彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

January 2006

脳卒中を克服しよう5

 脳卒中は恐ろしい

 脳卒中は恐ろしい!誰も罹りたくないと思っている。しかし、それは突然、襲ってくる。この私もそうだった。丁度五年前の三月の小糠雨の降る夕方、悪魔が舞い降りてきた。  最初、左手に軽い痺れを感じ、そして立ち上がって歩こうとすると、頭がぼ〜っとして雲の上を歩くようである。幸い、社内診療所があったため、念のため医師を訪ねた。それが私の命を救った。

 医師の前で私は本格的な脳出血に襲われた。直ぐに上下肢に痺れが出て、次に全く知覚を失った。目の前で医師が筆で私の左頬や左手の甲を触るのが見えるのだが、全く知覚がない。完全に私の左半身は沈黙してしまった。救急車が来る間に、医師が緊急処置として血圧降下のために注射をした。ぼ〜っとしたなかで、記憶が残っている。この処置が生命を救い、障害を抑えた最大の要因と思っている。こうした時の初期動作がどれだけ大事かを身を持って体験した。

 救急車で、都内の大学病院に運び込まれた。救急室でCTを撮られ、ICUで治療が開始された。出血個所が手術のできぬ場所であったため、治療は血圧降下剤の点滴投与が主体であった。これは、後に聞いた話である。二十四時間は再出血の危険と出血個所が広がらぬことを家族は祈るばかりであったと云う。関係者を呼べとの医師の話で、家族は緊張した一夜を過ごした。  幸い、私は再出血もなく生き延びた。

 生き延びた要因は色々考えられるが、一番は痺れを感じた時に、直ぐに医師の元に向ったこと(救急車でも良い)である。これは自分の両親が血管系の病気で他界していたため、自分も同じ体質であり、死ぬ時は脳に関係する病であると感じていたため、痺れイコール脳障害と咄嗟に発想したことが大きいと思う。これが神経系の病気と云う風にもし考えていたら、後日に医者に行けば良いと考え、初期動作が大きく異なっていたはずである。変な話、その突発的な病気のブレーンストーミングを自分の頭のなかでそれまで何度もやっていたことが、実際の事態が勃発したときに冷静に対処できた原因であったと思う。 それから、これだけはどう覚悟し、準備しようが神のみぞ知るであるが、出血なり梗塞の場所が致命的な部位であるか否か。こればかりは今の人智では如何ともしがたい。私は視床という場所(眉間の奥)であったが、僅かに致命的な場所をずれていたため助かった。一月の神経内科での治療。そして二ヶ月半に及ぶリハビリセンターでの治療。五年経って今、自分はこうしてパソコンに向かいブログを書き、そして杖を使うが出社もしている。この間の軌跡を少しでも同病の人々の為になればと思い、書き綴って行きたいと思う。

脳血管障害による高次能機能障害ナーシングガイド

脳出血・くも膜下出血はこうして防ぐ、治す (健康ライブラリーイラスト版)

脳梗塞・脳出血・くも膜下出血―脳腫瘍、もやもや病などその他の脳の病気 (よくわかる最新医学) (よくわかる最新医学)

女系天皇について---5

 女系天皇について

 この一月二十日から第164回通常国会がスタートした。この国会は「小泉改革の総仕上げ」と謳われるが、この改革の中に圧倒的多数の与党議員を背景として女系天皇の容認を骨格とする「皇室典範改正案」が上程され、可決されようとしている。まだ、自民党内には改正案がこの国の歴史、伝統を無視するといった慎重論を含め反対議論が数多く存在するが、法案は党議拘束をかけて粛々と提出されようと準備が進められている。「女系天皇について--機廚能劼戮燭茲Δ法△海量簑蠅老法第一章第一条の「日本国民の統合の象徴である天皇」即ち日本国民の心の柱の部分に関る国民の心の礎の問題であり、これまで2000年弱に亙ってこの柱を守り、継承してきた日本国の先達たちの叡智と努力を平成のたった10ヶ月間の議論で無にするものである。  

 皇統と云うものは一体何であるのか、なぜこの国では永年に亙り「天皇」と云う権威が時の権力とは分離されて存在し得たのか、天皇の誕生に深く関る「日本書紀」に基づき少し論じてみたい。その允恭(インギョウ)紀4年9月(西暦415年)に皇統を考える上で参考になる『盟神探湯(クカタチ)により氏姓を正す』という記述がある(現代訳引用は下記の【】内)ので紹介する。(以下引用は小学館日本古典文学全集「日本書紀2」より) *允恭天皇:第19代天皇で仁徳天皇(第16代)の子で応神天皇(第15代)の孫。第17代履中天皇、第18代反正天皇は兄。 【四年秋九月の辛巳朔(シンシサク)の巳丑(キチュウ)(=九日)に、詔して、「上古の治世では、人民は定着し、姓名(カバネ)に混乱はなかった。今、私が即位して四年になるが、上下は互いに争い、人民は安寧ではない。ある者は誤って自分の姓を失い、ある者は故意に高い氏(ウジ)を自認している。そもそも治世の至らないのは、おそらくこのためであろう。私は不肖とはいえ、どうしてその混乱を正さずにいられようか。群臣は検討して奏上せよ」と仰せられた。群臣はみな、「陛下が過失を挙げ不正を正して氏姓(ウジカバネ)を定められるなら、私どもは生命をかけてお仕えいたしましょう」と申しあげた。天皇はこの奏上を裁可なさった。 戊申(ボシン=28日)に、詔して、「群卿・百官と諸国の国造(クニノミヤツコ)たちは皆それぞれ、ある者は皇帝の子孫であると、ある者は霊妙な天孫(アマクダ)りの末裔である語っている。しかし天地人が顕れ分れて以来、幾多の歳月を経た。ここに至って、一氏が繁栄して万姓となり、その真偽を確かめるのは困難である。それゆえ、諸氏族の人々は沐浴斎戒(モクヨクサイカイ)して、それぞれ盟神探湯(クカタチ)をせよ」と仰せられた。そこで味橿丘(アマカシノオカ)の辞禍戸岬(コトマガトノサキ)に探湯瓮(クカヘ)を据え、諸人を連れて行かせ、「真実を言えば何事もなく、偽れば必ず害を受けるだろう」と仰せられた。そこで諸人はそれぞれ木綿(ユウ)の襷(タスキ)をして、釜のそばに行き探湯(クカタチ)をした。すると真実を言う者はそのまま何事もなく、偽っている者みな傷ついた。これによって、故意に偽る者、恐れてあらかじめ後ろへ退き、釜の前に進むことはなかった。この後、氏姓は自然に定まって、もう偽る人はなかった。】 この内容は、古事記にも「姓を正し氏を撰ひ、遠飛鳥に勒(ヲサ)めたまひき」、「姓氏録」(西暦815年編纂の古代氏族名鑑だが、それ以前にも存在していたと伝えられる)の「序」でも「允恭御宇、万姓紛紜ス・・・」と同様の事実が記述されている。  

 この事実は王家の本質、王統というものの本質を表すものとして興味深い。つまり、「王の統治権」が血統というものにその正当性の根拠が求められていた証であることを示している。そして今から千数百年前にも、既に血統の乱れによる混乱があり、それを正す事件があったことを示している。王の権威というものが「王統なる血筋」という血の継承により正統化されていたと云ってよい。それが乱れれば、天皇による治世の正当性が失われることを当時の人々はよく理解し、納得していたということである。「貴種」に対する畏敬の念があった時代、統治することを授権された王家の証が「正統に継承されてきた血統」であったということである。  その血統こそが、その時代の統治の正統性を担保する唯一のものであったと思われる。だからこそ、「記紀」にもその紛紜を正した允恭天皇の行為が特筆されているのだと考えられる。それ程に当時は血統の乱れに対する百官、民衆の関心は今の時代とは全く異なる捉え方が成されたのだと思われる。統治権の賦与を、唯一、正統化するものが王家の血統の系譜であったという事実を、それから千数百年経って「国民の統合の象徴」と位置づける我々がどう考え、現在の時代に即して「男系天皇の存続の危機」に対してどう対処すべきか、先達が継承してきたわが国の歴史と将来の歴史に責任を負うべき現代人として、慎重な上にも慎重な議論を尽くすべきであると考慮するが、如何であろうか。

  次回の靴任蓮崙本書紀推古紀三二年」の記述から、「女系天皇」について考えてみたい。

女系天皇について--5

ブログネタ
女系天皇 に参加中!

 女系天皇について

 平成17年11月24日の第17回皇室典範に関する有識者会議において、「皇室典範に関する有識者会議報告書」の最終確定内容につき、吉川弘之座長(元東大総長)から小泉内閣総理大臣に提出があった。それは「継承資格の拡大の意味において女性、女系天皇を容認する」という内容のものであった。平成17年1月25日の第一回会議から僅か9名の有識者(何に対して有識なのか?)による僅か10ヶ月間の会議を経るだけで、日本国憲法第一章第一条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と謳われた国民の統合の象徴である天皇に関する継承問題の答申が成された。 

 国民にとってあっという間の出来事と云おうか、余りにもスピーディーな答申に裏に何か隠されているのではないかと勘繰りたくなるような速さであった。年金統合問題などではイライラする程に議論が深まりを見せず、結論が先送りされることなどと考え合わせると、国民統合の象徴、国家の求心力たる天皇というものについて国民的議論があって然るべき極めて重要な問題が、メディアによる会議の議論過程などの説明も不足するなかで電光石火の早業で報告書の結論が出された。

 郵政の民営化問題では政府をあげてのPR活動や公聴会等の手立てを尽くし、挙句に国民投票と云ってよい解散総選挙に討って出てまで民意を問うたことと比較すると、憲法の第一章第一条の問題に深く関るものでありながら、たった10ヶ月の17回の会議だけで大筋の方向感を出してしまうこの拙速感と歴史・伝統の重みを余りにも軽んじた扱いに大いなる疑問と不満を表明せざるを得ない。

 加えて、本件が国家乃至日本とは一体何かといった根本問題に深く関る事柄であることを会議の議論の中で敢えて避けたのか、それともそうした事柄とは関係がないのだと切って捨てたのか、有識者会議のメンバーの行為は余りにも不見識、思慮不足そして国民を愚弄するものと云わざるを得ない。また、この国の将来の国民に対し責任を有する我々もその結論に異を唱えず、後世に禍根を残す恥ずべき判断を唯々諾々と、今、許そうとしているのだということを深く認識しなければならぬ。  今後、日本と云う国の成り立ち、天皇とは何か、血統とは何を意味するのかなど「日本書紀」の記述を引用しながら私の見解を述べ、蟷螂の斧と云われようが遅まきながら小さな声を挙げたいと思う。

 

靖国神社問題3

 靖国参拝問題

 小泉首相の靖国参拝問題が今、中国、韓国をはじめアジア諸国に様々な問題を巻き起こしている。 新年の首相の年頭所感(記者会見)で「靖国の問題はこころの問題であり、一政治家のこころまで外国がとやかく云うのはおかしい」と発言したが、小泉首相はこの参拝問題をいつの間にか一政治家の問題に格下げし、一個人のこころの問題(国の為に生命を捧げた人々に哀悼と感謝の気持ちを顕す)にすり替えようとしている。  

 今一度、小泉首相の靖国参拝について思い起こしてみよう。彼が2001年の自民党総裁選に立候補した際に、公約として、「自分が総理・総裁」となった暁には8月15日に靖国神社参拝を行なうと掲げた。自民党の強力な支援団体である「財団法人日本遺族会」の票を狙った行為であったことは明々白々である。しかし、その時は明らかに日本国の総理として参拝するという公約であったはずで、だからこそそれを信じた遺族会が、小泉総裁擁立を支えたことは想像に難くない。総裁選前日に遺族会会長宅に小泉氏本人より8月15日に参拝するので総裁選で自分に投票して欲しいとの電話があったと巷間、伝えられている。 この経緯を想起するまでもなく、靖国参拝は決して一個人のこころの問題ではないはずである。

 「遊就館」という白亜の重厚な資料館があるが、そこを拝観すれば(殊に「私たちは忘れない」と題する50分のビデオ)、この神社が何を狙い、何を我々に伝えようとしているのか判然と分かるはずである。私は拝観後、「尚武の精神」を賛美し、大東亜戦争が自存自衛の戦いであり、戦争に突入せざるを得なかったのはルーズベルトの陰謀と云われているといった説明が随所でなされるなど、ある目的を持った神社であるとしか思えなかった。

遊就館前景

遊就館

靖国神社大村益次郎

 

 

 

 

 

 私も日本人として国家の為に命を捧げた英霊に対し、心からの感謝と敬意を表するのは当然であると考える。このこと自体に反対を唱える人は、国内外まず誰もいないことも自明である。A級戦犯と呼ばれる戦争指導者が合祀された神社、しかも先述したようにある目的が垣間見えるような神社というより思想団体に一国の総理が参拝することが問題なのである。

 本当に小泉総理が英霊の鎮魂を思うのならこうした国際的な問題になるような参拝など英霊は決して望んではいまい。  靖国神社はA級戦犯を別にお祀りする即ち、分祀は神道ではあり得ぬと云うが、日本書紀を紐解くと、崇神天皇紀六年に崇神天皇が宮殿内に祀っていた天照大神(天皇家の祖)と倭大国魂(大和の国神)の二柱の分祀を豊鍬入姫命に命じ、天皇家の祖である天照大神の方を追い出し、大和の笠縫邑に祀らせた事実をどう説明するのだろうか。これこそ私は究極の分祀ではないかと思うのだが。神道関係者、国文学者、歴史家の方々の識見をお伺いしたい。さらに大和内に天照大神は安住できずに、垂仁天皇紀二十五年三月、伊勢への移動する長き旅に出た事実をどう説明されるのか。 分祀は不可能とは靖国神道が日本人の心にある神道とは異なることを自ら表明していると思ってよいのではなかろうか。靖国神道と云うまったく異なったひとつの宗教であるということである。

 A級戦犯を分祀し、遊就館の改廃検討後(大東亜戦争の歴史的評価をし直した)であれば、その新たな靖国神社に一国の総理が参拝することをどこの誰も批判することはない。また、あってはならないし、日本人として衷心より感謝の誠を捧げるべきであると思う。しかし、今のままで小泉首相が参拝することは決して許されることではないと考える。アジアの一員として先の大戦について日本が本当に反省をしているのであれば、自ずから結論は出てくるはずである。

  靖国神社               

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