彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

January 2007

日興コーディアルとライブドアの検察の動きの差は何?4

 

堀江貴文被告が26日、東京地裁公判で「私は無罪」との最終意見陳述を行なった。公判前整理手続きが適用された公判は昨年9月から約5カ月でのスピード結審となった。堀江被告が「一回も任意の取り調べを受けず、突然逮捕された」と述べたように、ライブドアの証券取引法違反摘発における検察の動きには、その後の公判の進め方も含めて目を見張らせるほどのスピード感があった。

 

その一方で不可解なのが、昨年12月18日に証券取引等監視委員会が金融庁長官等に対し証券取引法第172条に基づく処分として「課徴金納付命令を発出するよう勧告」を行なった日興コーディアルグループの187億円もの利益水増し事件における検察の動きである。同種のライブドア事件でこれほど素早い動きを見せた東京地検の動きが、ことコーディアルに関してはなぜか鈍いというか、まったく見えてこない。その差はいったい何なのか。そして大手メディアもなぜかこのところコーディアル事件を取り扱うことが少なくなった。まるでみんなで静かにこの事件を忘れ去ろうとしているかのようである。

 

こうなってくると、あのおそろしい東京地検がここまで静かなのが逆に嵐の前の静けさなのかと何か不気味ですらある。粉飾の規模、資本市場の重要構成員たる証券大手としての社会的責任の重み、いずれをとっても日興コーディアルの事件はライブドアの比でないことは明白である。検察の動きが表に現われ出るのには、あとは組織的犯罪か否かの判断でも必要なのだろうか。しかしこれだけ多額の粉飾決算を一人の人間だけで行なえると考えるほうにかなり無理があるとわたしには思えるのだが。何が検察からスピードを奪っているのか?

 

本当に今回の検察の動きとその意図は分かりづらいし、不可解である。「法の下の平等」という分かりやすい原則を早く検察は国民に示して欲しい。しかしそれにしても遅過ぎる。ライブドア事件の結審の報に触れ、ことさらにその感が強くなってきた。

日本テレワークのHP削除は何を隠蔽?−−納豆捏造3

今回の捏造番組を制作した日本テレワークのHPを開くと、トップページに以下の木で鼻をくくったような「お詫び」の文言が目に飛び込む。

 

お詫び

平成19年1月22日

日本テレワーク株式会社

今般、関西テレビ放送の「発掘!あるある大事典供廖癖神19年1月7日放送)で生じた不祥事に関し、弊社は重大かつ深甚な社会的責任を痛感しております。視聴者の皆様をはじめ関係の皆様に心からお詫び申し上げます。

 

そしてその下に【おことわり】として「弊社では当分の間、ホームページ上の宣伝活動を自粛し、必要な企業広報のみ掲載いたします。」とあり、すべての会社情報が削除されている。これは一体、何を意味するのか。

 

わたしは同社の株主構成、役員構成においてフジテレビとどのような関係があるのかを調べようとしたのだが分からず、Internet ArchiveでHPをチェックしても文字化けにより会社の重要情報はすべて抹消されている。これはどうしたことか。一部報道で当初、当社とフジテレビの関係に言及するものがあったように記憶するが、その正確なところを知ろうとしたところ、この「おことわり」であり、文字化けである。日ごろから世間には経営の透明性、情報開示を殊更に求めるメディア業界に属する企業として、この対応は甚だ合点がいかぬ。

 

また万が一、この情報抹消に何か隠された意図なり、どこからかの指図により情報を削除した事実があるとすれば、それこそメディア業界にとって「重大かつ深甚な」打撃を与えることになる。そうした痛くもない腹を探られるのが嫌でなければ、早急にHPトップに掲載されていた「会社概要」、「番組案内」、「過去の作品」等の項目復帰を行なうべきである。

 

関西テレビ捏造に透ける知的財産権の軽さ3

関西テレビ捏造に透ける知的財産権の軽さ

 

発掘!あるある大事典供彷柴ζ箪犬任隣埖せ件に関し20日午後、関西テレビ放送の岡林可典常務取締役(当時)が記者会見し、捏造内容を公表し、謝罪した。

 その5項目にわたる事実と異なる内容を読んでみて、番組自体を見ていないわたしは愕然となった。納豆のダイエット効果を紹介する番組内での実験データや米国の大学教授のコメントでの日本語訳の意図的捏造、さらに研究の引用先をワシントン大学からテンプル大学に意図的に変えるなど、その大胆かつ自由奔放な番組の捏造ぶりには開いた口がふさがらない。これだけ自侭(じまま)に目的に叶う番組制作が可能であれば、科学的に見せるデータ創造により番組は湧き出るようにして完成を見るのであろう。

 

 そこに視聴率を追い求めるコマーシャリズムの影は見えても、「事実を報道する」ジャーナリズムの原点はまったく見えてこない。逆に視聴率の高低が民放収入の大宗であるCM料に直結するという事実と考え合わせると、今回の行為は事業会社でいうところの粉飾に当たる経済犯罪行為になるのではないか。捏造番組により視聴率を上昇させ当該番組のCM時間当り単価を引き上げる、それはまさに詐欺行為であり、りっぱな経済犯罪である。番組の打ち切りや経営者の内部処分ですむ話ではない。また、同時に同社の筆頭株主である(株)フジテレビジョン(19.85%の株式保有)も頬かむりを決め込むことなどあってはならず、その経営責任が当然のごとく問われるべきである。

 

次に事実報道の観点からは、今後、放送法第3条2項の3に定められている「報道は事実をまげないですること」に抵触するか否かで当局等の事情聴取が進められ、厳しい処分が科されることになろう。

 

そしてさらに重要な視点として知的財産権という観点から本件を見てみたい。関西テレビつまり一般放送事業者は知的財産権に包含される著作隣接権者である。そして制作される番組は著作権法第98条〜100条の「放送事業者の権利」において50年間におよぶ期間、知的財産としてその権利が保護されている。その意味で報道機関は知的財産に最も敏感でありかつその意識徹底や啓蒙に最も熱心であらねばならぬ。その報道機関がワシントン大学のデニス教授の知的財産である研究成果を、無断でしかも番組構成に合わせる形でテンプル大学のアーサー・ショーツ教授が行った研究かのように紹介することなど断じて許されることではなく、その罪は格段に重いと言わざるを得ない。関西テレビや制作会社日本テレワークの知的財産権に対する意識の欠如とコンプライアンス体制の未整備には正直、呆れてしまう。

 

 他人の研究成果を無断で引用し、その引用先に言及しないなどとは、知的財産をクリエートするものにとって致命的な不始末であり、クリエーターとしては即刻退場、その世界から永久追放されるべき不祥事である。今回の事件に触れて、番組制作というクリエーティブな事業に携る人間たちが、自らの存在を否定するような「知的財産権」を無視する行為を目にし、そのあまりにも低レベルの意識にこの国のどうしようもない文化水準の低さを見るようでむなしさを隠せなかった。


そのまんま東氏当選に見る言葉の力4

 

 121日に投開票された第17回宮崎県知事選挙で、無所属のそのまんま東氏(本名:東国原英夫、49歳)が266807票(得票率44.4%)を獲得し、次点の川村秀三郎氏(前林野庁長官)に7万票以上の大差(得票率差12%)をつけ当選した。

 昨年1214日の立候補表明時、県民の反応は決して暖かいものではなかった。児童福祉法違反で事情聴取を受けたり、同僚への傷害容疑で書類送検されたお笑いタレントが、いくら故郷とはいえ県知事に?と言う冷ややかな反応が多かったように見えた。実際にわたしもその程度の印象しか東氏には抱いていなかった。

 しかし14日の選挙告示からスタートした選挙運動の進行につれ、都民のわたしにすらテレビや大手新聞社の報道から、県民の東氏に対する見方が微妙に変化していく様子が見てとれた。同氏が地道にひたむきに沿道で語りかける様子が伝えられ、彼の熱い地方自治へのひたむきな言語が私の胸にも迫ってきた。県民はまさに当事者としてその熱い言葉を全身で感じ取ったのではなかろうか。当選後に放映された選挙演説中の東氏の言葉は力強く、そして改革、刷新に向けた熱い思いは言語を通じびしびしと耳朶(じだ)を打った。「政治家は言葉が命」とよく言われるが、過去に不祥事を続けたお笑いタレントがまさにそのことを実証して見せてくれた。

 

そしてその映像を目にしたとき、来年の米大統領選へ立候補の意向を示し、その卓越した演説力で評価が高いアフリカ系米国人の民主党オバマ上院議員の顔を思い浮べた。20047月の民主党大会における基調スピーチで注目を浴びたが、そこで「黒人の米国も白人の米国もなく、リベラルの米国も保守の米国もなく、ただ米国があるだけだ」と熱く訴え、「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じ米国に忠誠を誓う米国人なのだ」と語った。そして「アメリカは個人主義で有名だが、もう一つの重要な物語は、アメリカは一つの国民としてつながっているということだ」と高らかに謳うオバマ氏の姿に、そのまんま、東国原氏の姿がだぶったのである。

「長い宮崎の保守の歴史が変わる」「みんなで、みんなで、変えんといかん」「宮崎をどげんかせにゃいかん。新しくせにゃいかん」と、宮崎弁で語られた熱いメッセージは心を強く揺さぶった。

 

 今回の勝因として64.85%(前回比+5.51%)という投票率の高さに加え、保守陣営の分裂と民主党の独自候補擁立の不首尾が大きいとされた。自公推薦の持永氏と保守系川村氏の得票数合計は、315949票と東氏を49千票上回る。その票数差を投票率に換算すると5.3%となる。今回の投票率が70.2%にのぼれば、つまり無党派層というか政治に関心のない無関心派層が投票所へと足を運び、東氏に票を投ずれば、保守票いわゆる組織票が束となってかかってきても、東氏は当選できる計算になる。

 

 政治家が言葉の力により、政治改革・刷新の強い意志を選挙民の心に訴えかけることができれば、投票率は自発的に上昇するはずである。それは一部権益の擁護に汲々とする組織票の影響を薄めらることにつながり、結果として民意を公正に反映した政治家が選出されることになる。われわれ国民の政治に対する意識向上・改革が必要であることは言を待たないが、政治家が魅力ある言葉で高い志と理念を謳いあげる力を備えておれば、人々はポスターやテレビで「選挙に行こう」と強要されずとも、この人物に将来を託したいと自主的に投票所へと足を向けるはずである。

 

選挙結果を受け自民党の丹羽総務会長は「ショックだ。自民党は実績を積むしかないが、参院選の比例選候補には知名度の高い人を選んだ方がいい」と述べたが、候補者には「知名度の有無でなく、言葉に力があり、発した言葉に責任を持てる人物を選ぶべき」と発言すべきであった。まさに丹羽氏自身の言葉の非力さと見識のなさに無関心派が投票所に足を背ける原因を見てしまい、そうした政治家を国民の代表としていることに深い悲しみを覚えてしまう。

 

 

氣志團SHOW−YANブログを教育再生会議へ!3

氣志團SHOWYANブログを教育再生会議へ!

DJ OZMAの紅白でのパフォーマンスで世間は騒がしいが、DJ OZMAと同一人物とされる綾小路翔のブログが炎上中とのことで、ちょっと覗いてみたが、正直、このSHOWYANに猛烈! 興味を抱き、お気に入りに追加してしまった★☆☆★

 

元旦の「明けましておめでとう」ブログはたった数行の賀詞に留まるが、これに対し紅白の行状に対する非難コメントが殺到したとのこと。

 そこで7日に更新された「なんだか知らないけど、盛り上がってるみたいですね。当ブログ」ではじまる「年頭のご挨拶」にSHOWYANの思いが綴られていた。紅白事件には直接言及することのなかったそのブログの抜き身の言葉にDJ OZMA をまったく知らぬわたしは、いい意味で新鮮な驚きを感じてしまった。

 

 この人の言葉には裏側におそらく行動力と実践がともなっているのだろう、これほどストレートに単純な言葉が説得力をもってストンと胸の内に落ちるのは、最近では珍しい体験であった。そして炎上ブログを読み終えた気分は実に痛快きわまるものであった。SHOWYANには了解を得ていないが、以下の痛快なフレーズをちょっと、自殺問題と政治資金問題で忙しい教育行政トップにある伊吹文科大臣にでも紹介してみたくなった。

 

「今年も『己の直感を信じること』」

「フツーって大事だぜ」

「良いものは良い。悪いものは悪い」

「いつも本当に自分の本当の意見を持ってますか?」

「他人に強要される必要なんてどこにもない。自分自身の感受性がすべてだ」

「情報に流されるなんて一番愚かでしょ?」

「世論なんて、常時誰かが作ってるものなんだよ」

「メディアに踊らされず、嘘と本当を見極める力が必要なんだ」

「ニュースも本も教科書さえも、誰かの視点」

「俺の人生は俺のものだし、とどのつまり俺にしか責任が取れないんだから」

「俺は、俺自身が直接見たもの、触れたもの、感じたもの、それ以外のすべてを信じない」

「疑って生きるって、(中略)生きて行く上で一番大切なことなんだと思うんだよ」

「子供はなんにでも疑問を感じてる。誰かが決めた『当たり前のこと』なんか知らないから。いつだって真剣に答えを求めてる」

「大人になると半端な知識が増えて、大事なことを見逃しがちになる」

「君が本当に真実を知りたいのならば、君自身が直接見たもの、触れたもの、感じたもの、それ以外のすべてを信じないことだぜ」

「後は君自身が考え、経験し、そして判断をするだけです。他人と違うことを恐れないで。その感性こそが宝物なんだよ。わかった振りの意見なんて要らないんだ」

「俺は俺を肯定する」

 

 安倍総理肝いりの教育再生会議はドタバタ劇を演じいささか迷走気味だが、このSHOWYANの抜き身のフレーズに教育界が現在抱えている問題点への解答のヒントがたくさん含まれているように思えてならなかった。

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ネットで踊る上海一国二制度論に中国内紛の火種!4

 

 13日付けの東京新聞の小さな囲みだが、非常に気になる記事が載っていた。昨年末学術交流会の席上で復旦大学(上海市)の張軍・中国経済研究センター所長が「上海も香港と同じ特別行政区となるべき」と私見を述べ、その主張が中国のネット上で大きな話題をさらっているのだという。試みに「上海的“大膽”設想」つまり「上海の大胆な構想」で中国語検索をかけると10100件、「上海成為香港那樣的新特別行政區」つまり「香港のような特別区に新しく上海がなるべき」は18900件にのぼった。

 特別行政区とは中国の全国人民代表大会が制定した「特別行政区基本法」に基づき設置される「高度な自治権を有するが、外交と防衛権を有しない」行政単位であり、行政長官と立法機関(立法会)もつ。いわゆる一国二制度と呼ばれる中国独特の統治システムである。現在の中国には香港とマカオの2つの特別行政区が存在する。

 
自由主義経済を謳歌し、レッセ・フェール(自由放任・規制のない)経済の代表格であった香港が199771日中国に返還される際に、共産国家である中国の統治下でこの経済システムを許容する窮余の一策がこの一国二制度という統治システムであった。当時、一国二制度が議論され決定されていくその最中に、わたしは香港に駐在していた。そのころ日本から来られる香港投資を検討する企業人から同様の質問をよく受けた。「返還されてしまえば香港は結局のところ中国化される、つまり経済合理性の働かないビジネスフィールドになる」と、ビジネス面でのリスクが相当に高くなるのではないかとの懸念が多く示されたのであるその懸念に対して、わたしは「それはある一点の理由でありえないと断言」していたが、「もうひとつの問題が出てきた場合だけは一国二制度の存続は保障されず、葬り去られる」と説明していた。

 

その「一点の理由」とは、英中共同声明(1985年5月発行)に基づいて「返還前の諸制度を50年間変更しない」ことが確約されており、この確約が守られるかどうかが、台湾が自発的に中国へ復帰するか否かの試金石となると考えたからである。

現在、中国政府は台湾を中国の一省としており、7110月の国連総会で中華人民共和国に国連での議席を与えることを提議した第二七五八号決議案が採択されている。わが国もその翌年、日中国交正常化を行い、その日中宣言で「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」と認め、それまで国交のあった中華民国(台湾)には国交断絶を通告した。いくつかの例外国はあるものの、現在の中台問題は国際政治上では、大勢として形式的には筋の通った姿に整備されていると言ってよい。

しかし、相変わらず台湾問題は存在し内政問題という名のものとにその実質的解決は見られていない。そこで香港で始まった壮大な実験ともいえる一国二制度のシステムが有効に機能し、50年間変更せぬとの約束が守られ、その後もドラスチックな変更がなければ、台湾問題は台湾政府自身または台湾人民の意思により一国二制度前提として中国政府の下に収まる可能性が高いと判断したのである。その脈絡のなかで台湾が実質的に還ってくるまでは「大きな制度変更はありえぬ」と答えたまでである。

 

 そして「ひとつの問題が出てきた場合に一国二制度は崩れる」としたのが、実は冒頭の上海問題であった。上海は1990年当時ですら膨大な税金(上納金)を中央政府に納めていた。自らの地域で稼いだ金を自らの発展に使えぬ不満がくすぶっていた。北京政府は裕福な地域の金を内陸部など未発展地域に回すことで、沿岸地区と内陸部の経済格差を埋め、多くの農民の不満解消に努めていたのである。しかし、それから十数年の月日が過ぎ去るなかで、テレビ報道や上海の駐在員の話からも中国経済、なかんずく上海経済の発展は目覚しく、目を見張らせるものがある。当然、収奪され続けていく今の立場に上海人民の不満が鬱積するのは時間の問題であり、それを解消しようとする合法的な政治的動きが早晩出てくる可能性が10年前でも十分懸念された。それは中国にその被収奪の立場から脱することのできる統治機構が存在するからであった。

 
それが一国二制度という巧妙で老獪であるはずの中国的統治システムであった。上海が自分も特別自治区になると宣言する「上海問題」が大きくクローズアップされたとき、中国は中台問題より大きな内政問題、内紛の可能性をはらんだ火種が表に現れ出ると当時、わたしは考えた。そして、そうした事態の萌芽が表われたときには北京政府は悩むことなく即座に香港の特別行政区を廃する行動をとると考えたのである近代中国の権力闘争史のなかで上海派閥がここという政治的局面で常に重要な役回りを果たしてきたことは近代中国政治史が如実に物語っている。その上海勢力が中央政府の統制から離れて高度な自治権を持ったとしたら、中国の内政は大きな不安定要因、いや国家が空中分解する爆弾を大陸の中枢内部に抱えることになる。そうした大きな危険の道を北京政府が選択する理由などあるはずがないからである。

 
中国の中央政界では現在、江沢民前総書記につながる上海派閥を一掃する権力闘争が本格化して来ようとしている。上海市労働社会保障局の不正融資事件などに関連して、同市の最高実力者である党委員会書記陳良宇氏が解任され、同氏とつながる局長ら同市幹部の多数が拘束されたという。また一部の情報によれば、陳良宇氏と黄菊副首相の夫人も軟禁されたと伝えられた。陳良宇氏と黄菊副首相は党最高幹部の政治局員で、江沢民を中心とする上海派閥の重要人物とされている。上海派閥は明らかに息の根を止められようとしている。その最中での張軍・中国経済研究センター所長の「上海市を特別行政区へ」との発言である。私見とのことだが、ネット社会では私見であろうがなかろうが、張軍氏が撒いた火種は燎原の火のように中国全土を瞬時に駆け巡り、内陸農村部で頻発していると伝えられる数万件もの暴動に新たな不満の油を注ぐことになるのではないか。


今年は香港返還からちょうど10年目にあたるが、上海の火種は思ったよりも相当早く中国という大国を政治的猛火の中へと投じるのではなかろうか。そのひとつの危険な兆候が今回の上海の
復旦大学中国経済研究センター所長・張軍氏の挑戦的な発言であると思えてならないのである。

10年前には想像もできなかった広範囲に発達したインターネットという情報手段で、わが国の25倍の国土面積と10倍の人口を誇る大国は情報操作という国家統制システムの限界をすでに露呈し始めている。もし本件でひそかに情報管理がなされているとしても、冒頭の検索件数は1万件から2万件にのぼっており、どんなに黙らせようとしても人の口に戸は立てられないことは明白だからである。

 

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NHK受信料支払義務化報道のピントはずれ3

 

 

 大手新聞各紙は、11日、「総務省がNHKに対し受信料を2割程度下げるよう要請したうえで、政府は125日召集予定の第166回通常国会に08年度から受信料支払いを義務化する放送法改正案を提出する見込みである」と報じた。大手メディアがこの改正案の意味合いを「義務化」にウェイトを置き報道をしていることに、わたしは報道という民主主義のインフラへのこの国の基本的な向き合い方に対する疑念と一抹の不安を覚えた。

なぜなら、今次改正案の法案提出の経緯を見ると、公共放送のあり方という民主主義の根幹にかかわるインフラの維持と充実という本質的議論がなされぬまま作成、提出されたものであり、国民的要請として放送法の改正整備がなされたわけではないからである。受信料不払いによる経営基盤の崩壊におびえたNHK経営陣が政府にすがって今回の改正案が作成されたその法案の出自のあり方に大きな懸念を有するのである。それは公共放送の使命であり、存在意義である「権力との適切な距離間」という公正さを保てなくなる、将来、NHKが権力に手繰り寄せられていく弱みをこの一件で作ってしまうのではないかという点にある。

 

 そもそもこの改正案を論じるのに「受信料支払の義務化」という報じ方に、現在のメディアがもつ報道機関の存在意義の考え方が表れているようでならない。それは、義務化については昭和25年に制定されその後、幾多の改正を経てきた現在の放送法において、第2章「日本放送協会」の第32「受信契約及び受信料」で支払の義務化は明確に謳われているはずだからである。その条文には次のようにある。

 

協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(中略)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。2項 協会は、あらかじめ総務大臣の認可を受けた基準によるのでなければ、前項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信料を免除してはならない」と規定されている。

 

つまりNHKを受信できる設備(テレビ)を設置した者に対し、日本放送協会(NHK)は「受信料を免除してはならない」ことを定めている。換言すれば、テレビを設置した者はNHKを観ようが観まいがNHKと受診契約を締結し受信料を支払わねばならぬと言っているのである。これはまさに支払の義務化以外の何ものでもない。

あえて今回、大手メディアが義務化と表現するのは、昭和55年10月21日に開催された参議院逓信委員会における中村鋭一委員の「受信料義務化」に関する質問に対し、時の郵政省電波監理局長が「NHKの受信を目的としないもの及びラジオについては免除する」と答弁した事実を念頭に置いたものと推測されるが、昭和25年当時に但し書きされた「放送の受信を目的としない受信設備」という文言が「NHKを観ない」と強弁する人々の支払い拒否の根拠となっていることは確かである。その意味では今回の法改正でNHKの受信料の義務化を明確にすることの意味はないわけではない。

 

しかしそのこと自体だけを取り上げるのであれば、今次改正案は放送法が昭和25年に制定されたそもそもの精神からすれば、受信料徴収についての紛らわしい表現を明快にするだけに過ぎないということになる。

 

 それでは、今日、ただそれだけのために放送法の改正法案が提出されようとしているのだろうか。現在の放送法には条文を見れば分かるように不払いの場合のペナルティー規定がない。「支払義務はある」が、不払いの場合の「罰則がない」のである。改正案の中身が明示されていない現在、憶測の域をでぬが、当然「強制力をもった義務化」ということでなければわざわざ改正する必要はない。受信料の徴収に際し、受信料不払い者に対する割増金加算といった罰則規定等を備えた強制力が持たされることになろう。

 

因みにNHKを語るときよく引き合いに出される英国放送協会(BBC)の受信料制度は「まずテレビやビデオデッキなどを購入する際には許可証を購入しなければならぬ。そして、視聴者は郵便局で毎年、1年間有効の受信許可証を買わねばならぬ。許可証の未購入者には最高1000ポンドの罰金を課す」という罰則規定のある「TVライセンス制度」となっている。

 

周知のとおりNHKは昨年4月に発覚したチーフプロデューサーのカラ出張による1760万円余の着服事件などとどまるところを知らぬ不祥事の連鎖で国民の怒りを買い、受信料の不払い件数が急増した。NHKはカラ出張事件を契機に、昨年末に過去7年間の全部局の経理書類チェックした。その結果、不適切な経理処理が1063件、過払い経費が1137万円にのぼり、その関係者の処分を行なった旨公表した。NHKの内部監査体制がずさんで甘きに過ぎたことが、この驚くべき数字からでも一目瞭然にして分かる。そのことにわたしを含め国民が大きな憤りを覚え、許せぬと感じたのは当然のことである。

現実に不払い件数はピーク時より減少したとはいえ、200611月末でも約104万件(速報値)と100万件台にあり10万件にも満たなかった20049月時点の不払い件数からは大きく増加し、高止まりしたままである。

 

そうした事態のなかで今回の法改正の狙いが、NHKすなわち公共放送の経営の屋台骨を揺るがす受信料不払いの影響が看過できぬ局面にきており、その早急な修復と安定化を図らんとするものであることは衆目の一致するところであろう。

 

もちろん法律改正による受信料徴収強制化の前に、NHK自身がこれまでの膿みを出し尽くし内部体制の改善・整備・強化を急がねばならぬことは言うまでもない。コーポレートガバナンス(企業統治)の強化やコンプライアンス(法令順守)の徹底などやるべきことは早急にやらねばならぬことは当然であり、役職員一体となった意識改革が必須であることは言を待たない。その内部改善がなされることを当然の大前提としたうえで、あらためてわれわれは公共放送を持つ意味は何かを考えて見なければならない。

 

言うまでもなくNHKは国営放送ではない。また半官半民の放送事業者でもない。国の出資や特定の出資は一切受けておらず、財源を受信者が直接負担する受信料に負っている。国家から財源は独立性を保っているのである。毎年の収支予算、事業計画および資金計画も、国民の代表で構成される国会の承認を受けることになっており、煎じ詰めれば国民が公共放送を経営する仕組みとなっている。要すれば国民が支える公共放送は健全な民主主義を担保する重要なインフラのひとつなのである。

 

受信料と放送法改正の問題を語るうえで、われわれはこの意味を殊のほか重く受け止めねばならない。NHKは「われわれ国民の国民による国民のため」の放送事業者すなわち国民が運営管理する報道機関であることをわれわれはもっと強烈に意識し、その運営責任について自覚せねばならぬことを肝に銘ずべきである。

 

 こう考えたとき、今回の政府の力を借り依存する形で受信料徴収の強制化法案が提出されたことと、それを良しとするNHKの経営委員会並びに橋本会長以下執行機関の面々は、公共放送は「時々の政府、権力からの距離感を一定に保つべきである」という原点に照らし、あまりにも軽薄かつ緊張感に欠けた対応であると言わざるを得ない。すなわちNHK経営陣にとどまらず職員を含めた組織全体が自らに課された使命と誰のためにNHKがあるのかという原点について当然の認識を欠き、政府に受信料徴収の安定化を依存し一安心している不甲斐ない様を見ることは哀しく、不安である。その一方で、大手メディアや国民の今回の放送法改正に至るまでの一連の対応とピントのずれ方は、民主主義を担保する重要なインフラである公共放送を国民自らが捨て去ろうとしているように思えてならないのである。

 

 イギリスのBBCは第二次世界大戦の間、英国軍を決して「わが軍」とは呼ばぬ客観的・公正な報道に努めたと言われる。時の権力からある一定の距離を保った健全な報道機関を国家の主権を持つ国民が自らの手で有する意味と意義は、民主主義を健全に運営するうえで、とてつもなく大きいことをわれわれはもっと学ばなければならない。

 

 その意味において今回の受信料不払いに端を発した放送法改正案の提出に至った経緯はNHK、公共放送の独立性を保っていくうえで、大きな分岐点に立たされているのだと言わざるを得ない。そもそもNHK自体の不祥事の多発にこの事態を招いた原因があることは言うまでもないが、それ以上にこの法案提出に至る背景により公共放送がキム・ジョンイルの国営放送に近づいていく、変質していくことの方が、わたしにはとてつもなくこわいことに思えるのである。われわれは一時の感情、受信料不払いという鬱憤晴らしで、自らの目と耳と口を塞ぎ、失ってはならない。目下、このPJニュースやオーマイニュースジャパンなど草の根メディアが産声を上げ、徐々にではあるがそのフィールドを広げている。しかし、NHKという最も大きな報道機関を今現在、国民自らが手放す理屈はないはずである。客観的で公正な報道機関はいくつあってもよい。そしてパブリックの声が自らの手で自由に発信でき、それが大きな影響力を獲得する環境が少なくとも整うまでは、公共放送を国民自らの手で自発的に受信料を支払い、支え続けねばならぬと放送法改正案の次期国会提出との報道を受けてその思いを強くしたところである。



知れば知るほど都知事は言いたい放題!4

 

 昨年12月14日、都自民党の高島直樹政調会長の祝賀会において石原都知事が挨拶した「いじめ云々」の正確な発言内容が19日付けの朝日新聞東京版に載っていることをある方から教えられた。その内容の一部は以下の通りだが、この発言主が一千二百万人都市の首長とはとても思えぬのだが、その品のなさには呆れるばかりであるがそれは横に置いとくとしても、現在、自分の置かれている立場がまったく分かっていないことに、心底、愕然とした。そしてこのような首長を地方行政府の長として戴いていることを心の底から、恥じた。

 

「私いま、共産党にあることないこと言われ続けて、頭きちゃうんだけど。敵だからしょうがないんだけどね。これに便乗してメディアが、わけのわからんこと言って、あんまり愉快じゃないんですが。いじめられていますが、決して自殺しませんから」

 

 この方の話はよく切り分けて熟読玩味しないと、何のことやらよく分からないことが多い。いつぞやの「余人に代え難い」四男氏の件も、当初の記者会見での発言はその文脈から通常に理解すれば、その作品を描ける芸術家として「余人」がいないとわたしは解した。しかしその後出演したテレビでの説明では、無償で作品を書いてくれる人がなかなかいないという意味で申し上げたのであり、誤解を生んでしまったと発言された。無償で作品を書いてくれる人は、芸術を志す若者いや人々のなかにはその気で募集すればわたしはいくらでもいると思うのだが・・。言葉に命を削るはずの文学者でもある石原氏にとって「余人に代え難い」という日本語は適切には使いづらい言葉らしい。

 

それはさておき引用した都知事発言に戻ると、ゞ産党は(私のことで)あることないこと言い続けている、∋笋療┐篭産党である(共産党の敵も私)、だから(共産党に)いわれても仕方がない、い靴し、それに便乗してメディアがわけのわからないことを言っている、セ笋蓮丙)、愉快じゃない、Α覆錣韻里錣らないことで)いじめられているが、(私は今、方々で起きているような)自殺(など)は決してしないと、六点に言いたいことを整理できる。

 

いやはやわかりづらいと言おうか、もう少し頭のなかを整理してから発言していただきたいものである。そしてこう整理してみると、この発言については幾つかお答えいただかねばならぬ重要な点、石原慎太郎氏が不用意に本音を洩らしたからこそご説明いただかねばならぬ点が存在するのである。

 

第一点目は共産党が問題として取り上げたことで「あることないこと」があると知事は認めた。「あることないこと」とは換言すると「本当と嘘」ということである。問題とされた超豪華出張や四男の問題で本当の部分はどの点だと認識したのか明快に説明して欲しい。

第二点目は「(あることないことを言う共産党に)便乗してメディアがわけのわからないことを言っている」とは、次々に噴出してきた夫人・息子絡みの公私混同問題、三男の政治資金疑惑などを指したものだと思うが、そのどこが「わけのわからぬこと」なのかを、きれいに切り分けて都民に明快な言葉で語って欲しい。

第三点目は公的立場にある人間がやった不透明・不適切な行為だとわれわれが感じ、その疑問について答えて下さいという行為を、なぜ「弱いものを苦しめる」同義語である「いじめ」と表現するのか、その日本語力の貧困さには唖然とする。またその後に続く「自殺はしませんから」との言葉に含まれる当事者の心の傷みへの配慮すらない痩せこけた精神に対しては、わたしは救いがたい怒りを覚える。到底、人の上に立つ為政者の口から発された言葉だとは信じられぬからである。

 

知れば知るほどこの石原慎太郎という人物は、驚くほど言いたい放題のことを言っているのである。それこそわけのわからぬことを言っているのは知事自身であり、「あることないこと」を都民にわかるように「実際にあったこと」と「なかったこと」を整理して、説明すべきときに来ていると思うが、いかがか!

 

「すっきりわかれば、誰も便乗してわけのわからぬことなど言わぬ」、そんな簡単なことすら石原都知事はわからぬようである。



 

「私もいじめられています」、都知事発言は都民を愚弄!4

 

 石原慎太郎東京都知事が「私も最近、いじめられていますが・・・」と折に触れてつぶやいていることが、大晦日の東京新聞に載った。

 

 昨年11月に共産党都議団により「超豪華海外出張の浪費の実態について」という文書の公表にはじまり、「余人に代え難い」四男が関与する都の文化振興施策「トーキョーワンダーサイト」事業や、都知事と三男宏高衆院議員が水谷建設元会長等から受領したとされる政治資金収支報告書未記載の資金提供疑惑など石原知事をめぐっては都政私物化や資金受領疑惑などの問題が一挙に噴き出してきた感がある。

 

しかしこの問題にはなぜか大手メディアは腰が引けて、記事に取り上げるにしても犬の遠吠えのようでどこか恐る々々報じているように思えてならない。こうした状況のなかで12月17日のフジTV放送の情報番組「スタメン」に石原知事が出演した。そのとき爆笑問題の太田光のいつもの口を尖らせた生意気さは影を潜め、ほかの出演者も各種疑惑を問いただすどころか、都知事に一方的に弁明の機会のみ与えてしまった。そのことに対して番組放映直後からネット上ではさまざまな批判がなされたが、そのことが大手メディアで大きく報じられることはなかったのである。

 

 また都庁における定例記者会見でも都合の悪い質問には、都知事が恫喝するように声を荒げる場面が目立つ。そしてこの大晦日の東京新聞の記事を目にして、誰が石原都知事をいじめているのかと首を傾げざるをえなかった。仮にも都知事は文学者ということになっている。言葉に対しては政治家の命である以上に、こだわりと矜持を有しているはずである。いじめとは「弱いものを苦しめる」ことをいうことは、私ごときがお教えするまでもない。先刻ご承知のことで、ちょっとした軽口であったのだろう。

 

 しかしその軽口こそ石原都知事が今置かれているご自身の立場が分かっていない証左であると言わざるをえない。都民は今まで報じられているさまざまな疑惑について、都知事自身の口からちゃんとした説明をまじめに聞きたいのである。石原慎太郎氏は間違ってもおちゃらけや軽口でこの問題をうやむやにすることなどあってはならぬことを知るべきである。問い詰められて都合が悪くなると突然、政治家から文化人の顔に変わるなどもってのほかである。取沙汰されている都政の不透明さは政治家石原慎太郎としての所業についてのものだからである。政治家として都民の納得のいくように説明責任を果たすべきである。

 

 なぜ04年6月の8泊10日のレッドウッド国立公園やグランドキャニオン視察など米国出張に夫人を同伴し、宿泊費、ファーストクラスの飛行機代が都民の税金から払われる必要があったのか。共産党都議団作成の資料にはその出張目的として「都立自然公園の適正利用に関する新たな仕組みを検討するため」とある。夫人がその目的のためになぜ同伴せねばならぬのか、「公園の適正利用」よりも「税金の適正利用」について明快な説明が欲しい。

年末22日に突然、スポークスマンを設けたが、一連の問題については知事自身の口でその説明をすべきである。これは知事の「都税の私的使用」つまり事の次第では「公金横領」に当たる問題であるからである。まかり間違ってもご自身の身の潔白を晴らすのに、税金で雇われている「スポークスマン」を都政以外の仕事で使ってならぬことは十分お分かりのはずである。文学者として十分な日本語力をお持ちの方であるのだから尚更のことである。


金子兜太に聴き入る子らに命の輝き3

 

 

 年末、NHKで放映された「課外授業ようこそ先輩スペシャル」を観た。埼玉県秩父の皆野(みなの)小学校を87歳になる俳人金子兜太氏が訪れ、75歳年下の後輩たちに俳句を通じ「命」の大切さを熱っぽく訴えた。

川原へ子供たちを連れ出し、そこで踊りながら民謡を唄わせ、その歌詞のひと言ひと言が「七、七、五」からなっていることを巧まずして教えていた。そのリズムの良さとわれわれ日本人のなかにそのリズムがDNAとして流れていることを自然と体感で教える、その姿に「師」の真髄を見たような気になった。

 

画面は一転して俳句を子供たちに詠ませながら自由に講評させる教室内の光景に移った。季語などと難しいことは言わず、子供たちに自分の一番大切なものを「五、七、五」のリズムで自由に詠わせた。

「おじいさん病気になってもスーパーマン」「ばんそうこう形やがらに個性あり」「色えんぴつよく使ってるから小さいよ」などなど。そのなかに「美野山が笑っているよ正月だ」という兜太氏の句もこっそりと紛れ込まされていた。子供たちは同氏の句を評して「作った感じがする」「頭のなかで考えたようだ」と、現代俳句界の異才に容赦のない辛口の寸評を下した。同氏のいつもの激越な舌鋒も影を潜め、目には郷土の後輩たちに対する慈愛の光が灯っていた。

 

 そして兜太氏は先刻行った川や山にいる魚や小さな虫など、自然はすべてに「命」があることを語った。その小さな命を体でしっかりと抱きしめなさい、実際に抱き合ってみてごらんと子供たちに勧めた。そうして初めていろいろなものの命を体感できるのだと熱っぽく語った。87歳になる兜太氏の口元を12歳の子供たちは食い入るように見つめていた。たくさんの小さな瞳が命の輝きを放っていた。久しぶりに目にした子供の瞳の輝きであった。わたしも兜太氏の言葉に、命を抱きしめ体感することの大切さを久しく忘れていたことに気づかされた。

 

 京都の清水寺恒例の2006年の漢字一文字は「命」であった。今年ほど「命」の言葉が世の中で叫ばれた年もなかった。メディアのなかで、学校のなかで、国会のなかで、キャスターや教育コメンテーター、政治家に、果てはバラエティー番組の出演者たちまでが「命」、「命」の大合唱であった。しかし、なぜかその多くの声はむなしく、わたしには空々しく聴こえた。

俳人金子兜太氏の言葉に真剣に耳を傾ける子供たちの姿と瞳の輝きを見て、むなしさを感じた原因が「命を語る」人の実感からではなく「頭のなかで考えた理屈」で「命の大切さ」を訴えることの空々しさにあることに気づいたのである。

宮沢りえ・藤原竜也主演「ロープ」とフセイン処刑3

 AP通信より「イラク高等法廷の判事は29日、元大統領サダム・フセインが遅くとも30日までに処刑されると語った」ことが、伝えられた。

 

一週間前に宮沢りえ、藤原達也主演の「ロープ」(NODA・MAP第12回公演 渋谷シアターコクーン)を観劇した。プロレスに題材を借りて人間のもつ暴力性や社会の熱狂のなかで暴力が過激化、果ては熱気と狂気の境も分からなくなり戦争へと向かっていく怖さが描かれていた。野田秀樹にしては非常にメッセージ性の強い仕上がりとなっていた。

 

前半のプロレスと日常性のなかに潜む暴力とのコメディータッチの掛け合いから劇の終盤に向けてテーマの重さが明らかになっていくにつれ、観客は心をわしづかみにされ舞台上の宮沢りえ演じる実況アナウンサーの迫真の演技に惹きつけられていく。そして満員の観客席は、笑い声はもちろん寂として声のない状態が30分間は続き、静かに幕が下りる。

 

世にコントロールの効く暴力と効かない暴力がもしあるとすれば、後者の代表が戦争であり、その究極の状況のなかで人間はエスカレートしてゆく狂気という日常をいつしか当たり前のように受け入れていく。

「ロープ」を観終わったあと、戦争というものが最初はゲーム感覚のようにしてささいな暴力のジャブから始まっていく怖さと、より過激で残虐なものを求めていく人間の業にむなしさを感じ、なぜか涙を止めることができなかった。

 

その後、時を経ずしてフセイン元大統領の処刑が行われるというニュースに触れ、イラクで今後さらに過激さを増し繰り返されていくであろうシーア派とスンニ派の凄惨な報復劇を思った。

「目には目を、歯には歯を」というあまりにも有名な言葉はハンムラビ法典196条にあるが、旧約聖書出エジプト記21章にも同じ文言がある。

そのどちらも意味するところはやったらやりかえすという「報復」の勧(すす)めではなく、「相手を害したときは損なったものと同じだけのもので償わねばならぬ」とする「償い」の教えなのだという。

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