彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

April 2008

光市母子殺害事件の死刑判決=国民に分かりにくい最近の裁判3

光市母子殺害事件の差戻し審において広島高裁(楢崎康英裁判長)は22日、「死刑を回避すべき事情は認められない」とし、無期懲役の1審判決を破棄、求刑通りに死刑判決を下した。

 

判決後の記者会見で被告側弁護団は「裁判所は被告人の心を完全に見誤っている」、「181カ月という未熟な未成年の犯行ということを真正面からとらえていない判決だ」、「裁判所は本当のことを話したいという被告の姿勢を逆手に取っている」など「不当判決」であると批判し、即日、上告の申し立てをした。そうした弁護団の裁判所批判の言葉にわたしは何ら心を動かされることはなかったし、世間も予想した死刑判決が当然のように下されたことに何の違和感もなかった。

 

しかし、安田好弘弁護士に「従来の判例の適用を間違っている。永山判決を逸脱し、最高裁が手続きをふまえずに判例を変更し、高裁がそのままのっとった」「最高裁の判決に忠実に従った極めて不当な判決だ」と語らせた本裁判に対する最高裁判所の対応には、別の意味で大きな不満と分かりづらさを覚えているのも事実である。

 

20066月に最高裁は上告審判決で「少年だったことは死刑回避の決定的事情とまでは言え」ず、「量刑は甚だしく不当」として二審判決を破棄し、審理を広島高裁に差し戻した。そのときわたしは、「そこ(元少年の責任は誠に重大で、特に酌むべき事情がない限り死刑を選択するほかない)まで言うのなら何故、審理差し戻しなのか、何故、最高裁が自判(じはん)しないのか」と、首を捻らざるを得なかった。当時、メディアでは、高裁でさらなる「更生の可能性についての審議を深める必要」があるとの解説がなされていたが、最高裁は「(二審判決の)量刑(無期懲役)は甚だしく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する」とまで言い切ったのである。世間の常識であれば、自判による「死刑」判決が下されるのが自然であると思えたのだが、それはわたしが司法の素人だったからなのだろうか。

 

そのときあらたな判断を示しておれば、今回、永山判決を逸脱したなどという批判を浴びることなどなかったはずである。最高裁の自判回避は自ら手を下したくないという腰の引けた姿勢にしか見えず、法の最後の番人として責任を全うしないものであると思ったものである。本村洋氏が「ここまで7年。これから高裁へ戻され、また上告して最高裁へ。どれだけの歳月が流れるのか」、「無期懲役を最高裁が妥当と思わないのなら、差し戻しでなく自ら死刑判決を下してほしかった」と、当時、述懐したが、その言葉の重みをわれわれは、いま、あらためて思い起こす必要がある。

 

一方でこの417日、自衛隊のイラク派兵差止等請求控訴事件における名古屋高裁(青山邦夫裁判長)の判決が下った。判決主文、「1.本件控訴をいずれも棄却する 2.控訴費用は控訴人らの負担とする」とする国側の勝訴となった。

 

しかし主文に続く「事実及び理由」において、首都バグダッドは「イラク特措法にいう戦闘地域に該当する」として、「イラクで行われている空輸活動は、憲法9条に違反する活動を含んでいる」としたため、原告側が「自衛隊イラク派兵は憲法違反」・「画期的判決」で実質勝訴と沸き上がったのはつい先日のことである。

 

名古屋高裁は「事実及び理由」の第3「当裁判所の判断」において「控訴人らの本件違憲確認請求及び本件差止請求にかかる訴えはいずれも不適法であるから却下すべき(中略)と判断するが、その理由は以下のとおりである」とした。そうであれば、訴えの不適法である理由のみを述べればよいわけで、憲法判断をわざわざここでする必要はない。

 

航空自衛隊によるバグダッドへの空輸活動が違憲であると判断したのであれば、控訴人が請求したように「派遣してはならない」のだから、裁判所は自衛隊の即刻帰還を言うべきであろう。法律の専門的なことは素人のわたしにはよく分らぬが、違憲であれば、自衛隊は戻ってくるのが筋と考えるのは誰でも分かる理屈ではないのか。しかし、この訴訟は国の勝訴であり、国は違憲判断に対する対抗措置の講じようもないのが実際のところである。

 

そもそも国の根本である憲法解釈については、正攻法の堂々たる法廷論議を重ねるべきだと考える。とくに憲法第9条は改憲議論における中核テーマである。そうした国民の最も関心の深い事柄について、言うだけ言って反論を許さぬ名古屋高裁のあり方や姿勢は、どう考えてもおかしい。光市事件での最高裁の自判回避や違憲だが自衛隊はイラクから戻る必要はないといった裁判所の判断や姿勢は、法曹界の玄人には至極、当然のことということなのだろうか。

 

来年の521日からいよいよ裁判員制度がスタートする。そうした時機に立て続けに起きた分かりづらい裁判所の判決と判断。こんなことで、裁判所は「国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています」とする裁判員制度導入の目的が本当に果たされるとでも思っているのだろうか。最近のこの分かりづらい裁判を見ると、わたしはどう考えてもそんなことはできるはずがないと思われてきて仕方がないのだが。



遊就館展示記述の日米翻訳の相違3

遊就館展示記述の日米翻訳の相違

 2006年1月20日時点での靖国神社の遊就館での展示パネルにおける日米の説明文の相違について調べた時の具体例が出てきたので、ここに記録として掲載する。

 遊就館全景           菊の御紋        大村益次郎像を望む

遊就館前景

菊のご紋靖国神社大村益次郎

 

 

 

 

 

 

 遊就館入口          靖国神社拝殿         靖国神社石柱

遊就館

靖国神社3

靖国神社

 

 

 

 

 靖国神社遊就館大東亜戦争展示室の説明パネル(06.1.20

 

1.

アメリカの大戦参加を明確化

大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた。早くから大戦の勃発を予期していたルーズベルトは、昭和14年には、英米連合の対独参戦を決断していたが、米国民の反戦意志に行き詰まっていた。米国の戦争準備「勝利の計画」と英国・中国への軍事援助を、粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した。

 

Roosevelt’s Strategy and U.S.

Entry into World War

When President Franklin D. Roosevelt first took office the .S. was in the throes of the Great Depression ; the economy still had not recovered when his third term began. Early on, Roosevelt had anticipated a major conflict. In 1939,he had resolved to join Great Britain in the war against Germany, but was hampered by American public opinion,which was strongly antiwar. The only option open to Roosevelt, who had been moving forward with his “Plan Victory” was to use embargoes to force resourcepoor japan into war. the .S. economy made a complete recovery once the Americans entered the war.

 

 

2.

1127

米国政府の対日外交終了

作戦準備命令発令

 

キンメル提督などの太平洋方面の陸・海軍司令官に「対日外交交渉終了と対日戦準備の部隊配備強化」としての戦争準備行動を発令

本急報を戦争警告とすべし。日本との交渉は終わり、日本の攻撃行動は数日中と予想される。WPL46で指定された防御展開を実施せよ

 

November 27:U.S. Government

breaks off  Negotiation with japanOrders issued to prepare for war

Orders are issued to Admiral Husband Kimmel and other Army and Navy commanders in the Pacific to prepare for war. The Japanese see little point in continuing with negotiations.

 

*日本語説明の    部の英訳は一切無し。

 

 

人気ブログランキングへ

 

 

 

桜♪ サクラ♪ さくら♪

桜♪ サクラ♪ さくら♪

 うちの桜は八重の手毬桜である。ほっこりとしたピンクのまさに手毬のような丸い形が美しく、そして可愛い。

 しかし、ここ数年、根が張りすぎて、土壌の菌が樹木を冒し、残念ながら半分ほど死んでしまっている。植木屋さんに頼んで、何とか治すようにと頼んだが、結局、病気の部分の幹や枝を切り落とすことになり、そのつらさも味わった。

 その桜が今年も必死に花を咲かせてくれた。散歩をする人に「きれいですね」と云われると、本当にうれしくなる。そして、何とかこの桜を長生きさせたいという願いがまた一段と強くなる。

手毬桜1

手毬桜2

手毬桜3

 

 

 

 

手毬

手毬1

手毬2

 

 

 

 

手毬3

手毬4

手毬5

 

 

 

 

手毬6

手毬8

手毬9

 

 

 

 

手毬10

 

 

 

 

   蒼空にほっこり手毬桜かな♪

 

PJニュース.net

PJ募集中!

人気ブログランキングへ

 

夕凪の街桜の国

桜のいのち庭のこころ

桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)

脳卒中へのカウントダウン(10)5

脳卒中へのカウントダウン(10)

発症翌日(ICU)

 【妻の看病日記】

慶応病院外観

ペンのマーク

入院病棟望む

 

 

    

 慶応病院外観      慶応病院のペンのマーク   入院病棟を望む

2001.3.2(金)

 

 10時すぎI氏よりTel。会議の結果が当方の思い通りに決着がついたとのこと。早くHさんに知らせて欲しい旨のTel。弟宅で掃除、食事後、買物(病院に持っていく物)をして病院にむかう。1時すぎ。タクシーが混んでいるため途中で下車、電車に変更。結局、病院着が2時15分頃。I氏、N氏、K氏が待っている。さっそくに面会。会議の結果を伝える。連絡が遅いと叱られる。正常の時だともっと怒っていただろうと思われる。N氏にじきじきのお見舞いをいただく。K氏、W氏見舞いに来られる。会議の決着につき皆喜ぶ。Hさんの状態は落ち着いている。話は十分に出来、会話は正常。ただ、腰が痛いと訴える。しばしば。4持半頃にDrSより説明有。

 

 第3回目。

 

 2回目のCTを12時半頃とる。出血の状態は昨日からほぼ変化なし。脳室穿破による脳室にも変化なく、水頭症にはなっていない。状態はきわめて安定している。来週〔月〕には病室移動も可能。これからは自然に血液がひく(脳内に吸収されていく)のを待つのみ。筋力の回復は認められるが、感覚神経については重症であるため、回復力によるが、つえ歩行の可能性が大である。リハビリ次第ではある。慶応(信濃町)は2ヶ月程度、その後はリハビリ病院に転院になる。〔リハビリ病院紹介する。リハビリ期間が〕3ケ月程度。退院は6か月後が目途。その時の状態により会社復帰の可能性をさぐる。病室が空いていないため差額ベッド代が必要。

 

(同期の)N氏、I氏及び弟、息子、娘が一緒に聞く。

 

N氏〔同期・人事部〕が医療保険及びリハビリ病院について調べてくれる由。保険については自分でも調べてみる必要あり。

 

 H(わたしは)、ひたすら腰痛をうったえる。病室(ICU)につき添うよう看護婦さんよりの連絡。3時すぎから9時まで腰をさするしか方法なし。(鎮痛剤の)座薬を2回使う。

 

 6時、弟を含め食事。娘を息子が送る。弟、Hさんの顔を見た後帰る。(妹を送った)息子病院に戻り、帰る。

 

 9時消灯につき座薬で少しねむりにはいったので帰る。帰りのバスの中、涙がとまらない。

 

(ペットの猫)R、庭にいる。一緒に(家に)入り、だきしめる。

1時就寝。めずらしくすでにRふとんの中!!

 

 PS:留守電M氏よりTel有。「健康はいかが?懸案事項うまくいって  おめでとう」

  

 帰宅途中、病院の前でF、MU両氏に会う。日枝神社の御守を届けて下さる。感謝!

 

「発症翌日の3月2日の妻の看病日記より」

 

(11)につづく

,砲發匹

 

人気ブログランキングへ

 

 

 慶応病院HP

 

 

 脳疾患治療の実力病院―日経病院ランキング

 

PJニュース.net

PJ募集中!

 

 

 

 

 

末げん(鳥割烹)・・・新橋グルメ編5

末げん(鳥割烹)・・・新橋グルメ編

三島由紀夫決起前夜の場所

【 美の(よしの) 新橋グルメ 2 】

★★★★

新橋駅入り口

SL広場

新橋SL

 

 

 

 新橋駅入り口        新橋SL広場        SL全景

 末げんはJR新橋駅のSL広場から徒歩1分の至近にある鳥料理の老舗である。創業は明治42年(1909年)と、来年で百周年を迎える老舗中の老舗である。末げんの象徴でもあった間口9間の黒塀の旧店は平成9年に取り壊され、今のビルに建てかわり、玄関の一部に残された黒塀がかつての新橋の風情の残り香を伝えてくれる。

 

SL正面

末げんのビル遠望

烏森神社正面

 

 

 

 SLを正面から      末げんのビルを望む    途中の烏森神社          

 SL広場を背に横断歩道を渡り、左手に向かうとすぐ末げんの入るビルがある。途中、右手に小さな路地があるが、そこに有名な烏森神社がある。平将門の乱(940年)の折、その乱を征圧した藤原秀郷が戦勝祈願のお礼に創建したと伝えられる平安時代からの由緒ある神社である。

末げん暖簾

黒塀

大将11年正月の末げん写真

 

 

 

  末げんの暖簾       今に残る黒塀    大正11年の末げん写真

 末げんには個室が4室あり、ゆっくりとその鳥料理と談笑が楽しめる。末げんと云えば、三島由紀夫が1970年の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で決起する前日に楯の会のメンバー5人と最後の晩餐を行なったところとして有名である。ある意味、昭和の歴史の一ページともいえる場所である。

 夜の料理は当店自慢の鳥鍋「わ」のコース(8400円から)以外に、通常の簡易懐石料理、8,400円、10,500円、13,500円、15,750円の4種類が用意されている。

先付け

先付け2

お造り

 

 

     

 先付け              先付け           お造り

あっさり鳥鍋

焼き鳥

鳥メンチカツ

 

 

 

  スープもあっさり鳥鍋     焼き鳥         お勧め鳥メンチカツ

稲庭うどん

デザート

個室の鶏置物

 

 

  

 稲庭うどん            デザート      個室の隅に鶏の置物

 先付けはわたしには少々、味がきつかったが、これが江戸の味とも云える。六代目菊五郎が贔屓にしたという末げんの味は江戸の味だったのであろう。先付けのあとのお造りと鳥鍋はぎゃくにあっさりとしていて、その取り合わせに料理の妙があるのだろう。焼き鳥は当然だが肉もやわらかく美味であった。この夜、一番のお勧めは、鳥メンチカツ(わたしの命名)である。そのジューシーだがあっさり感のある味は格別であった。これはぜひ一度、お試しになったらよい。

 春の宵に名優菊五郎を想い、三島由紀夫の決起を想い、昭和が遠くなったことをしみじみと感じたものである。

人気ブログランキングへ

 

すみだ川・新橋夜話 他一篇 (岩波文庫)

忘れかけてるいい言葉―新橋芸者喜春姐さんの言伝て (小学館文庫)

食楽 2007年 03月号 [雑誌]

 

 

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

妻の看病日記

 

 「その時」の家族のストレートな気持ちを知っていただくために文章は原文をそのまま転記する。個人名のみイニシャルとさせていただいた。( )内はわたしの注釈。〔 〕内は妻が書いたもの。

 

 

救急部入口正面

慶応病院本館全貌

入院病棟の看板

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここで最初のCTを撮った 病院本館を望む   外来入口

 

 

「妻の看病日記」

 

2001.3.1

 

31日)pm500頃、Tel有。Hさん(わたし)より体のしびれ有。現在、社内診療所におり、救急車で慶応病院へ向かうとのこと。泊まることも考え、娘は家においておき、とりあえず病院へ向かう。S駅(自宅の最寄り駅)にて、息子にTel。再度連絡することを確認。

 

 病院にてI氏、Y氏(会社の同僚)が待っていてくれる。症状説明を聞く。外出先から帰社(4時頃)の折、自分で体の変調〔しびれ〕を感じる。すぐS先生(診療所長)に連絡、診療所で受診。真っ青だったとのこと。受診中に気分が悪くなり救急車を呼ぶ。救急車の中でもどす。会社の看護婦さんがついてくれる。意識は鮮明。

 

 救急担当T.Dr第1回目の説明有。視床脳出血(手術は不可能な場所)。出血量2×3cm、中程度。24時間が勝負。これ以上の出血がない場合は容態安定。もし、3cm以上の出血が継続すると生命に危険あり。今の段階では血圧を上げないよう管理するのみの処置(説明内容部分「カウントダウン─廚傍載)。

 

 T氏、IK氏(会社上司)が来て下さる。息子に再度Tel。(わたしの)弟に連絡のうえ、至急来るよう指示。入院手続。娘にTel。出かける用意をしてYさん(会社の同僚)の迎えを待つよう指示。Y氏タクシーにて娘を迎えに行って下さる。H(わたし)集中治療室に移動。

 

 二回目の説明有。担当医SDr、KDr

 第一回目とほぼ同じ。視床出血について。(出血箇所は)感覚と筋力の神経の場所。右側出血のため左半身の麻痺と痺れがあり。麻痺については最初より回復の兆しあり。感覚についてはなし。

 

 もう一点の心配は脳室に血液が流れ込んでいること。髄液を溜め流す所で、血液が詰まって髄液の流れが悪くなると水頭症になる。水頭症になると麻痺、意識障害が起こる。その場合は水を抜くために手術が必要になる。これも24時間が目途になる。

 

 現在は降圧剤と脳内のむくみをとる点滴処置をし、様子を見るのみ。明日(2日)の午後、再度CT(コンピューター断層撮影)をとり、出血の拡大がない場合は容態は安定するだろうとのこと。4〜5日、GICU(一般集中治療室)にて管理、その後一般病棟に移る予定。現在、本人の意識はあり、言葉もしゃべれる

(以上の説明内容「カウントダウン─廚傍載)

 

 視床について

 感覚と筋力〔肉〕の神経の場所。右側出血のため左半身のまひとしびれが現在有。感覚についてはなし。(日記帳には脳の断面図と出血個所の図が記載されている)

 

 視床は脳の中心にあるため普通手術は不可。他の細胞を針でさすことできずつける危険が高いため。

 水頭症になると、まひ、意識障害が起こる。

 

 集中治療室にて安定後面会が可能。IK氏、I氏面会。弟、息子面会。娘面会。H(わたし)会話に問題なし。少しもうろうとしている感あり。

T氏、I氏(同僚)の連絡先を伺う。

 

 先生より30分以内の移動可能きょりであれば帰宅を勧められる。弟宅に泊まることにする。息子の車で移動。10時半。途中、“とんでん”で食事後帰宅。娘もさすがにねむれない様子。1時半すぎにねむる。息子2時すぎに(近くの下宿)帰る。ウトウトと10時すぎまでねる。

 

「発症日の31日の妻の看病日記より」

 

につづく

,砲發匹

 

人気ブログランキングへ

 

 

 

脳疾患治療の実力病院―日経病院ランキング


 

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

妻の看病日記(慶応病院搬入後)

ICUの急性期から回復そして転院(〜328日)

 

 

救急車搬送

救急車乗付口

救急外来入口

 

 

 

 

 

 

 

 

 救急車救急入口横づけ 救急患者搬入入口  救急部入口

 

こうして救急車で慶応病院に担ぎ込まれたわたしは、ここから脳卒中と本格的に対峙することになる。「その時」をこれまではわたしの視点のみから記述してきたが、救急室でCTを撮られ、そしてICUにストレッチャーで運ばれ、点滴による救急治療が始まった。そのあたりからわたしの記憶は薬のせいか病状のせいか曖昧となっている。妻がいつの時点で病院に駆けつけたのか、子供たちは、会社の人たちは・・・、記憶は交錯し、まさに夢現(ゆめうつつ)の状態になっていった。そのためここからは妻の看病日記より適宜、テーマに合わせて抜粋させていただき、客観的記録にしたいと思う。もちろん妻の了解を得たうえで、公表させてもらっている。脳卒中と云う怖ろしい「病気」の辛さを味わい、それと向き合い、そこから這い上がってくることは、患者本人の力だけで出来ることではないことを分かってもらいたいからである。そのわたしの意を少しでも汲み取っていただければ幸甚である。

 

 

【妻の看病日記より症状の記述を抜粋】( )内は筆者説明

31日(木)(慶応病院ICU

第一回説明【救急担当医 T医師】

視床脳出血(手術は不可能な場所)。出血量2×3cm、中程度。24時間が勝負。これ以上の出血がない場合は容態安定。もし、3cm以上の出血が継続すると生命に危険あり。今の段階では血圧を上げないよう管理するのみの処置。

 

第二回説明【担当医 S医師およびインターンK医師】

第一回目とほぼ同じ。視床出血について。(出血箇所は)感覚と筋力の神経の場所。右側出血のため左半身の麻痺と痺れがあり。麻痺については最初より回復の兆しあり。感覚についてはなし。

もう一点の心配は脳室に血液が流れ込んでいること。髄液を溜め流す所で、血液が詰まって髄液の流れが悪くなると水頭症になる。水頭症になると麻痺、意識障害が起こる。その場合は水を抜くために手術が必要になる。現在は降圧剤と脳内のむくみをとる点滴処置をし、様子を見るのみ。明日(2日)の午後、再度CT(コンピューター断層撮影)をとり、出血の拡大がない場合は容態は安定するだろうとのこと。4、5日、GICU(一般集中治療室)にて管理、その後一般病棟へ移る予定。現在、本人の意識はあり、言葉もしゃべれる。

 

32

午前10時過ぎI氏より懸案であった事案が思い通りの結果になったとのこと。早く、本人に知らせて欲しい旨のTel

タクシーが混み、途中から電車へ。午後215分病院着。仕事の話を伝える。連絡が遅いと叱られる。正常の時だともっと怒っていただろうと思われる。

 

第三回目説明(担当医 S医師)――午後4時半

12時半に2回目のCTを取る。出血の常態は昨日からほぼ変化なし。脳室穿破による脳室にも変化なく、水頭症にはなっていない。状態はきわめて安定している

来週(月)には病室移動も可能。これからは自然に血液が引くのを待つのみ。筋力の回復は認められるが、感覚神経については重症であるため、回復力によるが、杖歩行の可能性が大である。リハビリ次第ではある。慶応(信濃町)は2ヶ月程度、その後はリハビリ病院に転院になる。(リハビリ病院の照会に)3ヶ月。退院は6ヶ月が目処。その時に会社復帰の可能性をさぐる。

以上「妻の看病日記=症状に関わる部分」

 

 こうしてわたしはまことに運良く、週明けの35日、ICUから一般病棟へ移動することができた。ICUで覚えているのは、S医師が二桁の足し算の問題に答えよと云ったことが、「何をこいつは馬鹿にしているんだと」と、感じたことが強烈な記憶として残っている。意識の鮮明度をチェックするためと後に訊いたが、TVのER番組などで患者に氏名や年齢を確認し意識の鮮明さを測る場面をよく見ていたわりに、自分がその当事者になるやいろいろと不審に思う点も出てくるものだと感じた。そしてここが大事な点であるが、その時にわたしが出した答えが正解であったか否か未だ確認がとれていないのである。斯様に患者とはまことに厄介なものとも云える。

 

 次に本人が倒れていた時、家族はどう対応していたのか、どういう気持ちでいたのかを妻の承諾を得て、その看病日記からお力になれると考える部分を転記させてもらう。そもそもこの日記の存在をわたしは、社会復帰して2年ほど経ったころに知った。わたしが倒れたときから、混乱のなかで妻が克明に退院まで心をこめ、こうした記録と日記をつけてくれていたことを知り、またその内容に触れ、心から深い感謝の気持ちと言葉を捧げたいと思う。

 

 

につづく

,砲發匹

 

人気ブログランキングへ

 

 

 

脳疾患治療の実力病院―日経病院ランキング

 

ICUでの病態管理と急変時に役立つQ&A―集中治療が常に必要な重症患者への対応のポイント! (Q&Aでわかるシリーズ)


 

ICUブック 第3版

 

 

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

掘ト症、その時(2001年3月1日午後5時)

救急車で慶応病院へ

慶応病院正門看板

救急車着

救急部吊り看板

 

 

 

 慶応病院信濃町正門    救急車搬入路         救急部入口  

 左半身の感覚がなくなったとき、わたしは診療所長にこうした場合に最も懼(おそ)れたことをまず訊(たず)ねた。

「先生、わたしの喋っていることはわかりますか」

「わかるよ。左が麻痺してるってことは、右脳がやられているはず。言語能力は左脳だ」

 その時のこの所長の言葉ほどこの危機的状況のなか、いまでも映像だけでなくその確信に満ちた口調が感謝とともに鮮明に蘇ってくることはない。

 その言葉で、「言葉は失わない」と安心した。

 その所長の簡潔かつ的確な説明で、救われた気持ちを持ったことだけは強烈にいまでも思い出せる。

 こうした会話(自分は流暢に話しているつもりだったが、すでに口調はゆったりとしたものになっていた=後日の先生の話)をやりながら、診療所長はわたしの血圧をテキパキと計った。

「いくらか?」との質問に対し「190の130」との確か?答えだった。

「そんなに致命的な水準ではないな」と、瞬間的に思ったのを覚えている。

 しかし、今、考えてみればもっと高かったはずである。わたしの心理的混乱を鎮めるためにわざと低い数値を云ったに違いない。だが、もう、このことを確かめる術はない。命の恩人である先生は実は4年ほど前に鬼籍に入られたのである。

 次に「救急車を呼ぶか」と問うてきた。「お願いする」と答えた。

 看護師も所長室内に3名ほど入ってきていた。所長が慶応病院の救急部に電話を入れていた。わたしの症状をテキパキと伝え、救急車を手配した旨も同時に伝えた。

 その間、わたしは動く右手で携帯電話で家内に電話を入れた。「気分が悪くなり、救急車で慶応病院へゆく。いまは診療所長の前にいる。申し訳ないが、病院に来てくれ」しゃべった内容はほぼこの通りである。

 その連絡が終わったころ、所長の指示で看護師により右肩に注射を打たれていた。これがわたしの命を救った降圧剤である。救急車の到着前に医薬による降圧救急治療がなされたのである。奇跡としか言いようがない。

 わたしはネクタイをはずされ、ワイシャツのボタンも二つほどはずされ、ゆったりとするように云われ、頭をソファーにもたれさせられた。そうこうする内に、救急車が到着し、タンカーで運び出された。

 通常であれば15分から20分でゆく距離が混んでいたということで病院到着までに30分ほど時間がかかったと聞いた。その救急車のなかに診療所の看護師が二人同乗してくれた。これほど心強い思いをしたことはない。日頃見知った看護師が傍にいてくれた。いつも憎たれ口をきいていたわたしの傍でわたしの手を握っていてくれたのである。

 途中で初めて吐き気が襲ってきた。頭をやられたとき、吐き気が一番悪いと聞いていたので、後で考えればおかしいのだが、必死で我慢しようとした。吐いてしまったからといって容態が悪くなるわけではないのに、なぜかその時はそう思ったのである。

 ただ、素人考えでは、我慢するという行為が意識を失わせない効果につながったのではないかとも思う。しかし結果的にはとうとう我慢できずに吐瀉(としゃ)した。内容物を看護師が確認していた。お昼に食べた食事は鉄火丼であったが、両名の推理は違っていた。

 朦朧とする頭のなかで「俺に聞けよ。昼は鉄火丼だ」と云った。

「黙って、安静にして下さい」と叱られたのをなぜか覚えている。命があってのことである。ようやく救急車は信濃町の慶応病院の救急入口に横づけになった。

┐砲弔鼎

,砲發匹

人気ブログランキングへ

脳疾患治療の実力病院―日経病院ランキング

 慶応病院HP

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

掘デ沼潅罅△修了(2001年3月1日午後5時)

,修了

 その日は日がな小糠雨の降る寒い日であった。連日、仕事上の夜の付き合いが入っており、発症前日も午前様の帰宅であった。翌日は午前10時に重要な会議が入っていた。

 発症当日、午後4時に近くの取引先で、ある人物との面会があった。その話の途中(4時半頃)で、その人物の声が遠くからボーッと聴こえ始めた。その時、軽い出血が始まったのだろう。そのときは吐き気や頭痛はまったくなかったが、今までとは何か異なる、自分の存在が遠くにあるような奇妙な気分に捉われたことを覚えている。魂だけが遊離しているようなとでも表現したらよいのだろうか。そんな状態だったので、早めに話は切り上げることにして歩いて帰路についた。

 幸い数分の距離であったので、結果的に大事はなかったが、どこか雲の上を歩いているようなポワーンとした状態であったと思う。のちに同期の人物から会社の通用門ですれ違ったときのわたしの表情について話があった。目礼をしたのだが、わたしが返礼するどころか見向きもせず、顔が真っ青であったという。ずいぶんと忙しそうだし、また難題が降りかかっているのだろうと思ったとのことであった。わたしは退院したのちにそう云われたが、その時は彼に会った記憶はまったくないのである。足元を見つめて歩くだけで多分、必死の状態であったのだと思う。

 一旦、部屋へ戻り、午後5時ころであったが、明日が大事な日であったので、体調も考え、早目に帰宅しようと考えた。その時、ふと、社内の診療所の所長の顔が思い浮かんだ。念のため電話を入れてみた。所長は在室であった。わたしのフロアーは10階である。診療所は6階にある。エレベーターで向かった。

 エレベーターを降りて歩きだそうとした時、足を動かすのが難しくなっていた。右手で廊下の壁を支えにしてゆっくりとゆっくりと足を運んだ。それが精一杯であった。ただ、その時も頭痛や吐き気は一切、なかった。所長室に入り、ソファーに座った。

 所長にひと言、「調子が悪い。頭かも知れぬ。歩くのも大変」と云った。所長が前面に座り、筆でわたしの顔や手の甲をなでた。「感覚があるか」と、問うた。

 頬を撫でられて「ある」と答えたところで、頭上から左顔面にザ〜ッと何かを浴びせられたような、何とも云えぬ気分になった。筆が顔を撫でているのが自分の目で確認できる。右頬はくすぐったい。左頬は筆先が当たっているのに感覚がない。

 「ない!」

 突然ではなかった。感覚が失われるまでにたぶん、1,2分は経過したはずである。サドゥンデスではなかった。最初は少しは触られているのが分かったのだから。それは不思議な感じ、いや光景であった。

 そうその時の感覚は、左顔面上部からザ〜ッと血が流れるというより、顔全体に御簾がかかってくるような気がした。その時、本格的な出血が始まったのだと思う。所長が毛筆と金槌で左顔面、左手、左足に触れるが、ものの2、3分もかからずに感覚はなくなった。わたしの左半身が沈黙してしまった瞬間であった。

 

Г砲弔鼎

,砲發匹

人気ブログランキングへ

 

脳疾患治療の実力病院―日経病院ランキング

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

供イ修了へ向かってーー直前の予兆と考えられる原因

1.発症(2001.3.1)前の血圧と直前の脳ドックの結果

 発症前の約3か月前(2000.12)にわたしは、日帰りの人間ドックに入り、かつ同時に脳ドックも受けていたのである。

 その時のわたしの受信結果は、血圧は145(収縮期)と95(拡張期)くらいであると記憶している。そして、脳ドックの結果といえば、年齢相応の小さな脳梗塞の跡が見られるが心配はいらない。念のため、血液サラサラの薬を二週間分持って帰りなさいという処方であった。

 そして医師は、売薬であるが小児バッファリンが血液サラサラに効果があるから、それを飲むようにと指示を出した。わたしは、その後小児バッファリンを購入し、一か月ほど毎日とはいわぬが、気がついたときに飲むようにしていた。脳出血の際には命取りになる逆効果の薬を発症3か月前の脳ドックの結果、医師より指示されていたのである。

 脳ドックの意味とは何ぞやと声を大きくして言いたいところである。

2.発症直前数か月の予兆・前兆

ー鷆擇留βΔ常に棍棒を入れたように凝っていた(出血は右脳であった。従って後遺症は左半身に残っている)

⊂し歩くだけですぐに滴るほどの汗が出て、ハンカチがいつも濡れる状態であった

人の話を聞いている最中に、頭がポーッとして遠くからその話声が聴こえてくるような現象が何回も起こっていた

せ折、大した運動もせず理由もないのに動悸が激しくなることがあった

ド垰弋弔覆曚匹法頭痛はまったくといってよいほどになかった。わたしの場合、発症時にも頭痛はなかった

3.男の更年期障害

 いま思い起こすと直前の予兆にもあるように、発症原因のある部分は最近よく云われるようになった「男の更年期障害」に求められるものもあったのではなかろうか(2000年当時は男の更年期といったことはあまり一般的には云われていなかったように思う。少なくとも私の意識のなかにはまったくなかった)

 ●最近、男性の更年期障害は加齢による男性ホルモンの低下が発症に大きくかかわっていることがわかってきた。それに加えて仕事上の中年男性の3要素「ストレス」「肥満」「運動不足」なども、それを後押しする間接的要因としてあげられよう

4.喫煙習慣

 それまで何度か禁煙を試みたものの、発症時は喫煙習慣は一日、3箱から4箱になっていた。飲酒時には6箱程度になるといった超ヘビースモーカーであった

5.肥満

,錣燭靴療正体重は肥満度ゼロベースで約60kgだが、発症前3年ほど前には63から64kgであったものが、やはり倒れる直前には68kgにまで急速に太っていった。顔も二重あごになり、ある人に云わせると醜い顔になっていたのである

発症後、医師から云われた言葉でなるほどと思ったことがある。「適正体重から10kgオーバーの人とはどういうことか。よく考えてみなさい。いつも200gのビフテキを50切れお腹に巻いて歩いていることだ。心臓への負担がいかに大きいか想像がつくだろう」と。もっともである。

6.食事と飲酒

^酒後のラーメン、しかも塩味の濃い味でないと味覚が麻痺した舌にはうまくないと感じていた。塩分摂取過多が常態となっていた。

飲酒はほぼ連日。それでも土日は晩酌もせず飲んでいなかった、と云うより呑む気がしないほどに酒席が多かった

7.運動不足

 若いころは中高と陸上部で運動部で体力に過剰な自信をもっていた。加えて、性格がもともとものぐさときていた。そのため自らゴルフに行くでもなく、仕事が忙しくそんな暇もなかったというのが現実であり、疲れて運動などする心理的余裕もなかった

8.ストレス

 会社が大変な時期にあり、仕事の上でのストレスが半端でなかった。土日もなく仕事が追いかけてくる状態であった。まさに常在戦場の渦中のある日々を過ごしていた。心の余裕など一欠けらもなかった

 【Δ砲弔鼎

 【,砲發匹

人気ブログランキングへ

 

脳疾患治療の実力病院―日経病院ランキング

はらたいらのジタバタ男の更年期 (小学館文庫)

女と男の更年期 (あなたの医学書-名医の言葉で病気を治す-)

男の更年期障害を治す (健康ライブラリー)

男の更年期に警告反応―人間ドック医の報告

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

5.高血圧とは(日本高血圧学会ガイドライン)

 脳卒中の原因のひとつが高血圧であることはほぼ周知のことであるが、そのガイドラインは現在、どうなっているかを見ておこう。

 まず、血圧は心臓がギュッと収縮し左心室から大動脈を経由、脳や全身へ血液が送り出されるときに、最大となる。その血圧を収縮期血圧という。いわゆる上の血圧、下の血圧というときの上の血圧にあたる正式な呼称である。

 そして逆に肺から左心房に肺静脈を通じ、血液を取り込むときには心臓は拡張している。そのときに血圧は下がっている。その下の血圧を正式に拡張期血圧という。

 日本高血圧学会ガイドラインによれば高血圧について以下の通り、定義している。

 至適血圧・・120(収縮期)未満かつ80(拡張期)未満

 正常血圧・・130未満かつ85未満

 正常高値血圧・・130〜139または85〜89

 軽症高血圧・・140〜159または90〜99

 中等症高血圧・・160〜179または100〜109

 重症高血圧・・180以上または110以上

 収縮期高血圧・・140以上かつ90未満

 

(参考)

 米国において2003年5月公表された「高血圧の予防、発見、診断、治療に関する米国合同委員会の第7次報告」いわゆる「JNC7」で数値基準が厳しくなった。

 それに合わせるように従来に比べて日本のガイドラインも2004年に改定されより厳しい数値となった。

 【JNC7基準値】

 正常値:120(収縮期)未満かつ80(拡張期)未満

 高血圧前状態:120〜139/80〜89

 軽症の高血圧:140以上または90以上

 

 【イ砲弔鼎

 【,砲發匹

人気ブログランキングへ

 

脳疾患治療の実力病院―日経病院ランキング

 

最新版 高血圧これで安心―高血圧治療の新ガイドラインに準拠 (ホーム・メディカ安心ガイド)

実地医家のための高血圧治療ガイドライン

 

 

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

3.脳の構造と働き(構造図:東海大学付属病院病院内HPより)

’召旅渋ぁ次柴皮から順に

 頭がい骨・硬膜・くも膜・(脳脊髄液・栄養血管)・軟膜・脳

脳の循環機能

 脳には心臓から送り出される血液量の15〜16%が流れており、全身で消費される酸素のうち20%が消費されるなど、その活動を維持するため多量のエネルギーを必要とする。その源となるブドウ糖や酸素が血液を通じて供給されている。その脳内血液が数分以上途絶えることになると、神経細胞の障害が起きることになる

4.脳卒中とはどんな病気で症状は?

,匹鵑壁袖ぁ

 脳卒中は脳の血管が詰まったり、破れたりして、その先の脳細胞に栄養が届かなくなり、細胞が死んでしまう結果、その脳細胞がつかさどる機能が壊滅するか機能障害が起きる病気で、今の医学では死んだ細胞の再生は不可能である。また、血管障害による副次的障害として脳にむくみが生じることから同様のさまざまな障害が生まれる。

 【閑話休題】

 昨年(2007.11.21)公表された京都大学の山中伸弥教授(物質−細胞統合システム拠点/再生医科学研究所)らの研究グループの成果が、今後の再生医学に実践的な道筋をつけるものとして大きな期待が寄せられている。細胞の再生すなわち神経あるいは臓器の再生、機能回復など障害に苦しむ人たちにとって、臨床研究分野への移行や倫理基準等の問題も含めた議論を尽くしたうえでの医療現場での早期実践が強く待たれるところである。

 その研究成果はノーベル賞に値すると云われており、ヒトの皮膚細胞からES細胞(胚性幹細胞)と遜色のない能力をもった人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発に成功したものである。

 2005年の韓国ソウル大学の黄博士の胚性幹細胞(ES細胞)捏造事件は記憶に新しいが、胚性幹細胞の開発には従来、受精卵ないしはそこから発生がすすんだ胚盤胞までの初期段階の初期胚が必要とされ、人道上の倫理問題が大きなネックとなっていた。

(参考1)ーー胚

 一の細胞(生殖細胞を除く)または細胞群であって、そのまま人または動物の胎内において発生の過程を経ることによって一の個体に成長する可能性のあるもののうち、胎盤(たいばん)の形成を開始する前のものをいう

(参考2)ーーヒト胚

 ヒトの胚(ヒトとしての遺伝子情報を有する胚を含む)をいう

(参考3)ーーヒトES細胞

 現在、よく耳にするヒトES細胞はヒト胚から採取された細胞または当該細胞の分裂により生ずる細胞であって、「胚」でないもののうち、多能性を有しかつ自己複製能力を維持しているもの、またはそれに類する能力を有すると推定されるもの

 〔ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針について−文部科学省より〕

 

脳卒中の症状

 急に昏倒(こんとう)し意識がなくなったり、半身の麻痺が起きたり、口のろれつがまわらなくなったり、食事中に箸で物をとりこぼしたりと様々な症状が起きる

G晶亰譴版捷失匹楼磴ι袖

 脳の障害からくる後遺症が同様であるため脳出血と脳梗塞がごっちゃにしている人が多く見られるが、原因も異なる部分もあり、さらに予防治療においてまったく異なることがあるため専門医師との相談が必須である

 脳卒中による死亡者数のうち60%以上を脳梗塞が占め、脳出血は25%である。これは、カウントダウン△能劼戮患者数の内訳と比べると、脳出血の方が、死亡確率は高いともいえる。

 【い砲弔鼎

 【,砲發匹

人気ブログランキングへ

脳疾患治療の実力病院―日経病院ランキング

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

2.脳卒中は大きく4つに分類される

脳出血

(ア)脳内出血・・・高血圧、動脈硬化、脳動脈瘤や血管の奇形などが原因で脳内深部で血管が破れて出血するもの

(イ)クモ膜下出血・・・頭蓋骨といわゆる脳みそとの間にあるクモ膜と脳みそを覆う軟膜の間で血管が破裂し出血するもの。原因の8割以上が脳動脈瘤の破裂といわれている。死亡率は50%に達する。

脳梗塞

(ア)脳血栓(けっせん)・・・脳の血管の動脈硬化巣の表面を覆う膜が破れ、血栓ができて血管を詰まらせたり、頸動脈などにできた血栓が脳の血管に流れ込んで詰まるもの

(イ)脳塞栓(そくせん)・・・脳以外の場所、たとえば不整脈が原因で心臓(心房)のなかにできた血の塊が血流に載って流れ着いて、脳の血管に詰まるもの。しばしば、血の塊が大きいので太い動脈が詰まってしまい、重症な脳梗塞を起こすことが多い。

(参考)血栓:血管内の血液が何らかの原因で形成される血の塊のと。主に血管壁が毀損されて起こることが多い。

0豌畧脳虚血発作・・・脳の細小動脈が一過性に詰まったり、細くなって血液の流れが減少して起こる。

す盞谿祇脳症・・・血圧の急激な上昇により脳圧があがり、脳にむくみが起きるもの。脳血管の自動調節機能の範囲を超えて血圧が上昇すると、血液が異常に増加し、脳の毛細血管内から血管外へ血漿(ケッショウ)成分がしみ出し、脳にむくみが生じ、頭蓋内圧が亢進する結果、頭痛・悪心・嘔吐・痙攣・意識障害などの症状が起こる。

 

 ●約30年前の日本では脳卒中患者の2/3が脳出血であった。それが現在では脳梗塞が75%を占める形となっている。食生活の欧米化が原因のひとつと云われている。因みに欧米の脳卒中のなかに占める脳梗塞は85%に達している(日本脳卒中協会)

につづく

,砲發匹

人気ブログランキングへ

 

脳梗塞・脳出血・くも膜下出血―脳腫瘍、もやもや病などその他の脳の病気 (よくわかる最新医学) (よくわかる最新医学)

脳神経外科 脳動脈瘤の血管内治療―最新症例集

脳梗塞・脳出血・くも膜下出血が心配な人の本―脳血管の病気の不安解消・予防・早期発見のために

 

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

 約7年前にわたしは脳出血という恐ろしい病におそわれた。幸運なことに命をとり止め、何とか社会復帰も果たした。しびれや麻痺は一生残るものの、こうして与えられた人生をそう不自由なく過ごすまでになった。

 ブログを二年ほど前に始めて、わたしのサイトに「脳出血」や「痺れ」、「リハビリ」といった検索項目で入ってくる方たちが結構いらっしゃる。これまで、脳卒中について整理したまとまったことは書いてきていない。

 脳卒中という病気について、罹病した患者の立場で気がついたことや何かお役に立てるかも知れぬ事柄をそれなりにここで整理をしてみたいと考えた。

 もちろん医療については素人であるが、患者としては医師と異なりこちらが玄人である。玄人の患者として「脳卒中」にかかり悲嘆にくれている方あるいはこれからかかるかもしれぬ「あなた」の力にすこしでもなるようにシリーズで「脳卒中へのカウントダウン」を書き綴ってゆきたいと思う。

 まず、目次であるが以下の順序で書き進めて参りたいと考えている。気痢屬呂犬瓩法廚播計調査の数字を使用して脳卒中という病気を概観する。つぎに兇痢屬修了へ向かって」で、わたしが脳卒中(脳内出血)になった直前の予兆やそこに至ったと考えられる原因について、自分自身の反省を込めて振り返り、整理をしてみようと考える。掘屬修了」で、倒れた当日から退院までの3ヶ月半の出来事を事実通りに書いてみることとする。そして、最後に検屬わりに」で、その時を経て思うことについて書きとめておきたいと思う。それでは、まず、「はじめに」からスタートすることにする。

 

機イ呂犬瓩

1.脳卒中は脳血管疾患の総称

 脳卒中という病名は古くは「脳が卒然として邪風に中(あた)る病気」ということから脳血管疾患のことをおおむね「脳卒中」と呼んできた。死亡率が高く、その後遺症もひどく、治療方法がなかったことから「中風」や「中気」とも呼ばれ、不治の病としてながく恐れられてきた。

 そこで、現在の脳卒中はどうなのか。その死因別・疾病別要因における位置付けについて述べておこう。

 昭和28年以来、死因順位の一位を占め続けて来たが、昭和45年をピークに減少に転じ、昭和56年には悪性新生物(ガン)に、ついで昭和60年には心疾患に順位を譲り、目下第3位にある。依然、恐ろしい病気であることに違いはない。

 平成18年の厚生労働省調査の「人口動態統計」で死因別の数字を見てみよう。同年の総死亡者数は108万人である。

 その死因の一位が悪性新生物(ガン)の33万人(30.4%)、二位が心疾患17万人(16.0%)で、脳血管疾患は13万人(11.8%)と第三位となっている。因みに第四位は肺炎(11万人、9.9%)である。

 つぎに平成17年の厚生労働省の「患者調査」で疾病別の数字を見てみよう   

 【()内数字は平成11年の同調査によるものである】。

 悪性新生物142(127)万人、虚血性心疾患[狭心症・心筋梗塞]86(107)万人、高血圧性疾患781(719)万人、糖尿病247(212)万人、脳血管疾患137(147)万人となっている。

 「脳卒中」ということで云えば、死因別順位で第三位に後退したといっても、疾病別の罹病者数ではほぼ一位のガン患者数に匹敵する、依然として恐ろしい病気であることに違いはない。

 【△砲弔鼎

人気ブログランキングへ

 

脳疾患治療の実力病院―日経病院ランキング

 

ためしてガッテン 糖尿病・脳卒中(DVD) ◆22%OFF!
Yahoo!ショッピング(ヤフー ショッピング)

【満足百貨】オムロン 手首式デジタル自動血圧計 HEM-642【大きな文字とワンプッシュ測定が便利】
Yahoo!ショッピング(ヤフー ショッピング)

【オムロン】自動血圧計(手首式) 大きな文字とワンプッシュ測定で正しい血圧測定 HEM-642
Yahoo!ショッピング(ヤフー ショッピング)

【オムロン】自動血圧計(上腕式) 大きい文字で見やすい!ボタン1つで操作も簡単 HEM-7051
Yahoo!ショッピング(ヤフー ショッピング)


 

リストランテ大澤(イタリア料理)ーー東京グルメ(小金井)4

リストランテ大澤(イタリア料理)ーー東京グルメ(小金井)

★★★★★

小金井市貫井南町1-25-4(電話:042-382-8811)

 リストランテ大澤は平安時代から続く旧家のご当主が、その日本家屋を改装して、イタリア料理のお店としたものである。庭には樹齢280年の梅の樹もあり、和洋文化がほどよく折衷された趣のある落着いた大人のお店である。

大澤蔵国旗

大澤国旗

待合室

 

 

 

 イタリア国旗を垂らす蔵  かつてこの中はバーでした 玄関脇の待合室

シャンデリア

室内

テーブルセッティング

 

 

 

 レトロなシャンデリア    和洋の折衷          テーブルセッティング

牛テール・ほほ肉テリーヌ

前菜稚鮎

生桜海老スパゲッティ

 

 

 

牛テール・ほほ肉テリーヌ 稚アユと春野菜のフリット 生桜海老とスパゲッティーニ

手打ちタリアテッレ

主菜 金目鯛ポワレ

小鴨胸肉のポワレ

 

 

 

 手打ちタリアテッレ     金目鯛のポワレ        仔鴨胸肉のポワレ

デザート

デザート2

出口を

 

 

 

デザート(桜仕立のズッパイングレーゼ) 異なるデザート お庭を通って帰ります

庭

お天気の良い日はこの庭でゆっくりと会話を楽しむことも・・・。

 

 日本式の庭

 お料理もサービスも申し分のないリストランテ大澤です。娘の食物アレルギーにも迅速、適切にメニューを変更していただくなど、そのおもてなしは肌理細かく、温かみにあふれています。ぜひ、一度、多摩の方にお出での際は、寄ってみられてはいかがでしょうか。10名くらいの特別な集まりには、特別室も利用できます。特別室は調度品も吟味された素敵なお部屋で、内輪だけの談笑も気兼ねなく盛り上がることができます。

 ランチ           ディナー 

 2500円or3800円    5800円、7800円、10000円

 予約を入れてから行けば安心です。

人気ブログランキングへ
最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

記事検索
livedoor プロフィール
livedoor動画検索
本ブログパーツの提供を終了しました
NAVERまとめ
「NAVERまとめ」ブログパーツは、サービスを終了しました。
  • ライブドアブログ