彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

February 2007

温暖化防止は待ったなし!(下)5

温暖化防止は待ったなし!(上)
温暖化防止は待ったなし!(中)

10年前の199712月、わが国は議長国として「温暖化防止京都会議」いわゆる「COP3」を開催し、難産の末、温暖化防止の歴史のうえで特筆すべき「京都議定書」を採択した。議定書では南北問題など各国事情のあるなかで、なんとか法的拘束力のある温室効果ガスの各国別の削減目標値を定めたのである。その数値目標は2008年から2012年までの平均で達成することとなっている。まさに来年からの5年以内に目標値を達成する必要があるのである。この京都議定書はわずか2年前の2005216日にロシア連邦の批准をもって発効した。

 

2002年の世界の炭酸ガスの排出総量は2371000tである。国別に内訳を見ると、米国が57500tで最大の排出国である。次に中国が347100t、旧ソ連が228300t、それに次いで日本が117800tと、この4カ国で世界の炭酸ガス排出量の53%を占めている。ところが最大排出国の米国は2001年に「温暖化の原因が人為的か自然現象か科学的根拠がはっきりせず議論がある」として京都議定書の枠組みから離脱した。また中国も発展途上国との理由で削減対象国から除外されている。京都議定書でしばられる目標削減国に世界の炭酸ガス排出量の4割を占める米中二カ国が入っていないことの影響は、あまりにも大きい。

 

京都議定書では1990年の排出量実績から7%の削減(温室効果ガス)をするとした米国は、2002年の実績で見ると90年比で逆に17.6%(炭酸ガス)もの大幅な増加を見せている。一方、中国も90年比40.9%(同)増と傍若無人振りを見せている。この議定書の枠外の二国で目標基準年である1990年から2002年までに世界で増加した炭酸ガス排出量の実に61%もの量を占めているのである。この両国が温暖化防止のために温室効果ガスの排出量削減にしっかりとコミットしない限り、地球環境の破壊を止めることは不可能と言っても過言ではない。温暖化の原因を人為的活動であると科学的根拠で示された今日、温暖化防止にこの両大国が本気で取り組まねばならぬことは、全人類いや地球生命に対する重大な責務であると言ってよい。

 

そして歴史的な京都議定書をまとめ上げたわが国であるが、定められたのは1990年実績比6%の削減目標である。それに対し実際は1990年の炭酸ガス排出量107500tから逆に2002年は117800t9.6%の増加となっている。米中両国を非難などとてもできぬ体たらくである。しかも日本は議長国として各国を説得した立場にある。その国が結局、無理でした、6%の減少どころか10%も増えてしまいましたでは、お話にもならぬ。国際社会におけるリーダーとしての見識と実行力を疑われても仕方のない仕儀である。

 

目標達成のためには、02年実績より排出量は16800t、比率は14.2%もの削減を、しかも今後5年間の平均値として削減しなければならぬ。この数値がどれほどのものかと言うと、わが国の家庭、つまりわれわれが日常生活を送るため使用するガス・電力等から発生する炭酸ガスの量がまさに16600万トン(2002年実績)である。極論すればわれわれが煮炊きもせずに生存しないことでしか解決策はないとも言える。でなければ産業部門(46700万t)の36%もの経済活動をストップさせることでもある。

 

政府はつい2年前の平成174月に時の小泉総理を本部長とする「チーム・マイナス6%」と銘打った地球温暖化防止「国民運動」の推進キャンペーンのキックオフを行なった。その対応の遅さとクール・ビズやウォーム・ビズといってはしゃぐ様は滑稽ですらあった。そして閣僚のクール・ビズのファッションはどうかなどと大手メディアも騒ぎ回っていたが、事柄の本質をあまりにも理解せぬ国やメディアの危機意識の欠如に、もはやわたしは腹立たしさを超えて自嘲するしかない。そしてそれを自分自身に納得させねばならぬことは、国民としていや地球上で命を紡ぐ生物としてあまりにも悲しく、むなしいことである。



大手メディアの建前の胡散臭さ――「あるある」事件

 

 大手メディアにより構成される記者クラブという世界的にも珍しい組織の排他性については、従前より非加盟の海外報道機関や週刊誌系メディアなどから多くの批判がなされていた。そうした意見に対し、記者クラブは開かれた対応としてここのところ国際メディアのデファクトスタンダード(事実上の標準)の観点からかはたまた外圧からか、大手海外メディアの記者クラブ加盟を認める動きは進んでいる。

 

しかしPJニュース(安居院文男氏「『あるある』渦中フジ社長、記者クラブ員と豪華宴会」)で取り上げられた弱小ジャーナリズムの記者会見への列席拒否に見られるように、まだ大手メディアの国内弱小メディアに対する排他的行為には根の深いものがあることを感じざるをえない。

 

「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解(h18.3改定)」では、記者クラブを構成する加盟組織の要件として、「記者クラブの運営に、一定の責任を負うことも求められます。そして最も重要なのは、報道倫理の厳守です。日本新聞協会は新聞倫理綱領で、報道の自由とそれに伴う重い責任や、正確で公正な報道、人権の尊重などを掲げています。これらは、基本的な報道倫理です。公的機関側に一致して情報開示を求めるなど取材・報道のための組織としての機能が十分発揮されるためにも、記者クラブは、こうした報道倫理を厳守する者によって構成される必要があります」と謳われている。

 

 その高邁な内容は開かれた記者クラブ運営を行なう用意は十分あるが、報道機関には社会の公器としての重要な報道倫理が求められ、弱小ジャーナリズムなどはそうした倫理や「正確で公正な報道」といった規範や訓練がなっていないので、加盟が難しいとでも言わんばかりの慇懃無礼な文言に思えてならぬ。

 

 また加盟要件がそうであれば、報道倫理綱領を掲げている日本新聞協会の会員である新聞社やテレビ局で、捏造や盗作といった不祥事が続く事実はどう説明されるのだろうか。捏造等の行為は言うまでもなくジャーナリズム精神を大きく逸脱するものであり、記者クラブを構成する者の要件を明らかに欠くものだと断じざるをえないとわたしは思うのだが。

 

こうした点から言えば、放送記者会主催の村上フジテレビ社長らとの定例記者会見においてライブドアPJが入場拒否されたことは、公平さを著しく欠いた大手ジャーナリズムによる既得権益擁護と言われても仕方ないのではなかろうか。

 

昨年の公正取引委員会の特殊指定廃止の動きに対する新聞協会の反論声明(平成18315日付け「新聞特殊指定の堅持を求める特別決議」)では次のように語っている。

「新聞は、憲法21条によって保障された報道の自由を担い、国民の「知る権利」に寄与するものである。こうした使命は、自由で多様な新聞がつくられるだけでなく、公正な競争を通じ、住む場所を問わず、また災害など困難な状況下でも、同一紙同一価格で戸別配達により提供されることによって実現される」

 

 その文中にある「新聞」という文字を「PJニュース」あるいは「ネットニュース」と置き換えることのどこに不都合があろうか。そして「災害など困難な状況下でも」に続く「同一紙同一価格で戸別配達により」を、「通信費のみでネット配信により」と置き換えれば、紙情報よりもっとリアルタイムの情報が国民のもとに届けられた実績が中越大地震のケースなどで実証されている。しかも市民記者がPJニュースで被害地の切実な状況、実態をきめ細かく伝えた事実の重みを大手メディアはもっと知るべきである。

 公正と公平そして客観性はジャーナリズムの最も尊ぶべき根本精神のはずである。その意味で言えば、大手メディアが行なった会見からのPJ排除という行為は、「憲法21条によって保障された報道の自由を担い、国民の『知る権利』に寄与するもの」は「新聞という大手メディア」だけであるという傲慢な思い上がりとしか見えない。さらに特殊指定堅持という自分たちの権利擁護のためであれば「国民の知る権利」を出汁(だし)にすらするその言説の胡散臭さは、「社会的公器」という言葉が死語と化したことをわたしに告げるのみである。

 

平成18年9月現在でインターネットの接続サービス契約数は3千万人(除く「携帯ネット接続契約8.4千万人」)を超えている(総務省「情報通信統計」)。その一方で、ほぼ同時期の大手新聞5社の総販売部数合計は2.7千万部強であり(日本ABC協会「新聞発行社レポート」)、数の上ではインターネットによる情報取得者数が上回った形になる。

 

情報の受け手側である国民の文字情報の入手手段は、近時、かくも大きな変貌を遂げてきているのである。加えてこれまで一方的に受け手のポジションにのみ甘んじてきた国民自身が、情報の発信側にも登場し、自由に声を上げはじめたという事実を大手メディアはもっと真摯に受け止めるべきではなかろうか。



温暖化防止は待ったなし!(中)3

温暖化防止は待ったなし!(下)
温暖化防止は待ったなし!(上)

 

1988年、世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)はIPCC(気候変動に関する政府間パネル)という組織を作り、地球気候の変化の科学的調査を開始した。その第4次報告書がこの129日から21日に開催されたIPCC第1作業部会で6年ぶりにまとまった。

その結論は「気候システムに温暖化が起こっていると断定するとともに、人為起源の温室効果ガスの増加が温暖化の原因であるとほぼ断定」した。2001年の第3次報告書では「可能性が高い」と含みを持たせた結論であったが、今回は温暖化を科学的に裏づけ、「温室効果ガスの増加の原因が人間活動によるものであることをほぼ断定」した画期的なものとなったのである。

 

報告書の具体的な結論の要約は以下の通りである。(文科省等報道発表資料「IPCC4次評価報告書」)

 

1. 20世紀後半の北半球の平均気温は過去1300年間の内でもっとも高温で、最近12年(95年〜2006年)のうち、1996年を除く11年の世界の地上気温は1850年以降でもっとも温暖な12年のなかに入る

2. 過去100年に、世界平均気温が長期的に0.74度(19062005年)上昇。最近50年間の長期傾向は、過去100年のほぼ2倍。

3. 1980年から1999年までに比べ、21世紀末(2090年から2099年)の平均気温上昇は、環境の保全と経済の発展が地球規模で両立する社会においては、約1.8度(1.1度〜2.9度)である一方、化石エネルギー源を重視しつつ高い経済成長を実現する社会では約4.0度(2.4度〜6.4度)と予測(第3次評価報告書ではシナリオを区別せず1.45.8度)

4. 1980年から1999年までに比べ、21世紀末(2090年から2099年)の平均海面水位上昇は、環境の保全と経済の発展が地球規模で両立する社会においては、18センチメートル〜38センチメートル)である一方、化石エネルギー源を重視しつつ高い経済成長を実現する社会では26センチメートル〜59センチメートル)と予測(第3次評価報告書(988センチメートル)より不確実性減少)

5. 2030年までは、社会シナリオによらず10年当たり0.2度の昇温を予測(新見解)

6. 熱帯低気圧の強度は強まると予測

7. 積雪面積や極域の海氷は縮小。北極海の晩夏における海氷が、21世紀後半までにほぼ完全に消滅するとの予測もある。(新見解)

8. 大気中の二酸化炭素濃度上昇により、海洋の酸性化が進むと予測(新見解)

9. 温暖化により、大気中の二酸化炭素の陸地と海洋への取り込みが減少するため、人為起源排出の大気中への残留分が増加する傾向がある。(新見解)

 

 結論に簡単に目を通すだけで、ぞっとするような内容がいくつも並んでいる。温暖化の結果生じたこと、これから予測されることいずれもが、われわれ人類が産業革命以降、国策として進めてきた近代化、産業化の中で化石燃料を野放図に使用し、熱帯雨林を中心に森林を伐採し続けてきた咎(とが)である。

 

そうしたなかで未曾有のハリケーン・カトリーナを1昨年経験した米国のブッシュ大統領は123日の一般教書演説においてガソリン消費を10年以内に20%削減させる数値目標を掲げ、エタノールなど再生可能燃料の利用促進と乗用車と小型トラックの燃費基準の強化を訴えるなどこの目標を達成することが「地球の気候変動という深刻な課題に立ち向かう助けとなる」と、気候変動と正面から対決する強い姿勢を見せつけた。

 

 さらにIPCCとほぼ同時期に開催された世界中の政財界のリーダーたちが集うダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)においても、温暖化をテーマにした17もの分科会が設けられ、いずれも満員の盛況であったという。世界のリーダーたちが一同に会する場で地球温暖化についてこれまで以上の強い関心を示したことは一歩前進ではあるが、それほどに温暖化の危機が身に迫っていることの証でもあり、その評価は複雑である。

 

温暖化防止は待ったなし!(上)

温暖化防止は待ったなし!(中)
温暖化防止は待ったなし!(下)

 

米国海洋大気庁(NOAA)のマウナロア観測所は、ハワイ島のマウナロア山(標高4169m)の北側山腹(同3400m)の高所にある。マウナロア山は海洋底からは17000mもの高さを誇る世界最大の火山としても有名である。その山腹にある観測所ではわれわれ人類をふくめ地球上の生物にとってきわめて重要な測候が続けられている。1957年から半世紀にわたり大気中に存在する二酸化炭素いわゆる炭酸ガスの濃度を計測し続けているのである。

 

炭酸ガスはメタンや亜酸化窒素、フロンガスとともに温室効果ガスと呼ばれ、いまや世界的問題である地球温暖化の元凶となっている気体のことである。最新数値となる2002年のOECD加盟国の炭酸ガス換算の温室効果ガスの排出総量は1522400t(環境省「環境統計集」。以下断りないものは同様)であるが、そのうち8割を占めるのが炭酸ガスである。温暖化問題といえば炭酸ガス規制と叫ばれる所以である。

 

 一方で周知のことだが、地球をおおう大気の主成分は窒素(78%)と酸素(21%)である。残りあと1%のなかに炭酸ガスなどの温室効果ガスが含まれている。その微量とも言える気体の存在が、実は地球上の生命を守っていることも事実である。もし大気中に温室効果ガスがなければ、地表温度は零下18度にまで下がり地球上に生物は生き続けることはできないと言われている。いわば地球上の生物は温室効果ガスのお陰で、生き続けることを許されてきたのである。

 

それではなぜ、いま世界中で温室効果ガスが目の敵にされ、その削減が大声で叫ばれているのだろうか。それは美しい地球を守っていた自然の摂理である1%の微量気体の微妙なバランスが崩れ始めたからである。産業革命以降に徐々に上昇をはじめた温室効果ガスの大気中濃度がここにきて急速な上昇を示し、地球の種の保存に適度であった地表温度15度が上昇し始め、地球環境に重大な影響を及ぼし始めたからである。

 

337ppmとは1960年のマウナロア山の大気中の炭酸ガスの年平均濃度である。そして2004年の数値は377ppmである。この44年間で19.1%もの増加を示している。アークライトの水力紡織機の発明(1769年)に始まる産業革命以前の18世紀の中頃までは、南極の氷床コアの分析等から炭酸ガス濃度は280ppmだったと推測されている。

 

そのときから1960年までの約200年間で炭酸ガスの濃度は20%の上昇を示す計算となる。しかし、その後の40年余でほぼ同じ19%の上昇をした。明らかに炭酸ガス年平均濃度の上昇速度は加速化している。

 

地球の生命を守るはずの温室効果ガスの濃度が上昇することは、温室効果が高まり、地表温度が上がり温暖化が進むことになる。温暖化の影響がすでにわれわれの周りで顕著となってきている。熱波など異常高温、大寒波など異常低温、異常多雨や異常少雨、森林火災や旱魃、大規模なハリケーン・台風やサイクロンの発生、ヒートアイランド現象、オゾン層の破壊、エルニィーニョ現象、海水面の上昇、表層海洋面の温度上昇、海流パターンの変化等々列挙するのに困るほどに、地球環境はこれまでにない大きな変動を見せている。誰しもが何か地球環境に不気味な変化が起こっていると感じざるを得ないほどに異常気象のニュースが最近は毎年、いや毎日のように世界中から送られてくる。そして不順な気候の結果、農産物や水産物の収穫量にも多大な被害が出ている。

 

草の根を断つの?東京マラソン

「草の根を断つの?東京マラソン」

 

 今年で40年目を迎えた「第41回青梅マラソン」が24日の日曜日に開催された。参加人数は約16000人と伝えられた。1967年にわずか492名の参加者で始まった草の根大会が、いまや毎回13000人から16000人の出走者を誇る市民マラソンのルーツと言われるマラソン大会にまで成長した。

 

この伝統ある青梅マラソンの開催日は例年2月の第三日曜日と決まっていた。しかし、今年は第一日曜日に前倒しの開催となった。この原因は石原東京都知事の肝煎りで決まった「東京マラソン」と開催予定日が重なり、やむなく当初予定の18日から4日へ繰り上げられたものである。昨年126日に青梅マラソンの主催者側は対応策を協議し、「交通規制や大会役員の人手不足の恐れがあるため『東京』との同日開催は無理」との理由で、同日開催を断念した経緯がある。そのとき竹内俊夫青梅市長が「日程変更はやむを得ない。共存共栄を目指す」と健気にも語ったことが今も強く印象に残っている。さぞ無念であったろう、その胸中やいかにと察したものである。

 

 その因縁の東京マラソンがこれまでの東京国際マラソンと東京シティロードレースの二つを一本化、東京を世界にアピールする目的を兼ねた市民参加型の大会としていよいよこの18日に号砲を鳴らす。

 

 今回の青梅マラソンの主催は青梅市・東京陸上競技協会・青梅陸上競技協会・報知新聞の4者、後援は日本陸連・青梅市教育委員会・青梅市体育協会・奥多摩町・読売新聞・日本テレビ放送網の6者、協賛は東京コカ・コーラボトリング、キャノン、損保ジャパン、青梅信用金庫、佐川急便の5者となっており、その顔ぶれも青梅の地域色豊かな手作りイベントの野趣が感じられる。40年前に町おこしとして細々と始まった青梅マラソンの素朴な精神がいまにも引き継がれているのが良く分かる。まさに手作りの市民マラソンの歴史そのものである。

 

 一方、東京マラソンはHP上ではまだ?予定と掲示されているが、主催は日本陸連・東京都の2者、共催としてフジテレビジョン・産経新聞社・読売新聞社・日本テレビ放送網・東京新聞の5者、後援は文部科学省、国土交通省、特別区長会、(財)日本体育協会、(財)日本オリンピック委員会、(財)日本障害者スポーツ協会、(社)日本経済団体連合会、(社)経済同友会、日本財団等20団体を優に超える錚々たる顔ぶれである。協賛に至っては、トヨタ自動車、セイコー、セブン−イレブン・ジャパン等世界的な大イベントと見まがうような豪華なメンバーが顔を連ねる。さらに16日、17日の両日にわたり「東京マラソンEXPO2007」と銘打った出走受付や公式グッズの展示即売などを兼ねたオープニングセレモニーが東京ドームで盛大に催された。セレモニー初日には大会会長の石原慎太郎都知事が「今大会が日本のスポーツ界に新たな伝統を作ることを願っている」と挨拶した。さぞ得意満面な表情であったろうことは想像に難くない。

 

 こうして両大会を比べて見ると、同じ市民マラソンでありながら何か今の世相を見事に切り取っているように思えてならないのである。一生懸命に地道に40年間、額に汗して努力してきていたのに、金と力を持った無頼漢が突然現れ、一夜にしてその果実や声望を根こそぎ強奪されてしまう。これまでの汗と努力はいったい何だったのか、人の心は移ろいやすいもの。これから確実に両者の格差は広がってゆくのだろう・・・。

 

 そして今年の青梅マラソンのスターターは、誰あろう石原東京都知事その人であった。都知事選を前にして青梅市民を敵に回すのを恐れたのか、それとも力ずくで割り込んだことに何がしかの後ろめたさでも覚えたのか、その理由はご当人にしか分からぬことである。

 


 

放送倫理・番組向上機構の「あるある」声明って、変?4

「発掘!あるある大事典供廚隣埖ぬ簑蠅亡悗掘∧送倫理・番組向上機構(BPO)の放送番組委員会の天野祐吉委員長ら有識者委員8名が7日に声明を出した。

 その声明ではこの捏造事件を「言論・表現・報道の自由を危うくする出来事」だと認識し、「防止の具体的な手だてが講じられなければ民主主義の将来も危うい」とした。そのこと自体は当然の問題意識であり、どうこう言うつもりはない。そして有識者委員は以下の3点について言及した。

(1)何重もの下請けで、十分な取材や調査が出来ないまま番組作りが進んでいる

(2)外部制作者の末端にまで実効性のある教育システムが必要

(3)政府・総務省の関与・介入は慎重を期し、懲罰的な行政指導を行うべきではない

 

このうち(1)(2)についてもまったくそうだとうなずける。

何か変なのは、(3)である。

 

 放送倫理・番組向上機構は「放送番組委員会」、「放送と人権等権利に関する委員会」、「放送と青少年に関する委員会」の3つの委員会を運営する、放送界の自主的な自律機関である。その放送番組委員会は放送業界外部からの有識者委員8名と放送事業者委員8名からなっている。放送事業者委員の8名のなかに関西テレビ放送の編成局長が入っている(BPOHPより)。今回、声明を発表したのは業界外部からなる有識者委員8名の方々である。

 

 有識者が言うように公権力の介入が恣意的、強圧的であってはならぬことには、わたしも当然のことと同意する。しかし、こと今回の関西テレビの捏造番組のごときは、その後もいろいろ報じられているように、納豆ダイエット一回の番組にとどまる気配はなく、悪質でしかも常習性があったのではないかとも見える。さらに場合によってはテレビ業界の構造的な問題にまで発展する可能性すら懸念される事態である。

 

 そうした場合であっても「懲罰的行政指導」を行なってはならぬと言っているのだろうか。番組は著作権を有する商品である。その商品に価値があればあるほど、そのテレビ局の同番組へのCMスポンサー料は高くなる。その価値が捏造で制作されたまがい物であるとすれば、それはある意味、詐欺的行為に当たるのではないか。また視聴者の立場から見ても、デタラメなデータでさも科学的番組であるように見せ世論を操作するようなやり方をやっておいて、「懲罰」が科されぬことのほうにわたしは違和感を覚えてしまうのだが。

 

 関西テレビは129日に、外部有識者5名による「発掘!あるある大事典」調査委員会を発足させたと発表した。そのなかに放送倫理・番組向上機構の有識者委員のひとりでもある吉岡忍氏が入っている。同氏には今回の声明に対してこうした意見もあるということをぜひ知っておいていただきたいと思う。

 

ならぬことをしてしまった場合にお灸を据えておかねば、小さい悪にすぐお灸を据えないでおれば逆に大きな悪になったときに公権力は取り返しのつかぬ介入なり仕組みを用意するのではないだろうか。わたしは、今回のことで「懲罰的な行政指導」をすることよりそのことのほうがずっと恐いことだと思うのだが。

知的財産研究所のとても笑えない話

知的財産研究所のとても笑えない話

 

最近、「発掘!あるある大辞典供廚隣埖ぬ簑蠅篦日新聞の「かんもち」盗作など知的財産をクリエイトする立場にあるメディアがその財産権を侵害するという非文明的な不祥事が相次いでいる。先進国などとは口が裂けても言えぬ不祥事の続発に先進文明国?として赤面しきりであり、恥ずかしい思いをしている。

 

 そうしたなかでもっと笑えない話があることを知った。

ある財団が明治大学情報コミュニケーション学部の藤原博彦助教授(1月懲戒免職・委託当時筑波大講師)に委託した海外調査で、派遣滞在費など約1600万円を不正受領されたうえに、提出された報告書に他人の論文の無断転用があったことが特許庁の調査でわかったのである。さらにその報告書「フランスにおける著作権についての考え方の変遷」の内容の96%が複数の著作権研究者の論文からの引用であったことが明治大学の調査結果からもわかった。

 

わたしは今回の事件がなければこの財団法人の存在すら知ることはなかった。今回、話題に上った研究機関の名前は財団法人「知的財産研究所」という。

 

同研究所は「国内外の知的財産に関する諸問題についての調査・研究等を通じ、知的財産の適切な保護及び知的財産制度の国際的調和を図り、これにより我が国産業経済の発展に寄与する」ことを目的として平成元年に設立された。

その同種の組織として昭和31年に「知的財産権の国際的な条約等の研究等を通じ、国際的な知的財産制度の向上に貢献する」目的で「AIPPI(国際工業所有権保護協会)日本部会」が発足、その後法人化、名称変更という歴史を刻んだ社団法人「日本国際知的財産保護協会」が存在する。

同法人は国際機関の日本部会であり、「知的財産研究所」とはその成り立ち、国際機関の一部会であるという意味において位置付けは異なっている。

しかしわれわれ庶民の目には両方とも目的はまったく同じに見えてしまうのだが、賢いお役人が熟慮の末、設立したのだから、どうしても二つの組織が必要な理由があるのであろう。

 

知的財産研究所」の中山信弘会長(東京大学法学部教授)はHPの挨拶文のなかで「当研究所としましては、21世紀の我が国の社会・経済の健全な発展を願い、知的財産に関する総合研究機関となることをめざして知的財産に関する各種の事業に取り組み、知的財産の適切な保護並びに知的財産制度の国際的な調和のため、できる限りの貢献をしてまいりたいと考えております」と、述べている。

知的財産の適切な保護」に貢献すべき研究機関が委託した研究論文における知的財産権の侵害。それも一部ではなく96%が無断転用となれば、論文全体が他人の知的財産を切り貼りして作ったトンデモナイ「痴的財産」ということになる。

 

これはどう転んでも笑える話ではない。本件について同研究所の野沢隆寛常務理事は、「盗用を見抜くのは困難だが、今後は審査を強化したい」と話しているが、これまた知的財産研究員として海外派遣研究員制度を設ける同財団の常務理事の発言としては、あまりにも能天気で簡単に笑って済ませる話ではない。

 

 さらに同研究所の常勤理事大森陽一専務理事(元特許庁特許技監)と野澤常務理事(元特許庁総務部長)の2名となっており、要は特許庁の典型的な天下り機関であることがわかる。それぞれの常勤役員の報酬は役員報酬規程細則で専務理事の年俸が1860万円、常務理事が1700万円と定められている(同研究所HPより)。そして非常勤理事には先の社団法人「日本国際知的財産保護協会」の吉田豊麿理事長(元特許庁特許技監)も就任しており、特許庁天下りフランチャイズの構図も同時に透けて見える。

 

ちなみに平成17年度の調査研究概要を見ると、25に上る調査項目はすべて「特許庁産業財産権制度問題調査研究」と「特許庁委託産業財産権研究推進事業」として受託されており、この研究機関の実態が何であるかをよく表わしている。今回のケースなど特許庁が委託調査するものは、なぜ大学そのものに直接、委託しないのか、また野村総研など公正な第三者シンクタンクに入札発注すれば、費用、質とも良質の委託になると思えて仕方ないのだが、そう考えるわたしはおかしいのだろうか。

また同研究所の平成17年度収支決算書によれば総収入の7割強を特許庁・経済産業省等からの受託・請負収入486百万円が占めており、まさに税金により運営されていることが数字からも見えてくる。

 

財政再建が叫ばれ国民の年金・福祉が切り詰められるなか、こうした財団に税金が流れる図式は天下り問題と合わせて、これまた本当に笑える話ではないのである。

 


 

107人の命を奪ったJR西日本の原罪意識を問う!

107名の命を二度奪うJR西日本=命を軽んじる企業体質
(2009.10.18)

 JR福知山線脱線事故の航空・鉄道事故調査委員会は昨年1220日、事故の原因は「運転士が無線の会話に気を取られ、ブレーキ操作が遅れて70km/時制限の右カーブに116km/時で侵入したため」とする300ページを超える膨大な量の事実調査報告提案書を公表した。そしてこの21日に調査委員会は意見聴取会を行ない、遺族・被害者3名を含む13名が公述人として意見を述べた。そしてこれを踏まえて2月中には最終報告書が提出される予定である。

 

 公述人のトップに立ったのがJR西日本の丸尾和明副社長であった。12月に報告書が公表されたときには、「厳粛に受け止める」との重大事故を起こした企業として当然のコメントを行なった。しかし今回の副社長の意見陳述は、閉会後に被害者や遺族の方たちが「企業防衛や自らの保身に終始した公述だ」と批判したように、同社がこの大惨事に対し、心底、原罪意識を持っているのか大きな疑問を呈せざるを得ないものであった。これだけの大惨事を起こしていながら原因究明等最終的な結論がでていないため、最終的な経営責任については、依然、留保されたままであると言ってよい。国民はそう考えているのに、JR西日本の経営陣のなかでは、脱線事故はすでに心のなかで風化してしまったのだろうか。

「(ATS設置は)他社と比べても進んでいた」との陳述などを聞くと、この会社は107名の人々のかけがえのない命を一瞬に奪い去ったという事実の重み、悲痛な叫びがまったく分かっていないのではないかと真剣に思ってしまう。決して原状復帰が出来ぬ大惨事を起こしておきながら、とやかく釈明する権利など一切、持たぬはずである。ただ、なぜこのような大事故が発生し、今後、二度と起こさぬために自分たちは何をなすべきかを述べる加害者としての原罪意識からの説明責任が課されているのみである。

 

また、この意見聴取会に垣内剛取締役(事故当時社長)が参加していないことも不思議であった。大惨事を引き起こしながら、当時の垣内社長は事故の原因究明や事故処理に責任を全うするとして、社長は降りたものの取締役に留まった。しかし1日の調査委員会の意見聴取の場に事故当時の最高責任者はいなかった。

 

しかも同社は事故発生直後に「福知山線列車事故の重大性に鑑み、再発防止策の徹底を図るとともに、安全対策について社長の諮問にこたえることにより、安全を旨とする企業風土の構築をはじめとする、鉄道の安全性向上に資することを目的とする」外部委員による「安全諮問委員会」(委員長永瀬和彦金沢工業大学機械工学科教授)を立ち上げた。当社はもちろん垣内社長は会社側出席者として参加していたが、社長を退任した第5回以降はメンバーにも入っていず、出席もしていない。

 

調査委員会での副社長発言や垣内前社長の黙して語らぬ姿勢は、いったいどうしたことか。107名もの貴重な人命を奪い去った事故から多くの教訓を学び、今後のJR西日本の安全体制をどう確立するかが、原因究明と事後処理のために社に留まったはずの垣内氏はじめ経営陣の使命なのではなかったか。

 

かねてから補償問題の対応等に何かこの会社の真心が感じられない気がしていたが、今回の意見聴取の模様が伝えられて、どうもJR西日本という企業は「自分が加害者である」という重大な原罪意識に欠けているのではないか、そう思えてならぬのである。

 

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スクープに見る大手ジャーナリズムの読者差別

 

新聞には「版建て」という記事の締め切り時間の違いによる紙面記号がある。紙面の欄外に13版とか14版と書かれているのがそうである。版数が小さい方が記事の締め切りが早い紙面づくりとなっていることを表わす。

 

朝日新聞社大阪本社整理部次長(当時)の河内哲嗣(かわちてつし)氏が平成17418日に関西学院大学で行なった「新聞と現代社会」という講義のなかで、そのことを「10版は午後10時半の締め切り」「13版の締め切りというのは午前0時前後です。14版になりますと午前2時前ぐらいです」と説明している。要は版の違いによって同じ新聞社であっても紙面に掲載される記事の項目や内容に異なる部分が出てくることになる。具体的に東京地区でいうと同一新聞社の紙面内容で、多摩地区の一部で宅配される新聞と23区内で宅配されるものは微妙に異なったり、場合によっては大きく異なることがありうると言うことである。

 

 時々刻々事態が変化してゆく事件報道などは、記事掲載時点でのリアルタイムな情報を載せるため、遅い版の方がより情報量が多くなり、その説明や解説記事もより詳細となることが多い。そうした場合は報道の迅速性に照らしてみても、版により記事内容が異なることに異論はない。読者に少しでも早く情報を知らせるという適時性の原則に適っているからである。

 

しかしスクープ記事で多く見られるケースだが、企業の合併報道など12版で報道が可能である状態にもかかわらず、スクープを他社に気取られることを嫌って敢えて14版の最終版まで記事掲載を意図的に延ばすケースがある。一社のみが朝刊一面トップをそのスクープ、特ダネで飾ることは記者冥利につきることであろう。実際に日本新聞協会は、毎年、スクープと呼ばれる記事のなかで一年間のうち最も顕著な功績をあげた新聞人に「新聞協会賞」という伝統ある賞を与え、そのジャーナリストの功績を長く称えることになる。編集部門のなかのニュース部門受賞作を最近の3年間で見ると、06年度「昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感」(日経)、05年度「紀宮さま、婚約内定」(朝日)、04年度「UFJ、三菱東京と統合へ」(日経)とその赫々(かっかく)たるヘッドラインから、伝統の重みとジャーナリストのプライドの充溢がわかろうというものである。

 

 早刷りや最終版毎の宅配エリアの違いは新聞社毎に工場の立地や数によって異なるが、おおまかに東京本社管轄を例に取ると、関東圏で言えば12版は東京から遠い関東地方、13版は近い首都圏、14版(最終版)は東京23区と多摩地区の一部や横浜市・川崎市の一部などとなっている。自宅で読んできたはずの一面記事が、会社に行ってまったく異なっていた、大特ダネを会社で知ったという類の経験を持つ人々が結構多いのではなかろうか。つまり最終版を待ってスクープを掲載することは、関東圏を例にとれば結果として、「東京23区と多摩地区の一部や横浜市・川崎市の一部」の購読者のみにその新聞社は意図的に情報優位性を与えていることになる。

 

昨年3月に日本新聞協会が世間に対して表明した「新聞特殊指定の堅持を求める特別決議」において、新聞の特殊指定廃止は再販制度を骨抜きにするとし、その堅持すべき理由に「販売店の価格競争は配達区域を混乱させ、戸別配達網を崩壊に向かわせる。その結果、多様な新聞を選択できるという読者・国民の機会均等を失わせることにつながる」と訴えた。これを読み替えれば同一紙での情報提供は読者・国民に「機会均等」になされるということのはずである。

 

 ところが、この「読者・国民の機会均等を失わせることにつながる」行為を新聞社自らが「スクープ記事」という情報提供においては確信犯的に行なっていることになる。ジャーナリズムいやジャーナリストの使命とは、つかんだ事実をいち早く正確に読者・国民に伝えることが大原則のはずである。「国民の知る権利」を錦の御旗として公権力や不祥事を行なった企業、犯罪被疑者等に立ち向かっていく姿勢は、あるときは力強く頼もしく見える。しかしその一方で、知る権利を声高に叫び、必要以上の取材攻勢をかけ人民裁判のような報道姿勢を見せることも現実である。そのときはある種ペンという権力を振りかざすタイラントのように見えることがある。

 

 自己の既得権益擁護に弄する「機会均等」の理屈は、スクープというジャーナリストとしての「功名が辻」にはまったく援用されない。いや「機会不均等」を敢えて行なうことは、ジャーナリストとしての良心を後ろに置き忘れた背信行為であるとすらわたしには思える。ましてや「特別決議」でいう「同一紙同一価格」のスローガンを掲げながら、スクープという意図的な情報格差を生じさせる行為はあきらかな読者差別であり、そのスローガンが自己権益擁護のみを目的としていることをはしなくもさらけ出していると言わざるを得ない。

 

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五十歩百歩の「産む機械」騒動は国会の場で

五十歩百歩の「産む機械」騒動は国会の場で

 

2006年度補正予算案は6日午後の参院本会議で、柳沢厚生労働相の「産む機械」発言に反発した民主、共産、社民、国民新の野党4党欠席のまま自民、公明党などの賛成多数により可決した。補正予算案が野党欠席のなかで成立したのは41年ぶりという。そして7日から衆院予算委員会を開き、07年度予算案の実質審議に入る予定で、今後、野党と協議を進めるという。

 

 補正予算は基本的に必要性・緊急性の高いもので、国民の生活に密着したものが多い。今年度の例で言えば、集中豪雨等の災害被害対応(8764億円)、障害者自立支援制度の運営円滑化対策費(960億円)、いじめ・児童虐待問題対策費(45億円)等、ある意味国民にとって切迫した政策対応にかかるものであり、その合計金額は49千億円にのぼる。その補正内容、金額について野党はその対策の必要性と対策金額の妥当性等政策審議にまったく参加することがなかった。わたしの頭には憲法第41条の「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」の文言がむなしく響くのみである。

 

 今回の野党の審議拒否は、柳沢発言を奇貨として目先の北九州市や愛知県知事選挙を有利に導こうとする意図が見え見えのパフォーマンスとしかわたしの目には映らなかった。

 

本当に柳沢大臣の女性に対する考え方が不適切ではなく「不当」であるとするのならば、本来、国会の場で正面から大臣に問い質し、非を認めさせ、そして不信任案を突きつければよい。大臣の真意が「不当」なものであることがわかったうえでの不信任案を、与党が否決することになれば、与党議員も女性に対し柳沢大臣と同様の考え方を有するということになり、国民の反発は必至のはずであった。

 

なぜ野党がそうしなかったのか普通であれば不思議でならぬのだが、知事選直前の今と言う政治日程を考えると、やはり目先の選挙の功を焦ったとしか思えぬのである。そう思い至ると「国権の最高機関である」国会という場を無視したやり口は到底いただけないと思ってしまうのである。大臣のこうした発言に対しては、少子化対策という大きな問題の啓蒙の意味も含めて、国会の場においてもっと冷静に緻密な議論がなされて然るべきと考える。

 

そもそも国会議員は会期中には国会の場でこそ自らの主張、信念を通すべきなのではないか。補正予算という審議をボイコットまでした今回の対応は、国会議員としての当然の役割を野党議員は果たしていないと言われても致し方ないのではなかろうか。

 

しかも、民主党の菅直人代表代行が「年初以来、党大会などで『生産性が高いと言われる東京や愛知でも、子供を産むという生産性が低い』と、何度か発言した」(東京新聞26日付け「うさぎの耳」)のも都市部の出生率が低いことを例えた表現法であるとすれば、柳沢大臣の「産む機械」発言の例えと五十歩百歩の表現力である。

 

片や少子化問題の大本山である役所の厚生労働大臣の発言であり、片や野党第一党のナンバーツーの発言である。その重みにおいても五十歩百歩であるといってよい。

 

今国会は将来の道筋を定める国民投票法、共謀罪、学校教育法の改正案等重要法案が目白押しである。国会議員は「国権の最高機関である」国会において腰をすえた審議を行なっていただきたいと切に願う次第である。

 

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不二家に続くお詫び合戦とISOの神通力

 不二家に続くお詫び合戦とISOの神通力

 

 経済産業省は、先に不二家が取得した品質・環境管理の国際規格ISOが適正に順守されていたのか審査するよう同省所管の財団法人「日本適合性認定協会」を通じ民間の認証機関に要請した。その後131日に不二家は、一般菓子を製造する平塚など3工場が既に取得している品質管理の国際規格「ISO9001」の基準を満たさず、認証機関から是正勧告を受けたことを明らかにした。さらに28日、洋菓子の埼玉工場で環境管理の「ISO14001」の登録が7日付で一時停止になったと発表した。

 

 不二家不祥事のあと、食品メーカーは賞味期限切れ原材料の使用や異物混入等の事実を続々と公表し、まるで「お詫び合戦」の様相を呈している。その食品メーカーは、はごろもフーズ、ロッテ、味の素、丸美屋食品工業、加藤産業、サントリー、コカ・コーラ、ユニリーバ・ジャパン、三井農林、おたべ、ダスキン、ニチロ(東京新聞210日付け「不二家問題発覚後の主な食品回収」のうち食品メーカー列挙)と、一流企業と言われる名前がずらりと並ぶ。そのお詫びの内容には幸い事故にはつながらなかったものの、カッターナイフの欠片やガラス片や金属片等の混入といった物騒なものもあった。またそれ以外のものでは賞味期限切れ、消費期限切れ、遺伝子組み換え米の原料混入という食品メーカーにとって品質管理の根本的な姿勢にかかわるものも散見された。

 

こうした不良品がこれだけこの時機にしかも短期間に集中して発生することは通常では考え難い。これまでもこうした事例は起こっていたと考えるのが常識的なとらえ方ではなかろうか。2000年の雪印乳業の集団中毒事件が風化しかけたこの1月、不二家不祥事が公表された。そこから食品業界に雪印乳業の悪夢が再びよみがえったとしか考えられない。

喉もと過ぎて忘れ去られていた危機管理意識が急速に高まった結果とも見れる。不良品がわずかでも出荷された場合でも即座に公表しないとどんな風評被害が出るかも知れぬと慌てふためく様がどこか情けなくもある。ただこうした企業体質の透明性は消費者にとって「食の安全」意識が高まるなかで歓迎されることではある。また今度こそ、われわれの口に毎日入る食品を扱うメーカーとしての企業倫理の定着を強く望みたいところである。

 

ところで不二家で今回、認証登録が一時停止となったISOとは「国際標準化機構(International Organization for Standardization)」の略称であるが、1946年にロンドンで「製品サービス」などの世界的な標準化を目的として設立された組織である。品質面でのマネジメントシステムがISO9000シリーズ、環境面でのマネジメントシステムがISO14000シリーズと言われる。今回の不二家が是正を求められたのは品質管理の「ISO9001」であり、登録の一次停止となったのが環境管理の「ISO14001」である。

 

最近、日本では中小企業に至るまでISOを取得したと標榜する企業が多い。商取引、就中、国際間取引ではISOの認証がなければ商売が成立しないといっても過言ではない。とくにISOの本場であるヨーロッパ市場における取引ではその認証登録は必須である。品質面や環境面の条件をクリアーした工程管理マニュアルの整備こそISO認証の条件であり、そのマニュアル通りに商品を作れば、品質面、環境面においても妥当な水準を超えたものが出てくるということを保証するのがISOの認証制度であると言える。

 

そうした制度自体は国際基準として確立されたものであり、国際間の取引が進展するなかで客観的な基準としてISO認証が使われる意味合いは大きい。

 

しかし不二家を含め何らかの不良品出荷を公表した前述のはごろもフーズ以下の食品メーカー13社のうち、ISO9001の取得企業が9社(69%)、14001の取得企業は8社(62%)を数える。そうした企業が問題を起こす、それも6〜7割の割合であるから半端ではない。ISO認証機関から品質面、環境面について工程管理上の問題はないとお墨付きをもらっている企業である。

 

そう考えるとマニュアルだけどんなにりっぱなものを作成し、備え付けたところで、物作りに従事する人間一人一人の意識が常に人の口に入る商品を作っているのだと言う緊張感や職業に対する誇りのようなものがなければ、意味がないということをこのISO認証方式はいみじくも示してくれたとも言える。今回の食品メーカーの引き続く不祥事は、分厚いマニュアルやどんな神通力よりも人間の物作りに対する真摯な意識がもっとも大切であることを改めてわれわれに教えてくれているような気がするのである。

 

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ジャーナリスト宣言した朝日新聞の「言葉のチカラ」4

 130日付け朝日新聞の夕刊(東京本社版)の富山県立山町の「かんもち」作りの記事が、読売新聞のHPに掲載された記事から盗用されたものとわかった。それも社外のインターネットメディから記事が酷似しているとする取材依頼を受け、調査したところ盗用が発覚したという。

 

 朝日新聞社は2005821日、22日の「郵政民営化法案反対派による新党立ち上げ」を報じた記事に関連し、長野総局の記者が田中康夫長野県知事(当時)の取材メモをねつ造した。その件について830日に同社の吉田慎一常務取締役(当時編集担当)が、次のような談話を発表した。

「実際の取材をせずに、あたかも取材をしたかのような報告メモをつくり、それが記事になるという、朝日新聞の信頼を揺るがす極めて深刻な事態が起きてしまいました。記者倫理に反する、決してあってはならないことであり、責任を重く受け止めています。(中略)こうしたことを二度と繰り返さないために特別チームを社内に立ち上げ、社を挙げて取材・報道の心構えや記者倫理のあり方を抜本的に再点検し、傷ついた信頼の回復のため具体策を早急にまとめて公表します」

 

そして朝日新聞社はまず2006125日に以下のようなジャーナリスト宣言キャンペーンを開始した。

今後もジャーナリズムの原点に立とうという思いを、力強い言葉に込めました。さまざまな改革に着手し、テレビ・ラジオCMや交通広告などでアピールしていきます。(中略)

『ジャーナリスト宣言。』は、その原点を今一度見つめ直し、調査報道の充実、時代のニーズに合わせた柔軟な取材組織への変革などに取り組む姿勢を示しています。 『言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞』・・・」

次いで4月1日付で編集部門等を総点検した改革案をまとめた。それは東京本社に紙面づくりに専念する編集局長と記者の育成や配置などを管理する編集局長の「2人編集局長制」を導入、また高い見識と志を持った記者を育てるため「朝日ジャーナリスト学校」を開設し、記事の編集や記者教育体制の充実を図るなどの内容となっていた。

 

それと併せコンプライアンス体制の見直しも行い、「朝日新聞社行動規範」なるものがまとめられた。その第一番目「朝日新聞社の使命」の「具体的方針」の7番目で「著作権、商標権などの知的財産権を尊重し、自らの権利を保護するとともに、他者の権利を侵害しません」とジャーナリストとして命とも言える、逆にあまりにも当然のことである知的財産権について言及している。

また、その後本社記者が取材先から多額の餞別を受領していたことなどを受けて、121日付けで「朝日新聞記者行動基準」を制定した。そのなかにはさらにきわめて具体的な規定が盛られている。

今回の不祥事に該当する主な個所を引用すると、「インターネットからの取材」については「公的機関や企業などの公式ホームページに掲載されている事柄は、(中略)ホームページから引用する場合は、記事にその旨を明記することを原則とする」さらに「著作と引用」において「記事の素材として、著作物から文章、発言、数字等を引用する場合は、出典を明記し、適切な範囲内で趣旨を曲げずに正確に引用する。盗用、盗作は絶対に許されない」と止めを刺すかのごとく盗用等の行為を厳しく戒めている。

 

朝日新聞は「ジャーナリスト宣言」のなかで、これまで「言葉のチカラを信じている」というメッセージを強く読者に訴えてきた。

 

ところが、これまで述べてきた社内体制の整備が図られてきた挙句の今回の不祥事である。

 

そして今回の盗作について1日、三浦昭彦上席役員待遇編集担当らが記者会見に臨み、「・・・記者倫理に著しく反する行為であり、読者の皆さまの信頼を裏切ったこと、読売新聞社や関係者の皆さまにご迷惑をおかけしたことを深くおわびいたします。二度とこのような事態を招くことがないよう、早急に体制を立て直す所存です」と謝罪した。

 

わたしは1年半前の吉田常務と同じ内容の言葉に接し「言葉のチカラ」とはいったい何を意味しているのかむなしさを隠せなかった。

 

「言葉のチカラ」とは、どのように社内体制や規律、規範といった体裁を整えようが、そのためにどのような多言を弄しようが、ジャーナリストとしての魂の原点が定まっておらねば、何の役にも立たぬ、何の訴えるものも持たぬことを今回の朝日新聞の不祥事により知らされた。

 

「言葉のチカラ」とは、まさに小田光康氏がPJオピニオン「自戒を込めて、報じる者の社会的責任。『夕刊フジ』誤報事件で」のなかで言う「『事実確認』と報じる者の社会的責任」の重みをジャーナリストいやわれわれPJ自身が量るところから、産み出されてくるものだと思った。


つづり方指導教師を検挙した国の共謀罪どうなる?(下)4

つづり方指導教師を検挙した国の共謀罪どうなる?(上)

 

社会情勢が混乱を極め、国民が公権力にその安定化を求めたとき、国家はどのようにして権力拡大を図ってきたかそのなかで国民はどのように陰湿な行動をとったか、われわれは過去の歴史を紐解き、よく考えてみなければならない。

わたしの脳裡には、戦時体制に反対する考え、思想を持つだけで冤罪で検挙された人、流言飛語によるおぞましい魔女狩りで投獄された人たちなど不幸な事例が浮かんでくるのみである。そして無辜(むこ)の国民を守るべきメディアがいつしか権力の走狗となっていたことも併せてわれわれは思い起こさねばならない。

 

日本人はつい60数年前、情報統制の下で陰湿な密告により魔女狩りという疎ましい行為に走った国民である。自分の隣人が突然、密告者、いや自分を貶める人間に豹変する恐怖を想像して見たとき、そして己自身が密告者あるいは魔女狩りの先頭に立っている姿を想像して見たとき、「ひとつの法律」を「時の公権力が拡大解釈」すれば、われわれ平凡な市井人はいとも簡単に被害者になり、そして加害者にもなるという忌わしい事実を思い起こすべきである。

 

その意味で共謀罪の議論に際しては、戦前の治安維持法が拡大解釈を重ねることで適用範囲を広げていった歴史の検証とあわせて、共謀罪新設が本当に政府の言うような批准の要件であるとすれば、政府は国民に対しその立法主旨と必然性をもっとわかりやすく理解、納得させるべきであり、そのうえで条約の目的にのみ適った法律案とすべきである。

 

間違っても当初案のような「死刑または無期もしくは長期4年以上の懲役もしくは禁錮の刑が定められた600種類を超える罪状に当たる行為」を共謀罪の適用範囲とする「投網をかけるような法案」であってはならない。今の共謀罪案は615種類の犯罪について遂行の具体的準備(予備罪)の手前の共謀(犯罪の合意)をしただけで摘発が可能となる、適用範囲を定めた基準、目的がきわめて不明朗な法律案となっている。具体的事例で説明すると、「有印私文書偽造」、「同意堕胎致死傷」、「私用文書等毀棄」、「偽りその他不正の行為による消費税の免脱等」、「火災報知器等損壊等」、「所有者以外の者による重要文化財の損壊等」などどう考えても条約の目的にいう国際的な組織犯罪におよそ無関係と思われる犯罪にもこの共謀罪は適用されることになる。

 

「国際組織犯罪防止条約」では、その第3条で「適用範囲」を以下のように定めている。

1.      この条約は、別段の定めがある場合を除くほか、次の犯罪であって、性質上国際的なものであり、かつ、組織的な犯罪集団が関与するものの防止、捜査及び訴追について適用する。

(a)第5条(組織的な犯罪集団への参加の犯罪化)、第6条(犯罪収益の洗浄の犯罪化)、第8条(腐敗行為の犯罪化)及び第23条(司法妨害の犯罪化)の規定に従って定められる犯罪

(b)前条に規定する重大な犯罪(長期4年以上の刑またはこれより重い刑を科す犯罪)

 

2.      1の規定の適用上、次の場合には、犯罪は、性質上国際的である。

(a)二以上の国において行われる場合

(b)一の国において行われるものであるが、その準備、計画、指示又は統制の実質的な部分が他の国において行なわれる場合

(c)一の国において行われるものであるが、二以上の国において犯罪活動を行う組織的な犯罪集団が関与する場合

(d)一の国において行われるものであるが、他の国に実質的な影響を及ぼす場合

 

この条文の「次の犯罪であって、性質上国際的なもの」を素直に読めば、同意堕胎致死傷や火災報知器等損壊等の犯罪が、国を跨ぐ国際的な犯罪に該当するなどとはとても思えない。「性質上国際的なもの」を考慮せずに、「長期4年以上の刑またはこれより重い刑を科す犯罪」を一網打尽にくくった結果、適用範囲に厳格性を欠く共謀罪案ができたとしか考えられない。

 

そして共謀罪が及ぼす影響力の大きさを考えたとき、その杜撰ともいえる立法姿勢にそもそもわたしは憤りを覚える。条約目的に適った犯罪にのみ限定するという立法責任者の積上げ努力の痕跡がまったく見られぬ法案となっているからである。まさに手抜き法案と言わざるを得ない。

さらに一旦そのように適用が自在な法律が施行されると、その拡大解釈により権力はいとも容易に暴走を始める。共謀罪ではなく「凶暴罪」と法律名を変更した方が、その内容に適切な法案名であるとも言える。公権力の恣意的な法の適用を想定しない権力性善説の法案では困るのである。権力の権限拡大欲を常に抑制する、常に権力の暴走をチェックする立法精神で法案は作成されねばならない。その意味で集会や思想弾圧にも拡大適用される可能性を秘めた共謀罪はそう易々と国会を通過させるわけにはいかない。われわれはこれからはじまる共謀罪の検討過程について真剣に目を光らせていかねばならない。二度と戦前の轍を踏むべきではないからである。

 

政府もG8のなかでわが国のみがまだ批准ができていず、国連総会決議やG8サミットで繰り返し条約締結につき要請がなされていることのみを強調するのは、いかがなものか。国民がこの条約主旨そのものに反対するはずはない。国内法整備の柱である共謀罪の内容が条約締結に必要とされる構成要件以上の要件を含むことから、将来の権力による適用範囲拡大に国民は怖れを抱いているのである。要は立法の主旨に適った限定的かつ厳密な適用範囲が示された内容であれば、条約の主旨からして反対する理由はないはずである。

 

また別の観点から見ると、条約を批准した126カ国のうち共謀罪を新設した国はノルウェーなどごくわずかであることや、アメリカが一部の州できわめて限定された共謀罪の法制しかないことを理由に留保を付して条約を批准していることが最近判明したことなどから、これまで政府が説明してきた「批准の為には共謀罪の新設が必要である」との理由自体に大きな疑問を呈せざるを得ない。共謀罪を何としてでも通過させたい隠された狙いでもあるのだろうか。政府のこれまでの頑なな姿勢を見ていると、ついそのような邪推すらしたくなる。

共謀罪をあえて新設しなくとも、国際犯罪防止条約の目的を達成できる国内法の整備はすでに出来ているという法律家も多数存在している。現行の「組織犯罪処罰法」の第6条「組織的な殺人の予備」や「刑法」の第201条「殺人の予備」など個別重要な犯罪には未遂前の段階で摘発可能な予備罪・共謀罪が用意されており、その数は58にのぼるとされる。

 

こうした諸外国の批准内容や現行国内法の整備状況を見たとき、あえて適用範囲が限定化されず広範囲に及ぶ共謀罪を新設する必要が本当にあるのだろうか。もう一度、その点につき検討をしてみる価値があるように思えてならない。

 

いま国政は「産む機械」発言や「事務所費等政治とカネ」などで混乱の度を増している。これらの問題をわたしは軽視する気はないが、われわれの子孫にきわめて重大な影を落とす性格を有す共謀罪案がこうしたドタバタ劇の陰で、知らぬうちに検討、審議が進められ、突然、上程、採択されるようなことだけは決してあってはならぬと考える。

つづり方指導教師を検挙した国の共謀罪どうなる?(上)4

つづり方指導教師を検挙した国の共謀罪どうなる?(下)

 

この国は、戦前、現実をありのまま表現させる進歩的な綴方(つづりかた)指導を推進した教師たちが、戦時思想に反する教育を企画したとして特高警察に検挙され、拷問を受けるなどした暗い歴史を背負っている。

その教育熱心な教師たちを連行、検挙した根拠法が治安維持法であった。治安維持法は、「国体(天皇制)の変革」等を目的として結社を組織した者や加入した者、結社の目的遂行のためにする行為を行った者等に対し、死刑または無期ないし5年以上の懲役等を科するものであった。その後、治安維持法はその適用範囲を戦時体制強化の下に勝手に拡大させ、それを法的に強化させるため「結社に属さずともその目的遂行に資する一切の個人行為」も処罰対象に盛り込むなど改悪の歴史をたどった。

 

冒頭の「北海道綴方教育連盟事件」は、国体変革とはまったく無関係の「作文を通じた進歩的な情操教育の研究を目的とする組織」に加盟する教師たちが、戦時思想に反した教育を企画したとして検挙されたものである。不幸な時代の流れのなかで治安維持法が自由主義的思想を持った人々をパージする根拠法として使用されたわけだが、集会・結社・表現の自由という基本的人権が、たったひとつの法律の拡大解釈によりいとも簡単に反故にされ、弾圧されていった具体的な事例である。これはわずか60数年前の日本で実際に起きたことである。

 

さて自民党法務部会はこの1月25日、共謀罪を創設する「組織犯罪処罰法改正案」に関するプロジェクトチームを設置し同法案の修正を検討する方針を固め、今国会の会期中に一定の結論を出すとの考えを示した。

 

そもそも共謀罪の法案化問題は、テロや麻薬密輸など国境を越えた組織犯罪に対処することを目的として200011月に国連総会で採択された「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」(以下「国際組織犯罪防止条約」)に端を発す。そして日本は同年12月、イタリアのパレルモで同条約の本体条約に署名したが、それを批准するためには国内関連法案の整備が必要と政府は説明している。

 

「国際組織犯罪防止条約」はその第一条の「目的」に「一層効果的に国際的な組織犯罪を防止し及びこれと戦うための協力を促進することにある」と謳うように、その主旨は是とされ、すでに126カ国もの国が批准を終えている(0610月現在)。そして批准のための国内手続きとして必要なのが国内法の整備であるとされている。その柱となるのが共謀するだけで実行の着手がなくても可罰的とする「共謀罪」の新設なのである。

 

共謀罪の立法化は2003年3月に初めて国会に提出されて以来、廃案、再提出、継続審議等その取扱いはまれにみる迷走ぶりを見せてきた。前国会においては継続審議で議決を見たものの、その後、第三次修正案等紆余曲折の末、結局、廃案となった。そしてこの1月、安倍晋三首相は長勢甚遠法相と外務省の谷内正太郎事務次官に共謀罪改正案について、今通常国会で成立を目指すよう指示した。それを受けて自民党法務部会はPTを立上げ、31日に共謀罪案に大幅な修正を加える方向で方針をまとめたことが伝えられた。

 

それではなぜ、これほどまでに共謀罪法案の新設は紛糾し、迷走を続けているのか。

 

それは冒頭に述べたような忌わしい歴史をわれわれが有しているからにほかならない。

そして共謀罪という法律が社会不安を背景に公権力が力を強めようとする局面で、国民の集会、結社、思想、宗教、表現等の自由を奪う根拠法となる可能性を秘めるものだからである。


キャンプ・シュワブで久間防衛相の臭い芝居2

 

久間防衛相の米軍再編に関連する発言が今年に入り迷走を続けている。いや迷走振りを演じている。いったいその本意はどこにあるのか。

 

3日に訪問先のタイで、昨年10月に日米両政府が合意したキャンプ・シュワブ沿岸案(名護市)への移設案について「滑走路は1本でもいい」と発言し、沖縄県との修正協議に柔軟姿勢を示したかと思うと、帰国後の14日にはNHKの討論番組で「基本計画に基づいて」と述べ政府間合意案を優先させると前言を修正した。

そして27日の長崎県諫早市内の講演ではさらに、沿岸部案について「日本は地方分権になっている。米国に『あまり偉そうなことを言ってくれるな。知事と一生懸命話しているから、もうちょっと待ってくれ。日本のことは日本に任せてくれ』と言っている」と米軍批判を展開し、強気の姿勢を演じて見せた。

 

また24日の日本記者クラブで「核兵器がさもあるかのような状況でブッシュ米大統領は踏み切ったのだろうと思うが、その判断が間違っていた」と、ブッシュ大統領のイラク開戦の判断を批判し米国政府を逆なでするようなパフォーマンスをし、米国に言うべきことは言うとの強い姿勢を示して見せた。

ところが7月末に期限の来るイラク復興支援特別措置法の延長問題については、「(イラク派兵の)出発点が間違っていようがなかろうが、イラク復興のため、政局安定を図らなければいけない」と、述べるなどイラク特措法の延長は必要であるとツボは押さえている。

 

この一連の同防衛相の迷走発言の流れをじっくりと検証してみると、同相というか日米政府の巧妙な意図が透けて見えてくる。要は普天間飛行場の移転問題は日米政府の合意案で粛々と進められることは既定路線であり、すでに決着済みなのだと。ただ沖縄県民の心情に十分配慮したとの姿勢をどう演じて見せるかということだけなのだと、そう思って久間防衛相の発言を見てくると、いかにも米国に対して強硬意見を言っているようでありながら、合意案と反対に動きが進みそうになる前に軌道修正を上手に図っていることに気づく。日米政府間で事前に周到に練られたシナリオによる出来レースだと考えると、これほど沖縄県民と日本国民をコケにした話はない。

 

これが政治の妙といえばプロの政治評論家であれば、そこで悦に入るところだろうが、国民をそう甘く見ないでもらいたい。今後、普天間基地の移転問題の帰趨に注目してみようではないか。もし辺野古のジュゴンの海を破壊するV字型二本滑走路の政府合意案のままに進むとすれば、これほど国民を馬鹿にした話はない。こんな臭い芝居ではいまどきの目の肥えた視聴者の視聴率を稼ぐことなどできないのだから。真剣勝負こそ大向こうをうならせるのだということを久間防衛相は知るべきである。



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