彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

May 2008

平城遷都1300年記念 国宝薬師寺展、6月8日まで5

平城遷都1300年記念 国宝薬師寺展、68日まで

 

 東京国立博物館の平成館で現在、平城遷都1300年記念 国宝薬師寺展が開催されており、残すところあと一週間ほどとなった。

 

 薬師寺展についてはNHKのハイビジョン特集「薬師寺 白鳳伽藍の一年」やNHKスペシャル「日光・月光菩薩 はじめての二人旅〜薬師寺 1300年の祈り〜」、アートエンタテイメント 迷宮美術館「出張!国宝 薬師寺展」など、再放送、再々放送も含め繰り返しテレビで放送されていた。それもあってか、520日には来場者数が50万人を突破したと一部ニュースで報じられた。わたしが訪れた527日は入館するのに80分待ち、閉館時間も30分延長ということで、国立博物館の園内は平成館の入口まで幾重にも折れ曲がった行列ができていた。当日は気温28度と陽射もきつく、博物館に常備された日傘が列ぶ拝観者に貸し出された。

チケット売り場

薬師寺展 ポスター

混雑表示

 

 

 

 

 

 

 

東京国立博物館正門  平成館壁面のポスター  混雑表示

 

 今回は光背をはずした日光菩薩、月光菩薩を360度から拝観することができるということで、わたしも多大な関心を持って出かけた。だが80分待ちという事態には驚いたのも事実である。暑い陽射のなか30分ほどで途中リタイアーする人もいたが、それでも大勢の人は日光・月光菩薩さんを拝顔するため長時間、じっと列んでいた。汗を拭きながら黙々と歩を進めてゆく群衆の姿を見てわたしは、みんな荒廃した今の社会に何とか救いを求め菩薩に祈りを捧げたいとの一心であると思えてならなかったのである。

行列1

行列2

館内玄関

 

 

 

 

 

 

 傘を差し列ぶ大勢の人 幾重に折れる行列 ようやく館内玄関に

 

館内で日光菩薩、月光菩薩のお姿をじっくりと拝観させていただいた。お堂のなかでは体験できない菩薩とほぼ同じ高さから対面してそのお姿をお参りできたことは、望外のことであった。そのふくよかだが、スリムなお姿に、下から見上げては分からぬ新しい発見もあった。また聖観音菩薩立像の美しい立ち姿にも、心を洗われた。

 

今回の薬師寺展は「あなたの心」を見つめ直すいい機会だと思う。薬師寺管主安田暎胤(えいいん)氏が「荒(すさ)んだ世の中に少しでも菩薩様の願いを感じ取ってもらいたい、菩薩様をご覧になって心を癒して頂きたい」と、日光・月光さんを薬師寺の外に出す意義を述べておられたが、まさにそう感じさせられたひとときであった。

 

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割烹やました(後編)――「Bar K6」5

割烹やました(後編)――「BAR K6

 

「K6」京都市中京区木屋町二条東入るヴァルズビル2F

電話:075−255−5009

 

割烹やました-----京都グルメ編

葵祭り、割烹やましたへ 前篇

 

 「やました後編」と銘打ったのは、「やました」で旬の料理に舌鼓を打った後に行ける粋なお店を紹介したかったからである。前編で記した大将から紹介された大将らもたまに顔を出すと云うお店である。

K6外側階段

大人の雰囲気

カウンター

 

 

 

 

 

 

 

 

K6への外階段   オレンジ色の店内   大人のムード


 

 「やました」から木屋町通りを北へ2分ほど歩き二条通りに突き当たったところのヴァルズビル二階にBar「K6」はある。ホテルフジタの西隣になる。外階段を昇り薄暗い店内に入ると、カウンターとオレンジ色の照明に浮き上がった棚に色とりどりのボトルが列んでいるのが目に入る。淡くオレンジ色のベールをかけたような大人の雰囲気に満ちた小洒落た店である。入った瞬間の印象は「グ~!」であり、「大将もやるじゃ〜ん!」であった。

 

 マスターの坪倉さんに名前を告げると、カウンターに二つ席が用意されていた。ちゃんと予約の電話が入っていた。ちょっとしたことで気分はさらに「グー!」になる。カウンターには二組ほどの先客がいたが、常連さんであろう。静かに語り合う姿はお店の雰囲気を大切にしているようで、その気持ちが伝わってきて嬉しい。

 

 家内はBarなんて久しぶりとカクテルが欲しいと云い、若い女性の好む「バイオレットフィズ」なぞを注文した。わたしはバランタインをロックでと洒落て見た。そのあと、わたしも「バイオレットフィズ」なるものを頼み、家内は「ピニアカラーダ」とかいうカクテルをオーダーした。ホワイトラムとパインジュースとココナツミルクを組み合わせたものだそうだ。「K6」ではこれに細かく刻んだ林檎を入れていたが、ちょっと呑ましてもらったところ、結構、「イケタ」。

カクテル2

グラス

カクテル1

 

 

 

 

 

 


 

ピニアカラーダ           グラス       カクテル

 

「K6」の名前の由来について訊ねた。オーナーが求める理想のBARのコンセプトが6つあり、それを意味する言葉がKの頭文字を持つ6つの英単語で表せるのだという。それを目標にしたお店造りということで、「K6」としたとのこと。

そして「6つのK」とは、KINGKEYKNOWLEDGEKOHINUR(「コ・イ・ヌール=光の山」=ビクトリア女王所有のダイヤモンド),KALEIDOSCOPE(万華鏡)と、6つ目に名誉、ノアと云われたが、いま思い起こしてみてもKが頭につく該当する英語を探すことが出来ない。ともあれ6つのKを目指した店づくりを理想としているということである。

 

 京の夜も更け店内はまたわれわれだけとなり、さすがに退散することにした。マスターに外までお見送りいただいた。高瀬川の暗がりに和船がぼ〜っと浮かぶ。そして暖簾を仕舞った「やました」の前で灯を落とした町屋通りに入り、心地よい夜風を頬に受けながらぶらぶらと歩いた。

 

高瀬川の和舟

暖簾を入れたやました

灯の落ちた町屋通り

 

 

 

 

 

 


 

高瀬川に浮ぶ和舟  暖簾を入れた「やました」 灯の落ちた町屋通り

 

ホテルの入口近く暗闇のなかバイクを置いて近寄ってきた背の高い不審な男性が声を掛けた。「いま、お帰りですか」と、聞き覚えのある声色である。

何と、「やました」の松岡君であった。時刻は日付も変わった12時過ぎである。わたしたちに気づき、わざわざ挨拶に来てくれたのである。われわれお客が帰った後も後片付けなどでこんなに遅くなるのだと、改めてお客をもてなす仕事と云うのは隠れたところでこうした努力があるのだと、当り前のことを知らされたものである。

 

 京都最後の夜に思いがけず「やました」の松岡君にお会いでき、「また、来るね!気をつけてお帰り」と挨拶ができたことは、なんとも心温まる気分であった。最後までハプニングに満ち、ワクワクし、そしてすこしロマンチックですてきな「やました」の夜でありました。

 

 そして次にK6を訪ねるときに、最後のKは何だったかを確かめようと思う。

 

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新緑に映える美山荘(続編)5

新緑に映える美山荘(続編)

京都市左京区花背原地町375
電話番号:075-746-0231

峰定寺を

朝の母屋

玄関より

 

 

 

 

 

 

母屋前より峰定寺を  朝の母屋     母屋玄関

翌朝は母屋にある名栗の間で朝食を摂った。「名栗」という名前がこの部屋に冠されたのは、おそらくその栗材の床が「釿(ちょうな)」で波状に荒く削られたいわゆる名栗面(なぐりめん)といわれる表面仕上げになっているところから来たのだと思われるが、その趣のある床に腰をおろし囲炉裏型のカウンターの下に掘られた窪みに足を落とす。

寝ざめの茶

朝食が運ばれる前に朝の一服。梅の香りのするお湯で昨夜の残った酔いもすっと吹き飛び、胃袋が活き活きと動き出すのがわかる。

 

 

目覚めの梅湯

 

日頃、朝食を抜く習慣のわたしもこの美山荘では、箸を採る。森閑とした深山の宿でのんびりとした朝食をとる。おいしい!

朝御飯1

朝御飯2

朝御飯3

 

 

 

 

                              

              

                                 豆腐       味噌汁

朝御飯4

朝御飯5

朝御飯6

 

 

 

 

 

 

のへしこ   肉厚の椎茸の煮しめ   野菜のお浸し    

そして、いつものデザートが目の前にあらわれる。黒砂糖味のお菓子。大好物である。それをいただき終わると、美山荘とのお別れの時間が迫っていることを知る。名栗の間に静寂がただよう・・・。

 

朝御飯デザート

母屋玄関に置かれる硯母屋から離れを 

 

 

 

 

 

 

黒砂糖菓子   玄関脇の硯と宿帳   母屋より離れを

大女将、若女将に加え、今回はご主人の久人氏にもお見送りをいただいた。本当にお世話になり、ありがとうございました。次回は、久人氏は夏も素敵ですよと、若女将はわたしは冬の花背は素晴らしいと云う・・さて、さて、どっちのご意見を取り入れようか・・・。

お見送り

御似合いのご夫婦

 

御似合いのご夫婦 

 

 

 

 

 

若女将、久人氏、大女将

 

楽しい悩みを抱えて、然る方のご厚意で思いがけずいただけた葵祭の招待席のある下鴨神社へと向かった。

鞍馬街道1

鞍馬街道2

京都の街並が見えてきた

 

 

 

 

 

 

 

花背の辺りの風景   鞍馬街道   京都の街並を見る 

 

 

中東久人氏のブログ「美山荘だより

 

 

彦左の正眼「美山荘の蛍狩り 2006

 

彦左の正眼「新緑に映える美山荘(前編)

 

 

彦左の正眼「葵祭の日、割烹やましたへ」

 

         

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新緑に映える美山荘(後編)5

新緑に映える美山荘(後編)

野草一味庵

京都市左京区花背原地町375
電話番号:075-746-0231

 

天魚(あまご)の塩焼きと夏蜜柑酢については中東久人氏のブログ「美山荘だより」の5月15日付けに詳しくその極意が書かれています。ブログを帰宅後に読ませていただき、食材を活かすために斯程(かほど)にさまざまな工夫と手間が掛けられていることを知り、お客冥利に尽きるとはこのことと心より感謝した次第です。

 

箸休

箸休

 もみじ傘 へぎかつお

 

 

 

 

 

炊合

炊合

 筍・わらび・鰻

 

 

 

 

 

御飯

御飯

 山蕗(ふき)ごはん

 胡麻 香の物

 

 

 

 

水物

水物

 美山羊羹(ようかん)

 チーズアイス

 いばら苺

 

 

 

 

デザートの最後に菓子が出たのですが、餡子(あんこ)に目のないわたしは、目の前に出された「よもぎ餅」をパチリではなく、パクリとしてしまい、写真がありません。そういうことで、今回も、有終の美を飾ることができませんでした・・・。

 

そうこうして料理すべてを堪能しつくした時分には、時刻は十時を過ぎていました。遅くまで御もてなしを尽くしていただいた美山荘の皆さんにはいつもいつも感謝の気持ちでいっぱいです。

 

そして、料理というものは目で楽しみ、舌で楽しみ、そして耳で愉しむ(会話)、その三拍子がそろって初めて食三昧であると心底知らされた山斎(さんさい)での思い出に残るひと夜でありました。

 

 

 

 

 

美山荘当主の中東久人氏のブログ「美山荘だより

 

【しつこく続編につづく

 

 

 

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京都・美山荘 花もごちそう

 

雪峰花譜―摘草料理 美山荘

京 花背 摘草料理


摘み草クッキング

新緑に映える美山荘(中編)5

新緑に映える美山荘(中編)

京都市左京区花背原地町375
電話番号:075-746-0231

盛り付け、器、食材の命である新鮮さ(ここまでは何とか写真でお楽しみいただけるが)、そして味付け、そのすべてがそろったのがここ美山荘の摘み草料理であると云ってよい。以下、献立に沿って写真で料理を紹介する。まずは当日の御献立である。

 

当日の御献立

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、せっかくのお料理も名前を(加齢のためか?)忘れてしまうので、大女将に御献立の明細を知りたいと無理をお願いしたところ翌日、こんなにりっぱなものをいただいた。お忙しいなかこうした我儘をお許しいただいたことにいたく恐縮したところである。

 

そこで、その献立に沿って写真での紹介に移ることにする。中にピントボケが多いのはお料理に舌鼓を打ち過ぎたあまり、つい写真への集中力が減殺されたためであり、決してお神酒の所為ではないことを言明しておきたい(誰に?)。

 

向付と汁

向付

 鯉造り 其皮湯引・芽独活(ウド)・

 のびるおろし・野人参花

 よもぎ生麩・からし白味噌仕立

 

 

 

筍杣焼き

 

青竹杣(そま)焼き筍 木の芽味噌

 

 

 

 

 

 

揚げ物

揚物

 

蒲公英・こごみ・つつじ花・行者にんにく・

こしあぶら・みつ葉・いたどり・たらの芽

 

 

 

 

 

口取

口取詳細お凌ぎ

 

 

 

 

 

 

 

口取(若狭鰈・雁足・うるい・芽うど・たら芽) お凌ぎ

 

 

凌ぎ鯖すし

煮物椀

焼き物

 

 

 

 

 

 

 粽鯖すし      揚岩魚の煮物椀   天魚塩焼・夏蜜柑酢

 

若女将

 

 

談笑する若女将

 

 

 

 

 

「鯖すし」は祭の日に昔から京都では、町衆の御馳走として食べる風習があったそうです。若狭から鯖街道を通って運ばれてきた、周りを山に囲まれた京都では貴重なお魚だったのでしょう。葵祭本番の15日を翌日に控えた夜、往時に想いを馳せたところです。

 

 

 

 

 

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中東久人当主のブログ「美山荘だより

新緑に映える美山荘(前編)5

新緑に映える美山荘(前編)

美山荘 蛍狩り

京都市左京区花背原地町375
電話番号:075-746-0231

 摘み草料理が一番美味しい時期である5月のゴールデンウィーク明け、学生時代の先輩ご夫妻と一緒に美山荘を訪れた。今回は桂離宮を拝観後に花脊(はなせ)へ向かうため周山街道経由の道行きとなった。

 

桂離宮4

桂離宮1周山街道

 

 

 

 

 

 

 

     桂離宮       桂離宮      周山街道      

 

 そのおかげで高雄から花脊の新緑のなかに自生の藤の花がたわわに垂れ下がっている様を目にできたことは、望外の喜びであった。腕周りほどもある藤の樹の蔦の太さと長さは、藤棚になじんでいる都会の人間には新鮮な驚きであった。そもそも自然が持つ逞しさが与える不作為の心象は、「人工美」を何倍にも超える感動を与えるものなのだと得心したものである。とくに桂離宮という人工的造形美の円熟の極致を堪能した直後であったことが、余計にその思いを強くさせたのかもしれない。

そして山気をふくんだ翠色のイオンで胸が一杯に満たされたころ、車が美山荘の母屋玄関前に横づけにされた。

 

美山荘母屋表札

美山荘から見る新緑

離れ入口

 

 

 

 

 

 

 

東大寺管主揮毫の表札   美山荘の新緑       離れ玄関

 

 ちょうど若女将が清流沿いに建つ「川の棟」と呼ぶ離れに向かっているところに鉢合わせた。無沙汰の挨拶を交わした。われわれは離れの「山椒の間」と「楓・岩つつじの間」に通された。お香の焚き染められた部屋でいつも通りにアケビ茶がふるまわれた。お香の匂いがほのかに漂う静寂のなかでアケビ茶を喫む。そのいつもながらの手順を踏むことで、「美山荘の小世界」に普段着の気持ちのまま入りこめるから不思議である。

 

山椒の間

山椒の間から月見台

床の間のウワミズ桜

 

 

 

 

 

 

 

                   

 山椒の間     山椒の間から月見台  ウワミズ桜

 

そして夕餉前に高野槙の湯船につかる。花脊の湧き水を薪で焚いたお湯は、一日中歩き続けた体躯の疲れをやわらかく揉みほぐしてくれる。

 

 夕餉の間は「楓・岩つつじ」をつかった。母屋での襖絵を目の保養にしながらの(と云っても、銘酒「弥栄鶴」を数献?いったころには目は回っているのだが・・・)宴も乙なものだが、離れで清流の音を聴きながらの夕餉もまた異なった趣があってよい。鞍馬山のさらに深山の宵闇が徐々に深まってゆくころ、美山荘の宴の儀式とも云える野趣にあふれる「栗箸」とともに「菜篭(さいかご)」が運ばれてきた。篭のなかには葵祭りの璽符(みしるし)である双葉葵が誂(あつら)えられ、旬の食材に加え、この季節(とき)にしかできぬ御もてなしを感じさせられたものである。

 

楓・岩つつじの間から月見台

菜篭おもて

野趣あふれる栗箸

 

 

 

 

 

 

                

 

楓・岩つつじの間   朱塗り盃と菜篭   曲った栗箸      

 

 この宵は賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の例祭の5月15日の葵祭の前夜である。大女将にそれに縁(ゆかり)の床の間の掛け軸の説明を受けてから、朱塗りの盃でまず恒例の「弥栄鶴」をいただいた。花脊の夢のような夕餉の開宴である。

 

菜篭のなか、ふたば葵

葵祭の掛け軸

弥栄鶴

 

 

 

 

 

 

 

 

菜篭の中、双葉葵   葵祭縁の掛軸    銘酒 弥栄鶴

 

 今回の訪(おと)ないは摘み草料理の真髄の一端に触れるのが主目的である。好きなお酒はほどほどに、料理の写真もちゃ〜んと撮ってブログにアップすることを誓いやって来た。家内からも事前にその主旨をくれぐれも逸脱せぬようにと強いお達しが出ていた。

 

 美山荘の料理はその調理ひとつとっても手が込んでいるのは当然であるが、何といっても一つ一つの料理に御もてなしの心が籠(こも)っているのがうれしい。しかも御献立を見ていただくとわかるが、食材(特に当日は、摘み草)の種類も豊富である。このブログでは写真を活用、紹介することで、摘み草料理の粋と美山荘の御もてなしの心を少しでもお伝えできればと願っている。

 

中編に続く

 

 当主 中東久人氏のブログ「美山荘だより

葵祭りの日、割烹「やました」へ(前編)5

千変万化、山下茂氏の手練の技、“2012年秋の割烹やました” に感服!!(2012.10.23)
2012年春の“割烹やました”=京都グルメ(2012.5.13)
割烹やました・2010年の味=京都グルメ(2010.12.12)
秋の京割烹「やました」、行って参りました=京都グルメ(2009.11.23)
割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)

中京区木屋町通二条下ル上樵木町491−3

電話:075-256-4506


葵祭りの行列を楽しんだ家内らと合流後、本日のメインイベントである割烹「やました」へと向かった。


押小路には粋なお店が多い・押小路東突き当りに”やました”がある

「侘び・寂びの世界云々(うんぬん)」などという七面倒くさく小難しい講釈などとんとどっかに吹っ飛ばし、木屋町通りの「やました」の小豆色の暖簾をくぐった。

割烹やました
割烹やましたの佇まい

これまで「やました」は帰京する日の新幹線最終便までの時間に立ち寄るという慌ただしい大変失礼な客であった。そんな無粋な客も分け隔てなく相手にしてくれる大将の山下茂氏には本当に感謝している。

   
高瀬川にかかる押小路橋        高瀬川に浮かぶ高瀬舟
匠の風貌、山下茂氏
葵祭りに見せる”匠の風貌”、山下茂氏

そこで今回は至近のホテルを予約、心ゆくまで「やました」を堪能するつもりで訪問した。予約は午後7時。カウンターはわたしたちの席を残すのみで、常連のお客でいっぱいであった。まぁ、前置きはそれぐらいにして、それではこれから、初夏の古都の味を写真とあわせじっくりとご堪能いただくことにしよう

   
先づけです             先づけの”鯛の昆布〆”

先付けのあと、お造りに白身の鯛におこぜを頼んだ。

お造り、鯛
鯛のお造り・・・、これ、頼んだの誰? 食べてない・・・なぁ

おこぜは薄造りで皮や胃袋もあざやかに包丁で刻まれ、九条葱や酢橘(すだち)とあわせて美味、珍味であった。骨は後ほど唐揚にされ出てきたが、前回も登場した松岡君の話だと、「おこぜは無駄にする所がない」のだそうだ。

おこぜのお造り
いつもながら、惚れ惚れする”おこぜの薄造り”

おこぜの唐揚です

そして当然、京都の初夏!は「鱧(はも)」である。「やました」では湯引きして梅肉で戴く定番の「ハモ」ではない。かるく炭火で炙った肉厚の鱧が特徴である。薄味のポン酢にすこしつけていただくと、口内に初夏の「きょ〜と!」が薫風のようにさわやかにひろがる。

炙り鱧です
肉厚の鱧の炙りを薄味のポン酢で・・・、大好きです!!

そしていよいよ 「岩がき」の登場である。

岩がき
お待たせ、”岩ガキ”の登場で〜す

「次、岩がきが入っていますが・・・」との松岡君の言葉に、「それをお願い」と口を開く前に、わたしの胃袋の噴門はすでに大きく開いてしまっているのである。いやぁ、これまた待ちに待った味覚である。ここの「岩がき」は実に美味い!し、本当にミルキィーさが違うのである。

大将を支える料理長の花島氏と焼き方の松岡氏
大将を支える料理長花島氏(左)と焼き方の松岡氏

「“岩がき”は“やました”に始まり、“やました”に終わる」と広辞苑に出ている、いやそんなはずはないが、“岩がき”の項に、「“やました”でのみ食べることができる美味しい牡蠣の一種類」という説明があってもよいとまで思ってしまうのである。先の炙った“鱧”も然りである、本当に広辞苑ものなのである。

常在戦場
板場は常在戦場

そして今回は“鯨の頬肉”を薦められたのが、わたしの「やました」遍路の歴史にあらたな一頁を加えたのである。

くじらのほほ肉
これが、これが・・・、鯨のほほ肉です

中央卸市場から直行の鮮やかな赤身! これは絶品!のひと言である。新鮮で肉厚の鯨の刺身、ほほ肉など食べたことのなかったわたしは、どんなお刺身を出されてもこの味と食感には適わないだろうなと思ったものである。

この杯で吉乃川をグッといきました
新潟の銘酒、”吉乃川”を冷酒でいただきました

あと脂ののった「キングサーモンのバター焼き」や「鮎の塩焼き」(わたしはお腹いっぱいでパス)や「金目鯛の煮つけ」や「ホタテのしんじょう椀」に最後に、『「やました」で鯖寿司喰わぬは人でなし』?と云われる「鯖寿司」を御土産に、もうお腹はパンパン。初めて看板(午後10時)まで尻を落ち着けた「やました」の夜は更けていった。

  
      ”キングサーモンのバター焼き”   ”鮎の塩焼き”なんぞ、注文していましたねぇ

”金目の煮つけ”です

そして、大将に駄々を捏ねて近くにある雰囲気のよいカウンターバーを教えてもらい、予約までしてもらった。次に「やました」の大将や花島さんたちも常連と云うそのお店を紹介しよう。それでは、『初夏の「やました」後編』をお楽しみに。

雰囲気のある店内
大人の雰囲気です・・・カクテルバーの名店”k6”

何はともあれ、三月弥生に訪れた際に、次は「鱧に岩がき・・・」とブログの文末に記したが、皐月の往訪はその期待を十二分に超える美味で素晴らしい出会いの「やました」であった。

  
”k6”の帰り、もちろん”やました”は閉店  暗くなった押小路をテクテク帰りました

花島さんもありがとうね、次回はこんどは会話重視で訪ねよう・・・、いや、それに旬の料理もやっぱり楽しみに再会を期そう・・・。

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圓通寺(洛北)ーー失われゆく借景5

洛北の地、圓通寺

失われゆく借景に自然との共生の難しさを痛感

 

 

 515日、わたしは洛北の地にある勅願所圓通寺を訪(おと)なった。東山三十六峰の北端、霊峰比叡山を借景とする枯山水平庭で有名である。

 

圓通寺借景1

比叡山の破壊

借景2

 

 

 

 

 

  圓通寺の借景   叡山北尾根の山肌   柱と相俟った借景    

  

お寺は延宝6年(1678)霊元天皇の御母の叔母にあたる文英尼を開基とするが、そもそもは後水尾天皇の造営(1639年)になる幡枝(はたえだ)離宮のごく一部である。その縁から天皇を退位された後水尾上皇より大悲(山号)・圓通(寺号)の勅額を賜り、霊元天皇(後水尾天皇の第16皇子)の勅願所となったものである。爾来(じらい)、後水尾天皇以降の歴代皇族の御尊碑を祀ってきたことから、皇室とのゆかりもきわめて深い。

 

わたしが初めて圓通寺を訪ねたのは今から40年も前の高校生の時である。そのとき借景と云う庭の造り方があるのを知り、同時に日本人が自然を日々の生活のなかで賞(め)でることに価値を見出し、自然と共生していたことにひそかな誇らしさを覚えたものである。

 

客殿の前に広がる四百坪ほどの庭は一面杉苔に覆われ、その平坦な地面に紀州より運ばれた40個余りの海石と低い躑躅(つつじ)が配されている。客殿から東正面に4、50種類の木々で造られた高さ1.6mの「混ぜ垣」が見える。その上縁を下枠とし、垣根の外に立つ杉と檜を縦枠としたその自然の額縁のなかに、稜線を両翼に広げた比叡山が鎮(しず)かに坐る。

 

手前の枯山水の簡素な庭とその後背に聳(そび)える比叡山という構図の見事さは、縁側の柱の微妙な間隔ともあいまって、今でも変わることなく客人の胸を強く打ち続ける。

 

 こうした自然の風景を取り込む庭園は、当然のことだが借景となる寺院外部のいわゆる外界の自然環境によって、他律的にその織り成す景色は変化を余儀なくされる。かつて洛中にもこうした借景の名園があったというが、時代の流れのなかで低層とはいえビルの乱立で、その視界は遮られ庭の趣はまったく異質のものに変貌したと聞く。

 

 わたしは40年前から機会があれば同寺を訪ねてその借景を愉しんできた。今回は、写真撮影の許可が下される直前の平成14年の春以来、6年ぶりの往訪であった。これまで頑なに写真撮影を拒んでこられた住職の北園文英(きたぞのぶんえい・昭和20年生。昭和51年住職に)氏が、撮影許可(撮影は庭に向けてのみ。室内は厳禁)に踏み切った理由を知るにおよび、自然との共生、環境との共生のあり方につき深く考えさせられることになった。即ち、客殿の前面低地の大規模開発の許可を京都市が下し、この景観維持は「これまで」と覚悟し(それまでは周辺の自然と庭園維持のため、写真などで有名にせず極力拝観人数を絞り、人口に膾炙(かいしゃ)しないようにした)、失われてゆく借景を少しでも客人の心に留め、写真に収めていただきたいとの苦渋の決断であったという。

 

そして大学生の頃だっただろうか、先代の住職であった北園宗沢氏が「比叡山の麓や幡枝の都市開発が進んできたため、混ぜ垣の向こうに植生する竹林を伸ばすことで客殿からの視界に人工的建造物が入らぬように、現在、苦慮しているが、このままゆくと20年、30年後にはこの借景の良さは消滅する」といった主旨の話をされたことを思い出した。

 

 父上の志を継がれた北園氏の長年にわたる自然保護活動や周辺の土地を少しずつ買い求めてゆくといった努力もあり、その借景の景観は消滅することなく何とかいまに面影を止めている。

 

 しかし悉(つぶさ)にその景色を観察すると、比叡山の北尾根には大きく禿げた山肌が露出し、また客殿の縁側に立つと混ぜ垣のすぐ下に戸建て住宅の屋根が迫って見える。その心の痛む情景にこの寺が三百数十年もの間、纏(まと)ってきた物理的、精神的な「静寂」の世界が崩壊してゆく様を見た。そして、客殿に坐って正面の比叡山を眺めるわたしの耳には、ブルドーザーかクレーンの動く音であろうか、建築の槌音(つちおと)が最後まで届いていたのである。

 

圓通寺前方の住宅開発

正伝寺借景

正伝寺 小堀遠州作の庭

 

 

 

 

 

 

 

北尾根の土の露出  正伝寺の借景    小堀遠州の作庭

 

このことは圓通寺の次に拝観した同じく比叡山を借景とする正伝寺においても、拝観の間、お寺の下から開発の槌音を聴くという同様の体験をした。そして山門を出てすぐのところでゴルフ場のカートがわたしの目前を横切るという光景まで目にすることになったのである。

 

 帰り際に北園住職に環境の保護の難しさについて訊ねたところ、「最近は鹿やペットが野生化したアライグマ(北米外来種)の被害がひどくなり、植林が若木の段階で食いつくされるなど植生環境の維持ができない。比叡山のあの禿げ地も元に戻すのは難しく、圓通寺周辺も同様の被害を被っている」と語られた。その沈痛な口調に人間という生き物の愚かで自儘(じまま)な営みに対する同氏の痛烈な憤りを感じとった。そして自然環境との共生の難しさを痛感させられたのであった。

 

 生活水準や生活環境の向上を図ろうとすることは、人間としてある意味当然の願いではある。しかしそれは同時に自然と共生して進められてゆくものでなければならない。いまや環境保護の問題は、地球温暖化に象徴されるように人類にとってきわめて重大な局面を迎えている。

 

「ECO」と言葉で叫ぶことは易しい。だが継続的かつ禁欲的で、しかも実質的な「ECO」生活を送ることは至難である。そしてそれを自主的に成す意志の強い人は限られているのが実情であろう。

 

 まさに意志の弱いわたしは「ECO」に反する身勝手な便利さについ頼っている自分に気づき、ひとり赤面する場面が少なくない。やはり各方面における強制力を持った何らかの規制がわれわれ個人、一般家庭にも求められる時代がやって来たのではなかろうか。今回、古都洛北の圓通寺、正伝寺という借景の名刹を訪れて、各自の意思に任せた自制だけでは今日の環境破壊を止めることはもう困難であるという強い思いに駆られたのである。

 

 

京都 格別な寺 (光文社新書)

五木寛之の百寺巡礼 ガイド版〈第3巻〉京都1 (TRAVEL GUIDE BOOK)

五木寛之の百寺巡礼 ガイド版〈第9巻〉京都2 (TRAVEL GUIDEBOOK)

新版 古寺巡礼京都〈1〉東寺

 

 

 

 

見逃すな東山魁夷展、5月18日(日)まで5

見逃すな東山魁夷展、518日(日)まで

生誕100年記念

 

東山魁夷展大看板

近代美術館外観

館内吊り看板

 

 

 

 

 

 

 東山魁夷展玄関看板 近代美術館外観  展覧入口吊り看板

 

 

 生誕100年を記念して、東京国立近代美術館で開催されている東山魁夷(19081999)展を観に行った。東山画伯の本制作101点、スケッチ・エチュード53点、総計154点もの作品が展示されている最近では稀で豪奢な展覧会であった。

 

キップ購入に列ぶ客

美術館表札

近代美術館モニュメント

 

 

 

 

 

 

 

 

 チケット購入に列ぶ客 美術館入口表札  前庭のモニュメント

 

 誰もがどこかで一度は見たことのある画伯の代表的絵画が、これほど一堂に会し、展示されたことはこれまでなかったのではないだろうか。それほどに今回の展覧会には度肝を抜かれた。そして二時間余の鑑賞を経て館内から出たときには、目はショボショボ、足は棒のようになったが、それは心地よい疲れにわたしには思われた。

 

 京都の円山公園のあの豪勢な枝垂桜と満月を描いた「花明り」、奥蓼科の御射鹿池(みしゃかいけ)をモデルとした森と白馬と湖というあまりにも有名な構図の「緑響く」。そして画伯の名を世に広めた八戸市種差(たねさし)海岸の真っ直ぐに伸びる「道」、出世作の「残照」などなど、魁夷の代表作が会場内を歩く先に次々と表われ出でて来る様は、何と表現してよいのか、押し寄せてくる波のような驚きと興奮の連続劇であり、本当に身も心もクタクタになるほどに疲れ、痺れ切った展覧会ではあった。

 

 そして展示の一番最後に、ドカーンという衝撃がわたしを待ち受けていた。階上(2階)に展示されていた唐招提寺の襖絵である。同寺より御影堂宸殿の間の襖絵(一部)をお借りしてきたということである。5月9日に同寺を訪問される中国の胡錦濤国家主席は、その名前の一字である「濤」をふくむ画題「濤声(とうせい)」(部分)(12面/16面)と水墨の「揚州薫風」(26面/26面)の襖絵をご覧できぬことになり、「日中友好」の盛上りに水を差さなければよいがなどと、ついつまらぬ心配などした。岩絵の具で打ち寄せる荒波を描いた一面の水浅葱(あさぎ)色の「濤声」の迫力と墨の濃淡だけで風の勢いを実感させる「揚州薫風」にはただただ、その筆力に圧倒されるばかりであった。

 

東京での開催は518日(日)まで、残りあと一週間ほどとなった。今からでも遅くない、是非、鑑賞に行かれることをお奨めする。木・金・土曜日は午後8時まで開館(通常5時)されているので、会社帰りに立ち寄ることが可能である。なお、512日(月)は休館日なのでご注意を!

また、次の巡回先は長野県信濃美術館東山魁夷館で712日(土)〜831日(日)のひと月半にわたって開催される。

芸術新潮 2008年 05月号 [雑誌]

東山魁夷の世界
 画題:花明り
東山魁夷 青の風景
 画題:夕星
 
 
もっと知りたい東山魁夷―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
 画題:道
 
東山魁夷への旅
 画題:緑響く

 

相棒 杉下右京、メディアと国民に挑戦状!5

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「相棒」 杉下右京、メディアと国民に挑戦状!

テレビ朝日開局50周年記念

 こどもの日に水谷豊主演の「相棒」を観に行った。この映画がこどもの日と縁があるわけではないが、娘と家内と一緒に行ってもらったので、55日はわたしにとって、ひと月早く来た「父の日」だったという方が正確な表現であるのかも知れない。

相棒ポスター縦

相棒満席表示

ポスター

 

 

 

 満員席の黄色のランプ 劇場の「相棒」のポスター

 

 

 この日は1535分からの上映を前もってネットで予約して劇場に行ったが、まさに大正解であった。予約チケット売り場には余裕を持ち30分少し前に行ったところ、その時間の当日売りチケットはすでに売り切れで、「この回は満席です」と係員の人が声を嗄(か)らして行列に列ぶ人たちに向って叫んでいた。

 

 いつもテレビで杉下右京が働かすあの緻密な推理に感心させられている「相棒」ファンのわたしとしては、なんとなく嬉しくなる一瞬であった。

 

 全席予約であるにも拘らず、劇場入口前は場内にいち早く入ろうとする観客で長蛇の列になっていた。開演20分前にようやく入場が許され、シートに腰をおろしたが、周りの席はあっという間に埋まってしまった。家内と周りを見まわして互いに驚いたのが、その観客の年齢層であった。もちろん若い人たちもたくさんいるが、それと同数と云ってよいほどの高齢な観客が客席を埋めていたのである。

 

 あらためて「相棒」というテレビ番組の人気の「質」を知らされたものである。

 

 ストーリーはもちろん映画をご覧になって堪能されたらよいが、現代社会のメディアの力と時の権力がそのメディアを利用する怖さを知らしめるリアリティーあふれる作品となっていた。

 

 鑑賞後のわたしの心は重くなり、昨今、起こっている様々な事件がわたしの脳裏を駆け巡ったことは確かである。そして、この作品がある意味で私を含め国民に対し深い反省の念を強いたことも偽らざる事実であった。

 

 一方で、メディア批判を正面から扱うこの作品が、「テレビ朝日開局50周年記念」として作成されたものであることも、少なくともこの作品にかかわった人々が、現在、メディアが有する力の凶暴さ、メディアと権力との距離感、その置かれている危険なポジションを重く受け止めているということを知らしめてくれたことは、わたしにとっては救いとも思える作品であった。

 逆に云えば周年記念の作品でそうしたメッセージを社会に対して発信せざるを得ないほどの必要性に迫られていることに、この国のメディアがそれほどに堕落し、野放し状態に陥っているということの証なのかも知れないとも感じさせられた。

 

 そもそも「相棒」は現代社会の抱える病理に迫るメッセージ性の高いストーリーが多く、番組終了後に「現代の病」を考えさせられるテーマがあるのが特徴である。ご高齢の方々がわざわざ劇場にまで足を運び、この作品を鑑賞しようとする「現代の病巣」の深さを劇場の満席で体感したわたしは正直驚きを隠せなかったし、そうした現状認識を共有する人々がこれほどいることに、この社会を改革する時間は本当に残り少ないのだと実感した。

 

 GWの後半にこうした重い課題に直面できたことは、わたしなりに有意義な連休であったと思いを新たにしたところである。

 

 そして水谷豊という稀有な俳優の魅力にまた一段と引き込まれてしまったのである。

 

相棒-劇場版-絶体絶命42.195km東京ビッグシティマラソ (扶桑社ムック)

相棒 劇場版―絶体絶命!東京ビッグシティマラソン42.195km

相棒検定 (タツミムック)

刑事マガジン V (タツミムック)

 

 

脳卒中へのカウントダウン 5

脳卒中へのカウントダウン 

(脳出血発症3、4日目)

【妻の看病日記より】

これより、病気に関することを中心に参考となるものを日記より抜粋することにする。

 

2001.3.3(土)(ICUにて治療中)

 

 1240、特急にて病院へ。H(わたし)、ウトウトと眠る。昨日ほどうるさく腰痛を訴えず。まどろんでいる。夜もゆっくりねむれた様子。

 

 ベッドを30度上げる許可がおり、4時頃動かしてもらう。色々に姿勢がかえられ少し楽になった様子。3時半頃、(担当医の)S医師、Kインターンより状態を聞く。きわめて安定しているので、月曜日(5日)には一般病棟へ移動とのこと。差額ベッド代につき同意書提出。

 

 酸素の管は安定しているのでとれるであろう事。胃よりの管は明日にでも水を飲み下せるようだと、とれるとのこと。

 

 一般病棟では機械はとりはずし、血圧の確認で様子を見るが、一週間は安静の状態。その後、徐々に動き、リハビリを行っていくと同時に、高血圧治療を進める。

 

(会社の)F・M両氏からのお見舞い、お守りを見せる。(仕事の案件成就の)“祝勝会”の文字を見て少し涙ぐむ。〔つらいね!!〕

 

 昨日の新聞の記事を見たがる。新聞を忘れてくる〔失策〕。社長の偉大さ、強さ、そして勉強させてもらった事を話す。社長わざわざの見舞いについても感謝。気持ち的につらさがわかる。けど、これからも何度も感じるつらさと思うと、ただ、はげますしかない。

 息子、弟の事、気にかける。〔(見舞いは)いいといいながら待っているところ有〕

 今日はおとなしくねている事が多く、6時には帰っていいよという声。娘のこともあり、早目に出る。

 

 息子よりTel7時頃、弟と(病院へ)出かけた由。

 

 

2001.3.4(日)(ICUにて治療中)

 

 娘と2時過ぎに病院に着く。

 

 ベッドが50度まで起きて、胃液をとる管がはずれて、少し楽そう。氷とポカリを買いに行く。氷は少し口に入れてとかす。ポカリも吸い飲みで少し飲み下す。少しづつ良好。

 

 4時半頃少し動いたせいか、頭を動かすと気持ちが悪い(吐き気)と言う。看護婦さんに伝えるが、まだ(脳出血後)4日目で脳内のむくみのせいだろう、今しばらく安静が必要とのこと。特に異常な状態ではないとのこと。

 

 弟、4時前に来て、4時半頃帰る。

 

 

(12)につづく

,砲發匹

 

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パンダ、いなくていい?→石原都知事こそいなくていい

パンダ、いなくていい?→石原都知事こそいなくていい

 上野動物園のジャイアントパンダ「リンリン」の死去したことについて、石原慎太郎都知事が 「(パンダは)いてもいなくてもいい」などとまた暴言を吐いたというが、新銀行東京への400億円増資を強行した石原都知事こそ、「いなくていい」。「いてもいなくても」ではなく、こちらは、「いなくていい」のである。

 パンダのことを石原慎太郎という都知事に訊く記者も記者だが、自治体の首長である公人が発する内容の言葉ではない。あまりに品性を欠く言葉、人物としか言いようがない。

 新銀行東京については5月1日、「不法不当な支出」として、都民10人から石原都知事に400億円の回収を求める住民監査請求が出された。それと同時に、設立時に都が出資した1000億円についても石原知事の公金管理責任を追及、私財などによる損害の穴埋めを要求している。監査請求の結果次第で住民訴訟も検討しているという。

 近々、監督官庁である金融庁の検査が新銀行東京に入ることが明らかにされたが、その検査のなかで、なぜこの短期間のなか1000億円もの損失が生じるそんなずさんな経営がなされたのか、東京都というより、言い出しっぺの石原都知事が損失拡大に結果として大きな影響を及ぼしたのではないのかなど、原因究明を早急にはかってほしいと願う。しっかりと事の経緯と真実を都民、国民の前に詳らかにしてほしい。

 そして、そのときこそ、パンダならず都知事自身が「いてもいい」か「いなくてもいい」かを都民ひいては国民が決めることになるのである。

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名探偵コナン「戦慄の楽譜」5

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名探偵コナン「戦慄の楽譜」(フルスコア)

 この歳になって、名探偵コナンのファンだなんて、大きい声では云いたくないけど、だけど、また、今回も家族で映画館に足を運んでしまった。

 劇場版は1997年の「時計じかけの摩天楼」から数えて、これで12作目になるという。映画も12年目になるのだから、ファンの年齢も相応に幅が出てきたのだと考えてみたいのだが、どうだろうか。結構、真面目に大人のエンターテインメントとして通用するなんて、自分の幼さの言い訳にそういう推測もしてみたくなる。

 今回も犯行の謎解きに、「う〜ん」などと首をひねり、その謎解きの奇抜さに素直に感心してしまったのだから、たぶん、来年も劇場に足を運ぶことになるのだろう。こういうものって、理屈や世間体なんて、関係ないよね。

 まぁ、犯行の動機がちょっと弱すぎるかな、なんて歳相応の見識?、いや強がりも見せてみたいが、劇中に流れるアメージング・グレイスのメロディーに、つい聴き惚れて、推理に夢中になっている自分を思うと、やっぱり、わたしは江戸川コナンが大好きでしようがないのだと、いさぎよく認めざるをえない。大好きなものはだ〜い好き!正直に言おうじゃないか。コナン君!!

 そして、ZARDの「翼を広げて」がエンディングに流れたが、彼女が亡くなって一年がもうたったんだなぁ、なんて想い起こしながら、これまた感情移入をしてしまった。大の大人がと思うなかれ、1800円のチケット代のもとをしっかり、十二分に絞りとったのだと理屈としては思いたいのである・・・。

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永遠の坂井泉水―ZARD (コスミック文庫)

きっと忘れない―ZARD OFFICIAL BOOK

ZARD思い出の坂井泉水

名探偵コナン 61 (少年サンデーコミックス)

名探偵コナン 60 (60) (少年サンデーコミックス)

pizzeria ぴざ屋ーーグルメ蓼科編95

pizzeria ぴざ屋ーーグルメ蓼科9

★★★★★

〒391-0211
長野県茅野市湖東6595−240 
TEL0266ー78−2912


「pizzeria ぴざ屋」はビーナスライン沿いに茅野方向から来ると右手に見える。左対面が手打ちそば・うどんの「登美」の大きな看板があるので、それを目印にすると分かりやすい(「登美」さん、ごめんなさい!)。ビーナスラインでもまだ入り口付近とでもいったところにある。

入口よりぴざ屋看板を

ぴざ屋看板

ログハウス外観

 

 

 

 玄関より表の看板を    ぴざ屋の看板    お店のログハウス外観

 

「ぴざ屋」は平成元年に開店した。開店時にはまだ、ビーナスライン沿いには当時で云う「今風(いまふう)」のお店がいたって少ないころで、ログハウスのピザのお店が出来たというので、すぐに家族とともに探索に入ったものである。そのころ小学生の低学年だった長男も、今年、嫁をもらった。早いもので、もう20年が経った。


当時からイタリアの窯で焼く本格的なピザ屋さんであった。しかし、時代に合わせてそのピザも変わってきている。当時は世の中一般がそうであったが、まだピザ生地が厚かった。

 いまでは、当世風に薄いピザ生地となっている。わたしたちの口も変化しているのである、当時も今もここのピザの味は絶品である。料理にいつも変わらず心がこめられているからであろう。

ぴざ1

ぴざ2

ぴざ3

 

 

             

                         多様なピザ、どれもおいしいよ♪

 


このお店でわたしがお願いするのが、「ボンバー」というピザである。チーズの乗っていないピザ?。そして、まさに「ボンバー」、形が下の写真のようにふっくらと盛り上がった爆弾のようで、その生地の上に生ハムが乗っただけのピザである。


これをピザカッターで食べやすい大きさに切り込むが、そのときに生地のなかの空気が抜けて薄くなる。出て来た時の形の面白さ、それを見た時のワクワク感がいつも大好きで、注文をしてしまう。ただ、通常のピザより時間がかかるため時間に余裕があるときに、頼むのがよい。オリーブオイルをたっぷりとかけて食べるのが常道である。

ボンバー

ぴざ二人席

席より厨房を望む

 

 ボンバー       
窓際の二人席    
右手玄関と厨房を望む

席より入口ドアを

ログハウス天上

八ヶ岳連峰

 

 

 

   玄関ドア         




ログハウス天上   


4月GWの八ヶ岳連峰

 



20年もの長きにわたり、ピザを焼き続けてこられたご主人に心のうちで「いつもおいしいピザをありがとう・・・」と呟いて、この日もお店をあとにした。店内の雰囲気もログハウスの持つ木のぬくもりの通りに、やさしく、家庭的である。また、恋人同士、窓際のアヴェックテーブルで愛を語らいあうのもいいかもしれないな・・・。もし、わたしが若かったら・・・だけどね。


三五十屋本店(信州そば)ーーグルメ蓼科84

三五十屋本店(信州そば)ーーグルメ蓼科8

★★★★

長野県茅野市蓼科高原4035(ビーナスライン沿い)

電話:0266-67-2116

 三五十屋は「みごとや」と読む。名前からしてなかなか、乙なものである。茅野方面からビーナスラインを登ってきて、蓼科湖を過ぎて、そう、三、四分ほどゆき、右に小さくUターンした右手、心もち低いところに三五十屋は建っている。道路沿いに縦長の看板が見えるが、その手前が駐車場となっている。

三五十屋表看板

三五十屋暖簾

入口より

 

 

 

  表の看板           暖簾        入口から奥の店内望む

 青い暖簾をくぐると、手前左に簡単なカウンターがあり、奥に畳敷きの座卓席がある。七、八名のグループで行って一緒に食事をしながら談笑も楽しめる。ゆったりとした空間である。

入口

テーブル

店内

 

 

 

  入口のカウンター    畳敷きの店内           席より外を望む

 メニューの数が多く目的に合わせた使い方ができるので、いろいろなグループでの利用に便利である。

メニュー

ざる蕎麦

ざる2

 

 

 

 豊富なメニュー        ざるそば                 腰のある蕎麦

 わたしは、もちろん信州蕎麦を素朴に楽しめる「ざるそば」(750円)を頼んだ。

腰のしっかりしたいつもの麺である。ほかに、カリッと揚がった「天ぷらざるそば(1600円)や「山菜そば」(840円)がある。それぞれに好みの蕎麦を注文したが、みんな「おいしい!」と喜んでいた。お腹が空いた人にはミニそば付きの天丼(1500円)や生姜焼き丼(1050円)もある。

天ざる

蓼科山

八ヶ岳遠望

 

 

 

  天婦羅ざるそば      蓼科山               八ヶ岳遠望

 しばらく寄ってなかったので味の方が心配であったが、昔ながらの信州そば処「三五十屋」の味は健在であった。やはり本物の味は旅人を裏切らないものである。満足!満足!


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