彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

October 2007

揺らぐ「シビリアンコントロールへの信頼」4

揺らぐ「シビリアンコントロールへの信頼」

 

国会ではテロ特措法延長に代わる給油・給水新法問題で与野党の鍔(つば)迫り合いが続いている。そうした政治情勢のなかでつい先日まで防衛省の天皇とまで呼ばれていた守屋武昌前次官と防衛関係商社山田洋行との癒着疑惑が浮上してきた。

また一方で、032月、海上自衛隊の補給艦が米補給艦に行った給油量についての数字未訂正、隠蔽問題が発覚した。当時、海上幕僚監部が石破茂防衛庁長官(当時)ら政府に報告していた給油量の数字が、当初報告の20万ガロンではなく80万ガロンであったことを幕僚監部は03年時点から気がついていたにも拘わらず、訂正することなく隠蔽(いんぺい)していたとするものである。この20万ガロンという数字は当時の政治情勢のなかで、福田官房長官(当時)や石破防衛庁長官(同)が補給量の少なさからイラン戦争には使用されるはずがないと答弁する根拠となった政治的意味合いを持つ重要な数字であった。

 

こうした防衛省の不祥事を受けて、この国の文民統制いわゆるシビリアンコントロールという仕組みに重大な亀裂が生じていたことに正直、驚きを隠せないとともに深い憂慮の念を抱かざるをえない。わが国では先の大戦の反省を踏まえ、兵器を装備する自衛隊に対し「文民統制」という形で、将来の自衛隊の暴走ひいては軍事優先という事態を抑止する仕組みをシステムとして組み込んでいる。つまりその予算や人事権さらには国防といった軍事行動の究極的な命令権を国民の代表である政治家すなわち時の政府や議会にゆだねることで、制度により軍事優先を阻止しさせ民主主義を維持させる担保としている。

 

そうした民主主義体制のひとつの大切な生命維持装置でもある仕組みに、この長い平和が続いたことで弛みが発生し、そして亀裂が生じてきているのである。今回発生している二つの問題はシビリアンコントロールという仕組みも、その現場の手足たる事務官が強い使命感と緊張感を持って業務を遂行しなければ、必要なときに何ら文民統制という仕組みが機能しないことをいみじくも教えてくれたと言ってよい。また今回発覚した補給量の過少報告のように制服組の情報隠蔽を容易に許すこと自体(現段階では事務次官ら事務官は当時知らなかったことになっている)、すでにシビリアンコントロールがその制度の末端において機能していないことを明らかにしたとも言える。事務官がまったくその事実に気づいていないとすれば、これまでの意思決定プロセスや決裁プロセスさらにはレポーティングラインなど文民の手足である現場の事務官のチェック組織が何ら機能していなかったと言わざるを得ない。そして政府ならびに議会に正確な情報を迅速に伝えることのできぬ、いわば「ザルのシビリアンコントロール」であったと言うしかない。防衛事務次官が業者とゴルフに呆けていることを単に叩けばよいといったのんきな状況ではないのである。

 

自衛隊という軍隊が恣意的に情報を操り、国政に対し意図的に誤った情報を流すという重大な違反行為をなしたとすれば、その罪はきわめて大きい。さらにそれを許した文民政治家ならびにその手足たる防衛省の背広組(事務官)の責任はそれ以上に大きいと言うべきである。

 

先の大戦で関東軍が暴走を始めたときにちゃんとした情報が中央に入っておれば、また歴史は違っていたのかも知れぬと考えることがある。しかし今日のシビリアンコントロールという制度のなかで文民たる政治家および政府に正確な情報が伝えられない限り、文民統制とは名前ばかりの単なる画餅に過ぎず、自衛隊の暴走を止める安全装置が存在していると過信することがかえって取り返しのつかぬ事態を招来する可能性がある。今回の防衛省の不祥事から、シビリアンコントロールという制度があればそれで安心ということではなく、逆に国民にその制度が十分機能していると錯覚させることで、この国が後戻りできぬ状況のところまで行ってしまうことの怖さをわれわれはよく学び取っておかなければならない。

 

22日、防衛省は石破防衛相を中心として、シビリアンコントロールを担保するための検討機関を設置することを決めたと発表した。揺らぐ「シビリアンコントロールへの信頼」を取り戻す実効性ある機関となるか否か、われわれ国民はじっくりとその成り行きを見極めていかねばならない。




澤田(フランス料理)ーー信州・松本グルメ5

三城(さんじろ)【信州蕎麦】―― 信州・松本グルメ

長野県松本市沢村2-1-2 tel:0263-32-0786 ★★★★★

 
「まつもと市民芸術館」で行われている「まつもとオープンカレッジ連続講座2007」(信州大学人文学部主催)の「ヴィーン音楽物語」のレクチャー&コンサートに参加した。

 当日は「シューベルトとその仲間たち」という演題で船津恵美子氏の楽しいお話と山中和子氏らによるピアノ連弾曲の素晴らしさを堪能した。クラッシクというと、とかく堅苦しいものと思われがちだが、シューベルトの時代に音楽はまさに団欒のひとつであったことを、ある種アクロバティックなピアノの「連弾曲」を聴きながら知らされた。そして、夕方に公演は終わり、同行した知人がかねて予約していてくれた「澤田」へ一緒に向かった。

 
まつもと市民芸術館の正面からから国道143号線にほぼまっすぐ入り、信州大学病院手前を左折して800mくらいの道路右手に瀟洒なたたずまいで松本でも老舗中の老舗であるフランス料理「澤田」はある。出迎えをいただいたオーナーの澤田宗武氏のおもてなしは信州の夜風ともあいまって心地よい。

まつもと市民芸術館ピアノ

夜澤田花壇正面

夜澤田正面

 

 

 

 



当日のメニューは前もってこちらの常連である方が頼んでいてくださったものである。味ももちろんのことながら店内のレトロな雰囲気にマッチした目を奪うテーブルセッティングやオーナーとお嬢様の心のこもったサーブには、五つ☆を優に超えるものがあった。それは久しぶりに伝統あるフランス料理店に巡り会った瞬間であった。

テーブルセッティング

前菜1

フォアグラとグリュレ

 

 

 

ソルベ

和牛塩焼き包み焼き

和牛レアー

 

 

 

青いバラ

ワイン

オーナー澤田宗武氏とお嬢様

 

 

 


















オーナーの澤田宗武氏とお嬢様

 

 



長年の友人とこうした遠い見知らぬ土地で、素晴らしいフランス料理店で楽しく語らい、素晴らしいワインと料理に舌堤を打てたことの幸せを実感しながら、家内の運転で家路についた。長野自動車道を車内より写したら、光の芸術が偶然楽しめた。それはその夜の心地よく酩酊したわたしの心の中を映し出したようで、奇妙に感動したものである。そしてまた松本を訪れるときには必ず「澤田」を訪ねようと思ったのである。

夜の長野自動車道

 

夜の長野自動車道、茅野方面へ

 

 




当日のメニュー(わざわざお嬢様に手書きしていただいたものである)

・クルジェットとトマトのマリネ

・フォアグラのクレームブリュレ

・フォアグラソテーとドライフルーツソース

・ブルーベリーのソルベ

・ブッフドコックドセル(和牛の塩パイの包み焼き)

・パッションフルーツとマンゴムース


おっこと亭(信州そば処)ーーグルメ蓼科編 74

おっこと亭(信州そば処)ーーグルメ蓼科編 7

長野県諏訪郡富士見町乙事3777-3 tel 0266-62-7188 ★★★★

 中央高速小淵沢ICを降り、清里方面に右折、大平信号機を左折、、鉢巻道路に入ってヨドバシカメラ研修所を左折、ICより車で約15分のところにある。「おっこと亭」とは珍妙な店名であるが、その由来は地名による。

  駐車場はゆったりとしており、そこから新緑の木々にはさまれた小径をちょっと歩くと、ユーモラスな格好をした狸の置物がお出迎えしてくれる。

おっこと亭正面

メニュー

席から玄関を

 

 

  

おっこと亭玄関         そば三種のメニュー       客がいない瞬間を狙う

 平成3年に村興しとして地元のご婦人たちで立ち上げたお店で、いまも30数名の婦人たちで交替で運営がなされている。そば店だけでなく、おっこと亭の域内には地元特産の農産物、加工品の直売店や粉ひきをする水車小屋やそば道場ふるさと体験館といった施設や建物が点在している。

席から見える水車小屋

きりだめそば

天ぷら

 

 

 

 席から水車小屋を見る     きりだめそば(もりそば)       天婦羅

 そばのメニューは、もり(850円)、ざる(900円)、かけ(900円)の三種類となっている。もりを多人数で注文する場合は、「きりだめ」(一人前850円)を頼めばよい。みんなで箸をのばし、ワイワイ言いながら食べれば、おいしさは倍加する。

 そば粉8割の玄そばであり、わたし好みのしっかりとした味であった。わたしが訪れたのは昼過ぎであったが、80席ある店内の座敷席もお客が次々に訪れ、空席もほとんどない状態である。

 食事を終えて蓼科方面へ向かえば、車で数分の所に「八ヶ岳実践農業大学」の直売所がある。そこで新鮮な野菜やおいしいヨーグルト、プリンプリンの鶏卵を仕込むのもよい。

 信州の清涼の空気をすった胃袋においしいソバはまた格別である。



亀田祭り? 常軌を逸したメディア報道4

1017日午後五時過ぎから始まった亀田史郎トレーナー、亀田大毅選手の記者会見の模様が民放テレビ各局の夕方の報道番組でその一部始終がつぶさに報じられた。また天下のNHK7時のニュースにおいて簡単ではあったが、会見の模様を伝えた。

一体、この国に何の一大事が起きたのかと思うほどのこのTV各局の一斉報道であった。8分間にも満たぬ短時間で終了した謝罪会見をTV各局は17日当日の夜の報道番組、翌日の朝の報道・情報番組でこれでもかこれでもかというほどに大きく取り上げた。

TBS 18日深夜1時1分からドキュメンタリー番組「バース・デイ」で内藤大助選手と亀田大毅選手のWBC世界フライ級タイトルマッチの舞台裏を特集する予定であった(16日に急遽、番組差替えを決定)。亀田一家のボクシングのサクセス・ストリーをそれこそ局を挙げサポートしてきたそのTBSにいたっては、謝罪会見が同時平行で行なわれていた17日夕方の「イブニング5」(キャスター三雲孝江らが出演するニュース&ワイド番組)のなかで、時間を置いて何回か繰り返し(わたしが見たところでは3回)この会見の様子を伝えた。

そしてTVで会見を観るチャンピオンの内藤選手にイヤホンをつけさせ、そのコメントを求めたりした。この方式は他局も同様に行なっていたものの、TBSがそれをやると、内藤選手が「もう済んだことです。ああいう態度の亀田親子を見たのは初めて、次に会うときにはお疲れさまとたたえ合いたい」と、大人の対応を見せる善き人の姿を伝え、同選手をことさらに持ち上げることで、これまで同局が亀田一家に偏向した報道姿勢をとってきたことを、何とかうやむやにし帳消しにしようとしているとしか映らなかった。

さらに試合翌日(12日)のTBSの「みのもんたの朝ズバッ!」で内藤選手だけでなく奥様、子供さんまでインタビューに引きずり出してこれまでの苦労話などをさせていたことなど、つい試合前日までは「カメダ!」「カメダ!」と叫び、情報・報道番組のキャスターのテーブル上に「1011日亀田大毅WBCタイトルマッチ」と目障りなまでに番組宣伝を行なっていた亀田家一筋だったはずのTBS

そのTBSの亀田一家に対するこれまでの一連の報道のあり方、そして今回の豹変ぶりを見るにいたって、このテレビ局には「公共の電波」という「公共財」を使用しているのだというテレビ会社としての意識がまったく欠けているのではないかと思わざるを得なかったのである。

放送法第一章第一条の「目的」には、次の三つの原則に従って「放送は公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図る」と謳われている。


.放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。

.放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること。

.放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

この放送法の目的の原点に立ち返り、これまでTBSが亀田一家を取り扱ってきた番組編集の姿勢を顧みたとき、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保し、公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図る」ことから、その姿勢はほど遠いところにあると評さざるを得ない。

ヒーローを手造りで育て上げてゆく面白さを知り、お手軽に視聴率や注目度を上げることに酔い痴れてしまったTBSの姿は、何もこのテレビ局に止まらず他のテレビ局や大手新聞社も五十歩百歩であるようにも思える。「公共財」を使用するとは言っても、メディアも私企業である。自社が放映権なり協賛、スポンサーをする競技大会やイベントの宣伝に力を入れ、視聴率を少しでも上げるまたは注目度を高める方策に努め、CM収入・販売部数を増やし利潤を追求すること自体は悪ではない。

しかし、そこはあくまでもメディアは「社会の興毅、もとい、公器」であり、だからこそ国民の知る権利を担保するうえで、諸々のアドバンティジが与えられていることを忘れてはならない。限られた電波の使用然り、記者クラブの存在、事件現場や法廷、国会内での取材特権、再販制度・特殊指定の容認等々、この規制緩和の時代にこれほどの優遇措置をメディアに与えている事実をわれわれももう一度思い起こす必要がある。タイトルマッチに係る一連の反則についての過熱報道にそもそも呆れていたが、この謝罪会見報道のメディア対応は、やはり度を越しており、常軌を逸しているとしか言えぬのである。

いま、国会ではテロ特措法やアフガンの海上給油・給水に限定した新法問題の取扱いが佳境に入ってきている。日本が国際社会の一員として、「テロとどう戦うのか」。第168回国会ではそれ以外にも年金問題、障害者自立支援法の抜本的見直しなど国民生活に密着した問題が山積している。放送は「公共の福祉、民主主義の発達に資する」という観点などと大上段に構えるまでもなく、国民に知らしむべき情報はボクシングの反則試合のその後の経過などでない、もっと違ったところにあることは自明であろう。

今回のテレビ局の亀田祭りに狂騒する様を見るにつけ、現在の放送事業会社が「公共の福祉に適合するように規律」されているとはとても言えぬ代物であると強く感じた次第である。



富山冤罪事件再審判決が語る「裁判員制度」の到着する「最果ての駅」3

富山冤罪事件再審判決が語る「裁判員制度」の到着する「最果ての駅」

 10月10日、富山地裁高岡支部は2002年に発生した強姦(ごうかん)および強姦未遂事件で3年の実刑判決を受け、服役を終えた柳原浩氏の再審公判において同氏に無罪を言い渡した。同氏は服役の2年間を含め逮捕から仮出所までの2年9カ月の間、身の自由を奪われ、服役後も受刑者としての刻印を背負って生き続けてきた。そして不条理な逮捕から5年半を経てようやくの無罪確定であった。

 柳原氏と弁護団は逮捕にいたった捜査の経緯を明らかにするため2回にわたり県警捜査員の証人尋問を要請したが、藤田裁判長は「裁判は罪の有無を決める場だ」としてそれに応じることはなく、判決言い渡しにおいても冤罪(えんざい)発生の原因に触れることはなかった。柳原氏が閉廷後の会見で「真実が闇に消えたままで無罪と言われても、何もうれしくない」とその悔しさと憤懣(ふんまん)をあらわにしたことは、再来年5月までにスタートすることが決まっている「裁判員制度」が有する底知れぬ怖さをわれわれに教える結果となった。

 それは今回の再審判決公判における司法の対応が「裁判員制度」導入の理由として「裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています」(裁判所HPの「よくわかる裁判員制度Q&A」)と説明されていることと、真逆に位置するものと言わざるを得なかったからである。今回の判決は信頼感向上どころか、「秘密主義」・「密室性」・「臭いものには蓋(ふた)」といった法曹界の体質がまったく変わっていないことをわざわざ天下に公表したようなものであった。

 国民の参加が義務付けられた裁判員制度で対象となる事件は、簡単平易なものではなく、具体的には「殺人」「強盗致死」「傷害致死」「危険運転致死」「現住建造物等放火」「身代金目的誘拐」「保護責任者遺棄致死」など最高刑が死刑となるような一定の重大犯罪と規定されている。今回、冤罪に問われた強姦罪も「強盗強姦」「強制わいせつ致死傷」などに該当するケースであれば、われわれ国民は裁判官(3名)と一緒に公判に出席し、裁判員(6名)の一人として冒頭陳述、審理、評議、判決手続きという裁判手続きすべてにわたって当事者としてコミットし、「有罪か無罪か」「有罪とすればどのような刑にするか」を決めることになる。つまり、再来年の5月以降はTVのワイドショーで大きく扱われるような事件を、司法に素人のわれわれが裁判官と同じ重さの一票を持って、裁くこととなるのである(一応、被告人に不利な判断となる場合は、プロである裁判官1名以上の多数意見への賛成が必要となっている)。

 その一連の公判過程において裁判員は証人や被告人らに質問したり、証拠として提出された凶器類や書類を取り調べることとなる。立場は最終的には判決を下す裁判員ではあるが、まるでミステリードラマの検事や弁護士のように法廷で振る舞うのである。法律実務にズブの素人にそんなことを期待されても困るが、前述のQ&Aでは「(裁判所が)争点の判断に必要な証拠を厳選して証拠調べを行うなど、できる限り法廷での審理を見たり聞いたりするだけで(われわれ裁判員が)事件の内容を理解できるように工夫された審理が行われます」と説明されている。素人にわかるようにちゃんと判断のおぜん立てを裁判所の側でやってあげますよと言っているのである。

 しかし、今回の冤罪事件における裁判所は5年半前にはプロたる裁判所自身が「争点の判断に必要な証拠を厳選して証拠調べを」行ったうえで、3年の実刑判決を申し渡している。そして別の事件で偶然、真犯人が出てきたことから、それが冤罪と発覚した。

 さらに再審判決において「なぜアリバイの通話記録や現場の足跡の違いといったはっきりした証拠がある事件で冤罪が発生したのか」の真相を何ら明らかにすることもなかった裁判所、法曹界を信頼しろというのも、どだい無理な話というものではなかろうか。

 裁判所がいくらわれわれに「法廷」で「争点の判断に必要な証拠を厳選して証拠調べを行うなど、できる限り法廷での審理を見たり聞いたりするだけで事件の内容を理解できる」ようにすると言っても、実際にはアリバイや証拠があるにも拘(かか)わらず彼らの誤った思い込みでわれわれに知らすことをしないのであれば、われわれ裁判員は裁判官が引いたレールの上をただ走り続け、「冤罪」という「最果ての駅」まで無邪気に乗って行ってしまうことになりはせぬか。今回のような法曹界の体質のままでは、無辜(むこ)の国民を罪人に仕立て上げることを、国民参加の名のもとに正当化さえしてしまうのではないのか。

 現在の法曹界の隠ぺい体質やアカウンタビリティー(説明責任)の欠如を放置したままで「裁判員制度」を一年半後にスタートさせることは、制度導入の理由たる「裁判全体に対する国民の理解を深め、裁判をより身近に感じさせ、司法への信頼を高める」というためだけに断行するにしては、あまりに危険が大き過ぎると言うべきである。一人の善意の国民が一人の無実の国民を罪人に仕立て上げ、しかも場合によっては「死刑」という極刑を下してしまうことの可能性とその取り返しのつかない怖さが、「裁判員制度」には普通にかつ無邪気に存在することを、今回の再審判決はわれわれに教えてくれたように思えてならない。今更などということはない、制度導入の是非を再議論することにやぶさかであってはならない、それほどにこの制度は未熟なままスタートしようとしているのである。



「切り取った事実」の誘惑=能登半島地震(下)3

「切り取った事実」の誘惑=能登半島地震(下)

しかしその一方で、記者の目で震災にフォーカスしその傷んだ部分のみを執拗に切り取ってゆけばまったく異なる光景となったであろうことも、一面の事実であった。また投稿という行為を考えたとき、その一面をさも全体のことのように取り上げる誘惑に強く駆られたのもわたしの偽らざる気持ちであった。

 

だが半島めぐりをした一旅人としては、秋の能登を満喫できたというのが素直な実感である。旅人としてのわたしが震災の爪痕を強く意識させられたのは總持寺のみと言ってよく、その總持寺にしても多くの観光客が境内を徘徊し、身に危険を覚えることなく通常にお参りができた。

 

逆にこの旅を能登半島地震と関連づけて別の視点でフォーカスするとすれば、輪島の朝市や總持寺の門前に店を構える「手仕事屋」という蕎麦屋での活気に溢れたやり取りに触れたことなどで、困難に直面しそれを乗り越えようとしている人間のたくましさやしぶとさを肌で感じたことの方がもっと強烈な印象であったと言える。

また6百席を超える収容人員を誇る能登演劇堂も遠方からの大型バスによる団体客や温泉客などで満席状態となっていたことや、輪島塗の工房へもたくさんの団体客が押し寄せ、店頭に陳列された塗箸やちょっとした工芸品を買い求めている光景は観光地としては普通に見慣れたものであった。震災後半年経って、観光客は震災地を見ようとやってきていたのではない。風光明媚な能登半島の秋を堪能しようとしてやってきて、それぞれの旅の思い出を作っていたのである。「時間」というものが持つ属性のなかに、ある種の冷酷さが潜んでいることを知らされたようにも思えたのである。

 

そして旅から戻ったわたしはPJオピニオンに接し、「事実」というものの伝え方の難しさをいろいろと考えさせられた。「事実」を思い通りにつなぎ合わせることつまり編集のあり方如何で、ひとコマひとコマは事実だとしても、全体としては「震災の爪あとが生々しい、観光に訪れるにはまだ少し早い」といった大きく異なる印象を読者に与える記事を作成することができる怖さを知らされた気がした。そのことを過ちとまでは言わぬが、今回、「まず震災ありき」で記事を合目的的にまとめてしまえば、自分が受けた印象、心象とは異なる記事を結果としてまとめ上げたであろうことは容易に想像できるのである。

 

「今、何が起こっているのか、起こったのか」そして「そのなかから、今、もっとも何を伝えるべきなのか」

 

 この命題はメディアに携わる人間が常に問い直し続けていくべきものなのだと感じた。最近のメディア界における捏造番組事件といった不祥事や自身の主張に合わせた都合の良い事実のみをつなぎ合わせたような記事・報道を目にすると、「今、もっとも伝えなければならない事実を伝える」のだという至極当り前の役割を、現在のメディアは誠実に果たしているのだろうかと思わざるをえなかった。その一方で自らがそうした命題を深く考えることなく安易に記事を書こうとしたことに省みるべき点が多々あったと残念ながら言わざるをえない。

 

 センセーショナルな見出しを打ったニュース。それを商品価値として測ればそれはそれできわめて魅力的な商品と見なすことができる。そしてその商品価値に引き摺られて全体としての「穏当な事実」ではなく、細切れの事実をつなぎ合わせて「センセーショナルなタイトル」でニュースを配信してしまう誘惑に打ち勝つことは、ニュースを途切れなく配信し続けなければならぬ大手メディアにとっては、思った以上に難しいことなのかもしれない。

 

そうしたセンセーションへの誘惑に打ち勝って、全体としての「穏当な事実」を伝える自制心、冷静さ、そして常に客観的な視点を失わず物事を見つめる姿勢の必要性をこそ、この能登半島の旅を終えた今、強く感じているところである。【上にもどる

 


 

「切り取った事実」の誘惑=能登半島地震(上)3

「切り取った事実」の誘惑=能登半島地震(上)

 

325日午前942分に発生したマグニチュード6.9の能登半島地震。その半年後の928日から23日の予定でわたしは半島めぐりの旅に出た。羽田から能登半島のほぼ中央に位置する能登空港まではわずか1時間という至近距離、実際の飛行時間はその半分の30分ほどであった。新聞を熟読する間もなく着陸態勢の機内アナウンスがある。薄く棚引く雲の下に水墨画のような能登の山並みが見下ろせた。

 

 昼前に空港に降り立ち、早速、車で珠洲市へ向かい平時忠(清盛の義弟)の末裔である時国家を参観。築後三百年と伝えられる下時国家の豪壮な茅葺屋敷は2005年に解体修復の大工事を行なったが、その約1年後に能登半島地震に襲われた。幸い倒壊という大惨事には至らなかったものの、柱と壁の隙間や壁の細かなヒビなど震災の爪あとが修復間もない建て屋にはっきりと残されていた。

 

 翌日、今回の地震でもっとも大きな被害に見舞われた輪島市門前町を訪れた。この町名の由来である大きな山門を構える曹洞宗大本山總持寺祖院を参拝した。山門手前の朱色に塗られた白宇橋の欄干が白く今でもひび割れたままで放置されていることになぜかこの地震の甚大さを思った。境内に入ると法堂の観音開きの巨大な扉が大きな隙間を見せ「ハの字」型に傾いていた。また廻廊は観覧し歩くのに支障がない程度の応急措置は施されているものの、コンクリート床には無数のヒビが入り、漆喰壁も剥がれ落ちたままである。座禅修行を行なう禅堂の崩壊寸前の様を目にしたときは、地震当時の凄まじさを伝えているようで殊の外、心が痛んだ。

 

 總持寺の次に輪島漆芸美術館を訪ねた。そこもエントランスに至る石畳に応急措置は施されていたもののいたるところにヒビ割れができ、また軒先が歪んでいるのだろう垂れ下がる鎖樋(くさりどい)の先端がだらしなく地面に接触するなど完全修復には未(いま)だしといった状況であった。

 

そのあと七尾市へと足を向けたが、その途上では道路修復工事のため片側走行の箇所が途切れ途切れに存在した。また山腹などにも土砂崩れの箇所が剥き出しのまま残されていた。能登半島めぐりは、この地域がまだまだ本来の回復には時間を要することを一面で実感させたものである。わたしは、その間、PJニュース「まだ残る震災の大きな爪あと」といったタイトルを脳裡に浮かべながら、地震の痕跡と見れば写真を撮りまくっていた。その日は夕方になり予て予約していた仲代達矢主演の「ドン・キホーテ」を中島町にある能登演劇堂で観劇した。

 

そして東京へ帰宅後、PJオピニオンにタイミングよく掲載された「『忘れられないために』=能登半島地震からの復興課題(上・下)」930日、101日)を興味深く読ませてもらった。そのなかで「切り取られた側面は事実であっても、全体的に見れば、その切り取られた事実が現実から乖離しているケースがある」との指摘に触れるにおよび、わたしは「まだ残る震災の大きな爪あと」のニュース投稿を控えた。

 

と言うのは23日の旅は、旅人の目から見ればそうした被災の痕跡を全体としてはほとんど意識することなく、予定通りスムースに旅程を消化し、楽しい思い出を作ってくれ、わたしは能登旅行を十分に堪能することができたからである。

 

小田氏の取材にあるように「マスコミの格好の取材対象になってしまう倒れかけた家屋など見た目が悪い建物はすべて取り払」い、「そのイメージが能登半島に染みついてしま」わないように観光客のイメージを悪くするところはできるだけ早急に修復するなり、手が打たれていたことは、振り返ってみて実際に観光ルートをめぐってみたわたしが実感したところである。輪島市内の3か所に指定された震災ゴミの仮置き場のうち、輪島の有名な朝市に近い「マリンタウン」では観光のイメージダウンにつながるとして優先的に震災ゴミの処理が進められたことなどはその代表的な例であろう。そうした地元の涙ぐましい対策が功を奏したのだろう、観光客の目には地震の悲惨さが実感しにくい状態にまで表面上は復して見えたのである。

下に続く



 

福田新総理の気になるひと言=メディアへの秋波3

福田新総理の気になるひと言=メディアへの秋波

 

 925日、両院での首班指名が異なった結果、憲法67条「内閣総理大臣の指名,衆議院の優越」第二項の適用により、福田康夫氏が第91代内閣総理大臣に選出された。それは衆参ねじれ国会を象徴する首班指名劇であった。

 

 午後4時からの両議院協議会の開催、その後の衆議院本会議の再開、そして最終的な総理決定と通常の首班指名とは異なる手順が加わったため、皇居での首相親任式や大臣の認証式も25日当日中ではなく、その翌日に持ち越されることになった。

 

 そうした異例ずくめの総理大臣決定劇であったが、その夜の午後9時46分より総理官邸で内閣記者会との記者会見が開かれた。その初めての記者会見で、新内閣であるにも拘わらず福田新総理が「改造(内閣)」と発言したことなどはご愛嬌ではあるが、そうした小さな間違いにも、心の準備ができぬまますべてぶっつけ本番で総裁立候補から総理会見までひた走ってきたそのドタバタぶりが如実に顕れているように思えてならなかった。

 

安倍前総理の突然の辞任に始まった新総理選出の狂騒劇。自民党総裁選への立候補決意、地方遊説、総裁選挙、そして首班指名とこの間わずかに14日間、落ち着いて政権構想を練る暇などなかったことは容易に想像はつく。

 

そうした状況下、原稿に目を落とすことなく最初の記者会見に対応し終えたことは、史上最長の官房長官在任記録を有す福田氏の、ある意味、真骨頂であったとも言える。

 

ただ、官房長官時代の同氏の記者会見とはずいぶんと様相が異なっていたのも事実である。新総理ということで緊張感もあったのだろう、国民に対しての責任感からか言葉を慎重に選ぶかのように発言する姿はひたすら低姿勢であった。そして、決定的に違和感を覚え、おかしいと感じたのが、最後の福田総理のひと言であった。

 

「どうか皆様方のご協力をよろしくお願いいたします」

 

 この記者会見で違和感を覚えた発言を文章としていま目の前にして通読すれば、このフレーズは国民に対して向けられた発言として受け取ることができる。

 

 しかし25日の会見をTVの生放送で観たときは、実はそういう風には聴こえなかったのである。記者会見室にいる内閣記者会の記者たちを見回したうえで、「ご協力をよろしく」と発言した姿はメディアに対して確かに秋波を送るようにわたしには見え、かなり強い違和感を覚えたのである。

 

 官房長官時代に福田氏が毎日行なっていた記者会見では、仏頂面で若い記者たちに対応する場面を何度も目にした。TVに出演しまくり、司会者や視聴者に媚びを売る政治家が後を絶たないなかで、傲慢で失敬なメディアに対しては、時に不快感を露わにし、厳しい口調で応答する福田官房長官の姿は毅然としてみえた。そのメリハリのついたクールなメディア対応ぶりには正直、納得させられたものである。

 

 そうした同氏のメディアに対し一線を画する姿勢を評価していただけに、この夜の最後のひと言、「ご協力をよろしく」は、結局、「メディアによく書かれたい」「評価してほしい」というポピュリズムの道を福田新総理も歩み出すのかと見えて、失望の念に駆られたのである。

 

 権力とメディアが馴れ合ったときその国は滅亡の道を突き進む。権力とメディアが健全な緊張関係を保っているときこそ民主主義は成熟の道を歩むものであり、国民も健全な批判精神と判断力を有することができるのだと考える。その意味において、新総理はメディアの論調を世論などと勘違いすることなく、ましてやメディアに「よろしく」頼むことなどなく、国民の声を直接、聴く姿勢を貫いて欲しいと願う。

 

そしてまずはこの内閣の正統性を問うべく国民の声を生で聴く解散・総選挙を可及的速やかに実施するべきと考える。


 

繰り返される誤審、国内競技連盟の国際化を急げ!4

繰り返される誤審、国内競技連盟の国際化を急げ!

 

 国際レスリング連盟(FILA)主催の2007年世界レスリング選手権が9月17日から23日の一週間にわたり旧ソビエト連邦内に位置するアゼルバイジャン共和国のバクー市で開催された。

 

その最終日の23日、女子72キロ級において日本代表の浜口京子選手が昨年の金メダリストであるズラテバ(ブルガリア)選手と2回戦で対戦したが、また誤審と思われる判定で、いや100%誤審によって敗れ去ることとなった。

 

この女子レスリングの誤審は、つい10日ほど前にリオデジャネイロ市で開催された国際柔道連盟(IJF)主催の世界柔道選手権大会の男子重量級において日本の井上康生と鈴木桂治両選手が誤審と思われる判定で、早々と二回戦で姿を消したことにつづき、日本スポーツ界の指導層および運営団体すなわち国内競技連盟の国際舞台でのネゴシエーション力不足が半端でなく深刻なことを裏付ける結果となった。

 

今回は柔道選手権のときのビデオによる試合中の再審チェックもなく、競技途中の日本コーチ団の抗議も日本語でまくしたてるだけで効果はなく、その判定が覆ることはなかった。

 

 試合が終了した後にようやく日本レスリング協会の福田富昭会長が当該ビデオをマリオ・サレトニグFILA審判委員長に見せることになった。そして同審判員長が「浜口のポイントである。(判定は)100パーセントのミステーク」と断言したという。しかし、試合が終了した後の判定修正はありえず、日本チームは苦渋の涙を呑まされる結果となった。

 

実際に当時のTV中継を見ても、解説者は浜口選手が技をかけた際に、得点をあげたと自然に気負うことなく解説していた。その直後に相手のズラテバに3ポイントが入り、「えっ!どうして?」と何が起きたのかわからぬまま生煮えの状態のなか、試合は敗退を喫することとなった。

 

ズラテバ選手は昨年の同大会決勝戦で敗れた浜口選手の因縁の相手である。その決勝戦は相手の頭突きにより鼻をへし折られ、状態が不完全のまま敗退したのである。そしてそのことで全治1カ月の手術を受け、本格的トレーニングへの復帰が遅れた経緯がある。それに対し日本レスリング協会は「故意の頭突き」とした抗議文をFILAに送付したというが、何かルールなりが変わったわけでもなく、その対応はおざなりで負け犬の遠吠えであったと言ってよい。選手の歯ぎしりするほどの悔しさが本当に身にしみてわかっているのか、疑いたくなるのである。

 

世界大会でつづくこうした誤審騒動による日本選手の敗退を見るにつけ、試合後に茫然自失となり涙をこぼす選手たちにその責がないことは明らかである。

 

一方で、日本女子の快進撃がつづくレスリングにおいても、スキージャンプ競技や複合競技同様の日本選手に不利なルール改訂が2005年の1月から認められてしまったという。国際競技連盟でのディベート力や政治的根回しのあり方、わが国選手が実力のある国際連盟における日本包囲網への情報収集力の強化等早急に図る必要がある。そしてより現場に密着している監督やコーチ陣の試合会場におけるジャッジに対する実効性ある抗議のあり方についても、当面の対処策ではあるかも知れないが、外人コーチの採用なども含めて真剣に対策を講じるべきであろう。

 

また中長期的観点からは、コーチ陣や将来の競技連盟を背負って立つ若手層を同スポーツに限ることなく各種国際機関へ留学させ、国際感覚や国際間の駆け引きを身につけさせることなども、一つの有効な手段として検討してみる価値はあるのではなかろうか。さらにその逆に日本の競技連盟に外国人を迎え入れることなども国際化、開かれた連盟となる方策として試みてもよいのかも知れぬ。

 

井の中の蛙的な連盟内でのつまらぬ権力闘争や派閥抗争などにうつつをぬかす時間などないことを連盟の役員陣は肝に銘ずるべきである。不甲斐無い競技連盟の指導者層のしわ寄せが、私的時間を犠牲にして練習に没頭する選手たちに納得のゆかぬ敗戦という形で向かうのでは、あまりにも申し訳が立たぬではないか。そしてそれはあまりにも理不尽と言うものではなかろうか。


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