彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

February 2006

出雲紀行2

出雲−−神話の国

 

 真白なる雪の出雲に足をはこんだ。

 そして、ふしぎな雪の砂丘に幻想世界を浮遊した・・・ 

 雪に覆われた鳥取砂丘

雪の砂丘--出雲

 

 

 

 

 静謐な神魂(カモス)神社の大社造は出雲大社とはまた違った趣を放っていた。

   神魂神社の雪の朝 

神魂神社

神魂神社本殿

 

 

 

 

 出雲大社本殿と背景に八雲山を望む

出雲

出雲大社拝殿右側

 

出雲大社拝殿側面

 

 

 

 たくさんの神話を沈める中海

中海

 

 

 

 

 神話の国、出雲についた日は雪が降っていた。因幡の白兎のように真っ白な  雪が降っていた・・・

 

 

エイチ・エス証券野口氏自殺に投資組合に係る闇資金の影2

 エイチ・エス証券野口氏自殺に投資組合に係る闇資金の影

 ライブドア事件においてエイチ・エス証券の副社長野口英昭氏が沖縄で自殺をしたと沖縄県警が早々に断じ、捜査を打ち切った。野口氏の自殺疑惑については週刊文春やTV各局などで詳しく報道されている。ここで自殺か他殺かについて論じる材料を自分は持ち合わせていないのでその点についての言及は避けるが、この野口氏の死によって「誰が一番得をするのか」を考えてみたい。そうすれば、野口氏の死がある意味を持ってくる、ある意味が浮かび上がってくると思うからだ。  沖縄県警の余りにも慌てふためいた捜査打ち切り、刑事局長の「こうした程度の事件では裁判所は司法解剖を認めない」との国会答弁のごまかし(逆にこれだけ不審点があれば認めるのが常識とのこと)、国家公安委員長の曖昧な答弁など、この死を巡る闇が深まる材料ばかりである。  

 野口氏は云われるように投資組合の情報について最も近い人物であった。と云うことは、この錬金術の投資事業組合を通過する多様な資金の流入先、流出先、それから資金の真の出し手が誰で、受け手が誰かも野口氏は知りえていたはずである。ライブドア事件の真に核心の情報を握る人物であったはずである。その人物が謎の自殺を図った。どう考えても奇妙で、不気味ですらある。この国、小泉政権(=森派)が抱える闇の深さが並大抵でないことの証左のような気がしてならない。  もしそうした観点から野口氏に権力の魔の手が伸びているとしたら、それが追い詰められての自殺であったとしても、事件の本質を白日の下に曝させないための「強烈な意図をもたされた」死であったと断じざるを得ない。一市民がこの深い闇に光りを当て、事の詳細を解明することは当然にして無理であるが、「誰が野口の死でまずホッとするか」を考えれば、この捜査の進むべき方向、私たちが関心を持って監視し続けねばならぬ問題が絞られて来ると思う。資金、つまり巨額の金がこの投資事業組合を通じ各方面に流れ出したはずであり、その解明こそが我々国民が注視していかねばならぬ重要な点であると考える。決して、興味本位の情報や目くらましに騙されてはいけないと今、肝に銘じている。  

 そして何故、沖縄なのか?スイス、香港、タックスヘイブンのバミューダー等資金の隠蔽先は海外にいくらでもある。なのに、何故、沖縄か?  沖縄にはパスポートなしで何時でも、何度でも行ける。しかも偽名で・・・。そして、IT産業の申し子、世界をぐるりと回り、沖縄のどこかにライブドア得意のサーバーが沖縄の名もない島、或いは石垣島にあるとすれば・・・。意外と事の真相は国内の足元にあるような気がしてならない。特捜の執拗、精緻な捜査と分析にこの国の闇の解明がかかっているとも思うし、この解明こそがこの国の新しい明日を築く礎になるような気がしてならない。  

荒川静香選手フィギュアー金メダル万歳!5

 荒川静香選手フィギュアー金メダル万歳!

 荒川選手の演技は見事であった。素人目にもロシアのスルツカヤ、米国のコーエンと較べて、荒川選手の滑りは美しく優美に見えた。フィギュアースケートと云えば、夏季オリンピックで云う陸上100メートル競走にあたる競技の最大演目、注目競技である。その花形競技で堂々とした演技で金メダルを手にした。二月十日に開会したトリノオリンピックだが、この2週間ほどの鬱屈した気分が一挙に吹き飛んだ。  

 日本のメディアが視聴率獲得という報道の使命から外れた目的の為に、事前に垂れ流されたメダル期待の報道の嵐には辟易としたが、開会後、その無節操な事前報道が確かな情報分析に基づかぬ「視聴率」の「為にする」報道であったため、開幕後の国民のしらけ方は尋常ではなかった。今後、こうした報道は全て眉唾、メディアが唾棄してきた大本営発表と寸分違わぬ報道姿勢であったことを我々は今回、目の当たりにした。今後、この点は充分肝に銘ずべきところであろう。  

 NYTimesでは、抑々、日本のメダル獲得はスピードスケート500メートルとフィギュアーの銅メダル二つとの予想があったが、自国には甘くなるとはいえ、確実な情報分析もせずに悪戯に期待感だけを煽る日本の報道機関のはしゃぎ過ぎは目に余るものがあった。報道とは何か、彼らが何かと云うと振りかざす「国民の知る権利」とは何かを考えるべき時期に来ていると、今回のオリンピック報道を見ていて本気で思わずにいられなかった。

 まず国民に冷徹なFactを知らせて欲しい。判断は場合によっては国民自身が行う。報道機関に誘導してもらう必要はこれっぽちも思っていない。  

 ただ、そうした下らぬメディアの報道とは関係なく、この金メダルは素直にうれしい。荒川選手にありがとうと云いたい。恵まれた素質だけでは駄目で、やり続ける意志力の強さとたゆまぬ努力があれば世界のトップの座につけることを今の日本人に彼女は教えてくれた。どんな報道の言葉より、表彰台に立った彼女の笑顔こそがそのことを我々に強烈に伝えてくれた。

民主党永田議員ははめられた!1

民主党永田議員ははめられた!

 永田寿康議員ははめられた! ホリエモンの武部幹事長次男への三千万円振込みメールについて、予算委員会での永田議員の爆弾発言?が4点セットで盛り上がる民主党に冷や水を浴びせ、沈み行く小泉政権を浮揚させる特効薬となった。先の総選挙で圧倒的有利な地位に立った小泉政権であったが、この通常国会に入り、次から次に押し寄せる予期せざる(中には予期していた)問題の発覚(BSE・防衛施設庁談合・構造計算偽造・ライブドア事件)から、一転して国会審議は野党の攻勢が強まり、内閣支持率の下落、政権の求心力に翳りと云った政権末期の様相が一挙に吹き出していた。

 そうしたなかで、今回の永田爆弾質問がなされた。民主党としては千載一遇のチャンス到来とばかりに、この「ガセネタ」に飛びついたのだろう。  しかし、その後の展開はご承知の通りである。何かおかしい・・。こんな素人でも分かるガセに何故、永田議員は引っ掛かったのか、また前原代表、野田国対委員長もGOサインを出したのだろうか?  不思議でならないのである。余りにも表面で云われていることだけでは、民主党が余りに愚かで、情報分析もお粗末といったことしか当然、見えてこないし、そう考えざるを得ない。おかしい・・・。とても、おかしい・・・。

 民主党は本当にこんな赤子が騙されるような手合いの集団なのだろうか?そうだとしたら、巷間云われるようにもう民主党は解党して、すっきりした主義のもとに再結成したらよい。  今回のメール問題にはどうしても陰謀の臭いがしてならないのである。しかも小泉政権のごく中枢の人間によって、仕掛けられた巧妙な罠であったとしか思えぬのである。事件発覚後最初の武部幹事長のドギマギ振りはあれが、演技だとすればアカデミー賞助演男優賞ものだ。彼はこの陰謀には全く噛んでいなかったからこそ、あれほど目を白黒させ、慌ててしまったのである。脛に傷があるのだろうから・・。敵を騙すには味方を騙す。奸計の要諦である。4点セットで窮地に追い込まれた小泉政権が仕組んだどす黒い奸計こそ、此度の「永田ホリエモンメール」事件なのだと思えてならぬ。永田議員の質問後に即座に小泉首相が「ガセネタ」と言い切ったあの発言には、実に自信に満ちたものを国民は感じたはずである。しかも、その後の代表質問の遣り取りで「頑張って欲しい」発言も窮地に追い込まれていたはずの人間とは思えぬ余裕が感じられた。まさに一夜にして形勢は見事に逆転してしまった。  

 永田発言で世論を注目させ、そしてその舞台中央で自民党幹事長がドギマギする。観客はこれまでの絶対権力者の転落をじっと固唾を呑んで見守る。しかし、それが「ガセ」と分かる。盛り上がった昂揚感は失望と侮蔑に変わる。民主党への反撥、不信感へと変わる。「やはり、この政党に政権は任せられない」と。  

 世論はまさにその通りになっている。この拙いが、余りにも面白い奸計を考え実行した人物は誰か?これまで小泉総理を全力で支えてきた人物。  単純にこの「ガセ」が永田議員に伝えられたはずはない。疑いを持つこともない情報などと抱き合わせで、もっと巧妙に仕掛けられた罠であったのだろう。幾重にも罠の包囲網が彼の周りには張り巡らされていたはずである。この一件で小泉政権の闇を覗き見たようで、背筋が粟立つ恐怖感を覚えた。

原田雅彦のノーマルヒルジャンプ失格は余りにお粗末1

 原田雅彦のノーマルヒルジャンプ失格は余りにお粗末

 原田選手と云えば日本のジャンプ界を引っ張ってきた人物。これほどのベテランがルール違反による失格。253cmのスキー板を履くには、スーツとブーツ合計での規定体重は61塢要であると云う。それに僅かに200g足らなかったと云う。抑々ルールがおかしい、日本いじめで変更されたルールで原田選手は可愛そうとも云えぬ訳ではない。  

 しかし、なんとも情けない。スポーツは厳正なルールで成り立っている。そのルールにもとれば、当然、記録は無効になる。もし今日の報道が事実とすれば、原田選手は「253cmの板を使うには、スーツとブーツを合わせた体重は60圓△譴个茲い隼廚すんでいた」オリンピックという晴れ舞台でのこの程度の認識で臨んでいることに驚きを禁じえない。本人のみでなくコーチや関係者のチェック体制はどうなっていたのか、さらに余りの緊張感のなさに呆れてものも言えないというのが正直なところだ。  

 オリンピックにも国民の税金は使われている。各々の競技連盟に対する助成金等である。強化合宿やオリンピックの遠征費等この厳しい国家財政の中で、国民の健康増進に加え、それ以上に夢と希望を与えるためにスポーツ界へ貴重な税金が投入されている。それが「200gで失格です」では、済まされまい。どうも意識が原田選手も協会も違っているのではなかろうか。厳しいことを云うようだが、ジャンプ界を代表し、また国民を代表して参加している意識がしっかりとあれば、こうしたあまりにも馬鹿げた体調管理はあるはずはないのである。  残されたラージヒルでこの無駄にした税金の分を取り戻す素晴らしいジャンプを見せて欲しい。

モーグル上村愛子の五位に思う3

 モーグル上村愛子の五位に思う

 期待された上村愛子のメダルが手から零れ落ちた、と云うより世界のレベルが日本のメディアが思っている以上のスピードで向上していた。我々、視聴者、読者は報道を通じてこうした世界の情報を得る。その業界に身を置かない人間に、日々、変化・進歩する世界の動きをビビッドに知り、理解することは、難しい。  今朝の上村選手の3Dの技術は確かに素晴らしかったし、美しかった。それ以上に彼女の試合後のすっきりとした顔の表情に、ある目的に向って全身全霊で邁進した者にしかない透明感を感じとれたことは救いであったし、ある種の清清しさも覚えた。  

 そうした感傷を脇において、今日の五位ということを考えると、いつもの事ながらこの日本の情報分析力の未熟さと自己中心的・単視眼的見方が相変わらず変わっていないことを痛感せざるを得なかった。勝負は時の運とも言う。しかし、メディアなりモーグルまたはスキー連盟の人たちは情勢分析を冷静に伝える使命があるのではないか。情勢をしっかり把握した上で、精一杯に応援するのと不確かな情報で恰もメダルが直ぐ脇にあるように思って応援するのとでは、終わったあとの結果によって、選手に向けられる感情も変わって来る。場合によっては、一生懸命頑張ってきた選手に対して必要以上の鞭を打つことにもなりかねない。冷静な分析に基づく報道なり情報公開が欲しかった。特にメディアの国際面に於ける自力取材活動の弱さがスポーツに限らず、国際政治の面でも多々、見受けられる。ファクトを正確に把握して初めて適切な対応策や冷静な反応、評価がなされるのだと考える。  

 今回のモーグルでも、今朝、採点の50%がターン技術の良否だと知らされた。3Dで大変な期待を持ってTVの前に陣取った私が不勉強でもあったのだろうが、解説者やコメンテーターが後講釈で上村は「エアーは強いが、ターンはそこまでの水準にない」と言うことを知っていたら、もっと上村愛子に対して別の応援なり、競技が終わった後に感じた感動はもっと素晴らしいものになっていたと思う。事前情報によって人間の受ける思いは、大きく違ってくるし、その選手への思いも大きく変化する。  

 外交など国際関係の問題を考える時に、全く同じことが言える。イラク情報は決して日本国の報道機関が現地に入って、自分の足と耳で収集した情報ではない。第三者から訊いた情報をただ仲介しているだけと云ってもよい。そうしたメディアを抱える国家に冷静な情報分析に基づく国家戦略は育たない。  

 上村愛子選手の3Dを見終えて、そうした感慨を覚えた。

古都散策--桂離宮5

桂離宮−−−古都散策 

 昨年十一月の桂離宮の散策である。紅葉には早いと思っていたので、ことの外、その紅が美しく、目と心に焼きついた。森閑とした庭を巡り、日頃の慌ただしさを暫し、忘れた。  

 そして入場の予約時間に少し間があったので、離宮南にある饅頭屋中村軒で名物の麦代餅(ムギテモチ)とお薄を一緒に戴いた。その味は古都の味わいであった。

桂離宮1

 桂離宮2

古都散策--修学院離宮5

修学院離宮ーー古都散策
後水尾上皇を巡る人物と建築物−−−1=修学院離宮・圓通寺・桂離宮・曼殊院 
(2009.2.23) 

 

昨年(2005年)11月の修学院離宮の風景である。晩秋の陽光に赤づいた紅葉の景色を水面に映す一瞬の姿に長い時間の移ろいを感じた。 

修学院離宮
浴龍池と上御茶屋・隣雲亭を望む
天下の三棚・中御茶屋一の間、霞棚
中御茶屋一の間にある天下の三棚のひとつ霞棚

宮内庁の方の丁寧かつユーモアに溢れた説明を聞きながら、洛北にひっそりと歴史を刻んできた名園に、しばし心と目を奪われた。

女系天皇について--2

女系天皇について 

 推古天皇(女性)紀を資料に「女系天皇について掘廚鮟颪海Δ隼廚辰震霎茲法∪杪に皇統の在り方を決定しようと何故か焦る小泉総理に冷や水を浴びせるようなと云うより、ある種の天意を感じさせるような出来事が出来した。2月7日の秋篠宮妃ご懐妊のニュースである。このニュースが報道されてから、政界、メディアでは「皇室典範改正」について一挙に慎重論が昂まった。

 まずは、ホッとしているのが私の正直な気持ちである。二千年近い伝統を誇る「天皇」の中身が一朝にして変わろうかと云う当面の危機がまずは遠のいたと考えるからである。 男系で二千年近い皇統をつないでいる王家は世界でこの日本のみである。四、五千年の歴史を有し、数多の王朝を戴いた中国もひとつの皇統で繋がって来たものではない。真に日本の皇統こそ「熊野古道」どころでない「世界遺産」であると云って良い。日本の伝統・文化を見詰めなおす絶好の機会と捉えて、国民が「国の誇り」を冷静に考えて見る必要があろう。そこで、古来、天皇・王というものがどういう風に捉えられていたかを、推古紀を参照に考えたいと思う。

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 【推古天皇紀三十二年十月--日本書紀⊂学館】 

 冬十月の癸卯朔(キボウツイタチ)に大臣(*蘇我馬子)は阿曇連・阿倍臣摩侶の二人の臣を遣わして、(推古)天皇に奏上させて「葛城県はもともと私の生まれた土地です。それゆえ、その県に因んだ姓名を付けております。そこで、永久にその県を授かって、私の封県としたいと存じます」と申し上げた。ここに(推古)天皇は詔して「今、私は蘇我から出ており、大臣(馬子)は私の叔父でもある。それゆえ、大臣の言うことは、夜であれば夜の明けぬうちに、朝であれば日の暮れぬうちに、どのような言葉も聞き入れてきた。

 しかし、今我が治世に、突然この県を失ったら、後世の君主は、『愚かな婦人が天下を治めたために、急にその県を滅してしまった』と仰せられるであろう。決して私一人の愚行では済まず、大臣も不忠とされ、後世に悪名を残すことになろう」と仰せられて、お聞き入れにならなかった。

 *蘇我馬子:有名な大化改新(西暦645年)で、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)の政変により暗殺された蘇我蝦夷(エミシ)の父で、第33代天皇推古天皇、第31代用明天皇の母である堅塩媛の兄にあたる。推古天皇は馬子の姪にあたる。

 *蘇我蝦夷は第35代皇極天皇(女帝)元年の紀に「蘇我大臣蝦夷、己が祖廟を葛城の高宮に立てて、八佾(ヤツラ)の儛(マイ)をす」と云う記述があるが、八佾儛は中国周代の舞楽の決まりで天子のみが舞わせることのできる縦横八人毎、計六四名で舞う壮大な儛〔天子の儛が八佾(ヤツラ)、諸侯が六佾(ムツラ)、大夫が四佾(ヨツラ)となっており、一佾は毎列八人と云われる〕。蝦夷は王として振舞ったことが日本書紀に記されている。

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 馬子が推古天皇に要求したのは、葛城という王家の王地を寄越せ、即ち自分が王家に取って代わる下準備と云おうか、王家簒奪の行為に等しかったと考えられる。その証拠に、時代が下がって、馬子の子である蝦夷はその葛城の地に「高宮」と云う宮殿と思しき建物を建て、そこで天子にだけ許されるはずの八佾の儛を踊らせている。そうした王家にとって聖地とも云える県を所望した叔父に対し、女帝の推古天皇は「愚痴婦人」が天下を治めた途端にこのような王家に関る大事を決めることなど出来ぬと断っている。

 ここのニュアンスは、当時、既に正統な皇統が男系であり、女帝は一時的な繋ぎであったことを匂わせるものであり、仮の立場で王位に就く自分が決めるべきではないと拒絶している。西暦624年の時代において、皇統について男系で繋ぐという伝統、考え方が成立していたと云ってよいのだと考える所以である。

 この推古紀を引き合いに出して女系天皇問題を論じるのは女性が駄目というためではない。私が云いたいのは女だから駄目ではなく、もし、この国の王家の皇統が女系で二千年続いてきているのであれば、皇統の継続に危機感が生じた時には、同じように女系を護るべき智恵を国民でじっくり出し合い、伝統を後世に引き継ぐ責任のある今を生きる日本人として、推古天皇が云われたように「愚痴日本人」が深くも考えずに皇統の在り方を変更したら、後世の人から「平成の日本人は国を滅した、世界に誇るべき伝統を弊履のように捨て去る愚行を行なった」ときっと云われることとなろうと云いたいのである。一旦、滅した伝統は二度と戻らぬ。我々はその時間の重み、祖先が様々な智恵を駆使して護ってきたこの国の歴史の希少さにもっと思いを致し、この女系天皇問題については智恵を搾る必要があると強く思うのである。

 

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