかねばならない。天皇皇后両陛下がこれまでの会見で天皇の役割について述べられた深い思いを一顧だにせぬ今回の判断を「間違っていなかった」と言い切る鳩山首相の無思慮と小沢一郎幹事長の「力づくの権力」を「わたくし」するような行為に、わたしは憤りを隠すことはできない。

 

そして、この問題は、羽毛田信吾宮内庁長官が言うように「憲法に規程されている天皇の役割にかかわる」ものであり、慎重なうえにも慎重な対応が求められるものだと考える。

 

民主党政権の権力の乱用が、国の根幹を危うくするものに本当にならねばよいと感じた「事件」である。

万両・千両・百両・十両、もういくつ寝るとお正月♪♪

万両・千両・百両・十両、もういくつ寝るとお正月♪♪

 

 赤い実がことに鮮やかな千両やお正月の生花に使われる万両のほかに、百両、十両というのがあるの知ってますか? 



万両の赤い実


鮮やかな千両の実

 

 

5、6年前に大原の実光院を訪ねた際に、門を入ってすぐの所の庭石にしがみつくようにして植わっている木を見つけた。赤い実をつけた可愛らしい木というより植物と言ったほうがいい。「十両」という木であった。お寺さんに伺うと「百両」の木もあるとのことで、百両の木も教えていただいた。



百両の赤い実と色づかぬ実


申し訳なさそうに実をつけた十両

 

 

その後、我が家の庭にも順次、種類を増やし、最後に百両が加わり、全種類の揃い踏みとなった。いま、お正月を飾るべく赤や黄色の実をつけているので、ご紹介することにする。

 

万両、百両、十両が薮柑子(やぶこうじ)科で千両のみ千両(せんりょう)科ということである。なるほど、千両のみ実が上に向けてついている。百両の別名は「唐橘(からたちばな)」といい、十両は「藪柑子(やぶこうじ)」とも呼ばれているそうだ。

 

そして調べているうちに、ツツジ科の「一両」(アカモノ)とアカネ科の「蟻通」(アリドオシ)が、この一連の植物に関連するものとしてあることがわかった。とくに、「千両、万両、有り通し」といってお金持ちになるおまじないのような縁起物として、語られたこともあったという。

 

それでわたしにお金が身に付かなかったのだと得心した。こうなりゃ、来年は是非とも「蟻通」を植えなければなるまい。

 

そう決心した次第であります・・・とさ!!

 

小沢訪中団、屈辱の一日=いつこの国は中国の属国になったのか

1210日はある意味、国辱の日である。

 

今回の林間学校、いや、訪中に小沢先生に引率されて143名もの国会議員が中国を訪れた光景を見せられると、この国はいつの間に中華人民共和国の一属国になり果てたのかと思ってしまったのである。小沢一郎民主党幹事長が胡錦涛(こきんとう)中国国家主席と会談する様子などは、国内であれだけ横柄な態度で終始する姿との対比において、見るに忍びないというのが正直な感想である。

 

小沢一郎民主党幹事長の訪中はまさに国辱ものである。総勢600名を超すという中国訪問団。とくに143名におよぶ小沢氏に引率された民主党国会議員の幼児脳と自分のおかれた国会議員という立場に対する意識の希薄さに唖然とするのである。

 

校長先生に引率された小・中学生じゃあるまい。中国側が用意した巨大な黒塗りのリムジン車に小沢氏が乗り、添乗員の掲げる旗に従った同行議員らが番号のふられたマイクロバに分乗し、長い車列をつくって市中心街へ向かう光景を、中国人民はどのように見ただろうか。どう見たって、言うがままに動きまわる修学旅行、そのものである。

 

この光景を見れば、日本は中国の属国となり、朝貢貿易ではないが皇帝に跪(ひざまず)きにいった植民地の使節としか見えぬ。小沢一郎だけが属国の王として浩然と胸を張り、人民公会堂を歩む姿を見ると、属国の小心翼々とする為政者が、己の自尊心の満足のために国益という国民そのものの将来にわたる財産を「わたくし」する卑しい姿を見るようで、吐き気がしたのである。

 

実に、今日の訪中の大デレゲーションを見て、日本はいつの間に中国の属国になり果て、いつの間に国会議員は中学生、いや小学生のレベルの扱いを受けるようになったのかと、嘆かざるを得ない。国民の代表である国会議員はひとりひとり、小沢一郎と同じ権限を国民の一代表、代理人として行使する権限を与えられているのだという、民主主義の原理原則をもう一度国民は問い直す時機に来たのではないか。本当によく民主党の代議士は考えてもらいたいと憤りをもって思うのである。国民は中国に膝下することを期待して、政権交代など望んだのではない。どうも結論を急ぎ過ぎるが、民主党首脳に政権交代の国民の真意をもう一度、思い知らさなければならぬと思った一日である。

 

何度も言うが、今日一日、小沢一郎率いる民主党訪中の仰々しさを見て、日本国民として本当に恥ずかしい思いをしているのである。

 

国会議員は国民が平等の権利を行使し選んだ代表である。そのひとりひとりは本質的に同じ権限を有すはずである。国民の意思をひとりひとりの議員が体現するのが本来の姿である。民主党議員は小沢一郎の部下になったのではなく、国民の代表になっているのだということを、真剣に考え直してほしい。

 

信州の鎌倉 その6=龍光院

上田市前山553

 

 龍光院の正式名称は宝珠山龍光院、本尊は釈迦如来である。当院の由緒は寺伝によれば、鎌倉時代の弘安5年(1282)に塩田北条氏の二代目北条国時が開基、月湲(げっけい)和尚を開山として創立されたとある。塩田城跡より600mほど西方に位置し、塩田北条氏の菩提寺となっていた。城の鬼門に位置し塩田城を護る役割を担っていた前山寺とともに塩田北条氏とはとくに縁の深い寺である。

 

龍光院宝珠山扁額
山門の山号「宝珠山」の扁額

塩田北条氏菩提寺石碑
塩田北条氏の菩提寺をあらわす石碑 

 

 

当院は初め仙乗寺と称する鎌倉建長寺の末寺であったが、後に更埴市小島の曹洞宗萬照寺の末寺となった。慶長六年(1601)萬照寺六世瑞応が龍光院と改めた。

境内の百日紅の花
大きな百日紅の赤い花が咲く境内


 境内には大きな百日紅(さるすべり)の木に赤い花が咲き、その百日紅を支点にして直角に本堂と座禅堂が配置されている。

本堂
正面が本堂

座禅堂
本堂と直角の位置に座禅堂

龍光禅院扁額
本堂の扁額

御本尊
御本尊



そして観世音堂のある山肌には地蔵仏がたくさん祀られており、当院が今でも人々の篤い信仰心を集めていることがよくわかる。

観世音堂
観世音堂

境内の地蔵仏
境内にたくさん祀られる地蔵仏

観世音堂と石塔
観世音堂と石塔

普天間飛行場移設問題、鳩山首相迷走にダメ出し!!

鳩山由紀夫首相は127、米軍普天間飛行場移設問題に関する、公邸前での記者団のぶら下がり取材において「政府としての考え方を、最終的にどういう風に米国に対して申し上げるかを決めるときが来たと思っている」と述べた。

 

 それを受けた大手メディアは、「<普天間移設>首相、近く最終方針…米国側に提示へ」(毎日)・「普天間方針、米側に近く伝える意向…首相」(読売)・「首相、普天間問題で『最終方針決める時期』」(産経)・「普天間移設で首相『政府として考え方、決めるとき』」(朝日)・「普天間移設『考え決める時』 首相、米に近く提示」(日経)というタイトル記事を配信している。

 

普天間飛行場移設問題について日本政府の最終方針」を米側に伝える方にニュアンスを置いたタイトルから「政府の考え方を決める時がきた」の方にニュアンスを置いたタイトルまで、首相発言の捉え方に微妙な差が生じている。

 

 これまでの普天間基地移転に対する鳩山首相の発言のブレが尋常でないことを考えると、タイトルを曖昧にせざるを得ない大手メディアの苦労も分かる気がする。冒頭の首相発言を慎重に再度、読み返して見ると、「最終的にどういう風に米国に対して申し上げるかを決めるときが来た」である。

 

 鳩山首相は「どういう風に言うか」を決める時がきたと言っている。要は「政府としての考え方」を「どういう風に」言うか、米国の怒りを見たので、早く「決め」ないといけない、と言っているに過ぎない。もっと言うと、「(移転問題を)どうしたらよいかわからなくなった」という鳩山首相の気持ちを「Trust me」と言ってしまった自分自身に傷がつかぬよう「どういう風に」米国に伝えたらよいか、「先延ばしの仕方」を決めないと、相手が本当に怒ってしまうと、言ったに過ぎないのである。

 

 決して移転問題の最終方針が彼の頭の中にあるわけではないことをわれわれは理解しておかねばならない。来年7月まで連立政権を崩す覚悟がないのであれば、「県外、できれば国外」という党是を掲げ、「重大な決意」を表明した福島瑞穂党首率いる社民党の主張を袖にすることはできない。これまでの様々な問題への対処、指示のあり方を見ていると、どうも鳩山首相の脳内思考は、すべて決断を好まず先送りする、抽象的な「言葉力」で物事をしのごうとする傾向がきわめて強いことが窺われる。

 

だから、のらりくらりで年越しし、そうこうするうちに何とかなるのではないか。そんな気持ちでいたに違いないと思えてくるのである。

 

しかし4日にルース在日米国大使が岡田外相、北沢防衛相の会談で、「鳩山政権がオバマ大統領の顔に泥を塗った。先月の日米首脳会談当時、鳩山首相がオバマ大統領に『信じてほしい』と早期に結論を出すことを約束しながら、危機を免れるとこのような態度を取るのか」と顔を赤くして、2人に怒声を上げたという。

 

そこで、鳩山首相は驚いて何か年内に米国に言わねばならぬと考えた。

 

その気持ちが「どういう風に」という表現に表れている。最終方針が定まっており、それを伝えるのであれば、「はっきり最終方針を申し上げる」でよいのである。表現方法で方針が変わるような最終方針など、外交の世界で受入れられるはずはない。玉虫色の表現とは、行なわれるべき事実はひとつであるが、その事実の解釈を両国国民にとって互いによいように理解させるための政治的テクニックである。決して、やるべき事実が決まっていないときに、表現の仕方で最終方針を曖昧にするなどということではない。そんなことは、外交上、許されることではないし、そんな言葉で「YES」というような米国ではない。

 

甘えるのもいい加減にしろと鳩山由紀夫首相には申し上げたい。こんな不誠実な態度をとり続けるかぎり、この国の国益はどんどん損なわれ、国際社会からの信用も失ってゆくことは確実である。

 

いまは、出来ることと出来ないことをはっきり内外に言うべきであろう。とくにこれは国の安全保障にかかわる問題である。表現力の巧拙で済ます話ではなく、決断力・政治力がまさに問われる問題なのである。

 

 こんな外交姿勢で「日米両国の対等な相互信頼関係」を築くなどとよくも言えたものである。米国の核の傘に守られて平和を享受している現実を直視し、対等な関係にある「新時代の日米同盟の確立」のためには、いざとなればその「核の傘」をなくすことも視野に入れた重い判断をしていなければ、「対等」な外交を標榜するのもおこがましいと言わざるを得ない。その覚悟を国民に求めるからには、自らがその覚悟をしているのは当然のはずである。それが為政者の最低限の責務、資格である。しかし、どうもこの鳩山由紀夫という人物の腹のなかに「肝」というものはそもそも存在しないようである。

そう言えば、同氏は政治家の前は学者であった。それを称して「口舌の徒」と揶揄した政治家がかつていたことを思い出した。

信州の鎌倉 その5=独鈷山・前山寺

信州の鎌倉 その1=塩田平
信州の鎌倉 その2=北向観音堂
信州の鎌倉 その3=安楽寺
信州の鎌倉 その4=常楽寺
信州の鎌倉 その6=中禅寺・薬師堂(重要文化財)

長野県上田市前山300


本堂俯瞰

前山寺・寄棟茅葺・唐破風向拝の本堂
 

 

前山寺(ぜんさんじ)は平安時代の弘仁三年(812)、護摩修行の霊場として空海上人が開創したと伝えられる古刹であり、ご本尊は大日如来である。奥の院が独鈷山に祀られていることから山号を独鈷山と称し、奥の院の場所には弘法大師が独鈷(とっこ)を埋めたという伝説が残り、大師が修行したあとと言われる岩窟も存在する。

 

薬医門独鈷山扁額
薬医門に山号「独鈷山」扁額 

 

当寺は独鈷山の一支脈となった弘法山(旧独鈷山)麓にある塩田城跡から東に100mのところ、塩田城の鬼門の方角に位置する。そのため塩田城の祈願寺として塩田北条氏や村上氏など歴代城主からの信仰が厚かったという。前山寺からは眼下に塩田平が一望でき、やや西南の端には別所温泉の賑わいと北向観音を遠望するなど、塩田城とほぼ同一の位置関係にあることから、戦略的場所に建っているともいえる。そのためか前山寺が建つ石垣は遠くから眺めると、城壁のように見え、しかも寺を囲う白い漆喰壁に穿たれた通風孔も、心なしか銃眼のように見えた。ひょっとしたら戦国時代には出城として利用されたのではないかと思ったものである。それほどに外観はお城の威容を感じさせるものであった。

 

前山寺全景
前山寺全景

城塞
城塞のような石垣と銃眼を備えたような漆喰塀

 

 

黒門(冠木門)をくぐって200mほどの長い参道を抜けてゆくのが本来の前山寺への参拝のあり方ということであったが、われわれは薬医門より逆に黒門のある参道の方を眺めた。なるほど一見しても、なかなかに風情のありそうな参拝道であった。

 

 前山寺参道
参道の入り口には冠木門(黒門)

薬医門
参道の正面に薬医門

 

さて薬医門を抜けて境内に入ると左手に本堂がある。その本堂の南西の小高い丘、薬医門正面に「未完成の完成の塔」と呼ばれる美しく簡素な三重塔がある。

 

 大銀杏と三重塔
薬医門正面の高みに三重塔


 

まず本堂は間口十間、奥行き八間の堂々とした建物である。そしてびっくりするのが手入れの行き届いた分厚い茅葺の大屋根である。正面の向拝(ごはい)に「本」の刻み文字があるが、寺務所が閉ざされていたのでその意味を問うことが出来なかった。魔除けか厄除けのお札のような意味を持つのかも知れぬなどと思ったが、今度、訪ねる機会があればご住職に伺ってみたいと考えている。

 

本堂全景
本堂

前山寺向拝正面
唐破風向拝に「本」の字

本尊・大日如来
御本尊の大日如来 

 

三重塔へ登る石段の下には、胎蔵界大日如来の真言が梵字で「アビラウンケン」と書かれた石碑が建っている。階段の上には宝経印塔が建ち、横に銀杏の樹が植わる。その大樹と競うようにして三重塔が青空をバックに聳えて見え、美しい。国の重要文化財に指定された「未完成の完成の塔」である。

 


明王堂
明王堂


「アビラウンケン」の石碑と宝経印塔
 アビラウンケン石碑

 

この塔が「未完成の完成の塔」と言われるのは、二層、三層に窓や扉、縁や勾欄といった通常であれば、当然、存在するものがないことで、簡素な三重塔の単純さがかえって「造形の美」を生み出し、「未完成の完成」というアンビヴァレンツな形容詞が冠されたものである。

 

 三重塔全景
未完成の完成の塔

窓・勾覧がない二層、三層
二層は貫が4本突き出たまま・窓や扉もない

二層・三層


三重塔一層


釈迦如来扁額

 

それほどにざっと見には完成された三重塔に見えるのだから、工事中断といっても、室町時代初期の建立と推定される当時の職人たちの並外れた技能と美意識には脱帽するしかない。是非一度、ご自身の目で確かめられるとよい。騙し絵を見せられたようで、「あっ!」と叫ぶこと請け合いである。

 

 

信州の鎌倉 その4=常楽寺

信州の鎌倉 その1=塩田平
信州の鎌倉 その2=北向観音堂
信州の鎌倉 その3=安楽寺
信州の鎌倉 その5=独鈷山・前山寺
信州の鎌倉 その6=中禅寺・薬師堂(重要文化財)
別所温泉 旅館 「花屋」に行ってきました!

常楽寺は正式には天台宗金剛山照明院常楽寺といい、北向観音(北向山常楽寺)を護る本坊として観音堂の真北
300mの地に寄り添うようにして建っている。当山は天長二年(825)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により北向観音堂が開創された際に、別所三楽寺のひとつとして建立されたのを始まりとする。

常楽台寺

本堂


現在の本堂は江戸時代の享保年間(
17161736)に建立されたもので、茅葺、寄棟造りで正面中央に唐破風の向拝(ごはい)の突き出たどっしりとした建物である。そして本堂前には地面を這うように四方に枝を張る樹齢300年の「御船の松」と称する老松が植わるが、その老松すらまだ新参者といった、別所温泉の由来にまで通じる古い歴史をこの寺院は有しているのである。

御船ノ松2

御船ノ松

 
本堂裏に
弘長2(1262)の銘が記された重文・石造多宝塔が建っている。その場所は、北向観音堂の本尊である千手観音菩薩が大地を割って現れ出でたところといわれ、別所三楽寺(常楽寺・安楽寺・長楽寺)と北向観音との深い因縁を伝えている。

 

そもそも北向観音の本坊は長楽寺であったという。しかし、長楽寺は江戸時代の正徳四年(1714に観音堂の火災とともに焼失し、以後、再興は果たされず現存していない。さらに焼失する20年前の元禄7年(1694)に、すでに観音堂の本坊が常楽寺へ移っている事実は不可解であり、その経緯をわたしは詳らかにできない。


本堂屋根

石像群


その謎の長楽寺は北向観音の階段を下りてすぐ左手に、同寺跡を示す石碑を残すのみである。本坊跡の位置や真っ直ぐの参道突き当りが観音堂という伽藍配置、長楽寺の山号が「北向山」であったと古文書にあることなどから、かつて同寺が観音堂の本坊であったことは確かであろう。石碑の裏面には「長楽寺は、常楽寺・安楽寺と共に別所三楽寺の一寺にして北向観音堂有縁の古刹なりしが、正徳四年(1714)北向観音堂火災によって惜しくも消失、以来再建の挙なく寺跡をとどむるのみ、今ここに碑を建立してその遺跡を永世に伝えるものなり」と記されている。

さて、常楽寺には塩田北条氏の二代目である北条国時が、鎌倉への出陣を前に自ら彫ったと伝えられる自身の肖像彫刻が残されているが、当日は常楽寺美術館が閉館になっており、残念ながら拝観することはかなわなかった。


つづいて、本堂を左側に回り込んだ山道を上ってゆくと、鬱蒼とした杉木立の森閑とした空間に入る。わたしは一瞬、聖域に足を踏み入れたようなそんな清浄感に襲われた。その昼なお暗い杉木立の突き当りのわずかな高みに鉄柵で囲われて、多宝塔と呼ばれる石塔が建っている。この多宝塔の建つ箇所から千手観音が現われ出でたのかと思うと、ひんやりとした山気を漂わせる静謐な山のなか、自然とおごそかで敬虔な気分になってゆく。

杉木立

石造多宝塔 


多宝塔に係わる北向観音出現の詳しいことは次のように伝えられる。

 

若竹屋紬店ホームページ総合御案内HPより引用


北向観音出現の話(常楽寺の石造多宝塔)


『今から千百年ほど前の天長二年(825)のころ「七久里の里」とよばれていた別所の東北の山の麓から、毎夜あやしい光がたちのぼりはじめました。やがて、にわかに地の底がうねり出して火の炎は黒煙となって空高く燃え上がり、日増しにはげしくなって人や家畜まで倒れてしまうほどでした。村を治めていた眞庭朝臣(まにはあそん)はこのことを天皇に申し上げました。天皇は大変御心配になり天文博士の安部泰能(やすよし)に命じて占わせましたところ、「奇怪のことなれど、仏縁による兆しあり」との易断が下されました。そこで勅使として良岑安世(よしずみやすよ)と比叡山の円仁慈覚大師とを「七久里の里」につかわされ、百日余の間安鎮の御祈祷を修めさせると、ふしぎなことに坑中から紫の雲が空中にたちのぼり、まぶしいばかりの金の光がさっと南の方へ移っていきました。勅使と円仁は紫雲のたなびいていった方向に行って見たが何も見えません。そこで慈覚大師は深禅定(しんぜんじょう)に入っていると空中に微妙な声がします。耳をすますと、「吾は万民救済を待って今この火坑に出現せる観世音なり、吾が像をとどめ、北に向って安置せよ。あまねく衆生を済度せん」という声と共にみ仏の影は紫の雲と共に大空に上りました。大師は一刀三礼して霊像をほり、その声のあがった場所にお堂を建てました。そして天長三年十月二十五日遷座式(せんざしき)を行い、新しい御堂に尊影を安置しました。そのとき観兜・蓮華・最勝・妙乗の四つの寺もいっしょに建て、観音様を中心とした霊場をつくったと伝えます。なお不思議なことに、このときから別所のここかしこに温泉が湧き出て、人々の病をなおしたのだと申します。この観音様が火坑から現われた霊場は、別所温泉の字大門の山麓にある、常楽寺の境内にありまして、大変神聖視されておりましたが、約七百年前に、頼眞(らいしん)という僧が一石一字の一切経を金銀泥で書き、火坑出現の跡へ納め、後世に石造り多宝塔を建立して火坑出現の跡を後世に伝えたのだと言われております。これが有名な常楽寺の「石造多宝塔」(重要文化財)であります。』


こうした伝承を胸にして杉木立のなかに佇み、苔むしたあまりに簡素な多宝塔を眺めていると、昔の人々の幸せあれかしと信心した心根の豊かさや世の安寧を祈る健やかな心持ちが思われ、殺伐とした現代に生きる者として、ある種の羨望を覚えざるを得なかった。

蓮池

ハギ 

また、常楽寺の前住職の半田孝淳大僧正(別所温泉生まれ)は平成192月に天台宗総本山延暦寺の第256世座主に上任された。また、座主の師父である故半田孝海常楽寺元住職は第一回の原水禁世界会議の議長を務めており、核廃絶、平和問題に深い関心を持っていることで著名である。


小豆島・寒霞渓(かんかけい)の紅葉

高速フェリー
高松・草壁港を40分で結ぶ高速フェリー

古名アズキ島の所縁
古名をしのぶ「阿豆枳(あずき)島神社」

小豆島オリーブの実
小豆島の名産・オリーブの実

日本書紀にも記述がある日本の三大奇勝のひとつ、寒霞渓(かんかけい)の紅葉は素晴らしい。頂上付近の紅葉の盛りは過ぎ、中腹辺りが絶景であったとのこと(妻の言)。談山神社ともどもわたしは、今年、写真で紅葉狩りを楽しむことにした。


天下の奇勝
天下の奇勝

岩山に張り付く紅葉
岩山を紅葉が彩る

屹立する岩山の紅葉
紅葉が攻め上る

狭隘な渓谷
狭隘な渓谷

渓谷を埋め尽くす紅葉
眼下に展開する紅葉の海

ロープーウェイから
ロープーウェイより

紅葉を見上げる
紅葉

一面の紅葉
一面の紅葉


2009年・談山神社の紅葉、黄葉

奈良の紅葉
奈良・若草山の紅葉
本殿への階段下鳥居
談山神社鳥居

本殿への階段に紅葉のトンネル
本殿へ黄葉のトンネル


黄葉満開
談山神社の黄葉

十三重塔と紅葉
十三重塔と神廟拝所


今年の紅葉はきれいだという。ここ奈良・多武峰にある談山神社(たんざんじんじゃ)の紅葉はことに有名である。家内が1130日に友人と紅葉狩りをしてきたので、その写真を拝借し、目の保養をしたいと思い、UPした。もちろん、写真の掲載については当人の了解を得ている。30日にはすでに神社の頂上付近の紅葉はもう盛りを過ぎていたとのことであったが、なお、都会の人間には自然が織りなす雅の小世界は、写真ですら、とてもうつくしく、心がいやされる。

 

 それでは、すばらしい紅葉をゆっくりとご堪能いただきたい。

なお、123日現在の談山神社のHP情報では落葉が始まっているとのことである。



黄葉

黄葉満開

十三重塔
十三重塔

神廟拝所
拝殿を望む

神廟拝所を見上げる
拝殿への階段を覆う黄葉

黄葉に緑
黄葉

鳩山由紀夫首相、偽装献金問題=実母から資金提供は相続税逃れ

 政治資金規正法は、「同一の者に対する寄附の制限」について、5章「寄付等に関する制限」のなかの第222項において「個人のする政治活動に関する寄附は、各年中において、政党及び政治資金団体以外の同一の者に対しては、150万円を超えることができない」と規程している。

 

 そして、それに違反する者は「1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金に処する」との罰則が規程されている。

 

 要は、個人の政治家が指定する資金管理団体(鳩山首相の場合は資金管理団体「友愛政経懇話会がそれに該当)への個人A(実母=鳩山安子)の同一者(鳩山由紀夫首相)への寄付の限度額は、年間で150万円ということであり、それに違反する者(寄付した者・寄付を受けた者)には1年以下の禁錮または50万円以下の罰則が科されるということである。

 

 鳩山首相の実母は弟の邦夫氏にも同様に、同額の150万円を同氏の資金管理団体「新声会」へ寄付している(06年〜08年)ことも分かっている。

 

 その範囲内での政治献金であれば正当な政治活動に対する寄付であるので、何ら後ろ指を指される話ではない。しかし、今回の話は150万円などというちっぽけな(庶民にとっては大金だが・・・)話ではなく、今現在、明らかにされているだけで、月1500万円ずつ、年間で18千万円、5年間で何と9億円という目の玉の飛び出るような金が、鳩山兄弟の資金管理団体にそれぞれ提供されていたというのである。

 

 今回の図式はある意味、単純なものである。政治家と企業や業界団体との癒着といった問題ではなく、鳩山一族の財産分与問題であるという点である。そしてそのあり方に税の問題から見て、非常におかしいところが多いということである。

 

 はっきり言えばこうした定額で継続的に資金移動を行なうことは、資金管理団体を隠れ蓑に相続税逃れを確信的に行なっている気配がかなり濃厚であると言わざるを得ないのである。

 

1130日の参院本会議において、自民党の秋元司参院議員が鳩山首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」をめぐる偽装献金問題について、首相の実母からの多額の資金提供は贈与税支払いの対象であると指摘したことに対し、「仮に母親から資金提供があったとすれば、検察の解明を待ち、法に照らして適切な対応を取りたい」と首相は答えた。さらに「母親から何も聞いていなかったから『親族から資金提供はなかったと信じている』と言ってきた。納税義務を果たさなければならないのは当然のことだ」として、税法上の問題点が指摘されれば、修正申告などに応じるという。

 

 首相はこれまでも「すべて検察の捜査に任せている」とか「報道に大変驚いている。まったく私の知らないところで、何が行われていたのか。事実かどうかを含め大変驚いている。私はないと信じていたし、今でもないと信じていたい」と述べるなど、どこか第三者的で被害者面をして、洞ヶ峠を決め込んでいるように見える。

 

2002年3月、鳩山首相(当時、民主党代表)加藤紘一自民党元幹事長の元事務所代表の脱税事件について、こう放言した。「金庫番だった人の不祥事は、(政治家本人も)共同正犯だ。即、議員辞職すべきだ」と。

 

「友愛」政治の理念を説き、「透明性」を声高に述べ、国民目線の政治を行なうと「義の政治」を宣言する蔭で、こっそりと姑息な税金逃れ、それもとても国民目線では信じられぬ金額を行なう。

 

いや、「恵まれた環境にある」から年間1億8千万円程度のみみっちい小金など分かるはずがない、秘書と母親の間の話で自分は与り知らぬと開き直るのであれば、「友愛」の理念が泣くというものである。そして「透明性」などという目くらましの言葉など多用してもらいたくはない。

 

見つかったら税金払えばいいんでしょう、で、世の中収まると思ったら大甘もいいところである。ここは自民党もしっかりと追及の手を緩めず、元与党の意地を見せて欲しい。また検察庁も不起訴などと弱腰になることなくトコトン、事の詳細を明らかにして欲しい。

 

そして鳩山由紀夫首相には「政治家にとって言葉は命」であることを初心に帰り、問い直して欲しい。一度、口にした言葉は決して消えぬし、国民はそれを忘れない。加藤紘一議員の資金管理団体からの資金流用疑惑について「議員辞職を」とまで迫った鳩山議員である。そして、加藤紘一議員は政治不信の念を国民に抱かせたとして、そのとき、衆議院議員を辞職している。鳩山首相が洞ヶ峠を決め込むなどと考えているとすれば、彼の政治家としての言葉に命はないと、今後、国民は考えるだけである。

 

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