彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

March 2006

英語必修の愚行3

「言語は国を体現する唯一独自の文化」

 

 二十七日、中央教育審議会の外国語専門部会が小学校で全国一律に英語を必修とするという審議報告をまとめた。それを受けて二十八日付けの日経新聞の「春秋」では、シラク大統領がEU首脳会議で「フランス人ならフランス語を使うべきだ」と怒って席を立ったことを引き合いに、行過ぎた英語の優位性と母国語の情感や文化の奥行きを見失うことへの危惧を述べている。その春秋子の主張に全く同感であるし、この国の専門家なり識者とは一体どのような国家観と思考回路を有しているのか、私には皆目見当がつかない。

 

 その国の言葉並びに言語表現は、我々の先祖がそれぞれの時代を生き抜くにおいて、時々の生活観あるいは思考方法と云った庶民の息遣いとともに手垢にまみれた表現方式が、歴史という長い時間により濾過されて徐々に形を成し、出き上がってきたものと、私は理解している。だから日本語という言語は日本人と云う民族が生き続ける限り、時代という濾過装置を潜り抜けながら将来に渡って存在をし続けるべきものと考えている。

 

 そう考える私には、抑々、この国の国語教育の貧弱さ、哲学のなさを日頃から慨嘆してきたところである。国際人は英語が喋れる人と勘違いするこの国の知識人の愚かさに、ほとほと愛想がつきる。海外の生活が長い人々や海外で活躍をする日本人は、ある時機に必ずと云ってよいほどに、自分が日本と云う国について何も知らず、ましてや日本文化に薀蓄などを持って語れない自分に気づいて、愕然としたことを多く経験したとよく聴く。そうした人たちは口を揃えたように「国際人とは母国文化を自己のアイデンティティとして世界で自己表現のできる人であり、だからこそ他国の人々からその表現なり考え方に共感を得ることができるのだと思う」と、語る。まさにそのとおりだと自分も思う。語学ができるだけで、自国の文化も説明できぬ人物をどこの国の人間が尊敬を持って遇しようか。

 

 自国の文化に造詣を深めるのに外国語で学ぶ馬鹿はいない。母国語にこそ自国文化の真髄や先達が伝承してきた文化の心が内包されており、そこに最も大切な感情表現という文化の結晶のようなもの、国という求心力の源こそ国語なのだと思う。

 

 その国語が乱れていると云われ出してからずいぶんと時が流れた。そして、有効な対策が打たれぬままに、巷で耳にしたりTVのバラエティ番組で交わされる日本語の汚さには虫唾が走り、この国がメルトダウンして行っているような気持ちに捕われる。そして韓流ブームで韓国人のスターがマスコミに頻繁に顔を出すようになったが、彼らの口から日本語の素晴らしい敬語や美しい丁寧語を聴くと、本当に情けなくなる。一方で、相方で喋るお笑い系のタレントが文法もなっていない日本語を喋っているのを聴くと、情けなさを通り越して諦めの念が強まっていくことを留めることが出来ない。

 

 こうした壊滅的、悲観的な言語環境にあるのに関わらず、今回の英語必修の審議報告はこの国の文化を後世にどう伝承しようとしているのか、我々世代の責任は余りに大きいと云わざるを得ない。

 

日経新聞 患者の目3

4.リハビリのトリプルA

(三月二十六日日曜日掲載)

 

一般的にリハビリと云うと「痛い」「辛い」との反応が返ってくるが、訓練室の光景を見ると、ある患者は床に引かれた線上をひたすら真っ直ぐ歩くことに専念し、また別の患者は椅子に坐り上半身を垂直に維持することに精神を集中する、そして私はマットの上を赤ん坊のハイハイで徘徊する。また靭帯を切った患者が絵に描いたような筋トレで額に汗し痛みに顔を歪める姿も見える。ことほど左様に患者個々の障害で訓練メニューは千差万別で、他と異なるからといって焦る必要などない。

 

また患者はリハビリ期間中、様々な不安に襲われる。転院間もない頃、病室で体が硬直していく恐怖を覚えた。実際にそんなことはあり得ぬのだが、一種のパニックに陥ったのだろう、そこでOTの先生に来ていただいた。理由を述べ不安を口にした。先生は肩を揉み解しながら「全く、問題ない」と応えは明快である。何も慌てることなどなかったのである。緊張は淡雪のように融けた。患者は嗅覚で自分を救う人間を判断する。小さな言動であっても信頼が大きなリハビリに繋がると知った瞬間である。

 

ただ、患者の気持ちは当然、早く歩けるように、箸が使えるようにと焦慮に苛まれる。殊に手作業訓練のOTは微細な動きの機能回復であるため、その進捗が見えにくく、患者にとっても辛い時間である。当初は細かい指の動きや腕の回転がロボコップのようにぎこちなく、情けない気持ちに頻繁に襲われた。当時は相当程度障害は解消されると信じていたが、やはり脳神経の毀損からくる後遺症はどうしても後を引く。五年経った今でもそのぎこちなさがかなり残っている。日常生活の中でも遅々として進まぬ機能回復に、脳卒中と云う病気の怖さを再認識させられるとともに、その障害が徐々に固定化されていくことを心で納得することは虚しく切ない。しかし、正面から自分の心と向き合い諦めずに前向きに生きて行く大切さも周りで応援してくれる人々から学んだ。そして「焦らず、慌てず、諦めず」がリハビリのトリプルAであると知った。



出処進退3

「出処進退――永田寿康衆議院議員」

 

 今回の永田寿康衆議院議員の起こした偽メール騒動を見ていて、つくづくと云おうか人間の出処進退の難しさを感じるとともに、日本人から行動の美学という規範が根こそぎ失われてしまったことにほとほと愛想が尽きた。

 

 衆議院懲罰委員会自体のやりとりは、政党間の党利党略で行なわれており、そのことをここでとやかく言う気はない。言いたいのは、人間、ことに男の出処進退についてである。永田議員の本件における振る舞いは、一言で斬り捨てるとすれば、「見苦しい!」の寸言に尽きる。よく言われることだが、人間、間違いはある。だから間違いを犯した人間がすべて責められるべきではないし、間違いを起こした人間がその価値を失うわけでもない。そんなことは今更言うまでもないことである。しかし、人の価値は過ちを犯した後の行動でこそ量られるべきものであり、場合によっては、現在の自分の社会的地位を捨て去る出処進退によってこそ量られるべきものであると考える。こんなことを言うこと自体、日本人の誇り高き先祖の人々たちの苦笑、いや失笑を買うことは分かったうえで、敢えて永田議員の出処進退について苦言を呈せざるをえない。

 

 彼は今回の責任の本質が何であるか分かっていないのだと思う。怪しげな情報仲介者に騙されて武部幹事長の次男を誹謗したことや、ライブドアのホリエモンの疑惑を殊更に言い募ったことにあるのではない。責任は予算委員会と云う国政において最も大事な議論の場を混乱させ、年金制度の見直しや構造偽装事件の解明等国民にとって大切な問題についての審議をすべてストップさせ、国民の目にアイマスクをかけてしまったことにある。そう考えた時、彼の責任の重みがどれ程のものであり、そのことが判断できれば自づから取るべき行動は判然してくるはずである。人々がその人物の出処進退を注視するのは、過ちの責任をとやかく責めるために言うのではない。その人がその過ちの重みをどう量り、どう自身が判断しているかの結果を行動であらわすのが、「出処進退」という行為であるということをよく分かっているからである。

 

 そこに古来よりこの日本という国の人々は、行動の規範、美学を求めていたように思う。こう考えが及んだ時に、渡部恒三民主党国対委員長が言われる「若い者も侍として腹を固めるときがあることを知るべき」との言葉の重みを永田議員並びに民主党の若い指導者層の議員たちに感じて欲しいと切実に思う。

 

格差社会の裏側にあるもの4

「格差社会が語りかけるもの」

 

 三月二十四日付東京新聞の一面で、厚労省が二十三日に発表した「2005年賃金構造基本統計調査」に基づくき、非正社員 賃金、正社員の60%」との記事が掲載された。同調査で正社員と非正社員の賃金格差を比較したのは初めてで、四十歳以降はその格差は益々大きなものになるとの調査結果である。さらに厚労省はその格差要因の説明のなかで、「若者にフリーターなど非正社員が多いことから、将来の格差拡大には注意が必要」とある。

 

 この説明自体は間違いではないのだろうが、私は「いや、待てよ・・」と、首を傾げてしまう。それは、格差社会の進行が及ぼす影響を一方向からしか捉えていない、もっとはっきり云えば社会に置いていかれる人たちの弱者、被害者としての立場のみに視線を向けた分析、論評でしかないからである。つまり、このフリーターと呼ばれる人々の社会に対する「国民として果たすべき責務」という観点からの議論がなかなかメディアで語られることがないことに、どうもしっくりこないものを覚え、そうした一面的な論評に片手落ちのようなものを感じて仕方がない。

 

今、現在、難しい企業環境のなかで、組織と云う桎梏のなかで、一生懸命に労働をしている同世代の若者たちとの間のなかで、「国民の責務を果たす」という点で、逆に、明らかな不平等が発生しているのではないか。彼らは厳しい社会に出て定職につき(転職しながらもキャリアメイクをしている人も同様)、継続的に税金を国家に納め、国家のサービスを享受する国民としての責務を果たしている。厚労省の云う「将来の格差拡大には注意が必要」はフリーターの弱者としての一面のみを指摘するのではなく、その一方で必死に働いている若者たちの方は、将来、より一層、国民としての負担がのし掛かるという意味で、「責務を負う格差の拡大」についても同様に強調し、その負担の是正を訴えるべきであろう。今日の東京新聞を読み、その記事をオープニングトークで取り上げたフジTV「とくダネ」の小倉智昭氏の話しを聴きながら、真にそうした視点が欠けているのではないかと感じ、逆にそうした警鐘を大きく鳴らすべきではないかと思ったのである。

 

そして何故、「国民の責務」という視点での論評がメディアで行なわれないのか。また、言論界や世の識者は論じられることがないのか、考えた。その結果、このこと自体に、戦後、日本が国家の背骨というものを失っている証左ではないかとの結論に至った。フリーター問題が語られる時、当事者たるフリーターの人たちは、「将来への不安を感じないのか?」という問い掛けに対し、「組織に束縛され自分を殺すより、好きな時に働き、自分のやりたいことを自由にやれるフリーな生き方に価値を求める」と云ったいかにも自由人的な反応を示す。

しかし、戦後教育で云う「自由」が、この薄っぺらなフリーターの言葉に集約されているとすれば、この国の民主主義、国民主権と云う高邁な理念は、内容空疎な画餅でしかないのだといわざるを得ない。決して、定職に就けない若者を責めるだけで、この問題が解決するなどとは思っていないし、そんなに単純な問題でないことも分かっているつもりだ。ただ、「自由」というものは、決して時間的、物理的な束縛がない状態を自由というのではないことを、私は若者たちに分かってもらいたいと願う。真なる「自由」、価値ある「自由」とは「精神の自由」即ち、思考が束縛されないことこそ、発想に制約が課されないことこそ、真実の「自由」であり、正常な「市民」の「自由」であることを我々はもう一度、考え直してみる時機に来ていると、二十四日付の東京新聞とフジTVの小倉キャスターのコメントに接し、強く感じたのである。

WBCチャンピョンの快挙・・・、だが?4

「WBC初代チャンピョンに! だが・・・?」

 

 これほど、当初の関心が薄く、試合の展開とともにその興奮度と注目度を増していった大会は珍しい。この前のトリノオリンピックにおけるカーリングのチーム青森に起きた現象と瓜二つである。TV視聴率が準決勝の韓国戦で36.2%、決勝戦のキューバ戦では、43.4%、瞬間視聴率では56.0%に達したと云うから、その注目度は半端ではない。さらに今回は優勝した際に、街頭に号外までが飛び出す始末である。そして、その号外を貰おうとして殺到する人たちのなかに怪我をする人まで現れ、救急車までが呼ばれると云うおまけつきである。熱しやすく冷めやすいのは日本人のお家芸とは云え、私の目に今回の現象は異様に映った。一体何が原因でこれほどの爆発的な熱狂を日本人に引き起こしたのだろうか。

 

 今回はあのトリノオリンピックの時とは、比較にならないほどに事前のマスコミの注目度は低かった。一次リーグで日本の属するA組の顔ぶれやその全試合が東京ドームで行なわれることすら、知らない人が多かったのではないだろうか。私はほとんど関心がなかったと云ってよい。ヤンキースの松井秀喜選手やホワイトソックスの井口資仁選手が日本代表を辞退したと云ったニュースは耳に入っていたが、プロたる者、本シーズンに全精力を尽くすのは当然と軽くその件も受け流していた。そして、日本のプロ野球界の選手出場に対する協力姿勢も冷たかったように記憶している。こちらも球春を間近に控えたこの時期の世界大会に素直に賛同できなかったのだろうし、シーズンでの優勝を狙うのがチームを任せられた監督の責任であり、オーナーの望むところであるのは当然であり、そのことに目くじらを立てる気も勿論、起きなかった。しかし、そうした私ですらWBCが始まり大会のルールもよく分からぬなかで、一次リーグで韓国戦に惜敗したあたりから何となくこの大会が気になり出した。ただ、米国での二次リーグに入ってからも緒戦の米国戦の日程すら直ぐには頭に浮かばない程度で、14日のニュースで米国戦に敗戦したことを知った。

 

そして、ボブ・デービッドソンと云う主審の西岡選手のタッチアッププレーでの大誤審の判定を知った。TVで繰り返し放映される「何事も米国のジャッジ、ルールが正しいのだ」と云わんばかりの傲慢な顔つき、典型的なアングロサクソンの顔をした男にこのWBCの本質とは一体、何なのかとの思いに駆られるとともに、変な話し、逆に猛烈な興味が湧き出てきたのである。後は一気呵成?のTV観戦である。16日の韓国戦。イチロー選手は一次リーグにおいて韓国戦で敗れた際、「屈辱的」とコメントしたが、まさかの再度の敗戦であった。ロッカールームでずいぶん荒れたと云う。何故、日本人には珍しいクールで誇り高いアスリートがこれほどまでに熱い言辞を吐き、感情を露わにしたのか不思議に感じた。そして、メキシコの米国戦における奇跡の勝利。決勝トーナメント進出が決まった。この時点で日本人の耳目を集める条件と環境が完璧に整った。

 

準決勝の相手はまたもや韓国。この大会のルールは一体全体どうなっているのか、怪訝に思った日本人が多かったはずである。最低、決勝リーグでは二次リーグで戦っていない組のチームと当たらせるのが、常識的な組み合わせであろう。後日、米国はメジャーリーガーで構成されたドミニカと決勝戦までは当たらない組み合わせで大会の運営を考えたと一部で報道されたが、あのボブ・デービッドソンの顔を思い浮かべてその推論は外れていないのだと頷いた。

 

ところで、イチローが熱い言辞でアピールし、試合の消化につれメディアの報道も徐々に熱を帯びて来た経過を冷静に思い起こしてみた。最後に王監督の劇的な胴上げで締めくくられたWBCに対する一連の国民の反応、メディアの報道を時系列で振り返って見て、あることに気づき、そして背筋に悪寒が走るような気分に陥った。戦後、日本人にはポッカリと心に空ろな穴が開いたまま、その穴は徐々に広げられてきた。そうした虚しさと背骨のない国という諦念のようなものを覚えながら、この国は国際社会の激動の大海を漂流してきた。その心の飢餓状態のなかで、今回のようなマグマは突然、猛々しく噴き上げる。常に角突き合わす韓国との因縁試合。ボブ・デービッドソンの米国こそ正義と強弁する大誤審。一度は諦めた決勝リーグへの奇跡の進出。いやがおうにも愛国心に火がつく。

こうした劇的かつ巧妙な脚本は勿論、意図的に作られた訳ではない。たまたま、こうしたことが偶然に合わさって起きたに過ぎない。しかし、この舞台設定が整った時に、一挙に愛国心というか、日本人のアイデンティティーと云おうか、日本国民は暴力的なほどの熱いマグマに襲われ、最高瞬間視聴率56%と云う化け物を生み出した。このことは、戦前、知らず知らずにファッショの波に浸食されていき、ある条件が整った時に一挙に愛国心が鼓舞され、その勢いのまま戦争の渦の中に突っ込んでいった舞台設定と酷似しているのではないか、そんな薄ら寒い、肌が粟立つような嫌悪感に私は襲われたのである。ファッショとは揮発性のガスが徐々に大気中に充満していき、ある偶然の出来事からショートした火花で点火され、大爆発を起こす。

 

WBCというたかが野球大会に対する私を含めた国民の感情の移ろいを振り返って、いつの世も社会の底には、隙あらば地表に、時代の表舞台に噴き出そうとしているどす黒いマグマが燻り続けているのだと改めて気づかされた。そして私は、時代を見る冷静な眼を持つ緊張感と冷徹さを常に忘れずに、身に備えていなければとの思いを今更ながら強くした。

 

蒼穹2

アルバムに埋もれし憩いの空

 長野県の車山肩にはもう二十年近く足を運んでいる。いつも、コロボックルと云う山小屋のテラスのテーブルに坐ってご主人手作りのホットココアを呑むのが楽しみである。そして、テラスから見る車山の稜線の上に果てしなく広がる青空、そのなかに浮かぶ雲の流れをぼんやりと目で追うゆったりとした時間がこの上もなく贅沢で、私の心を癒してくれる。

稜線の空    蓼科の空             

 

 

 

 そして、車山肩の丘陵にこれでもかと咲き誇るニッコウキスゲの乱舞を目にする七月が徐々に近づくにつれ自分の心の中を爽やかな高原の涼風が通り過ぎるようで、今年もまた早、 春がやってきて、そして初夏、盛夏・・・、それから初秋・・・、そして真っ白なすべての善悪をも覆いつくす雪景色とともに厳しい冬が巡ってきて、季節はまた移ろっていくのだ・・・、と自分の人生の四季と重ね合わせながらアルバムに目を落としている。

ニッコウキスゲ

 

ニッコウキスゲ

 

 

 

 

 この四季と云う自然の織りなす物語に、もっと人間は素直に耳を傾けねばならぬと手元のアルバムは語りかけているように思えてくるのである。



日経新聞 患者の目3

3.サンルームは情報の交差点 

(三月十九日日曜日掲載)

 

 桜が満開の頃に本格的リハビリに入った。午前に理学療法(PT)、午後に作業療法(OT)を一時間ずつ受ける。少しでも早く訓練をと思う患者からみてその治療時間は余りにも少なかったが、健康保険診療の適用が二時間しか効かず巳むを得なかった。この四月から保険外治療との混合治療の認可により三時間程度まで時間数が延長される模様だが、こうした規制の緩和は患者の目から見て余りにも遅きに失したと云わざるを得ない。

 

転院後一週間程してサンルームと呼ばれる患者の溜り場に公園デビューした。すると、長椅子のど真中に手ぶらの患者が陣取っていた。その両脇も杖を持たぬ患者が占め、二脚の肘付き椅子には杖を手にした患者がいた。新参者の私を含め車椅子の患者たちは入り口の辺りにひしめいていた。「見かけぬ顔だが、いつこちらに?」ソファー中央の人物が私に下問した。牢名主とはこうした人物かと思うほど声には威厳があった。「先週、信濃町から」と素直に応えた。テーブルとの狭い隙間を杖無しで縫うようにしてソファーに坐った事実の重み、実力に患者として格の違いを実感させられたのである。そしてサンルームでの話題は医師、療法士の評判、訓練内容の是非等院内事情、治療の妥当性にまで及び、知らぬこととはいえ医療関係者にとっては思いもかけぬ辛辣な場であり、患者にとっては情報価値の極めて高い処であった。ソファー真中の男は自信に溢れ、飛び交う情報に都度、的確なコメントやアドバイスをした。私の耳は日々、ダンボのように膨れ上がった。

 

 ある時、同時期に入院した人物と、似通った障害を抱えるのに互いの訓練内容が違うことに話が及んだ。相手は既にエアバイクの筋トレに入っていた。そう思って眺めると気のせいか体つきもしっかりし、杖も殆ど必要ないように見えた。翌日、PTの先生に何故、自分は筋トレをしないのかと問うた。私は運動機能障害が少なく逆に感覚障害が大きい、しかも過敏性筋肉の持ち主との応えであった。だからその人物とは異なり、感覚障害の改善を手助けする方法を盛り込んだ裸足歩行や踵でのクッション踏み等感触確認のメニューになっていると。私は脳卒中のリハビリは複合障害に応じた患者個々のonly oneであることを理解した。

 

新聞の再販制度と特殊指定は廃止すべし5

「新聞の独禁法特殊指定と再販制度の時代錯誤」

 

再販制度は「再販売価格維持制度」を略したもので、製造業者が小売店と定価販売(小売価格の維持)の契約を結ぶことができる制度。独占禁止法では原則的に禁じられている行為だが、新聞や書籍などの著作物については適用除外として認められている。ただ、再販制度はあくまで民間業者間の取り決めとして位置づけられている。

一方、特殊指定は公正取引委員会が独禁法に基づいて行う告示で、新聞については発行本社、販売店双方に定価の割引や割引販売を禁じ、違反した場合は独禁法に問われる。このため、再販制度と特殊指定が一対の関係となって、新聞の定価販売、さらには宅配制度が維持されてきた経緯がある。(毎日新聞 200632日 東京朝刊)

 

公取委は昨年11月に今年6月を目処に、「新聞業の特殊指定」の撤廃を含めた見直す方針を発表した。そして、これを受けた形で日本新聞協会はこの3月15日に「特殊指定堅持を求める特別決議」を採択、世に発表した。

 

これまでもこの再販問題と特殊指定問題は長々と議論がなされ、その都度、絶大な権力を誇る「ペンの力」によってその廃止が阻止されてきた。新聞は常々、規制緩和を声高々と謳っている。競争原理が働く市場で競争力のない企業は淘汰され、結果として各業界の力を増し、国民に対するサービスの質も高まるのだと。

 

この理屈が何故、新聞業には当てはまらないのか浅学非才の私には理解できない。

 

決議は「特殊指定の見直しは、特殊指定と一体である再販制度を骨抜きにする。販売店の価格競争は戸別配達網を崩壊に向かわせる」、「その結果、多様な新聞を選択できるという読者・国民の機会均等を失わせることにつながる」と主張する。

また、北村日本新聞協会長は「他の物品と同じように価格競争にさらし、生き残るものだけが残ればいいというものではない」と新聞が果たしている公共的な役割を強調したと云う。加えて、日本新聞販売協会もそのコメントに併せるように、「戸別配達制度は新聞社、販売店が一体となって長年にわたって築き上げてきたもので、多くの読者は制度の継続を望んでいる。特殊指定の改廃は、戸別配達制度の崩壊を招く」との中畦会長の談話を発表した。

 

新聞協会並びに販売協会のこの牽強付会な主張に私は、新聞業界の「思い上がり」と「人に厳しく自分に甘い」そのご都合主義に唖然とし、開いた口がふさがらない。多様な新聞を選択する国民の機会均等を失わせる多くの読者は制度の継続を望んでいるとは、一体、どういうところから出てきた事実認識、時代感覚なのであろうか?これだけTVや携帯・パソコンを初めとするネット社会が広まっている時代にである。

 

ニュースの鮮度で云えば、即時性の観点からTV、ネットに紙情報が勝てるわけはない。さらに、麗々しく謳われる「他の物品と同じように価格競争にさらし、生き残るものだけが残ればいいというものではない」という新聞は愚かなる国民に文化と教養を普及・指導させているとでも云いたげな一種の選民意識はかつて新聞が事大主義的な権力に向って牙を剥く時に最も忌み嫌った意識だったのではなかったか。その俗臭芬々たるご都合主義にはほとほと嫌気がさすし、もうそろそろ新聞の宅配自体を断るべき時期がきたなと感じる次第である。あの、販売員の強引で恐喝に近い販促の実態を体験すると、尚更にその感を強くする。

 

私は新聞の宅配制度がなくなるからといって、自分の教養・文化程度が低下していくなどとは寸分も思ったことはないし、そのような危惧すら抱いたこともない。反って、己の主張を通すためある意図すら感じる捏造にも似た強引な記事を目にしないですむだけ、冷静な判断ができると思っている。



歳時記エッセイ 4.「梅」4

歳時記エッセイ4.「梅」

 

 は中国を原産とする落葉高木で早春に五弁のをつける。日本では万葉の時代、花といえば「梅」のことを指していたと云ってもよい。万葉集(七世紀後半?八世紀半ば)で詠われている花では「」(百四十二首)に次いで、「」が多く、百十九首にも上るそうである。現代の日本人は花といえば「」と相場が決まっているが、万葉人は「」や「梅」にある風雅や興趣を覚えたのであろう。因みに「」は四十一首詠まれているそうで、橘や松や藤などの後塵を拝し、十番目の地位に甘んじているとのこと。平安時代の古今集(905年)の頃にはようやく「花」の主座が桜に変わっているようである。

 

 

庭の白梅

    梅2  

 

 

   

 

                                 

 

 

 

 

 

 血を同じくする民族の持つ感性なり嗜好は時の流れとともに変わっていくと云うことなのだろうか。今では日本国の象徴のように云われる桜が、万葉の時代にはどうも国花ではなかったことは事実のようである。それが平安の時代に「花」と云えば「桜」に変わってきている。この変化は一体、何によって起こったのか?

 

人の心は移ろいやすい・・・、と云われる。しかし平安以降、「花」は「桜」を表わし、近世以降はその散りぎわの見事さから日本人の精神、美学の中枢に位置づけられるまでになっている。平安時代以来、日本人の感性、嗜好は実は、移ろっていないのである。あの明治の未曾有の大変革の時代を経験した後にも、「花」は「桜」のままである。決して、チューリップや西洋バラは、日本の国花にはなりえなかった。では、何故、平安時代の前半にそのような大きな感性、嗜好の変化が起こったのだろうか、大変不思議である。

 

そこで、明治維新の時に起こったことで面白いことがある。「舶来主義」である。海外の文化、ことに西洋の文化は上等、高級であるとの意識、文化観である。「鹿鳴館時代」とも云われる西洋文明の嵐、嵐! このことに思いが至った時に、実はどうもこの日本民族の感性なり嗜好は古来より変わっていないのではないかと気づいたのである。そして、この日本国の自立と云う重大な秘密が「」から「」に「」の意味が変わった裏に隠されているのではないかと思い当たったのである。

 

万葉の時代に梅は舶来の高価な観葉樹であった。当然、当時の貴人たちはこぞってその教養の発露でもある梅を歌に詠みこんだ。それから約二百年と云う時間の経過とともに、「国」「日本人」と云うアイデンティティーが生まれていったのではないか。そして、そのアイデンティティーのひとつの象徴が「花」は「桜」と云うことではなかったのか。その大変革は個人の感性が変わったのではなく、日本人と云う民族、日本国と云う新たなものが出来上がった。つまり、生物学的には不正確だが、精神構造的に民族が変わったとでも表現すればよいのだろうか、個人そのものには何の変化も起こらなかったが、外生的な要因の変化が大きく個人の感性や嗜好に影響を及ぼしたのではないか。それほどの大変革を起こす要因に思いを至せば、国家の成立、民族の成立と云うくらいの大事でもない限り、そんなことは起こりえないと、小さな庭に咲く「白梅」を眺めながらそう思ったのである。そして、「国家」と「国花」共に「コッカ」と同音であることに、何か不思議な縁を感じた。

 

 

 

杉村太蔵衆議院議員の勘違いと不見識1

杉村太蔵は国民の負託を受けた国会議員たりうるか

 杉村議員が一昨日(14日)、またその見識のなさを性懲りもなく国民に見せつけた。厚生労働委員会を抜け出し、私事である自身の結婚の話を小泉総理に報告に行った件である。余りに馬鹿馬鹿しく情けないので、こうしたことなど話題になどしたくはないが、TV各局がこれでもかこれでもかと杉村議員のインタビューを垂れ流しており、国会議員が何たるかをご本人もインタビューする報道記者も分かっていないのではないか、そしてTV局が事あるごとに云う「公共の電波」を使ってまで報道すべき事柄なのか、いや報道すべき視点が全く違うのではないかと思い、ここに呆れて物も云えない気持ちで記してしまう。

 女性記者が芸能人にインタビューするかのように根掘り葉掘り杉村議員に小泉総理に何を話したのかを問い質す。すると、彼は慎重に言葉を選びながら、「僕の一生を懸けてお守りしたい女性ができたと報告した」と語った。それから記者は総理が何と云ったのかなどと訊ねた後に、「何故、総理に?」と云った。すると「普通は上司に報告するのかと思った」との議員の返答であった。

 杉村議員のこの幼稚な答えと余りの見識のなさに愕然とし、小泉総理を上司と考えているとは呆れて物も云えぬと心底、日本の将来を思い、落ち込んでしまったのである。是非、他の国会議員は怒りを爆発させてもらいたい。もし、どうしても「国会議員の上司は誰か?を答えろ」と迫られれば、「それは、選挙で選んだ国民である」と、答えるのだと彼に教えて欲しい。また、それ程の低レベルの議員は税金の真に無駄遣いであるし、即刻、辞職をしていただきたい。それが、小泉総理が今、やろうとしている行革の真に小さな一歩ではないのだろうか。

 民主党の川端国対委員長代理が同日の代議士会でさすがに批判を行なったが、メディアは抑々、当初から杉村議員の行為を批判すべきであり、川端議員が苦言を呈してから「そうだ、そうだ」と報道するのでは、「社会の木鐸」としての資格はないし、これから自らの主張の中でそうした表現を自らに冠するべきではないと考える。

 杉村太蔵と云う人物の行動をメディアが追っ掛け回し、面白おかしく放映し、記事で取り扱うのをしばしば目にするにつけ、この国は本当に国家の背骨を米国にへし折られ、その結果、劫火により熔けて行くようにして国家と云う姿を失っていっているように思えてならないのである。「ナンマイダ〜!ナンマイダ〜!」

艦載機移転に関わる岩国市住民投票の怪3

「艦載機移転に関わる岩国市住民投票の怪」

 

 12日に山口県岩国市で米空母艦載機の岩国基地移転計画に関し、民意を問う住民投票が行なわれた。投票率は58.7%で投票数の87.4%が反対票(投票資格者数の51.3%に当たる)であった。この開票結果を受け井原岩国市長は「重く受け止め移転計画の撤回を求める」「取り引きして受入れるようなことはしない。地元の声は国にとって大切なものだ。厚木の問題は国全体で負担軽減を考えるべきだ」と述べたと云う。

 

 基地問題は振り返れば昭和30年の砂川基地(現立川市)闘争や現在、紛糾している沖縄の普天間基地の問題まで常に地元との衝突が繰り返されてきている。基地問題には地元と国家の利害に常に齟齬があるところにその問題の根の深さがある。しかし基地問題はイコール国家の安全保障の問題であって、ここで国家の利益と地域の利益(被害)の問題をごっちゃにして議論することに抑々の不合理と無理が存在する。

 

 国家は国民の生命と財産を守る使命を負う。その重要な使命の一つが独立国家たりうるための安全保障である。現在日米安全保障条約によりわれわれの平和と安寧が守られているが、この保障条約を破棄した場合は当然自国の安全は国民自らで守ることになる。米軍が撤退したその時には、自衛隊は今よりも多くの兵力と戦備を必要とすることになろう。その場合も現在の国際環境を前提に考えれば、沖縄や岩国、三沢、横須賀と云った現在ある米軍基地の地勢面における軍事的価値は変わらないはずである。即ち、米軍が一兵残さず撤退したとしても、その後に自衛隊がこの国の防衛のためにその基地に進駐してくることは容易に想像される。

 

 基地問題は米軍と地元の関係から、自衛隊との関係に置き換えられるだけである。本当に基地周辺の耳をつんざく騒音や治安の悪さは地元に生活する人たちにしか分からぬ苦痛と不安であろう。たまに上空にヘリコプターが飛来するだけで、その騒音の凄まじさは驚くばかりである。基地住民の永年の忍耐には頭が下がり、その心痛に対しては言葉がないのも正直なところである。

 

 しかし、やはり私は再度、云わねばならない。「公と私」「国家と個人」の関係について。憲法では国民の自由と権利が保障され、また個人を尊重することも国政に課された最大の責務であることが高々と謳われている。但し、それはその第1213条にあるように飽くまでも「公共の福祉に反しない限り」において、それが保障されることをわれわれは忘れてはならぬし、それを肝に銘記すべきだと思うのである。

 

 十三日午前の記者会見で阿倍官房長官が住民投票の結果を受けて、「基本的に日米間の交渉が整えばそれが最終結論である。地元にしっかり説明しないといけない」と表明したことは、国の安全保障に責任を持つ内閣として当然で妥当なコメントであったと考える。十分丁寧な説明は必要であり、出来得る限り地元の負担を減らす努力は惜しむべきでない。

 

 だが、やはり国を守ると云うことはそう云うことなのだと考える。

 

井原勝介岩国市長が貴重な税金をかけて移転問題の賛否を住民投票において問うた。これは自治体の長として極めて見識に欠ける行為であり、今後の結果に対して負う責任は重いと云わざるをえない。「公と私」のバランスを市民に説明し、大きな視野で移転問題の持つ意義を本来、市長並びに議会は説明すべきであり、決して住民投票と云った似非民主主義にその解決の道を求めるべきではなかった。そして、そうしたことに貴重な税金を投じるべきではなかったと思うのである。

 

(参考:憲法)

12条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】

この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によって,これを保持しなければならない。又,国民は,これを濫用してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 

13条【個人の尊重と公共の福祉】

すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。

 

日経新聞 患者の目3

2.心のリハビリが第一歩

(日経新聞三月十二日日曜日掲載)

 

発病後二週間余で左の指や足が僅かに蠢動を始めた。発病後暫くは医療スタッフの往訪、各種検査、見舞い客への対応等患者の時間は意外なほど忙しく、じっくり病と向き合う余裕はない。脳の浮腫が収まり病状が落着くにつれ本当の障害、恐怖が姿を現す。言語不明瞭による意思伝達のもどかしさ、ベッドの上での仕儀ない排泄行為等人間の羞恥心、尊厳そのものが無惨に砕け散る。その一方で思考能力は残酷にも平常の状態に復し、半身不随の身で家族が養えるのか等将来への不安がむっくりと鎌首を擡げてくる。神経内科での四週間の治療が過ぎた三月下旬、「治療は終了、後はリハビリ」と修善寺のリハビリセンターへ転院となった。医師にとっては「命は救った、次はリハビリ」と医療行為の日常的なひとコマであろう。しかし、患者は精神的に打ちのめされ、未だ不安定な心理状態にある。想起すれば、私もその頃が一番落ち込んでいた時期に当る。

 

そしてリハセンターの初日、「今から全て自分でやるように。全てがリハビリ」との突然の説明に患者は目を白黒させることになる。昨日までは「移動は全て看護士の介助を」と厳命されていた。医療科目は縦割りだが、患者は感情を持つ連続した一つの生き物である。血圧は?等精神的不安の中、復帰へ一歩を踏み出す際に、医療に血の通う連続性があれば患者はどれだけ慰められ勇気づけられることか、今しみじみそう思う。

 

それからいよいよ本格的なリハビリに入るが、患者は十人十色。未だ心は立ち直らず、みじめな現実と正面から向き合えない、肢体を動かせない事実を認めたくない人々が沢山いる。こうした中で医療の世界では、「さぁリハビリだ!」となる。如何に技術が優れていても、患者が虚ろな気持ちのままではその習得は難しい。そこに復活へ向けた強い意志が感じられないからである。患者の心の声に耳を澄ましその病理の森に分け入り、まずその不安の森から患者を引き摺り出して欲しい。心のリハビリが真にリハビリの第一歩であると考える由縁である。



 

日経新聞 患者の目3

 日経新聞 患者の目

 日経新聞の日曜日の「患者の目」と云うコラム欄に拙文が5回に分けて掲載されたものである。三月五日(日)掲載分から順次、転載したい。掲載文は字数の関係で一部削除せざるを得なかったが、ここに記述されたものは、削除前の文章である。全国で同じ脳卒中で苦しんでおられる方の少しでも力になれれば幸いであると願っている。

1.人の生き死には「運」と「気」

(日経新聞三月五日日曜日掲載)

 

丁度五年前の三月、小糠雨の振る夕方に私は決して軽くない中規模の脳出血に襲われた。外出先から戻った私は頭がぼ〜っとし左手に軽い痺れを感じて、念のためと階下の社内診療所へ向かった。その間吐き気はなかったが、まるで雲の上を歩くようで途中からは足を運ぶのも難儀であった。ソファーに座ると「どうした?」と、所長が訊ねた。「体躯の左側が・・」と口を開いた途端、左顔面の感覚がざ〜っと潮を引くようになくなり、左腕、左脚と上から下へ知覚喪失が広がった。その時、言語を失う恐怖が頭を過ぎった。「先生、僕の言ってること分かる?」「大丈夫!痺れは左でしょ、であれば言語障害はないよ」そのひと言はその時の私にとり最も当為な医療措置であり、気持ちは一挙に落着いた。救急車が到着する間、血圧降下の注射を受けた。後日、恩人の所長から「四十年近い医師生活で眼の前で脳出血した人は初めてだ」と笑われたが、先生の適切な処置が私の命を救い障害の程度を抑えた大きな要因であったと深く感謝している。

 

 病院に運び込まれるとまずCTを受けたが、その辺りから記憶が斑になっている。ICUでは主治医から簡単な足し算の質問を受けたが、ぼ〜っとした頭で「馬鹿にしてるのか」と思いながら数字を口にした。その不遜な答えが正解か否かは未だ確認はとれていない。そして集中的な点滴治療が始まったのだろう、そこからの記憶は翌朝、目が覚めるまで途絶えた。その間、別室で主治医から「視床出血で手術は不可能。二十四時間以内に再出血がないこと等が生存の必須条件」と家族は説明を受けていた。後日、会社の先輩が見舞いに来られ「今回、死ぬかも知れぬと思った瞬間はあったか?」と問われた。私は微塵もなかったと応えた。「それなら大丈夫だ、俺がそうだったから」と力強く励まされた。先輩は以前、命に係る大病をし見事に復帰された。その時、生命とは不思議なもので患者の「運」のみならず「気」というものが人の生き死にに大きな影響を与えることを知った。

 

脳梗塞・脳出血・くも膜下出血が心配な人の本―脳血管の病気の不安解消・予防・早期発見のために

脳血管障害者の在宅リハビリ―家庭に帰ってイキイキ生活するための本

 

 


カーリング チーム青森5

「カーリング チーム青森――2」

 

そして十八日のカナダ戦、それに続くスウェーデン戦を迎えたのである。そこにはメディアの人工的な作為は用意もされず、私は唐突に強靭な衝撃波に襲われたようなものであった。午前様になるまでいや徹夜してまで視聴する価値あるTV番組などあるはずがない、ましてや期待を次々と裏切られ続けてきたトリノの各種番組では思っても見なかった。

 

アナウンサーも解説者も注目競技でないため事前の特集企画や取り立てた準備などなかったのだろう。考え尽くされ手垢のついたような表現や蓮っ葉な盛り上げる言葉もなかった。競技解説はやたら専門用語で埋め尽くされ、ルール説明もなく、試合展開をただ愚直なまでに坦々と放映し続けるのみであった。そしてそこにある種の清清しさを感じたのも偽らざる事実である。

 

「ウォー!」「イエス!」と次々に選手の口から繰り出される謎めいた大声。そしてアナウンサーの「ハウス」、「スィープ」と云った状況説明。どこに家があるんだ?画面の中に立体的な家を探し求めた。そして頭の中には寺尾聡のCM、「何故、大和ハウスなんだ?」のフレーズと映像が重なったりした。その時の自分は完全に眠たい頭を必死に働かせ、競技にはまり込んでいた。「ドロー」や「フリーズ」と云う言葉に至っては、自分の体躯をリラックスさせてみたり、また気をつけの姿勢をとったりした。傍から見ている人がいたとしたら、その時の私の挙措はあまりにも薄気味が悪く、不審者そのものであったろう。

 

ルールの分からぬ私は試合の進行とともにルールを勝手に憶測しながら、中心の赤い所に石が入れば三点かなぁ・・とか、まるでダーツのルールと重ね合わせるかのようにして手探り状態で番組を見続けた。おそらくその時点あたりでは、その知識レベルの視聴者が大半であったのではなかろうか。しかし、チーム青森の日本チームが強敵を相手に健気にも健闘をしていることは、カーリングに半知半解な人間にもブラウン管を通じて確かにその迫力のようなものが伝わってくるから不思議である。私はいつしか、食い入るように画面に見入っていた。スウェーデン戦が終わり、ネットでルールを調べてみた。先程まではえこ贔屓だとか計算違いだと叫んでいた得点にも納得がいき、そしてカーリングと云う競技の奥深さに感心し、虜にされてしまい布団にもぐり込んだ。日本全国で同じようにネット検索をし、ディスプレイの前で一人で頷き、私と同じように虜になった人が数多いたはずである。カーリング協会のHPへのアクセス数が急激に増加したとニュースで語られていたから、多分、推測どおりであろう。

 

そしてカーリング熱を一挙に高め、燎原の火のようにそのブームを巻き起こす引き金となった前回のソルトレーク大会の覇者、英国との戦いの時が来た。十九日日曜日、私は夜十時から放映開始予定の英国戦に間に合わせるように食事を終わらせ、風呂にも入り、準備万端の応援態勢で勝負に挑んだ。カーリング発祥の国、強豪、古豪と英国に冠される称号や形容詞は多い。その無類の難敵に果敢に挑む大和撫子たち。大資本のメディアも想定しなかった筋書きのない真実のドラマが展開されようとしていた。そして、到々、歴史的?な試合が始まった。

 

スキップを担当するあの如何にもイギリス人という風貌と体格の女性が発する「ウォー!」と云う地獄の底から響いてくるような唸り声に、それが「スウィープ(氷をブラシで掃くこと)を待て」と云う意味であることは前日のネットの俄か勉強で分かってはいても、その腹の底から唸る声に「これはとっても勝ち目はない」と心底思ったものである。しかし、試合は一エンド(野球試合の回にあたる。エヘン!)は0対0で終わったものの、二エンドに二点、三エンドに一点と日本が先行した。ひょっとしてと、「ウォー!」の声を聴きながらもかすかに劇的な勝利の場面を思い描いた。一方で、いやいや勝負はそんなに甘くはないとも、負けたときの心の準備もおさおさ怠りなく試合展開を注視した。

 

そして五エンドで日本が三点とり「ヨッシャ〜!」と叫んだ次の六エンドでの英国の三点奪取に一転して、意気消沈した。やはり甘くはないんだ・・・、世界は・・。劇的ドラマなんてそんなに簡単に起こるわけはないんだ、自分の長い人生の中で何度も裏切られてきたじゃないか・・・。「ドラマ的展開への期待」が海砂が両手から零れ落ちるように形を崩していった。七エンド、八エンドの一進一退。久しぶりに心臓がきゅっと縮まる感覚に襲われた。そして運命の九エンドの後攻を迎えた。小野寺選手の最後の一投を今、思い起こしても涙が頬を伝わってくる。「覇者に勝った!」満面笑みの大和撫子の顔、顔、顔。そこに近づき健闘の握手を求める英国のスキップ、「ウォー」の女性の爽やかな顔・・・。

 

ドラマは誰も予期していないからこそ人々に素朴な驚きと爆発するような感動を引き起こす。英国戦でのチーム青森の選手の顔はひとりひとり輝いていた。ストーンを投げる一瞬のその獲物を刺すようなキラッとした煌めきに私は、日本人が忘れてしまった「ひたむきさ」と云うものを見たように感じた。さらに「ひたむく」と云う行為はダイヤモンドのようにお金で買えるものではないが故に、何ものにも増した素晴らしい美しさと煌めきを放つのだと思い知った。

 

カーリング チーム青森5

「カーリング チーム青森――1」

 

 トリノの勝者は荒川静香とカーリング競技であったと云ってよい。片や冬季オリンピックの花である華やかなフィギュアスケートにおいての金メダル、片や地味でルールすら知らなかったカーリングと云う競技で出場数たった十チーム中での七位。カーリング競技に対すると云うよりカーリング娘に対する日本人の熱狂振りを見て、人生とはつくづく不思議なもので面白さのつきぬ予測不能な代物だと改めて考えさせられた。そして、「ドラマは予期せぬからこそドラマたりうる」と云う当たり前のことに気づかされた。

 

 チーム青森のメンバーにとってトリノから戻っての日々は、嬉しさの中にも戸惑いを隠しきれていないのが一目して分かる。三月八日から青森市カーリングホールで開催されている全日本選手権女子の大会は報道陣、全国から詰めかけたファンで、その過熱振りは異様さを増しており、彼女たちの戸惑いはピークに達しているのではなかろうか。市井の素人娘が一夜にして日本中の注目を浴びる存在になったのである。その精神的緊張感も半端ではないと察せられる。

 

 トリノオリンピックのカーリング競技の結果は、金メダル獲得国がスウェーデン、銀がスイス、銅メダルがカナダとなった。日本におけるドラマは二月十八日土曜日夕方のカナダ戦、十九日日曜日早暁のスウェーデン戦から始まった。それまで一勝三敗と成績不振で迎えた強豪カナダ戦。誰も期待などしなかった。たまたま土曜日の夕方からゴールデンタイムにNHK衛星第一で実況生中継が流された。トリノでの最初のドラマの幕開けであった。土曜日の家庭団欒のなかで、ついついカーリングと云うルールすら分からぬ競技に引き摺り込まれていった家庭が多かったのではなかろうか。私は遠いイタリアのトリノから届く熱気のようなものを映像を通して確かに感じ取った。そして、信じられぬことに何と五対二でカナダに勝利してしまったのである。そして同日の続く試合(日本時間十九日午前二時五十五分実況放映開始)でこれまた強豪のスウェーデンとの激闘。結果は七対八と延長戦のうえの敗退であったが、この死闘が私の眠さも忘れた気持ちに火をつけた。それまでモーグル、ハーフパイプ、スピードスケートでメディアが持ち上げるだけ持ち上げておいての無様な敗退に私はオリンピックそのもに興味を失いつつあった。さらに情けないことに代表も送れないとコメントしていたはずのジャンプまで最後にはメダル獲得の夢を賭けざるを得ない状況にメディアもJOCも追い込まれていた。

 

 メディアは事前の取材でメダル候補競技については、メダル獲得と同時に流せるように「メダルへの苦難の道のり」と云ったタイトルの番組が相当数準備されていたはずである。単独インタビューあるいは涙の映像と云ったドキュメンタリーの名の元に予め作成された想定どおりのドラマを用意していたはずである。しかし競技日程が消化されていくにつれ、TV局が「想定内」で満を持して用意していた作り物の感動は日の目を見ずに次々とお蔵入りを余儀なくされていったに違いない。

 

 

福田康夫氏の正論5

 福田康夫氏の正論

 李外相は7日の記者会見で、小泉総理の靖国参拝問題に関しドイツ当局者の話として、「ドイツ人も日本の指導者がばかげた不道徳な行為をなぜ行うのか理解できない」と強調、「ドイツの指導者は戦後、ヒトラーやナチスを崇拝していない」などと発言したとのニュースが飛び込んできた。相変わらず中国の小泉外交に対する批判は激越で、日中関係はとうとう度し難いところまでに冷え込んでしまったように見える。

 小泉総理一人の「頑迷固陋な依怙地」が日本の国益を大きく毀損しようとしている。この道を進み続ければ、日本は確実に世界で孤立することは確かである。ただ唯一の救いは情けないことだが、中国政府の大人の対応であると云うことだ。李外相の激越な言葉とは裏腹に中国政府の対応が冷静に先を見通した姿勢で終始し始めているように思えることである。つまり、小泉氏が総理でいる間は放っておけ、次の首相になるまでは中国側からこれ以上、殊更に日本を追い詰め日中関係を悪化させようとすることは得策でないとの大人の判断がなされているように思える。残念であるが、その中国の百年先を見詰めた対応が日中関係を抜き差しのならぬところまで追い込まずに、崩壊を免れていると云えよう。

 こうしたなかで、数日前の福田氏の講演会における発言は、この外交的国難を救ってくれる道筋を示したものとして、後世、高く評価されるべきものと云える。「日本の今後の成長の源泉は中国を初めとしたアジア諸国との関係充実のなかにこそ見出される」。稚拙な小泉外交と竹中氏の米国を向いた経済政策が米国に隷属する国家にこの国を貶め、アジア諸国の尊敬を見事に喪失せしめた現在、この福田氏の発言は日本を尊厳ある国家に引き戻す最初の第一歩であるように思われるのである。独裁者的総理になってしまった小泉総理に久しぶりに正面から堂々と物申す、真に本物の政治家の発言を聴いた気がする。先の総選挙での刺客騒ぎはお祭りではない、ファッショの萌芽であった。

 その後の自民党政治家が小泉政策に対し表立った抵抗をしなくなったことに一国民として尋常でない恐怖を感じる。これは本当に九月には小泉総理に退出してもらわねばならぬ。そして、後継者はそのファッショの尻尾を引き摺ることのない人物でなければならぬ。最近の物云わぬ自民党、自ら墓穴を掘り政治腐敗の追及が出来ぬ民主党と云った政治情勢の混乱を目にすると、ますますその意を強くせざるを得ないし、中国や韓国の関係を考えると九月まで悠長に待ってなどいられないと焦慮の感に襲われる。

 そして今回、福田氏に政治家像のひとつの理想像を見たような気がする。まず、メディアに媚を売らぬ。やたらTVに顔を出し、底の浅い見え透いた議論とも云えぬコメントを垂れ流す似非政治家を見せ続けられると、その控え目な姿勢が際立って高邁に見えるから不思議だ。加えて官房長官時代のメディア対応も水際立っていた。次に出処進退のあり方を自らの美学として持っていると思われる点である。今回の民主党の偽メール事件における民主党執行部の対応と対比すれば、そのことは一層、明瞭である。最後に、この点が最も大切なことだが、権力に対する我欲がギラついて見えないことである。私欲でなく国益を一番に考えて判断のできる政治家が少なくなった今日、福田氏の登場はこの国難の時代にどうしても必要であると考えるに至った次第である。誠に申し訳ないが福田氏には日本国のために一命を捧げていただきたいと心底、強く願うところである。

 

 

 

歳時記エッセイ 3.畦塗(アゼヌリ)2

歳時記エッセイ 3.畦塗(アゼヌリ)

 畦とは「田と田との仕切りとして、土を盛り上げた細い道」(新潮国語辞典)とあるが、実用的意味では仕切りと云うよりも田んぼに水を溜めるために土で作った壁と云った方がより適切である。畦は一年の米作りの間に崩れてしまったり、踏みしめられ嵩が低くなったり、雑草が生えたりする。また冬の間の雪などで土が柔らくなったり、さらにモグラやネズミの穴などで軟弱になってしまったり、その補強が必要となる。その補強作業を畦塗と云う。田んぼに水を張る前に畦塗をしなければ水漏れが生じ、田植えどころの騒ぎではない。畦塗は畦の内側に数十センチの溝を掘り、その掘り出した土を水で捏ねて粘着質の泥を作る。その泥を鍬で壁を塗るように畦の土手にこすりつけ斜面を作って、壁の高さを嵩上げする作業である。

 都会に棲む身にとって、抑々、田園風景はTVや写真で見る映像世界となっており、田んぼと云う言葉自体に生活実感や皮膚感覚を感じ取ることはできない。梅雨になれば田植え、秋になれば実りの稲刈り。さすがにそのことくらいは知っている。しかし、自分の口に入る米粒に至るまでの一連の雑多で細々とした作業について詳細に説明できる人物を私は不幸にして知らない。

 畦塗と云う言葉の殊に「塗る」と云う単語に違和感を覚えたが、詳細に知れば畦を造るには左官屋のように鍬のヒラで泥を練り、捏ねて、塗りたくり、叩いて固めるのである。畦は塗って作る、真にぴったりの表現である。そして、畦塗と云う腕力と技量と根気のいる重労働を幾星霜にわたり幾十枚もの田んぼで行なってきた百姓と云う仕事師たちに衷心から頭の下がる思いがした。「畦塗」と云う言葉に塗り込められている様々な感情や想い、春の持つ生命の息吹。春が立ち畦を焼き、おもむろに土を耕し、その温もりを帯びた懐かしい土の匂いが仄かに立ち上ってくるようである。畦塗の前に鍬で土を削り、溝を掘り、泥を捏ね始めると黒い土の中からハムシやゴミ虫、ワラジ虫、ケラなど様々な小さな生命が顔を出してくる。生命の源泉が豊潤な土にある、まさに産土(ウブスナ)を感じさせる瞬間であろう。土への回帰、農への回帰と云った響きになぜか郷愁のようなものを感じてしまうと云ったら言い過ぎであろうか。

 欧米人は狩猟民族であるが日本人は農耕民族であるとは、欧米との文明比較がなされる時によく指摘されることである。しかし、現代では私を含め日本人の中で農耕民族であると自覚する人がどれだけ存在するのだろうか。農業に従事する人数は激減し、パソコンに向うことを生活の縁(ヨスガ)とする人間が圧倒的に多い時代となった。かく云う自分もそのデジタル社会の一員である。農は現代の日本社会から遠いところにあるものと、都会生活を送る人間は考えてしまうし、現実に私の日常生活の中で農の匂いを感じる瞬間はまず、殆どなかった。

 その自分が、歳時記と云う日本文化の国会図書館とも云うべきものに出会って初めて、自分が農耕民族の血を引き継ぐ証のようなものをその中に見つけ出すことができた。そして興味を覚え、さらに詳しく調べてみる機会も増えた。それは自分が農耕民族であった、あり続けている血の記憶を遠い記憶の襞(ヒダ)から手繰り寄せる行為でもあった。歳時記のページを無作為に繰ってみれば分かる。必ずと云ってよいほどに農耕民族の尻尾である言葉、季語が即座に目に飛び込んでくる。「田打ち」「豆撒く」「大根干す」と云った具合にである。畦塗から農耕民族、それから歳時記へと思考の連鎖は際限なく続くようだが、こうして春の宵にとりとめもなく思考を巡らせることこそ、悠久の時間のなかで両足をしっかりと地面に接地し、突っ立っている安心感から来る農耕民族たる証であるような気がいつのまにかしてくるから不思議である。

 

 

 

 

歳時記エッセイ 2.ふらここ3

歳時記エッセイ 2.「ふらここ」

 ふらここ」とは日本の古語でブランコのことである。古来中国で冬至から百五日目に当たる寒食節に宮廷の女官たちが鞦韆(しゅうせん)と呼ばれる現代のブランコで戯れ楽しんだことが、漢詩で詠まれているそうだ。 因みにブランコとはポルトガル語に源があると云う。

 私は百千鳥囀りに誘われるようにして、自宅から歩いて二分足らずの公園に行ってみようと思い立った。久しぶりに「ふらここ」に乗ってみようと思ったのである。そして、公園に足を踏み入れてみて「ふらここ」が何時の間にか撤去されていることを知った。ブランコだけでなく幾つかあった遊具施設も同様に持ち去られ、残っているのはペンキの剥がれた鉄棒と滑り台のみであった。自分の眼前には寂寥としか云い様のない光景が広がっていた。

 鞦韆という遊具に籠められた宮廷官女の華やかな嬌声を自分は期待などしない。しかし、二十数年前に子供たちと戯れたうきうきとした思い出をどこかに探ろうとしていたのである。ところが、その光景を目にした時、温もりのあるささやかな思い出を土足で踏みにじるようにして持ち去られ、消し去られてしまったような不快な気分に襲われた。賑やかな家庭の喧騒や無垢の子供たちのキラキラとした瞳の輝き、母親たちの子供を叱る若々しい声が赤や黄色の極彩色のペンキとともに塗り籠められ、吹き込まれていた様々な遊戯施設。それと余りに対照的な現在の歯の抜けたような寂寞とした公園の風景。ぽつりと佇む滑り台の剥がれたペンキを撫でながら云い様のない寂寥感とやり場のない憤懣を覚えた。そして思い出というものは、所詮、人間の意識の中で時とともに色褪せ、セピア色に変じていく宿命にあるのだと感じた。

 それと同時にどうしてこんな光景が今、自分の眼前に展開することになったのかと自問した。二十数年前と云えば昭和五十年代の半ばである。物質面での豊かさが満たされ、精神面の豊かさを求める時代へと云われ始めた頃でもある。そして、一市民としての自意識の昂まり、個の大事さが謳い上げられていった時代でもあった。それは逆から見れば、ムラや公と云った共同体の概念が人々の意識の中から希薄化し、置き去りにされていく時代とも云えた。危険な遊具は事故の起こる前に無くしておくのがよい。危険と役所の判断した遊具の撤去は、事故が起きて保護者や市民団体から袋叩きにされる前に講じた役所の自己防衛の施策であったのであろうか。まさに過剰防衛とも云える愚かな行為であったと強く思う。ただ、行政に少し同情した見方をするとすれば、事故が起きた時の「自己責任」と云う言葉がまだ巷間に馴染みのない時代にはいた仕方のない処置であったのかもしれない。

 こうした想いを胸に去来させながら、この二十数年間唱えられてきた「個性の尊重」と云う民主主義の権化のような呪文が我々を導いた先は、この麗らか春の日にも関らず今、目の前に存在する寒々とした公園であり、乾き切った肌をもった殺伐とした社会であったのだと気づかされた。

 そして、それは決して自分たちが望んでいた社会ではなかったと強く感じるとともに、公園の木々の枝に留まる鳥たちの鳴き声は二十数年前と何ら変わらずに訪れた春の日を心から喜んでいるように聴こえたのである。

 

 

歳時記エッセイ 1.入学試験4

 歳時記エッセイ 1.「入学試験」

 入学試験の季節が来ると、三十数年前にもなる自分の大学入試のことを毎回、思い出す。昭和四十年代の半ば、まさに学生運動華やかし頃のことである。一年間浪人をして悲壮な決意で受験に臨んだあの冬の厳しい寒さの日々。その悲愴感がこの肌に皮膚感覚として今でも残っており、この季節には必ずと云ってよいほどに甦ってくる。

 その記憶は風が光りはじめる季節であったにも関わらず、色に例えるとどこかモノクロームであり、それを包む空気は全きメランコリーである。受験の結果は目的の大学に入学できて幸せであったはずなのに、入学試験自体の思い出は何時までたっても心の内に冬ざれを引き摺ったままである。思い起こせば当時十九歳の私は受験日が近まってくるにつれ、ぴんと張り詰めた緊張感のなかにそこはかとない虚しさと寂寥感を覚えていたようだ。冬ざれという言葉が持つ荒涼として中身のない伽藍堂のような語感が、その時の自分の気持ちにどこかぴったり重なっているように思えてならない。

 今年、親戚の息子が受験で上京してきた。ひと晩その受験子とゆっくり話をする機会があったが、その表情を見ながら現代の受験生気質を垣間見たような気がした。やせ我慢でもなく、決して悲愴な面持ちなど見せなかったのである。いや抑々、受験を悲愴なものだとする意識そのものがないのであろう、ここの大学に落ちてもあちらがある。人生の選択肢は幾つも用意されている。私はキラキラ輝く瞳に魅入って、この若者はそのことを微塵も疑っていないし、不安も抱いていないと感じた。見事と云うしかない。私たちが感じていたこの大学でなければ・・と云った頑ななまでの拘りや切迫感が抑々、希薄なのだと知った。そして今の時代そのものが、大学卒あるいはどこどこ大学出身と云った名目のレッテルに価値を求めなくなっていると云った背景があることもそのことを後押ししているのだと考えた。そう思うと、それはそれで薫風を感じさせる新たな時代の感性でもあるのだとその若者の屈託のない顔を眺めながら得心せざるを得なかった。

 こうして入学試験と云う恒例行事も徐々にその含む意味、それに対する意識が変質していくのだろう。冬ざれから更衣若鮎と云った希望の季節への節目あるいはその勢いを求めての一通過点と云ったイメージへ変化を遂げていく。受験子の希望に溢れた明るい表情を見ているうちに、そうした感慨を覚えた。と同時に、悲壮と云う言葉に何故か温かい懐かしさと胸苦しいほどの切なさを感じたのも偽らざる気持ちであった。

 

 

民主党壊滅

民主党壊滅

 3月2日の衆議院本会議場において永田議員、前原代表、鳩山幹事長がそれぞれ自民党の小泉総理、武部幹事長に頭を下げる光景がTVで全国民に放映された。この信じられぬ画像を見て、国民は一体、何を感じ、何を思っただろうか。

二大政党政治などこの国には未来永劫定着するはずはない

 真に目を疑うような光景であった。野党第一党の党首と幹事長が本会議場で、与党党首と幹事長に平身低頭する姿は日本の憲政史上でも初めてではなかろうか。民主党には野党第一党として国民を代表して権力をチェックする重い使命があるはずである。こんなことは一市民が声を大にして云うべきことでもない。誠に残念ながら、この党の人間には国民の負託に応えようという政治家の気概と志が完全に欠落していると断じざるを得ない。これほど虚しいブログを書くとは、思ったこともなかったし、今、自分が書いていることが夢であって欲しいと思いたい。

 平成18年度の予算は野党のチェックを受けずに通過したと云ってよい。こんな議会政治でこの国は21世紀という混迷の時代を乗り越えて行く気でいるのだろうか。暗澹たる気持ちにならざるを得ない。民主党は本当に政治の原点に立ち返る決意を持って、解党し、憲法改正・教育基本法の二つの大きな視点で、整理し直し、国民に分かりやすい政党に生まれ変わるべきであろう。これが、ここに来て民主党が公党として示すことの出来る最後の誠意であろう。

 自民党の疑惑の四点セットを国民は忘れずにいることを民主党の人間は肝に銘じて欲しい。一からやり直す勇気を持って欲しい。国民に政治家としての誇りを見せて欲しいと強く願う次第である。

 

 

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