彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

December 2006

もう年賀状が来ちゃったぞ!4

もう年賀状が来ちゃったぞ!

 

 きょうは毎年恒例の年越し蕎麦の会がある。その夜の会を楽しみに出社した。決裁箱の書類を整理していたら、稟議書の間から一枚の葉書が出てきた。

 

何と年賀状である。裏面を見れば「迎春」、「平成十九年元旦」とあった。

 

 日本郵政公社は27日、公社になって二年目の「第2期中期経営目標・計画」を菅総務大臣に提出、認可申請を行なった。

そこに記載された経営目標のなかに、「経営の健全性の確保」など四つの柱となる取り組みが謳われている。その取り組みのひとつに「サービス水準の維持及び向上」という項目がある。そして具体的取り組み内容として「お客さま満足度の向上」が掲げられており、そのタイトルの下には「郵便物の確実な送達」を行なうと記されていた。

 

年賀状の誤配があったのは「郵便物の確実な送達」を謳った翌日の出来事である。

 

 それにしても今年は陰惨な事件や悲しい事故が多すぎた。眉間に皺を寄せてばかりの一年間であったと言ってよい。年末に来てこの程度のことで目くじらを立て、理屈を押し立てることもあるまい。そんな杓子定規にものを見ることばかりせず、少し心に余裕を持って視点を変えてみよう。

 

そうだ! 他の誰よりもちょっとだけ早く自分にお正月を届けてくれたのだ、そう思えばいいんだ。そう考えたとき、すこし得をした気分になってきた。そして眉間の皺も自然とほぐれ、口元に笑みが洩れてきた。

 

このすこしせっかちな年賀状に目を通しながら、来年こそは気持ちに余裕の持てる、笑みのこぼれる年であって欲しいと、心からお祈りをしたところである。

 

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松下電器欠陥石油温風機回収、「時は金なり」?2

松下電器欠陥石油温風機回収、「時は金なり」?

 

 松下電器産業の欠陥FF式石油温風機の回収が、経済産業省の「緊急回収命令の発動」から1年経って、まだ全体の3割にあたる4万台が未回収であるとして、同社に対してさらに回収を急ぐよう指導したと、お昼のNHKニュースが伝えた。正直、ほとんど終わった話だと思っていたので、同社のリコール対応のあり方に強い関心をもった。

 

 この石油温風機は1985年から1992年までの間に製造されたもので、平成17年1月、2月、4月に合計3件の一酸化炭素による中毒事故が発生(内1件は1名死亡)、経産省の指示により4月21日、同社は社告を行ったうえでリコールを開始した。しかし、11月に4件目の事故が発生、同月29日付で消費生活用製品安全法第82条の規定に基づき、該当する製品の回収又は点検及び改修、危険性の周知等必要な措置をとるよう同省の「緊急命令」を発動されたものである。

 

 その時点での対象製品の販売台数は152,132台である。そのうち措置済み台数は55,499台(回収率36%)、未対応のものが96,633台であった。今日のニュースによれば、この一年間で56千台が回収され、まだ4万台が未回収ということである。当該製品の発売時期から推測して、最も新しい製品でもすでに14年、古いものは21年の年数が経過しており、既に廃棄処分されているものも相当数あるのかも知れぬ。しかし事故が起きれば死亡事故につながる欠陥を抱えた製品である。最悪の場合、まだ4万台もの危険な石油温風機が一般家庭等で使用されていると想像すると、一日も早い回収に尽力すべきである。

 

 この一年間の松下電器の対応を見ていると、同社が人命にかかわる重要性をどの程度認識しているのか分かりかねるところがある。現在、この欠陥温風機の回収に際し、引き取り代金5万円を渡すと、同社のHPに記載されている。わたしはこれを見て、同社の危機管理に首を捻らざるをえないのである。もし、不幸にもまた死亡事故でも起きれば、同社のこれまでのリコール対応の遅さは大きく批判され、それによる企業イメージの悪化は計り知れないものがある。そう考えれば一刻も早い製品回収を望むのは、同社の人間もおそらく同様であろう。

 

 わたしが松下電器の人間であれば、企業の人命重視の姿勢、危機管理の観点からも、早期回収策として引き取り代金の大幅引き上げを提案する。たとえば「1台当り30万円を支払う」と言えば、不謹慎かも知れぬがちょっとした臨時収入である。わたしは早速に物置や押入れその他考えつくあらゆる場所を探すこと請け合いである。30万円×4万台=120億円。最大で120億円の負担で松下電器は人命重視の姿勢や企業の危機管理のあり方を世にアピールでき、しっかりとしたコーポレートガバナンスを示す絶好の機会を得ることができるとも言える。

 

05年度の同社の売上高は88,943億円、税引き前利益は3,713億円である。また広告宣伝費としてトヨタの1,029億円に次ぎ日本第2位の792億円もの巨額の金額を計上している。その同社にとって、120億円という数字は決して大き過ぎることはないと考える。さらに一台50万円として200億円。この金額でも大「松下電器産業」の人命重視の姿勢をアピールする数字としては決して高くはないと思うが、経営陣はいかがお考えであろうか。危機の時間を金で買う、まさに「時は金なり」である。

 

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日興粉飾決算に何故、検察は動かぬ!5

日興コーディアルグループは25日、有村純一社長と金子昌資会長が引責辞任し、桑島正治取締役が新社長に就任(26日付け)するとようやく発表した。

 

「1人の社員による過失と隠蔽」と釈明し、トップが頬かむりを決めこむ同グループの対応に、22日、山本有二金融担当相が「辞任、解任ということがあり得る」と経営陣の責任に言及したことが、この決断の決め手となったと思われる。それにしてもトップの判断としてはあまりに遅きに失したと言わざるをえない。

 

しかし、この事件は、わたしはこの日興の有価証券虚偽記載を敢えて事件と呼ぶが、経営陣の退陣で終わらせる話ではそもそもないはずである。直近におきたカネボウやライブドアの粉飾事件における検察の対応と今回の事件に対する取り扱いに大きな差異があることに合理的理由が認められないからである。

 

ライブドアは今年1月、証券取引法の容疑により堀江氏の自宅やライブドア本社など東京地検の家宅捜索に始まり、一週間後には堀江貴文社長(当時)ら4名が逮捕され、それからおよそ2ヵ月後に証券取引等監視委員会が証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で東京地検特捜部に告発した。そして周知のごとく、現在、世間の注目を浴びた裁判が進行中である。

 

またカネボウ事件については産業再生機構の手による再建が図られるなかで、昨年7月、帆足隆元社長、宮原卓元副社長らが逮捕され、今年の3月、「証券取引市場の信頼を著しく失墜させた悪質な犯行」として、帆足被告に懲役2年、執行猶予3年、宮原元被告に懲役1年6月、執行猶予3年の判決が下り、確定した。

 

社会的に大きな影響をおよぼしたカネボウの粉飾決算やライブドア事件を契機に今年6月には「証券取引法」の一部が改正され、有価証券報告書等開示書類の虚偽記載の罰則が強化され、従来の「5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金」から「10年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金」に刑罰が引き上げられた。まさに日興で粉飾の噂が取りざたされているなかでの罰則強化であった。日興の粉飾については昨年12月頃からすでに日経新聞、東京新聞などで連結はずしの決算疑惑が報じられ、今年3月には国会でも民主党により取り上げられた。

 

資本市場の重要な一翼を担う日興コーディアルグループがその罰則強化の動きや意図を知らぬはずもなく、その間に有価証券虚偽記載に手を染め、隠蔽していたことの罪は、一事業会社が犯した罪とはその重みにおいて大きく異なると断じざるをえない。

 

そう考えたとき、同じ粉飾決算の事件でありながら検察の対応にこうした違いがあるのはどうしたことであろうか。目立ち過ぎのヒルズ族に対する頂門の一針として堀江貴文被告の逮捕があるとしたら・・・。そんなことがあるはずはない。であれば、日興事件も当然、次の展開があってしかるべきである。

日興コーディアルグループの不正会計とホリエモン3

日興コーディアルグループの不正会計とホリエモン

 

証券取引等監視委員会は18日、(株)日興コーディアルグループ【取締役(議長)金子昌資】に対して課徴金5億円の支払いを命じるよう監督官庁である金融庁に勧告した。同グループは平成17年3月期連結決算で利益水増し(連結経常利益590億円→777億円)を行い、同年11月に一般募集による社債発行(500億円)を行なったことが、証券取引法第172条第1項に規定する「重要事項の虚偽記載がある開示書類に基づく募集により有価証券を取得させた行為」に該当するとされた。

 

その同じ日に同グループは平成17年3月期の連結決算に係る有価証券報告書の訂正を決定、発表した。記者会見には杉岡広昭副社長以下幹部が出席、1年半前に確定したはずの決算の唐突な訂正の理由を「昨年末から社内調査を進めたが最近、子会社の日興プリンシパル・インベストメンツの担当社員が不適切な手続き(利益水増し)をしたうえ事実を隠していたことが発覚した」と説明した。さらにその決算操作は「一社員がミスを隠すため書類を偽造したため」であり、「結果的に(グループ連結決算が)膨らんだ利益を計上した」もので、「意図的な利益の水増し」や「組織ぐるみ」ではないと弁解した。

一部上場会社の有価証券報告書に記載された経常利益など最も重要な数字がたった「1人の社員による過失と隠蔽(いんぺい)」によって大きく異なり、誤った決算となったと弁明したのである。

 

 傘下に日興コーディアル証券(従業員数6969人)、日興シティグループ証券(同1600人)等を抱える国内三大証券の一角を担うグループの連結決算がただ一人の平担当者の過ちで187億円もの水増し決算になってしまったと言うのであれば、この会社の決算手続き決裁、内部管理体制そして会計監査を担当した旧中央青山監査法人(現みすず監査法人)のコンプライアンス体制はどうなっていたのか、その目は大きな節穴であったと言わざるをえない。

しかし、どう考えても一担当者の過ちで起こった誤りというには金額の大きさと誤った決算後に図ったようなタイミングで資金調達を行ったという経緯に不自然さを覚えてしまう。常識的には考えづらいと言う方が、大方の理解を得られるのではなかろうか。

 

 東京証券取引所は最近、その上場規程(「上場有価証券の発行者の会社情報の適時開示等に関する規則」)を改正し、平成171月1日以後に決算期を迎える会社はその有価証券報告書及び半期報告書について代表者が署名した「不実の記載がないと認識している旨及びその理由を記載した書面」いわゆる「確認書」の提出することを求めることとなった。

 

 その改正を受けて日興コーディアルグループも今回の訂正決算期に該当する173月期決算において、有村純一代表執行役社長直筆の署名がなされた確認書が624付けで提出されている。その文面のなかには、財務諸表等が適正に作成されるための社内体制が有効に機能していることをディスクロージャー委員会からの報告を含め、確認したとして以下の3点を記載している。

(1)財務諸表の作成に当たって、その分担と責任部署が明確化されており、各責任部署において適切な業務体制が構築されていること。

(2)当該業務体制について、内部監査部による適正性の監査が実施され、監査結果は経営陣および監査委員会へ報告される体制となっていること。

(3)全ての重要な経営情報については、経営陣へ適切に報告される体制となっていること。

 

 再度述べるが、財務諸表を作成する社内体制は完璧であり、重要情報は経営陣に適切に報告されていると太鼓判を押す文書には有村社長が直筆でサインをしているのである。

 

 証券市場の運営者である東京証券取引所とともに、日興コーディアルグループは野村HD、大和SMBCとともに日本の証券市場の健全なる育成に主たるプレーヤーとしての重責を負っている。そのプレーヤーが己の有価証券報告書で「不実の記載がない」とした社長署名の「確認書」が、事実と大きく異なっていた意味合いは、例えば一般事業会社のカネボウやライブドアの粉飾決算あるいは疑惑とは違った意味で、その負うべき社会的責任と及ぼす影響はより大きいと言わざるをえない。

 

 平成18年度6月7日に成立をみた「証券取引法の一部改正」により、有価証券報告書等開示書類の虚偽記載及び不公正取引の罰則が強化された。従来の「5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金又は伴科(法人両罰5億円以下)」から「10年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金又は伴科(法人両罰7億円以下)」に引き上げられた。

 

 そうしたより透明性を求める環境のなかでの、証券市場を引っ張っていかねばならぬ、模範を示さねばならぬ側の開示情報の虚偽記載である。一個人の過ちであるとする説明を額面通りに受けとるとしても、その犯した過ちは一事業会社が行ったこととは自ずからその意味合いは異なる。また万が一、一部でも組織ぐるみ的な要素があれば、今回のようなトップは減俸のみで、担当取締役のみ退任といった対応ですむ話では到底ない。

 

何せ日本中の耳目をそばだたせたホリエモン事件こそ経常赤字であった決算を50億円余の黒字であるとした有価証券報告書の虚偽記載の証券取引法違反でいままさに係争を行っているのであるから。範を垂れるべき証券市場仲介業の日興コーディアルグループは187億円もの水増し粉飾であるとされている。

 

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出生率1.26で百年前に逆戻り?

出生率1.26で百年前に逆戻り?

20日、国立社会保障・人口問題研究所は2055年にはわが国の合計特殊出生率は1.26、推計人口は8,993万人になると発表した。

 

合計特殊出生率という用語は2004年の年金国会の際に、広く人口に膾炙(かいしゃ)した。出生率が1.322002年実績)から50年後の1.39に回復することを前提に年金財政を試算し、年金改革法は議論され、そして採択された。その直後に03年実績が1.29と公表されたことで、法案の大前提となる出生率の推定値に早々と疑問符が打たれ「法案の白紙撤回」など大騒ぎになったことはまだわれわれの記憶に新しい。

 

今回の推定値は5年ぶりに更新されたものだが、05年実績の1.260から06年は一旦1.29へ上昇するが、下落傾向に歯止めはかからず2013年に1.21と底を打つ。その後上昇に転じるもののその歩みは遅々として進まず、ちょうど50年後の2055年は1.264と今とほとんど横ばいの数字に止まる。

 

合計特殊出生率は年金財政を語るときにその数字抜きに議論を交わすことはできぬが、それ以上にわれわれが深刻に考えねばならぬのが、人口の絶対数の減少である。50年後の2055年の推定人口8,993万人は奇妙にも今からちょうど50年前の1955年の人口9,008万人とほぼ同規模となっていることに気づく。

 

戦後初めての減少を示した05年の人口は1億2,776万人である。そのことは、昨年末、少子化の影響として大きく報道された。そして今回の発表によりその傾向は加速化することはあれ改善することはなく、この国は人口減少という坂道を転がり落ち、50年後には現在のちょうど50年前と同規模すなわち今の7割の人口規模へと縮小する。

 

いまから50年前と言えば「もはや戦後ではない」と経済白書で高らかに戦後復興期からの脱却を宣言し、高度成長へと舵取りを変えていった転換点であった。三種の神器といわれた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫がまだ一般家庭では高嶺の花であった時代である。もちろん自家用車などは夢のまた夢、高速道路などは日本中に影も形もない時代であった。

 

この国は2005年を分水嶺とした百年間で人口が増えて、減ってチャラということになる。この意味をどう捉え、このことがどうわが国の将来に影響を及ぼすのか腰を落ち着けてよく考えて見なければならない。大幅な人口減少は年金財政だけが悪化するのではなく、肥大化したこの国の図体(ずうたい)を支える力が弱まるということを知らねばならぬ。具体的にそうした問題を個々に想定し、的確に対応策を講じていかねばこの国は成人病から死への道を確実に歩んでいくことになる。

 

ちなみに平成16年の日本の道路総延長は1,247,880劼砲よぶ。これは千人当たり9.8劼瞭始をこの国は整備していることをあらわす。50年後の推定人口でこれ以上道路延長がないとして試算すると13.9劼箸覆襦このことを社会資本整備が充実したと評価すべきではない。道路を常に通行可能にしておくには維持補修は定期的に行わねばならぬ。その道路管理費は元道路公団で年間3800億円、首都高で840億円もの金額を要し、全国一般道の補修工事費になればコストは膨大である。人口減による50年後の一人当たりの管理コストは1.4倍になってかぶさってくる計算になる。

「百年前に逆戻り」であればまだ救いはあるが、その百年間で身についた無駄な脂肪が人口減少という動脈硬化で心臓に大きな負担をかけたままでは、この国の未来はないと思わねばならない。

 

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今年の漢字『命』が泣いていた5

今年も歳末恒例となっている、一年の世相を表わす「今年の漢字」に「命」という字が選ばれた。京都の清水寺で、森清範(せいはん)貫主が特大の色紙に揮毫(きごう)する姿がテレビ映像で流された。たっぷりと墨を含ませた巨大な筆で、ゆったりと「いのち」の漢字が描かれた。その「線」は生命の重みを思わせる重量感にあふれそしてそのふくよかな極太の線は命の温もりを表わしているように見えた。この一年を総括したまさに正鵠(せいこく)を射た漢字であると感心した。

 

今年は小学生や中学生の学校内でのいじめに起因する年少者の自殺や、親が子を、子が親を殺害するという家庭内での傷ましい事件または幼い命が犠牲になるなど飲酒運転による悲惨な事故が多発した。海外でもイラクをはじめとする中東で頻発する自爆テロなどこの一年で日本を問わず世界中で不条理に奪われ、失われた「命」は数知れず、その軽んじられた「命」の数は枚挙に暇がない。

 

その一方で皇室では41年ぶりの皇族男子となられる悠仁さまという新しい「命」のご誕生という国民的な慶事もあった。

 

森貫主が渾身をこめて「命」の字を書き終えたあと、その「命」と描かれた墨痕(ぼっこん)という墨痕からまるで涙が流れ出るようにたっぷりとした墨汁が滂沱(ぼうだ)と下に垂れ続けたのである。その流れを止めぬ情景はまるで「命」という「漢字」が身もだえして泣いているように見えた。この一年は生命の誕生という喜びをはるかに超えて、あまりにも多く理不尽で不条理に命を落とす傷ましさが社会を埋め尽くした。そのことで天がまるで慟哭(どうこく)しているように思えてならなかった。

 

わたしはその真っ黒な涙を見て、来年こそは「命」という「漢字」が涙を流すことのない年にさせねばならぬ、「命」の尊さをもう一度、社会全体で見つめなおす年にしなければならぬと心から思った。


6カ国協議再開に覚えた屈辱感と揺れる気持ち3

6カ国協議再開に覚えた屈辱感と揺れる気持ち

 

 6カ国協議の再開日が16日から18日に延期になることが最終的に決まったと伝えるアナウンサーの口元を眺めながら、「何か変だな」と感じたが、理由は簡単だった。6カ国メンバーの一国であるはずの日本がその事前の調整協議にまったく関与していないことなど、協議メンバーの一員でありながら、どこか蚊帳の外に置かれているその中途半端なわが国のポジションに納得のいかぬ気持ちがあったのである。

 これは外交の世界においてわが国の力がいかにひ弱であるかをまざまざと象徴する事象でもある。当初、わが国では6カ国協議はどちらかと言えば拉致問題にウェートが置かれていたが、北朝鮮の核実験実施以降は関係国の関心は、かれら本来の関心事である核保有問題に一挙に収斂(しゅうれん)していった。これまで拉致問題を人道問題、国家犯罪と日本が声高に叫び、それをブッシュ・アメリカが後ろ盾となり後押しをしていたことも、北朝鮮を除く4カ国が協議テーマに挙げざるを得なかったことも偽らざる事実であろう。

しかし、11月の米中間選挙での共和党惨敗の結果を受けたブッシュ米大統領は、外交におけるイニシアチブを国内外で急速に弱める形となった。その影響がこの6カ国協議でも露わになってきた。そしてブッシュ・アメリカを強力な後ろ盾だと思っていたわが国も、ここへ来て一挙に北朝鮮に対する「対話と圧力」外交に多大な影響を被らざるを得ない状況とあいなった。つまり拉致問題については自力で解決の道を切り開いていく智恵と覚悟と行動が必要となってきた。しかし、これまでの対北朝鮮との二国間交渉のあり様を冷静に思い起こしてみれば明らかなように、わが国の自力外交という道は空虚な絵空事のように見えて心許ない。

 

この一週間ほど北京とワシントンから伝えられる協議再開に向けた動きを見るにつけ、この国は本当に自立した外交権をもった独立国家なのだろうかと真剣に憂うるしかない。自身の隣国が拉致という犯罪行為を重ね、国際社会の懸念を嘲笑うかのように核開発再開、続く核実験を実施したことにも自力で何ら効果的抗議すらできず、外交交渉でねじ込もうにも相手にだにされなかった。それではと6カ国協議という団体戦の一員に入れてもらっていたが、今度は北朝鮮から日本がこの協議に入る資格はない、権利もないと一方的に言われてしまう。その理由の一つが、「米国の属州であるから」という独立国家としては屈辱的なことまで言わしめている。本来、こうした発言に対しては、即座にその非礼を断じ、謝罪させるのが独立国家としての尊厳を保つ道であり、常道と考えるが、そうしたことを行なったとの報道にも接していない。

 

 日米安保条約による米国の核の傘下での平和。非核三原則という国際社会に誇れる平和理念。それはそれでよいのだが、こうした近隣の理屈の通らない暴力的な国家を相手にするときに、こうした屈辱的な扱い、言動を封じる術をわれわれは有していない。安保条約が実質的軍事同盟でありしかもそれが片務的であることは、国際社会ではやはり米国の属国と見られても仕方がないのだろうか。これまでのように自国防衛を米国の核抑止力という他力本願に頼ったままで独立国家と言えるのか、その揺れる気持ちと、平和憲法第9条の60年余の重みとその評価されるべき実績とを天秤にかけたとき、正直どちらを選ぶべきなのか、屈辱的な外交の実態を見せ付けられると本当に悩みは深まるばかりである。

 

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大手メディアで盛り上がらぬ都知事の豪華出張1

大手メディアで盛り上がらぬ都知事の豪華出張

 

 今、福島、和歌山、宮崎といった地方自治体で談合事件による知事の逮捕や疑惑騒動で大手メディアは連日のように詳細な報道を繰り返している。そうした最中の15日に、「石原都知事の超豪華海外出張の浪費の実態について」という文書が日本共産党東京都議会議員団によって公表された。1999の知事就任から今日までの石原慎太郎都知事(74)の海外出張(19回中15回のみ資料あり)に24355万円という大きな支出(1620万円/回)がなされていたことがわかった。

 

 今回、明らかにされた都知事の豪華出張は、談合といった直接的な犯罪というわけでは、もちろんない。それもあってか大手メディアの報道は盛り上がりを欠き、追求の声もほとんど聞こえてこない。

 

 しかし、共産党議員団が示した資料によると都条例で宿泊費42千円/泊までと定められているのに対し、263千円のホテルに宿泊したケースも明らかにされている。しかも夫人が同伴したのは19回のうち4回で、そのうち2回の米国出張は旅費・宿泊費も公費で賄われている。こうしたことが、その地にホテルが一つしかない、あるいは公務上、夫人を同行する必然性があったというなど都民への合理的説明がないままに、記者団の質問に対し「知らないよ、私は。そういうことは事務局に言ってくれ。何も豪勢な旅行しようと思って行ってるわけじゃない。直すところがあったら直したらいいじゃないですか」と、応えて済む話ではない。

 

 公私混同であれば、私的な部分に関する費用については、これは明らかに横領にあたる。これは言うまでもなくりっぱな犯罪である。「(これから)直しらいいじゃないですか」という次元の話ではない。すでに支出された、実施された行為なのだから。ただでさえ、自治体財政が厳しいといっては医療福祉分野などでの応益負担が増し、自治体によるサービス削減が断行されている。現に財政難を理由に経済的弱者たる障害者の「扶養年金制度」の廃止の方針をつい先日、決めたばかりである。そうしたなかで、都知事のこうした不透明でいかにも贅沢としか庶民からは見えぬ支出については、はっきりと公私の別なり、支出の必然の理由を都民の前で明らかにすべきである。大手メディアはこの豪華出張をもっと周知させ、石原都知事に対し強い態度で説明を求めていくべきではないのだろうか。

 

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真珠湾攻撃65年目、戦争が理屈で語られる3

真珠湾攻撃65年目、戦争が理屈で語られる

 

 今年も128日を迎えた。わたしは戦後生まれであり、戦争体験があるわけではない。しかし、戦後数年目の生まれとあって小学生のころにはこの日が近づくと、TVで記録映像に基づいたドキュメンタリー番組などが多数放映され、今は亡き両親とコタツに入ってよく観たものである。

 昨日(9日)、フジテレビで伊藤淳史扮する根本少尉が硫黄島と本土を往復し手紙を届ける「硫黄島〜戦場の郵便配達」が放映された。数少ない生存者を丹念に取材し、ご遺族が硫黄島を訪れた映像、そして一望、緑となった硫黄島の風景、そして市丸司令官のご家族との父からの手紙を間においたインタビューなど随所に現在の映像を織り交ぜたドキュメンタリードラマであった。見終わったあとに何とも云えぬ寂寥感いや喪失感のような感情に襲われ、周囲が涙でうっすらとぼやけて見えた。

今年も真珠湾では何人かの日本人元飛行兵も参加した米軍の慰霊祭が行われたと報じられた。そして当時の関係者はすでに90歳前後の高齢となり、真珠湾攻撃65年目にあたる節目ということで今年をもって終了となるということであった。式典をやればよいと言うものではないが、これもひとつの戦争体験の風化現象なのかと、やむを得ぬ事情とは云え、一抹の寂しさを隠せない。

 

自衛隊のイラク派兵を決定した半年後の平成16年2月、クウェートに向け室蘭港埠頭を出航する輸送艦「おおすみ」と護衛艦「むらさめ」に日の丸の旗を必死に打ち振り見送る家族の映像がテレビニュースで流された。その時、わたしはこれで日本も国際社会に貢献できる普通の国に一歩近づいたと感じながらその映像をながめた。過去の湾岸戦争で135億ドル(当時の為替レートで1.8兆円)もの巨額の資金拠出をしても、国際社会からはほとんど評価されなかったことが、心に深く残っていた。やはり人的参加・貢献をしなければ、一人前の国と認められないのかとその時、思ったからである。

その一週間ほど後に、古希を2年ほど過ぎた人物とイラク派兵について語り合う機会があった。この国が国際社会の一員と評価されるためにはどうあるべきかといった問題について、よく教えをいただいていた方であった。PKO(国連平和維持活動)などへの理解もおありだったので、当然、「これで、日本も一人前だ」との答えが帰ってくるものと期待していた。しかし、その方の口を突いて出た言葉は「だめだ!」の一言であった。わたしは、「どうしてですか?これは非戦闘地域での後方支援です。これで人的な貢献ができるのですから」と理屈でわたしは問いただした。すると、「僕はね、あの埠頭で家族の人たちが日の丸の旗を振っている姿を目にしたときに、ふっと自分が小学生のときの姿に重なったのだよ。先生に一列に並ばされ出征して行く兵隊さんたちに小旗を振らされた情景が瞼に浮かんできたんだ。そして、いや〜な気持ちになったんだよ」と、遠くを見つめるようにして述懐したのを今でも忘れられない。その方も今年8月の暑い暑い日に他界された。わたしの周りからまたひとり戦争の匂いを知る人がいなくなった。開戦から65年が経ち、真珠湾慰霊祭終了の報道に触れて、戦争というものを理屈で語る時代がやってきたのかと、自戒をこめて思った次第である。

 

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いざなぎ超える景気拡大ってホント?2

いざなぎ超える景気拡大ってホント?

 

 大田弘子経済財政担当大臣が1122日、2002年に始まった景気拡大が58ヶ月目をむかえ、いざなぎ景気の57ヶ月を抜き、戦後最長となったと発表した。

 しかし大方の感想は「どこで景気は拡大しているの?」である。58ヶ月といえば約5年間に及ぶが、個人の懐が潤ってきたという実感がまったくないからであろう。一世帯当りの平均所得額(厚労省「国民生活基礎調査の概況」)を見ると、10年前の1996年で661万円、景気拡大が始まったといわれる2002年は前年の602万円から589万円へと600万円台を割り込んだ年である。2003年はさらに579.7万円と落ち込みを見せ、直近で数字が公表されている04年で580.4万円と8年ぶりに7千円の微増に転じたところである。なんと世帯所得は10年前の96年から03年まで一貫して下落し続け、04年でようやく下げ止まったのである。それも2004年までの8年間で81万円(12.2%)もの減少を示している。しかも、その間ずっと下がり続けているといってもよい。この生活実感が、戦後最長の景気拡大と言われても、「いやぁ、本当に景気がよい」とは、とても同調できぬ大きな理由であろう。

また別の視点から見ると、これまでの景気拡大期にあった賃金の伸びが抑え込まれている点が指摘される。97年を100とした2004年の全産業の賃金指数(200616日連合発表)は、1000人以上の企業平均で97.010人から99人の企業平均で95.0、全平均で95.77年前の水準を5%ほど割り込んでいるのである。このことは企業収益が好調と言われようが、世帯のみでなく個人の懐が暖まっていない証であり、大方の人の景気実感とぴったり来る数字なのではなかろうか。企業の内部留保は厚くなり、企業体質は強化されたものの、個人の生活意識調査(「国民生活基礎調査の概況」)で「苦しい」が2000年の50.7%から2005年の56.2%へと拡大していることと平仄(ひょうそく)が合う。

さらに格差の拡大が、その景気実感に輪をかけていると言える。格差社会の代表的指標であるジニ係数(当初所得)も1981年の0.35から直近数値の2002年の0.498へと一貫して上昇してきている。格差がきついといわれる0.40.5の範囲の危険水域の上限に達し、現時点では所得分配の是正が必要とされる0.5をおそらく越えているものと思われる。その数字も、六本木ヒルズ族に代表される一部の成功者たちの浮かれぶりとわが身の現実との格差が実感の数字として表されているよい例であろう。

 こうして異なった角度からいろいろな数字を見ると、いざなぎ景気を超える景気拡大といわれても実感できぬ真相が少し見えてくる気がしてくる。政府がどんな数字を発表しようが、懐はやはり「う〜っ、ブルブル、寒い!」なのである。

 

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談合封じの必殺技3

談合封じの必殺技

 

 日本道路公団の橋梁談合や防衛施設庁の談合事件に続き、直近では県知事の逮捕などに発展した福島、和歌山、宮崎各県発注の公共工事を巡る談合と官製談合事件が相次いでいる。談合という言葉がTVや新聞で聞かれない日はないほどに、この「談合」という犯罪行為は日常化している。正確に言い直せば、事件の「発覚」が日常化している。つまり「談合」は日本中で行なわれており、表面化してわれわれの目に触れるのは氷山の一角と思った方がよいということである。

 

そうした事態を受けて、17日、塩崎官房長官が今国会で官製談合防止法改正案(先の国会からの継続審議)の成立を期すよう二階俊博国会対策委員長に要請を行った。罰則規定がない従来の「入札談合等関与行為の排除及び防止に関する法律」(03年施行。官製談合防止法)を改正するものである。これまでの官の関与行為の3類型に、あらたに「入札談合等を幇助する」行為を追加し、刑事罰として「5年以下の懲役または250万円以下の罰金」を科す内容となっている。そこで法律名も次の下線部分を加えた「入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律」に改められている。

 

一方で、悪徳利潤を享受する民の方の罰則はといえば、通常のケースは市場における競争が実質的に制限されたとして「独禁法のハードコアカルテル(不当な取引制限)」に認定される。その罰則は課徴金や損害賠償そして刑事罰として3年以下の懲役又は500万円以下の罰金が課され、又、法人への両罰規定(5億円以下の罰金)と定められている。悪徳利潤の代償としては罰は軽いと言わざるを得ない。

 

そもそも民間の経済行為は経済合理性に基づいて行われる。談合という行為も、何度、検察から摘発を受け科料されようが、総体として算盤勘定が合うから後を絶たないのである。トカゲの尻尾切りで談合の担当者や責任者が懲役罰を受けようが会社は痛くも痒くもない。法人への両罰規定とて、たかだか5億円の罰金が上限である。その程度の罰金額では、談合は「やり得」な経済行為だということである。民間会社が最も怖れるのは倒産である。一回の談合の罰金が、受注額全額に加えて罰金100億円とでもすれば、大抵の談合行為はその経済合理性を失うはずである。

 

検察が膨大な人数と時間をかけて官製談合を暴くコストは、すべてわれわれの税金で賄われている。国民は談合により高い価格の工事代金を払わされたうえに、半永久的な捜査コストを支払わされるという二重の経済的負担を強いられている。毎日流される談合事件のニュースはもうたくさんである。経済的負荷が莫大にかかる罰金規定こそ、談合の息の根を止める談合封じの必殺ゴキブリホイホイと考えるが如何か。

 

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復党するのが何故、おかしい!4

復党するのが何故、おかしい!

 

 4日に郵政民営化法案に反対した堀内光雄元総務会長、野田聖子元郵政相ら造反議員11名の自民党復党がなった。11月19日の沖縄県知事選挙で自民・公明が推す仲井真弘多氏の当選を受けて、離党議員の復党問題が本格化した。この2週間余は復党条件について中川秀直自民党幹事長と造反議員の領袖である平沼赳夫元経産大臣との交渉、さらに最後まで郵政法案に反対した平沼氏の扱いの帰趨などメディアは報道の材料に事欠かなかった。11名の復党が成った後も岐阜一区の佐藤ゆかり議員と野田聖子議員の間で繰り広げられる女の戦いが面白おかしく伝えられたり、その後の内閣支持率の急落なども相俟ってこの一連の復党劇騒動は終息するどころか、世間の耳目を集める恰好の題材となっている。この間の報道で復党問題はその本質から離れ、異なったフィールドでこの問題が取り扱われているように見えてならない。

 

そもそも思い起こせば、今回復党に動いた平沼赳夫議員ら衆議院議員12名は「郵政民営化法案」に本会議で反対した反党行為を理由に離党勧告を受け、離党を強いられた議員である。一方、参議院で反対票を投じた22名あるいは欠席、途中退場等で事実上の反対をした8名の処分は、除名2名、離党勧告1名、党員資格停止1年3名、党役職停止1年16名、戒告8名という内訳であった。当時、衆参における処分内容に大きな格差があることに違和感を覚えたことはまだ記憶に新しい。その原因が与野党間の議席数差が少ない参議院で与党議員を離党させることは、現実的には数の論理からできぬ話であったのは想像に難くない。そのご都合主義がこの復党劇にすっきりせぬ陰を落としている遠因であるとも言える。

 

二院制を敷くこの国で「郵政民営化法案」は第162回通常国会の衆議院でわずか5票差ではあるが、通過を見たのである。その後参議院において17票差で否決された結果、時の小泉総理が衆院を解散し、郵政民営化の是非を問う、いわば、「江戸の敵を長崎で討つ」的な総選挙に打って出たのである。小選挙区制度のなかでは反対与党議員のいる選挙区に民営化賛成の候補いわゆる刺客を立てる代わりに、反対議員には公認を与えないことはある面、事の道理であった。このことは郵政選挙の趣旨からして国民に賛否を問うため必要な手当てであったと言ってよい。

 

その結果、自民党は296議席獲得という大勝をおさめ、郵政民営化への国民の判決は下った。第163回特別国会の衆議院において与党議員で法案に反対・棄権をしたのは平沼赳夫議員と野呂田芳成議員の2人のみであった。前回反対した議員の大半は国民の判断に従うとの理由で、最終的には民営化賛成に回っているのである。

 

今回の復党劇の評価はそうした一連の流れのなかで考えていく必要がある。

 

そのためには政党政治とはいったい何か、政党とはいったい何なのか、これらをどう理解するのかが重要な要素となってくる。そのことにより今回の復党問題の評価の是非は自ずから決まってくるものと考える。

 

わたしは政党というものを国家のあり方、憲法のあり方、国防のあり方など国家運営を行っていくうえでの重要な価値観を共有する者が集まった政策集団であると考えている。その政策集団に所属する国会議員が議会で多数を確保し政権を取り、その価値観に基づき政治を行っていくのが政党政治であると思っている。その場合に、本質的問題となるのが「共有する価値観」の範囲である。その範囲が狭いのか広いのか、その受け止め方次第で今回の復党の評価が異なってくるのだと考える。

わたしは価値観とは個別政策すべてに同一の考え方を持たねばならぬというような窮屈で偏狭なものではなく、向かうべき方向が一緒であるといったもっと幅の広い概念であると捉えている。すべて同じ意見でなければならぬ、同じ行動をとらねばならぬというのは、実は「宗教」に限りなく近づいた概念である。現に唯一神教であるキリスト教やイスラム教などは他の神の存在を許さない厳格性を有す。

 

しかし、政党というのは大きなベクトルの向きが一緒であれば、個別政策論において違いがあろうが集団を形作ることに問題はない。逆に政治の世界においては、党内で政策論争さえ許さぬ政党というのは、ある種の専制政治を生む土壌となる危険性を持つ。幅の狭い価値観をもった政党は、時と場合、時代背景によっては危険な思想集団に変化(へんげ)する可能性を秘めているからである。そう考えてきたときに、国家運営の大きな価値観を共有する者であるにもかかわらず、郵政民営化法案というたったひとつの法案に反対したというだけでその政党に属せないということの方が、わたしは独裁政治を奨励しているように思えて気味が悪い。本来、自民党は落選議員も含めて復党を一気に認めるべきであったとさえわたしは思う。

なぜなら民主主義を認める政党で、国防のあり方、教育のあり方など方向感が本来、真反対ということは考えにくく、もし真反対であれば別の政党を立てるなり、そうした価値観を共有できる政党に属すなり、移っているはずだからである。

 

その意味で今回の復党劇は、中川秀直幹事長と平沼赳夫議員との心理戦を含む鞘当てや郵政民営化法案への最終的賛否など復党条件のハードルの高さ、そして小泉チュルドレンの騒々しい復党反対運動などが重なり、物見高い国民はその帰趨の方に興味津々の体となった。

復党を希望した現職議員である12名は先の国会で安倍晋三議員を首班指名した。つまり安倍自民党総裁の所信表明に賛同することを表明したのである。これは「価値観を共有する」ことの立派な証であり、その総裁を担ぐ「価値観を共有する」政党がそうした議員を受け入れないことの方がおかしなことであると言うべきである。さらに現職議員だけではなく落選議員も、今でも「価値観」を「共有」できると考えて復党を希望するのであれば、無条件に認めるのが政党政治本来の筋であるとわたしは考える。

 

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夕張市職員のあきれた公僕意識3

夕張市職員のあきれた公僕意識

 

 1114日に「夕張市財政再建の基本的枠組み案について」が公表され、18日から23日にかけて6地域で住民説明会が行われた。これまでの行政のあり方、今後の対応など総括なくしてただ住民に負担を押し付ける市側再建案への不満や怒りをぶつける夕張市民の様子がTVの映像などを通じて伝えられた。そうしたなかで夕張市職労(厚谷司委員長)が11月末に実施したアンケートで、市職員の約85%が「退職を検討せざるをえない」と考えていることが判明した。単純計算をすればこの4月現在の市職員数は269人(除く消防職員、病院職員等)であるので、数年後の残留職員数は60人の計算となる。

財政再建団体への転落が確実視されている夕張市再生の担い手の中心になるべき市職員の85%もの人間が職を辞するということは、すなわち行政機能の壊滅を意味する。もし壊滅しないと言うのであれば、これまで85%(209人)もの余剰な地方公務員を漫然と税金で雇用していたことになる。

行政機能が壊滅するとは、具体的にどのような事態が起こるのか容易には想像がつかない。卑近な例で考えて見ると、ゴミ収集がなくなれば各家庭内は生ゴミなどで溢れ返り、衛生面での問題が浮上する。また下水道のサービスが途絶するとなれば、街はどういう状況に陥るのか。市内に病院がなくなれば、重篤な病気に罹ったときにこの雪深いところでどうして命を繋いだらよいのかなど考えれば考えるほどGDP世界第二位と言われる経済大国で起ころうとしている事態とはとても思えないのである。だから、そうした事態をわたしは浅学にして第二次大戦直後の大混乱期を除いてはすぐには思いつかない。

公務員とは「公僕」と称されるように、憲法第15条において「公務員の本質」は「全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定められている。国民に奉仕する公僕であるからこそ、公務員には一方でさまざまな面での保障がなされている。言葉を変えれば国民は「国民に奉仕するサーバント」として雇用する代償として、公務員に身分保障を与えたと言ってよい。然るに今回の夕張市で起きようとしている事態は、国民たる市民に奉仕することなくして、破綻という最悪の状態に自治体を陥れた挙句に、自治体再生という最も重要でかつ重大な使命を果たすことなく逃亡を図ろうとしていることである。

 

 われわれ国民はこうした公僕のために敢えて憲法で公務員の本質を規定し、地方公務員法第30条で「服務の根本基準」として「すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない」と噛んで含めるようにあらためて定めている。まさにいま夕張市職員は「公共の利益のために全力を挙げて自治体再生に専念しなければならない」はずである。その意味では、夕張市にのみ再建のすべてを任せようとする北海道庁、総務省の姿勢も一方で厳しく問うていかねばならない。

そもそも夕張市壊滅に至るまで市当局が行政のスリム化を怠ってきたことが、今回の総人件費の急激な圧縮という事態を招来したわけだが、今度は、それではと一斉に逃亡を決め込む夕張市職員とは、一体、どういった了見をもった集団なのであろうか。市職員は今後予想されるであろうどんな困難に対しても、市民生活を守るため公僕として奉仕を続けていく使命が課されているはずである。総人件費の大幅削減という行革と行政サービスを崩壊させぬ均衡点を探し出すことが、どんなに難しかろうが、どんなに過酷であろうが、夕張市行政当局に現在、課せられている義務であり、それを成さぬのであれば国民との契約に対する重大な背任行為であると言わざるを得ない。

 

われわれは引き続き夕張市行政当局への目配りを怠ることなく、決して公僕たちの「いいとこ取り」を許すことがないよう監視の目を強化していかねばならない。

 

 いま木村拓哉主演の「武士の一分」という映画が好評を博しているが、夕張市職員の中に凛とした「公僕の一分」を持った人物はいないのだろうかとふと考える。職労のアンケート調査によれば「退職は当面考えない」は26人、「定年まで勤める」はわずか7人である。一概に評価はできないが「公僕の一分」を示した人物はわずかに33人とも言えなくもない。自主退職85%という公表数字を見て、「それでは公僕の一分が立たない」と、これから考え直す人物が出てくることを祈らずにはいられない。高齢者比率が全国一高いと言われる夕張、美しい響きをもつ「ユウバリ」という土地に、これからの生活に大きな不安を抱える年寄りたちを放置してわれ先に逃げていこうとする「公僕」たちの姿はあまりにも醜く、あさましく見える。

 

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石原都政の象徴、新銀行東京の赤字3

石原都政の象徴、新銀行東京の赤字

 

 11月30日に新銀行東京の第二期中間決算が発表された。同行は貸し剥がしで中小企業いじめをする大手銀行を批判する石原都知事の肝いりで、『資金調達に悩む中小企業を救済すること』を理念とし2005年4月に鳴り物入りの誕生をみた。その設立は銀行バッシングが続く世論を背景に、か弱き中小企業をいじめる悪者の大手銀行に立ち向かう正義の味方の登場といった風で、当時、木村剛氏らが興した日本振興銀行(2004.4設立)とあわせて世間の話題をさらったものである。

 

 BNPパリバ信託銀行を買収、名称変更を行い、再開業して2期目の中間決算である。スタート時の「マスタープラン」では3期目の来年は単年度黒字を達成する計画である。ちょうどその折り返し地点に来た恰好である。この9月中間期の赤字は当初予想純利益(▲100億円)を5割上回る▲154億円に上った。この結果、累積欠損は456億円に膨らんだ。石原都政はこの新銀行発足に際し、「官から民への動きに逆行」、「利子補給あるいは保証による信用補完でよい」といった内外のさまざまな意見にもかかわらず1000億円もの都税を惜しげもなく投入した。まだわずか一期半の決算でいたずらに結論を急ぐべきではないが、創業赤字とはいえ投下資金の半分がすでに消滅している。

 

 理念でもある融資・保証残高は平成18/3末実績の1,930 億円から今年度末計画の4,300億円(平成18/3末比純増2,370億円)に対し、この9月末残高は2,820億円(同890億円)と、今半期計画の約8割の達成率にとどまっている。この資産が増えぬことには黒字化は遠のくばかりである。一方で、預金残高は5,436億円にのぼるため、残る運用を国債に依存するかたちで今中間期残高は1,860億円に達し、半期の純増額は融資・保証額にほぼ肩を並べる758億円に及んだ。国債の保有は今後、金利上昇が予想されるなかでは含み損を拡大させる懸念を有するものである。そうした資産が運用の本業である融資・保証残高の2/3も占めるのは、財務的には金利上昇局面にきわめて脆弱な不安定さを持つ構造であると指摘せざるを得ない。その意味で現状の金融マーケットにおいて新銀行東京はきわめて困難な状況に置かれていると言うしかない。

 

 『資金調達に悩む中小企業を救済する』理念はすばらしいが、当時、「中小企業貸出が伸びなかった」原因がどこにあったかという実態分析を軽視した理念先行の石原都政が、この新銀行を都財政のお荷物にさせぬことを祈るばかりである。新銀行東京の不良債権比率はこのわずか半年間で0.9%から2.0%へと大きく増加している。

 

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京王線脱線事故に見た危機管理3

京王線脱線事故に見た危機管理

 

27日午後1112分ごろ京王線下高井戸駅と桜上水駅間の踏み切り内に立ち往生した乗用車と高幡不動行き普通電車が衝突した。

 その夜会食を終えたわたしは1120分過ぎに京王線新宿駅の改札口に辿り着いた。電車が不通となった直後で乗客の固まりが改札口内外にそこかしこにでき始めたところであった。構内アナウンスで「接触事故が起こり、列車ダイヤが混乱している」「新宿・下高井戸間でピストン運転をしている」との情報が伝えられていた。その区間より遠方に住むわたしは、さてどうしたものかと迷い、中央線か小田急線かどちらかで途中まで行き、そこからタクシーで帰宅するしか方法がないかなどと酒のまわった脳みそで考えていた。新宿から直接タクシーで帰宅となると料金も馬鹿にならない。しかし深夜にしかも酒の入った身体でほかの線に乗り換え、遠回りして最寄駅と思われるところへ向かい、そこでさらにタクシーに乗って自宅へ戻ることを考えたとき、さすがにどっと疲労感がわたしを襲った。「こんな夜中に」、いくら仕事とはいえ深夜まで飲み過ぎた自分の不摂生をとがめることはせず、正直、京王電鉄に舌打ちしたものである。そして「えいっ!タクシーで帰ろう」足は地上のタクシー乗り場に向かいかけた。

 そのとき「タクシーでお帰りの方は、必ず領収書またはレシートをいただいてください。料金を払い戻します」と、アナウンスの声が聴こえた。わたしは、それは助かったと階段を昇り、すでに40人ほど列ぶタクシー乗り場の列の最後尾についた。最前方を見ると、タクシーが一台もいない。しばらくして一台、そして一台やってくるといった状態で、珍しく空車が少ない。急ぐ人はすでにどんどんタクシーで帰っていたのだろう。10分ほどして後ろを振り返ると、50人どころでない人がわたしの後ろに連なっている。バブル以来、久しく目にせぬ光景であった。しかし人情とは不思議で現金なものである。これが自腹でタクシー帰宅となれば、こんな深夜にこんなに待たされてと、怒りが猛烈にこみ上げてくるはずだが、列んでいる人の表情も心なしかゆったりとしているように見えた。結局、私の帰宅は午前1時過ぎと、午前様であった。

 しかし、電車が不通となったわずか10数分後にはタクシー代まで負担すると決断した危機管理が、乗客の心理的ストレスや肉体的疲労はもちろん、企業の対応への不満を相当部分軽減するのに大きな効力を発揮したと感じた。そして通常見られる改札口での駅員とのトゲトゲしいやりとりやいざこざもほとんど耳にせず、見ることもなく緊急時の危機管理の見本を見せられたような気がした。これは現場独自の判断でできるはずはなく、そうした危機管理マニュアルが日頃から整備徹底されている証であると、沿線住民としては少し誇らしく思った。

もちろん衝突現場近くの住民の方々の衝撃と今後への不安が通り一遍でなく、大きいことは想像に難くないが、こうした危機管理ができる企業であればこの事故を契機にそうした安全対策もしっかりやってくれるのではないかと感じたものである。

 

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給食費滞納に見る義務教育無償とは?4

給食費滞納に見る義務教育無償とは?

 

読売新聞の10月から11月にかけた調査で全国の公立小中学校で2005年度に18億円を超える給食費が滞納されていたことが分かった。滞納の理由について「経済的に困窮して支払うゆとりのない家庭が増えている」との回答がある一方で、経済的に余裕がありながら「『払う必要がない』と言って保護者が支払いを拒否している」との回答も目立ったと伝えられた。この経済的余裕があるのに『払う必要がない』と支払を拒否する親たちの理屈の根底には、「義務教育だから」という一言があるように思える。その行為はおそらく憲法26条2項に言う「義務教育は,これを無償とする」に依拠する確信犯だと推察される。

 

しかし、この義務教育無償の解釈についてはすでに昭和39226日最高裁大法廷で「義務教育費負担請求事件判決」において「義務教育は、これを無償とする」とする具体的範囲が示されている。その無償の範囲を大法廷は次のように説明している。

「国が義務教育を提供するにつき有償としない(中略)同条項の無償とは授業料不徴収の意味と解するのが相当」であるとし、「それ故、憲法の義務教育は無償とするとの規定は、授業料のほかに、教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものと解することはできない」との判断が示されている。つまり授業料以外に当たる給食費は憲法でいう無償の範囲には含まれないと言っているのである。

 

一方で給食の経費負担については、「学校給食法」の第6条2項で具体的に定められている。「前項(施設及び設備に要する経費並びに学校給食の運営に要する経費のうち政令で定めるもの)に規定する経費以外の学校給食に要する経費は、学校給食を受ける児童又は生徒の(中略)保護者の負担とする」とある。つまり昼食代は親の負担であると定められているのである。

 

一部自治体はすでに最高裁の判例やこの学校給食法に準拠して、経済的余裕のある親たちに対し簡易裁判所への督促申立てや差し押さえ請求など法的措置に踏み出している。この国は法治国家である。自身の主義主張につき何を思い、主張し、どう行動しようが自由であるが、法治国家である限りその行為が法律を逸脱しているのであれば、その行為を規定する法律が適用されるのは当然である。経済的余裕がある一部の親たちが給食費を納めぬという違法行為をわれわれは法の名のもとに断じて許すべきではない。


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