彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

September 2008

辞任する必要などない、中山成彬国交相5

 辞任する必要などない、中山国交相

 

 27日夜、テレビ各局は、「中山成彬国土交通相が日本教職員組合(日教組)や成田空港の拡張問題に関する一連発言で招いた混乱の責任を取り辞任」と、ニュース速報で伝えた。

 

 25日の成田空港の拡張に関する「ごね得」発言は、国交大臣として慎重さを欠いたもので、言わんとすることの真意をもう少し丁寧に説明すべきであったと、わたしも感じる。まさに事務局が後に説明したという成田闘争の歴史を紐解くまでもなく、もっと配慮のある発言であって欲しかった。そして中山大臣も言われたように、日教組問題は国交大臣が大臣として国交省内で話す内容としては、不適切であった。

 

 しかし、こうした感想を持ったわたしでも、中山大臣が辞任せねばならぬとは、決して思わない。そう考える理由は二つある。

 

ひとつは、日教組と成田に関する発言の真意が、ある面でひとつの真実を語っているからである。

もう一つの理由は、「言葉狩り」の悪しき風潮が「思想および良心の自由」を脅かすところまで今の社会が来ていると感じているからである。その国民の権利を本来守るべき立場にあるメディアが、あろうことかその風潮を後押しする嫌いがあるからである。

 

 今回(25日の国交省内での発言)の場合、国務大臣という立場での発言であるため、メディアは即刻、中山発言に飛びつき、「辞任の考えは?」「辞任については?」と質問攻めである。この光景だけを見ると、執拗ないじめの場面を見せられているようで気分が悪くなる。そして、こうした取材風景がテレビ画面で頻繁に流されることが、世の中の「言葉狩り」や「いじめ」の傾向に悪影響を及ぼし、さらに拍車をかけているように感じられてならない。

 

 同氏は、成田拡張問題と観光振興に関連した「単一民族、内向き」発言については、翌日の26日になり、撤回をし、謝罪をしている。撤回をしなかった日教組発言も、(自らが大臣である)国交省内という場所で発言したことは、適切ではなかったと述べた。

 

 ただ、撤回しなかった日教組問題については、27日に、中山成彬大臣の選挙区である宮崎県(第1区)で、「何とか日教組は解体しなきゃいかんと思っている」、「日本の教育の『がん』である日教組をぶっ壊すために私が頭になる決意を示した」とボルテージを上げた。

 

 それ故に、この発言は一部、慎重さを欠いた感情的な表現があったことは否めぬが、その真意は、文部行政に詳しい同氏のまさに政治的信条とも言えるものであろう。

 

 わたしの親戚、知人にも小学校の教員がいる。彼らはいわゆる日教組の人々がいう「非組(ヒクミ)」である。以前に彼らから「ヒクミ」であることの教育現場での厳しさを伝えられたことがあり、正直、驚いた覚えがある。日教組組合員たる教師が「ヒクミ」たる教師をシカトし、村八分にする様は、まさに陰湿ないじめそのものである。いじめをなくそうと社会が大合唱している時に、その教育現場において教師自身が同僚に対する陰湿な「いじめ」を行っている。そんな人々が子供たちに「いじめはいけません」と言っても、胸に響くはずがないし、そんな欺瞞に満ちた教育はご和算にしてもらいたい。

 

 戦後の文部行政は日教組との戦いであるとだいぶ前に聞いたことがある。児童の方に目を向けて行政を行う余裕も力も旧文部省になかったのは残念である。いまさら、そんなことを言っても始まらぬ。これから、どうするかなのだと思う。

 

 だからこそ「日本の教育の『がん』である日教組をぶっ壊す」との中山成彬議員の言葉はわたしの胸に強く響いた。その必要が確かにあるのだと、このわたしも信じる。日教組はひところと比べて組織率が低下し、弱体化したと聞くことがあった。しかし、「2ちゃんで拾った日教組先生の実態」に目を通すと、そこには濃淡があり、現実はそう甘くないということが分かる。由々しき教育の実態の一端が垣間見えるのである。

 

 そうした実態を知悉する中山成彬議員の政治信条に基づいた発言こそが、ここ連日の日教組発言であると思う。

 

 失言については撤回、謝罪をした。しかし、失言ではない政治信条については堂々と発言すれば良い。25日の場所の不適切はあるとは思うが、言っていることの真意は、わたしは間違っていないと考える。だからこそ辞任などすべきではないと言っているのである。

 

 ちょっと「口が滑って」、「筆が滑って」という表現が日本語にはある。最近の「言葉狩り」は、そうした日本社会がかつて持っていた「ぬくもり」を奪い、殺伐とした社会を作り出していっているようで悲しい。そして「言葉狩り」は思想や表現、信条の自由を侵す恐ろしいウイルスのようでもあり、恐怖感すら覚える。そして、それを後押しするかのようなメディアの報道姿勢にも、だからこそ批判的にならざるを得ないのである。

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タマ〜に動物園などはいかが?=多摩動物公園は開園50周年!5

タマ〜に動物園などはいかが?

=多摩動物公園は開園50周年!

 

動物園入口

たくさんの家族連

アフリカ園へ

 

 

 

 

 

 

 先日、初秋の空が爽快だったので、タマ〜に童心に戻り、突如、思い立った。ひとりで多摩動物公園へ行ったのだ。そしたら、この動物園はわたしよりちょっとだけ?年齢が若いことを知った。今年の5月5日で開園50周年を迎えたという。50年前(昭和33年)は日本社会が貧しさの中で共に夢を抱き大きく前進をしはじめた時代であり、その象徴とも言える東京タワーが奇しくも完成した年である。う〜ん、昭和レトロのにおいが濃厚な空間である・・・。

 

 多摩動物公園のHPに開園に至った経緯と目的が掲載されているので、以下に転記させてもらう。

 

多摩動物公園について

 

多摩動物公園が開園したのは、1958年(昭和33年)5月5日です。戦後に娯楽施設として人気を誇った上野動物園の混雑を緩和すること、動物の自然な生態を見せること、動物の繁殖等を目指すことを目的として計画され、建設されました。

 展示は当初、アジア産の動物が中心でしたが、その後、北側に敷地を拡張し、アフリカ園が誕生しました。ここに完成したライオンバス(1964年)は、世界初の試みです。また、1961年以来、チョウやバッタの展示に始まる充実した昆虫展示は、多摩動物公園の注目すべき特徴です。

 繁殖を目的とした多摩動物公園では、トキ、ニホンコウノトリ、キリン、チンパンジー、オランウータンなど、飼育下での繁殖に成功し、保全活動にも大きく寄与しています。2006年には「野生生物保全センター」も設立されました。

 大きな動物だけでなく、昆虫、そしてモグラやネズミといった小動物まで、さまざまな動物を、緑豊かな広々とした敷地の中で観察することのできる多摩動物公園。50周年を迎え、さらなる発展を目指しています。


 

 その日、園内に足を一歩踏み入れた時点で、わたしの心は、幼子(おさなご)色一色に染めあげられた。連休ということもあり、家族連れの姿が多く目についた。その日は「シルバーシャトル」バスを使用せず、くじけることなくアフリカ園へと急坂を登って行った。周囲の幼子たちの歓声に背中を押されるような感じが・・・、いや、こんな幼子が小さな足で登っているのに、負けられるかという思いの方が強かったと言うのが正直なところ。

 

 ライオンバスの場所へ到着。頭上からライオンたちを臨む。う〜ん、野性味のない怠惰なライオンたちにやや失望・・・。

 

 ライオン庭園の塔

ライオンバス雌ライオン 

 

 

 

 

 

チーターを見た。精悍な表情と引き締まった体躯にややうっとり、わがメタボの身体とつい無意味な比較をしてしまう。

チータ

アフリカ象

じゃれ合う象たち

 

 

 

 

 

 

 アフリカ象を見た。平成10年にここに来た時、その年に生まれた「パオ」と、その後、名づけられた象がいた。その象を探した。10年前に身長数十センチほどであった「パオ」がどこまで成長しているのか見るのが楽しみだった。

 

 ところが、見渡して見ても、みんな大きな象でどうもそれらしい若い象が見当たらない。10年という月日は象にとっても長い時間なのだと、その時は思った。庭内では二匹の象が戯れ、長い鼻をすり合わせる様子が妙に可愛らしかった。帰宅して、遠い記憶を確認する意味で、「パオ」をネット検索したところ、驚いたことに一年前の711日に9才という若さで急逝していた。「パオ」は当時、多摩動物公園で初めて生まれたアフリカ象ということで、都民から名前を公募していた人気者で、本当に可愛らしい小象だった。死亡のニュースに気づかずにいたが、ここにあらためて「パオ」の冥福を祈りたい。

秋の気配すすき

チンパンジー

縞ウマ

 

 

 

 

 

 

 そしてチンパンジーやフラミンゴを見て、最後にキリンのグラウンドへやって来た。多摩動物園のなかでも特に気にいっているスポットである。首の長いキリンがちょっと小高い小径の柵まで首を伸ばしてくるのは、結構な迫力である。いつも子供たちが歓声を挙げる。しかし、ここが好きな理由は、首の長いキリンの瞳を同じ高さの目線で見ることができるからなのである。

 

 その日は何が原因か分らぬが、キリンたちは見物客とは反対側の厩舎のほうに固まっているのみで、遠目でその動きを眺めるだけに終わった。

 

 遠い昔の小学校の遠足の時も、キリンがいた。結婚してからは子供たちを連れて何度か足を運んだ。その時々でキリンの瞳から受ける印象は異なっていたのだろうが、いつしかわたしはそのもの哀しい瞳に惹かれるようになっていた。最近では、その瞳見たさに多摩動物園へやって来ているのではないかと思うくらい、その潤んだ大きな瞳が神秘的に感じられてくる。キリンが潤んだ瞳でわたしを見つめ、何かもの哀しく語りかけてくる。いつもこの場所で時を忘れて、佇むようになっていたのである。

厩舎に群れるキリン

遠くのキリン

50周年記念

 

 

 

 

 

 

 当日はそんなキリンと間近に接することができず、憂いに満ちた瞳を見ることもなく、本当に心残りであった。今度また、天気に誘われて出かけて来ようと、後ろ髪を引かれるようにして動物園を後にした。

 

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大手メディアはいつ総理大臣に成り上がったのか=麻生太郎内閣の組閣5

22日に自民党総裁選挙を終え、麻生太郎幹事長が第23代自由民主党総裁に選出された。引き続き24日に第170回臨時国会が召集された。まず衆議院で麻生太郎氏が首班に指名された。ほぼ同時に開かれた参議院本会議では小沢一郎氏が首班に指名された。そのため衆参両議院の協議会を経たのち、憲法第67条の規程「(内閣総理大臣の指名は)衆議院の議決を国会の議決とする」により、ようやく内閣総理大臣が決まる。そして、憲法第68条の規程に基づき、内閣総理大臣が国務大臣を任命、いわゆる組閣の手続きに入ることになる。

 

総理大臣の指名と組閣手続きにつき大仰に憲法の条文まで持ち出したのは、このたびのNHKを筆頭とするテレビ各局の組閣人事報道に、メディアとしての一線を超えた異様な光景を目にしたためである。

 

つまり、まだ臨時国会の本会議も開かれていない24日早朝、NHKや民放各局は中川昭一衆議院議員に自宅前でインタビューし、同時にテロップで「財務大臣・金融担当大臣」と新閣僚ポストを報じていたのである。まだ閣議で福田総理が現閣僚から辞表を取り纏めるかなり前であったかも知れぬ時間にである。

 

新しく選ばれた内閣総理大臣が各閣僚を任命することは前述したが、まだ、その前段階も前段階の時間帯に、次の閣僚人事をニュースとして報道しているのである。

 

それも「就任する見込みが強まった」と報じるのであれば、予想を伝えたのだと言い訳も通じるかも知れぬが、既成事実のように報じたのである。また午後の報道においても衆議院で首班指名が終わったばかり、参議院ではまだ指名投票が行なわれている最中に、NHKは野田聖子消費者行政推進担当大臣や舛添要一厚生労働大臣の再任をはじめ他の主要閣僚人事を断定的に伝えた。それはまるで既に閣僚名簿が発表されたとしか思えぬ報道であり、そう錯覚してもおかしくない伝え方であった。

 

こうした行為は本来の報道の使命に値することなのだろうか。何が起こるか分からないのが政治の世界、一寸先は闇ともよく言われる。しかし大手メディアはそんなことは合点承知の介で、自民党有力筋か与党有力筋か分からぬが、そこからの確実な情報を元に事前報道を決したのだろう。

 

しかし、この報道はあきらかに決まっていないことをあたかも既成事実のように報じたものであり、その時点では事実ではない。「いったいどこの誰が決めたのさ」と、異様な違和感を覚えるのも当然である。

 

総理大臣も決まっていない段階に、これから選ばれるはずの総理が任命すべき各閣僚が、大手メディアによって事前に報道発令されている。いくら、麻生太郎自民党総裁が総理大臣になることは万々が一も間違いはないと踏んだとしても、こんなニュースの断定報道はありえない。メディアは、いつから憲法に定める国務大臣の任命権者である総理大臣になったのか。

 

その時国会議事堂では、まさに衆・参議院の720余名の議員が集まり総理大臣指名選挙を行なっている。閣僚人事を流す一方で、テレビ画面のなかに映し出されているその映像はいったい何なのか。あまりにも議院内閣制という民主主義の重み、ルールを無視したやり方ではないのか。

 

「国会は国権の最高機関」(憲法第41条)である。そしてこの日、本会議に出席した国会議員は「全国民を代表する選挙された議員」(憲法第43条)であることは、論を待たない。

 

NHKをはじめとする大手メディアが、議院内閣制を軽視または無視する報道を当然のことのように行なう。こうしたメディアに民主主義を語る資格はない。それ以上に知る権利という大義名分により手にした強大な権力を嵩(かさ)にきるこうしたやりたい放題の姿勢こそが、民主主義の基盤を蝕み、崩壊させることになるのである。

 

メディアにも言い分はあるのだろう。麻生氏が閣僚候補への要請活動を事前に行ない、永田町の有力筋が大物ぶって閣僚予定人事をリークしたことに問題がある云々(うんぬん)・・・。

 

しかし民主主義の最後の砦であるはずのメディアが、定められた民主主義の正当かつ客観的手続きが済む前に閣僚人事を報じる。国民の代表による手続きにより総理大臣を選び、初めて内閣が構成される。その構成された権力を監視するのが、メディアの最も大事な使命なのではないのか。そのメディアが総理大臣、内閣を済々と決める手続きを無視して閣僚人事を報道することは、透明かつ公正な手続きが民意を反映させるのだという民主主義の根幹を無視することと同一である。

 

およそ民主主義の最低の節度すら守らず、国権の最高機関である国会を形骸化した機関のように扱い、全国民を代表する議員の国会活動を軽視した今回の報道のあり方を見せられると、大手メディアに権力を論じる資格はない。また民主主義の価値を啓蒙する資格などさらさらないと断じざるを得ない。そして現在、大手メディアこそが、民主主義を体内から蝕んでゆく獅子身中の虫であると国民はよくよく知るべきであろう。


小林一茶の里、信濃町=俳諧寺一茶堂5

小林一茶の里、信濃町=俳諧寺一茶堂

 晩夏の頃、小林一茶の里、信濃町〔長野県上水内(かみみのち)郡信濃町〕を訪れた。上信越自動車道の信濃町ICを降り、一茶のお墓や俳諧寺のある小丸山まで45分(約3.5km)。  

 またJR信越本線黒姫駅からは徒歩5分(約300m)と、至近の距離である。ICを降りてすぐの道の駅で地図をもらうと便利である。

 

 小林一茶(17631827・享年65歳)は長野県の北部、新潟県との県境に近い信濃町柏原に生まれた。途中、江戸に奉公に出て、俳句の道を目指してからは関西・四国・九州を俳句修行でまわるなどして、50歳の時から亡くなるまでの約15年間をこのふるさと柏原で暮らしたという。

俳諧寺と一茶像 俳諧寺と一茶像

 

一茶堂全景

俳諧寺一茶堂

 

一茶像から一茶記念館裏口を

 

 

 

 

 

 

 

                                 一茶像から記念館を

 記念館の資料で俳人一茶の足跡と同時に、39歳の時に父を亡くした一茶が、ふるさとに永住することになるまでの約10年間、俳句の道とはおよそ対極にある相続争いを継母と弟を相手に行っていることを知った。その事実は俳聖といわれる芭蕉などとは異なった、生臭くもあり、あまりにも人間臭さく、一茶という人物の一面を知り、びっくりもし、何かとても身近に感じたのである。

 

 俳諧寺の脇には中條雅二氏の作詞、中野二郎氏の作曲になる「一茶さん」の童謡碑が建つ。

 

「一茶のおじちゃん 一茶のおじちゃん

あなたのうまれは どこですの

ハイハイ 私のうまれはの〜

信州信濃の 山奥の

そのまた奥の 一軒家

すずめとお話し してたのじゃ♪」

童謡碑

 

 

 

一茶さんの童謡碑

 

                                一茶翁のお墓

 

 

一茶翁のお墓

 

 

 

 

 

 

 

  そんなひなびた邑(むら)のおじちゃんと、10年の長きに及ぶ骨肉の相続争いを執拗に続けたひとりの男。そのアンバランスさを知って、「ともかくも あなた任せの 年の暮れ」なんてユーモラスな句の解釈なども、単に字面を詠んで分かった気になるのは、ちょっと早計にすぎると反省した次第である。

 

 一茶の眠る小林一族の墓地へ向かう道筋にひっそりと俳諧寺一茶堂が建つ。一茶をしのぶ人たちにより明治43年に建立された古いお堂である。その小さな堂内の天井には一茶を訪ねこの地へ足を運んで来た俳人、文人たちの俳句筆跡が一枚ごとにはめ込まれている。金子兜太氏らも献句をしていた。

俳諧寺一茶堂内

堂内天井板

俳諧寺額

 

 

 

 

 

 

 そこからほんの車で12分ほどのところに一茶終焉の場所である旧宅が残っている。旧宅といっても本当に小さな土蔵であり、亡くなる5か月前の柏原宿大火(1827年閏6月)で住家を焼失、残された土蔵に住み移り、結局、そこで65歳の生涯を閉じた(同年1119日)。土蔵を入るとすぐ土間に囲炉裏がきってあり、脇に二、三畳ほどの畳敷き(ほかに頭上に道具置きの二畳ほどのスペースがある)。ただ、それだけである。

 

一茶旧宅

一茶翁旧宅

 

狭い旧宅内

 

狭い蔵の中

 

 

 

  

こんなに暗くて狭いそして寒かったであろう蔵のなかで、「やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり」の一茶翁が寒い霜月に逝ったかと思ったとき、一茶のどこかユーモラスだがペーソスをふくんだ句に、血が通ってきたようで実感としての親しみが増してきた。

 

「やれ打つな 蠅が手をする 足をする」

「雀子を遊ばせておく畳哉」

「我ときて遊べや親のない雀」

 

一茶弟の屋敷

 

一茶旧宅横にある弟の屋敷

 

 

 

旧宅内石碑

 

敷地内に建つ石碑

 

 

 

 

 

記念館から信濃町展望

 

記念館玄関から煙雨の信濃町

 

 

 

 

 

と、詠んだ幼くして生母を失い、継母・弟と宿縁の相続争いをした肉親の情に恵まれなかった俳人の心の奥襞(ひだ)に僅かではあるが、触れることができたような気分になった。

 

その日は晩夏であるのにまるで秋時雨のような雨の降る、煙雨の一日であった。

 

 

辞任?太田誠一農水大臣、それは無責任!3

 

太田誠一農水大臣は19日、事故米不正転売問題での「農水省の対応が食の安全に対する国民の不安を招いた」として、福田康夫首相に辞表を提出し、首相はこれを了承した。

 

次期臨時国会はこの辞任の5日後の24日に召集される予定である。そこで首班指名となるわけで、現内閣の閣僚はその日に辞表提出の手はずとなる。残りわずか5日を残しての大臣辞任である。

 

辞任理由が農水省の不適切な対応で国民の不安を招いた責任というが、在任期間が残り僅かと分かっている時期、しかも早急に事態の収束を図らねばならぬ時に、この理由での辞任は許されることではない。任期いっぱい、これまでの事件の経緯を知るはずの大臣が陣頭に立って必死に問題解決への努力を続けることこそ、大臣たる者としての務めではないのか。

 

現在、汚染米転売事件は事態収束どころか社会全般へその影響は拡大し、問題は拡散していると言ってよい。まさに問題は燎原の火の如く燃え広がって行っている。そうした最中に、対策責任者の要である人物(途中で野田聖子消費者問題担当大臣に替えられたが)の農水大臣が、問題解決の渦中から逃げ出すなどあってはならぬ話であり、まさに下の下の話である。

 

福田総理が了承したというが、太田大臣のこれまでの「人体に影響がないことは自信を持って申し上げられる。だからあんまりじたばた騒いでない」発言や農水省に対する指導監督に大きな問題があるとして、表向きは「任にあらず」、「業を煮やした」ということなのだろう。しかし福田総理の本音は、来たる総選挙のマイナス材料をこれ以上増やしたくないというのが、この人物の辞任申し出をすんなり受理した大きな理由であろう(実際は辞任勧告のようだが)。この改造内閣を「安心実現内閣」と名づけたのであれば、太田大臣をボロボロになるまで使い切り、国民のために内閣総辞職の日まで誠心誠意尽くすのが筋というものであり、国民に対する礼儀というものではないか。

 

また一方の太田大臣に至っては、もう任期も実質的にないに等しく、こんな面倒くさい問題からすたこらサッサと逃げ出せて清々したという本音が記者発表の表情から透けて見え、こんな人物が大臣だったのかと国民として情けない限りである。

 

次の政権は、「経世済民」をご政道のど真ん中に据えて、政治を司ってもらいたいものと心より願うものである。そして「政治家は言葉が命」という。太田農水大臣はこれまでも無神経で不適切な発言が多い。今度の辞任も食の安全が揺らぐなかでの「じたばた」発言であった。そもそもこの御仁には政治家に最も必要な「言葉の力」の意味がおわかりになっていないのではなかろうか。その意味では政治家であること自体が問題であると今回の辞任劇を見て思わざるをえなかったのだが、いかがであろうか。


 

 

未曽有の危機が迫るなか、政治空白を許す能天気な国家4

未曽有の危機が迫るなか、政治空白を許す能天気な国家

 

 北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の重病説が伝えられるなか、朝鮮日報が韓国政府の北朝鮮情報筋の話として「北朝鮮が今年に入って東倉里(トンチャンリ)試験場で長距離ミサイルのロケットエンジン燃焼試験を行っていることが、米国のKH―12偵察衛星により把握された」と、伝えた(16日)。今回のエンジン燃焼試験は、20067月、試験発射が行われ失敗したテポドン2号(射程距離6700km)、あるいはその改良型(射程距離1km以上)と推定されているという。テポドン2号は米アラスカ州を、その改良型であれば米国のほぼ全域を射程範囲に収めるという。そうした国際関係の緊張を高める軍事実験が海を挟んだ指呼(しこ)の距離の国で行われていると言う事実。

 

また日本の領海内でもこの14日早朝、足摺岬沖の豊後水道周辺において国籍不明の潜水艦を海上自衛隊のイージス艦「あたご」が発見したものの、潜水艦が領海外に出奔(しゅっぽん)した後に見失ったという失態ともいうべき事件が起きたばかりである。

 

日本の安全保障を脅かす事態が続けざまに起きている。

 

そして、経済面ではリーマン・ブラザーズの経営破たんが世界的な金融危機ひいては大恐慌のトリガーとならないか、いま、全世界は息を潜めて米国政府の一挙手一投足を見守っている。わが国の金融システムへの影響は本当に大丈夫なのか。ただでさえ後退局面に入った国内景気に甚大な影響が及ぶのではないのか。

 

日本の経済を脅かす事態も急速に現実化してきた。

 

そうした緊迫した国際環境と金融不安や更なる景気悪化が懸念される国内情勢のなか、わが国の政治はというと、与党自民党は22日の自民党総裁選挙に向けてメディアと国民の目を釘づけにしようと、総裁候補仲良し5人組みによる全国行脚が・・・。片方ではメディア・ジャックの戦略に遅れをとった、いやドブ板行脚が政権への近道なのだ云々と党内議論にエネルギーを費やす相変わらずの民主党・・・。

 

福田康夫首相はとんでもない時期に政権を放り出してくれたものだ。これから総裁選挙、臨時国会そして、憲政の常道から言えば、臨時国会冒頭での解散、総選挙による国民の審判を問うという手続きが今度こそ必要なはずである。

 

しかし、ここ数週間で内外情勢は激変した。解散総選挙などという政治の空白期間をこれ以上、続けることが果たして許されるのだろうか。当然のことだが国際情勢はわが国の都合で動いてくれるわけはない。ましてや自民党の都合で動きなどしない。

 

政治は寸時に情勢の変化に対応しなければならぬ。その政治の頂点にいるはずの総理大臣が辞意を表明し、内閣はまさに開店休業の状態である。民主党も政権奪取に血道を上げ、目下の危機に対しての国家の対応をどうすべきかの議論をしようとしない。国会閉会中審査を与党に要求し、国家の危機管理につき早急な対応策を講じるべきである。政府与党も汚染米や年金不祥事問題の追及を怖がり、野党が言わぬからと頬かむりをせずに自らの発意で閉会中審査を開くべきである。

 

それが政治、政治家の最も大切な責務であり、政権を預っている、またこれから預ろうとしている政党の大事な資質だと思うのだが。

 

本当に、こんな能天気な国ってあるのだろうか。いや、極東の島国に厳然と無責任極まりない政治を行なう能天気な国があるのだから、「こんな国って嘘みたいだが、存在するのだ」ということになる。

 

リーマン・ブラザーズのCHAPTER11申請は世界大恐慌へのゴング!3

 915日、米国の大手証券会社リーマン・ブラザーズ・ホールディングスがCHAPTER 11(米連邦倒産法第11条)を申請した。日本でいうところの民事再生法である、と言うより、日本の民事再生法の見本が米国のチャプター・イレブンであったのだが。同法は現在の経営陣が退陣することなく会社再生の道を選べるという点で、会社更生法とは大きく異なる。とは言っても会社の倒産というきわめて深刻な事態であることに変わりはないのである。

 

 およそ10年前のこと。北海道拓殖銀行の破たんにつづく山一証券の自主廃業の発表。199711月、この日本で相次いで起こった社会を震撼させた大手金融機関の実質的な大型倒産。その翌年には日本長期信用銀行という大銀行の倒産などが続いた。リーマン・ブラザーズのCHAPTER11の申請を聞いて、あの時の背筋の凍るような金融危機の恐怖がまざまざと甦ってきた。事の発端は異なっていようが、これまでの経緯があまりにも似ているのである。

 

 サブプライム・ローン問題に端を発した世界的な金融不安は、これまでのところ自己努力による増資を中心になんとか決定的な金融危機を回避し、目晦(くら)ましのようにして、ごまかしごましでなんとかやって来たように見える。しかし、この99日、サブプライム問題の煽りを受け苦境に陥っていた米政府系住宅金融機関二社に対し、米政府が十兆円余にのぼる多額の公的資金による資本増強という政策パッケージを発表、両社を公的管理下に置くとした。この発表により逆にわたしは、米国の金融危機は生半可なものではなく、不良資産が不良資産を新たに生み出してゆく、未曽有の負のスパイラルの世界に入ったと判断し、憂慮を深めたところであった。

 

 その矢先の大手証券というより世界的大金融機関であるリーマン・ブラザーズのCHAPTER11の申請である。いま、米国にとどまらず欧州の金融機関も含めてサブプライム・ローンの痛手を互いの傷をなめ合うように増資をし合うことで、自己資本の毀損(きそん)に対処しようとしている。しかし、その増資による自己資本の増強という手法は、そのリンクの中にある、一社がつまずくことで、ドミノ倒しの危険を孕(はら)んでいる。「見せ金増資」とは言わぬが、最初の増資で自己資本を強化した金融機関が、他の金融機関の増資に応じ資本増強を果たす。それを繰り返すことで、みんな、資本は大丈夫であると何となく安心しているのが、つい、昨日までの状況ではないのか。

 

 リーマンが破たん。その直後にニューヨーク・タイムズ社がプライベート・エクイティのJCフラワーズらのAIGへの出資見合わせを決定し、同社が財務的危機に陥る懸念があると報じた。AIGは誰もが知っているように、130以上の国・地域に展開している世界的な保険・金融サービス機関である。そのAIGも危ないのか。

 

 ドミノ倒しが本格的に始まったのではないのか。無性に気味が悪い。真夏の夜の悪夢にならぬとよいが・・・、21世紀の世界大恐慌・・・などという恐ろしいことにならぬとよいがと祈るばかりである。


蓼科リストランテ イルポルト(蓼科グルメ---13)5

蓼科リストランテ イルポルト--蓼科グルメ13

★★★★

〒:391-0301 茅野市北山栗平4035-68

電話・Fax0266-71-5533

定休日:火曜日

ランチタイム11301430(土日 11301500

ディナータイム:17002100

 

 

 

 久しぶりに「イルポルト」を家族三人で訪ねた。以前、何度か通い詰めたが、どうしたことか最近はとんと御無沙汰をしていた。つい、オーナーシェフと馴染みができたお店を予約してしまうため、なかなかこちらの方へは頭が働かない。今回は、ちょっと気分を変えてと考えたところ、そう言えばと、「イルポルト」が思い浮かんだ次第。


夏の雲

看板

外観

 

 

 

 

 

 


 


 イルポルトのオーナーには申し訳ない限り。店内に足を踏み入れて、どうだろうか・・・、もう4、5年は来ていないのだろうか。ちょっと雰囲気が変わっているように思えた。店内の従業員の人数が増えているように感じた。 


店内風景

セパレート風の部屋

テラス席を

 

 

 

 

 

 

 

 


 

メバルのカルパッチョ

蓼科浪漫麦酒

自家製スモーク類盛合せ


 


 


 


 


 


 


 

 デザートは女性二人がオーダー、わたしは健康診断も迫っており、メタボ対策でパス。暑い夏のメニューとしてはずいぶん工夫を凝らした料理であった。野菜を含めスモーク製品も自家製の材料であるが、新鮮さはもちろん料理全般の味付けはイタリア料理にしては「あっさり」、「淡泊」でわたしにぴったりである。食後、おなかにもたれないイイ感じである。

 

マルゲリータ

冷製魚介類のパスタ

細いパスタ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポークチョップ

ブリュレ

オリジナルデザート桃

 

 

 

 

 

 

 

 日もとっぷりと暮れ、エントランスを出ると夏の夜風が肌に心地よく感じられた。

 

エントランス

夜のイルポルト

 

 

 

 

 

 

 

 

 茅野方面からビーナスラインを上ってきて、やたらと車が駐車している「バラクラ・イングリッシュガーデン」前を通り過ぎてすぐ左手にイルポルトはある。その一軒先が手打ち蕎麦の「みつ蔵」である。

 

 

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香草庵(手打ち蕎麦)―――蓼科グルメ125

    香草庵(手打ち蕎麦)―――蓼科グルメ12

            ★★★★★

 

長野県諏訪郡原村172173693

電話:02667022870

  営業時間11001400・定休日 毎週火・水曜日及び2

           香草庵HP

 

 八ヶ岳農場から御柱街道を茅野方面へ、そう車でほんの2分ほどの距離だろうか。路傍の看板を左に曲がるとすぐに香草庵(こうそうあん・20045月開店)はある。伝統的蕎麦屋を想像して訪れると、その洋風別荘をお店にしたような佇まいにまずは、びっくりさせられる。

香草庵吊るし看板

洋館仕立

蔦の絡まる洋館

 

 

 

 

 


 


 この店は開店が11時となっているので、出来たらブランチをとるくらいのつもりで早めにゆくのがよい。何せ、ちょっと出遅れると2030分の時間待ちは覚悟せねばならない。

 

八ヶ岳農場でいつも野菜や卵を購入するわたしどもも、ここに蕎麦屋があることはある頃から気付いてはいたが、昼食どきに通り合わせることが少ないこともあり、一度も香草庵の蕎麦を口にすることはなかった。

定休日看板

メニュー

八ヶ岳農場ひまわり

 

 

 

 

 

 

当日はたまたま11時過ぎに農場に着いたため、家内と娘で「今日こそ、香草庵にチャレンジしよう!」と、実は三度目の正直でようやく蕎麦にありついたのである(これまで、実は一度目は定休日、二度目は庭のそこここで時間待ちするお客の多さと店内の順番待ち表を見てあえなく断念していたのである)。

玄関正面ムードある店内順番待ちの椅子

 

 

 

 

 

 

当日はフォトの撮影時間を確認すると、1128分に店頭の看板を撮影しているので、1125分頃に香草庵に到着している(写真って便利だ!)。店に入るとお客はわれわれだけ。ラッキー! 早速に、一番いい席、ゲット! 写真も遠慮なくパチパチ“##☆☆!!”  

 

家内が「ぶっかけ(980円)」、娘が「冷し鴨南蛮(1,250円)」、わたしが「冷しにしん(1,400円)」蕎麦を注文。

ぶっかけ冷し鴨南蛮冷しにしん蕎麦

 

 

 

 

 

 

そのころになると常連客の老夫婦がふた組ご一緒に、そしてまたひと組、今度は大勢で・・とわずか78分ほどで店内の席は瞬く間にいっぱいとなった。

 

われわれのあとひと組目のお客が入ってきたところで、「そばがき(580円)」が欲しくなったので、お願いしたところやはり「この時間帯は申訳ないがダメ」。それを聞いていなかった老夫婦も「そばがき」を注文、断れる。その後押し寄せたお客の数を見れば、この時間、「そばがき」を肴にゆっくりお酒でなんて甘い考えはダメダメ!!ってことがよく分かった。

 

われあれの席に一番に運ばれた蕎麦は、麺のコシはちょっと固めでよい。汁はコクのある味で、ちょっと蕎麦屋で経験したことがないような味であり、気に入った。言ってみれば「蔦の絡まる洋館の蕎麦」にぴったしの味である。

 

家族3人、満足!満腹!で店を出ようと席を立つと、順番待ちの席にはいっぱいのお客。外に出れば庭内の花々を眺めながら順番待ちのお客が数組と・・・。「香草庵は早めの蕎麦がよい」であると認識した。

庭内の客、客・・前庭から晩夏の空を稲穂を横目に

 

 

 

 

 

 

ささやかな優越感に浸りながら一路、蓼科に向かう。車窓からは晩夏のなか初秋の顔がほの見える景色がつづいた。

席から庭を蓼科にはコスモスが

一路蓼科へ

 

 

福田康夫内閣総理大臣退陣表明=本音は「もうやってらんね〜!」4

福田康夫総理、退陣表明=本音は「もうやってらんね〜!」

 昨年の912日、国民は一国の総理大臣が突然、政権を放り出すという驚くべき光景を見せられた。それから約一年後、再び同じ光景を見せつけられるとは夢にも思わなかった。

 

 国民の政治に対する「信頼の失墜、ここに極まれり」というとこだ。そして、国際社会の日本を見る目は明らかに、この国の幼稚な政治の成熟度に驚き、侮(あなど)ることになろう。議会制民主政治を採る国家として、恥ずかしさを通り越し、もう国際社会の責任ある一員としての資格すら失ったのではないかと、われわれ国民もそうした議員、政党に政権を任せたものとしてただただ自嘲するしかない。

 

 それほどに今回の辞任劇の影響は大きい。福田総理は安倍内閣退陣の理由とは異なると強弁するが、我が国におよぼしたマイナスの影響は、理由のいかんに拘わらず、今回の方が格段に大きい。

 

 なぜなら、福田康夫氏は派手さはないが、地道に政策を推し進めてゆく忍耐力と知恵を有していると考えていたからである。玄人筋に受けがよかったのも、そういう福田氏の人柄と大人の政治力を評価してのものであったと思われる。

 

 しかし、91日の「防災の日」は、国民にとって「災害の日」へと一挙に変貌した。912日に臨時国会を召集することが決まった矢先の退陣表明である。81日に大幅な内閣改造に踏み切り、さぁこれからというときの退陣である。

 

「君子豹変す」とは言うものの、さすがにこれは福田さん、あまりに無体じゃありませんか。大人の政治家と思っていたわたしが馬鹿だったと言えば、それまでだが・・・。

 

 福田内閣発足後の民主党小沢一郎代表との大連立構想の頓挫にはじまり、その後の民主党の国会運営の非協力的姿勢への転換、ことさらの対決姿勢の堅持。公明党の与党病からくる大局を見据えぬ政策と無理筋の横やり。そうした国会運営へのいらだちと、法案審議の遅れからの政権担当者としての責任感から来る焦慮感は想像に難くない。ただ、そうした事情を200%斟酌したとしても、それでも福田さん、今度のことは、そりゃないでしょ!

 

 福田総理のあとを誰が襲うのかはわからぬが、自民・公明政権は、安倍・福田・今度の総理と、3代続けて国民の審判を得ずして政権運営に当たることになる。これは、議院内閣制をとる政道の根本に鑑みて、絶対におかしい。

 

 総選挙で政治の空白を作る時間的余裕はないというのは詭弁である。筋から言って、福田総理は解散に打って出て、国民の審判を仰ぎ、政権を民主党に譲れと国民が判断すれば、それに従うのが議院内閣制の筋と言うものであろう。逆に国民が福田、お前もう一度やれと言えば、ねじれ国会と言っても、直近の民意は自民党に政権を付託したのだから、国会運営で民主党はこれまでのような審議拒否はしづらい状況に陥ったはずである。

 

 なぜ、堂々と民意を問わないのか。与党で衆議院の2/3の議席確保が崩れるのが怖いのか。あまりにもその腰の引けた政治姿勢は情けない。国民は筋を通す政治家を求めているのだということを、永田町の人間は分かってほしい。とくに福田総理はそうしたことが少しは分かっていると思っていただけに、裏切られた思いは、安倍前総理のときよりも数段強いものとなっているのである。

 

 次期総理は速やかに解散総選挙を行い、国民の審判を経て、政権の正統性を確立すべきである。福田さん、「もうやってらんね〜!」は、一国の総理は絶対、思ってはみても、行動に出すのは、無責任以外のなにものでもないということだけは分かってもらわないと、オイラの腹の虫はおさまらね〜!

 

 

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黒姫高原の夏の一日、ウッズ・コンサートを堪能5

黒姫高原、夏のホーム・コンサート(2009年826日)

 
 2008年の晩夏、信州黒姫高原で「真夏の夜の夢」のごとき非日常体験をした。当日は山中邸において、山中和子・加藤孝子両ピアニストと中川美和、藤澤聡子両サックス奏者4名によるホーム・コンサートが開かれたのである。

 

 山荘の広いリビングには二台のグランドピアノが置かれていた。一台はこの山荘の主(御主人の山中恵介氏は陶芸家)である山中和子氏ご自慢の琥珀色の「スタインウェイ」である。そして広い窓越しにどこまでも広がる緑豊かな広葉樹の木立。室内そして屋外ともに、とても贅沢で心安らぐ空間である。視覚の世界だけで十二分にこれからのプライベートコンサートへの期待が高まってくる。

二台のピアノ

二台のグランドピアノ

 

スタインウェイ

ご自慢のスタインウェイ

テラスより木立
緑の木立に囲まれて・・・
 

 

 午後2時半、黒姫高原のウッズ・コンサートの開演である。

 

当日の演目は以下のとおり。(P:ピアノ、S:サクソフォン)

モーツアルトの「2台のピアノのためのソナタ」(P:山中・加藤両氏)

リストのリゴレットパラフレーズ(P:山中氏)

リストのハンガリアンラプソディー(P:山中・加藤両氏)

フォーレの歌曲2曲(S:中川氏、P:山中氏)

ブラームスのチェロソナタ一番(S:中川氏、P:山中氏)

サックスデュオ(ごめん、曲名が・・・)(S:中川氏・藤澤氏、P:山中氏)

 

 まず、スタインウェイの鍵盤が重厚で深みのある音色を室内にポロンと解き放つ。演奏者4名、聴衆8名という贅沢極まりないホームコンサートの幕が切って落とされた瞬間である。山中和子氏と加藤孝子氏の二台のピアノによる演奏が山荘を一挙にウィーンの音楽堂へと変身させた。そしてスタインウェイでの連弾・・・。もう気分はどこか貴族のお屋敷に御呼ばれしたみたいで、それだけで最高!

 

 目をつむり、いつしか音楽に一心に耳を傾けるうちにピアノの音が衝撃波として自分の身体を鞭打ち、心を揺さぶっている。そして広い室内の空気が踊るように震えているのが分かる。身体が宙に舞い始めたような気分になった。

山中和子氏

山中和子氏

何演奏する
ここは、これネ! 周到な打ち合わせ?

サックス協演
サックスとピアノの協演(左:中川美和氏 右:藤沢聡子氏)

 サクソフォンとピアノというクラシックの取り合わせは、昨年9月、松本市で山中・中川両氏の演奏を聴いたのが初めてであった。そのときは「まつもと市民芸術館」で催された「まつもとオープンカレッジ連続講座2007」(信州大学人文学部主催)に一部、参加したのだが、サックスとピアノの組み合わせに正直、新鮮な驚きを覚え、サックス奏者の中川美和氏の息継ぎに「大変だなぁ〜」と見当違いの感心をしてみたもんだ。

 

ピアノ連弾

ピアノ連弾(奥:加藤孝子氏)

サックスとピアノ
サックス奏者 中川美和氏

サックス協演2
サックス協演(右:藤沢聡子氏)

 

 今回はそのご両名が目の前一メートルのところで演奏してくれる。サックスの音が山荘内に心地よい振動を伝える。それは渚(みぎわ)に寄せては引く潮騒のよう・・・。その一方でスタインウェイの身体を包み込むような暖かい♪が高い天井からゆらゆらと舞い降りてくる。それは真夏の高原に降りつもる奇跡の雪花のようでも・・・。

 

 そしてサックスの中川・藤澤両氏の協演に中山氏のピアノが伴奏・・・と、高原の音楽の憩いは続いていった。

 

 わたしにとりこの日は、音楽がこんなにも身近で楽しいものということを初めて知らされた時でもあった。2時間余の演奏会ののちホームパーティーへとステージは移ってゆく。

 

 実はその日の聴衆のおひとりが、松本市の老舗フランス料理店「澤田」のオーナーである澤田宗武氏であった。下ごしらえをした料理を手際よく調理し、女性陣が中心となって手早くテーブルに豪華な食事がサーブされる。こわい先輩が厳選した?ボルドーの赤ワイン等々。まずは全員でコンサートの成功を祝し、冷えたスパークリングワインで乾杯!!

 

 パーティーの開宴である。

 

 素敵な音楽を堪能したあと、素晴らしい料理に舌鼓を打つ。「余は満足である!」

 

スパークリングワイン

テラスにスパークリングワイン


アフターディナー・サックス協演

アフターディナーのサックス協演

 

夕闇せまる
窓辺に夕闇がせまり・・・

 

 食事もひと心地ついたころ、サクソフォンの音が流れだす。そしてピアノの音色も流れてくる。ほろ酔い気分のなか、心を和ませるメロディーが奏でられる。そして女性陣でどう盛り上がったのか、最後は坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」をサックスとピアノの協演をバックに、唄をうたって「真夏の夜の夢」は本当にたくさんの思い出を胸中に残して終演を迎えることとなった。

 

 藤澤聡子氏はSatia(松林千佳:バイオリン・西田文子:ピアノ)というグループで音楽活動を行ってきており、この9月21日(日)に長野県の「松代文化ホール」(開演1800 全席自由¥4,000)で「開花宣言」というタイトルのライブを開催する(チケット予約 080-1310-0632)。

 

 また中川美和氏と山中和子氏は925日(木)に(開演1900 ¥5,000・ワイン、オードブル付き)東京の代々木上原の「MUSICASA(ムジカーザ)」で「Nouvelle resonance(新たな響き)―サクソフォンとピアノの夕べ―」のタイトルでまさに肩の凝らない身近な楽しい演奏会を開く(問合せ03-3327-2034)。

 

両コンサートともに「一聴」の価値はあること請け合いです。お時間の許す限り、チケット購入の上、ぜひ会場へひた走ってご参集ください!

 

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