彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

March 2008

日銀総裁同意人事に見るこの国の危機管理3

福井日銀総裁の任期切れにより戦後初の総裁空席という異常事態が現実となった。サブプライム問題で世界経済が混迷を深め、その影響回避に向けた国際協調が急がれるなかでのG7主要メンバーである日銀総裁の不在である。国際金融の危機の連鎖が懸念される状況下、突発事故ではなく政局要因により中央銀行の総裁ポストが空席となったことは、国家のガバナンス自体が問われかねない醜態を国際社会に曝すこととなった。

 

この異常事態は兎にも角にもわが国の政治レベルの幼稚さをいみじくも露呈して見せてくれたが、なんとも情けない歴史的事例を作ってくれたものである。政争の具となった今回の騒動は、最後まで民主党が同意しないという危機シナリオを準備せずに突っ走った与党に多くの問題があるのは当然であるが、参議院第一党という権力を手に入れ、それに酔い痴れ、弄ぶかのような国会運営に終始する民主党にも同様に大きな責任があることも指摘しておかねばならない。

 

また、総裁空席の事態を引き起こした主因は一義的に国会同意人事を政局に利用した未熟な国会運営のあり方自体に求められるべきであるが、一方で中央銀行の独立性強化という長年にわたる日本銀行の悲願がこの恥ずべき事態を惹起した陰なる要因であることも見ておく必要がある。

 

現在の日本銀行法は戦前に制定された旧日銀法を平成104月に全面改定したものである。中央銀行の独立性つまり金融政策の独立性と業務運営の自主性を法制度として明確にし、あわせて金融政策決定過程の透明性向上も担保することを大きな目的とした大改定であった。新日銀法は当時、さまざまな議論を重ね成立を見たものであり、その評価も独立性を完全に確保したとは言い難いが、旧法に比較し独立性強化に数歩近づいたというものであった。

 

今日の総裁空席の引き金を引いたのは直接的にはねじれ国会という政治情勢にあるものの、日銀の悲願がかなった新日銀法のなかにこそ隠れた原因があるということは皮肉なことである。すなわち旧日銀法において総裁人事は、第16条において「総裁及副総裁ハ内閣ニ於テ之ヲ命ズ」と定められ両議院の同意を必要としなかった。政策委員会の任命委員(現在の審議委員)についてのみ、第13条ノ4の第3項において「両議院ノ同意ヲ得テ内閣ニ於テ之ヲ命ズ」とあった。それが新法では、第23条の役員の任命において「総裁及び副総裁は、両議院の同意を得て、内閣が任命する」と改められた。この「両議院の同意」を政府からの独立性強化すなわち旧法下で広範であった政府の監督権限を縮小するものと日銀がみなし、総裁、副総裁の任命条文においても同文を敷衍(フエン)したことが今回の事態を招いたとも言えるのである。

 

平成10年に成立を見た新日銀法が活発に議論されていた時期といえば、すでに参院選の大敗(平成元年)により自民党の参議院過半数割れが常態化している政治情勢のなかにあった。そうした不安定極まりない政治情勢のなかで中央銀行総裁の任命のあり方につき、危機シナリオを考慮した、例えば同意不成立の場合には現総裁任期の延長といった選択肢を何ひとつ用意していなかったことは、日銀に限らず与野党もまさに危機管理意識に欠けた平和ボケ、政治音痴と言われても仕方がないのではなかろうか。日銀自身が「政府からの独立」に固執するあまり、逆に政治に翻弄される種を新法のなかに埋め込んでしまった、中央銀行の権威を地に落とす遠因を作ってしまったとも言えなくもないのである。

 

ただ皮肉な結果と嘆くだけで事態はもちろん解決しない。こうなった以上はもう一度政治の原点に立ち戻り、中央銀行総裁を国益の観点から候補者のキャリアといった形式基準ではなく能力本位、人物本位で選び、速やかに任命して欲しい。また、とくにこれまでの民主党の総裁人事へ反対する姿を見ていると、参議院第一党の権力に酔い痴れているとしか目に映ってこないのが気になるところである。国民生活の安定、経世済民の視点で政治を行なおうとしているようにはどう贔屓目にみても見えないのである。民主党が政権を担える国民本位の政党であると自負するのであれば、国会という場はいたずらに審議拒否をするのではなく具体的政策論議を真剣に闘わし、そしてルールに則り多数決で粛々と物事を決めてゆくところであることを国民の目の前で分かりやすく行動で示してほしい。

 

中央銀行の総裁不在という事態を国家としてのガバナンスの危機であると認識せずして、25円のガソリン料金値下げに狂奔する国会の様子を見ていると、どう考えても平和ボケ、危機管理意識ゼロの政治、国家と言わざるをえないのである。


どうにも納得できぬ400億円増資=新銀行東京2

どうにも納得できぬ400億円増資=新銀行東京

新銀行本店看板

新銀行ビル

新銀行正面

 

 

 

 



 

 

 



都議会与党の公明党が東京都が提案する新銀行東京再建のための増資に賛成する方針を固めた(読売新聞社3月22日)ことで、この増資案が26日の予算特別委員会でとうとう可決された。本案は28日の本会議で正式に決定をみることとなる。

 

新銀行東京についてわたしは当初からPJオピニオンで「石原都政の象徴、新銀行東京の赤字」(2006.12.5)、「赤字決算『新銀行東京』実質トップの石原都知事に株主代表訴訟?」(2007.6.5)、「『総ての責任は司令官たる自分にある』=新銀行東京」(2008.3.14)と、度々、その先行きについて警鐘を鳴らし、都知事の言動について批判を繰り返してきた。

 

特にH18年度決算発表後の定例記者会見(2007.6.1)で新銀行に関し、石原慎太郎都知事が口にした「進むも地獄、引くも地獄で乾坤一擲打って出る以外にない」との不適切な言辞に対しては、「乾坤一擲といった一か八かの経営姿勢なり行動をとるというのであれば、万が一経営が破綻するようなことにでもなれば、実質株主である都民(新銀行の株式の84%を都が保有)は実質、経営トップにある都知事に対し株主代表訴訟同様に、知事ポストの進退は言うに及ばず石原氏の個人財産の差し押さえをも展望した経営責任を厳しく問うていかねばならない」と断じたところである。

 

そしてこの度の「追加出資」要請の事態である。約9か月前の6月1日の記者会見では記者の「資本金に対してかなり累積損失の額が膨らんでいるが、追加出資が不要なのか」という質問に対し都知事は「これはありません。今のところ考えておりません」と答えていた。1000億円もの都税を投入し20054月に開業した新銀行東京。そのわずか2年後の2007年3月期決算で累積欠損が849億円に達したにも拘わらず、その決算発表の日に都知事はあまりにも危機意識の欠如した言葉で記者の質問を一蹴していたのである。その会見の冒頭では「新銀行東京についてでありますけども、今後2年間で経営を建て直す、そのめどをきっちりつける。少なくとも、2年後には単年度黒字を出す、そういう喫緊の目的のために人事を刷新することにいたしました」とも発言していたのである。2年後と言えば20093月期である。

 

今回、公表された薄っぺらな再建計画では、単年度黒字は20123月期へとこのわずか9か月の間に納得のゆく説明もないまま3年も後ろ倒しになったのである。


これは一体、何なのか。

 

都議会での新銀行についての野党との攻防でも「銀行の中身がよくわからない」、「株主の立場として」といった他人事のような責任逃れとしか見えぬ答弁に終始している。そうであれば9か月前の発言は何だったのか。一時凌ぎの言い繕いだったとしか思えぬではないか。中身がわかっていなければ、2年間で単年度黒字にもってゆくと答えられるはずなどない。もしわからずに言ったのであれば、自治体の首長、最高責任者として1000億円もの都民の税金を投入しておいて、あまりにも無責任極まりない発言と言わざるを得ない。

 

また一方で「株主」の立場を強調するのであれば、都民の税金を有効に運用する責任において、最低でも「善管注意義務」を全うする義務はあるはずである。株主は都民であり、都知事ではない。知事に委任しているのである。その注意義務を怠り、1000億円もの税金をドブに捨てるようなことになれば、それはプロジェクトの発案者たる都知事が責任を逃れる理屈はない。ましてや再建の道筋も明確に都民に示すことなく、さらなる400億円もの都税を投入することなど、都民の一人、いや国民の一人として到底、納得のゆく話ではない。今度の増資で再建がならなければ、傷口を大きくした末に、次は破綻処理という国税である公的資金の投入という最悪の事態も想定されないわけではないからである。

 

さらにこれは都知事のみの責任を問えばよい話ではない。万が一、再建がならねば、増資に賛成票を投じた議員一人ひとりは、特別背任ともいうべき責任に問われかねないのだと肝に銘じるべきである。来年の都議選はこの400億円増資について都民が良識ある裁断を下す番である。


 

「残念で遺憾」? 「大失態」の茨城県警3

「残念で遺憾」? 「大失態」の茨城県警

「スーツにネクタイ、ニット帽にリュックサック」が23日に茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅で無辜(ムコ)の市民8人を無差別に殺傷したときの金川真大(かながわまさひろ)容疑者の恰好である。駅の現場には19日の殺人事件で指名手配中の男を捜索するため私服警官8人が配置され、警戒を行なっていた。そのなかでのあまりにも傷ましい惨劇であった。

 

掲題の「残念で遺憾」は、23日に開かれた記者会見で茨城県警の石井孝刑事部長が「こういう結果になったのは残念で遺憾」と発言したもの。さらに同部長は「(張込および警戒は)ベストを尽くしたつもりだ」とも語った。19日に一人の人間が殺害され、電話で「早く捕まえてごらん」と挑発までされたなかでのこの日の無差別殺戮である。「ベストを尽くした」などとよくもしゃあしゃあと言えたものである。

 

山上高広さん(27歳)が何の謂われもなくその若い命を奪い去られ、2人の方が重体、5人の方が軽傷を負わされたのに、県警幹部のこの事態認識の甘さと事実の重みに対する鈍感さは一体何なのか。

 

TVインタビューで殺害された山上さんの知人が「警察は170人態勢で警戒していたというがこんな事態となった。警察は一体、何のためにあるのか」といった主旨のことを述べ憤っておられたが、まさに同感である。

 

警察官の配備は怠りなくやっており、「ベストを尽くした」が、しかしその間隙をぬって容疑者が疾風(ハヤテ)のごとく殺戮を行なったので、仕方がなかったのです。出来るだけのことはやったなかでの事件です。落ち度はなかったと考えています。だから非常に「残念で遺憾」だと言っているとしか、県警幹部の発言からは聞き取れぬ。

 

「警察の責務」を警察法は、第1章総則の第2条において「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする」としっかり定義している。今回の事件を語るのに大上段に警察法の条文まで持ち出し振り回すことに、わたしはある種の哀しみを覚える。こんなことまで持ち出さずとも警察が何たるか、国民はよく知っているはずだからである。しかしこの条文はいま警察官自身がよく熟読玩味し、己の職務・使命をよく理解する必要があると思えばこそ、わざわざここに大仰に引用させてもらったのである。

 

99年に発覚した神奈川県警の一連の不祥事もみ消し事件以来、ここ10年ほど警察の不祥事は後を絶たず、警察に対する国民の信頼は地に落ちたとも言える。

 

その信頼回復のため国家公安委員会は20003月に「警察刷新会議」(座長:氏家齊一郎 当時()日本民間放送連盟会長顧問:後藤田正晴元内閣官房長官・元副総理)を設置し、同年7月13日には「警察刷新に関する緊急提言」をまとめた。提言は「この刷新会議は、相次ぐ警察不祥事に対する国民の怒りと警察のあるべき姿へ立ち返ってほしいという願いを受けて、(中略)討議を重ねてきた。私たちは、警察がこれほどの国民の批判、不信感を受けるに至ったことを深く憂慮して、その原因はどこにあるのかを討議し、それを防ぐ方策はないかを考えてきた。」で始まっている。

 

その巻頭言からは警察に対する信頼が大きく揺らいだことへの当時の強い危機感が伝わってくるようである。緊急提言の第7に「警察職員の責任の自覚を」という項立てがあり、「警察職員は『国民の生命、身体及び財産の保護』という職務を改めて胸に刻み、安全を願う切実な期待にこたえていかなければならない」と、きわめて当然のことが強調されていた。

 

この「職務を改めて胸に刻」んで今回の事件に当たっておれば、こうした大失態を犯すことはなかったのではないか。殺人容疑者が付近に潜んでいる可能性が高い緊急配備のなか「スーツにネクタイ、ニット帽にリュックサック」姿の男に不審の念を抱かぬ弛緩した意識。今、現在、己の責務は何であるかを肝に銘じておるのであれば、職務質問なり特別な注意を払うに十分な風体であると素人でも考えるのだが、いかがであろうか。その意味において、刑事部長の「ベストを尽くした」「残念で遺憾」という言葉は、警察の責務を胸に刻んでいる人間からは決して発されるはずのない言辞であった。「警察としての責務を忘れた大失態であった」と深い謝罪の念を表すべきであったと思うのである。「遺憾」とは「期待したようにならず、残念に思う様子」を表す言葉である。茨城県警は170名もの厳戒体制という形式的な緊急配備に甘んじ、いったい何を期待していたのだろうか。

 

亡くなった方々やご遺族の無念、さらに被害にあわれた方々の恐怖を思うと、警察の事態認識の甘さと事実の重みに対する鈍感さに言いようもない強烈な腹立ちを覚えて仕方がないのである。

 

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警察のしくみ [図解雑学] (図解雑学-絵と文章でわかりやすい!-)

 

全国警察力ランキング―本当に優秀なケーサツはどこだ? (別冊宝島 (1371))

 

日本の警察―安全と平和の崩壊連鎖 (集英社新書)

 

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2008年春の到来!!5

2008年春の到来!!

 小さな庭に侘助(わびすけ)の有楽(うらく)?が数輪咲いている。そしてその脇の梅の木が今年はわずかな花をつけた。また玄関わきには名前がわからないが、豪奢な紅椿が大きな花を咲かせている。

 春の訪れを祝うように庭一杯にスミレ、スイセンと自らの存在を誇示するように咲き誇っている。

侘助 有楽2

侘助 有楽

紅椿

 

 

 

 侘助(有楽?)           有楽(ウラク)        おごん?紅椿

ラッパ水仙

菫 ビオラ

白梅

 

 

  

  ラッパ水仙            ビオラ(菫)          数輪の白梅

 まさにハルがきた!、SPRING HAS COME である!

辛夷の蕾

辛夷の蕾は開花前にほとんど野鳥がついばみ、

今年は枝を装う花びらをつけることがない。

その儚(ハカナ)い命の証をここに残そう・・・。

 

  辛夷(コブシ)の蕾

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三笠会館鵠沼店ーーグルメ湘南編 5

三笠会館 鵠沼店・・・湘南グルメ 

★★★★★

 住所:藤沢市鵠沼海岸1-11-23 国道134号線沿い

 電話:0466-34-5851

 三笠会館鵠沼店は湘南の海沿いを走る国道134号線沿いにある。どこか南欧風に造作されたお店が「湘南」という名前にふさわしい。

 自然石を重ねた階段を登った2階にお店の入り口がある。国道沿いに植えられた松並木の頭越しに湘南の海が見渡せる・・・、はずだったが、当日はあいにくの曇り日。もちろん、楽しみにしていた三笠会館からの富士山は影も形もない。

三笠会館より海岸を

三笠会館正面

入口よりレストランを

 

 

   

 生憎の天気         三笠会館鵠沼店     入口より外観を

 それでも海に向かって何もない開放感がこれからのランチのひと時を素敵なものへと盛り上げてくれる、そんなお店の造りである。いかにも年季の入ったレトロなエントランス、それだけでもこれからの食事のひと時を期待させてくれるに充分である。

入口

受付

店内

 

 

      

入口             素敵な受付          落着いた店内

店内2

ショップ

前菜

 

 

   

レトロな店内     エントランスのプチショップ    前菜

スープ

鱸のポワレ

若鶏もも肉炭火焼

 

 

      

スープ           すずきのポワレ        若鶏もも肉炭火焼

牛リブロースの炭火焼

デザート

誕生ケーキ

 

 

 

牛リブロース肉の炭火焼   デザート      線香花火の誕生ケーキ

 当日はお誕生日を迎えたご婦人を祝う会であった。通常のランチのメニューに加えて、お店のご好意で線香花火をあしらえたメルヘンチックに仕上げられたhappy birthday cake をいただけた。お誕生日に予約されたお客様にはそうした温かいおもてなしがなされるのだという。

 ご婦人からは恥ずかしいから黙っていたのにと、実はおしゃべりなわたしはお叱りを受けたのだが、線香花火のパチパチと小さく弾ける音がこれからもますますお元気でと聴こえたものである。

 そのご婦人とお店の長年のお付き合いのなかで生まれた、スタッフの方々との心の通った言葉のやりとりが、そばにいるわたしには、アンニュイというか午後のゆったりしたひとときが遠いメロディーように聴こえて、なんとも心地よく感じられた。

 素敵なお店というのは当たり前ではあるが、味覚とおもてなしの心が合致して初めて評価に値するものなのだと改めて思ったものである。

 

 当日のメニュー(3,990円のデギュスタション・ランチでした)

前菜(ブランダードと蟹肉のガトー仕立て プティサラダ添え)

本日のスープ(柚子入りポテトスープ)

 

三崎直送 鱸(スズキ)のポワレ アサリのジュとハーブの香り

オーストラリア産牛リブロース肉の炭火焼き 特製ソース

or


山梨県産若鶏のもも肉の炭火焼き 赤ワインヴィネガーソース

小さなケーキとフルーツ、シャーベットの盛り合わせ

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Hanako (ハナコ) 2008年 5/8号 [雑誌]

_ates (アテス) 2007年 09月号 [雑誌]

横浜・湘南レストラン批評―グルメ“口コミ”サイトの巨人、久留米指向が選んだ

鎌倉・湘南花とグルメの散歩道―古都の見どころとおいしいお店満載!

 

 

 

 

初春の厳島神社5

友枝昭世の第13回厳島観月能「紅葉狩」の夜
(2009.10)

広島県廿日市市宮島町1-1

  日本三景のひとつであり、1996年にはユネスコの世界文化遺産に登録された厳島神社を訪ねた。海中に立つ朱塗りの大鳥居や海上につきだして巡らされた回廊、平清盛をはじめとする平家一門の厚い庇護を受けた神社として、この厳島神社はあまりにも有名である。初春の一日、速谷神社を参拝したのち、知人が車で宮島へのフェリー乗り場まで送っていただいた。

 厳島に渡る前にJR宮島口駅とフェリー乗り場まで(徒歩3分位)の途中にある「うえの」という穴子御飯のおいしいお店で穴子弁当を購入した。知人が前もって予約を入れてくれていたので、待つことなく穴子弁当を購入できた。店の前には行列ができるほどの人気店であるとのこと。その日も店内は満席であった。

厳島あなご飯

厳島フェリー

厳島フェリーより

 

 

 

穴子御飯の老舗「うえの」  フェリーみやじま丸    近づく海中の大鳥居

 フェリーはものの数分で島に着いてしまう。もう少し海上からの厳島神社を見ていたい気もした。フェリー乗り場から海沿いにきれいに整備された可愛いらしい松原をぬけて神社へ向かった。別ルートとして御土産屋街をぬけてゆく道があるが、帰りにそのルートを通るのがよい。というのは、その道すがら海の向こうに厳島神社の朱色の回廊や大鳥居が遠望され、その透明な海の色ともあいまって、美しさがひとしおであるからである。

松原から回廊全景

厳島の海

松原から平舞台

 

 

 

 海沿いに回廊を望む    透きとおる海面      火焼前(桟橋)の遠景

 厳島神社は推古紀元年(593年)に創建された。ご祭神は海の神様である宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)である。

 松原をすぎて東回廊から神社へ入ってゆく。目の前に展開する鍵状に曲がる朱塗りの回廊に足を踏み入れるや、平安時代の絵巻物の世界に入り込んだ錯覚を覚える。観光客の驚嘆の声がそれを実感させる。源平時代はもっと静謐(セイヒツ)の時間が流れていたはずではあるが・・・。

回廊を歩く観光客

引き潮の回廊

厳島拝殿内

 

 

 

 東回廊を歩く観光客    引き潮で残念な回廊を望む 客神社(平清盛建立)

厳島拝殿正面

高舞台より大鳥居

海中に立つ大鳥居

 

 

 

 本殿正面より        国宝高舞台より大鳥居   日本三大大鳥居

厳島能舞台

能舞台と松の絵

五重塔

 

 

 

満潮時、能舞台は海上に 室町様式の能舞台     1407年建立の五重塔

五重塔遠景

白梅と五重塔大願寺

 

 

 

 五重塔遠景         白梅と五重塔        境内に隣接の大願寺

 ゆっくりと回廊をまわるうちに、周りの観光客の声もどこか遠くへと遠のいていっていることに気づく。琵琶法師の爪弾く琵琶の音色がどこからともなく聴こえてくるようだ・・・。平家一族の栄華と没落・・・。いつの世もそうした盛者必衰という世の道理は変わらないのだなと、いつしかつぶやいている自分がそこにいた。

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速谷神社5

  速谷神社・・・安芸の國の一の宮

〒738-0026 広島県廿日市市上平良308−1
TEL 0829-38-0822  FAX 0829-38-0341

 弥生、初春の一日、安芸の國の一の宮神社の速谷神社を訪れた。当社のご祭神は13代成務天皇の御代に安芸国造を賜った飽速玉男命(アキハヤタマオノミコト)であり、ご神体は本殿の下に埋まる巨石である。

速谷神社拝殿神門楼門 

 

 

  拝殿正面         神門正面         神門より楼門を

広島といえば厳島神社が日本三景の一つにあげられ、有名すぎるため速谷神社の名前を全国で知る人は少ない。しかし、安芸の國の一の宮は速谷神社であり、この神社の歴史も、いつ祀られたのかは定かでない。しかし、当社の略記によれば嵯峨天皇(在位809年〜823年)の弘仁2年(西暦810年)に名神に列せられ、その後の「延喜式神名帳」(延長五年・西暦927年編纂)のなかで安芸の國三社(速谷・厳島・多家)のうち唯一、名神大社(延喜式に記載された3,132座のうち創建年代も古く、とくに霊験の顕著な全国285座をいう)の殊遇を受けている、それほどの社格のある神社である。

拝殿内

ご祈祷

狛犬

 

 

 

  拝殿内部        家内安全のご祈祷     境内の狛犬

 厳島神社とちょうど南北に相対座するように本殿の位置取りがなされているという。また、神社の神紋も両神社はわずかに異なる程度とのことで、古来からの両社の深いつながりが窺われる。

 ご利益は交通安全であるというが、初代国造の長命から長寿の神様ともいわれているとのことである。なにしろ、ご利益はあるのである。

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割烹「やました」・・・京都グルメ編5

割烹 やました・・・京都グルメ編

★★★★★

京都市中京区木屋町通二条下ル上樵木町491−3

電話:075-256-4506

葵祭の日、割烹やましたへ(2008年5月)

割烹「やました」天下の珍味を堪能!(上)(2009年1月)

割烹「やました」天下の珍味を堪能!(下)(2009年1月)
割烹やました・2010年の味=京都グルメ(2010.12.12)

2012年春の“割烹やました”=京都グルメ(2012.3.13)
千変万化、山下茂氏の手練の技、“2012年秋の割烹やました” に感服!!(2012.10.23)
 

 京都駅から車で約15分、京都ホテルオークラから徒歩1、2分、木屋町通に割烹「やました」はある。今回は結婚を決めた息子にこのお店でちょっとしたお祝いをしてやりたいと思い、新幹線を途中下車した。

やました暖簾

やました入口

カウンター

 

 

 

 

 


 やました暖簾        割烹やました点灯    さぁ、呑むぞ、食うぞ!

 
京都を訪ねたときに、帰京前のひと時を「やました」で過ごすのがこの数年のならいになっている。8時26分京都発の「のぞみ」に乗るまでを季節季節の旬の食材を使った「やました」の料理に舌鼓を打って、思い残すことなく古都京都をあとにするのである。いつもギリギリまで尻を落ち着けてしまうので、挨拶もそこそこにタクシーに乗り込むのは、粋な料理を堪能したには、いささか無粋というものであるが、ついあれもこれもと箸をつけては、伏見の「日の出盛」をくいっと呑みほしてしまう。料理の味を殺さぬお神酒、さらりとした「日の出盛」ややや甘めの「桃の滴」は本当においしい・・・。

先付け

先付け

お造り

 

 

 

 

 


  先付け              先付け             お造り

 当日はおまかせでお願いしたが、好き好きで好みの食材でお願いする常連客でカウンターはいつしかいっぱいになっている。ご主人、わたしは大将と呼ぶ山下茂氏が手練の包丁さばきで作品を創り出してゆく。カウンター内では若い衆がきびきびと動き、そのさまがまた粋で心もちがいたってよい。まさに板前職人、プロの顔である。

山下茂氏(大将)

職人の顔

松岡君

 

 

 

 

 



    大将の山下茂氏    きびきびとした板前衆 メニューを書いた松岡君

 当夜のメニューを松岡君に丁寧に書いてもらった。難しい漢字を辞書も使わずに書き終えて手渡されたときには、料理の腕はもちろんだが、正直、今の若い人には珍しいと驚いた。

 
おまかせ料理の品書き

  • 先付け・・・磯つぶ貝、鮭とシビ鮪の燻製、氷魚かまあげ、千社胡麻からし和え、生かき(鳥羽浦村かき)
  • 造り・・・瀬戸内鯛、小シビ、車海老、活メ鰺、烏賊
  • 造り・・・とらふぐ白子と肝和え
  • 小蒸し物・・・てっぺい蒸し
  • 煮物・・・海老芋、明石蛸旨煮、竹の子、ふき、木の芽
  • 焼き物・・・魴�衽(ほうぼう)味噌漬け
  • 蒸し物・・・蕪蒸し
  • 揚げ物・・・山菜てんぷら(たらの芽・こごみ・ふきのとう・行者にんにく)
  • 酢の物・・・松葉蟹あしらい
  • 御飯・・・姫御飯、蜆赤出汁、香の物
  • デザート・・・瀬戸香、苺

鳥羽浦村カキ

てっぺい蒸し

煮物明石蛸七日煮等

 

 

 

 

  


羽浦村かき        てっぺい蒸し   煮物(明石蛸旨煮・海老芋等)

焼き物魴�衽(ほうぼう)味噌漬け

蕪蒸し

とらふぐ白子と肝和え

 

 

 

 




  焼き物(魴�衽味噌漬け)   かぶら蒸し        とらふぐ白子と肝和え  

大きな松葉カニ

酢の物松葉ガニ

お土産に鯖寿司

 

 

 

 

  


 松葉かに!花島さん    蜆赤出汁・揚げ物   絶品、鯖寿司(お土産に)

 三時間半の京都滞在でしたが、「やました」で京都の旬を堪能し、大将以下との久しぶりの談笑に胃袋も心も温まり、東京への帰路へと急いだ。鯖寿司の土産をしっかりと抱いて。京都駅に着くと、「のぞみ」に飛び乗る寸暇を惜しみ、阿闍梨(あじゃり)餅を買った。そして、「やました」の楽しい時間を惜しむかのように、「のぞみ98号」はゆっくりとゆっくりと京都駅のホームを離れていった。

  この次は鱧(はも)、岩ガキ・・・、車両の心地よい揺れが眠りを誘ってきた・・・

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京都タウン―グルメ&ショッピング (JTBのポケットガイド)

 

 

おいしおす―京都みやげ帖 (文春文庫PLUS (P20-32))

小さな食京都案内 (集英社be文庫)

そうだ!京都を食べに行こう―和食、フレンチ、イタリアンから焼肉、スウィーツまですべて ほんまもん

京都人だけが食べている (知恵の森文庫)

京味深々 京都人だけが食べている2 (知恵の森文庫)

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「総ての責任は司令官たる自分にある」=新銀行東京5

「総ての責任は司令官たる自分にある」=新銀行東京

つい先日、藤田まこと主演の東映映画「明日への遺言」を観た。東海軍管区司令官であった岡田資(たすく)陸軍中将が名古屋空襲の際に撃ち落とされた米軍飛行兵を処刑した責でB級戦犯として裁かれる法廷ドラマである。タイトルの言葉はその岡田中将が横浜第一号法廷の審理において自分自身の助命嘆願を一切行うことなく自分と同じ罪に問われた19名の部下をかばい、また法理に基づく信念から何度となく繰り返し発された言葉である。「名古屋空襲は無差別爆撃であった。それは(戦争のルールを定めた)ハーグ協定違反であり、従って捕らえられた米兵は俘虜ではなく非戦闘員を大量殺戮した犯罪者として、処罰を行なった」という理屈である。しかし、判決は「ハング(絞首刑)」であった。その判決が下された場面で傍聴席の妻に対し「本望である」とだけ声をかけた中将の姿は、トップにある人間の責任のとり方、身の処し方としてまさにその品格、人の上に立つ人間の高潔な品性を感じさせるものであり、深い感銘を受けた。

 新銀行本店看板 新銀行正面

新銀行東京の入るビル

 

 

 

 

 

 

 

  新銀行東京本店    新銀行東京本店正面     新銀行の入る大手町のビル

 

翻って、400億円もの巨額増資要請で目下、都議会で紛糾している新銀行東京にかかる石原慎太郎都知事の一連の発言をみると、トップたる人物の覚悟のあり方において天と地ほどの違いがあると言わざるをえない。都議会の野党の責任追及に「最初からわたしが社長だったらもっと大きな銀行にしていますよ」(朝日新聞3月12日朝刊)とうそぶく姿は、新銀行の発案者でもあるトップたる人物の品格の欠片も感じられず、責任逃れに汲々としているように見える。

また、この2月29日の都の定例記者会見で番記者の「今現在の経営陣について(都知事は)リリーフだというふうにおっしゃったんですけども、これを刷新するタイミングというのはどのあたりをお考えになっているんでしょうか」(東京都HPより。以下同)との質問に対して、石原知事はさあ、これは銀行の当事者とも話しましてね、その後のセカンドステージの展開が、具体的に決まった段階だと思います。それはできるだけ急がなくちゃいかんと思っています」と、当然だが84%の実質オーナー株主である東京都の首長として、自分が発案し設立した銀行の人事権に大きな影響力を持つことを心ならずも口にした。

しかし、その直後の「知事は先だって、責任については、ご自身に諸々の責任があったというふうにおっしゃっているんですが、『諸々』というのは、もう少し、どのあたりに責任があったとお考えでしょうか」との質問に対しては、「まあ世の中は、この銀行を石原銀行と言われるからね、頭取の石原に責任があると言われればそれっきりかもしらんが、これは非常に皮相なものの括り方でね。私はとるべき責任はとるつもりでいますよ。しかしですね、どういう形でとるか、那辺に問題があって、それがどういうふうに構成されて、こういう事態になったかということを詳細に、要するに皆さんにわかっていただき、私も承知しなければ、今後の処理だってでき切れないでしょう」と、知事に責任があるという見方は皮相な考えであると、どこか第三者といった口ぶりでいたって歯切れが悪いのである。「公が民業」に進出することへの批判をものともせず、新銀行プロジェクトの言い出しっぺであり一番の推進者でもあった自治体のトップとして、この言い逃れとも見える様は冒頭の岡田中将をひきあいに出すまでもなく、いかにも見苦しい。

今回の400億円の増資要請と併せ、新銀行は2月20日付けで本文わずか5ページの「再建計画」を公表した。この再建計画を読み込むのにものの数分も必要としない。この数ページの再建計画を一瞥しただけで400億円という多額の増資に踏み切る経済人がいるとすれば、それは狂気の沙汰と言うしかない。内容の具体性のなさや計画の実効性に対する説得性のなさには正直あきれて物が言えない。

ひとつ数字をあげてこの再建計画の実現性に具体的疑問を呈してみる。新銀行東京の公表された直近期の決算数字(平成19年9月中間決算)のなかに利回・利鞘という項目があるが、そのなかに資金運用調達利回差という数字がある。これはいわば銀行が有する総資産の運用収益率である。19年9月期(中間)の数字は0.34%と公表されている。

今回発表の再建計画のなかで平年度ベース(つまり巡航速度の平常年度)の運用資産は700億円と計画されている。また単年度黒字化を達成する平成23年度の総資産は1360億円となっている。上記の資金運用調達利回差0.34%を仮に適用して試算すれば、平年度の運用資産から産み出される利益は、700億円×0.34%の2億3800万円となる。また仮に総資産1360億円全部が運用できたとしてもそこから生まれる利益はわずかに4億6240億円という計算になる。また同再建計画のなかに今後の経費カット後の業務経費として7億円、営業経費として26億円(平成23年度)という数字が示されている。現状の運用利回差0.34%を前提とすれば、縮小均衡の再建計画の総資産からでる利益は2億円から5億円程度と考えるのが、常識的な算盤勘定である。それしか利益が出ないのに対し経費総額は33億円(平成23年度)となれば30億円弱の大赤字になるというのが、単純な算数の世界の答えである。

しかし提出された再建計画では平成23年度の当期純利益は8億円と計上されている。その計画を利回りという別の観点から検証すれば、8億円の利益計上に必要な資金運用調達利回差は、最も利益が出るケースの総資産1360億円をすべて運用できたと仮定すると3.01%という計算結果となる。現在の新銀行東京の実績利回差(0.34%)の約9倍という利鞘まで今後の営業努力で引き上げねばならぬことになる。巷間、収益力があると言われる三井住友銀行の平成19年9月期(中間)の資金運用調達利回差ですら、その水準は0.57%でしかない。その約5倍の収益力を今後の4年間で達成するというのである。絶対的金利水準がきわめて低位にある現状の金融環境のなかで、そもそも通常の銀行業において3%もの総運用利回差を前提としていることこそ、この再建計画の実現性に大きな疑問があるのだと指摘せざるを得ないのである。

民間会社の取締役会でこうした杜撰な再建計画を鵜呑みにし増資決議を行ったとすれば、仮に将来、この新銀行が破綻した場合、増資に賛成した取締役は全員、特別背任の罪に問われても不思議はない。今回のケースで言えば、万が一そうした事態に陥ったときにその責めを負うべきは、大株主の東京都、就中、そのトップたる都知事であり、また増資要請に賛成の一票を投じる都議会議員である。特別背任という提訴はできぬが、行政訴訟を起こすべき事案であることは論をまたない。因みに2005年6月に成立した新会社法の第960条は、「取締役等の特別背任罪」について「次に掲げる者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は株式会社に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、当該株式会社に財産上の損害を加えたときは、十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」と定めている。

言うまでもなく増資に当てられる400億円は都民の税金である。都知事がたった5ページの再建計画でフィージビリティー(事業可能性)ありと確信をもつのであれば、この増資断行に際し、何も迷うことなくその信念の証として税金投入につき債務の「個人保証」を行なったらよい。都知事の言う通り再建が果たされるのであれば、400億円という税金が紙くずになることはない。要すれば、都知事が400億円という債務の保証履行を迫られる事態などありえないのだから、信念と税金投入の妥当性への確信に基づき堂々と個人保証を行なうと宣言したらよい。そこまでやれば、「総ての責任は司令官たる自分にある」という都知事のトップたる覚悟のほどに都民も敬意を表し、400億円もの税金投入にも一応の納得を示すのではないだろうか。

 

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