彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

April 2007

さぁ、今度はどう采配する、東京証券取引所――加ト吉粉飾疑惑4

東証一部上場の「加ト吉」(本社 香川県観音寺市)の外部調査委員会(弁護士、公認会計士で構成)は、21日、かねてとりざたされていた同社をめぐる粉飾決算疑惑問題について、同社と子会社加ト吉水産等との間で伝票上のやり取りを繰り返し、存在しない商品取引を装い売り上げを積み上げてゆく循環取引という手法で、架空売り上げを2001年から2006年までの6年間にわたり計上していたことを確認したことが、関係者の証言により明らかになった。今後、同社は週内に東京証券取引所に循環取引の事実を報告するとともに詳しい調査結果を公表するとされている。

 

加ト吉はTVコマーシャルでもよく知られている大手冷凍食品会社であるが、直近決算の2006年度の有価証券報告書には連結売上高は3399億円、経常利益は145億円9700万円と堂々たる数字が記載されている。また420日(金)現在の東京証券取引所の株価終値は756円、その時価総額は1231億円にのぼっている。

 

 調査委員会によるとその架空売上額は数百億円に上ると伝えられ、これが事実であれば、日興コーディアルグループやライブドアと同じ「有価証券報告書の虚偽記載」にあたり、証券取引法に抵触することになる。

 

 約187億円の利益水増しの粉飾決算を行なった事件で上場廃止か否か世間の耳目を集めた日興コーディアルはついこの前、313日に監理ポスト割り当てを解除され上場維持が決定したばかりである。そのときの東証の監理ポスト割当ての解除理由は「株券上場廃止基準第2条第1項第11号a(上場会社が有価証券報告書等に『虚偽記載』を行い、かつ、その影響が重大であると当取引所が認めた場合)に該当しないと認めたため」と、市場へ与えた影響は大きくなかったとの判断であった。

 

 またそのわずか3日後に、赤字決算であったものを50億円余の黒字決算に粉飾したとして2006414日に上場廃止となったライブドアの元社長堀江貴文被告が「有価証券報告書の虚偽記載」と「偽計・風説の流布」の二つの罪状により懲役26月の「実刑」判決を受けた。

 

その二つの「有価証券報告書の虚偽記載」事件において、東証の裁定に差異があったその判断基準についてさまざまな異論が唱えられたことは記憶に新しいところである。

 

 今般、加ト吉は6年間におよぶ循環取引という子会社を巻き込んだ不正取引を外部委員会で認定された。その報告書が週内に東証に手渡されることになるが、さぁ、今回の行司の采配はどう翻されるのか、その明快な判断基準をとくと見せてもらいたい。


緑資源機構官製談合、「甘い汁連鎖」の生体解剖で公務員制度改革実現を!2

農林水産省の所管する農林漁業信用基金や農畜産業振興機構など14の独立行政法人のひとつ「緑資源機構」(理事長前田直登)に、19日、公正取引委員会は同機構が調査業務発注に係る「官製談合」を行なっていたとして独占禁止法違反(不当な取引制限)容疑で同機構および受注先である公益法人等の家宅捜査に入った。

 公取はすでに昨年10月末に同機構の「幹線林道事業の測量・建設コンサルタント業務に係る入札」に関する独禁法違反の疑いで立ち入り検査に入り、調査を続けていたところであった。今回、家宅捜査という強制捜査へ踏み切った背景には、同機構が行なっていた官製談合がその悪質性、継続性において看過できぬとの強い判断が働いたものと思われる。

 

 同機構は10月の立ち入り検査を受けて急きょ、前田理事長を委員長とし、5人の理事が一般委員、弁護士、大学教授、公認会計士の外部の人間3名を特別委員とした「入札制度等改革委員会」を設置した。そしてこれまで122日、220日、327日と立て続けに委員会が開催されてきた。ただしその会議時間は同機構の議事概要によると通算でわずかに6時間20分であった。さらに327日開催の第3回の委員会において、早くも「入札制度に関する改革方向」という本文2ページ、付属資料たった3ページの「中間とりまとめ」がまとめられた。そのあわただしい小役人的な対応には、何とか逃げ口上を用意したいとの魂胆があまりにも見え透いており、浅ましささえ感じてしまう。

 

 また議事概要を読む限りでは、特別委員を引き受けた委員からそうした付け焼刃的な「緑資源機構」の姿勢、体質そのものへの言及、批判もなかったことも、この委員会の性格がその場しのぎのお手盛りであることをそのまま正直に表わしているように思える。

 

さてこの「緑資源機構」とは耳慣れぬ組織名だが、かつて森林開発公団(昭和31年設立)と呼ばれていたものが、平成11年に農用地整備公団(昭和30年設立)の業務を継承し緑資源公団と改称、その後「特殊法人等整理合理化計画」(平成131219日閣議決定)に基づいて平成1510月に「独立行政法人緑資源機構」として衣替えした典型的かつ由緒ある天下り機関である。またこの巧妙な「早変わり」こそが「改革なくして成長なし」と叫び続けた「小泉改革」の実態でもある。

 

同機構の役員は総勢8名(内監事2名)からなり、その前職は理事長以下4名が農林省、森林開発公団が3名、会計検査院出身者が1名となっている。ちなみに現在の理事長前田直登氏は2代前の林野庁長官である。林野庁にはこれまで33代の長官が存在するが、農林省の事務次官に登りつめた9名と国会議員となった7名(除く事務次官経験者)を除く17名の内、4割にあたる7名が「緑資源機構」およびその前身である森林開発公団の理事長に天下りしている。この事実から同機構が林野庁と一心同体の由緒ある天下り先であることは明らかである。

 

現在、国政の場において渡辺喜美行政改革担当大臣を中心に公務員制度改革についての法案策定に向けた動きが活発化している。この13日には制度改革に関する協議会が政府、与党間で開かれ、省庁斡旋による天下りを非営利法人を含めすべて禁止、その代わりに再就職斡旋機関として「官民人材交流センター」(仮称)を2008年中に内閣府に設置することで合意した。

 

許認可権限を有する各省庁がその影響力を行使して天下り(再就職)先を決めるこれまでのやり方を根本的に改めようとの目的であるが、非営利法人を禁止対象からはずせなど激しい揺さぶりが霞ヶ関ならびに族議員のなかで目立ったことは公の知るところである。その結果でもあろうか、13日の合意も、官民人材交流センターの制度設計を議論する有識者懇談会を改革推進に強い意向を示す渡辺行革担当大臣の手元からはずし、官房長官の下に置かせるなど玉虫色の決着をみた。永年にわたり官尊民卑の意識を育ててきた公務員制度の改革の帰趨はまさに端緒についたばかりと言ってよい。

 

そうした大きな流れのなかで小泉改革において透明性を増したはずの独立行政法人、「緑資源機構」の官製談合疑惑である。官製談合が管轄省庁の業務に付随した業務内容を有す独立行政法人で発生することは、OB人事と表裏一体の構造となっていることから、特殊法人から独立行政法人へ看板を付け替える程度の衣替えでは何の解決策にもならないことを今回の事件はよく物語っている。逆に独立行政法人として経営の自由度を増した分だけ、官製談合という構造的な闇の深さは一段と深まったとも言える。

 

その意味で公正取引委員会には緑資源機構の官製談合疑惑について、その構造解明につき本腰を入れた捜査を望みたい。またその徹底した生体解剖を通じることによって農林水産省、林野庁、緑資源機構、公益法人といった一連の税金の無駄遣い、不正利用といった「甘い汁連鎖」の実態をまず国民の前につまびらかに示してもらいたい。

そのうえで政府は国民の批判に真摯に耳を傾け、「国家公務員法等改正法案」や次期通常国会に上程予定の「国家公務員制度改革基本法(仮称)」の立法作業の過程でそうした意見を十分に反映してもらいたい。

その一方で、われわれ国民も公務員制度改革を真に実効あるものとするために、今回の「緑資源機構」の捜査動向には注意深い視線を送り、今後の制度改革の議論に対しても事あるごとに「正当な民の声」を上げ続ける必要があると考える。


林家正蔵よ、つまらぬ落ちをつけてくれたもんだ1

 

 落語家の林家正蔵(本名海老名泰孝)がこの3年間でなんと12000万円の所得隠しをしていたとして、東京国税局から重加算税を含めて約4500万円の追徴課税をされ、本人も修正申告に応じたという。

 

 重加算税は国税通則法第68条で「(過少申告や無申告をした場合に)納税者がその国税の課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし、又は仮装し、その隠ぺいし、又は仮装したところに基づき納税申告書を提出していたとき」に過少申告加算税や無申告加算税に上乗せして課されると規定している。単純なミスや不注意ではなく意図的に所得を隠蔽、またごまかした場合に文字通り過少申告加算税などにさらに「重ねて」加算される懲罰的税金である。つまり重加算税を課されることは、納税者としてきわめて悪質であったということを意味しており、そして修正申告に応じたということは本人もその悪質性を認めたということである。

 

落語家がいまでも長屋住まいをしているとは思わぬが、いくらなんでもこの所得隠しの金額は庶民感覚を超えている。九代目「正蔵」を襲名時のご祝儀などの申告漏れ、いや、所得隠しと報道されたが、めでたいはずのご祝儀が見事に泥にまみれてしまった。

 

林家正蔵は16日の記者会見で「父親の代からいくら使ったとか、細かいことは、大まかにした方がよいという古いしきたりがあった。(中略)ご心配をかけて申し訳ない」と述べたと伝えられた。祝儀袋を地下の倉庫に隠すことが、名門?海老名家では「古いしきたり」というものなのであろうか。

 

ただでさえクロヨン、トウゴウサンピンといわれるように給与所得者と事業所得者や農業所得者等との税負担の公平性が問われてきて久しいが、隣りの熊さん、八さんを語る落語家が脱税しかも一億円を超える所得隠しを行なった。脱税報道を聴いて何か裏切られたような気分になったのは、人生の機微を上質の笑いにくるみ伝えるはずの落語家、そして庶民の側にいてこそ成り立つはずの芸人がこうした罪を犯したことへの憤りだったのかも知れない。

 

「ご心配をかけて申し訳ない」と発した言葉が、林家正蔵という男が「脱税」という大罪を犯した「罪の意識」を微塵も持ち合わせていないことをいみじくも露呈してしまったと言える。誰も罪を犯したあなたのことなど「心配」などしていないし、するはずもない。「心配」されていると能天気に勘違いしている姑息な男に対して、ただ本気で怒っているだけである。そんな性根の人間に人生の機微など語れようはずもないし、林家正蔵という男を落語家とみなしていた自分に腹を立てているだけである。

 

 三平師匠の「奥さん、どうもすいません!」では、当然だがすまぬ話であり、「もう大変なんですから」という重大な罪を犯してしまったことを正蔵は心底、自覚すべきであるし、そのうえで改めて謝罪すべきである。

 

国民投票法案で民主党は現行憲法を改正? 直接民主主義指向なの?3

 

 自民・公明両党は憲法改正の手続きを定める国民投票法案を12日夕刻、衆議院憲法調査特別委員会(中山太郎委員長)で野党が抗議するなか民主党の修正案を否決したうえで、与党案を可決した。そして同与党案は13日の衆議院本会議を通過するはこびとなった。

 同法案については憲法改正に繋がる第一歩であるとする警戒感から、これまで民主党の独自案などが提出されるなど色々、野党との議論も重ねられ、その過程のなかで与党譲歩もふくめ相当部分で与党と民主党案の歩み寄りがなされてきた経緯がある。

 

 しかしそれでも今回の否決された民主党修正案には、わたしは実は大きな戸惑いを覚えていた。それは「投票対象議題」の部分についての規定である。戸惑いを覚えた理由はその法案名にはっきりと表れていた。

 

民主党提出法案名は「日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案」であったが、与党案は「日本国憲法の改正手続に関する法律案」となっていた。

 

自・公与党案は国民投票の対象を「改憲国民投票」とし、この法案が改憲の手続き法案であることを明確にしている。その一方で、民主党の修正案は「憲法改正のほか、国政における重要な問題のうち憲法改正の対象となり得る問題、統治機構に関する問題、生命倫理に関する問題その他の国民投票の対象とするにふさわしい問題として別に法律で定める問題に係る案件」と、投票の範囲を幅広く規定できるアロアンスを持たせていた。

 

民主党法案は当初原案の「改憲国民投票+国政問題国民投票」よりはその対象を絞ったとはいえ、「国民投票の対象とするにふさわしい問題として別に法律で定める問題に係る案件」を投票対象範囲としたことは、実は現行憲法の根幹に関わる大きな問題を含んでいたと言わざるを得ない。

 

 民主党案の投票範囲では国政上重要とみなされた問題は国民投票で決定することが可能ということになる。どうも地方自治体で最近よく行なわれる住民投票と同じ感覚、レベルで、民主党はこの問題を捉えているのではないかとも老婆心ながら心配してしまうのである。

 

 日本は言うまでもないが、議会制民主主義いわゆる間接民主制をとっている。憲法前文のまさにはじまりに「日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と謳われており、間接民主制はまさに現行憲法の根幹をなす部分である。

 

 その意味で、今回、民主党が提出した国民投票法案の当初原案は、直接民主制への移行をも想定している案であると言ってもよく、その後の修正案も重要な問題であれば国民投票にかけるという点では原案と本質的に変わりはなかった。本来、手続き法案であるべき国民投票法によって、憲法で定める「間接民主制」という国家の意思決定の仕組みを変えてしまうことは本末転倒というより、筋の通らぬ無茶苦茶なやり方であり話にもならないと評してもよい。

 

 憲法改正には敏感すぎるほどに敏感である民主党自身が、今回の法案では憲法の前文を大胆にも変えてしまうという大それた矛盾を犯そうとした。二大政党政治体制を目指すのであれば、主権者たる国民の信託を受けた「責任野党」として、憲法で定める改憲の手続き法がこれまで存在しなかったことに対し立法府としての責任を感じるのが筋であると考えるのだが・・・。

 

今回の国民投票法案を民主党が反対のための反対、国会対策上の一戦術としてもし捉えているのだとしたら、その対案内容においてあまりにお粗末であるうえに、まさに「責任野党」たるべしと自らが任じる立場に相応しくない対応であると酷評せざるをえないが、いかがであろうか。


温室効果ガス排出枠購入に見るマイナス6%のカラクリ5

 環境省は413日、「平成17年4月に閣議決定された京都議定書目標達成計画において、国内対策に最大限努力しても約束達成に不足する差分(基準年総排出量比1.6%)について、補足性の原則を踏まえつつ京都メカニズムを活用」し、「約638万トン(二酸化炭素換算)のクレジット取得契約を締結」したと発表した。

 

 

「地球温暖化対策推進法」において、京都議定書発効の際に具体的な削減「目標達成計画」を定めることとされており、平成172月の議定書発効を受け同年4月に「京都議定書目標達成計画」が閣議決定された。今回の環境省の発表は、「基準年排出量のマイナス6%」を達成するための必要な措置のひとつとして同計画で定められている「京都メカニズム」を活用したものである。

 

「京都メカニズム」とは、他国に投資してその国の温室効果ガスを削減すれば、その削減した量を自国の排出量に加算できるなどとする仕組みであり、自国が実際に温室効果ガスを削減することとは本質的に性質の異なるものである。具体的には先進国間で排出量枠のやり取りを行なう「排出量取引」「共同実施」と、先進国が途上国において実施された温室効果ガスの排出削減事業から生じた削減分を枠として獲得できる「クリーン開発メカニズム(CDM)」の三つの方式が定められている。

 

 その三つの方式のうち先進国間で行われる「排出量取引」「共同実施」の二つは、温室効果ガスの排出量の総枠は二国間で排出権のやり取りがあっても不変であるのに対し、途上国と行なうCDMは先進国に加算される排出枠分だけ温室効果ガスが全体として増加するという問題を抱えている。

 

 今回、日本が「約638万トン(二酸化炭素換算)のクレジット取得契約を締結」したのは、まさにインドネシアやタンザニア、インド、中国といった途上国を相手にしたCDMである。途上国に技術援助を行ない排出量を削減すること自体に意義は認められる。しかしその削減分を日本が使用するのであれば、地球環境をこれ以上悪化させないことにはなるが、異常気象等温暖化の影響が現実のものとなっている現状を改善する、すなわち温室効果ガスの絶対量を減らすことにはならないのである。

 

温室効果ガス排出量の絶対量を減らしてゆかねばならぬ切所にきている現在、「札束」によって自国の目標を達成したと胸を張ることに何の意味も見出すことはできない。先進国はこれまでの生活様式の見直しといった不自由さを甘受するなど自らの痛みを伴う排出量削減を行なったうえで、途上国に対しては温室効果ガスの排出量削減技術を積極的に移転し、地球全体として温暖化効果ガスの排出量を削減し、温暖化防止を早急に進めてゆかねばならない。それがこれまで科学文明という名のもとに自らの生活を目一杯、エンジョイしてきた先進国の原罪を償うことであり、義務であると考える。

 

 温暖化がこれ以上進んでゆきどうしようもなくなった際に、地球環境悪化を「札束」でいざ解決しようとしてもできぬ相談であることは当然である。ましてや魔法使いでもいないかぎり、竹帚(ほうき)で「ホイッ!」と地球上から余分なガスを掃き出してくれるものはだれもいないのである。

 

 今回のCDMは「マイナス6%」の目標達成の手段として利用されたが、決して地球温暖化の改善にはつながらぬ一種の「カラクリ」であることをわれわれは知っておかねばならない。そのうえで、この国の排出量の二割(含む自家用車)を占めるわれわれ家庭部門が引き続き温室効果ガス排出量を大幅に増加させていることに深く思いをいたさねばならぬ。家電製品が所狭しと置かれている室内、乗り放題の自家用車など考えてみれば、ちょっとした節電、工夫、我慢が温暖化の防止につながることをわれわれはもっと自覚し、即刻、それを行動に移していかねばならない。

 

赤ちゃんポスト認可に二つのゲス!3

昨年119日に熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が「赤ちゃんポスト」の設置計画を公表してから4ヶ月を経て「赤ちゃんポスト」は国を巻き込んでの賛否両論のなかでとうとう同市から認可が下りた。

わたしはブログ「赤ちゃんポストは捨て子を慫慂(しょうよう)する」061116日付け)で、「赤ちゃんポストは善意と愛情だけでは、かえって『捨て子』を慫慂(しょうよう)する可能性が極めて高い。捨てられた赤ちゃんを将来育て、養育していく機関、親代わりの人たちの継続的受け皿がしっかり用意されていない限り、この仕組みというより仕掛けは早晩、失敗に帰する」とし、その理由として赤ちゃんポストを設置するドイツ等と異なり宗教的バックボーンのない「社会規範が壊れた(日本の)社会にこうした善意は、かえって不幸の種を撒き散らし、悲しいことだが混乱を増すだけ」だからであると述べた。

その考えは当然だが今でも変わっていないし、認可が下りたことから今後の懸念は現実のものとして大きくなるばかりである。

「現行法では違法とは言い切れない」とする厚労省の柳沢伯夫大臣も「赤ちゃんを遺棄したり、それが是認されるということは絶対にない」と強調する一方で、施設設置は「違法ではない」と発現するなど、何とも歯切れの悪い政府の対応となっている。

安倍晋三首相が抱く「(親が)匿名で赤ちゃんを置き去りにしていくことは、私は許されないのではないかと思う」「政府としては一般的にそうしたことを認めるということはない」との不快感が、政府の歯切れの悪さに反映しているように思える。この問題は見方を変えれば、「人道的という理想」に対し、現実問題を解決する「政治」がどのように機能したか、するべきであったかのリトマス試験紙のようなものでもあった。

その試験の答えは、以上のような「国は違法とは言えぬが、一般的に認めるということはない」が、「熊本市は設置の認可」を下ろすという政治が「人道的という理想」に股裂きにあってしまったというところであろうか。善意が身近に見えるところほど理想というエモーションに政治が引っ張られてしまう傾向があるということなのかも知れない。

そして政治の結論が出されたこれから、懸念される二つの「ゲス」が存在する。

ひとつは、ポストに置き去りにされた赤ちゃんが病院を出た後のフォロー体制が十分整備されているか否かという点である。置き去られた赤ちゃんが里親や特別養子縁組といった形で引き取りがなされない場合、その赤ちゃんは乳児院と呼ばれる施設に移されることになる。慈恵病院で保護している期間は短い。そうした間に里親等の解決策が簡単に見つかるとは考えづらく、まずは乳児院への移動ということが最も可能性の高いケースとなる。

そのケースで「赤ちゃんポスト」の先行きを見ると、赤ちゃんポストを作ったからといって将来の乳児の幸せを考えれば、乳児院と児童養護施設の受け入れ態勢が万端整っていることが、今回の「人道的善意」を実効あらしめるための必要条件ということになる。

そこで熊本県の施設の概要を見ると、熊本市内に2つ、八代市内に1つの計3つの乳児院が存在する。その受け入れ定員の合計は60名であるが、現在の利用状況はほぼ満杯の状況であり、今後の受け入れ余力はないとのことである。また乳児院ののちに移る施設として2才以上の児童を預かる児童養護施設は同県には12箇所存在している。

平成16年に児童虐待等の問題に適切に対処するために児童福祉法の一部が改正され、乳児院及び児童養護施設の入所児童に関する年齢要件の見直しが行われている(乳児院はh10年まで2才未満、それ以降は3才くらいまでの赤ちゃんを預かってきた)。h16の改正内容は「安定した生活環境の確保等の理由により特に必要がある場合には、乳児院に幼児を、児童養護施設に乳児を入所させることができるものとする。(第37条及び第41条関係)」とされ、言ってみれば児童相談所の判断で適宜、年齢に縛られず乳児院、児童養護施設の相互乗り入れが可能となった。

その結果、実は、同県の乳児院は従来一割程度の定員空きがあったものが、この2年ほどでほぼ満杯という状態になっている(3才児以上の幼児も乳児院に入所)。言い換えれば、一番手のかかる乳飲み子を預かる乳児院の負担は最近、重くなっているといってもよい。

そうした状況のなかで今回の「赤ちゃんポスト」の設置認可である。

今回の赤ちゃんポスト認可は匿名を可能とした。利用者は何も熊本県民とは限らない、場合によっては全国から利用者が集まる可能性も考慮しておかなければならぬ。今後、ポスト利用者が増えた場合の対策として、乳児院の収容能力の拡充が必要であることは明らかである。熊本市は施設拡充の予算措置を講じる手当てを県とも検討したうえで認可を下ろしたのかという懸念がある。そして予算措置が用意されているとしても二十四時間勤務(3交替)という厳しい労働条件の乳児院職員の確保は現在でも大きな課題となっており、スムースな人的手当ての可否が考慮されたかも懸念されるところである。

さらに今後、問題となってくると思われるのが、乳児院等の増設等バックアップ体制の整備費用、将来の養育費等は、その半分を自治体が負担することになっていることである(あとの半分は国)。他の自治体の赤ちゃんの養育費用まで含めて熊本県が負担するということを県民や議会が十分理解し、私立病院の「人道的」という「理想」に理解を示しているのだろうか。財政面においても将来、熊本県民が負担し続けることになるのだということを果たして県民・議会がどれほど了解しているのだろうか、実は心配でならない。

無心の善意を否定する気は決してない。ただ財政基盤と人材確保といった現実的な政治の判断とチェックがしっかりしていなければ、入口の「善意」という気持ちだけでは、こうした問題の解決はまさに入口だけの解決に終わり、根本的な解決にはほど遠い状況となり、またそれ以上に問題を複雑化させることになることを憂慮しているのである。

つまり現実的な手立てが一気通貫で整備されていなければ、入口で目立つ「善意」のしわ寄せが、後方の何十倍もの時間を要するバックアップに携わる人々や一般の市民に負担が降りかかってくることになるのである。バックアップが疲弊、混乱すれば、その善意の持続も長続きしないことは必定である。

そして赤ちゃんポストの設置という「善意」が、結果として捨て子の安易な慫慂(しょうよう)だけに終わってしまうことを強く懸念してしまうのである。

本来こうした国民の基本的なセーフティーネットの問題は、そもそも国がどういう意思を有し、どう対処するのかを問うべきであって、「現行法では違法とは言い切れない」といった歯切れの悪い政策意思?の語りだけでは、今後の現実的な「金」にまつわる話は、とても期待はできぬと熊本県民は思っておかねばなるまい。

今後発生してくるであろう諸問題について熊本市なり県は十分、国と突合せを行なったのであろうか。赤ちゃんがあふれてしまって、適切なお世話が出来ぬでは話にならぬ。しかし、今回の「赤ちゃんポスト」認可の話しにはそうした事態もGuess(ゲス)されるのである。

二つ目の懸念とはこれだけ赤ちゃんポストが世間で注目されると、いつこのポストの利用者が現れるかという下衆(ゲス)な好奇心が生まれてくることである。まかり間違ってもポスト利用者を待ち伏せするようなメディアが出現してはならぬし、利用者が出てきたとしてもその赤ちゃんの将来のプライバシーを守るうえで、「ポストに赤ちゃんが置かれました」などという下衆な報道は控えるべきである。

そのわけはマスメディアの大好きな「報道の自由」という言葉よりも、憲法13条にいう「すべて国民は、個人として尊重される」赤ちゃんのプライバシー保護という「基本的人権」の方が数段勝ると考えるからである。このことはメディアの良識?に期待するしかないし、こうしたことに国民は「良質の無関心」で応じなければならない。

いずれにせよ赤ちゃんポストを利用する必要はなかったというのが一番幸せなことであることは言うまでもなく、これまで述べた「Guess」がまさにわたしの「下衆」の勘繰りで終わることが最も幸せであることは論を俟たない。


 

米タイム社とAFP通信の切迫した危機感と弛緩した日本メディア(下)4

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 そしてこの4月4日、170年の歴史を誇る世界最古の報道機関で世界三大通信社の一つでもある「AFP通信」(本社パリ)がネットビジネスへの新たなチャレンジを公表した。

同社とIT企業のクリエイティヴ・リンク(本社東京)ですでに共同運営しているニュースコミュニティサイト「AFP BB News」において、ブログユーザー向けにAFP通信が日々配信する写真ニュースの画像やテキストを無料で個人ブログに掲載使用できるサービスを開始すると発表した。まずシーサー、paperboy&co.、ワイズ・スポーツの運営する3つのブログでサービスが開始され、今後、ライブドアやヤフーなどの運営ブログにも順次、対応していくとしている。

 

世界で最も古い歴史を有し、今日でも日々1000枚以上の写真を提供しつづけるニュース配信会社であるAFP通信が、保有する虎の子の写真映像等をWEBサイトで無料で開放すると公表したことの意味は大きい。

タイム社がポータルサイトにLifeブランドをアイコン・ブランドとし秘蔵写真を無料公開し、ネット広告への展開を展望していることと同じ方向を目指そうとしているのである。

 

歴史あるメディアとしては虎の子とも言うべきコンテンツを無料公開してまで、魅力あるWEBサイトを構築する。その様は人類の財産とも言うべき宝を梃子(てこ)にネット広告という成長マーケットに形振(なりふ)りかまわず殴り込みをかけてきたようにも見える。世界のメディア界のなかでも老舗中の老舗である両社がほぼ同時期に同じようなビジネスモデルにチャレンジすることは、メディアを巡る環境が未曾有の危機的状況にあることを直截(ちょくさい)に語っているように思えてならないのである。

 

そうしたことを見てきたのちにこの国の大手メディアの今日の状況を見ると、その危機感の認識においてあまりにも大きな乖離(かいり)があると言わざるをえないのである。

 

その背景のひとつとして「マスメディア集中排除原則」が大手新聞社等によって実質的にないがしろにされてきた歴史がある。放送事業においても本来適切な競争原理が働くべきはずであったものが、大手新聞とテレビキー局の一体化した系列化の常態化により競争マーケットの整備が大きく遅れてしまい、メディア業界に微温的体質が染みついてしまったことがあげられる。

 

「マスメディア集中排除原則」は放送法第2条2項にいう「放送をすることができる機会をできるだけ多くの者に対し確保することにより、放送による表現の自由ができるだけ多くの者によって享有されるようにする」趣旨の「報道の自由」、「表現・言論の多様性」、そして「報道の質」を担保するきわめて重要な条項であったはずである。

 

「表現(報道)の自由の寡占化」のツケを世界のメディア界の激動の最中に、この国はこれから払わされようとしているのである。その弊害是正へ向けた動きとして、遅まきながらではあるが、2004年11月の読売新聞の第三者名義による日本テレビ株の保有問題などに端を発した集中排除に対する行政指導が、2005年に総務省によってなされたところである。

 

 オンライン読者から生み出される広告収益は紙ベースの読者に対する広告効果に較べ、十分の一から悲観的なものでは百分の一程度という見方があることも事実である。一概にオンラインによる情報発信や広告をメディア変革に対する万能の救世主扱いにするのが危険であることは十分承知しているつもりである。

それでも今日、わが国の大手メディアで繰り返される捏造事件や人的不祥事などを日々、耳にし目にしていると、世界のメディア企業が持つ切迫した危機感とはまったく異なる弛緩した意識しかこの国の大手メディアは持っていないのではないかと、その動きを見るにつけ正直、情けなさと無力感を感じてしまうのである。

 

米タイム社とAFP通信の切迫した危機感と弛緩した日本メディア(上)4

「Life」誌は1936年に週刊誌として創刊されてから約70年の歴史を有す、写真を中心とした誌面作りに特徴をもつ「グラフ」雑誌と呼ばれるジャンルの媒体であった。

 

 同誌は第二次大戦中の最高傑作とされるノルマンディー上陸作戦を撮影したロバート・キャパやアフリカ・欧州戦線等の取材で活躍したジョージ・ロジャーなど有名な特派写真家をあまた輩出したことでも有名である。また1938年に日本人写真家、土門拳氏が時の外務大臣、宇垣一成を扱った「日曜日の宇垣さん」が同誌に掲載されたこともある。

 

 そうした伝統ある雑誌がこの420日号を最後に廃刊することが、米メディア・娯楽大手のタイム・ワーナー傘下にあるタイム社によって326日に明らかにされた。同誌はこれまでも1972年に一旦、休刊とし、その翌年の73年には年2回の発行として復刊するなど幾多の変遷を重ねてきた。200410月からは新聞の付録つまり折り込みとして無料週刊誌の形で再刊され1300万部の部数を誇ったものの、業界環境はそのころから逆に厳しさを増し、今般、発行継続が不可能との判断に至ったものである。同社は廃刊の詳しい理由として新聞業界全体の不調(発行部数の減少)に伴なう広告収入の下落をその大きな要因としてあげている。

 

またタイム社はこの1月にも編集スタッフ172人をふくむ289人の従業員解雇や部数約400万を誇る中核誌「TIME」のロサンゼルス等3支局を閉鎖、それに加え「ポピュラー・サイエンス」等18誌を出版大手ボニエ社(スウェーデン)に売却するなど矢継ぎ早に合理化策を公表、実施に移している。そのうえで今後は合理化により浮いてくる経営資源をインターネット関連事業などの戦略分野へ集中的に回すことにしたという。そうしたリストラにも拘らず、タイム社は約130誌もの雑誌を発刊する英米のなかで最大の出版社であることに変わりはない。

 

そしてタイム社はそのHPページで「Life」誌廃刊後のあり方として、高い価値を誇る「Life」のブランド力をアイコン・ブランドとして再生利用すると謳っている。複合的なデジタルプラットフォーム上で多様かつ革新的なツールとして「Life」ブランドを集中的に活用する方向で検討を進めている。具体的にはポータルサイトへの集客戦略のひとつとして、Lifeが保有する1000万におよぶすべての映像を、無料で個人が使用できるようにすると発表したのである。

無料公開される1000万のうち97%余の写真映像は、これまで一般人が目にすることのなかった貴重なものであるとして、この魅力的なポータルサイトへのアクセスを促している。

 

事実、そのコンテンツのなかにはナチスドイツを逃れてきた有能なカメラマン、アルフレッドアイゼンシュタットやLifeの創刊に携った女流写真家のマーガレット・バーク・ホワイト(当時「Fortune」の編集次長)といった錚々(そうそう)たる写真家の作品が含まれている。写真の好事家にとどまらずブロガーなど写真を利用したり、鑑賞したいと思っている一般の人々にとっても垂涎の的となるものである。今年後半には「Life」オンラインサイトで公開を開始するとしている。

 

米国新聞協会(NAA=Newspaper Association of America)は平日版の新聞読者数の平均値を1998年から全米トップ50紙の合計数字で公表するようになった(連続性がないためそれ以前の公表数字との比較は不能)。そこで98年の読者数を見てみると、7904万人であったものが、その後、山谷はあったものの徐々に減少傾向にあり、2006年では7609万人へと▲3.7%の下落の状況にある。

 

同様にNAAの公表資料で広告費支出の動向を見ると、紙ベースでの広告費支出の過去最高額は2000年の486億7000万ドルであるが、紙数の減少とも相俟(あいま)って2006年は466億1100万ドルと▲4.2%の下落となった。

 

その一方で広告業界ではオンライン広告費の増加が目を引き、広告費支出全体に占める比率は06年で5.4%と小さいものの、同ジャンルの数字の掲載を始めた2003年からの3年間の年平均伸び率は30%と驚くような数字をたたき出している。金額も06年で26億6400万ドルへと3年前の2倍強の規模へと急成長を遂げている。

 

さらに紙ベースとオンライン合計の広告費全体の支出動向を見てみると、過去のピークであった2000年の486億7000万ドル(当時はオンライン広告の数字はなし)の数字を上回ったのはようやく2005年になってからである。しかし、その内訳について見ると2000年当時とは異なり、広告業界の構造変革を如実に物語るものとなっている。

つまり紙媒体の広告費減少をオンライン広告の急増が補って2005年に全体として史上最高の広告費支出を記録したのである。その流れは06年も同様で、金額は492億7500万ドル(2006年−2000年=紙ベース広告費▲20億5900万ドル、オンラインベース広告費+26億6400万ドル)と連続して史上最高を更新したが、更新の主役は明らかに交替していることが見てとれる。【下につづく


放送法改正に『表現の自由が心配』? 盗人猛々しいとはこのこと!4

46日に「放送局自らが捏造の事実を認め、国民生活への影響があることを認めた場合には、総務相が再発防止計画を該当放送局に対し要求できる」などとした放送法改正案が閣議決定された。

その発表を受けて放送業界をはじめとしたメディアは、案の定、「表現の自由」・「報道の自由」を脅かすものとしていっせいに政治介入を懸念する非難の狼煙(のろし)を揚げた。

 

 ただしその懸念に対しては「放送倫理・番組向上機構(BPO)による再発防止策が機能している間は発動しない」ことを総務相が国会答弁において言及することで、一応の決着を見た形となっている。

 

 テレビ局では関西テレビの「発掘!あるある大事典供廚隣埖と覚後も、TBSの「朝ズバッ!」において不二家問題を扱う特集(122日放映「新証言不二家のチョコ再利用疑惑」)で捏造疑惑が浮上した。そして不二家第三者に依頼し設けられた信頼回復対策会議の郷原信郎議長(桐蔭横浜大学法科大学院教授・コンプライアンス研究センター長)が330日、46日と記者会見を開き、同局の捏造疑惑について「捏造の可能性」の裏づけとなるメモやテープを公開して、「同番組の不二家バッシング報道は、単純な誤解、無理解の域を超え、意図的に不二家の信用を毀損しようとする意図すらうかがわれる」と非難し、「不二家とTBSだけの紛争でなく、メディアと企業社会全体に関わる問題だ」と述べ、TBS側の不誠実な対応を批判した。

 

TBSは「朝ズバッ!」の報道について「正確性を欠くものだった」と認める一方で、「(従業員とされる人物の)証言の根幹部分については、信用できる根拠がある」と断言するだけで捏造疑惑調査に本腰を入れる気のないTBSの態度を見ていると、今回の放送法改正につき放送事業会社が「表現の自由」への政治介入の懸念を訴えること自体、どうしても素直に「ハイそうですね」と、うなずくことができないのである。

 

 もし放送事業者がいう「(捏造問題の類の問題が発覚した場合は)BPOという第三者機関によるチェックと自浄作用をまずは働かせるのだ」と強調するのであれば、みのもんた氏の「朝ズバッ!」の不二家特集の捏造疑惑について、即座に放送番組委員会の有識者委員会は調査を開始しているはずである。

BPOHPでは「委員会議事のあらまし」として各委員会の議論の概略が報告されているが、直近で掲載されているのは、2月2日に開催された今年度第10回番組委員会の『発掘!あるある大事典』問題の議論までで、不二家特集捏造疑惑が浮上した3月下旬以降、それに関する調査委員会が発足したとも、有識者会議でその問題を集中審議しているとの記述もないし、話も一切、聞こえてこない。

 

 また民放連なり当事者たるTBSが、BPOに対し調査依頼をしたとの話も聞かぬ。不二家の信頼回復対策会議の郷原議長がメモやテープを公開してわざわざ記者会見まで開いて、TBSの捏造疑惑を訴えているのにである。こうした疑念に素早く対応を取ることこそ、放送法改正に慎重であらねばならぬとする放送事業者が、いままさに自浄作用として行動を起こすべきことなのではないのか。

 

BPOによる再発防止策が機能している間は」とか「表現の自由が心配」とは、放送事業者もよくぞ言ったりである。現に足許で事実と異なるかも知れぬ報道がなされた可能性を指摘されているにも拘わらず、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる放送事業者たちに、自浄作用など期待すること自体が、こうした危機意識のない対応を見ると無意味で論外なことなのかも知れぬ。

 

 そしてもっと重要なことは、「表現の自由」の重みを真摯に考えているとは思えぬ放送事業者の姿勢そのものに、大きな懸念を覚えてしまうことである。これまでも何か一朝事ある時は、彼らメディアは「表現の自由」というお題目を殊更に声高に叫んできた。

 

しかし「表現の自由」は放送局、メディアだけの専売特許でないことは明らかである。まさに国民ひとりひとりの基本的人権のひとつである。

 

 いま放送事業者をふくめメディア界がいろいろ起こす番組捏造や不祥事により放送法の改正といった形で政治介入の素地を作っていっていることが、国民の「表現の自由」と表裏にある「知る権利の自由」という基本的人権の基盤を危うくしていっていることをメディア界は自覚しているのか。本来、強い自責の念をもつべき問題なのである。

 

国民への背信行為を行なっているのだという自覚が放送事業者いやメディア界全体にまったく欠けていることに、度し難いメディアの傲慢さを感じ、権力が牙を剥く恐怖への彼らのあまりの鈍感さに対しわたしは唖然とし言葉を失ってしまう。

 

メディア界が国民の「表現の自由」と「知る権利の自由」そのものに足かせを嵌(は)めていっているのだという自責の念すら感じていないところに、本当にこの国のメディア業界の質の低さを実感せざるをえないのである。


教科書検定に「歴史に向き合う姿勢」を問う!ーー沖縄集団自決、軍命令表現の排除(下)4

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南洋の魚たち

沖縄の魚たち

万座毛

万座毛

南洋の樹

 

南洋の樹

 

 

 

 ただ今回の教科書検定結果はわたしにとって、ひめゆり平和祈念資料館や沖縄県平和祈念資料館をつい一週間ほど前に訪ね、国内で唯一の地上戦が行われた沖縄戦の悲惨さを実感してきたばかりの矢先に喉もとに突きつけられたきわめて重い問題である。

 

 そのことを実感したわたしにとって、日本軍が命令したか否かの真実が明らかになったとしても、62年前に起きた「沖縄島民の集団自決」という陰惨な歴史的事実の存在そのものが否定されることはありえないという紛うかたない確信である。多くの島民が自らの手で命を絶たざるを得なかった事実は胸の疼(うず)く重々しい歴史的な事実である。またその歴史的事実と当時の時代背景をなす国家の意思を曖昧にしようとする動きが今回の教科書検定に微塵(みじん)でもふくまれているとすれば、それは断じて許されることではない。

 

「『斬り込みに行く。敵を1人でもやっつけて死ぬんだ』と引率の先生はいきまいていました。そして車座に座っている私たちに3年生の一人ひとりに聞いていました。『行くか、行かないか』私たちは手榴弾を持たされていましたし、全員『行きます』と答えました」といった当時わずか15歳のひめゆり学徒が、沖縄陥落の5日前の6月18日に出された解散命令直後の壕のなかで行なった教師との切迫したやり取り。

またひめゆり生存者が「戦場の惨状は私たちの脳裏を離れません。私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません」と語った言葉の重さを常に思い起こさねばならぬ。国家の意思が不幸な方向に向かったときに、犠牲となるのはまさに一般の国民、わたしでありあなたであり、そして周りにいる愛する人々であることをわれわれは決して忘れてはならない。

 

さらにこと沖縄という地について「ヤマトンチュ」と呼ばれる本土の人間がその記憶から決して消し去ってはならぬことがある。

妻の知人が20年来通う美容院は沖縄の高校から研修生を受け入れており、その若者たちはみんな純真で誠実に仕事に取り組んでいた。その知人はあるときにそのひとりの爽やかな沖縄男子と会話をしたそうである。

「結婚相手だけは(本土から)連れて帰るな」と母親に約束させられて上京してきたとその若者は語ったという。そして「(母もそれが理不尽なことだと)頭でわかっていても気持ちの問題なんです。まぁ、今のところ相手いないんで、いいんですけどね」と述懐したという。

 

この若者の言葉は21世紀になった今日の言葉である。そうした重くて暗い歴史を沖縄という地が抱えているのだということから目を反らすことだけはわれわれは決してやってはならない。自らの親や先達が印(しる)した事実、歴史から逃げてはならぬと思ったのである。その歴史を正面から受け止めてその歴史のうえに立って、次代に引き継ぐ歴史をわれわれの手で印してゆく責任をわれわれひとりひとりが負っていることをしっかりと自覚しなければならぬと、心底、思ったのである。

 

今回の教科書検定結果を耳にしたときに、われわれ日本人の同胞が戦争という時代の狂気のなかで非条理な形の死を遂げたという事実、そうした悲しい歴史と真摯に正面から向き合う姿勢を絶対に失ってはならぬ、決してそのことを曖昧にしてゆくことなど許されぬことだという気持ちを、ますますわたしは強く持ったのである。


沖縄集団自決、軍命令表現の排除―教科書検定に「歴史に向き合う姿勢」を問う!(上)4

沖縄の空

沖縄の空

 

沖縄さとうきび畑

さとうきび畑

 

沖縄の海

 

 

 

 

 

 

                                   

                                       沖縄の海

 

 30日に文部科学省は高校用教科書の検定結果を発表した。「教科書用図書検定調査審議会」が行なった教科用図書検定基準に基づく内容審査を経て提言を受けたものについて、同省は昨年12月下旬に各教科書会社に検定意見(ふさわしくない文言についての再検討)を通知していた。決定保留を受けた教科書会社が修正表の提出を行なったものに対する審議会による再度の審査を経たうえでの検定結果が公表されたものである。

 

この一連の教科書検定制度は学校教育法の第21条の「文部科学大臣の検定を経た教科用図書又は文部科学省が著作の名義を有する教育用図書を使用しなければならない」等の条項にその法的根拠を有する。さらに検定は、それぞれの教科書についておおむね4年ごとの周期で行われている(文科省HP「教科書制度の概要――教科書検定の趣旨」)。

 

さて今回の検定決定の通知によって明らかになったもののなかに、沖縄戦に関する記述について修正提言があり、検定意見が同省より通知された。その修正を行なったうえでの該当教科書をふくんだ検定合格通知であった。

 

 修正意見は沖縄戦が始まってすぐに起きた慶良間(けらま)列島島民の集団自決の説明に関する部分である。申請時の修正箇所の文言は「日本軍に『集団自決』を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた」が、検定意見を受けたのち検定合格となった当該箇所は「追いつめられて『集団自決』した人や、戦闘の邪魔になるとかスパイ容疑を理由に殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた」と前半部分の文言修正がなされた。

 

 わたしは330日、31日付けPJニュースにおいて連載「二つの資料館が語る戦争の異なる実相――ひめゆりの塔を訪ねて」を記した。その書き出しは「(沖縄到着の)325日、その日は62年前に米軍上陸を許した日本軍の命令により559名もの慶良間列島の島民が集団自決させられた前日であった」と始めている。

その記述は159ページからなる「ひめゆり平和祈念資料館」というタイトルのガイドブックのなかに「26日、米軍は沖縄本島上陸の足がかりとして、那覇の西25キロの慶良間列島に進出。軍・民が混在した小島では、命令による村民の集団的な死という惨劇が発生しました(p46)」とあることに基づいたものである。

 

1945年3月23日、慶良間列島への艦砲射撃・艦載機による空襲が始まり、沖縄戦の火蓋は切って落とされた。その3日後の26日に米軍はまず慶良間列島の慶留間島、座間味島、次いで27日には渡嘉敷島に上陸した。そして島民の「集団自決」という惨劇が発生した。渡嘉敷島329人、座間味島177人、慶留間島53人、合計559人もの幼児を含めた多くの島民が犠牲となったものである。(下に続く)

 

 これまでの教科書の記述にあった「日本軍に『集団自決』を強いられたり」が「追いつめられて『集団自決』した」と修正するもとになった「検定意見通知」には「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」とあった。

 

 審議会が「軍の強制」という記述の削除を暗に求めた背景には、梅澤裕(大正51221日生。座間味島で第1戦隊長の元少佐)と赤松秀一(大正9420日生・昭和55113日死亡。渡嘉敷島で第3戦隊長の故赤松嘉次元大尉の弟)両氏により平成1785日に大阪地裁に提訴された、「沖縄ノート」の著者である作家大江健三郎と出版社の岩波書店を被告とする「沖縄集団自決冤罪訴訟」の存在が大きいものと思われる。

 

 訴状の請求原因のなかの「集団自決命令は架空だった」において島民の証言として「原告梅澤少佐に弾薬供与を懇願に行った5人のうちで生き残った女子青年団長は、一時期部隊長の集団自決命令があったと証言し、その後、原告梅澤に対し、部隊長の自決命令はなかったと謝罪している。また、自決した助役の弟は、座間味島の戦没者、自決者の補償交渉に当たる座間味村の担当者となり、原告梅澤少佐による自決命令があったと証言していたが、昭和62年3月28日、座間味島を訪ねた原告梅澤に『勝手に隊長命令による自決とした事はすみませんでした』と謝罪している」旨が言及されている。 

 

 一方で昨年には、関東学院大学の林博史教授により「慶留間島の住民への尋問で『住民らは日本兵が米軍が上陸してきた時は自決せよと命じたと繰り返し語っている』と記述されている。『集団自決』発生直後の記録として、住民への命令状況を伝える」と記された米歩兵第七七師団砲兵隊による1945年4月3日付『慶良間列島作戦報告』が米国立公文書館で発見された。それは「沖縄戦時下の慶良間諸島の『集団自決』をめぐり、日本兵が住民に『集団自決』を命令したことを示す記録である」と沖縄タイムス紙(2006.10.3)は報じている。

 

 このように『島民の集団自決』を正式に軍が命じたのかどうかについては、現在、その事実は定かでないと言える。またその問題は、軍の命令による集団自決とする「沖縄ノート」(岩波書店1970年発刊)を著した大江健三郎氏と曽野綾子氏の日本軍の住民自決命令はなかったとする「ある神話の背景」(文芸春秋社1973年発刊)など言論界においても、過去、正反対の議論や意見があったところでもある。(下に続く


二つの資料館が語る戦争の異なる実相(下)5

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わたしは325日、その日は62年前に米軍上陸を許した日本軍の命令により559名もの慶良間列島の島民が集団自決させられた前日であったが、南国特有の激しい雨が道路を打つ午前中に「ひめゆりの塔」を訪れた。ひめゆり学徒隊は5月下旬に南風原陸軍病院を出て、いくつかの隊に分かれて本島南端部に転進という退却をした。

その落ちついた先のひとつが「ガマ」と呼ばれる洞窟を野戦の病院とした伊原第三外科壕であった。その上に建てられたひめゆりの慰霊塔に献花をし、わたしは手を合わせた。そのときかしげた雨傘を打擲(ちょうちゃく)するように強くたたく雨粒はガス弾攻撃により洞窟内で非業に倒れた学徒女学生たちが流す哀しく重い涙滴のように思えてならなかった。

 

それから学徒の生存者で結成された「ひめゆり同窓会」の努力で1989年に開館のはこびとなった「ひめゆり平和祈念資料館」に入館した。悲しみに打ち沈んでいるように静かな館内に展示された当時のさび付いた医療器具や手術場の様子やひめゆり生存者の証言集など生々しい展示物をじっくりと見て回り、目を通した。そしてパイプ椅子の並ぶ多目的ホールで「平和への祈り」という上映時間25分のビデオを観た。

 

内容はひめゆりの生存者が当時、病院としていた「ガマ」やひめゆり学徒隊解散命令(沖縄陥落の5日前)が出された後に米軍の砲火のなか逃げ惑った場所などを実際に訪れ、当時の惨状をもの静かに語るものであった。その映像のなかである学徒が「多くの学徒が戦場に倒れたのに自分だけが生き残ってしまったという負い目から、戦後ずっと長い間、ひめゆりの実態を語れずにきた」(以下元ひめゆり学徒証言等は資料館発行ガイドブックおよび上映ビデオより引用)と述べたあまりにも悲しく痛ましい言葉に、わたしは胸が締め付けられた。

 

そして、その一方で戦後すぐに「ひめゆりの塔」という小説や映画が大ヒットをしたことで、自分たちの思いとは違ったところで(事実とは異なった)ひめゆりの物語だけが一人歩きをしていった。それはひめゆり学徒が体験したあまりにも残酷で目をそむけたくなり、耳を塞ぎたくなるような非人間的な戦争の実相とは異なり、どんどんかけ離れたものになっていってしまった。

「戦場の惨状は私たちの脳裏を離れません。私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません」

「未だ紛争の絶えない国内・国際情勢を思うにつけ、私たちは一人ひとりの体験した戦争の恐ろしさを語り継いでいく必要があると痛感せざるをえません」と、そのおぞましく「忘れたいこと」について重い口を開くことを彼女たちは決断したのである。

 

「生きた人間にウジ虫が湧きギシギシと肉を食べる音」や、「まだ熱を持った切断した兵士の重い足を引っ張って捨てに行った」こと、「脳味噌が飛び出しているし、看護婦も腸が全部とび出している」さま、傷病兵の「手足を支えることが学徒の役目、鋭利な刃物で最初に皮を切り、次に肉を切る。ゴシゴシ鋸で骨が切り落とされた瞬間のたとえようもない手足の重さ」、そして洞窟の「入口は光が少しは射していますから、移した(死んでしまったひめゆりの)友達の死に顔が見えるんですよ。銀蝿が真っ黒くたかっています」など・・・、「忘れたいこと」を語り継いでいくことこそが生存を許された自分たちの使命だと決断し、こうしたビデオにも出て、平和祈念資料館内でひめゆりの実態を人々に向かって語り始めたのだという。

そのしぼり出すようにして語る元学徒たちの証言はどこまでも重く、切なく、苦しい。そして今という時の平和の大切さをどんなドラマや評論家の上滑りの平和論などその足元にもおよばぬ厳しさで伝えてくれる。そして何ものにも増して心の底深くまで届く強い信念を感じ取らせてくれる。

 

この25分間の「平和への祈り」というビデオもそうした痛切な思いのなかで1994年に作成されたものである。資料館を開館した当初は、展示室に掛けられた亡くなったひとりひとりの学友の写真の視線が生き残った自分たちを責め立てているようで苦しかったと元学徒は語る。しかし、戦争を語り継ごうと小さな力だが行動を起こし地道に語り部を続けているうちに、写真の学友の目が昔の優しい瞳にいつしか変わってきたように感じてきたと語った。

 

靖国神社の遊就館の50分間の大東亜戦争を正当化し、尚武の精神を美化するような「私たちは忘れない!」というビデオとくらべて、わずか半分の時間の短いビデオ「平和への祈り」であるが、その内容は数倍も数十倍もわたしに戦争の悲惨さと非条理という実相を訴えてくるものであった。

「私たちは忘れない」のだと声高に叫ぶ声よりも、つらすぎて記憶の外に押し出そうとした「忘れたい」ことをもの静かにしぼり出すように語る言葉にこそ、わたしは今を生きるひとりの日本人として、実相を見抜く眼力を失ってはならぬ冷静さを保ち、平和に対するとてつもなく重い責任を感じ取るべきことを教えられた。

 

 沖縄戦では日本側188千人、米軍側12千人と双方合計で20万人もの人々が尊い命を落とした。そのうち沖縄県民は無辜(むこ)の一般民間人94千人を含む122千人(沖縄県生活福祉部援護課『沖縄県の福祉』より)もの多数の人々が、本土防衛の名のもとに捨石のごとく犠牲にされたのである。

 

「ひめゆり平和祈念資料館」を見終えて、鉛を呑みこんだように重くなった心境になって出口を出ると、午前中の雨はすっかり上がり、南国の空からは三月の日差しが降りそそいでいた。その光景は「平和」という尊い価値は、激しい「雨」を経験した者にこそ本当の価値がわかることを亡きひめゆり学徒たちがわたしに教えてくれたように思えた。

 

二つの資料館が語る戦争の異なる実相――ひめゆりの塔を訪ねて(上)5

 

  ひめゆり慰霊碑

ひめゆり慰霊碑

   遊就館全景遊就館本館

平和祈念資料館より摩文仁の丘

平和祈念館より摩文仁の丘を

 

                       

  

 

 

 

 

 

323日、わたしは初めて沖縄の地を訪れた。そしてこの日が奇しくも62年前、米軍が那覇西方約25kmに浮かぶ慶良間(けらま)列島へ空襲と艦砲射撃を開始、沖縄本島への上陸作戦を本格的に始動させた日であったことをある資料館の展示で知ることになった。

 

1945323日から623日の沖縄陥落までの3ヶ月間におよぶあまりにも痛ましく凄惨を極める沖縄戦の火蓋が切って落とされた日にわたしが初めてその地に降り立ったことに、この旅の目的をその人々たちが知りそのように導いてくれたのではないかと感じ、それを知ったときには粛然たる気持ちになった。そして遠く62年前の「その日」に思いをはせた。

 

慶良間への米軍の攻撃が始まった23日深夜、沖縄本島の沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒222名と教師18人に、那覇市南部の南風原(はえばる)にある陸軍病院への動員命令が下された。

 

わたしは「ひめゆりの塔」という有名な映画を観たこともなく、「ひめゆり学徒」という学徒動員された女学生たちが戦禍に巻き込まれ尊い生命を数多く失った悲劇があったというくらいのことを知るのみであった。

 

そうしたわたしを沖縄に向かわせたのは昨夏に亡くなった敬愛するN氏(昭和7年生まれ)が、日本人として「ひめゆりの塔」には必ず行くべきであると生前、強く言われたことが、遺言としてわたしの頭に残っていたことが大きい。

 

N氏は、現役時代はビジネス界で冷徹な論客として知られた存在であったが、今にして想い帰すと、20007月に開催された九州・沖縄サミット直後に沖縄を訪ねられた際に「ひめゆりの塔」にも立ち寄り、祈念された。そのころからN氏は先の大戦についてそれまで以上に思索を深めていかれたように思えてならない。

 

亡くなる直前まで先の大戦の非道、戦争の悲惨さを語り継ぐのが自分の残された人生で行なうべきミッションであるとよく語るようになられたのもその後あたりからであった。そして現に亡くなる直前に掲載された某大手新聞のインタビューでも同趣旨のことを述べておられた。

 

そのN氏から一昨年11月であったが、靖国神社へ同行しないかと誘われた。境内に建てられている「遊就館」という資料館を見学し、そのなかで放映されているビデオを観る目的のためであった。「遊就館」は各国の大使や公使が着任するとその多くの人たちが訪れる場所であり、逆に日本人のほとんどの人がその展示内容を知らないと、ある外務省関係者から教えられたためであった。

 

そのときわたしは「遊就館」なるものが資料館の名前であることすら知らなかった。わたしが知っているのは、幼年時代に遊びに行った外に雨ざらしの状態で人間魚雷回天が置かれた木造の小さな資料館というよりも小屋と表現した方が適確な建物の印象しか記憶に残っていなかったのである。

 

その資料館「遊就館」の20室におよぶブースに並べられた展示物やパネルに目を通し一巡したあとで、新館2階のりっぱな映像ホール(収容人員70名余)で毎日6回上映されている「私たちは忘れない!」という50分におよぶビデオを観た。そのビデオを観終わったころには、先の戦争は止むを得なかったとの思いに駆られてくる。

この資料館では先の大戦のことをかたくなに「大東亜戦争」と呼称し、「大東亜戦争は自存自衛のいくさ」であり、戦争のやむなきに至ったのは「米大統領ルーズベルトの陰謀とも言われている」とも説明し、資料館の出口を出るころには大東亜戦争は止むを得ざる戦争であり日本人としては凛然として起ち上がった戦いであるとの思いにさせられてしまう、その情宣の巧みさには正直、驚きを隠せなかった。

 

 そのときの展示内容はアジア諸国に与えた日本の加害者としての立場の説明はまったくといってなされていなかった。そして「私たちは忘れない!」という自存自衛を声高に叫ぶ一方で、国に生命をささげた英霊を称える50分間のビデオの印象は、BGMに流されるX Japanの「エンドレスラブ」の曲とともに強烈に記憶に残るものであった。

 

 わたしは先の大戦で愛する人たちを想いそしてその大切な人を残して「お国のため」に命を失わざるをえなかった人々に対して心から哀悼の意を表する。それと同時にその人々の気高い心持ちと公の精神を軽んじる気持ちなどさらさらない。逆に今日の平和はこの方々たちの犠牲のうえに成り立っていることを忘れてはならないことは十分に分かっているつもりである。

 

 しかし尚武の精神を鼓舞するような遊就館という資料館を備える靖国神社とそこに合祀されている戦争指導者をそのことと、命を失った無辜(むこ)の人々を同列に扱うことはわたしにはできない。また先の大戦を「自存自衛の戦い」であったとして戦争を美化するような歴史観を有する組織を許容することなどなおさらできぬ相談である。

 

 各国の大使たちは「私たちは忘れない!」というビデオの存在を知ってか知らずしてか、「戦後50周年の終戦記念日にあたって」とのいわゆる「村山談話」をわが国の公式見解として国際政治上では受け入れ続けている。その談話では「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」と述べられている。

 

 遊就館の展示表現については、昨年7月、米国のシーファー駐日大使やアーミテージ元国務副長官から公然と非難されるなどして、その展示内容の詳細が徐々に日本人のなかにも知られるようになってきた。そして内外の批判に配慮したのか、靖国神社は米国のみでなく中国関連の記述内容の一部変更を決めた。

 

しかし、戦争賛美ともとれる「私たちは忘れない!」という50分間におよぶビデオは、今もって上映が続けられている・・・。(下に続く


                                                                    

「実刑」と「執行猶予」、ライブドア判決が語る司法の驕った目線(下)5

実刑と執行猶予、ライブドア判決が語る司法の驕った目線(下)

 

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 一方、ライブドアは今からわずか10年前に「オン・ザ・エッジ」として堀江貴文被告により設立された会社であり、株式時価総額はピーク時で約8000億円に達したものの、事件発覚前のH179月期の連結売上高は784億円、連結経常利益113億円と、経営指標から冷静客観的に見れば、西武鉄道、カネボウなどとは雲泥の差の泡沫のごとき企業であることは明らかである。

 

 両社と明確に異なったことは、IT社会の到来のなかで堀江貴文被告が時代の寵児としてもてはやされ、メディアが実態以上に堀江被告をベンチャー業界のカリスマとして持ち上げ、虚像作りに手を貸したことである。また自民党の武部幹事長(当時)が郵政総選挙において堀江被告を「小泉改革の体現者」、「我が弟です。 息子です」と絶賛し、絶叫したことなど政治の世界も同被告を時代の体現者、シンボルとして利用したことも、既成の経済界の一員である西武、カネボウ、日興コーディアルとはまったく異なる世界で生息する企業として扱われた。  

 

そしてメディアで派手に露出を重ねる堀江被告の言動や雰囲気が、既存の秩序をぶち壊し、新しい何かを作り出すという当時の小泉劇場の熱気にぴったりはまったことも、ライブドアをその経営実態と大きく乖離(かいり)した化け物に育て上げたことも事実である。

 

 そのことは堀江被告のみでなく、小泉劇場に踊らされたわれわれ国民やメディアもその虚構の世界に胡散臭さを感じながらも知らず知らずにはまり込んでいったことも紛れのない事実である。郵政総選挙の結果が、そのことを如実に物語っていると言ってよい。われわれもメディアもある時期、ホリエモンと一緒に狂喜乱舞したのである。

 

 そして2006116日、東京地検による堀江被告の自宅の家宅捜査を迎え、一年を過ぎたこの316日に東京地裁による懲役26月の実刑判決が下された。

 

 自他共に認める大企業の西武鉄道、カネボウ、日興コーディアルの証券取引法違反と、時代に弄(もてあそ)ばれた若者が経営するライブドアという小さな会社が違反した罪。同じ法律に違反した罪であることをわたしは何ら否定しない。しかし純粋に客観的な事実を前述のごとく比べてみると、今回の判決には大きな違和感と不公平感を覚え、ある種の「意趣返し」のような気分に陥ることを禁じえないのである。

 

東証のライブドアの上場廃止基準で「(粉飾の)その金額において重大であり、投資者の投資判断にとって重要な情報を故意に偽った点で悪質であり、これを組織的に行った点で上場会社としての適格性を強く疑わざるを得ないものである」と言うのであれば、西武、カネボウ、日興コーディアルはその規模と悪質性とその社会的責任において格段に罪は重いと考えるのが、国民の普通の感覚なのではなかろうか。

 

堤義明氏はその引退会見で「(西武鉄道が)何で上場したのか分からない。そういうことも含めていろいろ甘かった」と述べた。同氏は言ってみれば日本の資本主義の権化のような人物である。その人物が資本市場を愚弄するような言辞を吐いて、何ら恥じるとこがない。その人物に対する一審判決は懲役26月、執行猶予4年である。

 

また膨大な債務超過を糊塗してきたカネボウの帆足隆元社長に対する一審判決は懲役2年、執行猶予3年であった。

 

日興コーディアルは検察の動きすらない。

 

 そして堀江貴文元社長に対しては、懲役26月の実刑判決である。

 

 わたしはこの国の司法に嫉妬や意趣返しといった妄念がはびこっているなどとは考えたくもないし、思ってもみたくない。わたしは憲法第14条で定められているように国民は誰しも「法の下に平等である」ことを信じようとしてきた。

 

 しかし今回の判決に触れて、そうではないのかも知れぬと思わずにいられなくなった。

雑草とエスタブリッシュメント。その言葉が私の脳裏に浮かんできた。這い上がってきた人間が目立ちすぎたから懲らしめてやる。権威的既成勢力が少し本気を出せば、そんな泡沫はいつでも吹き飛ばせる。今回の裁判は司法界自体がエスタブリッシュメントの結束を示し、その隠然たる力をいみじくも誇示して見せたようで、驕(おご)りたかぶっているように思えてならない。

 

裁判長が判決文のなかで「あなたの生き方がすべて否定されたわけではない。罪を償い再出発することを期待する」と述べた言葉に、そのエスタブリッシュメントの驕りという鼻が曲がるような腐臭を感じたのである。

「タミフル」深夜の緊急記者会見の怪? 薬害エイズ「負のトライアングル」と酷似!4

厚生労働省が21日午前零時10分という異様な時間帯に緊急記者会見を開き、タミフル服用につき「緊急安全性情報」を出し医療関係者へ注意喚起を呼びかけたと発表した。あらたに10代の男児2人がタミフル服用後、自宅2階から飛び降り骨折を起こすという異常行動が20日に同省に報告されたことを受けての深夜の記者会見であったという。

タミフルはA型およびB型インフルエンザウイルスに対して効力を有するインフルエンザ治療薬である。02年と03年にはインフルエンザの流行にともない国内的にタミフルが不足し、大きなニュースになったことはまだ記憶に新しい。
 
また、1997年の香港での大流行に始まり、03年と04年の東南アジア地域において鳥インフルエンザが流行したことを受け、WHO等が04年1月、鳥インフルエンザについて「世界的な流行を引き起こす、非常に危険な人間の伝染病に変異する可能性がある」と警告する共同声明を発表した。鳥インフルエンザへの恐怖が人々の不安を掻き立てるなかで、ワクチンができるまでの一時的な対策としてA型ウイルスの増殖を抑制する効果があるとされる「タミフル」という治療薬の名前が人口に膾炙(かいしゃ)するようになった。

そのタミフルをこの日本は世界の使用量の約4分の3もの量を使用している。タミフルのように経口投与はできないが「リレンザ」という薬効は同様の治療薬があるのにである。そしてこのタミフルはスイスの製薬メーカーであるロシュ社が製造、日本では中外製薬が輸入販売を独占している。

そうしたなかで2月28日、厚労省はタミフルを服用したと見られる仙台の中学生がマンションから転落死するなどの事故報告が続いたことから、「インフルエンザ治療に携わる医療関係者の皆様へ(インフルエンザ治療開始後の注意事項についてのお願い)」という文書を発状した。

そのなかで自宅において療養を行う場合、
(1) 異常行動の発現のおそれについて説明すること
(2) 少なくとも2日間、保護者等は小児・未成年者が一人にならないよう配慮すること
と注意喚起をうながした。

しかし、その一方で、「現段階でタミフルの安全性に重大な懸念があるとは考えておりません」と、タミフル服用と異常行動との「因果関係は明確ではない」とも述べている。

その大きな根拠とされたのが、同省が横浜市立大学大学院小児医療学の横田俊平教授が主任研究者の研究チームへ委託した44頁からなる調査報告書「インフルエンザに伴う随伴症状の発現状況に関する調査研究」(平成17年度)と「薬事・食品衛生審議会医薬品等安全対策部会安全対策調査会」での議論結果である。

その前者の調査報告書をまとめた横田俊平教授の講座に中外製薬からここ数年、平均して約150万円の資金が研究費として大学をスルーし渡っていたことがこの12日に発覚した。また厚労省の元課長(58)が中外製薬に天下っていた事実も20日の参議院厚生労働委員会で明らかにされた。

この構図は帝京大学医学部長で厚生省エイズ研究班の班長(当時)を務めた安部英(非加熱製剤の使用継続を決定)、医師で厚生省生物製剤課長(当時)であった松村明仁(非加熱製剤の回収命令を出さず被害を拡大)、非加熱製剤を製造していた製薬会社ミドリ十字の元代表取締役社長の松下廉蔵等が業務上過失致死容疑で1996年に逮捕・起訴された薬害エイズ事件と酷似している。

今回のタミフル問題に対する厚労省・医学界・製薬会社の息の合ったとでも表現するしかない見事なトライアングルを見ていると、10年前に起こった薬害エイズ事件とあまりにも似ていることにびっくりするである。そしてこの医療業界をめぐる構造的な問題は何も変わっていないのではないかと。

10代の子供たちの異常行動とタミフル服用との「因果関係は明確ではない」と、つい3週間前に明言した厚労省が、なぜ突然、しかも午前零時などという時間に、3年ぶりとなる「緊急安全性情報」を出したと発表する必要があったのだろうか。国民はかえってその異様な発表のあり方にあらぬ疑問や不安を抱いてしまうのではなかろうか。「因果関係は明確ではない」はずの厚労省の深夜の発表の「真意」は何か? 

わたしはそこに薬害エイズ事件の負のトライアングルをどうしても思い描いてしまうのである。


「実刑」と「執行猶予」、ライブドア判決が語る司法の驕った目線(上)5

「実刑」と「執行猶予」、ライブドア判決が語る司法の驕った目線(上)

16日、証券取引法違反の罪に問われた堀江貴文被告に対する判決が、東京地裁により下された。罪状は「有価証券報告書の虚偽記載」と「偽計・風説の流布」の二つ、その罪は懲役26月の「実刑」であった。

 

 最近、証券取引法違反で大きく取り扱われたものとして、西武鉄道、カネボウそして日興コーディアルの事件がある。

 

 西武鉄道は20041217日に上場廃止となった。東証はその廃止理由えお記載し、それに(注)として、「(株)コクド等が実質的に所有する個人名義株式の存在が判明したとして、西武鉄道(株)が有価証券報告書等の訂正を行った件について、同社に報告を求めたところ、本件株式は少なくとも昭和32年頃から継続して存在し、その数量は株式の分布状況に係る上場廃止基準に定める要件(少数特定者持株数比率80%以下)に抵触する水準に及ぶなど投資判断の基礎となる重大な情報に誤りがあったことが認められ、また、こうした事態は、同社の内部管理体制等組織的な問題に起因するものと認められたことなどから、同社株式の上場廃止を決定したものである」と、異例の注意書きを付け加えた。

 

 またカネボウは2005613日に上場廃止となった。その廃止理由は「株券上場廃止基準第2条第1項第11号a(上場会社が財務諸表等に「虚偽記載」を行い、かつ、その影響が重大であると当取引所が認めた場合)及び同号b(上場会社の財務諸表等に添付される監査報告書において『意見の表明をしない』旨が記載され、かつ、その影響が重大であると当取引所が認めた場合)に該当すると認めたため」と、西武鉄道と若干の違反項目の違いはあるもののほぼ同文となっているが、西武鉄道のような「注意書き」は添えられず、通常の上場廃止告示の定型文であり簡素なものである。

 

 日興コーディアルにいたってはつい先日、上場維持が決定したばかりである。東証の監理ポスト割当ての解除理由は「株券上場廃止基準第2条第1項第11号a(上場会社が有価証券報告書等に『虚偽記載』を行い、かつ、その影響が重大であると当取引所が認めた場合)に該当しないと認めたため」と、影響は大きくないとの判断であった。

 

 そしてライブドアは2006414日に上場廃止となった。その廃止理由は定型文につづき、西武鉄道と同様に注意書きがある。長文になるが、重要な事柄が含まれているので東証の「お知らせ」をそのまま転記する。

 

「(株)ライブドア及び同社元代表取締役等5名が、証券取引法違反(虚偽記載)の嫌疑で証券取引等監視委員会により告発された件で、同社は、平成16年9月期連結財務諸表について、経常損失を計上すべきところを多額の経常利益を意図的かつ組織的に計上したものとされている。これは、その金額において重大であり、投資者の投資判断にとって重要な情報を故意に偽った点で悪質であり、これを組織的に行った点で上場会社としての適格性を強く疑わざるを得ないものである。また、同社及び同社元代表取締役等4名が、証券取引法違反(偽計取引及び風説の流布)の嫌疑で同委員会により告発され、東京地方検察庁により起訴された件で、同社は、子会社等と共謀の上、自らの利得を企図して、子会社の株価に影響を及ぼす等の目的で虚偽の事実を公表し、あるいは公表すべき事実を公表しなかったとされている。さらに、同社の平成18年9月期第1四半期に係る四半期財務諸表等については、監査法人は意見表明の手続が実施できなかったとして結論を表明していないうえ、同社株式については、開示注意銘柄への指定を行っているものの、未だ重要な会社情報についての開示が十分になされたとは到底いえない状況である。こうした状況は、投資者の証券市場に対する信頼を著しく毀損するものであると認められる」

 

 さて西武鉄道は「注意書き」にあるが、約半世紀にもわたって実際は上場基準に満たぬ少数特定者持株数比率をあたかも基準以上にあるように偽装してきた。西武鉄道は言うまでもなく公共交通機関を運営し、傘下に西武ライオンズという子供たちに夢を与える球団を抱えるなど著名な大企業である。H183月期の連結売上高は4346億円、連結経常利益は119億円と、営業規模も大規模な実績を誇る会社が、株式市場を50年間もの長きにわたり欺瞞しつづけてきた。本来上場されているはずのない企業の株式が、50年間にわたり、東証の市場で日々取引きされてきたのである。

 

 加えて西武・コクドグループを率いるワンマンオーナーであった堤義明氏は、逮捕前は西武ライオンズのオーナーや日本オリンピック委員会の会長を歴任するなど要職を務め、米経済誌「フォーブス」で世界一の大富豪と紹介されるなど、日本の政財界にも幅広い影響力を有する実力者であった。

 

 またカネボウにいたっては今から120年前に創立され、戦前戦後を通じて日本産業の中核にありつづけ、経済成長の一翼を担ってきた堂々たる名門企業である。その由緒ある大企業が債務超過を免れるために2年間で約800億円もの粉飾決算を行ったのである。ちなみに粉飾額訂正後の20033月期の連結売上高は5184億円、連結経常利益50億円(債務超過2180億円)の規模であった。

 

下に続く

 

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