彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

October 2006

IAEA事務局長「核兵器製造可能国、増える恐れ」と、大きな懸念を表明3

 

 IAEAのエルバラダイ事務局長は1016日ウィーンで、北朝鮮の核実験発表を受けて、核保有国拡大の懸念を以下のように表明した。記事内容を以下の【 】内に転記する。

 

2006.10.17 Web posted at:  12:58  JST- CNN/AP

 

【ウィーン──国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長は16日、「非常に短期間」に核兵器を製造する能力を持つ国が近く30カ国増加し、既に核兵器を保有している国、もしくはその疑いが指摘されている9カ国に加わる恐れがあると指摘した。

エルバラダイ事務局長は核拡散防止強化に向けた会議で、平和利用ながら核兵器生産に即時転用可能な技術を開発する「両面作戦」を取る国が増えていると指摘し、こうした国々を「仮想新規核兵器保有国」と位置づけた。

 

具体的な国名は挙げられていないが、核開発で強硬姿勢を示しているイランや、ウラン濃縮能力を開発中のブラジル、発電目的で濃縮計画を検討中のオーストラリアやアルゼンチン、南アフリカなどを指すとみられる。核兵器製造に転用できるウランの生産手段を保有していたり、核技術開発能力などを備えている国・地域には、カナダやドイツ、スウェーデン、ベルギー、スイス、台湾、スペイン、ハンガリー、チェコ、スロバキア、リトアニアがあるが、全て非核国で核兵器開発の意向は示していない。また、将来的に核開発を検討している国には、エジプトやバングラデシュ、ガーナ、インドネシア、ヨルダン、ナミビア、モルドバ、ナイジェリア、ポーランド、タイ、トルコ、ベトナム、イエメンがある。

 

これまでに核兵器保有を公言したのは、米国とロシア、中国、フランス、英国の5カ国。また、核兵器保有が判明しているか、その疑いが指摘されれている国には、インドとパキスタン、イスラエル、北朝鮮がある。

 

日本は核兵器を開発する計画はないとしているが、放射性廃棄物からプルトニウムを生産する能力を備えている。また、韓国は数年前、無申告で小規模な核実験を実施した。】

 

 

 エルバラダイ事務局長のいう「仮想新規核兵器保有国」の予想される顔ぶれを見て欲しい。オーストラリア、台湾、タイ・・・、日本はぐるりと核保有国に取り囲まれる懸念が高いということである。そのとき、われわれはどう国防を担保するのか。究極の判断を迫られようとしている。

 

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北朝鮮核実験、さて日本はこれからどうする――核保有の是非3

北朝鮮核実験、さて日本はこれからどうする――核保有の是非

 

 『北朝鮮外務省が10月3日、「科学研究部門で今後、安全性が徹底して保証された核実験をする」との声明を発表した』と、朝鮮中央通信が伝えてからわずか6日後の10月9日、

同通信は「地下核実験を実施した」と報道を行なった。実験の詳細は明らかにされていないが、韓国で同日午前10時35分頃にM3.5の地震波が観測された。

 

 それから北朝鮮を巡る核実験問題は一挙に国際政治のトップマターとなった。交渉の場はこれまでの6カ国協議の場から国連へと移り、14日午後国連安全保障理事会が核実験実施を発表した北朝鮮に対し、経済制裁を規定した国連憲章第7章第41条に基づく制裁決議案を全会一致で採択した。

 

 安保理での日米の強硬姿勢に対し中・露が難色を示す場面はあったものの、強制措置を含んだ国連憲章第41条に基づく制裁決議が、核実験発表後わずか5日でスピード採択された意味は大きい。それほどに今回の北朝鮮による核実験実施の発表は世界を震撼させた。なかんずく北東アジアの軍事均衡に大きな地殻変動を起こすことになった。日本は日本海を隔てた指呼の距離にある隣国であり、その安全保障上、こうむる影響は計り知れない。

 

北朝鮮は19933月に最初の「核兵器不拡散条約(NPT)からの脱退」を表明したが、この時は、NPT条約で定められている三か月後の脱退発効のぎりぎりで、米国との間で「脱退の一時停止」で合意した。そして、20033月にふたたびNPTからの脱退を表明、8月に北京で第1回6者協議、10月には北朝鮮、使用済み核燃料棒の再処理を終了と発表した。

 

045月に小泉前総理の電撃的訪朝による日朝首脳会談でミサイル発射凍結を再確認したものの、052月に北は外務省声明で「核兵器の保有」を宣言するにいたった。 そして055月には、北朝鮮寧辺の原子炉から「八千本の使用済み核燃料棒を取り出す作業を終えた」と明言し、国際社会を恫喝した。

 

 一方でその年の9月の第46者協議では、北朝鮮がすべての核兵器および核計画を放棄し、NPT復帰などを約束した共同声明を採択。適当な時期に北朝鮮への軽水炉提供問題を議論することでも合意を見る形となったが、北朝鮮側は軽水炉提供後のNPT復帰を主張し、合意の実効性に疑問が持たれていた。

 

そうしたなか、今年に入り75日にテポドン2号など計7発のミサイルの発射を実施した。 国連安全保障理事会は同月15日に北朝鮮非難決議を全会一致で採択した。続いて10月3日、「安全性が徹底的に保証された核実験を行うことになる」と北の外務省は声明を発表。109日の朝鮮中央通信の「地下核実験を実施した」という報道につながる。

 

こうした核開発再開へ向けたこの10余年の北朝鮮の動きのなかで、この国は今日の脅威に対して、国民の生命と財産を守るために何の準備をなしてきたのか。これまで国家の安全保障論を神学論争に貶(おとし)めてきた野党の責任は重い。しかし、政権党である自民党の責任はそれ以上に重いと云わざるを得ない。国家の安全保障に対する危機意識の欠如、平和ボケと言うしかない。この10年余で上述のような北朝鮮を巡る核兵器開発の動きが顕在化していたなかで、政府は実効的な対応策(ミサイル防衛システム網の整備等)、や法律の整備を怠ってきた。今日の弥縫(びほう)的な対応を見ていると、そう断じるよりほかはない。

 

ここに至り、この日曜日(15日)に中川昭一自民党政調会長がTVで日本の核兵器保有について、「議論は行なっていい」という認識を示した。そしてこの発言に対し大手メディア、野党、与党の一部からも一斉に非難が集中し、同氏も翌16日には「私は、非核三原則をいじると言う事は一言も申し上げておりません。議論をすると言うことと、非核三原則を守るということは決して矛盾しません」と、釈明をせざるを得ない状況となった。

 

しかし、中川政調会長の発言のどこがおかしいのか、わたしにはわからない。

 

「被爆国の日本の責任ある立場の政治家発言とは思えぬ」「非核三原則を踏みにじるのか」「国連で制裁決議をした足元での発言はまずい」「北朝鮮の核保有を破棄させようと国際社会で一致団結して行動している横で、自国も核保有の検討を開始するなどとはもっての他」といった批判が多いが、それでは批判する人々に問いたい。

 

「将来朝鮮半島が統一され、中・露・米・朝という核保有国に囲まれたとき、わが国の国防・独立国家として進むべき道を、あなた方はどう考えるのか」

 

 現在、米国は自分の意向に沿わぬ国家体制を有する非核保有国は、米国の国益に反すると一方的に判断された場合、軍事侵攻により有無を言わさぬ隷属を強いられている。アフガニスタン、イラク然りである。しかし、あれほど批判されていたパキスタンも核保有国となってからは、対応は明らかに異なる。

 

 他の核保有国が軍事力の増強を図ってゆき米国との対立軸を形成する力を有したとき、わが国はどうするのか。日米安保の下、独立とは名ばかりの実質米国51番目の州に編入してもらう道を選ぶのだろうか。

 

 核を持たず民族の誇りも捨てて、隷属の道を選ぶのであれば、核保有や安全保障の議論などする必要はない。吉本興業のお笑いタレントで牛耳られたTV画面に、大口開けて笑っておればよい。もしそれが嫌であれば、独立国家とは何か、自分で国を守るとはどういうことなのかを議論すべきであろう。もう残された時間は多くはない。その意味で、今回の中川政調会長の発言も、ひとつの筋の通った考え方であるとわたしは考える。国家百年の大計を考えるのに、議論することすら許されないなどという馬鹿げた話はないはずである。

 

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教育委員会という戦後教育制度の残滓2

 

昨年9月に起こっていた北海道滝川市の小学6年生女子(当時12歳)の教室内での自殺行為(後に死亡)が、ご両親のメディアへの原因究明依頼の動きを契機に、一年経ったこの102日にようやく市教育委員会(安西輝恭教育長)が記者会見を開いた。そして「原因は現時点で特定できない」と述べ、いじめの存在を事実上認めないとの見解を示し、世間の批判を浴び、いじめを認めた。あれだけの悲痛な遺書が残されていたにも関わらず、この一年間、事実を隠蔽し放置していたとしか思えぬ行為。「いじめ」と当初、認めなかった姿勢。

 

また1013日に分かった福岡県筑前町立三輪中学校の中2男子生徒(13歳)のいじめによる自殺(11日)も元担任教師のいじめから生徒のいじめが始まったと言われている。ご遺族に対する合谷校長の説明が、当初の元担任教師のいじめの事実を認めた謝罪から、その後の記者会見で一転、「教師の言動は直接、生徒の自殺の原因にはつながらない」と、事実否認を行なった。その翻言の背景にも教育委員会の存在を感じざるを得ない。

 

このふたつの事件の背景に共通して見え隠れする「教育委員会」とは一体、何なのか。その存在に大きな疑問を感じ、憤りを感じる。

 

今を遡る20年前の中曽根内閣時代、首相の直属諮問機関として設置された臨時教育審議会(臨教審)の第2次答申「教育行財政改革の基本方向」【1986年(昭和61年)】において、教育委員会の当時の現状について、すでに次のような厳しい言及がなされている。

 

「近年の校内暴力、陰湿ないじめ、いわゆる問題教師など、一連の教育荒廃への各教育委員会の対応を見ると、各地域の教育行政に責任を持つ『合議制の執行機関』としての自覚と責任感、使命感、教育の地方分権の精神についての理解、主体性に欠け、二十一世紀への展望と改革への意欲が不足しているといわざるを得ないような状態の教育委員会が少なくないと思われる。」

 

この指摘は20年経った現在、まったくひと言の文言もいじる必要のない「今の教育現場の問題」を摘出したものと言える。逆に言えば、20年間この答申にも関わらず、教育行政・現場ともに何の変革もなさずに無為な月日を浪費してきたということになる。

 

この国は一体この20年間、何をやってきたのか。北朝鮮の核保有問題然り。すべて問題を先送りしてきた政府の責任はあまりにも大きい。そして政府の怠慢による犠牲者となった幼い児童、夢をはぐくむ中学生たちがあまりに傷ましく、悲しい。

 

地方教育行政法により地方自治体により設置を義務付けられた教育委員会。「教育は国家から一定の距離を置いた中立的位置にあらねばならぬ」との終戦直後の残滓である考え方で出発した教育行政のあり方の限界が、「いじめ」という傷ましい事件によってようやく浮き彫りにされようとしている。


旅人の見た京都のお菓子5

  

 

 「御倉屋(みくらや)」(京都市北区紫竹大門町78 ?0754925948)の黒砂糖菓子の「旅奴(たびやっこ)」は、形もまん丸で可愛いく食べやすく味もおいしい。さすが老舗の味。基本的にはお奨めだが、お菓子を買うのに予約して、いかにも仰々しく出て来られる家付き娘のご内儀には鼻白む。奥で菓子作りに汗を流されているご主人はご苦労と思うが、老舗に胡座をかいた販売のあり方と接客の悪さには辟易する。

 

 今宮神社の「かざり屋」の「あぶり餅」は、小腹が空いたときにちょっと食べに寄るのがよい。短い参道の両脇にもう一軒「一文字屋」というお店もあるが、「かざり屋」の方がわたしは好きである。好みなのだが、それぞれ贔屓があってよいのではないだろうか。

 

 桂離宮に寄ったついでに立ち寄るのによい「中村軒」は「麦代餅」(ムギテモチ)とこしあんの「かつら饅頭」で有名だ。お薄をいただきながら素朴な饅頭や麦代餅をいただくのも一興である。

 

 あと、大好きなのが「麩饅頭」。なぜか京都のがおいしく感じるから不思議だ。「麩嘉(フウカ)」の「麩嘉饅頭」をつい買ってしまう。高雄の神護寺に参り、本殿前の石段に腰掛けて緑山を一望しながら食べた麩饅頭のおいしさが忘れられない。麩饅頭は買って直ぐ食べなければ、どんなおいしい麩饅頭でも、味は落ちる。これ当り前、以前、頂いた麩饅頭を冷蔵庫に入れたまま二日目に思い出し、食してみたがとても食べれるものではなかった。

 だが、神護寺には申し訳ないが、仏様にお尻を向けて食べた麩饅頭の味は本当に格別であった。

 

 

 そして、忘れてならないのが阿闍梨餅本舗の「満月」の「阿闍梨餅(あじゃりもち)」。一度、もちっとした食感を経験してしまうと、もう止まらない。京都駅のお土産コーナーで売っているが、夕方ちょっと遅いと売切れは常時である。伊勢丹でも売っているが、そこまで足が延ばせないときには、改札を入ったところのお土産コーナーが最後の拠り所である。何度か、その最後の拠り所に救われた経験がある。

 

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靖国神社遊就館の展示変更の姑息4

「靖国神社遊就館の展示変更の姑息」

 

 10月6日の毎日新聞朝刊に靖国神社の戦史博物館である遊就館の展示について、『米国から批判が出ていた第二次世界大戦の米国関係の記述を見直すことを決めた。10月中に修正文を作成し、年内をめどに展示を変更する。一方、中国や韓国などアジアの国々から「侵略戦争の認識が欠けており、アジアの独立を促したと正当化している」などと批判されている展示については、今のところ見直さない方針だ』との記事が出ていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061006-00000016-mai-soci

 

靖国鳥居

          靖国拝殿

 

 

 

 

 

 

 

 具体的な記述は「ルーズベルト(米大統領)の大戦略/(不況下の)ルーズベルトに残された道は資源に乏しい日本を禁輸で追い詰めて開戦を強要することだった。(日本の)参戦によって米経済は完全に復興した」となっていたパネルの表示を、タイトルを「ルーズベルトとアメリカの大戦参加」と改め、「開戦の強要」「米経済の復興」の表現を削るほか、日本を侵略的と非難したルーズベルト演説を新たに盛り込むなど、米側に配慮した変更とするということだ。

 

 その一方で、「中国関係の記述も見直しを検討するのか」という質問に対して、神社側は「今のところ具体的な指摘がない」と回答したという。

 

 靖国神社の歴史観に対する姿勢・根拠が大きく問われる問題である。七月にシーファー駐日大使やアーミテージ元国務副長官に歴史観を公然と非難されると、「そうでございます」と、いとも簡単に歴史認識を変えてしまう。

 

 かれらの云う「大東亜戦争は自存自衛の戦いであった」という主張に大きな穴が空くことにならないか。その程度の歴史認識であのように麗々しい博物館を造ってしまう宗教法人が、その祀っているA級戦犯を分祀できないとする「神学教義」も、ついつい疑わしく見えてくる。これについては別途詳しく論じる予定である。

 

 この稿で言いたいことは、実は靖国神社は米国に対する展示の表示を変えれば事がすむことではないということである。遊就館には、ゼロ戦、満鉄の列車、人間魚雷回天など様々な陳列品が飾ってある。その広い館内の二階には百人ほどの観客を収容可能な映画館が存在する。

 

遊就館全景

遊就館入口

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで「わたしたちは忘れない」という約50分間のビデオ映画が毎日上映されている。映画開始とともに桜吹雪が舞い乱れる美しい情景が、しばらく画面一杯に映し出され、カメラは一転、黒光りする板の間をなめるようにパンしてゆく。すると白袴を穿(は)いた男の足から徐々に上半身へとカメラの目が移っていく。精悍な顔つきの男性に固定されると、片膝立ての姿勢で「居合」を抜く。その瞬間、タイトルの「わたしたちは忘れない」が画面に現われ、バックに小泉前首相が大好きだと就任時に語ったXジャパンの「エンドレス・ラブ」の曲が流れる。館内は自然と粛然とした空気に支配されていく。

 

 その映画のナレーションはまさに北朝鮮の女性アナウンサーの甲高く昂揚したトーンで終始する。そして、実録映像と遺族インタビューなどを織り交ぜながら、「大東亜戦争は自存自衛のいくさ」であり、戦争突入は「ルーズベルト大統領の陰謀とも言われている」と解説する。

 

 シーファー駐日大使やアーミテージ元国務副長官も日本語のみで上映されるこのビデオは見ておられないのであろう。「大統領の陰謀」と云った言葉まで使い、「大東亜戦争」(靖国神社は第二次世界大戦、太平洋戦争とは呼ばない)を肯定し、そしてこのビデオにより尚武の精神を鼓舞しているように思えてならぬ内容・編集である。このビデオの語る歴史認識はわたしの眼から見て、決して公平、客観的ではない。

 

 わたしは自虐史観を持つ人間でも、左翼思想に親和性を持つ人間でもない。この日本の2千年におよぶ歴史に誇りを持つべきであると考えるいたって普通の市井人である。その人間が見て、この遊就館で毎日50分間上映され続けている「わたしたちは忘れない」で朗々と謳いあげられる歴史認識には、首を傾げざるを得ない。歴史認識を語るときは、事実は忠実に語り、その評価は謙虚であらねばならぬし、当然だができるだけ客観性を持つべきであると考える。

 

 その意味で、今回、靖国神社が行う表現の訂正が、歴史認識を変えるものなのか、それとも米国に言われた部分のみをちょっと修正して誤魔化せばすむと考えた姑息な対応なのかと考えてみたとき、わたしは「姑息なごまかし」と断じざるを得ないと考える。



安倍内閣と官僚機構対決の行方4

安倍内閣と官僚機構対決の行方

 

 今回の官邸人事をみると官邸主導の政策運営を強烈に意識した布陣、体制である。また先日の所信表明のなかでも官邸主導型、言い換えれば米国型の大統領型の政治体制へのシフトについての決意が並々ならぬものであることが示された。「政治のリーダーシップを発揮する」意味では当然であるかも知れぬ。

 

 わが国を取り巻く国際環境を冷静に見つめると、従来型の官僚機構に依存した持ち上げ型の意思決定方式では、とてもこの激動の国際政治のなかで的確機動的な判断と行動を選択することには、もう限界が出て来たということであろう。

 

 その意味で、安倍晋三総理が小泉前総理以上に官邸機構を強化し、霞ヶ関へのグリップ力を増し、政治主導の意思決定を目指そうと考えたのは、方向として正しい。敢えて言えば国益の観点からは、もともと、そうあらねばならなかったと考える。

 

 そこで、方向は正しいとすればそれでよいではないかということになるが、国益を害さない形で、政治主導型にうまくソフトランディングをさせねばならぬことが、難儀なことだなと感じるので、事は簡単ではない。明治維新以来営々と築かれてきた官僚主導の政策決定プロセスの土台を突き崩し、あらたな土台を築き直すのはそんなに容易なことではないはずである。

 

 まず、行政は毎日二十四時間、滞ることがあってはならぬ。だから、意思決定・政策決定のプロセス変換に当たっても、細心の注意をもって用意周到に準備されねばならぬ。力技でエイッとばかりにやればよいというわけにいかない。そんなことをすれば、日本中の行政機構は大混乱をきたし、われわれ日常生活にストレートに影響が出てくることは必至である。

 

 ここに、この問題の一番の難しさが潜んでいる。日々の行政の意思決定は、まさに網の目のように張り巡らされた行政機構、いわば行政の神経を通じて済々と行われている。そこには百年以上にわたる智恵といったものも含まれているし、行政の隠し味的な妙味、すなわち潤滑油のようなものも恐らく組み込まれているのだと思う。

 

 こうした末端に至るまでの詳細で精緻な行政プロセスは、実は官僚たちにしか分からぬように組み上げられている。政治主導型への転換とは、まさにその官僚主導の意思決定機構の土台を突き崩すことであり、突き崩す傍らでは、昨日と同じように末端行政機能は微動だにせずに、今日も同じ歯車を回してもらわぬと困るのである。

 

 つまり官僚支配の意思決定機能を突き崩すにあたって、官僚の力を借りねば、官僚主導型機構の仕組みの分解と再構築が非常に難しいというトートロジーの世界にこの問題はあるということである。破壊すればよいという問題ではないだけに、その実行は言うは易く行うは難しい、まことに厄介な代物と言える。

国益という旗印の下で、志ある官僚が多数出現し大きな協力の輪が広がらねば、安倍内閣のぶち上げる政治主導型の体制への大転換は、画餅に帰することになる。

 

 そのためには、中曽根内閣時代の行政改革の旗振り役を見事に果たした土光氏のような精錬潔白な国士をシンボル的に、その大改革推進の長に頂かねば難しいのだと思う。そう考えたときに、国民が「この人の言うことであれば」と思える人物が今の世に存在するのだろうかと、頭を巡らして見ても直ぐには思いつかない。

思いつかないままに、安倍晋三総理の決意を形あるものにすることは、相当な至難の業である。ただ、官僚との対決姿勢だけでは事の成就はならぬ。この巨大で老練な官僚機構の力を逆に利用する小が大を御する柔術の匠の名人技を、この少壮の総理に期待するしかない。

 

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小泉純一郎氏じゃないが、感激したディープインパクト!5

優勝馬のレールリンクと二分の一と首差で三着に終わったディープインパクト。今、午前一時二九分である。世界一の競走馬を選ぶフランス凱旋門賞競馬。老骨に鞭打って見てしまった。

 

残念!いや〜惜しかったねぇ。武豊騎手がNHKの記者にレース直後に感想を求められて、しばらく無言で、「残念でしたね」と言葉短く答えた気持ちに日本人の心すべてが籠められていると思った。

 

このレースは私にとって世界を舞台にした勝負の厳しさをまたあらためて知らされた瞬間でもあった。わたしは競馬というものにそう関心はない。馬券もこの年になるまでに一回だけ買っただけの、いわば競馬に関して何か語れる人間ではないことは知っている。

 

でも、今夜は夕方仮眠をとって午前零時三十五分の出走に備えた。何か日本の代表が世界に飛び出すのではないか、一人頑張るというその潔い決意に久しぶりにかさついていたわたしの心が躍ったのである。テレビのスイッチを入れたら単勝1.1で一番人気。期待はいやましに増した。

 

ディープインパクトは8頭のうちで最後にゲートに入り、そしてゲートが開いた。いつもと違い先頭の馬群にディープがいた。ライバルは後方で君を見ているぞと、つい心ならずも叫んでいた。

 

そしえ、結果は一位のレールリンク、二位のプライドに次ぐ、結果は三着であった。最後の直線でトップに立ったときに、得意の差し足で勝てると思ったが、甘かった。世界の壁というより勝負の奥深さを知らされたというのが正しい。やはり世界というより勝負は甘くない。強敵と戦前に言われた昨年の覇者ハリケーンランと前哨戦のフォワ賞を制したシロッコを抑えての三着であったが、結果は三着である。負けは負け。

 

真に「残念」である。武豊騎手の放った短い言葉の意味は重い。その思いもまた私たちの心持ち以上に重い。くだらない洒落を言っている場合ではない。レース後にレールリンクの騎手が、真っ青な芝生の馬場に馬車に乗って現れた。その光景を見てわたしは、その歴史ある席に武豊騎手が乗っておればと、つい涙腺が弛んだ。

 

二ヶ月余におよぶ現地での調整を終えての参戦。勝機は当然あった。「勝てる」勝負であったと素人のわたしにも思えた瞬間があった。勝たしてあげたかった。ディープインパクトという稀代の名馬に、世界一の冠をかぶらせてあげたかった。レース後に馬場をゆっくりと流して走るディープインパクトの姿になぜか涙が流れてきた。「君は精一杯、頑張ったよ」といっても、多分、その声は届きはしない。でも、必死に最後の直線を走った君の姿をわたしは決して忘れない。あの最後の直線で一瞬、先行しそうになったあの勝利を予感させた瞬間を・・・。

 

「感激した!」

テレビ朝日はメディア主体として失格5

テレビ朝日はメディア主体として失格

 

(朝日新聞928日記事参照)

テレビ朝日(本社・東京)が架空の番組制作費を制作会社に支払っていたとして、東京国税局から05年3月期までの3年間で、約1億3000万円の所得隠しを指摘されたことが分かった。バラエティー担当のチーフプロデューサー(59)が番組関係者らとの飲食費を捻出(ねんしゅつ)するため、番組で使っていた制作会社に指示して架空請求させていたという。ほかに経理ミスもあり、申告漏れ総額は約1億5000万円。追徴税額は重加算税などを含めて約6000万円とみられる。指摘を受けテレビ朝日は28日午後、記者会見し、このプロデューサーを懲戒解雇、君和田正夫社長ら計12人を減給などとする処分を発表した。」と、朝日新聞で報道された。

 NHKプロデューサーや日経新聞広告局員に引き続き、メディア関係者の不祥事が絶えない。報道番組や新聞紙上で事件なり不祥事を起こした国民、法人に対し、舌鋒きつくその非を糾弾する評論家、コメンテーターそして、その不祥事の当事者を執拗に追い掛け回し、罵倒するように詰問する記者連中は、こうした身内の一連の事件になると、途端に聖人君子のように物分りのよい態度に一変する。

 なぜかおかしくないですか? 報道回数も極端に少ないと感じるし、意図的にメディア全体でその関連の報道をお行儀良く自粛しているように見えてならない。

 当たり前の話だが、権力や世の不正を厳しく糾弾する使命を持つものは、自らの不正には、それ以上の厳しさを以って対処すべきであろうし、そんなことわざわざ言わずとも聡明なメディアの方々は分かっているはずである。

 今回のテレビ朝日の59歳のプロデューサーが犯した「横領事件」は、りっぱな犯罪である。それも事件の諸々の状況からしてその犯行は一回だけではなく常習性があったと語っているようである。

 しかし、テレビ朝日は本人はすでにその金額を返還しているので、刑事告訴はしないとして懲戒解雇ですまそうとしている。こんな理屈ってあるのだろうか。金品を盗んだ。見つかったので返還した。だから犯罪ではない。だから刑事告訴はしませんとテレビ朝日は、しゃーしゃーとうそぶく。

 では、よく夕方の報道番組でしつこく取り扱われている「万引き」ドキュメントも、番組中で「返せばいいという問題じゃないだろう、奥さん!」と、ガードマンに語らせる場面が放映されている。その通りである。たとえ十円のものでもお金を支払わずに着服すれば、それは盗みであり、りっぱな犯罪である。そんなこと今更言うまでもないことだ。

この事件はガードマンにそう語らせているテレビ局の人間の犯罪容疑である。

 だが、テレビ朝日は、盗んでも見つかったら元へ返還すれば「犯罪ではない」と言う。逆に言えば、見つからねば「やり得」なんだよと、言っているに等しい。一般私企業、個人の横領事件や接待饗応事件に対しては猫の首を取ったように大騒ぎし、当事者に群がり、殊更にプライバシーを露出させるが、身内の事件には容疑者の人権に配慮する紳士的対応に終始する報道機関とは、一体、何者であろう。わたしの喉もとまで汚い言葉がこみあげてくるが、決して言葉にはすまい。口に出してしまえば、この国のりっぱなメディアのレベルと、この自分も同じになってしまうから・・・。

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