彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

December 2008

Arossa渋谷店――グルメ渋谷・松濤5

「 Arossa 」 渋谷・松涛店(グリル&ワインバー)

 

150-0046 東京都渋谷区松涛1-26-22

(井の頭線・神泉駅徒歩3分)

電話:03-3469-0125

営業時間:18:0002:00(LO 01:00

 
Great Australia Arossa」の渋谷・松涛店は井の頭線の神泉駅から徒歩3分のところにある。渋谷駅から来るには東急デパート本店を目指し、東急文化村の前を過ぎ山手通り方面へ真っ直ぐゆき、一つ目の五差路(左手にローソン)をTimes24の駐車場の看板を右手に見る筋を斜め右に入り、直ぐの所の左手にある(渋谷駅より徒歩約10分)。

arossa玄関

表札

一階カウンター

 

 

 

 

 

 

 レンガ造りの玄関には小さな階段を数段下りて入る。エントランス奥にはカウンターが見えるが、テーブル席は右手正面の階段を上った二階にある。

入口

二階テーブル席

アピタイザー

 

 

 

 

 

 

 「Arossa」は深夜に及ぶ営業時間を見ていただくとわかるが、ちょっと遊びなれた大人のお店である。だから、テーブルが満席になるのも、だいたい午後8時過ぎである。忙しいビジネスマンの打ち合せや気の置けない仲間たちが遅めの時間に待ち合せして、大人の熟成の時間を過ごす・・・、そんな粋でお洒落でカッコイイお店である。ふと目が合う他のお客に「同志」のような奇妙な親近感を覚えるから不思議だ。

 

 ここはオーストラリア産のワインとそれに適ったフランス料理・イタリア料理そして変わったところではオーストラリアのカンガルーやワニ肉が売りで、ボトルは常時3400種類の貯蔵を誇っているという。料理はアラカルトでオーダーしてもよいし、4、5人でいくときは、料理5千円のコースを頼んでおけば、Amuse(お通し)・Appeetizers(前菜)・Pasta(パスタ)・Fish(魚介料理)・Meat(肉料理)・DessertCoffeeと、結構、お腹一杯になる。

オーストラリアワイン

海老のオマールバターソテー

鴨モモ肉熟成コンフィ

 

 

 

 

 

 

 わたしはワインが進むほうなので5千円のコースはちょっと量が多過ぎて、二人で行くときなどは、前菜を二品ほど、それにメインを一つ注文し、二人でシェアして十分である。もちろん、味のほうは塩加減にうるさい(塩分規制)わたしにも適度な味付けである。ソースがやや(わたしには)濃厚に感じられるが上品な味わいは好ましい。

 

そこで気になるワインの値段だが、種類が豊富なだけあって自分の懐具合にあったものがオーダーできるから安心である。店員さんに「一番安くておいしい赤ワインを!」と、素人のわたしがオーダーしても快くボトルを選び、そして丁寧にワインの説明をしてくれる。そんな気の置けない大人の割り切り方のできるお店である。

 

もちろん、「今夜が勝負!」というときにも十分に「行ける?」いや、「イケル」店である。


天璋院篤姫のお墓参り、行ってきました!5

天璋院篤姫のお墓参り、行ってきました!

(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

 

 いよいよ最終回を迎えるNHK大河ドラマ「篤姫」ですが、その天璋院のお墓参りに行ってきました。篤姫さまは上野の寛永寺に祀られています。

 

 毎年、9月から11月に掛けて行なわれている「上野の山文化ゾーンフェスティバル」の催しのひとつに「寛永寺徳川歴代将軍霊廟と葵の間特別公開」というものがあります。それを新聞で知ったわたしは早速、往復葉書で応募、例年の10倍という7千数百通の応募のなかから約320名の見学予定者のひとりにめでたく当選したのです(正確には家内と合わせると2人)。

 

根本中堂

 

上野寛永寺 根本中堂

 

 

 

 

 

5代綱吉公勅額門

 

5代将軍綱吉公勅額門

 

 

 

 

当日は、徳川宗家菩提寺の霊廟ということで霊廟内と葵の間の写真撮影は禁止。はなはだ残念だが、もちろん納得。

 

篤姫さまのお墓は13代将軍家定公の向かって左横にあった。数段の石段を昇った高みに夫に劣らぬ堂々とした石造りの宝塔(お墓)が鎮座していた。なんだか宮崎あおいさんを思い出し、ウルウルしてきそうな、不思議な体験をしました・・・

天璋院篤姫宝塔

 

天璋院篤姫さまの宝塔で〜す!

 

クリックして拡大して見てくださいね

 

 

 

因みに7代将軍までは青銅造りの重厚なお墓だそうです。今回、参拝した5代将軍綱吉公の宝塔は重厚な青銅製でした。そして幕府の財政悪化から倹約を旨とする8代吉宗公から石造りの宝塔に変わったそうです。暴れん坊将軍もやるときゃ、やるんだ!!

 

さて目的の篤姫さまのお墓は女性らしく少し丸みを帯びているように見えた。宝塔を囲う石造りの柵の前方と後方には生前、篤姫さまの好物であった枇杷の木が一本ずつ植えられていた。そして宝塔の正面真中に四角い扉があり、その扉は開き、中に観音様が収められていたと言います。ドラマでもよく出てきた母君のお幸さまからいただいたあの観音様だったのでしょうか・・・。ドラマと現実が交錯した一瞬でした・・・。

 

そして家定公ら将軍の霊域は城壁のような石垣で守られていたのですが、幕末の騒擾(そうじょう)で将軍家の霊域が荒らされては困ると、勝海舟が造らせてものだそうです。北大路欣也さん?も、ドラマの中だけではなく本当に徳川宗家のことを按じていたのだなぁ、あの混乱の中で頑張ったのだなぁと、思ったものでした。

海舟の石垣

 

勝海舟が造らせた石垣

 

 

 

 

次に本堂裏手の書院内にある「葵の間」に坐らせていただき、寛永寺の歴史や慶喜公謹慎のご様子など、興味深い話を聞きました。幕末・維新が自分の掌に入ってきた瞬間でした。タイムトラベルって、本当にあるんだ・・・!!

寛永寺の葵の間はここ、台東区のHP文化ガイドブックをクリックしてください。写真があります。

「上野の山文化ゾーンフェスティバル」は毎年、開催されています。そして霊廟や葵の間の見学も毎年、行われています。詳しくは台東区のHPを見てください。「2009秋の特別公開の詳細は20098月下旬にお知らせする予定です」(文化振興課 TEL 03−5246−1153)と、ありました。あなたもタイムトラベル、ぜひ、チャレンジされてみたらいかがでしょう。

 

すてきな秋の一日でした・・・




米国の今年の言葉に「社会主義」、では日本の今年の漢字は?5

121日、米辞典出版大手のメリアム=ウェブスター(Merriam-Webster)社が恒例の今年、米国人の心に残った言葉、「Word of the Year」(単語検索ランキング)を発表した。金融恐慌に端を発した公的資金による企業救済という言葉が各メディア上で踊ったが、第1位はその「bailout(救済)」であった。2位「vet(入念に調べる)」は、大統領選挙運動の最中、指導者の「適正や資質を厳しく吟味する」意味のvetという単語が頻繁に使用されたことが要因と説明されている。

 

そして3位に「socialism(社会主義)」という単語が顔を出している。米国においてである。大統領選でのディベートにおいてマケイン候補がオバマ候補の政府関与を強化する政策を「米国を社会主義化する」ものだと厳しく批判したことなどが検索上位の要因に挙げられている。しかし同国ではタブーに等しい「社会主義」である。その言葉が第3位にのぼったことは、共和党政権下、行き過ぎた市場原理主義がもたらした格差社会が極端な水準まで進み、もはや看過できぬところに来ていることをあらわす証左とも見て取れる。行き過ぎた「市場原理主義」は、決して社会を幸せにはしないということを、米国民は敏感に感じ取ったのではないだろうか。

 

反共のメッカである米国で、2008年という年が「社会主義」という単語が3番目の頻度で検索された年であったことは、その意味において特筆されてよい。「社会主義」への関心の高まりは、市場原理主義による幸福の追求が結果として行き過ぎた格差社会を作り出したことに対する、アンチテーゼだとも言える。社会主義の謳う「平等の理念」、「資本家による搾取の否定」といったプリンシプルとは一体どんなものなのかと、大きな関心が寄せられた。

 

米国民は現状の市場原理主義というパラダイムは健全な社会の枠組みではない、人々にあまねく幸せをもたらす仕組みではないことをはっきりと感じ始めている。そして同様の道をここ10年近く突き進んできたこの日本でも今年、80年も前に書かれたプロレタリア小説である「蟹工船」(小林多喜二著)が若い人たちの脚光を浴びたと話題を呼んだ。そうした日米の動きはまるで軌を一にしているようで、世情不安・閉塞感・世界恐慌というどす黒い叢雲(むらくも)が両国は言うにおよばず世界を覆った年であったと言えるのだろう。

 

 メリアム=ウェブスターの「Word of the Year」で2007年の第1位「w00t」は、コンピュータ世界で「歓喜」を表す表現形態で、オンライン・ゲーム愛好者の間で多用されたという。2006年の第1位はtruthiness」で、「証拠がない場合でも、真実であってほしいと思われる性質」を皮肉を込めた表現で表したもので、ブッシュ大統領がイラク戦争の大義とした「大量破壊兵器の存在」を真実と信じたがったことを皮肉った単語である。この二つの言葉は、あたらしもの好きで、アイロニーを好むいかにも米国的な造語であり、ある種、社会の前進をイメージさせるものとも評せる。しかし、「社会主義」はこの数十年間の自由を標榜する米国のイメージ(マッカーシズム時代を除く)とは大きくかけ離れるものであり、米国社会の抱える閉塞感がとてつもなく重く、根深いことを窺わせるのに十分である。

 

翻って太平洋を隔てたこの極東の島国にも、似たような恒例の年末行事がある。毎年、その年の世相を象徴する言葉を漢字一文字で表わす「今年の漢字」である。財団法人日本漢字能力検定協会が全国から応募された漢字のなかで最も多い字を「今年の漢字」として、毎年1212日の「漢字の日」に発表するものである。

 

京都清水寺の貫主があの清水の舞台上において大筆で墨痕鮮やかに揮毫するもので、誰でも一度は目にしたことのある歳末シーンではないだろうか。因みにここ過去三年の漢字一字は「愛」(2005年)「命」(2006年)「偽」(2007年)であった。果たして、この国では今年の漢字には何が選ばれるのだろうか。

 

森清範(せいはん)清水寺貫主による揮毫は1213日午前10時から同寺にて行なわれる。果たして今年を表す漢字は何になるのか?

 

恐慌の「慌」、非正規雇用の「非」、失業者の「失」、無差別殺戮の「無」・・・と、暗い世相を反映したネガティブな漢字しかいまのわたしの頭には浮かんでこない。暗いくらい一年であったのだと思うしかない。いや暗い年が始まったのだと思うべきなのであろう。



この国の民主主義は危険水域へ5

この国の民主主義は危険水域へ

=政治に対する関心、言葉を失うという危機

   最近、政治への関心が急速に失せ、無力感のみ感じる自分がいることに気付き、空恐ろしくなる。この国の政治に「何か」を求めることなどそもそも無意味なのだといった虚無感にすら襲われる。だからTVの報道番組もNHKのニュースをチェックする程度で、とくに民放の情報番組などは、したり顔のキャスターや不勉強なコメンテーターの存在が不快でほとんど見ることもなくなった。

 

 それほどにこの国の政治はかつてないほどに活力を失い、それを厳しく監視すべきメディアの質の劣化も著しく、したがって政治そのものにとどまらず、それをチェックするメディアにすら関心も薄れ、魅力もなくなった。主権者たる国民のひとりであるはずのわたしは、最近の自分の気持ちの枯れ枯れとして荒涼とした心象風景に、ある種の懼(おそ)れを覚える。こうした国民の気持ちの間隙をぬって「ファシズム」というファントム待望論がいつしか人々の心を熱く占有してゆくことになる・・・というおぞましい近過去の歴史・・・。

 

麻生太郎首相と小沢一郎民主党党首の党首討論(1128日)を終えた29日、30日の両日にわたり、産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)合同での内閣支持率等の世論調査が行なわれ(全国の有権者1,000人への電話調査)、その結果が公表された。電話調査(RDD法)による世論調査の問題点は別の稿に譲るとして、ここではアキバが産んだ麻生内閣の支持率急落について政治に信を失った者の「言の葉」を書き記そう。

 

麻生内閣発足直後の925日の同世論調査では、内閣支持率は446%であったが、今回は275%へと大きく落ち込んだ。また、「麻生、小沢どちらが首相にふさわしいか」との質問に対しては、初めて小沢一郎が32.5%と、わずかに1%ではあるが麻生太郎首相(31.5%)を上回った。

 

 このところの麻生首相は、定額給付金についての迷走や道路財源一般化に関わる1兆円の地方交付税・交付金問題、さらには第二次補正予算の今国会提出の見送りなど「政局より政策」と強く訴えてきた総理自身が、政策面で大きなブレを見せ、リーダーシップを失っている。

 

 百年に一度、未曾有(麻生読みでは「みぞゆう」)の危機に世界経済が直面している。だから国民生活を防衛する意味から早急に大型の景気対策を打たねばならぬ。そのため小沢党首がいう解散・総選挙といった悠長な政治空白を作ることは許されぬ。

 

 麻生首相はそう言っていた。わたしもそう考えたから、麻生内閣の緊急経済対策の取りまとめに期待した。「財政再建」原理主義派の硬直した頭では考えつかない柔軟な思考で、生きた経済を活性化させる大胆な景気対策が、今国会中に打ち出されると当然、思っていた。未曾有(みぞう)の事態なのだから・・・。

 

 しかし結果は違った。だから、わたしはいまの「政治」を語ることの愚かしさに打ちのめされた。そして虚脱感に襲われている。

 

 民主政治の理念では国民の審判を経ていない政権は、正統性を有さぬことは明らかである。自民・公明両党は国民の審判を受けぬまま、いわば認知されぬ政権を安倍・福田・麻生と、事もあろうに三代も続けて擁立してきた。それじゃ今度は民主党が政権党?に、でも政権担当能力は果たしてあるのか、あんなに国民の耳障りのよいことばかり言って・・・。

 

 そうしたことをあれやこれや考えているうちに、この国はほんとうに一度、どんぞこまで転落するしかなのではないかと思うようになるのである。そう、ガラガラポンすればいいのだと。だが、国を「ガラガラポン」するって、それってまさか革命ってこと?・・・、そんなことがこの「ゆるキャラ」の国で起きうるかい?

ましてや健全な批判機能を果たせぬメディアが、権力を正当に評価・批判できぬメディアが跋扈(ばっこ)する国で、そんな大それた「ガラガラポン」なんてこと、危なっかしくて、とてもとても・・・。だけど、このままじゃ・・・。

 

そんな繰り返される夢想・・・、そう、いまの自分は危険な思考回路に入っていっているのだと気付き、ふと空恐ろしくなる。そして、また考え出してしまう。

 

・・・失業者が巷にあふれ、国民生活が食糧危機やエネルギー危機に襲われ、日常の糊口(ここう)も漱(すす)げぬ困窮生活に現実に直面しなければ、もうこの国の変革は望めぬのではと・・・。そして果断な独裁者でも出現して来ないことには何も変えられぬと・・・、みんなが熱病患者のように考え出す・・・。

 

 ほんとうに今のこの国は、考える意志も、行動する決意も失った、魂のない抜け殻のような人間の群を置くただの地面になり果ててしまったのだと。将来に夢の欠片すら持てぬわたしはそう考え込んではますます滅入り、この国の深くて暗い深淵を覗き込むのみである。主権者たる自分が、本当に危険な心理状態に陥っている、そう思うとゾッとするのである。この国の民主主義は危険水域に入っているのではないのかと感じるのは、心配症で臆病なこのわたしだけなのだろうか。

 

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