彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

March 2009

消えた「だんだん」の「みんなの感想欄」5

消えた「だんだん」の「みんなの感想欄」

 3月28日(土)、NHKの朝の連続テレビ小説「だんだん」が最終回を迎えた。「だんだん」についてはYAHOO!JAPANの「みんなの感想欄」のほうが、ドラマを見るより面白いという投稿も多かった。

 YAHOO!JAPANの「テレビ」ジャンルの連続テレビ小説「だんだん」の昨日(3/27)までの「みんなの感想欄」が消えた。

 そして、いま「だんだん」の掲示板をのぞくと、3/28の午前7時42分以降に投稿された11件分のみが掲載されているみんなの感想欄の掲示板(3/28 pm11:50現在)が、表示されるのみである。11件の投稿のなかに、戸惑いを見せる視聴者もいた。

 「みんなの感想欄」はテレビ番組の内容につき、感想を投稿すると同時に、星の数(1〜5)で番組を評価するもので、その番組の平均点が累計で毎日、表示されるものである。

 ところが、「だんだん」の投稿については、前作の朝ドラ「瞳」の後半から始まった★1つ対★5つの投稿合戦が過熱していた。

 とくにサイトの運営者が★1つの投稿を削除することが多く(つまり番組評価の平均点が上がる)、その基準が不透明とする投稿が多く寄せられていた。

 「だんだん」においても3/27時点で、6000件余の投稿があり、その平均点は2.24であった。

 最終回ということで、最後の感想を投稿しようと思った視聴者は、新たな掲示板にしかたどり着かぬ仕儀とあいなっている。とても変だ・・・。理由がよく分からない。

 「だんだん」については番組当初から「みんなの感想欄」の別版が裏でスタートしていたし、そして最終回になって従来の「感想欄」に投稿しようとしても、URLを保存していない者は、戸惑うしかないという、どうもよくわからぬ対応である。

 そこで、従来の「だんだん」の「みんなの感想欄」に投稿したい人は、上記をクリックして投稿するとよい。

 こんなことを書く自分が大人気ないと思うが、番組関係者と思われる人々による5つ星の集中投稿や、1つ星投稿の1000件を超すほどの削除(中には誹謗中傷がひどくて、削除されてしかたのないものもあったとは思うが・・)という、どうもサイト運営のあり方に不透明さを覚えて仕方がないので、ここにこうして記載するものである。

 公共放送のNHKの番組について、サイト運営者が気を利かして(番組あらすじ等での提携関係などがあるからか?)、そんな小細工じみたことをしているのか、真相はわからぬが、まぁ、「みんなの感想欄」のファンの人は、よかったらここを利用して、従来の掲示板に入っていくとよい。みなさん、お気に入りに入れていた方は、最終回の感想を従来版の掲示板に引き続き投稿されています。

 わたしはNHKの朝ドラは日本人の一日の始まりの応援歌あるいは目覚まし時計のように思っている人間である。だから、ためにする誹謗中傷は論外だが、番組に対する率直な感想は、その意見がたとえ厳しいものであろうが公平に掲示板に載せるべきだと考える。こうしたサイトはその公正な運営があってこそ、利用者の普遍的な支持を得れるのだということを、運営者は忘れないで欲しいと願う。

 

 

 

 

 

後水尾上皇を巡る人物と建築物 2の4――修学院離宮・中御茶屋5

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後水尾上皇を巡る人物と建築物--1へ

 

後水尾上皇を巡る人物と建築物--2へ

 

後水尾上皇を巡る人物と建築物--2の2へ

 

後水尾上皇を巡る人物と建築物--2の3へ

 

 2の4 修学院離宮・中御茶屋(なかのおちゃや)

 

 さて、それでは中御茶屋・中離宮へと向かうことにしよう。

 

 下御茶屋の東門を出ると、眼前には御茶屋山。右が中御茶屋へ。左が上御茶屋へゆく赤松の並木道である。

 

 左手奥に比叡山の頂上を見上げ、右手に御茶屋山、東山連峰が連なる壮大な景観が広がる。中離宮へ向かう松並木の間に田園風景が広がる

比叡山の頂上が・・・

左手奥に比叡山の頂上が・・・

 

中離宮へ

 

ほぼ正面には東に真っ直ぐ傾斜して上る路と南に90度の角度で真っ直ぐ伸びる平坦な路が見える。それぞれの経路が人の身長を少し超える高さに剪定された赤松の並木道となっている。そして上下の御茶屋への松並木の両側には牧歌的な田畑が広がっている。

 

この田畑はそもそも宮内省(天皇家)の財産であったものが、終戦後、天皇家と雖(いえど)も例外規定は適用されず、農地解放政策により小作人の農家へと解放を余儀なくされた。その私有地となった農地が昭和三十年代に入ると次々と新興住宅地への転用が図られ、そのままでは離宮の景観維持に大きな脅威を与えることになった。そこで景観保護の要請から昭和39年(1964年)に上・中・下の各御茶屋(離宮)の間に展開する8万?に及ぶ水田畑地を買い上げて修学院離宮の付属農地としたという経緯がある。

 そして現在はその田園風景を維持するために元の農家の人々に農作業を委託している。しかし農業を継ぐ後継者が少なく、ここにも高齢化のという時代の波が押し寄せ、田畑を荒廃させずに今後、この景観を維持してゆくことに別の意味の難題が持ち上がってきているという。

 

 中御茶屋は表門、中門を抜けて、まず楽只軒から客殿をぐるりと回り、また袖塀付きの表門から出て、南・東の松並木の分岐点へと戻る経路をとる。中御茶屋が当初の離宮造営の構想に入っていれば、おそらく中御茶屋から上の御茶屋へ直接向かう別経路の道が造られていたに違いない。

 

中御茶屋(中離宮)表門中離宮表門

  

 この中御茶屋は後水尾天皇と女官櫛笥隆子の間にもうけられた第八皇女朱色光子(あけのみやみつこ)内親王(16341727 享年93歳)のために建てられた朱宮御所に東福門院(後水尾上皇の皇后・徳川二代将軍秀忠の娘・光子の養母)崩御後に女院御所の一部を移築し、拡張したものが基礎となっている。

 

従来の慣行であれば、女官との間に出来た皇女は内親王宣下を受けずに比丘尼御所で一生を過ごすのが通例であったが、この光子は東福門院の養女となり、内親王宣下されるという厚遇を受けている。

 

 光子内親王は上皇の崩御後、落飾得度しこの御所を林丘寺として読経三昧の生活を過ごしながら、捨て子を引き取り養育するなど慈善活動にも力を入れた心根のやさしい女性であったようだ。そうした心豊かで聡明な女性であったからこそ、父帝は光子を特別に寵愛したのであろう。

 

 紫衣事件など幕府との対峙において朝廷の権威を守ろうとした後水尾上皇。そして上皇の敵である将軍秀忠の娘の徳川和子(東福門院)が、夫たる上皇と女官との間に出来た娘を養女に迎え慈しんだこと。その一方で第一皇女をその営んでいた庵を撤去させ奈良に追いやってまでして離宮を造営、光子内親王という愛娘は離宮の傍に住まわせた上皇。

 

 そうした凡人の愛憎感情を超えた苛烈なまでの人間模様、すなわち自己欲成就の為に実の娘に宿命という桎梏(しっこく)を思うがままに強(し)いる男、また与えられた宿命を甘んじて許容する女に思いを馳せたとき、人間という生き物の自己実現への欲望の凄まじさ、そしてまったく別の次元の意味において自己実現に対する人間の果かないほどの従順さを見てとるのである。

 

 そう考えたとき後水尾上皇という男が、さまざまな人間の気持ちを懐深い心栄えのようなものへと変質させる魅力、人間力といった強烈な引力のようなものを持っていたように思えてならない。

 

 それでは余談はそれくらいにして、それでは中御茶屋の建物の紹介へと話を移していこう。

 

 【後水尾上皇を巡る人物と建築物 2の5へつづく】

東門からの景観

東門を出た正面の景観

後水尾上皇を巡る人物と建築物 2の3=修学院離宮(中御茶屋へ)5

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2の3 中御茶屋(なかのおちゃや)=中離宮 (楽只軒・客殿)


 【本来の修学院離宮の姿と後水尾上皇の造営コンセプト

 

 中御茶屋はそもそも後水尾上皇が造営した離宮を構成する構築物ではない。「2の1 沿革」のなかで引用した「修学院離宮の歴史」(宮内庁監修)で述べられているように明治18年(1885年)林丘寺門跡から境内の半分が楽只軒(らくしけん)、客殿とともに宮内省に返還されたので、離宮に編入したものである。昭和39年(1964年)上・中・下の各離宮の間に展開する8万?に及ぶ水田畑地を買い上げて付属農地とし、景観保護の備えにも万全を期して今日に至って」おり、上皇の離宮造営の構想にはなかった構築物であり、上皇が離宮として使用したものではない。


赤松並木の間から見える田畑
赤松並木から垣間見える買い取った田畑


 

 つまり創建当時の修学院離宮は、下御茶屋と上御茶屋という二つのゾーンとそれを結ぶ畦道から構成された構築物と庭園であった。したがって後水尾上皇との関係において離宮を語るときには、この中御茶屋をはずして評論するのが適当である。

 

その視点で上御茶屋との対比において下御茶屋の意味を問い直して見る、また下御茶屋との対比における上御茶屋の位置づけを考えて見るのも一興ではなかろうか。わたしには、幕府と相対峙した不屈の人物、後水尾上皇がさまざまな思いの中で造営に全精力を尽した修学院という離宮本来の姿が、そのことでより鮮明に浮かび上がってくるように思えるのである。

 

 

上御茶屋でいまわれわれが目にできる建屋は寿月観のみである。しかし、現在では名を残すのみであるが、創建時には最大の建物であった「彎曲閣(わんきょくかく)」や「蔵六庵(茶室)」、「御清所(台所)」とともに相応のもてなしのできる機能は整えられていたという。

 

 また宮内庁職員の案内によると、現在の離宮は周囲に境界としての垣根が厳重に設けられているが、明治に入り離宮が宮内省の所管となるまでは全周にわたる垣根は存在せず、洛北の自然と一体となったいたってのんびりとした開放的な山荘であったという。

 

 そうした話も参考に離宮のコンセプトを考えると、下御茶屋では厨房を備えた宿泊設備も整えられた彎曲閣で、はるばる洛北のはずれまで足を延ばしてくれた賓客を心ゆくまでもてなしたのではなかろうか。そして寿月観から東山の頭上にかかる名月をめでたに違いない。

 

 そして名月を堪能した翌日にでもハイキングのような感覚で、上御茶屋へと畦道を上り、隣雲亭(りんうんてい)で眼下に洛中の街並み、西方に西山の連山、その奥に突き出る愛宕山の山頂を眺めて自然の大パノラマを満喫し、雄滝の落水の音に清涼感を覚え、窮邃亭(きゅうすいてい)で乾いた喉を潤したのではなかろうか。
 


西山愛宕山を望む


隣雲亭(上御茶屋)から見る西山連峰

 

 さらに浴龍地(よくりゅうち)で船遊びに興じ、疲れては万松塢の御腰掛けでひと時の休息をとったのであろう。夕日が西山にかかる頃、大刈込みの堰堤の上に当たる西浜の小径から夕日にきらめく下御茶屋を見下ろし、その向こうに広がる洛中の街並みや西山連峰の景観を目にし、自然との一体感を全身で感じ取って、下御茶屋へと下っていったのであろう。 

浴龍池

隣雲亭からの浴龍池

 

 そう想像してみると、下御茶屋の今はない彎曲閣もふくめその造園形式は大自然との対比において、敢えてこじんまりとさせかつ人工的なものであったのではないかと考えられる。

 

 そう考えると、寿月観へ至る池を配した小さな庭園の意味がより鮮明に理解できる。

この修学院離宮は下御茶屋の人工美と上御茶屋の自然美という対比で造られたと、考えたくなるのである。畦道というなんの作為もない、しかしどこか「能舞台」に至る一の松、二の松、三の松を配した「橋懸り」のような一本道を通じ、その対極の世界を東西にしかも高低差をもたせて対置させた。貴人には40mの高低差はきつい。また上御茶屋の御成門に入ってから隣雲亭に至る小経は両脇に垣根が迫り、狭隘感を客人に抱かせる。またその急勾配が喉の渇きをいっそうつのらせたことだろう。

 

 だからこそ人ひとりの幅しかない最後の石段を登り終え、隣雲亭の縁側に腰を掛けた時、眼前に広がる大パノラマは、それまでの小経との対比においてその開放感という一点で効果は抜群であろう。また客人の頬を撫でる比叡下しの涼風は至上のもてなしに思えたことであろう。

 

 この心憎いばかりの「対比」の演出が、この修学院離宮を造営した後水尾上皇のコンセプトだったのではなかろうか。それはまた叔父にあたる八条宮智仁親王が30年程前に造営した「桂離宮」という人工美の極致との「対比」、「対抗心」でもあったのではないのか。

 

 そしてその「対比」こそが、後水尾上皇が内奥に秘めた性格、「強い執着」そのものだったのではなかろうか。

 

【2の4につづく】
後水尾上皇を巡る人物と建築物 1 にもどる


中離宮表門

中御茶屋表門

ANTIVINO ? 写真編5

ANTIVINO ? --- 写真編

アンティヴィーノ(イタリアン)---渋谷グルメ・並木橋(店の紹介)

入口
店の入り口

一本目の赤ワイン

一本目の赤ワイン
二本目の赤ワイン

二本目の赤ワインもおいしかった!

イベリコ豚の炭火焼き

イベリコ豚の炭火焼
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ANTIVINO(アンティヴィーノ)――渋谷グルメ・並木橋5

ANTIVINO(アンティヴィーノ)

渋谷グルメ・並木橋

 

渋谷区東1-14-13 サンフローラハイツ1F

03-5466-1030

 

営業時間:月〜金 18:0002:00(L.O) 

    土18:0024:00(L.O)

 

 明治通り並木橋交差点を左手に曲がると、駅頭のあの猥雑な空気とは全く異なる「大人の時間」のただよう閑静な通りがある。その通り沿いにイタリア料理「ANTIVINO(アンティヴィーノ)」はある(渋谷駅から徒歩で7、8分)。

antivino外観

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ANTIVINO(アンティヴィーノ)」のネームカードの下には「TRATTORIA(トラットリア)」と書かれている。イタリア語で軽食堂といった意味であるが、店内の雰囲気は「リストランテ(高級レストラン)」と表してよい大人の雰囲気である。一歩店内に足を踏み入れ、その少し改まった店造りを目にすると、「オッ!」と気圧された気分になる。

一本目の赤ワイン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、「トラットリア」とわざわざネームカードに記した意味は、メニュー選びでスタッフと語らってみるとすぐ理解できる。人懐っこい店長(古田孝蔵氏)をはじめスタッフみんながわれわれを仲間として迎えてくれている、そんなアット・ホームな気分にさせられるからである。(日を経ずして、ある話題で盛り上がったスタッフの浜賢治さんからわざわざお礼状をいただいたが、こうしたところにも一元さんの躊躇を一挙に吹き飛ばしてくれる行き届いた温かみが見て取れる)

お店の中

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして当日のメニューは結局、「おまかせ」にした。そんなメニューは品目にないが、男三人で下のメニューである。料理の味はもちろんワインもイケル!! 

前菜五品

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パスタ盛合せ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当夜は店長以下、スタッフの方とも色々とお話もし楽しい時間を過ごすことが出来た。下のメニューもスタッフの方にお願いしてメモに丁寧に書いていただいたものです(書いていただいたスタッフの方のサインがあるのですが、達筆の英語で正確に解読できず、次回確認の上、ここに記載させていただきます)。でないと、お料理の説明を受けてもすべてを覚えるのはむずかしい・・・、とみに物忘れがひどくなってきた今日この頃のわたしにとって、本当にありがたい・・・。

 

 そうしたやや老いを身近に感じ始めた大人たちにとっても、この並木橋の「ANTIVINO」は心和む場所であり、おいしい料理とワインを嗜(たしな)むにはもってこいの大人の熟成した時間を満喫できる「RISTORANTE」であると言ってよい。

 

 もちろん希望溢れる若いカップルの方たちが最も似合う「TRATTORIA」であることは請け合いであると、付け加えておかねばならない。(写真

 

 【当日のメニュー】

 

前菜盛合わせ

  イベリコ豚の自家製ハム

  平目のカルパッチョ黄金柑ソース

  冷製白アスパラガス&アンチョビソース

  白子のムニエル

  菜の花のオーブン焼き

 

パスタ盛合わせ

  スパゲッティ 桜海老のアーリオオーリオ

  スパゲッティ 渡り蟹のトマトクリームソース

  ボルチーニ茸のリゾット

 

肉料理

  佐賀県産和牛のステーキ

  イベリコ豚の炭火焼 西洋ワサビソース

このタイミングでの日テレ社長辞任、真相は誤報、捏造?5

このタイミングでの日テレ社長辞任、真相は誤報、捏造?

日本テレビの久保伸太郎社長が16日午後、突如、社長辞任を表明した。「(バンキシャ!の報道)内容が虚偽に基づく放送であった。つまり誤報であった。この誤報に関し、(中略)重大な監督指導不行き届きの責任をとりたい」と辞任理由を述べた。つまり「誤報」を行なわせてしまったことの責任をとったと言うのである。その会見での発言が、わたしにはなぜか、「誤報」、「誤報」だからね!と、聞こえてきて仕様がないのである。

そこで辞任に至る経緯を簡単に振り返ってみると、事件は昨年11月23日の報道番組「真相報道バンキシャ!」の番組に建設業者の男が出演したことに始まる。匿名ではあるが、その番組内で「岐阜県の土木事務所では今も裏金づくりをしている」「県の担当者から裏金を捻出して振り込むよう言われた」と県の裏金疑惑がまだ存在するとの重大な証言を行なった。

当時、岐阜県は事件発覚と同時に第三者による「プール資金問題検討委員会」を立ち上げ、裏金総額の摘出、退職者をふくめた幹部・管理職等からの返還を求めるなど正常化に努めていた。

その裏金問題の後処理が進んでいる昨年11月の「真相報道バンキシャ!」において建設業者の男の裏金疑惑証言があったのである。まさに名指しされた土木事務所の関係者たちには青天の霹靂、県の職員さらには岐阜県民も疑心暗鬼に陥ったに違いない。おそらく大きな爆弾が県内で炸裂したような深刻な衝撃に襲われたことと思う。

だからこそ報道を受けた岐阜県は、即座に事実確認のため県内土木事務所の事実調査を行なったに違いない。そして関係する職員の取り調べ等の結果、そうした事実がないことを確認、相当の確証を持って日本テレビに対し放送内容の確認を求めたのであろう。さらにその一方でこの建設業者(蒲保広容疑者3月9日に逮捕)を偽計業務妨害容疑で県警に告訴もしたのであろう。

そうした一連の県庁側の能動的かつ機動的動きのなか2月27日になって、日本テレビ関係者が県庁を訪れて「放送に誤りがあった」として謝罪した。

不特定多数の視聴者が見るテレビという公器を通じ、誤報という重大なミスを広く世間に対し流しておきながら、内々に岐阜県庁のみに謝罪を行なうというこのテレビ局のジャーナリズムとしての良心とは果たして何であろうか。裏金事件の時のあの勝ち誇ったように畳みかける報道姿勢とは打って変わって、自身の過ちの時のこの姑息な対応は、あまりにも報道機関としての公平性を欠いてはいないだろうか。と言うよりもその資格を疑わざるを得ないと言った方が適切な表現である。

そして3月1日、同県は「バンキシャ!」で匿名証言した蒲保広容疑者の内容が虚偽の証言であったと公表したのである。わずか二日前の2月27日に県庁を訪れて行なわれた同局の謝罪が、この報道の過ちを「内々に」「穏便に」収束させたいとの思いがあまりにも見え透いた対応と岐阜県側の当事者たちの目に映ったのであろう。だから精一杯の皮肉のつもりで「正式な謝罪ではない」と言ったのだ。

実際、岐阜県では2006年7月に17億円もの巨額に上る裏金問題が発覚した。その当時、日本テレビを初めとしたメディアは連日にわたり報道合戦を繰り広げ、そして関係者を激しく追及した。そのこと自体はメディアに限らず、国民も税金という公金を裏金処理する行政の犯罪行為に、行政に携わる人々の感覚麻痺と使命感の喪失に多大な失望と憤りを覚えたものであり、事実解明と糾弾は当然であった。

メディアがそうした犯罪を追及し、問題点を摘出することは本来の使命のひとつであり、そのあり方が少々度を過ぎることにも、場合によっては目をつぶらねばならぬケースもあろう。

ただ、今回のことでわたしが不思議に感じたのは、これまでのテレビ局を初めとするメディアのやり方を見ていると、こうした場合「情報源の秘匿」を盾に、簡単に「誤報」など認めぬものと思っていたからである。

しかし日本テレビは県が「虚偽証言」と公表した夜の番組において、「新たな取材に対し男が証言を翻した」と釈明、そしていともあっさりと放送内容に誤りがあったことを認め、「視聴者、岐阜県庁などに迷惑をおかけしました」と公に謝罪した。

しかし、その謝罪内容で言う「新たな取材に対し男が証言を翻した」という程度の取材力とは何だ、そもそもの裏付け取材はあったのかといった素朴な疑問が沸々と湧き上がってくるのである。その「新たな取材」もずいぶん短い期間(昨年の11月23日放映後から岐阜県が事情聴取を開始。長くて2カ月程度)で蒲保広容疑者の証言が偽りであったと分かったというではないか。

そんな簡単に偽りが分かるくらいなら、当初の取材の時に、取材料を要求する人物の証言にそもそも一点の疑念も抱かなかったのかと不思議に思う。普通、おかしいと思って別の取材源をあたるなど、確証を得るために慎重を期すのがジャーナリストとしてのイロハではなかろうか。一体その記者が容疑者の証言が事実だとの心証を得た根拠は何だったのだろうか。新たに取材したら簡単に「あれは嘘でした」などと言う人物の心底すら見抜けなかったのだろうか。少々、あやしい証言でも「爆弾」的価値があると血気に逸(はや)ったなんてことはないのだろうか。不安である・・・。

証言の信憑性に疑念をはさむ余地がないとの心証を得た、乃至は、その証言の裏付けも一応は確認したのであれば、結果としてその証言が巧妙な偽証であった場合、ジャーナリストとしての未熟さと結果としてそのことを報道した責めは当然問われるが、そうではなくずさんな取材で心証があやしいまま報道したとすれば、それはある意味、確信犯的モラルにもとる行為ということになり、その罪は比較にならぬほどに大きい。言い方を変えれば「捏造」に近い行為という問題も視野に入れた真相解明が必要となる。

どうもわたしには、偽証の容疑者が逮捕され捜査当局での取り調べが始まり、はたまた13日に「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の放送倫理検証委員会でも「事実に反する報道がなされた検証をする必要がある」と審理開始を決定したところに、日テレが追い詰められた何かがあるように思えてならない。

だからこのタイミングで久保社長の突然の辞任が発表された・・・。捜査当局とBPOには早急な真相解明を期待したい。

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後水尾上皇を巡る人物と建築物 2の2 修学院離宮(下御茶屋)5

後水尾上皇を巡る人物と建築物−−1へ

2−2修学院離宮=下御茶屋(しものおちゃや)


 修学院離宮地図

拝観者控え室の離宮拝観コース図

下離宮御幸門

下離宮御幸門

 

下御茶屋御幸門から入ります
御幸門から入っていきます

 

下離宮中門

下御茶屋(離宮)中門

 


 表総門から広い白砂利の坂道を登り御幸門から下御茶屋(下離宮)ゾーンに入り右に折れて中門をくぐる。すると目の前に池を配した庭園があらわれる。左前方石段を登ったところに玄関となる「御興寄」があるが、われわれはそれを横目に見ながら庭の方へと回る(離宮内の建物はすべて屋外からの拝観となる。桂離宮も同様)。池の中央に通された二枚橋を渡り、ゆるやかに曲がる苑路を上ると�達葺(こけらぶ)き入母屋数奇屋風造りの「寿月観」の南側に面した庭へ出る。白川砂を敷いた飛び石が印象的な庭から寿月観の屋内をわれわれは見ることになる。


         
寿月観扁額(後水尾上皇御宸筆)

寿月観の扁額05.11 

 

まず、軒下奥に後水尾上皇の御宸筆(ごしんぴつ)になる扁額が目に留まる。腰障子と濡れ縁を巡らせた建屋の造作は驚くほどに簡素であり、離宮という宮殿のイメージとは大きくかけ離れている。その低い縁側からは鍬を担いだ農夫でも出てきそうなそんなそんな気配すら漂っている。室内は雨戸も見えず障子も開け放たれているため、開放的な空間が広がって見える。そしてよくよく観察すると、この建物には戸袋というものがない(見えない)。実は雨戸は各角でくるりと回転させられ、客人の目に触れぬ建物北側の裏にまとめて収納されている。心憎いばかりの周到な工夫がなされているのである。

 


それではまず「一の間」を見ることにしよう。広さは15畳で、上皇が坐した三畳の上段が設けられている。その背面には一間半の床、左横に半間の琵琶床と飾棚が配されている。


寿月観一の間

寿月観 一の間(正面左が琵琶棚・右が飾棚)


寿月観屋内05.11
一の間から東縁を
  

四枚の襖絵は岸駒(がんく=1756-1839)の描く「虎渓三笑(こけいさんしょう=俗界禁足の高僧慧遠が陶淵明らを見送る際、話に夢中になり渡ってはならぬ虎渓という谷を越え、虎の吼え声を聞いて気づいて大笑いしたという中国の故事)」である。耳を澄ますと深山での三賢人の清廉な語らいが今にも聴こえてきそうな簡素な佇まいである(心頭滅却すれば同行の拝観者の声も聴こえてこない?)。


虎渓三笑の襖絵

 

虎渓三笑(こけいさんしょう)の襖絵

 

右の人物が慧遠・左の二人が詩人の陶淵明と道士の陸修静

 

虎を題材とした絵で有名な岸駒の作

 


次に「二の間」に移ると、左奥正面に夕顔の絵の描かれた杉戸(作者不詳)があるが、仙洞御所から移されたものと伝えられとのこと。ここもまた、装飾と言えばそれだけの簡素なものである。


            
二の間杉戸夕顔の絵

二の間杉戸夕顔の絵

 

 

「三の間」はお供の者たちが控える間として設けられているが、手前が6畳、奥に5畳の間がある。奥の肘掛窓は大きく開き、お供の者たちが主人を待つ間、退屈せぬよう四季折々の景観が楽しめるように心配りがなされている。後水尾上皇の客人を「もてなす心」の細やかさが表れているといってよい。徳川幕府と厳しく対峙した火のような激しい性格とは正反対の「静」の心もちがここには見てとれ、上皇本来の本性が那辺(なへん)にあるのか、その奇妙な不可思議さ、謎がこの離宮のそこここに埋め込まれているようで興味深い。

 三の間 泊舟の襖絵・奥の5畳間と肘掛窓

三の間泊舟の襖絵

 

 

寿月観の南面には一筋の小川を超えて小振りの庭がある。それはこれから東門を出たところに広がる雄大な景観をより引き立てるための心憎い舞台装置のようでもある。

 
寿月観前庭

 南面の庭・白糸の滝から流れる来る鑓水



 それから「一の間」東側の庭には上御茶屋から流れ来る谷川の水を落す「白糸の滝」と命名された可愛らしい滝がある。東門へと急ぐ箇所にあるので、参観者の後方の人はつい見落としがちになるので、注意が必要。滝の落し口に置かれている山形の石は何に見えますか? じっくりと見てください。そう!「富士山」がこんな小さな滝のうえにあったのです。いやぁ、その徹底した遊び心には頭が下がるしかありません・・・。この滝の水が南面の庭の小川(遣り水)へつながり最後に石橋で渡った池へと流れ込んでいるのです。上御茶屋から下御茶屋へと富士山の伏流水のように「水」の「尾」から「尾」へとつながる離宮でもあるのです。

 

一の間東庭の滝

一の間東側庭の「白糸の滝」・落し口の三角形の石が富士山 

 

一の間東側
一の間の東側(ここを抜けて東門へ) 

 

 

後水尾上皇を巡る人物と建築物 2の3へ

 (後水尾上皇を巡る人物と建築物 1 へ )

                   




東証株価、連日のバブル崩壊後の最安値更新=7054円98銭1

東証株価、連日のバブル崩壊後の最安値更新=705498

 

週明けの39日、米国株式市場のダウ工業株30種平均は、前週末比79ドル89セント安の6547ドル05セントの水準まで下落。19974月以来、1111カ月ぶりの安値を更新した。

 

それを受けた10日の東京株式市場は昨日に続き小幅ながら続落、2日続けてのバブル後最安値の更新。終値は前日比3105銭(0.44%)安の705498銭となった。

 

1982106日(697435銭)以来、265カ月ぶりの安値水準となる。

 

 【これまでの安値更新の推移】

 

1982.10.6   6,974.35(鈴木善幸首相退陣表明6日前)

2003.4.28   7,607.88(竹中ショック)

2008.10.27  7,162.90(リーマンショック)

2009.3.9   7,086.03

 

西暦 東証株価時価総額【億円】 東証株価指数(TOPIX

 

1989         5,909,087                             2881.37

1990         3,651,548                             1733.83

1991         3,659,387                             1714.68

1992         2,810,056                             1307.66

1993         3,135,633                             1439.31

1994         3,421,409                             1559.09

1995         3,502,375                             1577.70

1996         3,363,851                             1470.94

1997         2,739,079                             1175.03

1998         2,677,835                             1086.99

1999         4,424,433                             1722.20

2000         3,527,846                             1283.67

2001         2,906,685                             1032.14

2002         2,429,391                               843.29

2003         3,092,900                             1043.69

2004         3,535,582                             1149.63

2005         5,220,681                             1649.76

2006         5,386,295                             1681.07

2007         4,756,290                             1475.68

2008/12    2,789,888                               859.24

2009/2      2,466.937                               756.71

2009/3/10 2,300,698             703.50

 

(出典:内閣府「『平成20年度経済財政報告』の『長期経済統計』の『金融・財政統計』」等)

  東証時価総額は年末値

  東証株価指数は196814日の株価を100とした時の各末値

後水尾上皇を巡る人物と建築物 2の1 =修学院離宮5

後水尾上皇を巡る人物と建築物 1 へもどる
 

2の1---修学院離宮の沿革と拝観留意事項


 総門
工事中の総門
総門より修学院道を
総門から修学院道を 
総門拝観者集合場所
拝観者集合場所(総門前)




?沿革
 後水尾上皇には徳川幕府への反骨姿勢や皇位後継問題にからむ後陽成天皇への根深い思いなど粘着質の強いかつ苛烈な意志力を感じる。そうした人物がその造営に甚だしいこだわりをみせた離宮のひとつが修学院離宮である。

 

 修学院離宮の(わたしの撮った写真による)拝観前にその沿革について記すが、宮内庁監修の小冊子「修学院離宮」(平成18年版)の「修学院離宮の歴史」にわかりやすく記載されているので、それを忠実に以下に引用させていただく。

 

「修学院の名は、10世紀後半ここに修学院という寺が建立されたのが始まりであった。南北朝時代以後この寺は廃絶したが、地名は修学院村として残った。修学院離宮は、桂離宮におくれること30余年、明暦元年から2年(西暦16551656年)にかけて後水尾上皇によって造営工事が起こされ、万治2年(1659年)に完成した山荘である。離宮の造営より早く上皇の第一皇女梅宮が得度して、現在の中離宮付近の円照寺に草庵を結ばれていたが、早くから別荘としての適地を探しておられた上皇は円照寺を大和の八嶋に移し、上【かみ】と下【しも】の二つからなる御茶屋を建設した。幕府との間に緊張が続いた時代であっただけに、短期間にこれほど大規模な山荘を造営し得たことは一つの驚異でもある。中【なか】の御茶屋は創建当時の山荘にはなかったものであるが、上皇の第八皇女光子【みつこ】内親王(朱宮【あけのみや】)のために建てられた朱宮御所に東福門院(後水尾上皇の皇后、将軍徳川秀忠の娘和子)亡き後の女院御所の建物を一部移築して拡張した。上皇崩御の後、光子内親王は落飾得度してこれを林丘寺【りんきゅうじ】となされた。明治18年(1885年)林丘寺門跡から境内の半分が楽只軒【らくしけん】、客殿とともに宮内省に返還されたので、離宮に編入したものである。昭和39年(1964年)上・中・下の各離宮の間に展開する8万?に及ぶ水田畑地を買い上げて付属農地とし、景観保護の備えにも万全を期して今日に至っている」【】は筆者の注

 

?拝観にあたっての留意事項

 参観者入口で宮内庁職員のチェックを受け、参観者休所でビデオにより数分間、拝観コースや建築物等の説明を受ける。その後、職員の先導により総面積54.5万?、標高差40mの宏大な苑内拝観がスタートする。苑路約3km、所要時間約1時間20分のコースである。当日(117日土曜日)の参観者はおよそ30名弱でした。

 

 修学院離宮は西から東に約40mの標高差があるので、中御茶屋に向かう松並木以外は全般的に登り坂か反対に下り坂という高低差がある。したがって1時間20分の徒歩による踏破には、かなりの体力と脚力が必要となる。実際に杖を携行していたわたしは、入苑の際に職員から「起伏のある3kmだが大丈夫か」と念押しをされた。ちなみに3年2か月前(200511月)の参観の際には、杖を携行していたが何も言われなかったので、やはり足元不如意と見られる歳になったのだと、年齢を実感させられたものである。もちろんわたしは昂然と「大丈夫!前回も回っているから」と、言い放った。3年前などと言わぬのは当然のこと。

 

参考のために申し上げると、後でアップする「桂離宮」は飛び石伝いに歩く行程が多いので、歩きやすさの面から見れば修学院離宮(基本的に砂利道)のほうが平易である。ただ高低差と苑路距離の面で、桂川沿いの平坦地に建つ桂離宮(参観距離約1km)に較べ、修学院離宮はやはり脚力がしっかりしていないと、後半、歩くのに一生懸命で、景色をゆっくり見る余裕がなくなるという情けない結果となる。

 

 今回も参観の後半、足を痛めた老夫婦(奥様が杖携行)が汗をかきながら景色を愛でる姿は、ちょっと可哀想であった。かく言うわたしも下御茶屋から雄滝に下る急坂以降は何のことはない必死の「八甲田山行軍」であった。1月というのにしっかりと汗をかかせていただきました。と言うことで、足元不如意の参観希望の場合は、事前に宮内庁にご自身の状態をよくお伝えしたうえで、大丈夫と判断されて行かれることをお奨めする。折角の名園拝観が、嫌な思い出にならぬよう入念な準備と調査が必要である。

 

周遊コース途中で引き返す方も実際にいらしたとのことだが、職員が先頭に一人(この方が説明者)、最後尾に一人という見学単位で、途中リタイアということはつまり休所に戻らねばならず、職員の人手やショートカット出来ぬ回遊式庭園の特徴から自他ともに多大な負担をかけることになるので、申込み前の周到な事前ヒアリングがことさらに必要と言う理由なのである。

 

 桂離宮は滑りやすい飛び石注意(雨天は危険)でハイヒールは避け、歩きやすく滑りにくい底の靴がよい。

 修学院離宮は起伏があり距離もあるので、足に負担のかからぬ靴がよく、自身の脚力・体力で大丈夫かを入念にヒアリング(既見学者・宮内庁)しておくと安心。

 

 前置きが長くなったが、それでは苑内、まず下御茶屋に入ってゆくことにしよう。

 

後水尾上皇を巡る人物と建築物 2の2 下御茶屋につづく

 

  


 

26年ぶり、バブル崩壊後の株価最安値7086円03銭5

26年ぶり、バブル崩壊後の株価最安値708603

 

20081027日のバブル後安値(716290銭)を更新

 

東証株価バブル崩壊後最安値へあと42円だが・・(2008.10.25)

 

東証株価時価総額・東証株価指数(TOPIX)の推移(1956-2008)

 

バブル崩壊後の日経平均株価の最高値・最安値(2009.2.18)

 

東証株価最安値(2008.10.10)

 

 

 

3月9日、東京株式市場で日経平均株価は昨年915日のリーマンショック後の1027日に付けたバブル後最安値716290銭を終値であっさりと更新した。

 

前週末比8707銭安の708603の大引けであった。日経新聞によるとこの東証株価の水準は1982106日(697435銭)以来の265カ月ぶりの安値水準になるという。

 

 【これまでの安値更新の推移】

 

西暦      日経平均株価

1982.10.6    6,974.35円(鈴木善幸首相退陣表明6日前)

2003.4.28    7,607.88円(竹中ショック)

2008.10.27  7,162.90円(リーマンショック)

2009.3.9     7,086.03円

 

 

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木乃婦(きのぶ=京の料亭)―――京都グルメ5



住所:京都市下京区新町通 仏光寺下ル岩戸山町416

電話:075-352-0001

 

2009_01192009年1月京都食べ歩き0129木乃婦入口暖簾
木乃婦入口

NHKのBSハイビジョンで三代目の高橋拓児氏が造るワインに合うという創作料理を観た。そこで俄然興味がわいたわたしは、ぜひ「木乃婦(きのぶ)」を訪ねて見たいと旅仲間に推薦し、この日を迎えた。そこで当店について記すにあたって最初に断らねばならぬことがある。



 予約を人任せにした結果、お目当ての「ワイン献立」でない、通常の「旬の会席」を当夜は食すことに相成った。つまり、BSでわたしが興味を持った「ワイン献立」をこのブログでご紹介できぬことと相成った次第である。三代目のチャレンジングな料理を口にすることができなかったことは、まことに残念であった(一部はありましたが・・)。



 そこでここでは「木乃婦」というお店を簡単にご紹介することとする。



 事前に木乃婦のHPを開き、詳しく調査し予約を取れば、実はこんな失敗はしなかったのであるが、これまでご紹介した京割烹「やました」や「祇園たに本」のイメージで「木乃婦」を手前勝手にとらえていたのである。同行者に謝罪しなければならぬ。




2009_01192009年1月京都食べ歩き0132井筒の間
井筒の間

ここはそもそも御茶屋さんに対する仕出し料理のお店であったものが、料亭となったと聞いている。そのため大量調理が得意なのか、100名収容の披露宴などに利用できる大広間を有するなど大小13室の個室のみのお店である。また料亭といいながらその大広間での宴会ではカラオケもできるとか(もちろん料亭でカラオケのできるところはいくつもあるのはあるが・・・)。ちなみにわれわれ四名は「井筒の間」という堀炬燵の部屋で、八人はゆうに座れるほどの広い部屋であった。





絨毯に木乃婦の紋

つまり板前さんたちとカウンター越しの会話を楽しみながら料理を楽しむといった風情の割烹の店ではなく、いわゆる大店(おおだな)である。三代目はおろか板前さんの顔も見えない、何とも旅人には退屈なお店であるということである(お部屋に女将が挨拶にお見えにはなったのは、一流の格式であることは間違いない)。「木乃婦」さんの名誉のために申し上げれば、お料理は値段が値段だけにそれなりに食材もしっかりしており、もちろん問題はなく、と云うより、とてもおいしい。


打出の木槌の箸置きと御膳
2009_01192009年1月京都食べ歩き0142八寸
八寸
お造り
お椀
揚げ物
冷酒、おいしかったですよ!
酢の物
焼物


ただ名物といわれる「胡麻豆腐とふかひれの鍋」(三代目の創作と言われる料理)は、わざわざ京都まで来た旅人が食べるほどのものかなと感じたところはあった。ほかはりっぱな器にきれいに盛りつけられたいわゆる料亭料理であった。



宝尽くしの器
胡麻豆腐とふかひれの鍋
焚き込みご飯
赤だし
水物

 

「ワイン献立」のために再チャレンジするか否か、今の自分は微妙な気分である。とくに夫婦二人で京都にやって来て、わざわざ「木乃婦」へと気分が向くかと言えば、それならもっと小振りのお店が良いとわたしは判断するのだろう。しばらく再訪は様子見というところか。ただ、これはまさに人それぞれ、旅の目的によっても異なってくるものであることは言うまでもない。→このときから2年半経って見て、このブログを読み直してみて、「ワイン献立」はやはり、一度はいただいてみたいと思うようになっている。旅人の心も・・・、「何とかと秋の空」ということなのだろうか・・・。

2009_01192009年1月京都食べ歩き0161季節の花
季節の花
廊下より玄関へ

店を立つのに際し、店の前で二代目の高橋信昭氏と女将お二人にわざわざお見送りをいただいたのに、(新幹線の時刻が迫っていたので)ゆっくりとご挨拶もせずにタクシーに乗り込んでしまったのは、ずいぶんと無礼をしてしまったといまになって反省しているところである。


子供に戻った、イケル!!”デニーズ”5

子供に戻った、イケル!!”デニーズ”

 お墓参りの途中で、なんと、なんと”デニーズ”に寄っちゃいました・・・!!!

 (´▽`)

 そしたら、う〜んと昔の味?思い出しちゃった・・・。

 伊勢丹の食堂で食べた昭和30年代のパフェの味?・・・、いや、う〜ん、なにか違う・・・

 そう、なんか家族がワサワサそろって幸せなひと時を過ごした・・・、そう、そんなほんわか気分を「苺のミルフィーユガレット」のこのお得感と甘ったるい味?で思い出しちゃいました。

 デニーズエントランスミルフィーユ   

 

 

 

 結構、このイチゴのミルフィーユガレット、意外とイケルんですよね、ホント (゚Д゚≡゚д゚)エッ!? 

 ためしてガッテン!! 

  今だとデザートスタンプ2個でミルフィーユが食べれるよ!!! 

(●´ω`●)              

タイミングよすぎる小沢一郎秘書の逮捕?=郵政民営化疑惑5

タイミングよすぎる小沢一郎秘書の逮捕?

 

=郵政民営化疑惑追求の渦中で

 

海外での裏金問題により「外国為替及び外国貿易法違反」の罪で国沢幹雄前社長が起訴されている準大手ゼネコン西松建設の政治献金に絡んで、東京地検特捜部が33日、小沢一郎民主党代表の公設第一秘書の大久保隆規容疑者を逮捕した。「政治資金規正法」の虚偽記載容疑での逮捕である。同氏は小沢代表の資金管理団体「陸山会」の会計責任者であるという。

 

 政治資金の虚偽記載などもちろんあってはならぬことであり、事実であるなら早急にその真相が国民の前に明らかにされねばならぬことは言うまでもない。

 

 しかし、3日の東京地検特捜部の野党第一党の代表の公設秘書逮捕および陸山会事務所の捜索は、何ともそのタイミングにおいてあまりにも不自然なのである。

 

解散総選挙を前にした自民党側の謀略説なども一部でささやかれているが、わたしにはどう考えてもそう見えぬのである。つまりいかにジリ貧状態で党勢が大きく衰退していようとも、そんな見え透いた稚拙な策を弄するほど自民党執行部は愚かではないと考えるのである。それはもし策を弄したことが明らかになった暁には、自民党はこの今の時代、この世から根こそぎ消滅するほどの大打撃を被るからである。そんな危険を冒すわけがない。

 

 ではタイミングが不自然と考える理由は何か。何に対してのタイミングなのか。そこまでの大きなリスクを抱えてでも、こうした策を弄せねばならぬ追い詰められた人間、組織とは一体、誰、どこなのか?

 

 そのヒントは、現在という「時」が、郵政民営化にかかわる利権疑惑が、ようやくその真相解明に向けた動きが始まったというタイミングであるということである。

 

 「かんぽの宿」のオリックスグループへの一括譲渡問題に対する鳩山邦夫総務大臣の疑義発言に端を発した「郵政民営化」など「規制緩和」に絡む「改革利権疑惑」という大疑獄へ真相解明の手がおよび始め、その芽が徐々に大きくなっていることが、今回のあまりにも「不自然過ぎる」と考えた理由なのである。小泉元総理の「定額給付金」の突然の発言といい、そのタイミングが不自然で、ある意味においてタイミングがよ過ぎるのである。

 

つまり「かんぽの宿」「東京中央郵便局開発計画への待った!」と鳩山総務大臣が矢継ぎ早に放つ疑獄解明という火矢で燎原の火のごとく盛り上がろうとするメディア・国民の疑惑の大合唱やその好奇の目を、一挙に政権交替の可否議論・政局談義へと転じさせようとしているのではないのか。

 

であれば、今の自民党執行部がやるはずはなく、規制緩和で大もうけを企んだ一派(もちろん政治家も含む)が、仕掛けたとしか考えようがないのである。

 

われわれは決して郵政民営化にからむ疑惑を放置してはいけない。決して誤魔化されてはならないのである。

 

政治資金規正法の虚偽記載といった疑惑と、日本という国をビジネスの道具にした改革利権略奪一派の大疑惑。そのどっちが重要か。われわれ国民の財産が、一部の人間、企業へ利権絡みで移転、占有される可能性が否定できないのだから・・・。われわれ国民は、よくよくその真相解明につき、肝を据えてかからねばならぬ、心底そう思うのである。

 

 大手メディアにも今回は、鳩山邦夫総務大臣の一挙手一投足に「ミーハー」的な注目を続けて欲しいと願っている。

 

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気さくな京割烹「祇園たに本」5

気さくな京割烹「祇園たに本」( ´∀`)つ
 

京都府京都市東山区祇園町南側570-121

075-551-8011



四条通側(料亭一力角)から祇園の花見小路通に入る。八つのお団子が串に刺されたいわゆる「つなぎ団子」の赤い提灯が、一直線につづく町屋の軒先をほんのりと照らす。その光景を目にした瞬間、客人(まろうど)たちは祇園という絢爛(けんらん)な衣装を全身にまとわされたように感じる。それは老練な名演出家の手になるドラマの世界に引きづり込まれてゆく瞬間でもあった。そぞろ歩きの客が往来する小路をしばらく行って、祇園甲部歌舞練場斜め前の細い小路を右に入り込む。

つなぎ団子提灯と町屋

花見小路小路の小物屋 

 

 

 

 

 

  そこはさらに「祇園」が濃厚に充満する小暗がりであった。その小暗がりのなかにお目当ての「祇園たに本」がある。

店先に小さく「たに本」と書かれた和風の電飾スタンドがあった。

暖簾

たに本提灯

電飾スタンド

 

 

 

 


 



 当夜は初お目見えということで、店構え、店主の谷本佳美(よしはる)氏、若い板前さんや仲居さん、そしてもちろん料理にお酒、さらに器やお皿と楽しみどころ満載、興味津々、好奇心いっぱいの訪れでした。


 



 その夜の料理はおまかせでしたが、わたしが予約・会計係でなかったので値段をはっきり確認しませんでした(多分料理のみで8千円/人くらい)。それでも心配いりません。白木のカウンターも真新しく、「うん、これは明朗会計に違いない」と思わせるのに十分な清潔感あふれる明るい店内でした。



 さてお料理ですが、先付けはかわいらしい器にきれいに盛られている。カラスミもあったっけ・・・。味は京料理にしてはややしょっぱいかなぁという感想(わたしは減塩治療中なので、塩に敏感過ぎるので・・・)。お造りの「ふぐの薄造り」は、前日の「おこぜ」の薄造りの食後のためか感動が薄かったのが残念・・・。。゜(´Д`)゜。

先付け一品目

先付け二品目

先付け三品目

 

 

 

 


 



 フグの薄造り

 

 

 

 

 

 

 そして忘れちゃいけねぇ、お酒はもちろん「祇園たにもと」を注文!(これだけは事前にこっそりネットで調べていたのです)蔵元は群馬県川場村の永井酒造。「水芭蕉」という銘柄で、ラベルをオリジナルの「祇園たにもと」とされているそうです。料理に合って爽やかでおいしかったですよ。そして極薄の小振りのお猪口でいただけたのも、旅人の酔狂にお付き合いいただいた店主に感謝!!








 


 


 


 


 

次に当店の売りでもあるのでしょう「すっぽんと葱鍋」が出て参りました。このころから店主の谷本氏との楽しいおしゃべりが盛り上がってきました。カウンター越しのお酌、ありがとうございました。この写真取り直しでポーズを取ってもらったんでしたよね・・・。(^∀^)気さくな谷本氏に乾杯です!



その次に揚げ物と焼き物。わたしはフグを頼んだが、同行の者どもは・・・、う〜ん、生意気にもグジ(若狭グジ?)を頼んでいましたなぁ・・・。いやぁ、結構、お腹が一杯になってきているので、量は少な目でいいのかなと思いました(ただ、若い人はまだまだかな・・・)。






 



 

 

 

 

それから「かぶら蒸し」も出ましたね。ここらあたりからは酔いも口も心地よく回ってきて、次の3番目の写真はなんだったか忘れてしまいました。(T_T)フグ焼き

かぶら蒸し

何だったっけ

 

 

 

 

 

 

 

そしてお腹にやさしい生湯葉としめじのお粥仕立てでしたかね。デザートは栗と白玉に小豆がかかって・・・。さすがに、もうお腹いっぱいで、デザートはもうちょっとあっさり、少な目でよかったかな。

お粥

デザート

 

 

 

 


 



祇園で、しかも一見(いちげん)さんでしたのにこんなに楽しくひと夜を過ごさせていただける割烹のお店、「祇園たに本」、ほんに、はんなりとしてよろしおすへ・・・。

(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


 


 


グジの揚げ物


すっぽん鍋ふぐの揚げ物


 







谷本佳美氏


お猪口


 日本酒たに本


 


 



 


 

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