彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

April 2006

患者がしゃべる脳出血へのカウントダウンーー5

脳出血へのカウントダウン― 

 

,砲發匹

 

2.脳出血の日

 わたしにとって二一世紀の始まりは惨憺たるスタートであり、そして強運のスタートでもあった。

 

20001年3月1日の午後4時、わたしは職場から歩いて5分ほどにある新聞社の論説委員(当時)A氏とビル内の喫茶室で逢っていた。先方からの相談事を紅茶を飲みながら聴いていた。そして、30分ほどした頃だろうか、頭がポワ〜ンとしてきて、A氏の声が少し遠いところから届くような奇妙な感じにとらわれた。最近の仕事の忙しさから疲れが溜まっているのだと思い、用件の返事は後日、担当の人間から話をさせることで、その場を去った。ビルの廊下を歩き出した時に、どこか雲の上を歩くようなふわっとした気分であった。もうその時は、ゆっくりとした歩調になっていたのだと思う。

 

そして、外へ出ると3月の冷たい小糠雨が降っていた。7、8分をかけて会社に戻ったわたしは、一階のエレベーターに通じる廊下をおそらく必死に歩いていたのだろう。退院後、その廊下ですれ違った同期の人物から「目礼をしたがわたしが見向きもせず、顔が真っ青で、ずいぶんと忙しそうだし、また難題がふりかかっているのだな」と感じたといわれた。実際、そこで彼とすれ違った記憶はまったく自分にはない。

 

十階の自分の部屋に戻った時は午後5時ちょっと前であった。椅子に座り、しばらく背凭れに寄りかかり疲れがとれるまでボ〜っとしていようとした。じっと目をつぶった。そして、しばらくして翌日の朝10時に大事な仕事があるため、早退をしようと帰宅の準備をしようと立ち上がった。なにか左手に奇妙な漢字が残った。頭はやはりポワ〜ンとしたままだ。

 

その時、社内診療所の所長にちょっと診てもらってから退社しようと思った。そのひらめきが結果的にわたしの命を救うことになった。6階にある診療所にエレベーターで降り、長い廊下を歩き出した時である、左足が異様に重く感じられ、一歩を前へ踏み出すのにものすごい力を要することに気づいた。壁伝いに所長室へゆっくりと向った、と云うより芋虫の速度でしか歩くことができなかった。

 

「どうした?」

 後日、先生の話では所長室のソファーに座ったわたしの顔は蒼白であったという。言葉を発するのもしんどかったと思う。

「先生、どうも調子が悪い」

 所長がわたしの前に座り、話し出そうとした瞬間、左顔面から血がす〜っと引いていくのがわかった。

「左がおかしい」

 所長が毛筆をもってわたしの左頬をそっとなぞる。毛先が頬に触れているのが下目使いに見える。最初は毛で触れられている感触があった。しかし、その感触がまったくなくなるまでに1、2分もかからなかった。目では見えるのに触られているのが感じ取れない。それは異様で悲しい光景であった。

患者がしゃべる脳出血へのカウントダウン3

「脳出血へのカウントダウン―  

 

1.はじめにあたって

 脳卒中には大きく分けて三つのタイプがある。一つ目が脳梗塞、二つ目が脳出血、三つ目がくも膜下出血である。さらに一過性脳虚血発作といわれるものがあるが、これは比率的にも少なく、大事に至らぬケースが多い。脳卒中死亡のうち、60%強が脳梗塞、25%が脳出血、くも膜下出血が10%強とこの三つの病気で脳卒中による死亡のほぼすべてが占められるといってよい。

 

 このわたしは200131日に右視床部分の脳内出血におそわれた。今から五年前の出来事である。現在、わたしは依然左上下肢に中程度の麻痺を残している。この障害状態が今後も続くことになる。ただ、まだ東京で会社勤めをしている。電車通勤もラッシュ時を避けた時間の通勤にしてもらっており、杖を突きながらではあるが問題なくこなしている。また、日常生活も車も時々運転するし、日常行動の自由度という観点からは相当に軽い範疇に入る後遺症ということになろう。

 

 これから「脳出血へのカウントダウン」というタイトルで、脳出血に至ったわたしの状況を記してゆくことにしたい。脳卒中の原因と推測されることや前兆と思われることなど発症前のことを忠実に記すことにする。そのことで、わたしのケースを参考にしていただき少しでも脳卒中に罹る人々が少なくなれば幸いと考え、五年前の悪夢に至る直前の二、三年間を振り返ってみたい。

 

 

共謀罪審議日程の怪5

「共謀罪審議日程の怪」

 

 衆議院法務委員会で共謀罪の審議が四月二十一日に開始、二十八日には採択の予定と報じられている。過去二回の国会ではその内容の問題性から廃案となった法案であるが、今次国会では、メール問題、耐震偽造問題等に国民の目が行ったことから、憲法で保障される思想・表現・結社の自由に関わる重大な法案である「共謀罪」の審議が行なわれることすら国民は知らされていなかった。メディアがこの数日ようやく本件につき報じ出したが、冒頭の日程では具体的な反対や行動は一部の動きに止まらざるを得ない。まさに日弁連などがHPで反対意見を述べてはいるが、それが国民的議論へは到底、達していない。

 

 さらに、奇妙なことにこの審議日程に合わせるようにして、長く拘留中であったホリエモンの保釈が、この法案採択の二十八日にも行なわれる、そしてその前日の二十七日には長く放置されていた耐震強度偽造事件に関係する姉歯容疑者・木村建設元社長など八名の逮捕が実施された。まるで、共謀罪に国民の目を向けさせまいとするかのように、この連日の目まぐるしい検察や法曹界の動きは、私の目に不可解に映る。事件の真中にいると噂されるヒューザーの小嶋社長、総研の内河社長の名前が偽造事件逮捕者の中になかったことも、今後のこの共謀罪審議の動向如何での隠し球として、いや目くらましの術に使う用として温存しているのではと勘繰りたくもなる。そして拉致被害者家族の横田滋、早紀江夫妻らとブッシュ米大統領との面談が二十八日に急遽セットされたことまでもがそのタイミングのよさに何か裏でもあるのではないかと思いたくなる。

 

 それほどに、この諸々の事件の動きと共謀罪の審議日程がぴったり平仄が合っているようで、気味が悪い。審議入りの二十一日(と言っても当日は開会のセレモニー程度)は金曜日で、土日が休みで実質審議は月曜日の二十四日から。

 

 日曜日朝に目白押しの報道番組が事前に取り扱うにも共謀罪の衆議院法務委員会での採択までは、実は二十三日の日曜日のみで、問題点等の洗い出しや一般的な議論が国民の目に触れる時間を最小限に抑えた巧妙な戦術としか思えぬ日程の組み方である。現に、「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」いわゆる「共謀罪」についてほとんどの国民は、どんな問題がこの法案に潜んでいるのかまったく感知しないまま、法案の成立をただ呆然と見守るしかない状態に置かれてしまっている。

 

 国会審議日程と検察など権力側のこの数日間に焦点を合わせたような捜査スケジュールに私は猛烈な不自然さとそこに潜む権力という暗黒の眼が狙いすましている意思に背筋がすっと寒くなる気がするのである。怖い!

共謀罪法案に反対の狼煙を!5

「共謀罪関連法案に反対」

 

 四月二十一日(金)から共謀罪の創設を含む「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」の本格審議が衆議院法務委員会(委員長石原伸晃)で始まった。そして、わずか一週間後の二十八日には採択の予定である。

使い方によっては、この法案が憲法第19条【思想及び良心の自由】、第21条【集会・結社・表現の自由,通信の秘密】で保障されている思想・結社・表現の自由を脅かすことになりかねない「怖さ」を有していることを国民の前に明白にし、透明かつ慎重な議論がなされるべきと考える。その意味において、過去二回廃案になったこの法案が、今国会でわずか一週間、実質的にはほんの三、四日の形式的審議で成立を図ろうとする自民党の姿勢は甚だ問題があると言わざるを得ない。

 

 抑々、共謀罪の法案問題は国連総会で採択された「越境組織犯罪防止条約」に端を発す。日本は200012月、イタリアのパレルモで「越境組織犯罪防止条約」の本体条約に署名した。そして、同条約を批准するためには国内関連法案の整備が必要である。その柱となるのが共謀だけで実行の着手がなくても可罰的とする「共謀罪」という新たな法律である。そのほかに「証人等買収罪」、「両新設罪の犯罪収益規制法の前提犯罪化」、「贈賄罪の国外犯処罰」などの諸規定も同様に審議されることになる。

 

 難しい法律論議は私にはわからないが、これまでの「刑法」が犯罪が実際に実行、準備された場合に、その行為を処罰するのが大原則であったのに対し、この共謀罪は実際に犯罪を実行、準備をしなくても、団体の活動として刑の上限が4年以上の犯罪を行なおうと合意したと、警察や検察が認めれば新法の適用により摘発が可能になるという。共謀罪の概要は、死刑または無期もしくは長期4年以上の懲役もしくは禁錮の刑が定められている「罪に当たる行為で、団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行なわれるものの遂行を共謀した者」を処罰するもの(法案第6条の2)。長期4年以上の刑を定める犯罪についての共謀は懲役2年以下、死刑または無期もしくは長期10年を超える刑を定める犯罪についての共謀は懲役5年以下の刑となっている。

 

現代、国際社会で多発するテロや麻薬密輸など組織的国際犯罪は一国家の対応で防止することは難しい。従って国連を中心とした国際的ネットワークのなかで、その防止なり犯罪組織の摘発、根絶を目指すこと自体に問題はないし、その方向性は十分、理解できる。

 

しかし、私は謀議をこらし合意したと権力当局が認定をすれば、その団体なりその構成員が摘発、逮捕されることに、戦前の特高や憲兵が例会とする俳句会や同人誌の集まりなどに乱入し、さまざまな無辜の国民を拘束、収監した暗い歴史を思い起こさずにはいられない。暗黒の社会が訪れ、権力の自己抑制のタガがはずれる時、今の内容の共謀罪は時の権力の、格好の権力維持装置となる。

 

先に述べたように組織的国際犯罪の撲滅に向けて、各国が協力体制で臨む必要性は十分首肯でき、そのために国内法の整備が必須であることも十分、理解できる。ただ、団体の活動として刑の上限が四年以上の犯罪を行なおうと合意したと検察当局が判断した場合という、その犯罪対象行為を「刑の上限が四年以上の犯罪」という、言わば投網をかけるような形(有印私文書偽造、公用・私用文書毀損、消防法火災報知器毀損、郵便法郵便用物件を損傷する等の罪など600以上の法律名・罪名が対象となる)で何でもありの認定基準の「共謀罪」はあまりに恣意性が大きく危険であり、決して許されるべきものではない。少なくとも「テロ」「麻薬」と犯罪対象行為を国際的なネットワークで対処する効果のある組織犯罪に特定した狭い意味での共謀罪とすべきである。

 

この国の権力が法治国家という仮面をかぶり、その「法の鞭」で国民を打擲(ちょうちゃく)し、暴走したのは、つい六十年前の不幸な出来事である。まだその傷の癒(い)えぬ人々は存命である。こうした過ちを二度と繰り返すべきではなく、この天下の悪法に我々は断固、反対の狼煙を揚げるべきである。決して遅くはない。日本全土で狼煙を揚げつづけることが大事であると考える。

 

竹島問題に見る日本外交の甘さ4

竹島問題に見る日本外交の甘さ

 

 「竹島問題」で日韓間ににわかに緊張感が高まって来た。韓国が六月下旬にドイツで開催される国際会議「海底地形名称小委員会」で、竹島周辺海底地形に韓国名表記を提案するとの情報を得て、その対抗措置として日本側が海上保安庁の測量船「明洋」(六二一トン)、「海洋」(六〇五トン)の二隻により、竹島近海を含む海域での海洋測量調査を行なう動きを示したことで、双方の緊張感が一挙に高まる格好となった。

 

小泉純一郎首相は本件に関し、二十日夜、「よく話し合って冷静に外交交渉で円満に解決していきたい」と語り、韓国側に冷静な対応を呼びかけ、二十一日、谷内正太郎外務事務次官が外交交渉で円満な解決を探るため韓国に飛んだ。その外交交渉の間は二隻の調査船舶は鳥取県境港沖に錨を降ろし、待機するという。荒れた日本海の洋上にある調査船の乗員たちこそとんだ災難である。

 

そうした対応姿勢にある日本側に対し韓国政府は、対抗措置として日本の海洋調査計画を国連海洋法条約に基づく紛争解決手続きの適用除外案件にするよう求める「宣言書」を、十八日付で国連のアナン事務総長に送付したことを二十日になり発表した。日本政府が測量調査をめぐる対立をオランダハーグの国際司法裁判所に持ち込ませないための対抗措置である。この宣言書を仮に国連が受理した場合、日本は韓国の同意なしに国際司法裁判所に仲裁調停を申し出ることが出来なくなるという。日本の対抗手段を読んだ先手先手を打っているように思え、そこに国益に対する両国政府の執着度の違いを見るようでならない。国益の衝突を伴う外交問題は武器は直接手にせぬものの、明白な戦争であるといってよい。

 

今回の一連の動きと日本政府の対処を見ていて、この国の外交は一体どうなっているのか、政府は自分の役割が何かわかっているのか、首をひねることが多すぎる。郵政民営化で国民選挙のような総選挙を行い、列島中に小泉ドラマを展開した。そんなコップの中の嵐には殊のほか熱心な政府も、こうした非常にナーバスかつ歴史的難しさを持つ領土問題に関しては、逆に異様なほど腰が引けており、今回の騒動を見ていて国益に関する意識のあまりの低さと危機管理のあり方に依然、大きな問題があるといわざるを得ない。

 

竹島の領土問題の是非については別途述べるとするが(詳しく勉強されるならhttp://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/がよくまとまっていると思います)、国際紛争やトラブル時の初期始動や対応のあり方が、日本はいかにも稚拙であり、後手後手に回りすぎている。韓国にその鼻面を引き摺り回されているようで、みっともない。今回は常に韓国に主導権を握られ、相手の土俵の上で相撲をとらされているとしか見えない。さらに言えば、低支持率という内政問題から目をそらさせる意味でのノ・ムヒョン(盧武鉉)大頭領の最近の反日姿勢の高まりなど、韓国の内政事情に日本が歴史問題を含めていいように使われているとも言える。

 

領土問題はナショナリズムに火をつけるのには格好の材料である。そして、ナショナリズムは得てして、自らの冷静な思索を阻み、他者の客観的な理性を攻撃しかねぬ危険性を常にはらんでいる。このことはこれまでの歴史が幾度となく証明してきている。冷静なつもりでも、相手の不用意な言葉や態度にナショナリズムという揮発性の高いガスに一挙に点火する可能性は極めて高い。

 

ここまで至ってしまった現在の状態はこうした情勢にあると危惧する。本件に関わる両国の交渉担当の人間や報道のあり方等に対し、厳に「冷静な理性」を求めたいと思う。

 

日本という国の情報収集の甘さ、事実を知ってからの手際の悪さ、それよりも何も自国固有の領土である竹島に他国軍隊が違法駐留(侵略)していることに口先のみで抗議すると云ったこれまでの国益に対する認識の軽さがここに来て、大きなツケとなって顕れてきたのである。そう思うと口惜しく、歯軋りしたいほどの屈辱感に襲われるが、ここは本当に国民は冷静にならねばならぬと心から考える。政府には口で「冷静に」と呼びかける前に「やることをしっかりやっていれば国民は黙っていても冷静である」と言ってやりたい。

匿名社会と民主主義3

「匿名社会」

 

 自分でブログをやりながら、匿名社会の怖さを実感している。文章を書いているうちについ、筆がすべるというより言葉を選ぶのにその場の感情に流されてしまうことがよくある。とくに、批判なり反対意見を書いている時にその傾向が顕著である。感動したことやちょっとイイ話を伝えたい時は、逆に後で読んで頬を赤らめることがよくある。

 

 後者は、まぁ頬を自分だけが赤らめれば済む話だが、前者は全く次元の異なる話である。批判なり相手に反対意見を述べる際には、ファクトに基づいた冷静な議論なり論評が必要である。正確な数値や冷静な事態把握、それに加えて自らを客観的な位置に置いた視点は議論する前の必須条件である。その場の感情論や自分の思い込みをベースに徒に議論、意見を展開するべきではない。

 

 TVのコメンテーターと称される人々が、キャスターから瞬間的に振られたテーマに答える時にそうした自己都合の応答をする様子を目にすることが多い。咄嗟の対応であるため情状酌量の余地はあるとはいえ、プロとして画面に登場しているのであれば、日頃より基本的なデータや数値的な分析、社会情勢、世論動向等の把握は常識というより教養として備えているべき素養、条件であろう。ただ、彼らはコメントするにおいても、自己の責任、自身の名前のもとに行なっていることはTV画像に顔を曝け出していることから当然であり、その発言が引き起こす反響には、必要であれば自分で後始末なり、説明をすることとなる。

 

 ところが、今日、2チャンネルやブログへの書き込みといった形で、一般人が自分の名前を秘し日常的に意見表明が行なえる誠にやっかいな社会が到来した。そうした社会では、前述のコメンテーターのような訳にはいかない。一般の人は事実誤認に基づいた反論を受けた時や、それに基づいた個人的な誹謗中傷、酷い時は身の危険さえ感じるような書き込みをされた場合に、それに対し有効な反論の術を持たず、法的措置などという究極の手段をとることなど心理的には難しい。

 

 互いに顔を知っており反対意見を闘わせる程度であれば、少々、過激な言葉の遣り取りはあるにせよ、ある程度の感情の抑制は効く。しかし2チャンネルなどに匿名で一方的に書き込まれた言葉などは、関係のない私なり他人が目にしてもこれほど卑劣で品性下劣な言葉の暴力があるのかと目を疑うことが日常茶飯事である。

 

そこには、表では華やかに持て囃されるネット社会が抱える暗黒の部分が見えてくる。まさに「匿名」というある種人間に好都合な「社会」の出来により、人間の厭うべき本能のひとつである「卑劣な劣情」を、顔の見える表の社会から解き放ち、「匿名」という闇の世界で跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)させることになってしまった。

 

現在、政府は匿名性の翳の部分に光を当て、こうした事態の改善を図ろうと後追いで法整備を含め色々な手立てを模索しようとしている。しかし、このことは、言論の自由、個人情報保護法など表の世界の権利ならびにプライバシーの保護といった民主主義の根源にある権利と相矛盾し、それと真っ向から衝突する状況にあると云ってよい。

 

 人の口には戸は閉てられない。口は災いの門。わが身をつねって人のいたさを知れ。うそつきは泥棒の始まり。噂をすれば影が差す。かには甲羅に似せて穴を掘る。きじも鳴かずば撃たれまい。昨日は人の身、今日は我が身。曲がらねば世がわたられぬ。丸い卵も切りようで四角、物も言いようで角が立つ。

 ことわざ辞典を久しぶりに紐解いてみた。先人たちがこうした人間の翳の部分に光を当てて、あるべき行動規範を諭した諺の類が、この日本にはたくさんあることを知った。そして、この種のことわざは確かによく人間の本性や社会という化け物の本質を見抜いた警句に充ちているとあらためて感心した。

 

 法律という物理的拘束力でこの「匿名社会」に規律を求めるのは、民主主義の根底にある自己責任の社会機構自体を「法」で破壊しかねない危うさを内包する。しかし、「名を秘匿する」ことも言論の自由という民主主義の根幹に関わる権利である。誠にこの問題への対処は難儀であり悩ましいと考えざるをえない。この先達たちの警句を何とか自分たちで再評価、再認識し、その先人の智恵で民主主義の利点を自らの手で守るという強い意識を持つことが、今こそ必要とされているのだと思う。

 

 

八田與一を知ってるかい?5

「八田與一を知ってるかい?」

 先日、TVで八田與一(はったよいち)という台湾最大の穀倉地帯を作った明治男を知った。そして、日本人に昔、脈々と流れていたノーブレスオブリージという高貴な精神を想い起こした。

 八田與一は1886年(明治19年)に金沢市に生まれ、東京帝国大学の土木工学を卒業して、台湾総督府の内務局土木課に奉職した。24歳で当地に渡り56歳で亡くなるまでのほぼ全生涯を当時、植民地であった台湾のためになげうった。八田與一は台北の上水道整備など水利工事の分野で頭角を現すと、いよいよ1920年にライフワークとなる当時アジア最大と云われる烏山頭(ウーシャントー)ダムと総延長1万6千キロにおよぶ灌漑用水路建設という世紀の大工事に着手する。烏山頭は台湾南部の台南市から東北にバスで1時間20分ほどのところに位置するが、その西下流域に台湾南部最大の嘉南平野が広がっている。ただ、その平原には流れる河川も少なく20世紀になるまでは水利の悪さからサトウキビすら育たなかったと云われていた。

 その旱魃に悩み貧しい土地に万里の長城(全長5千キロ)の三倍を超える距離の灌漑用水路網を整備し、その東方の山地に最大貯水量1億5千万㎥、満水面積6千haのアジア最大のダムを建設しようという気の遠くなるほどに稀有壮大な大工事であった。完成は1930年(昭和5年)。10年という歳月を費やし、與一の半生のすべてを注ぎ込んだと云ってよい。その間、烏山嶺隧道工事の最中に起きた死者50余名にのぼる爆発事故や、工事期間中に本土で起こった関東大震災による国家財政逼迫の煽りからの大幅な補助金削減。それに伴う工員の半数におよぶ規模の大幅な人員整理。次から次へと襲いかかる難題を不屈の精神力と高度な専門技術知識で乗り越え、さらに人情味あふれる工員との接触で人心を掌握し、この難工事を成功へと導いていった。

 人員整理の際には、優秀な工員をの方を解雇したと云う。「勿論、力のあるものを残したい。だが、能力あるものは再雇用の道も求めやすい。そうでないものは家族共々、路頭に迷うことになる。だから、敢えて惜しいと思われる人間に辞めてもらうことにした」と、與一はその苦しい理由を部下たちに説明したと云う。その心臓の張り裂けんばかりの心情を今の私が察することは余りにおこがましい行為だと云わざるを得ない。そしてその首を切った者たちの再就職には與一自らが奔走し、烏山頭ダムに勤めていた時よりも高い報酬を新たな勤め先に確約させるなどその生活の再建には心血を注いだと云う。

 こうして15万haにおよぶ痩せた大地に潤沢な灌漑用水が供給されるようになった。水稲やサトウキビなどの農産物の豊富な実りを実現させ、嘉南平野を現在では台湾最大の穀倉地帯と呼ばせるほどの肥沃な平野にその姿を一変させたのである。

 八田與一は1942年(昭和17年)に陸軍に徴用されて、米潜水艦にフィリピン沖で乗船する船を撃沈されて戦死した。烏山頭に疎開していた妻、外代樹(とよき)は他の疎開先より戻った息子の無事を確認すると、昭和20年9月1日深夜に夫と共に全身全霊を捧げ尽くし築きあげた烏山頭ダムの放水口に身を投げ、最愛の夫、與一の後を追ったと云う。

 いま、その地には嘉南地方の人々の手によって建立された日本式の與一の墓がある。台湾の人々に愛された八田與一はほとんどの日本人に知られることもなく、その地で愛する妻、外代樹と共に静かに眠っている。そして、自らのやり遂げた実績を自慢吹聴することもなく、大穀倉地帯を吹き渡る緑のさわやかな風を満身に受けながら・・・静かにこの田園風景に優しい目を時たま、投じているのであろう・・・。

 

歳時記エッセイ 6.葉桜4

「葉桜」

 

 桜前線があわただしく日本列島のうえを過ぎ去り、葉桜が街路に目立つようになると、街に落ち着きのようなものが戻ってきた気分になる。という樹はどうしても満開になった花びらが主役であり、その絢爛豪華さとひと雨で散りゆく潔さという対極の概念が取り合わさって古来、日本人の心を捉えて離さない。

 

だから葉桜になって遅まきに咲いている桜の花びらに対して、ほんの一週間ほど前にはあれほど嘆声をあげていた人たちも思いのほか冷たい視線を向ける。と云うより、大半の人は明らかに無関心となる。そんな葉桜の花びらはどこか居場所を失った老人に似て、新緑若葉の脇で目立たぬようにさも申し訳なさそうに咲いている。

 

ところが目を凝らせばその新鮮な若葉色と薄い桜色のコントラストは、また満開の桜とは異なった趣があることに気づく。葉桜の美しさは緑の若葉の領域が増えるにつれて薄れていく。おそらく葉桜は若葉色と桜色の対照の或る一瞬に最高の輝きを放つ「刹那の美」とでもいってよいのだろう。満開の桜は少なくとも三、四日の賞美する猶予を人々に与える。しかし、葉桜のかもす特有の微妙なコントラストは「一瞬の時」しか我々にその鑑賞する自由を与えない。考えてみればずいぶんと誇り高い存在であったのだと気づいた。

 

 そう思い至った時、花見にはもうひとつの果かなさがあったのだと知った。そして若葉が枝々を占領し尽くす頃、いわゆる桜蘂(さくらしべ)が並木敷きを覆うように落ち敷き、宴の後のがらんとした座敷の静謐を思わせる光景が眼前に広がる。その春泥に桜蘂が張りついている寂しげな情景は、しかし、翌年の「刹那の美」を待つための、そう・・・序章なのだと感じた。

 

自公連立の「教育基本法改正案」の限界3

自公連立による「教育基本法改正案」の限界

 

 与党の教育基本法改正検討会の大島理森座長は十二日の会合で、自民、公明両党間で対立していた「愛国心」の表現について、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」とする座長案を提示、了承を得た。文部科学省は直ちに法案化作業に入り、月内にも国会に同法改正案を提出する。(産経新聞4.13

 

 「愛国心」の表現をめぐって公明党は「戦前の国家主義を連想させる」として、改正基本法から「愛国心」の言葉を外すよう抵抗を続けてきた。その結果、上記のような法案文となったとことである。愛国心の「心」という言葉も「態度」と変更された。「心」でなく「態度」であれば「内心の自由、心の問題に踏み込まない」のだと公明党は主張したと云う。

 

 いやぁ、何をか言わんやである!ここで言葉遊びをする気はないが、人の行動・態度とは意思すなわち心の動きが外的な形で顕れたものである。態度という言葉であれば心の問題に踏み込まないから大丈夫というのであれば、態度・人の行為は一体、何がなさしめるのであろうか。神がなさしめるとでも云いたいのであろうか。

 

 国を愛する心を持つこと自体、本来、健康な国民としては自然な感情の発露であるはずである。健全な精神を持つ国民を育てるにおいて、「国を愛する心」を教えることが何故、おかしいのか私にはわからない。「愛国心」=「軍国主義」というドグマの桎梏からはこの国もそろそろ卒業すべきである。世界中でどこを見たら、国を愛することを教育で教えることはおかしいなどと叫ぶ国があろうか。国を愛することはすなわち家族を愛することであり、友人、隣人を愛することに等しい。世界中で国を愛する心を育てることに逡巡する国などない。

 

 この国はもうそろそろ軍国主義の呪縛から解き放たれるべきである。徒に軍国主義の影に脅え、健全な精神、心を育む気持ちを社会や大人たちが、積極的に表に打ち出し、主張することを躊躇うべきでない。本当に軍国主義の台頭を懸念するのであれば、健全な心を育て、その純粋な目で社会情勢を検証、分析する力を子供たち、いや大人たちにもつけさせることこそ、最も大切な対策であると考える。健全な心で権力をチェックする力が国民にあれば自らを軍国主義という暗黒のブラックホールに放り出すようなことはしない。そして健全な心こそ「国を愛する心」の宿る普遍の精神であるのだと私は考える。

 

 そう云った意味で、今回の教育基本法改正案の「愛国心」の取扱いについては、もっと素直に、健全な精神で普遍的議論を進めていくべきものであったと悔やまれ、残念でならない。小沢一郎民主党がどうこの改正教育基本法に挑むのか見ものである。

自民党丹羽・古賀派の新聞「特殊指定撤廃反対」の不見識3

自民党の「特殊指定撤廃反対」の余りの不見識

 『四月六日、自民党丹羽・古賀派の総会で、新聞の全国同一価格での販売などを定めた「特殊指定」の撤廃に反対することを決めた。

 代表の丹羽雄哉・元厚相は総会で、「どの地域においても、(同じ新聞ならば)同一価格ということが今の新聞業界を支えており、これは再販売価格維持(再販)制度と特殊指定制度の二重の縛りになっている。これ(特殊指定)が崩れていくと、宅配制度に影響する」と述べた。さらに、「竹島一彦・公正取引委員会委員長は強気だそうなので、非常に予断を許さない」との懸念を示した。また、社民党は同日、特殊指定に関する公取委と日本新聞協会からの意見聴取を十一日の政審全体会議で行なうことを決めた。』 (4.6 22:44読売新聞)

 この特殊指定問題については撤廃すべきとの意見を三月二十日付けブログhttp://app.blog.livedoor.jp/hero1945/tb.cgi/50069199で述べたが、冒頭の記事を知り、私は口をあんぐりと開けざるを得なかった。この丹羽雄哉代表の認識は一体、どこから出てくるのか。どの地域でも同一価格でないと宅配制度はなくなると、云っているのである。

 もし、新聞が同一価格の宅配制度を維持したければ、つまり新聞は公共財であるというのなら、電力小売の自由化と同じ問題になる。つまり、ユニバーサルサービス(普遍的・公平なサービスの提供)をどうするかの議論をすればよい。

 私は新聞は公共財などとこれまで思ったことはなかったし、公共財であると思って新聞業界が記事を書いているとは思ってもいない。やれ、特ダネだの、他社を出し抜いただのと自分たちの世界の価値観だけで動いている業界を私は決して公共財を提供する事業体などと思わない。でなければ、記事の捏造、社内で色々なケースを検討しているだけで、そのひとつを抜き出し、「A社が○○と合併」と云った記事が一面トップなどに踊るはずはない。公共財を扱っているという意識であれば、事実だけを伝えるべきであり、もし検討中であれば全ての検討中のものは、常に新聞紙上を飾らねばならぬ。読者は一面トップで報じられたニュースでその後、何の音沙汰・続報もない経験を何度も持ったことがあると思う。また、その渦中に放り込まれ迷惑をかけられた会社人も多いと思う。

 こうした新聞業界は、今、「特殊指定」の撤廃問題で、それを阻止しようと横一線で論陣を張っている。常々、市場原理を振りかざし、経済界にその刃を衝き続けてきた業界が、「自分だけは違う」と叫んでいるのである。まさに笑止である。

 丹羽・古賀派総会の「新聞の特殊指定撤廃の廃止」という、早口言葉で舌がもつれそうなことを真面目に決めたというのだが、新聞業界に何か弱みでもあるのか、何かこの業界に貸しをつくると得だとの判断でも働いたのかとでも、邪推したくなるほど、彼らの不見識さに愛想が尽きた。

 

 

初めて政治家というものの演説を知った5

初めて政治家というものの演説を知った

――小沢一郎民主党代表候補の演説

 

 47日の午後3時から民主党代表候補としての菅直人、小沢一郎両氏の演説を聞いた。菅直人氏に続く小沢一郎氏の演説に耳を傾けながら、私はこれまでこのように明確な国家観をもった政治家の演説を聞いたことがないと思った。非常に格調の高い演説であった。「政治家たるもの言葉が命」とはよく言われる。真にそのことを知らされた名演説であった。

 

 小沢氏は1993年に「日本改造計画」という著書で、その政治理念なり、国家観は明確に提示されていた。しかし、文字と言葉の違いを今回ほど知らされたのは初めてである。ひと言、ひと言、噛み締めるように語る小沢氏の表情には、その口から吐き出される言葉の重みと同様に緊張と真摯さが窺われた。

 

 小沢一郎議員には「豪腕」、「壊し屋」、「寝業師」、「傲慢」といった本人にとっては嬉しくない評語がよく冠される。私もこれまでの小沢氏の政界遊泳のあり方に大きな疑問と不満を持ってきた人間である。決してその強引とも見える手法や非情とも思える行動原理に賛同はしない。しかし、同氏の持つ指導者としての資質は巷間云われている通り、おそらく本物なのであろう。何より今日の演説がそのリーダーとしての資質を証明して見せた。先に終わった菅直人氏の演説と比較してみて、その国家観のあり方、言葉で人心を捉える力量の差の大きさにあらためてびっくりした。

 

 菅氏は所詮、市民活動家の域を超えることが出来ぬ政治家であったのだと逆に再認識させられた。ディベート上手とは言われるが、国家の舵取りを任せる最も大切な国家ビジョンをこの政治家の演説から汲み取ることは出来なかった。そして、この民主党代表候補の演説者のなかに小泉総理が参加していたら、もっと「政治家たるもの言葉が命」の真の意味がはっきりしたのではないかと思った。ワンフレーズで国家ビジョンが語れるほど国家の運営は簡単でないことを国民がはっきり知るよい機会であったと思ったからである。

 

 そして、小沢一郎119票 : 菅直人72票で小沢氏が代表に決定

 

その選挙後の記者会見でそうした国家ビジョンについての質問がなかったのは残念であった。と云うよりも、その政見に対して質問するのがメディアの基本的姿勢であり、挙党体制や菅氏の処遇はどうかと云った党運営に偏重した質問が真っ先になされるのは、メディアが抱える問題意識の低さを表わしているようで残念でならなかった。もっとベテランの記者がこうした大事な会見には出席し、本質的な質問をすべきだと思った。国民が今、知りたいことは何か、知らせねばならぬことは何かを自らが問い質し、聞き出し、知らせて欲しいと思った。小沢氏がこの若い記者の質問にイライラした表情を見せたのも、おそらく「俺が今日言ったビジョン」をお前は聞いていたのかと云いたかったに違いないのだと私は思った。明日の新聞にはおそらく「自分も変わらねばならぬ」といった口の先から小沢氏は以前の小沢氏の顔を見せたとでも、大新聞の一面に見出しが躍るのであろうか。二大政党という政治情勢を何が何でも生み出してほしい、小沢という男に期待をしてみたい、「政治家の熱い声」を聴きこの日本という国を一度、任せてみたいとそう思った。

 

民主党代表選挙3

「民主党代表選挙」

――国会会期はまだ残っている

 

 この47日に新しい民主党の代表が民主党国会議員の投票により選出される。216日の永田寿康議員の「メール」質問に始まり、41日の前原代表の辞任表明までの一ヵ月半におよぶ「偽メール事件」の韓流(はんりゅう)ならぬ三流ドラマに漸く終止符が打たれようとしている。

 

 抑々今回のことは、国民という観客が、永田議員のお粗末な人物眼と情報の真偽すら検証せず功名心にのみ逸った軽薄な行動により作成された低俗ドラマを予算委員会という国政の最も大事な劇場で、高い木戸銭を払わされ見せられたのに等しい。そこでまずは、民主党にこの高くついた木戸銭の払い戻しをしてもらいたい。平成18年度予算は国民の目の前でしっかりとした論議もされぬまま、すんなりと通過した。

 

また、行政改革推進法案、教育基本法改正案、アスベスト健康被害者救済法案、医療制度改革関連法案、建築基準法改正法案、防衛省設置法案、官製談合防止法改正案、国民投票法案など国民の関心が極めて高くかつ我々の将来にとって重要な法案が目白押しの状態であった。その法案について国民は目隠しをされた状態のまま、この国の将来にとって大事な審議が淡々と進められていった。そしてメディアも偽メールのみに泰山鳴動させ、国民に重要法案の審議状況を伝えようともしなかった。その責任も大きいといわざるを得ない。

 

しかし今国会の前半は冒頭の「偽メール騒動」で国会を混乱させた民主党の責任が最も重いことは云うに及ばない。その責任の重みを民主党の議員ひとりひとりが肝に銘じ、国民に対し謝罪すべきであるし、今後の議会活動こそがその謝罪の真偽を測るリトマス試験紙であると考えるべきである。

 

331日に公表された民主党「メール」問題検証チームの報告書は本文39頁、添付資料2頁からなるが、これはあくまで偽メール事件の経緯と民主党自身の内なる反省を綴ったものでしかない。国民に対する直接的な謝罪はここには記載されていないし、この報告書に基づいた公党としての正式な謝罪は国民に対してなされていないと私は認識しているからである。

 

120日から始まった第164回通常国会は、まだ618日の期末までまだ2ヶ月余の会期を残していることを我々は忘れてはならぬ。民主党代表の選出を機に、小泉政権五年間の政策の総括チェックを是非、野党第一党たる民主党に期待したい。

 

長崎県立清峰高校の清々しい野球4

清峰高校の教えてくれたもの

 

学生野球の本分を示した長崎県立清峰高校(2009.4.4)

 

 久方ぶりに高校生野球らしい野球を目にした。44日(火)の春季高校野球決勝戦である。試合結果はご存知の通り、横浜高校21点―清峰高校0点と過去最大の得失点差による強豪横浜高校の選抜三回目の優勝で春季高校野球の熱闘の幕は閉じられた。

 

 圧倒的破壊力を見せた横浜高校の打撃陣と清峰高校の肌理細かい打線を完封した川角、浦川両投手の快投はさすが伝統高の底力とただただ、唸るしかない。試合展開は4、5回までは、徐々に点差は開くものの何とか試合の体をなしていた、というよりまだ清峰の反撃に期待をもち続けた。しかし、6回の9得点でこの決勝戦の勝負としての興味は尽きたと云ってよい。6回以降も回を追うごとに点数が重ねられて行った。これまでの私であれば、これほどの大差になれば可哀相な選手たちから目を背けたくなったに違いない。だが、この時は不思議とそう思えなかった。清峰の有迫投手を初めとする投手陣や各野手たちが、この圧倒的、いや暴力的ともいえる試合展開の中で右に左に痛打されたボールを必死に追いかけ、バックホームする姿は決して格好よくなかった。心の動揺を表すかのようにミスも連発した。しかし、選手たちの瞳は最後まで熱っぽく、真剣だった。諦めないというより、最後まで与えられた責任を全うしようと全力を尽くす姿勢に、今の世の中では希少価値となった「泥臭さ」という行為が何故か清々しく見えたのである。外野の芝生の上に無様に転がる姿、パスボールして慌てて後方を振り向きフェンスに駆け寄る様・・・、それは本当に格好悪かったし、あまりにも泥臭く、そして切なかった。

 

 全国の耳目を集める伝統の高校野球の決勝戦である。真にその晴れ舞台で、選手たちはあるいは心の中で涙を滂沱と流し、甲子園の芝生の上を右往左往しながら走り回っていたのではなかろうか。そう思った時、私の目から実際に涙がボロボロと零れだしたのである。

 

 そう云えば、俺の「青春」って格好悪かったよな・・・と心中で呟きながら涙の滴は頬を伝わり落ちていた。いつしか、自分は青春というものを美化する脳内作業を無意識に重ね続けてきたのではないか。格好良く生きなければならぬと思い込むようになっていたのではないか。涙でにじみぼやけた瞳で転々と外野を転がる白球を眺めながらぼんやりそんなことを考えた。そして「青春」時代だけでなく、格好悪くそして泥臭く生きる姿は、実は清々しいのだという気持ちを今の自分は失ってしまった、いや、どこかに置き忘れているのではないかと思いついた。

 

 清峰高校の選手たちと吉田洸二監督にあらためて「ありがとう!」と云いたい。地元の生徒だけで構成されたチームだという。そんな九州の名も知れない田舎町の青年たちが、置き忘れている大切なものを私に気づかせてくれたことに本当に感謝したい。

そして「お前たち、本当に格好悪く、泥臭かったぞ!」

そして、最後に「ありがとうな!」と大声をあげて叫びたい。

 

 

新聞は日本語文化の伝承者4

新聞は日本語の貴重なる伝承者

――新聞への投稿を終えて

 

 今回、依頼を受けて新聞に五回連載の投稿文を載せた。これまで常々、読者としての立場から新聞記事を読んでいたわけだが、今回は書く側から新聞に使われる日本語のあり方について不自由さとある種の不条理を実感し、そして大きな問題意識を持った。

新聞・通信社は使用する漢字を「基本的に常用漢字」の範囲内としている。常用漢字は昭和56101日に内閣訓令第一号で告示された「常用漢字表」の1945字を云うが、それを基本として「日本新聞協会用語懇談会」で例外規定などを設けたうえで、各社独自に用字・用語集を作成し、それらに準拠して記事を書いているという。

 

 こんな詳しい事情は今回の字数制限のある原稿を新聞社が校正し、その修正の多さに愕然としたからである。日頃、何気なく使っている漢字が使えない。初めて知った制限漢字の多さに呆れとともに、日本語文化の伝承は一体どうなるのかとの危惧を抱くようになった。私の場合、八百字ほどの文章が毎回の執筆量であった。決して充分な分量ではない。だから書きたいこと、自分がどうしても伝えたい熱い思いを原稿用紙二枚程度に収めるには、適切な意味を含んだ表意文字である漢字、それも正鵠を得た漢字を使用することは真に重要かつ有効な意思表現の手段であった。

 

 これまでも読者の立場から新聞記事を読んでいて、「やみ夜」のような「混ぜ書き」に戸惑うことが度々あったし、「歌舞き」などに至っては噴飯ものの表記であった。しかし今回、自分が書く側に立つとこの不自由さには辟易したし、折角、自分の気持ちを伝えるのに適した言葉を探し当てたのに、その漢字が使えずひらがなに書き直さなければならない時の口惜しさはなかった。そして連載を重ねるうちに、徐々に、日本語という文化の伝承という極めて重要な疑問が湧き上がって来たのである。

 

 云うまでもなく新聞は文字によって読者に情報を伝達するメディアである。だからこそ言葉の持つ特性なり、その効果、重みを最もよく理解し、強烈な問題意識も持っているはずである。「日本新聞協会用語懇談会」という仰々しい集まりがあることこそ、そのことを如実に表わしている。

 だのに・・・と、私は今回の投稿という行為で思わざるを得なかった、いや、思いを強くした。今、真に新聞の「特殊指定廃止」「再販制度廃止」といった問題が公取委員会で取り上げられ、これから国民の目の前で本格的な議論がなされていくことになると思う。その時に、新聞社が云う文化の普及という機能、使命に考えを至す時、彼らがそのことに対し、これまで地道な努力、不断の挑戦を続けてきたと云えるのか。私はその一点で首を傾げざるを得ない。今度の「この頃→このころ」と、こんな漢字もひらがなにしなければならぬことを知った時に、これからの新聞社のやっていかなければならぬ使命のひとつは何かに得心がいった気がした。

 

 言語、書き言葉はその民族のアイデンティティーそのものである。だからこそ先祖から受け継ぎ、美しい日本語を子孫に伝えていくべきものであると思っている。その役割の重要な一翼を担っているのが、国民が日常生活のなかで文字というものを目にする新聞という媒体ではないのかと思ったのである。そして、その意味で新聞は「再販問題」などよりもっと高次元の意味において「存在せねばならぬ」媒体、メディアであると考えるのである。常用漢字などというお役所の決めた「国民は愚かである」という傲慢な意識から決められた常用漢字の使用を国民に強制することで「国家そのものが伝統を絶えさせる」という世にも不可思議な愚行に組することなく、そうした愚かな権力と対峙して日本語の伝承者としての役割を強く自覚し、その時代を代表する高邁な使者として目覚めて欲しいと強く思った次第である。

 

 

日経新聞 患者の目5

5.「カンジャ」は「カンシャ」に通ず

 

「カンジャ」は濁点を取れば「感謝」と云う言葉になる。私は三ヶ月半の闘病生活とその後の生活の中で数多の人に出会い様々な人生に触れた。その貴重な経験の中で濁点のひとつ位は取れた気がする。従って現在、感謝と云う澄みきった心までは到達していないが、患いのおかげで人生の豊かさを少しは手にした気になっている。病後五年が経ち、強がりでもなく素直にそう思える。

 

私はたまたま運がよく日常生活もそう不自由なく過ごすことができる。もちろん、昔のように駆けることは出来ないし、高い場所の本を脚立に昇って取るのも難しい。しかし、ゆっくりと流れる時間の素晴らしさを知ったし、見知らぬ人に声を掛け手伝いをお願いする小さな勇気も持った。人は病に(かか)り初めて健康のありがたみを知るとはよくいわれるが、自分は己の内面とじっくり向き合い、家族や人生にとり大切なものは一体何かをしっかり考えることができた。そして、今まで見えていたものとは異なる風景がいとおしく感じられるようになった。視点というか、光源が変わるとこれ程までに目にする映像が異なるものかとびっくりする。

 

 これから残り一つの濁点を取るためにも、自分はこの病に罹る人のために少しでも役立ちたいと願っている。入院中もリハビリの終わった後の時間に主治医の研究の手伝いをさせてもらった。微弱電流を流し筋肉の反応を見るような実験だ。何の負担も感じない簡単な作業である。先生の話では、いつもは患者の協力が得られないので、研究者が自らの手足を紐で縛って擬似麻痺を起こし数値分析を行うのだという。身近にれっきとした患者がいるのにである。人それぞれ病に対する思いは複雑であろう。しかし、生きることを許されたからには、前を向いて価値のある生き方をしたい。これから患者になる人々のために、微力でも協力できることがあれば手助けをしていきたい。そして、そのことで最後の濁点が消えた時、初めて、私は患ったことで自分の心の中に「感謝」の二文字を深く刻み込めるのだと思う。

 

 パレットに風の色置く春日かな

 

 この駄句を披露し、今日私にこうした穏やかな日々を与えてくださった医療関係の方々をはじめ応援してくださった多くの人々に心より感謝の念を伝え、この連載の最後としたい。

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SPRING 吐息から爛漫へ4

SPRING 吐息から爛漫へ

 春は突然に足元の庭先を訪う。ふっと視線を庭先に転じた時に感じるそこはかとない息吹そして、アンニュイに似た吐息とともに「SPRING」は歩みだし、その姿を私の目の前に現わす。

土筆 野蒜 

 雪柳

 

 

 

 

そして、濃厚な薫りとともに爛漫へとその容姿を変幻させていく。

水仙

 桜

  太陽と桜

 

 

 

 

 変幻の先には、生命の漲る「NATSU」がもう・・・、そこに近づいている・・・

 

 

 

歳時記エッセイ 5.蟻の道4

「蟻の道」

 

 「啓蟄」「地虫穴を出づ」「蟻穴を出づ」と昆虫が生命の蠢動を感じ冬眠していた穴から顔を出し、活動を開始するというの到来を示す季語は多い。しかし、「蟻」単体はの季語であり、それに類する「蟻の道」「蟻の列」「蟻塚」「蟻の塔」「蟻地獄」なども夏の風物を彩る季語として採られている。

 

人間に非常に身近な虫である蟻が生物学的にはどういう位置付けにあるのか、実は今日まで浅学にして知らなかった。調べてみると蟻は昆虫綱・ハチ目・スズメバチ上科・アリ科(Formicidae)に属する昆虫であり、ハチ目のなかに属し、あの恐ろしいスズメバチと近縁種であることを私は初めて知って驚いた。我々のよく知るハチの同種であるミツバチよりもアリの方が生物学的にはスズメバチに近いのだそうだ。

 

子供の頃、神社の境内で蟻の列を目にするや、かしましいの声を聴きながらその行き着く先を探し当て、蟻の巣を小枝で穿り出した記憶を男性諸氏は、少なからず持っているのではないかと思う。風通しが悪い村の境内の祠近くで、額からを滴らせながら乾ききった白っぽい土を穿っていく。蟻のトンネルは途中からいくつかに分岐し、どっちの穴を掘り進むか悩んだりもした。そして、最後に女王蟻の部屋に辿り着く。どこかむず痒い感覚を楽しみながら小枝の先で掘り進んでいった情景を、今でも甘酸っぱい気持ちとともに思い起こすことができる。蟻たちにとっては、大変な労力をもって営々と築き上げた地中の壮大な城砦が、人間のしかも小僧ごときによっていとも簡単に破壊され尽くす。何とも非道の仕業としか云いようがない。

 

蟻の道蟻の塔という季語に、私は容赦のない盛夏の陽射の残酷さをどうしても重ね合わせてしまう。ジリジリとした暑さと汗の饐えた臭いが蟻の道という言葉には至極似合っているのである。忙しなく動き回る蟻の動きと相矛盾するように整然と整列した蟻の道。その光景を息を潜めてじっと正視し続ける自分、そしてその一糸乱れぬ隊列と規律をぶち壊したくなる衝動。その青い衝動を抑えきれぬまま酷暑の杜でしゃがみ込んでいる少年の頃の自分・・・。

 

そうした残虐な原風景がかつてこの自分の中に存在したことをこの「蟻の道」と云う季語は思い出させてくれた。そして蟻が実はあの可愛らしい蜜蜂よりも獰猛な雀蜂と近縁であったという事実を知った時、少年という天使の顔を持つ人間に、やはり悪魔の心は巣食うのだと思った。そのアンバランスという悪魔はいつこの自分の心から巣立って行ったのか・・・。いや、ひょっとしたらまだその悪魔は生き残ったままで、ただ心奥の襞の内にひそやかに少年の心とともに潜伏し続けているのかも知れない、際限なく続く「蟻の道」のように連綿と・・・。

 

蟻の道という季語を歳時記に見つけて、そんな少し首筋の寒くなるような気分に襲われたのである、獰猛な顔を隠した蟻たちを知って・・・。

 

 

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